新たな「日常」を模索するヨーロッパのコロナ対策(2) 〜追跡アプリ、医療情報のデジタル化、地方行政の采配、緩和政策の争点
2020-05-15
コロナ対策としてユニークで有力な手法(前回の続き)
前回(「新たな「日常」を模索するヨーロッパのコロナ対策(1) 〜各地で評判の手法の紹介」)に引き続き、ヨーロッパでみられるコロナ対策の手法で注目に値すると思われるものを、さらに三つご紹介します。
●接触者追跡アプリの導入
韓国や台湾は、コロナウィルスの拡大感染をおさえている模範的な事例として、ヨーロッパで取り上げられることが多いですが、この二国が行ってきたような、感染拡大を抑え込むための膨大な個人のデジタルデータの徹底的な利用は、ヨーロッパでまだ考えられません。
もともと、社会のデジタル化が全般に、韓国や台湾に比べてかなり遅れていることもありますが、とりわけ大きいのは、プライバシーの侵害を強く危惧し、データの収集・処理に強い抵抗感があるからでしょう。
とはいえ、台湾や韓国の例をみて、データが感染拡大を防ぐのに有効だということも、おおむねの人は認めています。このため、いかにデータを、プライバシーの侵害にあたらないように利用するか。またそれをいかに、実際に保証できるか、という二つの点をクリアできれば、今後ヨーロッパでも、データを利用した感染拡大予防システムが全面的に導入される可能性があります。
このような状況下、スイスでは現在、ひとつの接触者追跡アプリのシステムが話題になっています。ローザンヌ工科大学が中心となって六週間という短期間で開発され、すでに任意の人を使ったテストがはじまっているこのシステムは、以下のようなものです(Tracing-App, 2020, Luchetta, 2020)。
まず、任意で、スマホのアプリで登録してもらいます。登録した人たちのスマホは、どこでだれと濃厚接触したかという情報をたがいに(それぞれのスマホ内に)14日間保存します(それ以後は自動的に情報が消去されます)。
登録者の誰かがコロナウィルスに感染した場合、任意で自分が感染したことをアプリに通達します。その通達をもとに、その人と過去にさかのぼって濃厚接触があった人は、感染した可能性があることが通知され、担当役人に連絡するようすすめられます(ただし、感染者情報は匿名で特定されないような形でなされます)。
このシステムの大きな特徴は、まず、情報を集めるセンターがあるのでなく、それぞれのローカルなスマホに情報を集積することです。これによって、この業務を管轄する特定の機関(国や民間の特定の会社など)などがなく、その機関が情報を乱用したり、あるいはそこの情報が外部からハッキングされて流されるといった問題がおきません。
また、いたずらで、自分が病気になったというような人がでてくるのを防ぐため、感染した人は、自分の感染認証番号をうちこまなくてはいけないしくみになっています(感染が確認された人はすべて、認証番号が与えられているため、それに照合することで、偽情報にシステムが翻弄されることを防ぎます)。
また、このアプロのアーキテクチャーは一般公開され、システムが不正のない透明性の高いものであることを誰でも検証できるようになっています。現在、このようなシステムを使うことに関する法整備が必要なため、(テスト期間でなく)実際に利用されるのは、6月上旬になると見込まれています。
ただし、オーストリアでは、すでに同様のシステムがすでに赤十字によって導入されていますが、人々の不信感が強く、また登録しているのは、全体の1割以下で、感染予防システムとして全く機能していません。
開発にたずさわったローザンヌ大学関係者は、これがうまく機能することに楽観的ですが、住民の三分の2にあたる人が登録しないと、このシステムの有効性がないということなので、自主的にこのアプリを利用してもらうよう働きかけることが不可欠です。オーストリアの二の舞とならず、スイス(やほかのヨーロッパの国々)で同様のシステムが機能するようになるには、このようなシステムのしくみや導入の安全性について、丁寧に繰り返し国民に説明することや、国民からの信頼性が高い機関がイニシアティブをとることなど、相当な工夫が必要と思われます。
●医療情報のデジタル・オンライン化
非常事態下のヨーロッパでは、緊急なもの以外は、治療や手術をできるだけ延期することが医療界に要請されており、病院やクリニックの多くは診療時間も短縮していました。それでも、筆者はロックダウン下、医療機関を訪れることがあったのですが、その時、恩恵を実感したのが、デジタル・オンライン化されたスイスの医療情報事情です。
特にコロナ危機に合わせたものでなく、すでにできあがっていたデジタル・オンライン化の技術が、医療機関での感染拡大を最小限に止めるために、非常に役立っていると感じました。これについては、記事「個人医療情報のデジタル改革 〜スイスではじまる「電子患者書類」システム」、「電話とメールで診断し処方箋は直接薬局へ 〜スイスの遠隔医療の最新事情」)に詳細を説明してありますが、コロナ対策としてすぐれた点をまとめると以下のようなことになります。
―スイス在住者がすべてもっている保険証(ICチップのなかに診療に必要な情報がすでに入っている)を、受付に提示することで、必要な受付や診療費の処理が終わるため、病院にいっても、待合室などで、ほかの患者と接触する機会や時間がきわめて少なくてすむ。
―遠隔医療では、必要な処方箋が患者の指定する薬局にとどけられるため、医療機関にいかないですむだけでなく、処方箋を取りにいった先の薬局で待たされる時間も少ない。
●地方に委ねられたこれからのコロナ対策
ドイツでは、5月6日にロックダウンの一斉解除の政策と同じタイミングで、今後の具体的なコロナ対策が、これまでの国ではなく、それぞれの州に委ねられることが決められました。これを認めるにあたって国は、州に条件をひとつだしました。人口10万人あたりの感染者数が7日間の累積で50人を超えた地域では、地域の当局が、即座に厳しい制限を導入するというものです。逆にいえば、このたった一つの条件さえみたせば、あとのことはすべて州が独自に決めていいことになりました。
規制を緩和するのに合わせて、コロナに関わる問題を、地方に全面ゆだねたのは、とてもタイムリーで、賢明であるように思われます。
もともと、ドイツは(スイスと同様に)中央集権的な国ではなく、それぞれの州(全部で16州)の権限が強い国です。またドイツは、ヨーロッパでも人口が多く(8300万人)、州によって抱える状況も大きく異なるドイツという風土にあるため、非常事態には、足並みをあわせていても、今後は、それぞれの州でやっていくというのが、ドイツの政治的伝統や国の規模を考えると妥当に思われます。
また、この権限委譲によって、今後は、地方政治のレベルで長く関わっていかなければならない問題と改めて位置付けたことも、適切に思われます。コロナ問題は、治療薬や予防接種など医学的な決定的な進展がみられない限り、残念ながら収束が難しく、数週間、数ヶ月の短期戦で解決・対処できる問題ではありません。このため、地域の生活・就労・就学などのレベルで拡大を防ぐ地道な実践とその積み重ねが、主要な対策であり、そのような人々の生活に密着する分野の政策・政治に関わるのが、まさに地方行政です。そのような地方行政の責任や自覚を明確にし、非常事態の対策でなく、中期的・長期的な地域政策の一部としてコロナ対策をとらえなおし、地方が主体的に取り組む体制に切り替えたことは、時宜にかなっているように思われます。
一連の議論で浮かんできた争点
さて、これまでヨーロッパの非常事態から緩和政策までを自ら体験しながら観察してきましたが、どの国においても共通するいくつかの議論上の対立項がいくつかできているようにみえます。それは以下のようなものです。
1)医療破綻を防ぐことと経済活動の再開
急速な緩和を求める人とそれに慎重な人の間の対立をみると、医療と経済は、本来対立するものではないし、すべきでもないことは、前提として百も承知されているにしても、医療と経済、どちらを優先させるべきか、という問いのスタンスが違う意見があるといえます。
スウェーデンは、人々の生活が大きく変わることがないことを一貫してぶれずに最優先してきましたが、これは解釈によっては、ある程度の医療機関の逼迫や犠牲を強いることもある程度やむなし、と想定しているといえるかもしれません。
2)学校(教育)と経済活動
教育と経済、この二つも、本来、対立するものでないはずですが、非常事態を解除する際、学校と店舗のどちらを先に再開させるかが、ひとつの焦点となりました。実際、国によって、決定内容も異なります。オーストリアがまず店舗の営業を認めたのに対し、デンマークが同じ4月中旬から認めたものは、小学校5年生以下の教育機関(小学校、幼稚園、保育園)でした。つづいて緩和策を打ち出したほかのドイツ語圏(ドイツとスイス)も、学校よりもまず店舗の営業再開を優先しました。
ただし、ドイツ語圏でも、学校といってもまずどの学校の再開を優先すべきかという点では、異なっています。ドイツでは、卒業試験を受けられるようにするため、高校や職業訓練学校の最終学年が再開されますが、スイスやオーストリアでは、義務教育課程の低学年から再開しました。
3)高齢者の安全と若い世代の経済活動
高齢者などの感染の危険の大きい人を守ることと、若い人の行動や経済活動を奨励することが、全面的ではないにせよ一部対立するとし、そうであるなら、どちらが優先するべきなのか、という議論があります。高齢者の健康(安全)と若者の経済活動は、質の全く違うものを対抗軸にすえているため、上のふたつの議論のような、明確な二項対立の構図にはなりえませんし、無理やり二項対立の構図にすると、すでに事情がかなりゆがめられた対立項となるため、それ自体に問題があるように思いますが、たびたび言及されます。
このような対立構図がでてくるのは、コロナ危機以前からの、世代間対立とよばれる問題意識があったからでしょう。年金問題や、環境問題(今の若者たちは、現在の高齢者たちが享受している、あるいはしてきたような年金や環境の恩恵を受けられないとし)といった形で、世代間対立がたびたび、社会で意識化されてきたため、コロナ危機がさらに、この世代間対立の構図を刺激し、先鋭化させているのかもしれません。
危機的状況が長期化していくと、これら上のテーマや対立項が、社会で、むしろ、より鮮明となり、問題領域として意識されていくのかもしれません。もしもそうであるのなら、せめて、単なる対立の構図を深める議論におわらせず、むしろ、倫理や世界観・哲学にまで議論の奥行きを広げて、人生や人の生き方を問う問いを思索し、議論を深めることになれば、コロナ危機の「怪我の功名」となるのかもしれません。
「確信」することで、主体的につくられていく未来
最後に、今後の展望について参考になるものをさがしているなかでみつけた、ドイツ語圏で未来研究者として広く知られるホルクスMatthias Horxの意見を紹介します。これまでも、たびたび危機的な状況について、ホルクスは慧眼を示してきましたが、コロナ危機解決の手がかりとして、これから議論していくべきことはなにか、というインタビューの問いに対し、今回も示唆に富む指摘をしているように感じたためです。
ホルクスがこれからの時代で重視するのは、「確信(確実な期待)Zuversicht」です。「確信は、我々を行動や変化に近づけるひとつの姿勢(態度)であ」り、「確信のある人は、自分でなにかを起こすことできることを可能と考え、それを自覚する」。確信をもつことで、人は、「未来はどうなるのか」と(受け身的に 筆者註)問うのではなく、むしろ、わたしに何ができるか、どう作用できるか、なにが変わり、わたしはそこでなにができるか、と主体的に考え、「未来のためにわたしはなにができるのか」と自問するようになる。つまり「自分たちのうちにある未来への責任を担う」ようになり、そうすることが結局、「自分たちが」(自分たちの手で 筆者註)「未来をつくっていくことになる」(Interview, 2020)。
みなさんは、コロナ危機の最中にあって、どんな思いを抱かれているでしょうか。非常事態が徐々に解除されていくなかで、今後、自分はどう動く、どうありたい、と思索をめぐらされているでしょうか。
※ホルクスのこれまでの、現状や未来を指し示すような示唆に富む発言については、以下の拙稿でも触れています。
「リアル=デジタル」な未来 〜ドイツの先鋭未来研究者が語るデジタル化の限界と可能性
ジャーナリズムの未来 〜センセーショナリズムと建設的なジャーナリズムの狭間で
参考文献
«Die Idee»: Die Stadt wird zu einem einzigen Open-Air-Café, 10 vor 10, 1.5.2020.
Hermann, Rudolf, Schwedens Corona-Todesfälle schaffen politische Unruhe. In: NZZ, 6.5.2020.
Kada, Kevin, Neue Begegnungszonen ab Donnerstag in Wien, Kurier, 22.04.2020
Luchetta, Simone, «Die Nutzung einer Tracing-App muss freiwillig sein» Kontakt mit Infizierten. Judith Bellaiche, Geschäftsführerin des IT-Verbandes Swico und GLP-Nationalrätin, befürwortet Contact Tracing. In: Tages-Anzeiger, 5.5.2020, S.11.
Teils lange Schlangen, aber kein Ansturm. Geschäftsöffnung, ORF, 2. Mai 2020, 16.20 Uhr
Tracing-App im Test, 10 vor 10, FOKUS: SRF, 24.04.2020, 21:50 Uhr
Mehr Rum zum Rausgehen, Infos zum Coronavirus, Ein Service der Stadt Wien, 9.4.2020.
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
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