スイスとグローバリゼーション 〜生協週刊誌という生活密着型メディアの役割
2017-03-10
メディアの多様性という課題
前回、スイスの聴覚メディアにおいて、国営放送が旧来のラジオ放送から最新のポッドキャスト配信にいたるまで、圧倒的なシェアを占めていることを紹介しました(詳しくは「聴覚メディアの最前線 〜ドイツ語圏のラジオ聴取習慣とポッドキャストの可能性」をご覧下さい)。良質で豊富な国営放送のコンテンツが、様々なツールで入手できることはユーザーにとっては確かに便利です。一方、国営放送局が視覚・聴覚メディア市場を独占し、ほかの民間メディア(新聞、雑誌、テレビ放送局など)を圧迫していると問題視する声が近年、強くなってきました。メディアのデジタル化が進んだことで、これまでの文字メディアと放送メディアの境界がなくなり、メディア市場の顧客争奪戦が、すべてのメディアを巻き込んで激化しており、このままでは、民間メディアが総倒れして、受信料でまかなわれる国営放送だけが生き残るのでは、という危惧がでてきたためです 。
しかし、それを公的な力で制限・制御しようとすると、特定の政治的な影響が国営放送に及ぶ危険にもなります。このため、民主主義的な社会の土台として重要なメディアの多様性が今後も維持されていくために、国営放送はどうあるべきで、具体的に国営放送局でなにをどこまですべきかについて、目下、スイスでは国会議員やメディア専門家を中心に頻繁に議論されています。
生協が発行する週刊誌
一方、スイスには、このような正統ジャーナリズムの伝統をもつ国営や民間のメディアとは全く異なる系統の有力なメディアが存在します。それは ミグロMigrosとコープ Coopというスイスの二大生活協同組合が毎週発行している週刊誌です。生協が発行元とはいえ、商品紹介や特売情報にとどまらず、毎回100頁以上のボリュームをもつ紙面には多種多様な記事が掲載されており、どちらの週刊誌も、読者数は250万人から300万人にのぼると推定されます。これは、スイス人の約3人に一人がそれぞれの雑誌に目を通している計算になり、読者数では押しも押されもせぬスイス最大の週刊誌と言え、メディア界の「静かなる巨人」(NZZ, 2005)と称されたりもします。
このような生協週刊誌で、先月、グローバリゼーションについての特集がありました。グローバリゼーションは、多様な次元と規模で同時に起こる経済・社会・文化的現象であり、その直接・間接的な影響も広範囲にわたっているため、見渡すことが難しく、 かえって偏った主張や単純な理解に絡め取られやすい傾向があるようです。近年、世界各地でグローバリゼーションを敵視する主張を掲げる政党は勢いづき、一般市民の間には漠然とした不安や不信感が広がっているようにみえます。
今回の特集では、勝者、敗者、不安、チャンスという四つの言葉をキーワードにしながら、グローバリゼーションの前で立場の違う人たちがクローズアップされ、同時に、 グローバリゼーションの現状、影響、またそこで生じる問題への具体的な対処方法について、経済学、心理学、経済史等などの6人のドイツとスイスの専門家が(専門家についての詳細の情報については本記事最後の参考文献をご参照ください)解説していました。
記事のなかでもとりわけ、6人の専門家による解説内容は、スイス人のグローバル化する時代や社会状況の受け止め方を知る手がかりになるだけでなく、生協がスイスでつとめている社会でのユニークな役割を知るための好例にもなると思われるので、今回は、この内容について注目してみたいと思います。メディアの在り方が激変する今日において、メディアの伝達の仕方や内容、またその役割について、考えるヒントになればと思います。
スイスの生協
そもそも、週刊誌を発行しているスイスの生協とは一体どんなものなのでしょう。以前「協同組合というビジネスモデル」でも若干触れましたが、スイスでは、ミグロとコープという二つの生協が小売業界の頂点に立っています。二つ生協の組合員数はミグロが約220万人、コープが250万人おり(ちなみにスイスの人口は840万人です)、二大生協だけで、スイスの全小売業の売り上げ全体の約半分を占めています。国際調査機関 Deloitteの最新調査 Global Powers of Retailing 2017では、 両社とも収益規模が(USドルで換算して)、世界の小売業社のトップ50社以内にランキングされています(ミグロは41位、コープは45位)。どちらも全国を網羅する事業展開をしており、スイスでは都市でも田舎でも、生協なしに生活することはまず考えられないといった状況です。
ただし、人々に生活必需品を安価で安定して提供するために生まれた消費者組合をルーツにもつ生活協同組合は、一企業として単に営利を追求するのではなく、地域の組合員や消費者の利益を守り、生活向上を目指することを目標に掲げています。このため、地域や環境、フェアートレードなど、様々な分野での社会貢献にも力をいれています。
週刊誌の発行も、誰にでもわかりやすく有用な情報を提供するという社会貢献の一環にあり、同時に、地域に密着した生協と人々をつなぐ重要なパイプの一つとなっています。2社が、それぞれ会社の名前を冠して発行している週刊誌『ミグロ・マガジン』と『コープ新聞』は、希望すれば誰にでも無料で毎週配送されます。どちらも広い読者層を対象にして、ライフスタイルからデジタル機器、金融まで多彩なテーマを扱っていますが、特に『ミグロ・マガジン』は、親会社や関連事業に拘束されない自由でジャーナリスティックな視点を大切にし、社会、教育、家族問題などのテーマについて読み応えるのある記事を掲載していると定評があります。今回注目するのも、『ミグロ・マガジン』での特集です。
グローバリゼーションの暴走を防ぐための政治的・社会的な責任
特集の要点をまとめてみますと、まず、ハイテク産業の拠点として世界でも先駆的な地位を占め、また高い生活水準をもつスイスは、グローバリゼーションから計り知れないほど大きな恩恵を受けていると明記しています。そして、今後も安定した産業構造や高水準の生活を維持するには、グローバリゼーションが不可欠の前提ととらえます。
ただし、負の影響があることも過小評価しません。国内では、グローバル化によってほかの産業に比べて圧迫を受けている産業や、大きな打撃を受けている社会グループがあり、世界全体では、環境破壊や途上国の人権を損なう開発につながりかねない状況を重く受け止め、これまでのグローバリゼーションのあり方に一定の見直しが必須だとします。例えば、どこまでどのように、あるいはどれくらいのスピードでグローバリゼーションを進むべきかを問い、適宜、修正や変更をすべきとします(ただし、その具体的な改善の内容や優先順位については専門家によって異なります)。
つまり、グローバリゼーションを受け入れるにあたって発生する自分たちの政治的、社会的な責任を自覚し、生じる負の影響を最小限に食い止め、人々のこのような焦眉の不安を削減するための対策をほどこすことが重要とします 。
富の再分配とセーフティーネット
具体的な対策としては、対外的なもの(物と人の移動に対するなんらかの制限や、国際的な企業への各国共通の税制システムや監視制度など)と、国内での対策という二つのレベルがありますが、今回の特集では、国内対策のほうにより多く言及されていました。それを一言で言えば、富の再配分システムとセーフティーネットの強化です。北米では、このどちらもがうまく機能せずに、社会格差が深刻化したことで、グローバリゼーション全般への不信感や批判とつながり、最終的にトランプ氏を当選へと導いたとも分析されてします。そして、スイスの現状は北米ほど危機的ではないが、グローバリゼーションの弊害がこれ以上深刻にならないよう、今後真剣に対策を講じることが不可欠とします。
グローバリゼーションで成功した人たちの富の一部を税金という形で徴収し社会に還元させること(富の再配分システム)も、セーフティーネットの強化も、目的は同じで、社会格差を減らし、公平にチャンスを増やすことにあります。グローバリゼーションはハイリスク・ハイリターンの経済システムであり、雇用の変動や不安定化というリスクが多くなる分、雇用先を失った人が新しい雇用を見つけるための再教育や社会保障といったセーフティーネットの強化が不可欠だとします。
時代の変化に対応して必要な能力を習得するのに必要なものといえば、教育につきます。若者だけでなく、特にグローバリゼーションの煽りを受けやすい50代以上の雇用者に対する継続教育や再教育などの支援の重要性も繰り返し強調されます。さらに議論を一歩進め、デジタル化したグローバル時代の新しいセーフティーネットの可能性として、ベーシックインカムについても言及されていました。(スイスでは、昨年、ベーシックインカムの導入が国民投票で問われました。ドイツ語圏のベーシックインカムについての動きについては、「ベーシックインカム 〜ヨーロッパ最大のドラッグストア創業者が構想する未来」をご参照ください。)
今回の特集は、特に新しい知見が得られるといった内容ではありませんが、グローバリゼーションという複雑なテーマについて、茫漠とした不安は取り払い、むしろ現実的に目指すべき方向性を明示することで、読者が建設的な見解をもつのに役立つように感じました。言い方を変えれば、一般の人に対して重要と思われる問題をわかりやすく伝えるという生協のメディアとしての役割を果たした内容であるといえるでしょう。
おわりに
人々が自由に意見を述べ、議論できる(物理的、あるいはメディアのなかでの)公共的空間が確保されることは、民主主義の前提です。どんな形態の公共的空間が好まれるかは、地域や規模、参加者 によって多様でしょうし、時代にそって変化もしていくでしょうが、公共的空間の必要性は、今後のデジタル化が進んでいっても、変わらないでしょう。スイスにおいて、政治・経済的にほかの組織から独立した団体である生協の週刊誌という形で、公共的空間が存在しているのは、おもしろいなと思います。
それは、ほかの公共的空間にはない独特の特徴をもっています。雑誌の中は、毎週の様々なジャンルの特売品などのお得情報が各所に散らばって掲載されているため、読者は、特売情報に目を通そうとする前後で、それらとは全く関係ない記事も目にすることになります。つまり、どんな記事のテーマであっても、あるいはテーマにたとえ関心がなくても、生鮮品や日常消耗品などの広告をチェックしながら、記事の内容に注意を喚起されるという構図になります。そのような言って見れば、半ば強引な形で様々な人を引き込んで存在している生協週刊誌の公共的空間は、読者をゆるくつなぎとめているだけである反面、日々の生活に密着し、毎週繰り返される習慣として定着しているというのが、大きな特徴でしょう。
今後も、生協がスイスの小売市場で圧倒的なシェアを占める限り、ほかのメディアや様々な利益団体とは一味違う、このような日常生活のまわりに毎週出没する公共的空間が存続するでしょう。今後も、毎週、国内や世界の様々な旬なテーマについて色々な角度から扱われていくことを期待したいと思います。
///
<参考文献・サイト>
——-メディアの多様性と国営放送の在り方について
Wir müssen die SRG vor politischer Einflussnahme schützen, Der externe Standpunkt, NZZ am Sonntag, 5.3.2017, S.19.
Karl Lüönd, Den Schweizer Qualitätsmedien droht die Todessppirale, Der externe Standpunkt, NZZ am Sonntag, 5.2.2017.
SRF soll Weniger Unterhaltung und Sport zeigen, NZZ am Sonntag, 12.2.2017.
Service Public Vier Fragen - Vier Antworten, Service Public, 10.1.2017.
——二大生協ミグロとコープについて
Migros und Coop gehören zur Weltelite, Handelszeitung, 19.01.2016
Sergio Aiolfi, Die Zwillinge gehen getrennte Wege, NZZ, 13.11.2016.
Deloitte, Global Powers of Retailing 2017
穗鷹知美「スイスの生協の消費者をまきこんだ環境キャンペーン」、環境メールニュース、2010年5月13日。
——『ミグロ・マガジン』と『コープ新聞』について
Migros-Magazin, Wikipedia(2017年2月28日閲覧)
Coopzeitung, Wikipedia(2017年2月28日閲覧)
Rolf Hürzeler, Journalistisch verpackte Produktewerbung, Ktipp, saldo 13/2009, vom 25. August 2009.
Stille Riesen. Mitgliederzeitungen als wichtige Akteure im Medienmarkt, NZZ, 14.10.2005.
Immer noch Gottlieb Duttweilers Konzept, «Migros-Magazin» dient nicht nur der Kundenbindung, NZZ, 28.10.2005. 02:04 Uhr
——特集「グローバリゼーションGlobalisierung: Das Dossier」MM-Ausgabe 8, 20. 2. 2017 について
6人の専門家:
Rolf Weder(経済学者)、Christian Fichter(社会および経済心理学者)、Evi Harmann( 経済エンジニア)、Jakob Tanner (経済史研究者)、Franz Josef Radermacher (経済学者)、Thomas Straubhaar (経済学者)
——その他
ユルゲン・ハーバーマス著細谷貞雄訳『公共性の構造転換』未來社, 1973年。
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。