「開発」しない再開発 〜都市デザインに新風を吹き込んだテンポラリーユースと年金基金
2019-11-25
再開発の手法を問い直す新しいアプローチ
スイスのある旧工場地帯で展開した一風変わった再開発プロジェクトが、2012年に、「都市の眺めStadtlandschau」という都市計画賞を受賞しました(2位)。
「産業(工場)地帯は、いつもこんな風に終わらなくてはならないのか?」という文章からはじまる審査員のコメントでは、このプロジェクトの受賞の意義を、以下のように説明しています。
工場地帯から「産業が撤退すると、クリエイティブな人々が入居してくる。そしてテンポラリーユース(暫時的な利用)で、栄えていく。すると投資家がそこを買収し、投資対象とし、クリエイティブな人たちは出て行く。そのあとは、ありきたりの利用の仕方として巨大サイズの新しいショッピングモールができるだけ。ほかにしようはないのか?ヴィンタートゥーアの古いズルツアー工業地帯の一部であるラーガープラッツLagerplatzでは、テンポラリーユーザーと投資家が、これとは違う道をさぐった。そしてテンポラリーなものから恒常的なものを生み出すという(別の道に 筆者註)到達した。」
そして、「テンポラリーユーザーたちが、賢く専門的な措置を用いる発案者や事業者による一般的な運命をまぬがれるのに成功し」、「活気のある賃借可能な都市域の誕生という、ヴィンタートゥーアに栄誉をもたらした」このような経緯は、「模倣の価値のある実験」だと評しています(Neuhaus, 2012, S.21)。
「都市の眺めStadtlandschau」という賞は、従来の手法によらない優れた都市開発のプロセスを評価する賞で、自治体の総合的な作用(効果)を評価するスイスの由緒ある都市計画賞ヴァッカー賞を補完する賞として、スイスで最も権威ある空間計画及び建築雑誌『ホッホパーテレ』が2012年から毎年授与しているものです(つまりヴィンタートゥーアのプロジェクトは初回の賞を受賞したことになります)。
この賞を受賞したことからもわかるとおり、受賞したヴィンタートゥーア市のラーガープラッツと呼ばれる地域の再開発は、優れた都市計画の構想に導かれて進行してきたものではありません。むしろその逆で、総合的な再開発計画を全く欠いた状態で、旧工場建造物がテンポラリーに賃借されていくうちに、地域が活性化されていき、新しい地主が建造物やそのテンポラリーユースを継承するという形を容認したことで、開発しない再開発が保証される、という経緯をたどりました。
今回と次回を使って、このような、従来の再開発路線と一線を画すヴィンタートゥーアの再開発経緯を、紹介してみます。これが遠い国のある地方の、特殊で、偶然的な環境に起きた事例であるのなら、ここで紹介する意味はあまりないでしょう。しかし、そこで起きたこと、実践されてきたこと、そこから生じてきて、現在にまでいたっていることなどをみると、ほかの世界中の都市にも共通するものを多く含んでおり、参考になる点が多いと考えます。読み進めていただくなかで、ほかの地域においても有用なヒントや手がかりを、ひとつでも多くみつけていただければさいわいです。
※参考文献は次回の記事「工場地帯が活気ある街区へ 〜歴史建造物という都市資源を活用した再開発」の最後に、一括して掲載します。
ラーガープラッツ
ヴィンタートゥーアのラーガープラッツと呼ばれる旧工業地帯は、本駅に隣接する形で広がった約46400 m2の地域で、都市の真ん中に位置しています。20世紀末までこの地域一帯を占めていた造船・機械工業の世界的企業ズルツアーSulzerの生産拠点の約4分の1に当たる部分であり、1895年から1950年にかけて建造・設置された巨大な工場建屋やクレーンなど歴史的産業建造物が立ち並んでいます。
ズルツアーは最盛期の1960年代には、ヴィンタートゥーアだけで13700人、世界中では34000人の従業員を抱えるほど生産が拡大しましたが、その後主力産業の衰退に伴い経営が悪化し、1988年には、この地域に座したすべての工場が閉鎖となりました。その後、ラーガープラッツの一部は、配送センターを計画するスイスポスト(スイスの国定郵便事業会社)に売却されましたが、スイスポストは結局違う都市に配送センター設置を決め、ズルツアーの残りの土地と同様にそのまままた放置されました。このため、この一帯は、街の中心部にありながら、当時、巨大なゴーストタウンのような様相を呈していました。
1990年代半ば、工場一帯の再開発計画「ヴィンティ・ノヴァ(「新しいヴィンタートゥーア」の意味)」が浮上しましたが、それもすぐに暗礁にのりあげ、その後しばらく再開発のめどもたたなかったため、ズルツアー不動産(ズルツアーの工場地域一帯を管理するために新たに設立されたズルツアーの不動産会社)とスイスポストは、ラーガープラッツの建造物の賃貸を、はじめることにしました。ただし、土地をいずれ売却する意向だった両社は、賃貸契約を(短い場合は半年間など)短期に設定し、そのかわりに相対的に安価な賃借料で賃貸しました。この結果、中小の多様多様な事業者が、入居するようになります。
結局その後20年間、当初のズルツアーらの目論見に反して、その後も土地売却が進まなかったため、このような安価の短期契約での賃貸が続きます。その結果、約100社の多様な事業者の様々な事業(飲食店、ライブハウス、簡易ホテル、クリエイティブな仕事やサービスなど)が展開されるようになり、地域一帯が活気づいていきました。
2006年アレアルフェアアイン設立
そんななか、2006年、ラーガープラッツに隣接するズルツアー地域の新たな建設計画が発表され、ラーガープラッツも購入者を探していることも明らかになりました。これを聞いた賃借人の間では、ラーガープラッツの建造物も壊され、自分たちも立ち退きを命ぜられるのではという懸念が強まり、約100の事業体や個人の賃借人からなる協会(団体)「アレアルフェアアインArealVerein」を結成します(ドイツ語で直訳すると「地域協会」を意味します。以下、この協会については略称し「アレアル」と表記します)。
アレアルは、明確な目標をもって組織された協会でした。その目標とは、この地域全体を一括して購入してくれる投資家をみつけること。しかも単に一括購入するだけでなく、現存する建物をできるだけ壊さずに、自分たちが入居しつづけることも認め、また自分たちと協働してこの地域の将来を形作る用意がある投資家を探そう、という野心的なものでした。
そして協会会員から集めた資金で、当時、バーゼルの再開発計画で成功をおさめていた(これについては後述します)建築事務所in situの建築家ブーザーBarbara BuserとホーネッガーEric Honeggerに、購入者を探すことを依頼します(Stiftung 2015, S.42.)。ちなみに、建築家ブーザーのこれまでの業績と持続可能性を追求する哲学については別の記事で詳しく扱っています(「中古の建設材料でつくる新築物件 〜ブリコラージュとしての建築」)。
土地一括購入候補者を探すのに並行して、アレアルは、ブーザーらの助言を受けながら、購入希望者のために自分たちの希望や関連データを盛り込んだ資料文書の作成にもとりかかりました。ズルツアー不動産からは関係書類を一切提供してもらえなかったため、地域一帯の測定や、賃借料から土地の価値を概算するなど(Stiftung 2015, S.42)自らデータを集め、文書を作成していきます(これらの作業は、協会の会員であった数人の建築家が中心になって行われましたNeuhaus, S.16)。
2009年正式購入
ブーザーが、ラーガープラッツの相談を受けて、当初から最も有力な投資家の候補と考えていたのは、「アーベントロートAbendrot(ドイツ語で「夕焼け」の意)」という持続可能性をうたう民間の年金基金でした(Stiftung 2015, S.42)。
アレアルや市長を中心とする市政側も、ブーザー同様に、アーベントロートが一括購入することが最良の策であるという意見に一致し、その実現に3者それぞれの立場から、実現に向けて働きかけました(このことについては次回の記事で詳述します)。
2008年に購入交渉がはじまり、2009年1月からは、アーベントロットが晴れてラーガープラッツの新たな地主になりました。購入価格は公表されていませんが、4000万から5000万スイスフランと推定されています(Neuhaus, S.16)。それまで入居していた賃借人はすべて、アーベントロートと、期限なしの新たな賃借契約を結ぶことができました。
未来会議と利用構想で、一帯の未来像が共有される
アーベントロートがラーガープラッツの新地主となった同年の9月初旬、二日間にわたり「未来会議」という会合がヴィンタートゥーアで開催されました。そこでは、この地域の将来の開発や使い方について、賃借団体や居住者、近隣の住人、市の役人、市の政治家、アーベントロートからのスタッフなど関連する120の事業者や代表が一同に介し、7つのグループ(テーマ)で話し合われました。ここでの内容は、11月、一般住民にも公表されます。
ここでの話し合われた内容に基づいて、「利用構想 ラーガープラッツ」がつくられます(Stiftung Abendrot 2010)。ここのなかでは、2020年に地域がどうあるべきかが具体的に提案されています。主要な内容は以下のようなものです。
・商業的な成功だけでなく、社会的、環境的にも均整のとれた開発(解体や新設するかわりに、ある建造物を利用し、ソフトで持続可能な開発)
・多様な利用の仕方をし、人々がまざりあい、街の新しい魅力や価値をつくりだす
・パブリックスペースを活用し、人々に開かれた活気ある場所にする
・現在、倉庫として貸し出されている部分は、中期的には住居、オフィス、アトリエに改装する
・古い建物をできるだけ保存するが、エネルギー効率は早急に改善する
・徒歩と自転車の道を整備し、車の立ち入りは大幅に減らす(中心に地下駐車場を設置する)
以後今日まで、この利用構想を土台として(一部は諸事情で変更)、再開発系計画が進められてきました。アーベントロートは2015年までに、8000万から9000万スイスフランを投資し、最終的に10年以上かけて、1億4000万スイスフランを投資する予定です (Stiftung 2015, S.50.)。
なぜこのような再開発が可能となったのか
ここまで、かけあしでラーガープラッツの再開発のあゆみをみてきましたが、これまでの再開発例に照らしあわせてみると、まだ腑に落ちない、あるいはよくわからないと思うことがあるのではないかと思います。少なくとも、わたしにとっては、二つのことが疑問でした。
ひとつは、アーベントロートはなぜラーガープラッツを購入するにいたったのか。年金基金として採算は十分あったのか。もう一つは、このような再開発は、賃借人や都市住民にとって「理想的」であっても、実現は難しかったであろうと想像に易いが、ここでは、どうやってそれが可能となったのか、です。
ふたつ目の疑問については、次回でくわしく触れていくことにし、ここから先は、ひとつ目の疑問について、解明していきたいと思います。
年金基金という都市デザインのプレイヤー
すでにあるものの存続・保持を尊重する地域再生プロジェクトがなしとげられたラーガープラッツの経緯を振り返り、立役者の一人ブーザーは「まさにウィンウィンの状況だった」(Neuhaus, S.16)と回想しています。ここでいうウィンウィンとは、アレアル(賃借者)と年金基金アーベントロット両者にとって理にかなう、メリットのあるものだったという意味です。
希望通りの地主を獲得できたことが、賃借人にとってウィンであることはわかりますが、アーベントロートにとってなぜ、スクラップアンドビルトで延べ床面積を広げ、地代を最大限に吸い上げる開発ではなく、それまでに入居していた賃借者に賃借しつづけるのが、「ウィン」なのでしょう。
年金基金アーベントロートは、1984年に設立された、企業年金Pensionskasse(一定額を超える年収がある被雇用者に対して加入が義務づけられている年金)を扱う民間の年金基金です。2015年現在、年金資金Alterskapitalは140億スイスフランで、1250企業の11000人の被保険者を対象としています。
アーベントロートは、設立当時から、持続可能な社会に貢献することを重視し、投資対象を、倫理的、環境への貢献、社会的な基準に基づき選んできました。また、不安定な株市場への投機よりも、不動産投資を優先するポリシーで、投資の大きな部分(目標は3分の1)を、スイスの住宅や商業建造物にあててきました。
このようなポリシーのアーベントロートにとって、単なる経済性でなく、資源を無駄にせず、さらに地域や地域住民が大きな恩恵を受けられる不動産プロジェクトと位置付けられるラーガープラッツは、「理想的な物件であり、幸運なケースだった」とアーベントロートのラーガープラッツ担当者クロイスラーKläuslerは回想しています (Stiftung 2015, S.51)。
ただし、アーベントロートは、被保険者の資金をあずかる年金基金であるため、投資先は必要な利回りが見込まれるものに限り、単にプロジェクトを助成するというようなことはしないという態度も明確にもっています(Abendrot schätzt)。
アーベントロートの考える、利回りの見込みとは次のようなものです。更地にして大型開発する場合、初期投資が大きく、それを回収するのに時間がかかるだけでなく、一定のリスクも生じます。一方、ラーガープラッツの場合は、すでに入居者がいて地域も活性化していたため、最初から入居者からの賃貸料を手にすることができます。もちろんソフト開発に一定の投資が必要になりますが、更地にしてからはじめる大型開発に比べれば、ずっと低額ですみリスクは低くおさえられます。つまり総合的に考えると、それまでのテンポラリーユースを恒常的な賃貸契約に変換し、維持・保存する形にしたほうが、利回りがよい、と判断しました(Neuhaut, S.16)。
チューリヒ応用科学大学の建築学部や図書館など、大規模で長期間の賃貸契約が見込まれる賃借人が、ラーガープラッツに入居したことも、大きなメリットでした。そこから安定的に賃借料が得られることで、収入が安定し、ほかの小規模の賃借人にも、高い家賃を要求せずにすみました(Stiftung 2015, S.47)。
工場建屋をリノベーションして設置されたチューリヒ応用科学大学の図書館
ちなみに、購入時点で、賃貸物件の約90%が、90以上の中小の事業者にすでに賃貸されていました。事業者の内訳は、企業(50%)、飲食・文化分野(20%)、生産部門(17%)、販売(11%)です。ラーガープラッツのホームページをみると、賃借人の90%以上が、今後もラーガープラッツに残り、今あるいは同じような形でのこりたいと考えているとのことです。
購入の鍵となったバーゼルの前例とその立役者
アーベントロートが、持続可能性をうたう年金基金で、ラーガープラッツが当初から採算の見合う投資だと計算されたのだとしても、ラーガープラッツは、これまでアーベントロートが購入した不動産でも最大規模です。しかも開発しない再開発という異例のプロジェクトであり、購入に躊躇は本当になかったのでしょうか。
アーベントロートもその点を考慮していないわけではもちろんありませんでした。それでも購入に背中を押したのは、二人の人物のおかげでした。建築家で購買の仲介役も務めたブーザーとホーネッガーです。
ブーザーらは、ラーガープラッツの購買数年前から、スイスの他の都市バーゼルBaselで、元工場地域一帯を、古い建築群をのこす手法で再開発するというプロジェクトをてがけていました。このプロジェクトが功を奏し、新たな都市の魅力的な地区となっていく経緯を、共同地主としてアーベントロートは自分の目で見届け、この手法と二人の手腕に強い信頼を置くようになりました。クロイスラーは、バーゼルの「経験のおかげで、わたしたちは、ラーガープラッツを買う勇気をもらった」(Stiftung 2015, S.44)としています。このため、ラーガープラッツの再開発にもこの二人が関与することが、再開発を成功させるための重要なファクターととらえていました。実際に、土地の買収直後から、クロイスラーは、ブーザー、ホーネッガーをいれた「促進(舵取り)チーム Steuerungsteam」を結成し、毎週バーゼルからヴィンタートゥーアに通いながら具体的な再開発事業をすすめていくことになります(Neuhaut, S.17)。
つまり、ブーザーが関わったというバーゼルの前例が、間接的にヴィンタートゥーアの再開発の鍵を握っていたということですので、そのバーゼルのグルンデルディンガーフェルトGundeldingerfeldという地域の再開発プロジェクトについても、若干、触れておきます。
バーゼルにも、ヴィンタートゥーア同様、ズルツアーの機械工場拠点(12000㎡)がありましたが、1999年にいよいよズルツアー・ブルクハルト(コンツェルンのズルツアーを解体してできた会社の一つ)が撤退することとなり、工場一帯の土地は、アーベントロートをはじめとするいくつかの年金基金と個人の投資家グループによって買い上げられました。
この工場地帯全体を対象に、ブーザーをふくむ五人の建築家らによって、新しい市の中心地に変容させるプロジェクトがすすめられました。12年間にわたる再開発プロジェクトの結果、現在は、7つの大型の建屋(ホール)と8建造物に70以上の賃借者が入居しており、200人以上が就業するだけでなく、レジャーや飲食、文化活動を目的に地区や都市全体から、多くの人がおとずれる地域の中心部のひとつに変容しました。
ちなみに、このプロジェクトでは、当初から、環境面での配慮も重視し、毎年屋上のソーラーパネルの設置など、20万スイスフラン以上を省エネ対策に当てられ、賃借人にもエネルギー消費をおさえることを義務付けていました。
次回のテーマ
次回は、このような開発なき再開発がどうして可能になったのかを、キーとなる人に焦点をあてながら考え、また、ラーガープラッツについてその評価や意義についてまとめてみたいと思います。
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。