はさみをもった家庭訪問員たち 〜「早期支援」という観点から臨む移民のインテグレーション・プロジェクト

はさみをもった家庭訪問員たち 〜「早期支援」という観点から臨む移民のインテグレーション・プロジェクト

2018-07-21

前回、スウェーデンの地域の移民と高齢者両方に恩恵をもたらすインテグレーションのプロジェクトをご紹介しましたが(「難民と高齢者の需要と供給が結びついて生まれた「IT ガイド」、〜スウェーデンで評判のインテグレーション・プロジェクト」)、今回は、スイス社会で定評のあるインテグレーションのプロジェクトについてご紹介します。

ドイツ語圏の「早期支援」

具体的なプロジェクトについてご紹介する前に、そのバックボーンにあるドイツ語圏の「早期支援」という考え方について、少しご説明します。

「早期支援 Frühförderung」とは、幼少時期の能力を発展させるための支援のことで、ドイツ語圏の教育上重きが置かれている考えの一つです。ペスタロッチやシュタイナー、フレーベル、モンテソーリといったヨーロッパの名だたる教育思想家の幼少期の教育についての理念を織り交ぜた早期支援の考えを、一言で乱暴にまとめるとすれば、こどもの成熟度に見合う「遊び」のなかで「学ぶ」という考え方になるかと思います。

ここで「学ぶ」対象と考えるものは、非常に幅広く、それを達成するために、周囲の大人たちにも(密接なこどもとのやりとりや、ふさわしい環境を維持する役割など)一定の役割も期待します。例えば、工作や料理の手伝いなどを通して、手先を使う細かな作業や、単調な作業に集中することや、できあいの視聴覚メディアを用いず、親が本を読み聞かせたり、いっしょに対話や演奏することで想像力や感受性、表現力を高めたり、豊かにさせることを、こどもにふさわしい課題と考えます。(ドイツ語圏で具体的に理想とさえる遊びやその玩具については、「想像の翼が広がる幼児向けアナログゲーム 〜スイスの保育士たちが選ぶ遊具」、「ドイツ語圏で好まれるおもちゃ ~世界的な潮流と一線を画す玩具市場」)。

ちなみにこれは、読み書きや計算、英語などの外国語の勉強といった、就学後に学校で学ぶ内容を、単に前倒しで学ばせる「学び」の在り方とは、一線を画します。幼少期のこどもの関心や感性に見合う「学び」方を強調する立場であるため、前倒しの「学び」方にはむしろ否定的です。

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移民のこどもたちのハンディと早期支援の意義

一方、移民たちの中には、出身の地域によって大きく異なりますが、そのようなこどもの早期支援の考え方とは、無縁な環境に育った人たちも少なくありません。こどもの遊び方に放任で、こどもの好奇心や向上心を高めることにも関心をもたない、あるいは、具体的にそれにふさわしい玩具がない環境で自らの幼少期を過ごした人たちです。

そうした人たちの中には、ドイツ語圏のスイスにきてからも、スイス人が重んじるようなこどもの情操教育やそのための遊びの考え方を知らず、自分たち大人がそのために何をすればいいのかもわからないし、家にも適した材料(玩具や本)がないという人がいます。

それが普遍的に悪いというわけでは決してないでしょうが、少なくとも情操教育や手先をつかった細かな作業(あそびとして)を重視するスイスでは、そのような親の元に育つこどもたちは、スイスのほかのこどもたちに比べ、いくつかの点で「問題」となる差がでてきます。スイスで教育上重視する能力、語学や認知能力において「遅れ(未発達)」とみなされるものです。

その差は、小学校入学時、あるいはすでに幼稚園に入園する時点でみられることが多く、本来スタート地点であるはずの、幼稚園や小学校1年という地点で、すでに、ハンディをもつことで、その後もそのハンディが簡単に縮まらず、こどもたちのスイスでの長い将来(職業教育の選択からキャリアまで)において、負の影響がながく続くことがわかってきました。

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一方、逆に、移民のこどもたちにとって、就学前の早い時期の支援が能力向上させることが、その後の学校教育を順調に進める決定的な助けとなり、最終的にこどもたちの将来の社会へのインテグレーションに決定的に重要であるという認識が高まっており、そのような「早期支援」に重点を置いた新しい教育制度を導入する自治体が、今日、増えてきています。

例えば、チューリヒ州で、2006年から新しい教育条例を施行し、小学校入学前の2年間の幼稚園が義務教育の一部としましたが、これは、移民のこどもたちが就学前にドイツ語やほかの就学に必要な能力を習得することで、就学のスタート時点で遅れをとらないようにすることをとりわけ考慮した制度と言われます(スイスの幼稚園は4歳から)。

バーゼル市では、対象年齢をさらに早めた教育プログラムを2013年からスタートさせました。ドイツ語が話せない移民のこどもたちを対象に、幼稚園に入園する前の1年間、言葉を学ぶためにプレイグループや保育園に入ることを義務化させるというものです。

家庭をまるごとターゲットにした早期支援「一歩ずつ」

幼少期の早期支援をする場所や方法は、いく通りも可能で、実際に、家庭、全日制の幼稚園や保育園や数時間のプレイグループ、あるいは保育ママ(自宅でこどもの保育をする人)など多様な形があるわけですが、今回とりあげるのは、家庭訪問を通した支援です。

これは、1歳から4歳ごろのこどもたちのいる親の家庭を、週に1度か2度、18ヶ月の間、家庭訪問員が訪問するというもので、2006年からスイスではじまりまりました。このプロジェクトのもともとのルーツはオランダにあります。効果的な移民家族のインテグレーションのためのプログラムを探していた、ソーシャルワーカーのデーラーErika Dähler氏が、2003年、オランダの青少年機関(NJi)が行っていたOpstapjeというプログラムを視察し、それに強く共感し、「一歩ずつSchritt:weise」というプロジェクト名で、スイスに導入しました。

先述のように、移民の親のなかでは、こどもとの(とくにスイスの現在の家庭で一般的な)あそび方、例えば、絵を描く、はさみを使って工作をする、本をいっしょに読む、音楽でおどったり、簡単なゲームをするなど、を全く知らないで育った人もいますし、たとえ知っていても、経済的、あるいは精神的・時間的に余裕がなく、こどもたちにそのような遊具を与えたり、いっしょにあそべない人たちもいます。そのような家庭に、訪問員は、毎回、はさみやのりや本など、実際にこどもとあそぶためのツールやアイデアをもって訪問し、数時間、親とこどもといっしょに時間を過ごします。

訪問員は、こどもとあそびながら、親に遊び方を教えたり、子育て全般のいろいろな相談にのります。また、プログラムは、家庭訪問で完結するのではなく、孤立しがちな親子を外に積極的に出し、ほかの親子と交流させることも重視しており、月に一度、プログラムに参加するほかの家族と集まり、地域の子育てに便利な場所(図書館や公園)へいっしょにでかけたり、重要な情報(健康や学校制度について)について説明する機会などを設けています。

訪問は月に10スイスフラン(日本円で1200円ほど)の安価で受けることができ、原則として1年半の間毎週継続して訪問を受けます。

訪問員には、移民出身者を積極的に採用しています。このプログラムは移民に限ったものでなく、スイス人も希望すれば受けられますが、外国出身者の親の家庭でとりわけニーズが圧倒的に大きいためです。訪問する人の母語(例えばトルコ語やアルバニア語)が話せ、自身も移民としての苦労した経験をもち、文化的差異の戸惑いへの理解も大きい移民出身の訪問員には、(高い知識のスイス人専門家などよりも)、親たちも緊張せずに接することができ、打ち解けやすいのだそうです。

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「一歩ずつ」の優れた点

こどもを社会にインテグレーションするという目的であれば、保育園やプレイグループなど既存の施設で十分なのではないか。なぜ、わざわざ家庭の個別訪問という別の形を設ける必要があるのか、と疑問に思われる方もおられるかもしれません。確かに、保育園やプレーグループもこどものインテグレーションにすぐれた効果をあげますが、「一歩ずつ」プロジェクトには、ほかの早期支援の施設にはない長所がいくつかあり、それが、並存して存続している理由となっています。「一歩ずつ」の長所をまとめてみると以下まとめてみましょう。

●親の抵抗感が少ない
移民のなかには、第三者にこどもをあずけることへの抵抗感がある人がたびたびいます。とりわけ父親があずけ保育を嫌い、それを禁止する場合もあるといいます。そのような不安や抵抗が強い家庭のこどもたちも、家庭訪問という形があれば、インテグレーションのための支援を享受することができることになります。

●こどもだけでなく親もひっくるめてインテグレーションの支援の対象にできる
保育園やプレーグループでは、親がいないので、保育士やほかのこどもたちとの交流の濃度が相対的に高くなるため、言語学習からは効果的と言えますが、移民の親は切り離されて、インテグレーションの恩恵にはあずかることはできません。他方、家庭訪問を受ける場合は、こどもをどう早期支援するかのノウハウを、直接学びながら、訪問員やべつの家族と交流し、こどもとともにインテグレーションを進めることが可能になります。これは、親に、自主的な自助努力をまかせるよりも、効果的に親たちをインテグレーションできる方法といえるでしょう。

●親がこどもの早期支援において主体的な役割を果たす立場になれる
このプロジェクトでは、親自身が、保育園や専門家などに依存せずに、主体的にこどもを支援できるようにすることがねらいです。その意味では、「自助のための支援」といえます。前回でも取り上げましたが、インテグレーションにおいても、自助のための支援というあり方は、移民(ここでは親)自身のモチベーションを高め、効果が高まると考えられます。

●移民自身が、ほかの移民を支援する側にまわり、主体的な役割が果たせること
このプロジェクトでとりわけおもしろいのは、移民の支援を、先輩の移民(以前に移住してきて、長年そこに住んでいる移民)たちがすることです。自ら経験をしたことを最大限にいかして、ほかの移民を助けるというアクションをすることによって、訪問員自身にも、自覚やほこりが生まれますし、改めてインテグレーションの重要さを認識し、みずからサポートする立場として社会に貢献する立場になります。昔の移住者と、最近移り住んできた移住者という、二者を、違う形で、同時に支援するシステムになっているといえます。

移民と一言で言っても、社会に貢献できることや分野は、移民の在住年数や語学力、経験や職業経歴によって、実際には非常に大きく異なります。移民たちのそれぞれの段階や守備範囲に合わせて、できることをしてもらう。それがトータルで多くなればなるほど、インテグレーションが円滑に進んでいることを意味するのではないかと思います。

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現在までの実績

活動開始から10年あまりたち、「一歩ずつ」を支援する自治体が増加は増えてきており、現在、スイス全体で400人のこどもが参加しています。80人のこどもが参加しているベルン市では、家庭訪問員が話せる言語を10言語に増やし、多国籍のこどもたちに対応しているといいます。

訪問を受けた70家庭のこどもの90%が、訪問を受けることで能力を発達させることができ、最終的に良好な総合的な発達をしているという調査結果もでており(Schmid, 2010)、2010年には、「一歩ずつ」の活動を行う協会「ア・プリモa:primo」が、ドイツの同じような活動を行う協会とともに、クラウス・J・ヤコブス賞(Best Practice Award)を受賞しました。この賞は、毎年世界で、こどもや青少年の発達の大きな課題に対してイノベーティブな解決をもたらしたプロジェクトに与えられている賞です。(ヤコブス財団とその賞については「共感にゆれる社会 〜感情に訴える宣伝とその功罪」)

おわりに

「労働力を呼び寄せると、来たのは人間だった」(Frisch, 1967)

これは、20世紀のスイスを代表する作家マックス・フリッシュの有名な一文です。労働力として外国から移民を受け入れる際に、労働力ということにばかり目がいき、その人たちのインテグレーション問題があとまわしになったことで、のちのちインテグレーションが進んでいない人々やその人たちが集中する地域で、根深い問題が生じることがありました。上の一文は、そのような当時の状況を凝縮・象徴した優れた一文として、たびたび引用されてきました。

社会の超高齢化と労働力不足という年々深刻化する問題を前に、先進国では、移民の受け入れを、問題解決の数少ない選択肢としてプラグマティックに認識し、期待する姿勢が目立つようになってきています。そのような現代、21世紀の移民受け入れは、具体的に、どうあるべきでしょうか。

20世紀のヨーロッパでの様々な成果や失敗を鑑みると、移民をどれだけどのように受け入れるかという制度や政治レベルの話に議論や関心を終わらせず、移民の社会へのインテグレーション、という課題を自覚し、いかにそのための地道な努力を、移民側と受け入れ側の双方が地道に実際に行っていく。それが、できるかできないかが、(移民を受け入れる社会の)将来の明暗を大きく分けるのではないかと思われます。

参考文献・サイト

a:primo(スイスでプロジェクト「一歩ずつ」の活動を行っている協会)のホームページ

Comtesse, Mirjam, Früh übt sich. In: Tagesanzeiger, Erstellt: 31.01.2018, 23:36 Uhr

Dähler, Erika, Früher Kindheit ist entscheidend. In: NZZ-Verlagsbeilage zum Swiss Economics Forum, 6. Juni 2018

Frühförderung zur besseren Integration. In: Migros Magazin,28. November 2016

Frisch, Max, Vorwort zu dem Buch «Siamo italiani - Die Italiener. Gespräche mit italienischen Arbeitern in der Schweiz» von Alexander J. Seiler, Zürich: EVZ 1965. Als “Überfremdung I” in Max Frisch: Öffentlichkeit als Partner, edition suhrkamp 209 (1967), S. 100.

Garne, Jigme, Für Eltern von Kleinkindern, interkulturelles forum. In: Stadtanzeiger, 6.3.2012, S.12.

Garne, Jigme, «schritt:weise» besser spielen und lernen mit dem Kleinkind, interkulturelles forum. In: Stadtanzeiger, 30.11.2010, S.12.

Schmid, Simone, Basteln für die Zukunft. In: NZZ am Sonntag, 28.11.2010, S.63.

Über uns Verein a:primo, a:primo gewinnt Jacobs Best Practice Award 2010 (2018年7月9日閲覧)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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