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小学生に適切な情報授業の内容とは? 〜20年以上続いてきた情報授業の失敗を繰り返さないために

2017-11-01 [EntryURL]

昨年日本では、小学校のプログラミング教育を2020年から必修化とすることが決まりましたが、日本に限らず先進国ではどこも例外なく、プログラミングや情報の授業に高い将来性をみ、授業の充実化に力をいれています。スイスでも、2014年に、ドイツ語圏を中心にした21州で、やっと一律に情報の授業を小学校から導入することが決まり、いくつかの州では教師の養成講座(研修)や学校での授業がスタートしたところです。
しかし、当然のことながら単に「情報」と銘打った授業を形だけ導入しても、子どもたちが本当に目指す能力を習得できる保証はありません。実際、過去世界各地で行われた「情報」 授業のなかで、うまくいかなかったケースが多々ありました。どうすれば子供たちにとって、理想的な情報授業が受けられるような状況をつくりだせるでしょうか。そもそもどんな授業がのぞましいのでしょう。また、必修になるということは、相当な数の指導教員が大至急必要になるわけですが、情報授業を行うことができる教師を水準を下げずに大量に短期で養成することは果たして可能なのでしょうか。
これらの問題に長年関わってきた二人の専門家、チューリッヒ工科大学のホロムコヴィッチJuraj Hromkovič教授と北西スイス応用科学のレペンニング教授を招いた講演及び討論会「教育におけるデジタル・トランスフォーメーション」が、9月末にスイスのヴィンタートゥア市立図書館で開催されました。二人の長年の経験と実績にもとづいたビジョンや具体的な問題の指摘は、非常に示唆に富むものであるだけでなく、 情報授業に目下熱心に取り組んでいるすべての国の教育現場でも共通する問題点や課題が多々あると思われるので、この講演及び討論会について、今回と次回の2回をつかって、ご紹介したいと思います。(ただし記事は、わかりやすく主旨をお伝えするため、ほかの資料や文献を引用または参考にしながら、講演と討論会の内容を独自に再構成する形をとっています)
今回は、「情報」の授業をどのような授業にすべきかについて、次回は、教員の養成 と教授の仕方に焦点をあてて、まとめていきます。
情報授業で重要なのは、そのしくみ、基本を理解すること
両教授が掲げる情報授業のコンセプトを一言で言うとすれば、情報という原理(学問)の基本を理解し、それに基づく考え方を使えるように練習することになると思います。レペンニング教授は「Computational Thinking」という英語の定義を用い、「情報やほかのプログラム言語の基礎となる普遍的なコンセプトを理解することを可能にし、これを利用することができるための核となる能力」(FHNW, 2016)を身につけることだという言い方をしています。
これは、コンピューターを使って考えることであっても、コンピューターの使い方を習うこととは、全く異なります。プログラミングについて原理や基礎を学ぶことは重要ですが、全員が将来プログラマーになるわけでもないため、一般に社会で使われているようなプログラミングの仕方を習うことが情報授業の最終的な目的ではないといいます。特に小学生のレベルの情報教育において、この違い(授業は、コンピューターの原理を理解するためのものであり、通常社会一般に理解されるようなプログラミングやコンピューターの操作の仕方を習うのではないということ)をはっきり区別し、子どもたちにあった情報授業を進めることが重要だと強調しています。
これまでの情報授業の失敗例
二人が上記の違いを強調するのにはわけがあります。それは、これまであまりにも彼らが否定するような内容の情報授業が多く、実際にうまくいかなかった事例があまりに多かった、と彼らは考えているためです。
1990年代以降、北米やイギリス、フランでは情報科目が学校の授業科目として定着してきました。スイスでもいくつかの州の高校(ギムナジウム)などで情報授業がすでに設けられていましたが(地方分権が強いスイスでは、これまで授業科目や授業数について基本的にそれぞれの州に委ねられていたため、一部の州で情報授業も行われていました)、ワードやエクセルといった、一定のソフトの扱い方を習うことに、大方の授業時間が使われていました。
そのような授業になった大きな理由は、経済的なことであったと考えられます 。情報授業を導入するにあたって、学校をまず悩ませるのは(近年こそかなり安価になってきましたが)高額のコンピューターの購入コストです。 このような事情を知っている大手コンピューター会社は、情報の授業をしたいがコンピューターが足りないという学校に、コンピューターを寄贈し、学校側はそれをありがたく受けとり、そのかわり授業は概ねコンピューターのソフトの使い方を教える、という形が定着していました。
しかし、その結果はどうなったでしょう。その会社のソフト商品を使いこなしてもらう未来の消費者を増やすことで、会社にとっては確実に利益に結びついた一方、子どもたちは、いくつかのその会社のソフトこそ使えるようになったものの、それらコンピューターの動く基本構想や原理については依然全く無知のままでした。また、マニュアル化した手法を習うことは、想像性をかきたてるとは正反対であり、当然、幼少の子どもにとっておもしろいものではありませんから、情報はつまらない、嫌いだ、という印象をもつ子どもが増大します。
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一方、一般的なプログラミング言語を使って具体的なプログラミングを教えるというのは、 基本的な方向としては正しいとはいえ、子どもの発達や能力レベルに合わせて段階的に教えていかないと、 やはり子どもたちには無味乾燥な授業にみえてしまったり、情報は難しい、苦手、というマイナスイメージが強く刻印されてしまう可能性が多々あります。
最初に学ぶ情報の授業がこのように、こどもの知性を鍛えたり、刺激することもなく、ただつまらない、あるいは苦手だ、という印象しか持たせないようでは、百害あって一利なしです。そこで学んだ操作の仕方のような表面的な知識は、ワープロや洗濯機の使い方を習うようなもので、数年後には役に立たなくなります。しかしそれだけならまだ無駄だという話ですみますが、授業で情報そのものへの興味や関心を失うことは、その子たちの将来、長期にわたってマイナスの影響となるでしょう。
そのような例として、ホロムコヴィッチ教授は、スイスのフランス語圏のローザンヌの場合をあげます。ここでは、必修科目として情報授業を学んだあとに、選択科目としても選べるようにしたのですが、選択科目として選択した人は、必修で情報授業を受けた生徒全体のたった4%にすぎず、これは、情報授業の内容が完全な失敗であったと言わざるを得ないといいます。
アメリカで、プログラミングをコーディングcodingという言葉で言い換えて使われるのようになったのも、プログラミングのイメージが悪くなってしまったため、新しい言葉で代替することが必要になったためだとします。
20年以上もの間、このようなまちがった方向をたどっていた情報の授業を、一刻もはやく軌道修正しなくては、将来を担う今の若者たちにとって取り返しがつかないことになると、二人の教授は警鐘を鳴らします。ホロムコヴィッチ教授にいたっては、これまでの情報授業の進め方がいかにまちがっていたかということを広く知ってもらうため、これまでに400以上の記事を執筆したと言います。
また、情報の授業がはじまっても、デジタル媒体への依存の高まりやマルチタスクの影響など、コンピューターを介する作業によって生じうる危険から子どもたちを守る細心の注意も必要です。韓国は児童に一台のコンピューターを与え、情報授業に早くから力をいれてきた国の一つですが、15%の子どもが 医学的な見地からみて「集中力欠落」と診断される症状に陥るという「悲劇」的な状況に陥った、とホロムコヴィッチ教授は報告しています。(もちろんその理由が、情報の授業だけにわけではないでしょうが)。
ちなみに、ホロムコヴィッチ教授はスロバキア(かつてのチェコスロバキア)の出身で、パソコンが一般化するはるか以前の1970年代から、小学校2年から4時間(授業数)の情報科目が必修だったといいます。以後現在にいたるまで、ロシアや東ヨーロッパの多くの国では、情報がほかの自然科学と対等に位置付けられており、非常に多くの時間をさいて情報が講義されており、西欧のようなジェンダーによる差異(女性だから情報科目は苦手というような西欧に見られる構図)も全くみられないといいます。
こどもに一台パソコンは不要
では二人の教授は、これらの失敗を繰り返さないように、具体的にどんなツールを用い、なにを授業するのがよいと言っているのでしょうか。
ホロムコヴィッチ教授は、スイスでは情報授業導入を前に現在、どこの州もハードの装備にばかりお金とエネルギーをつぎこんでいるようにみえ、結局こどもが、ソフトの使い方を習うだけで、情報や技術についてなにもわからなくなるのではという懸念を示しています。Eラーニングも、よい学習教材があったときだけ意味があるが、それはしかしまれであり、授業としては向かないとします。むしろ、コンピューターを使うことはそれほど情報の授業で重要ではなく、「ノート、鉛筆、各学校に一つコンピューターを使える部屋があれば十分」だとします(Eggli,2017年)。
両教授とも小学校の段階では、コンピューターの基礎原理を学ぶことを重視していることから、小学生用の簡略化した独自のプログラミングはよしとするものの、一般的なプログラミングは、中学から学ぶのでよいとします。一方、簡略化の仕方や習い始める適性年齢については、二人の意見は多少異なっています。
レペンニング教授は、入力の際のまちがいでストレスを感じたりしないようにグラフィックを駆使した独自のプログラム言語を用い、6歳ごろからはじめることを想定していますが、ホロムコヴィッチ教授は、数字や文字からなる簡単な命令の組み合わせを学んであとに、自分でも応用して簡単な設計をするようになることを重視するため、始める時期は10歳から12歳が最適とします。
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レペンニング教授の講演から

ちなみに小学校のカリキュラムの編成上、情報授業を入れるのが難しいのであれば、ほかの授業(例えば算数や母語)のなかに取り入れた形で学ぶのであってもいいのではないかという提案も、討論会のなかででていました。
小学校向けのソフト教材例
両教授が学校の教材としてコンピューターソフトを開発してきたものに沿って、より具体的に、どのようなやり方を推奨しているのかみていきましょう。
ホロムコヴィッチ教授が2006年から小学生向けの教材として開発してきたもので最も有名なものは「プリマロゴ Primalogo」です。これは、亀を動かして、その軌跡で、好きな模様をつくるという極めてシンプルな発想で、子どもたちがしなくてはいけないのは、画面に座する亀に命令を与えることです。命令(一種のプログラミング)の作り方は、例えば右へ100歩かせたい時に「rf100」と入力するなど、子どもたちが10分もあれば覚えられるシンプルなルールと入力方法になっています。簡単な命令の出し方を習得したあとは、それを応用し組み合わせ、より複雑な命令もだしていけるようになるので、次第に、マンダラのような幾何学的な美しい図形を亀に描かせることも可能になっていきます。
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ここで重要なのは、それぞれ好きなように自分で亀の動かしたかを考えたり、作りたい軌跡の模様を考えるだけで、一つの答えがあるわけでもなければ、間違いもないことです。やることは、子どもたちにまかせられており、自分が思うようにいかなければ、子ども自身でほかの可能性を探さなくてはなりません。しかしこれは逆に、自分が思ったように亀が動いた時には大きな達成感、「成功体験」(ハロムコヴィッチ言)を味わえることになります。このポジティブな経験は、さらにほかのことをやってみようという大きなモチベーションになるため、非常に重要だとほ教授はいいます。
この教材ソフトは、これまでに100校以上の小学校、クラスで言えば約200クラスで利用され、4000人以上の生徒と100人以上の教師に試されましたが、評価はいたって好評でした。先生たちが、生徒がこんなに集中する授業はなかったという報告を受けたり、休み時間や下校の時刻になってもやめようとしない児童も続出したといわれます。
レプニング教授が小学校の情報授業教材としているScalable (skalierbar)という教材は、コンピューターゲームを「使用する」のではなく、自ら「つくり」あげ、情報の基礎となるコンセプトへの理解を深めることを目指したものです。25年前に北米で開発され、事例研究を重ねながら改善されてきました。ゲームやシミレーションなど自分が選んだ好きな題材で学ぶことができるだけでなく、子どもが年齢が能力に応じたレベルとテンポで、学べることが特徴です。ソロトゥルン州で昨年までに実施された小学校でのパイロット授業では、73%の生徒がたのしいあるいは、非常にたのしく作業をやったと回答し、79%はなにか新しいこを学んだと思うと回答しました。
両教授とも、情報は理論的な思考を促進させるたけでなく、言語能力の発達にも寄与するといいます。「生徒は、なにかの目的、たとえば画面上で亀が一定の幾何学的な絵を描くこと、をするため、なにをしなくてはいけないか。さらに、それをほかの人、人だけでなく自由な裁量がない機械ですら理解し、実行できるようにするために、どうはっきり表現すればいいのか。これはクリエイティブな思考を強めさせ、コミュニケーション能力を非常に高めさせる」とホロムコヴィッチ教授は言います(Weiss,2016)。
おわりに
授業を成功させるには、優れた授業コンセプトや教材だけではなく、それを使って授業をする教師たちの手腕が問われます。では、情報の授業で、教師たちはどのように授業を行うべきで、そのような教師をいかにサポートしていくのがよいのでしょうか。次回は、これらの問題についてのお二人の意見を引き続き、まとめてみたいと思います。
<参考文献・サイト>
引用した文献とすべての参考文献・サイトは、次回の記事の下部にまとめて掲載します。
ヴィンタートゥアの図書館で2017年9月28日に開催されたLernstudio主催の講演および討論会について
主催者Lernstudio の公式サイト

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


中野法律事務所 弁護士 小田原希美 氏

2017-10-23 [EntryURL]

odahara-s.jpg広島生まれの広島育ち。
広島の大学を卒業後,証券会社に勤務。2級ファイナンシャルプランナー(AFP)を取得。

その後,一念発起して,法科大学院へ進学し,司法試験を受験,現在に至る。
現在は,中小企業法務から家庭の問題(離婚・相続)まで取り扱う。


広島の女性弁護士のブログ:https://ameblo.jp/hiroshima-shimin-law/


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2018年03月25日号 クレジットカードでの仕入れに関する民事・刑事上の問題点
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2018年06月25日号 届いた商品が気に入らないなどの理由で返品する場合
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2020年06月25日号 「特商法」記載のメールアドレスへのメール送信について [1]
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2020年08月25日号 写真や文章を無断引用された場合、先方に伝える前に、やっておくべきこと

進学の機会の平等とは? 〜スイスでの知能検査導入議論と経済格差緩和への取り組み

2017-10-17 [EntryURL]

前回みてきたように(「スイスの受験事情 〜競争しない受験体制とそれを支える社会構造」)スイスの現在の受験をめぐる状況は、日本人の目からみれば過剰には全く思えないのですが、スイス国内では、批判の声もあがっています。特に、チューリッヒ工科大学の学習発達心理学の専門家シュテルンElsbeth Stern教授の主張は、そのなかでも強烈で、受験のあり方というより、ドイツ語圏のエリート教育制度として長い伝統があるギムナジウムという学校制度の根幹を問う問題として、数年前からスイスやドイツで波紋を呼んでいます。今回は、 シュテルン教授の斬新な提案をとりあげながら、スイスや世界全体を覆う受験というシステムを相対化して、考察を続けてみたいと思います。
知能指数が足りない生徒のいばらの道
スイスではギムナジウムとよばれるエリート学校に行く子どもたちの割合は、以前よりは増えてきたとはいえ、現在も全生徒の2割にすぎず、「ギムナジウムに行く生徒」イコール「文句なしの優等生」と、これまで疑われることなく信じられていました。しかし、シュテルン教授が、スイスの各地のギムナジウムで行った知能検査を行うと、衝撃的な結果がでました。検査を受けた3人に一人の生徒が、ギムナジウムの授業についていくために最低必要とされる知能指数(112.6)以下だったのです。この結果から解釈すると、ギムナジウムには、そこに見合う学力をもたない生徒が相当数在籍しているということになります。
この結果を深刻に受け止めたシュテルン氏は数年前から、ギムナジウムに入るために従来の筆記試験のほかに、知能検査も課すべきと主張するようになりました。彼女が知能レベルにこだわる理由は、大きくわけて二つあります。
まず、本来の能力的には在籍に無理がある生徒がギムナジウムにいることで、その当人たちが不利益を受けているためです。本人は、授業に追いつける十分な学力がないため、受験の時だけでなく、ギムナジウム在籍中もずっと、私塾や家庭教師などなんらかの補習授業を受けなければついていけません。そのような補習授業を受けられる経済的環境があるからといって、それで問題が解消されるわけではありません。ギムナジウムを卒業後に進む(ことが一般的な)大学では、さらに高度なレベルの学力が求められるので、卒業後はさらに状況はよくなるどころか悪化します。
もしもギムナジウムに入学しないで、本人の能力に合った職業訓練の道にすすめば、そこで自分の能力と才能に見合うキャリアを着実につんでいくことができますが、ギムナジウムに進み、残存すれば、悪循環から脱する機会が先延ばしになるだけだといいます。
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優秀だが進学に困難な状況にあるこどもたちを救済する道
しかしシュテルン氏は、当人たち自身が抱えるこれらの問題とは別のもうひとつの問題もあり、むしろそちらの方がより深刻だと考えているようです。ギムナジウムに行くのが全生徒の約2割というスイスの割合は妥当であるにせよ(ちなみにドイツでは全体の約半分がギムナジウムに進学します)、2割という社会的「エリート」の枠の一部が不適な子どもによって占められることで、本来ギムナジウムに入ることができる資質をもつ経済・社会的に恵まれない生徒たちのギムナジウム入学をしにくくしているのが問題だとします。シュテルン氏自身はドイツ出身ですが、裕福で教育熱心な家庭とは全く無縁の田舎の農家の家庭に育ち、女の子がギムナジウムに入ることはないという家庭方針の親を説得するのが非常に大変だった経験をもち(Meili, 2016)、資質があってもギムナジウム進学が困難な子ともたちの問題が他人事とは思われず、状況を改善したいという強い社会正義感がとりわけあるのかもしれません。
このため、入学者をより正しく選抜できるように、入学希望者の選考に知能指数も測り、ギムナジウムにふさわしい能力の生徒にその道が開かれるのが望ましいと考えています。ちなみに、知能検査は訓練すればある程度指数をあげることが可能なため(特別にトレーニングをして本来の実力以上に知能指数をあげてギムナジウムに入ってこようとする生徒を阻むため)知能検査だけでなく通常の筆記試験も依然重要だといいます。
現状では、シュテルン教授の主張がたびたびスイスやドイツの主要メディアでとりあげられいるだけで、最終的にどのような形でこの提案が社会に着地するのか、あるいは着地せずに消滅するのか、まだ全くわかりません。ただ、センセーショナルな話であったことは確かなようです。シュテルン氏のこのような主張が紹介されているオンライン日刊紙『ターゲスアンツァイガー』(Reye, 2014)の記事には(2017年9月末現在)、一記事のコメントとしては異例の、387件という多数のコメントが読者からつけられており、主張の是非は別として、反響が大きかったことを物語っています。ちなみに、この記事とあわせて行ったアンケートの質問、「自分の意思に反してギムナジウムに行かされている子どもが多すぎると思うか」に1734人が回答していますが、その圧倒的多数(81.1%)が「そう思う」と答えています。
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受験準備のための補習授業
シュテルン氏の批判の背景には、裕福な家庭の子どもたちが、塾や家庭教師などのプライベートの受験準備授業を受けることができても、経済的に余裕がない家庭の子どもたちにはできないという、受験準備における経済格差の問題があります。これを解決するため、シュテルン氏は知能検査という新たな座標軸を提案しましたが、経済格差に起因する問題を緩和・改善するための別の対策も始まっていますので、これについてもご紹介しておきます。
まず、受験希望者のために学校が無料で生徒に無料で受験準備授業を行うというものです。チューリヒ州では2006年から施行されている教育条例で、すべての公立小中学校で義務化され、例えば、中学校では入学試験の前数ヶ月の間、受験の科目(数学、ドイツ語、フランス語)についてそれぞれ15回にわたって、教師たちが放課後や昼休みなどの時間を使って特別の準備授業を行うことになっています。これは、受験の準備が一通り完了するようなプログラムになっています(授業の対象者は、ギムナジウム受験が可能と見込まれる程度の能力をすでに身につけている生徒ですが、受験を希望する者は原則として誰でも受講できます)。
もちろんこれ以外にプライベートに勉強することもできますが、スイスの塾や家庭教師はかなり高額であることもあり、いまだにそれほど普及しておらず、学校が設定してくれているこの授業を受けるだけで、それ以外は特におおがかりな準備はせず、スポーツやお稽古事なども中断せずに続けながら受験に臨むという生徒が、少なくともわたしの知る限り、圧倒的多数派です。多くの州は過去の入試問題もインターネットで公開しており、それをもとに独学もできます。受験料も日本円で数千円と安く設定されています。また、いざギムナジウムに入学したとしても、教科書や遠足代は自分もちですが、授業料は、自分の住む州内のギムナジウムであれば公立学校と同様に無料です。奨学金を希望する場合は、オンラインで簡単に申請でき、インターアクティブにプロセスが進行できるシステムになっています。
これらの一連の制度は、受験や進学に伴う経済格差を完全に解消するものではないにせよ、補習授業が導入される以前に比べ、ギムナジウムの門戸が格段に社会に広く開かれ、受験準備やギムナジウム入学の機会の平等化に大きく貢献をしているといえるのではないかと思います。
のびしろが期待される場所と時が日本と違う?
さて、これらのスイスの教育や人の能力に対する議論を聞いていて、みなさんはどうお感じになったでしょうか。受験競争がエスカレートしないシステムには全面共感して首をたてにふっていらした方も、知能検査でその人の潜在的な実力をはかり選抜するというようなところまで話がくると、違和感をお感じになったかもしれません。ギムナジウムを卒業した大人たちや現在在籍中の生徒の間ではなおさら、自分には十分な知能指数があったのだろうかと内心ヒヤリとして、冷静に判断できる問題というより個人的な感情が強くでてしまうテーマかもしれません。
スイスのこのような一連の進学についての議論を聞いていて、わたしがそもそも気になるのは、子どもが伸びることに対する評価です。努力をして伸びることへの期待が少なすぎるのでは、といういう気がたびたびします。日本には 「がんばる」という言葉があるほど(ドイツ語にはそれにぴったり合う訳語がありません)、日本ではがんばること、努力することに高い美徳があるように思われますが、そのような日本のガンバリズム文化に育った一個人の感情としては、子ども本人が勉強で努力して伸びるという可能性が、スイスの学校では不当に過少に評価されているような気がして、ちょっと物足りません。ただ、実力重視でやたらにがんばらずにそれぞれの進路をみつけるというモットーと、なんでも努力で到達が可能だと信じてがむしゃらがんばる姿勢は、多くの点で相反してしまい、現実的には学校の現場では両立が難しいようにも思います。このため、競争型のガンバリズムを煽らないために、個人の努力に対しそれほど重きを置かないくらいが、全体としてはちょうどいい落としどころになっているのかなという気もします。
また、スイスで、生徒ののびしろ(実力の伸張)を全面的に過少評価しているというわけでも必ずしもありません。スイスでは職業訓練教育に進んだあとも、大学などの高等教育機関で勉強がしやすいような制度が整っており、実際に職業訓練課程修了者の2割が大学入学資格を取得しています。社会的な地位も収入も高い「マイスター」という、それぞれの専門分野のプロへの道も開かれています。つまり、最終的に自分が進みたい進路・職業に向かっていくつものルートがあり、 ギムナジウムの受験にがんばらなくても、ほかにルート上で自分のキャリアアップの機会も努力する場をいくつもあるということになります。その意味では、スイスのほうが日本より、人ののびしろを、学業や受験の結果だけで測定せず、広義の「能力」と想定し、射程範囲を広くとっているといえるかもしれません。いずれにせよ、受験や進学のために成績を伸ばすことやその努力の価値や意義は、相対的に低いものになっています。
スイスの生徒たちの学校生活
ギムナジウム受験に対する議論を一通りみてきた最後として、このような世界的にもかなり特殊な教育制度下にいるスイスの子どもたちはどんなふうに学校時代を送っているのかを、子どもの視線に立ってみてみたいと思います。参考にするのは、OECD 諸国が、3年ごとに学習到達度調査(通称PISA)を行っているのに付随して行われ、今年公表されたアンケート調査です。(以下は、その調査結果をまとめた記事Schweizer Schüler, 2017からの抜粋です)。
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スイスの15歳の生徒たちの、10段階評価(0から10までで、10が最高)での自分の生活についての満足度は7.72%で、調査したOECDの35カ国のなかで、メキシコ、フィンランド、オランダ、アイスランドの次の5番目に高い満足度を示しています。自分の生活に非常に満足(9−10)していると答えた生徒は、全体の39.6%にのぼっています(OECD の平均は34.1%)。学校の学習結果全般についても、フィンランドやオランダとならび、生徒が高い満足を示しています。
ほかの特徴をいくつか列挙すると、テストの前に非常に緊張すると回答した生徒がOECD諸国の平均では55.5%いるのに対し、スイスでは33.5%とかなり少なめ。自分がクラスで成績ベストのグループに入っていると感じている生徒の割合は、OECDの35カ国では平均6割あるのに対し、スイスでは4割。OECD諸国で平均して44%の生徒が大学を修了したいと回答しているのに対し、スイスでは27%、などがあります。
このアンケート結果と、スイスの学校のあり方を合わせて考えると、スイスの子どもたちは、世界のほかの国々の同世代と比べて、職業訓練課程というオータナティブの選択肢があるため、高いランクの大学を目指すなどの学力の競争に早い時期からあおられることが少なく、このため、テストへのプレッシャーが少ない。結局、クラスで自分がよい成績だと思う人は少ないのに、自分としては、学習結果(学力)を含め全般に自分の人生に満足度が高いということのようです。
おわりに
スイスの受験が、現状のような形で維持されているのには、教育界や産業界、また社会全体の世論との間で合意があり、目指すべき方向性が一致していることが大きいといえるでしょう。もしも社会的な支持や産業界の擁護・受け入れ姿勢が弱くなれば、高校進学と職業教育の2本立てのバランスが崩れ、制度として職業訓練課程が存続するかに関係なく、高学歴化や受験競争のヒートアップ化という世界的な潮流に合流していくのに、それほど時間はかからないのではないかと思います。
日本でも2021年から大学共通テストが大幅に変わり、今後大学や教育現場全体に改革が進んでいくのかと予想されますが、スイス同様に、教育界だけでなく、産業界や社会全体が擁護、支持する形にいかにもっていけるかが、改革を長期的に成功に導く重要な鍵といえるかもしれません。
<参考文献とサイト>
Meili, Matthias, Star der Intelligenzforschung. In: Tagesanzeiger, 14.6.2016.
Reye, Barbara, In Schweizer Gymnasien sind Kinder, die dort nicht hingehören. (Interview mit Elsbeth Stern) In: Tagesanzeiger, 24.10.2014.
Schoenenberger, Michael, «Die Schweiz ist ein Ort der Seligen». (Interview mit Elsbeth Stern) In: NZZ, 29.7.2017.
Schweizer Schüler sind wenig ehrgeizig, aber zufrieden. In: Tagesanzeir, 19.04.2017, 17:43 Uhr.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


スイスの受験事情 〜競争しない受験体制とそれを支える社会構造

2017-10-10 [EntryURL]

日本でスイスのことを話すと、スイスのそれはいい、と異口同音に感心されるテーマが(少なくともわたしのこれまでの経験で)、ひとつあることに気づきました。それは、スイスの受験についてです(ここでいう受験とは試験を受けること全般を指すのではなく、ある学校の入学試験という一般的な語義で用いています)。受験と言えば、高学歴化する社会の熾烈な競争の現場のような印象が強いですが、 スイスでは、そのようなヒートアップする競争原理とは一線を隔てた独特の形態を保っています。そのようなスイスの受験のしくみとそれを支える社会背景、また、現在新たに直面している課題やそれを解決しようと臨む斬新な発想は、これを読んでくださる方にとっても興味をもっていただけるテーマなのではと期待しつつ、今回と次回の2回にわたってご紹介してみたいと思います。(話はわたしの住むチューリッヒ州が中心になります。地方分権が非常に強いスイスでは、場所によって若干システムが異なることをあらかじめご了承ください。)
スイスの受験のしくみ
まず最初にスイスの受験の概略を説明します。 スイスでは大学に入学試験はありません。基本的に大学はどこでも、大学入学資格を取得している生徒は、スイス中のどこの大学のどの学科にでも入学できることになっているためです(医学部だけは入学希望者が非常に多い為、例外として学力を問うものではありませんが一種の試験を行い、選別を行っています)。
スイスで受験と言えば、もっぱら小学校6年から中学校3年生ごろに(州によっては、もっと低い年齢からはじまる場合もあります)、ギムナジウムと呼ばれる全日制の州立学校か、いくつかの専門学校(日本の高専に近い学校)への入学試験を受けることを指します。入学試験は、州内の全学校共通の数学及び言語の試験で、ギムナジウムか専門学校か、学校の種類によって入学合格点が異なって設定されています。学校側は、合格点をとって希望する生徒を、原則としてすべて受け入れなければならないことになっており、入学者数の定員があるわけではありません。入学に適切な能力に達しているかを審査する、資格試験に近いものです。
今回は特に、合格点が最も高く、入学試験を受ける人のなかの圧倒的多数が目指すギムナジウムの受験にだけ話を限って進めていくことにします。チューリッヒ州には6年制と、4年制のギムナジウムがあり、年齢的には日本でいう中高一貫校と高校にほぼ相当します。どちらのギムナジウムも最終年で卒業試験に合格すると上述の大学入学資格を取得できます。逆にいえば、ギムナジウムに進学することは、大学進学を前提としていることになります。
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ちなみに4年制のギムナジウムは、受験できる年齢に上限はありますが、その範囲内であれば何度でも受験することができます。このため普通中学2年で4年制ギムナジウムを受験する人もいれば、中学卒業後に受ける人もいます。また中学2年で合格しても、入学を延期して、中学を卒業後にはじめて入学することもできます。
むやみにがんばらないがモットー
スイスの受験で、日本と大きく異なる特徴は、一言で言えば、むやみにがんばらなくてもいい体制ということになるかと思います。むやみにがんばらなくてもいい、とは、もちろん学業を怠けていいとか、放棄してもいい、とかいう意味ではありません。そうではなく、試験はあくまで自分の実力で受けるべきで、塾で詰め込んだりして四苦八苦して一時的に成績をあげることで試験に受かるような形はよくないという考えが強いという意味です。それぞれの能力や個性などの実力相応にあって進路を選ぶのが最良だという理解を理念だけに終わらせず、実際に実践させた形の受験ともいえるかもしれません。
と、これだけいってもあまりピンとこないと思いますので、逆に、むやみにがんばらないといけない状況について考えてみましょう。例えば、生徒にとって進学以外に選択肢がない状況。あるいは、たとえほかの選択肢があるにはあっても、それらがなんらかの理由で選択肢として人気がなく、結局それを選ぶ人がわずかだという場合。どちらの場合も、唯一のゴールとしてほとんどの人が一律に進学を目指すことになり、人気のある進学校のキャパシティーには限界がありますから、上位だけが入学できるとなると、どうしても競争が激しくなります。このため、がんばらなくてはなりません。
そんなこといまさら言われなくても十分わかっている、と思われる方は多いでしょう。それほど、日本では上記のような状況が多くの地域や人々の間で常態化していますし、日本以外でも、東アジアをはじめとし世界の各地で、同じような状況が年々ヒートアップしながら恒常化しつつあります。しかし、スイスは、この二つのどちらの状況(進学以外の選択肢がない、あるいはあっても人気がなくほとんどの人がいかない)もあてはまっていません。具体的にみてみましょう。
職業教育課程とそれを全面的に支援する社会
まず、義務教育修了後に進学以外の選択肢が非常に多くあります。スイスでは3年から4年間、週の3−4間を職場で職業訓練をし、週の1−2日間は学校で理論を学ぶという、実業と学業を同時進行させる職業訓練課程があり、250種類以上の職種から一つを選んで学ぶことができます。(この制度の詳細については、 「スイスの職業訓練制度 〜職業教育への世界的な関心と期待」及び、記事最後の参考サイトをご参照ください)。
選択肢が多い課程がただ存在しているだけでなく、高校に進学せずこちらに進路をとることが、実際に非常にメジャーな進路となっています。中学卒業後職業訓練課程に進む生徒の割合は、実に全体の8割にのぼります。つまりスイスでは、制度上(職業訓練課程という)高校進学以外の道があるだけでなく、現実にそちらに進む人が、大半を占めているということになります。
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ただし、世界的にみられるような高学歴志向や受験熱が、スイスにも少しずつ押し寄せていることも確かです。これに対抗し、親たちが、自分たちの子どもたちをギムナジウム進学という進路だけに囲いこむ風潮を堰きとめるために、教育現場では小学校の時から、スイスの職業訓練課程で就労に必要な実業を学ぶことがいかに有意義であり、ギムナジウム進学という進路に比べ劣るものではないということを、機会があるごとに熱心に親たちに説明していきます。
先日わたしが参加した小学6年生をもつ親を対象にしたスイスの教育制度についての説明会でも、小学校と普通中学校の校長みずからが、スイスの教育制度について説明をし、ギムナジウムへは、小学校の授業が簡単すぎて退屈するほど優秀で、しかも勉強が好きで好きで仕方ないというような場合のみふさわしく、 子どもたちにやみくもにギムナジウムや大学進学を行くよう勧めるべきではないと、再度強調していました。また、子どもが中学2年になるとその親たちは全員、職業情報センターに招待され、そこの職員から、職業訓練制度の詳細や具体的に職業訓練先をみつけるまでのプロセス、また親としてどのような支援をすべきかなど、具体的で丁寧な説明を受けます。チューリッヒ州のように外国出身の親が多く、スイスの職業訓練制度についてよく知らないがゆえにギムナジウム進学にこだわる傾向が強い州では、このような説明会は特に重視されています。ほかにも 学校や自治体、各業界団体によって様々な形の職業訓練のサポートが行われます。
これらのかいもあってか、スイスの職業教育と学業の二本立ての教育体制のバランスは現在まで、なし崩し的に崩壊する兆しはまだみられず、成り立っています。制度が今も成り立っているのには、もちろん教育界だけでなく、職業訓練生を積極的に受け入れ養成し、課程修了後は雇用先となる産業界が全面的にこの制度を支援していることの意味も非常に大きいでしょう。特にここ10年の間に職業訓練生を募集する企業が増えており、ここ数年にいたっては、職種によりむらはありますが、募集した企業が十分に訓練生を獲得できないことが問題になるほど、生徒にとっては前代未聞の売り手市場が続いています。職業訓練制度を評価する見方は、スイスでは国民的な総意に近いようで、大学卒業者などの職業訓練を受けずにキャリアを積んだ層もその例外ではありません。むしろ大学卒の人ほど、スイスの職業訓練制度を評価する割合が高い(実際に自分の子をどちらの進路に向かわせたいかは別として、とりあえず社会全体としては大学進学より職業訓練課程に行く人が多いことに賛成)という、興味深い調査結果もでています。
このような全面的にスイスの職業訓練課程を擁護・支援する社会の姿勢は、結果として、やみくもにギムナジウムへ進学することや、ましてそのための必死に受験勉強することにかなり消極的あるいは否定的な立場をとる風潮につながります。塾や補習を一種の教育ドーピング扱いとする論調を、国営放送や主要な日刊紙でもたびたび耳にするほどです(スイスの補習やそれについてのスイスの世論についての詳細は、「急成長中のスイスの補習授業ビジネス 〜塾業界とネットを介した学習支援」をご参照ください)。
受験をヒートアップさせないギムナジウムの現実
受験で合格したあとの学校の制度も、結果として、無理にがんばらない受験を後押ししているようにみえます。スイスのギムナジウムは、入ってから要求される学力レベルが高いため、入学から6ヶ月の間は仮入学(トライアル)期間となっており、その間にそれぞれの学校側が期待する成績を維持できるかが観察され、十分な成績をとった生徒だけが学校に残ることができます。このためチューリッヒ州の4年制ギムナジウム入学者の約2割は、毎年入学から半年以内に、普通中学や職業訓練などに進路変更をしています。
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仮入学期間を無事に通過しても、卒業するまで高い学力を維持しなくては、留年になるだけでなく、卒業試験が不合格で卒業できない場合もあります。つまり、受験前に勉強して合格したとしても、仮入学期間を通過し、無事に卒業できる保証はないわけです。そうなると、ギムナジウムに合格することにこだわった受験準備の相対的な価値や意義が低下し、本来の実力相応の進路を目指すという主義に立ち返りやすくなるのではないかと思います。
おわりに
ここまでの話を日本で話すと、毎回、好感をもって受け入れられます。しかし、このような日本からみれば、決してヒートアップしてないようにみえる受験システムでも、スイス国内では問題があると批判する声もあがっています。次回は、とりわけ痛烈で近年波紋を呼んでいるスイスの教育制度への批判に注目し、スイスの学校に通うこどもたちの実際の状況にも目くばりをしながら、どんな学校の形や受験の形が未来の社会で適切なのか、ヒントを探ってみたいと思います。
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<参考サイト>
穂鷹知美「中学卒業後は進学それとも職業訓練? 世界の学び/スイスのデュアルシステムとは」Wormo、 2017年9月20日

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


対立から融和へ 〜宗教改革から500年後に実現されたもの

2017-10-04 [EntryURL]

ちょうど今から500年前の1417年、ドイツではルターの宗教改革がはじまりました。これにちなんで今年、プロテスタントとカトリックの違いやそれぞれの信徒についてお互いどう思っているかを探る電話調査が、アメリカの著名な研究所 Power Research Centerによって、北米とヨーロッパ15カ国の住民2万4599人を対象に実施されました。この調査は、一見地味な宗教観に関する社会調査のように思われますが、ドイツ語圏各国の主要なメディアで取り上げられていました。
毎日世界中で様々な事件や出来事があり、 世界中の研究機関やシンクタンクが公表する調査報告もあまたとあるなかで、ワシントンの一研究所の調査結果がメディアで注目されたことは、何を意味するのでしょうか。この調査結果とそれに注目したメディアの対応は、今のヨーロッパにおいて、人々が宗教についてどんな心境をいだいているのかをかいまみることができる、またとない機会を提供しているように思いますので、今回ご紹介してみることにします。この調査は北米とヨーロッパを対象にしたものですが、今回はヨーロッパの結果のみを抜粋してお伝えします(ちなみに北米とヨーロッパの結果はかなり近似していました。詳細は、記事最後の参考サイトにある調査報告書のページをご参照ください)。
差別の対象ではなく仲間入り
ヨーロッパ15カ国でプロテスタント教徒、カトリック教徒、無宗教の人々を対象に調査したところ、すべての国において、プロテスタントとカトリックが、「宗教的に違うというよりむしろ似ている」(Pew Reserach Center, Five Centuries, 2017)と回答した人が、多数派となりました(それ以外の回答に比べ、最も多い人数となったの意味)。特に、違う宗派の知り合いが実際にいる人たちのなかで、似ていると回答した人が多くいました。
現実社会においても、お互いを当然のように受け入れる傾向が非常に強くみられました。調査をしたすべての国で、プロテスタント教徒とカトリック教徒両派どちらにおいても、10人中9人あるいはそれ以上の人たちが、隣近所の住人がちがう宗派でも受け入れると回答しました。同様に、大多数の人が、違う宗派の人を家族としても受け入れられると回答しました。ドイツでもその傾向は非常に強く、プロテスタント教徒もカトリック教徒もほとんどすべての人が(98%)、異なる宗派を家族として受け入れると回答しています。
つまり、現在のヨーロッパや北米において圧倒的多数が、二つの宗派についてほとんど違いを意識しておらず、どちらの宗派も異なる教徒に対して非常に寛容で友好的な感情を抱いていることになります。
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チューリッヒの宗教改革者ツヴィングリの像

宗派と教義のねじれ
人々が、主観的にカトリックとプロテスタントが似ていると感じているというだけでなく、カトリックとプロテスタントを隔てるコアになっているはずの重要な教義の理解についても興味深い結果がでてきました。今日のプロテスタント教徒は、プロテスタントの教義よりもカトリックの教義により共感しているというのです。
ルターが、カトリックと袂を分けて最終的に宗派を打ち立てることになったのは、そもそも教義上、カトリックに大きな欠陥があると考えたためです。このため、現在までプロテスタントとカトリックに教義上の違いがあります。なかでも重要なものが、天国にいくために必要なものはなにかについての解釈です。ルターをはじめとするプロテスタント宗派は、「信仰」があればそれだけで天国にいけるとしました。一方、カトリックは「信仰」だけでなく「善行」もなくてはいけないと主張しました。
この教義上の解釈は、プロテスタントがプロテスタントであるための拠り所とでもいうべき重要な点であるはずなのですが、今回の回答では、プロテスタント教徒で、天国にいくのに必要なのは「信仰」のみと答えたのが29%にとどまり、「信仰」と「善行」の二つともが必要であると回答した人は、47%もいました。スイスだけに限って言えば、さらに交錯した結果になっています。善行と信仰が要ると回答した人の割合が、カトリック信者よりもプロテスタント信者の方に多くなっており(プロテスタント教徒では57%、カトリック教徒では53%)、逆に、善行はいらず信仰のみで天国へいける、という本来プロテスタントの教義である考えをもっている人の割合が、カトリック教徒のほうが多くなっています(プロテスタント教徒では30% 、カトリック教徒では33%)。
研究所の報告記事では、このような本来の教義と宗派がねじれたようなプロテスタント教徒が多い国々として、ドイツ、スイス、イギリスをあげ、これらの国では「プロテスタント信徒は、まったくカトリック信徒のようである -そうはみえないのだがー この伝統的なカトリックの信条を支持しているのであるから」(Pew Reserach Center, Five Centuries, 2017)」と記されています。
現代ヨーロッパで宗教の占める位置
全般に宗教の存在感が薄いのも現代ヨーロッパの大きな特徴です。「人生において宗教がとても重要だ」と回答したのは、ヨーロッパのプロテスタント教徒のなかで12%、カトリック教徒のなかでは13%のみでした。同様に、毎日祈祷している人や毎週教会に行っている人も、どちらの教徒においても、1割前後しかいませんでした。 スイスでは、人生において宗教がとても重要だと回答しているのは、プロテスタント教徒で7%、カトリック教徒では11%にとどまり、毎日祈祷する人や、毎週教会に行くと回答した人はどちらの宗派の教徒でもそれぞれ1割未満です。これにより(少なくともこの調査では)スイスは、ヨーロッパでもとりわけ信仰心が低い国という結果になりました。
スイス国営放送の宗教部門編集者のモーザーAntonia Moser氏は、この調査結果の解説として、宗教が、自己のアイデンティティーとして重要ではなくなったのだとしています(Kulturkompakt, 2017)。 確かに、教会を退会する人が近年急増していることや 、ダライ・ラマのような、ヨーロッパに歴史的に根付いていた宗教とは全く異なる宗教指導者を歓迎する状況とあわせて考えると(これらの事情の詳細については「スイスのなかのチベット 〜スイスとチベットの半世紀の交流が育んできたもの」をご覧ください)、宗教を自己のアイデンティティーや他者の認識の軸に据えるのではなく、むしろ宗派や宗教に細かくこだわらないことの方が、自己のアイデンティティーや他者の認識において重要な潮流になっているのかもしれません。
調査結果についての反応からみえてくるもの
このように、個々人の主観的な印象でも、また重要な教義の解釈においても、プロテスタントとカトリックは非常に似ているという事実が浮かび上がってきましたが、さて、このような結果を、ヨーロッパの人たちはどう受け止めているのでしょう。ドイツの主要日刊新聞『南ドイツ新聞』で「カトリック教徒とプロテスタント教徒は、自分たちが考えている以上に似ている」(Süddeutsche Zeitung,2017)としていたり、宗教系のメディアが「驚くべき調査結果」というタイトルで報告しているところをみると、結果の内容が、これまでの理解と異なる意外なものであったと推測されます。
意外ということは、逆に言うと、これまでは違った理解が強かったということになります。ヨーロッパの歴史上、この両派が対立して、凄惨な殺戮や戦争がヨーロッパ内で繰り返されただけでなく、ほんの半世紀前までは、宗派が違うことによって地域生活や家族生活の上で問題が生じることがあとをたたなかったため、両派は融和できない、という半ばあきらめのような理解がかなり強く残っていたということでしょうか。もちろん場所や人、コミュニティによって他宗派への対応やそのレベルはかなり違いますが、ある年代以上の(ドイツ語圏の)人と話すと、宗派が違う人を地域社会で公然と疎外されたことがあったり、あるいは宗派の違う二人が結婚する時に、どちらかが宗派を変えなくてはいけなかったという話を、たびたび耳にします。生涯を通じて一番辛かったことは、宗派の違いによるもめごとだったと悲しそうに話す80代後半の女性に出会ったこともありました。
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プロテスタントとカトリックの対立の歴史があまりに長くあったため、対立が表面化することはなくなって久しくても、両派は対立しているという認識が人々に強かったのだとすれば、今回、もはや全くそうではなくなったことが示され、さらに大方の教徒が信じていることが、知らぬ間に違う宗派のことであったということまでわかり、我ながら驚いた、という心境なのかもしれません。
とはいえ、報道に一瞬驚いたとしても、そのあとの反応はどうでしょう。宗教が人生において非常に重要だとも思わず、祈祷もほとんどせず教会にも行かない人がこれほど多く、しかも教義をまちがって捉えている人も多いという事実を知って、ヨーロッパの人たちは内心おだやかでなくなったのでしょうか。あるいは、両派の対立がなくなったことに、湧き上がる感情があったのでしょうか。それとも、そんな今回新たになった事実も大した重要なことは思われなかったり、興味がないと思う人が多かったでしょうか。もし最後のケースであれば、それこそ、ヨーロッパ現代において宗教の重要性が著しく小さくなったことの、なによりの証明といえるかもしれません。
おわりに 500年の歴史から学べるもの
なにはともあれ、プロテスタントとカトリックが対立ではなく融和、受容できるようになったという事実は、本当にすばらしいことです。500年の間、多くの人たちにとって、カトリックとプロテスタントが平和に暮らすことがどんなに切望されていたかを思うと、感慨深くなります。同時に、500年紆余曲折の末にいきついた融和までの歴史を、今後、現代や未来の社会や宗教の対立を緩和・解決してくために、大いに役立ててほしいと願います。
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<参考サイト>
——Pew Research Centerの調査報告
After 500 Years, Reformation-Era Divisions Have Lost Much of Their Potency, August 31, 2017.
Five Centuries After Reformation, Catholic-Protestant Divide in Western Europe Has Faded, August 31, 2017.
——この調査報告に関するドイツ語圏での報道
Katholiken und Protestanten sind ähnlicher, als sie denken. 500 Jahre Reformation. In: Süddeutsch Zeitung, 31. August 2017, 20:36 Uhr.
Studie: Protestanten und Katholiken immer ähnlicher. In: Religion, ORF, 2.9.2017.
Fritz Imhof, Überraschende Studie: Protestanten und Katholiken sind sich immer ähnlicher. In: Livenet.ch, Das Webportal von Schweizer Christen, 14.9.2017.
Nach 500 Jahren Reformation: Katholiken und Protestanten werden sich immer ähnlicher. In: Kultur Kompakt, SRF, Freitag, 15. September 2017, 12:10 Uhr.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


スイスの酪農業界のホープ 〜年中放牧モデルと「干し草牛乳」

2017-10-01 [EntryURL]

スイスと聞いてまず思い浮かべるのは、アルプスの山々に広がる青々とした放牧地で草を食む牛たちの光景ではないかと思います。しかしスイスの酪農家の数は減り続けています。過去10年で1万軒以上の酪農家が消え、約5万2000件ある現在の酪農家も、平均で毎日3軒ずつ減っており、10年後には現在よりさらに1万軒の酪農家がなくなると言われています(Bodenlos, 2017)。
酪農業が廃業になる直接的な理由は後継者不足など様々ですが、2015年4月からEUでは、農家が牛乳を好きなだけ生産できる体制に変わったことが、スイスの酪農業の衰退に加速をかけています。EU圏全体で牛乳の値段が暴落し、EUの隣国に囲まれるスイスでも取引価格に大きな影響を受けるようになったためです。2014年2月スイスでは牛乳1リットル当たり酪農家は67ラッペン(100ラッペンで1スイスフランに相当)手にすることができましたが、2016年3月には59ラッペンにまで下がりました。現在は1リットル当たり51ラッペンにまで下がっており、牛乳の売り上げだけでは、経費全体の3分の2しか補えない状況です。追い討ちをかけているのが、数十年続いている牛乳の消費量の低下傾向です。一人あたりの牛乳消費量(加工品ではなく直接牛乳として飲む牛乳)は、過去15年間に年間27kg、3割以上も減りました。毎年2.3%減っていることになります。
このように一見、八方塞がりのようにみえるスイスの酪農業界において、国立農業研究機関アグロスコープAgroscopeが15年来推奨している、従来の常識を打ち破る新たな酪農モデルが、近年改めて注目されています。このモデルは酪農の形として斬新で興味深いだけでなく、伝統的な第一次産業が、地域の環境や景観保全の観点からだけでなく、採算のとれる産業として将来、成り立つことが可能なのか、というどこの国でも問われている問題についても示唆に富む事例だと思われますので、今回はこの新しい酪農モデルとそれをバックアップする最新の動きについてご紹介してみます。
年中放牧モデル
推奨されているモデルは、最新型といってもいたってシンプルな形態で、牛舎で牛を飼育するのではなく、原則として1年中外で放牧するというものです(以下、このモデルを「年中放牧」モデルと表記します)。とはいえ、冬季は牛舎で飼育するのが一般的なため、これまでほとんどみられなかった酪農形態といえます。
このモデルは、持続可能性や牛の福祉(健康)の観点から優れているだけでなく、2008年から2010年の3年間にわたり、年中放牧の酪農と、従来型の「生産性が高い牛」を牛舎を利用し飼養する酪農の在り方をアグロスコープが比較調査した結果、経済的にも安定し、優れた点が多いことがわかりました。この調査の結果について以下、簡単にまとめてみます。
これまでスイスでは、牛乳の生産量を増やすことが収益をあげる一番の近道であると強く信じられ、「生産性が高い牛」、つまり牛乳の生産量が多い牛を飼養するというのが一般的でした。しかし生産性の高い牛は、非常に高価である一方、病気にかかりやすく、寿命も妊娠できる期間が短いため、長期的な牛の一生で換算すると、収益はそれほど高くなりません。また大量の牛乳を生産するため、牛の飼料には、濃厚飼料と呼ばれるたんぱく質の多い高価な飼料を大量に購入しなくてはなりません。さらに生産性の高い牛は、大型なので牛舎も広くしなくてはなりません。
生産性が高い牛を購入し、それに見合うインフラやロジスティックスを整えるだけでも大変ですが、これらの作業の効率化や最適化のためにさらに、全自動搾乳機や大型トラクターなど、高価で高性能の機器が導入するとなると、ランニングコストだけでも膨大な額になります。そんな中、現在は牛乳の価格暴落という追い討ちがかっている状態です。
一方、年中放牧型の酪農は、大雨の日など、牧草地を牛が歩き回ることで牧草地がいたむ可能性がある際は牛舎で飼養しますが、それ以外原則として1年中牛は外にいます。このような酪農モデルでは、費用も手間も最小限になります。まず費用面は、牛たちが自ら牧草地で牧草を食べるため、飼料代がほとんどかからないだけでなく、牛舎用の乾草(干し草)もそれほど多く必要ないため、大型トラクターも不要になるなど、飼料代と設備代全般に出費が少なくてすみます。手間(作業)面では、牛舎の掃除や飼料やりが大幅に減り、必要な干し草量が全体に減るため牧草刈りの仕事も減ります。牧草地の土地がやせないように毎年まく必要のある有機肥料も、牛たちが自分たちでまいてくれることになるため不要です。
この結果、牛乳の生産量が収益増加に直結しているとは言いがたく、二つのシステム下の酪農家の就業を時間給で計算すると、年中放牧型の酪農家の時間給は、従来型の牛舎の酪農(時給6−12スイスフラン)の倍以上(計算の仕方によっては4倍以上の)の28スイスフランの時給になるという結果になりました。
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白い円筒形の包みはサイレージと呼ばれる発酵させた牧草の飼料。(昔はサイロなどでも作られたが、
現在は外で刈った牧草を直接ポリエチレンなどで包むサイレージが一般的)

スイス酪農業に対する温暖化の影響
世界的な温暖化も、年中放牧型の酪農業にとってはプラスになる点が多いようです。これまでの過去150年間で、スイスの平均気温は1。7度上昇し、植物期間(1日の平均気温が5度以上となって、植物が生育する期間)も長くなってきましたが今後は、地中海の気候ゾーンがさらに北に拡大してくると理解され、2050年までにさらに、気温は1〜3度上昇し、夏の降雨量は5−15%減ると予測されています。
温度が上昇することで、植物が成長する期間は長くなり、CO2が増えることも追い風となり、牧草の生産は今後増加していくと予想されます。気候は乾燥していきますが、そのことも牧草の保存もしやすくなるという利点となります。一方、世界的には温暖化により、飼料の生産は全般に減少していき、飼料代は上昇していく見通しです。これらを総合すると、年中放牧型の酪農は、飼料としての牧草が増えて飼料代を大幅に節約できることで収益が増え、国際的な競争力も高くなると予想されます。
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苦戦中の新しいモデル
とはいえ、酪農家にとって牛乳増イコール高収入と長らく信じられてきた定説(やそのために投資してきた施設)を捨てて、方向転換をするのは簡単ではないようです。現在のスイス全体の酪農をみると、一頭当りの牛乳生産量は年々増加の一途をたどっており、全体の酪農業界全体では、いまだに従来型の生産増加やその効率化を目指す酪農業者が多いことがわかります。
現在、スイスで年中放牧をしている酪農家は120軒で、かなりの少数派です。もちろん市街地区に近い酪農業者においては道路やほかの建物にはさまれているため、牛の動ける放牧体制をつくるのは難しく、一概に放牧モデルを全面的とりいれることはできませんが、専門家は、最終的に、スイスの酪農家のうちの全体の4分の1、約6000軒においては、このモデルが導入可能だといいます。
「干し草牛乳」というブランド
昨年から年間放牧モデルを後押しする、新市場開拓の動きもでてきました。放牧牛の牛乳を高い付加価値のある牛乳、一つの新しい牛乳のブランドとして売り出す動きです。
これは、昨年設立された協会「干し草牛乳スイス Heumilch Schweiz」によってはじまりました。この協会に属する酪農家は、牛を原則として1年中放牧し、刈り取った草を与える際ももっぱら干し草を与え、サイレージ (刈り取った牧草を乾かいて干し草にするのではなく、発酵させたもの。最初の写真にある白い円筒型の包みの中身)は使わず、濃厚飼料も最大で飼料全体の1割までに減らすという規則を自らに課しました(諸説あり今のところ定説とはなっていませんが、この協会としては、サイレージや濃厚飼料を減らすことでより高品質な牛乳になるという説を支持しています)。そして、このような飼育方法で生産された牛乳を、「干し草牛乳」という新しい名称で売り出しはじめたのです。協会設立から1年たたない間に販売網を急速に広げ、現在は全国の大手スーパー「コープ」の多くの店頭で販売されています。
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ちなみに「干し草牛乳」という名称の牛乳は、スイスではじまったのではありません。南ドイツとオーストリアではすでに10年以上前から「干し草牛乳」というブランドの市場開拓を行ってきました。このためドイツやオーストリアに比べると、商品としては遅れをとったスイスの「干し草牛乳」ですが、もともとスイスの酪農の状況は「干し草牛乳」の名に見合う恵まれた条件を備えていたといえます。
例えば、スイスの酪農業は、EUの酪農業者に比べ、伝統を重んじ産業化が進んでおらず、自然環境や動物保護の観点からでも高い基準を保っていました。EUのほかの国に比べも高い動物保護Tierwohlの基準を保持しています。夏季(5月から10月末)に月間最低26日牧草地で過ごし、冬季は最低13日屋外に出してもらえる牛は81%(474000頭)を占めています。
また、スイスでは伝統的な飼料である牧草を原材料とする飼料の割合が78%(46%牧草地の草、22%干し草、11%サイレージ)で、濃厚飼料と呼ばれる穀物を主原料とするペレット状のたんぱく質が多い飼料はあまり用いません。ドイツ、オランダではスイスの2から3倍、スペインでは4倍の量の濃厚飼料を使用しています(Perspektive, 2017,108頁)。
スイスの酪農経営は、伝統的な家族経営で小規模なものが大半で(2015年のスイスの酪農業の規模は平均25ヘクタールで、牛の頭数は24頭)、「干し草牛乳」でイメージされる牧歌的なイメージにも合う乳業環境であるといえます。
このようなスイスの伝統的な酪農形態が最大限に活かされたスイス産の「干し草牛乳」というブランドに対して、海外での関心も高いようで、来年以降は南ドイツでもスイスの「干し草牛乳」の販売が予定されています。
ちなみに、「干し草牛乳スイス」協会会長で、チューリッヒ工科大学の酪農業専門家フーバーMartin Huber 氏によると、「干し草牛乳」という高品質を保証するブランド牛乳は、牛乳 1リットルにつき飼料、施設や医者にかかる費用がそれぞれ3〜5ラッペン(100ラッペンで1スイスフラン)減り、 酪農家の収入が5〜10ラッペン増えるといいます(Schär, 2017)。
新しいスイスの牛
フーバー氏は、放牧モデルを普及させるために、放牧に適した牛を育成することも、焦眉の課題だとします。
1960年代からスイスの牛は大きく変容しました。もともと20世紀初めにアメリカ農家が、スイスの約100頭の生産性の高い牛を購入し、 交配を重ねて「ブラウンスイス」と呼ばれる生産量の多い牛の種類が確立されてきました。1967年以降はブランスイスを逆にスイスがアメリカから輸入し、飼育してきました。この結果、現在のスイスの牛は大型化し、確かに生産性はあがりましたが、上述のように寿命も子供が産める期間も短くなり、病気にもなりやすくなりました。
フーバー氏は、年中放牧には、小柄(140cmほど)で、丸みのある牛が適しているとします。そのような牛は、1日の牛乳の生産量は少なくなるが、健康で長生きし、子供も生涯で多く産むことができるため牛一頭の生涯の生産性を考えると高い価値があり、また値段のはる濃厚飼料も少量(飼料の1割)ですむため飼料代も経済的だといいます。小柄であるため、牛舎も現在のものよりも小規模で済むといいます。
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おわりに 〜ドイツ語のことわざ

ドイツ語には「悪い天気というものはない。間違った服装があるだけだ」ということわざがあります。空をながめて天気が悪いと文句を言っていても事態は何も変わりませんが、自分の服装は変えることができます。どんな天気でも、自分の服装がその天気に適しているかという視点でみていくと、自分で変えられることがただちに見えてきて、それを変えればもともと問題だと思っていた天気自体が問題にならなくなるという、発想の転換です。今、スイスの酪農界に求められているものは、現在の「天気」(自然や社会、経済全体を含む環境)に合う「服装」(酪農の仕方やロジスティックス)がなんであるのかを見極め、それに着替えることなのかもしれません。
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<参考サイト>
——スイス連邦参事会(内閣) Schweizerische Eidgenossenschaft, Der Bundesrat のプレスリリースと報告書
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Die Milchproduktion vor den Herausforderungen des Klimawandels, Changins, Medienmitteilungen, 15.06.2017
——他
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穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


フレキシブル化と労働時間規制の間で 〜スイスの労働法改正をめぐる議論からみえるもの

2017-09-24 [EntryURL]

「1週間における最高労働時間数の上限をなくす」、「休息時間(翌日の労働までの休みの時間)の最低時間数を決めない」、「日曜や祝日の労働の制約も一切なくす」、こんなフレーズを聞くと、みなさんはいつの時代、あるいはどんな国の話だとご想像なさるでしょうか。労働者が過酷な条件で働かされていた19世紀の産業革命期の話、あるいは現在でもまだ労働者の権利が十分に保証されていない国の話かと思われるかもしれません。しかし、これらはすべて現在のスイスの連邦議会(国会)で提案され、具体的な法案作成にむけて目下議論されているテーマです。国をあげて労働時間短縮に取り組んでいる日本の状況とは逆行しているように一見見えますが 、スイスでは、一体、なにが起こっているのでしょうか。
今回は現在進行中のこのスイスの労働法の改正(緩和)の議論について取り上げ、スイスだけでなく、今後世界中で議論となりそうな就労形態とその規定の間の複雑な関係について、少し考えてみたいと思います。
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労働法の改正を求める背景
スイスでは2016年から新しい労働法が施行されました。しかし当初から、この労働法が時代に適応しておらず不十分だという意見が、一部の産業界で強くあり、同年3月には、さらなる法律の改正を求める産業界一部の要望を受ける形で、連邦議会の全州議会(上院)に、労働法の改正を求める二つの提案が提出されました。この提案は昨年8月と今年の2月に、上下両院の専門委員会である経済委員会で相次いで賛成多数で可決され、具体的な法案作成の協議が現在行われています。
そこでは、どんなことが改正の対象となる問題とされたのでしょう。連邦議会に提出された法律改正を求める提案理由をみると、現行の労働法は、工場などの労働者を主に念頭にして作成されたものであって、現代の働き方に十分な可能性を提供していないと書かれています。具体的には、現行の労働法で謳われているいくつかの規定、例えば、時間外労働は2時間までしかできないこと、休息時間(一日の労働終了後の翌日の労働までの時間)は最低11時間まとまってとらなくてはいけないこと 、また日曜は原則として労働が禁止されていることが問題となっています。現行の法律では、日中職場で仕事をしたあと5時に保育所にこどもを迎えに行き、夕食後の9時から11時まで自宅のパソコンでも仕事をして、翌日朝8時に会議に出席するというのは、まとまった十分な休息時間をとっていないことになり、法律違反になってしまうのですが、このような労働法は、もはや現実に即していないというわけです。
さてこのような労働法の緩和を求める動きについて、被雇用者たちはどんな反応をしているのでしょうか。継続的にこのテーマについて扱っているスイスの主要日刊紙NZZの経済部門の記者シェヒリHansueli Schöchli氏の一連の記事やほかの報道からまとめてみると、被雇用者側は、主に緩和推進派、妥協派、反対派の3者の立場に分かれているようです。3者の具体的な主張をみてみましょう。
緩和推進派
まず、共同の連盟をつくり、今回の法案改正に向けて積極的に国会議員に働きかけていた改革推進派の被雇用者たちは、労働法全体の緩和、特に、週の労働時間の上限45時間や、休息時間最低11時間を取り外し、また日曜にも仕事をすることが可能になるように求めています。この人たちは、会計監査、管財人、コンサルタント、IT専門家、PR関連の産業界に就業する人、スタートアップの会社の従業員などで、週で時間を規定するのではなく、年間で最大労働時間数を規定することにすることで、繁忙期は50〜60時間働いて、忙しくない時期にその埋め合わせをするという働き方を可能にしたいと考えています。
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妥協派
一方、仕事と家族を両立させやすくなるようなフレキシブル化する改正には基本的に賛成でも、 最大労働時間数の制限がなく、休憩時間や日曜の労働の制約も一切なくなるというのは健康を害する心配があり、「急進的すぎる」と判断する人たちもいます。同じような立場をとるいくつかの被雇用者の団体(スイス商業連盟、サラリーマン・スイス、スイス幹部職員団体など)は、共同して「プラットフォーム 教育、経済、仕事」という連盟組織を立ち上げ、自分たちの意見を国会の労働法改正に反映してもらうことを求めて、今年8月28日に独自の提案をまとめ、発表しました。この提案の主要な点は、以下のようなものです。

●週でなく年間で労働時間を決める。とはいえ、最高でも1日で15時間、1週間では60時間という労働時間の上限をもうける。(つまり、忙しい場合は60時間まで週に働ける)
● まとめてとるべき最低休息時間は現行の11時間から9時間に短縮。
●年間労働時間は最大でも52 X 45時間。(スイスでは最高労働時間は週45時間とされていますが、労働協約上は週40~42時間が慣行)
●年間の最高労働時間数は現行と同じで、増やさない。
●時間外労働Überzeitは、年間で170時間以上になってはいけない(週に決められた最長労働時間を超過すると、 それは残業Überstundenでなくスイスでは「時間外労働」となります)。
●被雇用者は、とくに時間外労働において(たとえば家で働くなど)働く場所をフレキシブルに選ぶ権利をもつ。
●被雇用者の健康を保護するための法律改善や業界全体の業務措置の定義

反対派
改正に強く反対する立場の人たちもいます。2016年の8月、議案の審査が委ねられた連邦議会の専門委員会である経済委員会では、賛成は10名で多数派でしたが、反対票を投じた国会議員も3人いました。反対票を投じた議員や、反対の意を示す労働組合側は、改正案についてとりわけ被雇用者の健康の保護や擁護という観点からみて問題視します。労働法が実際に緩和されれば、バーンアウトやストレスなど健康状態が著しく悪化する被雇用者が増大することになると危惧するためです 。
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反対勢力は、現段階では反対の意思表明だけで、具体的な妥協案や対案を示すなど直接的な行動に至っていないようですが、改正案が連邦議会で通過・承認された場合、法律に反対する国民投票を呼びかけ、国民に問う可能性もあると言及しています。(スイスでは法律が施行してから100日以内に5万人の署名を集めれば、その法律を国民投票にかけることができます。投票者の過半数が法律に反対すれば、それを無効にすることが できるという「レフェレンダム」という独特の政治システムがあります)
改正議論でキーとなること
今後、様々な立場や意見を考慮しながら法案が作成されていくわけですが、法案の落とし所ををさぐるのに、キーとなることが、いくつかあるように思われます。それは、1)改正された労働法が該当するのは誰か、2)労働法が緩和化されたとして、際限なく労働時間が増えないようにどう監視し、被雇用者を保護するのか、3)(被雇用者の健康をいかに守るかが議論の中心のひとつとなっていますが)そもそも被雇用者の健康を守るために労働を時間数や就労時間割り当てで統括する労働規定の在り方は、どのくらい妥当なのか(被雇用者の健康を守るのに有効なのか)、という3点です。この3点について私見もまじえながら、以下まとめてみます。
新しい労働法が該当する人の範囲
緩和推進派も妥協派も、労働者の就労状況を全面的に変更することを求めているわけではありません。例えば、土木建設現場やスーパーのレジ係、またシフトで働いている産業界の労働者は、柔軟な労働法の適用の対象に想定していません。専門性の高い職種の人(自主的に時間配分をしたり自由な裁量で仕事をする割合が多い人たち)や、一年の間で繁忙期とそうでない時期で仕事量が大きく異なったりする職業の人たちにとって、現行の労働法で不便な規制を緩和することが目標です。このため改正されても新しい労働規約に該当するのは、被雇用者全体においては少数になると考えられます。緩和推進派は、その割合を全スイスの被雇用者の1割、妥協派は約15〜20%ぐらいと想定しています。
スイスのフレシブルな就労状況とその問題
スイスではすでに就労者の半分近くが、ある程度フレキシブルな就労形態をとっていると言われます。他方、複数の調査によって フレキシブルな就労形態をとっていると、タイムカードのような監視型の就労形態の人よりも、労働時間が多い傾向が強いことが指摘されています。さらにフレキシブルな労働時間が、正規の労働時間として認められにくく、 妥当な手当がつかないことも珍しくないようです。このような現状を鑑みると、労働法の緩和(フレキシブル化)が進めば、不当な手当てやバーンアウトなど、就労上の新たなトラブルや健康悪化につながるのでは、という危惧の声があがるのも、無理がないのかもしれません。
日本でも最近、教員の過剰な残業を防ぐためタイムカードを導入すべきでは、という議論がでていましたが、これは、逆に言えば、タイムカードのようなひと昔前の厳格な監視制度が、多様な働き方が認められる時代にはかえって被雇用者を保護する役割を担う可能性があるという、パラドックスが生じているといえます。しかし、労働時間の超過から被雇用者を守るのに、タイムカードのような労働時間を厳密に把握する以外に方法はないのでしょうか。フレキシブルな働き方を容認する方向と対立して相殺される危険はないでしょうか。このジレンマをどのように解決できるか、スイスでもまだ妙案はみつかっていないようです。
当面の措置として、被雇用者の妥協派は、被雇用者の健康を保護するための法律改善や、業界全体の業務措置の定義を徹底させることで、同時に、一日、週間、年間の最大労働時間の上限も具体的に定めることを提案し、過剰な労働に歯止めをかけようとしています。
仕事の時間数と疲労の相関関係
妥協派も反対派も、被雇用者の健康を、改正後の労働法でも最重視すべきだというスタンスでは一致しています。緩和推進派もその点で異論はないでしょう。しかし、健康を阻害しない労働の時間数や時間の割り振りはいかにすべきかという点では、三者見方や立場が異なっています 。
ところで、そもそも労働時間数やその配分は、被雇用者の健康とどのように関わっているのでしょうか。このような素朴な疑問に対して参考になる調査結果があります。チューリッヒ大学によってまとめられた、労働と健康についてのこれまでの先行研究を概観し、それらが提示する結論や結果を12ページにまとめた文献調査報告書です。この報告書によると、「自主的に(自由度が高く)フレキシブルに働くと、長く集中して働いても、ある程度までは、極度の疲労にはならない」、また「自主的に働けるかと同様に、ほかの要素、環境や社会的な状況、余暇の過ごし方などの要素も、健康に影響を与えている」という結論は、先行研究においてほぼ一致して出てくる結論だそうです(ただし、筆者はその報告書原文を手に入れることができなかったため、上の二つの引用文は、Schöchli, 23.8.2016, NZZ.からの孫引であることをお断りしておきます)。
現行の労働法では、労働時間が長くなると疲労に直結する、その疲労を回復するためには11時間以上の休息時間をとらねばならない、というロジックになっていますが、この研究結果によれば、身体的な負担や健康状態は、働く時間と直結した相関関係にあるのではなく、より複雑であるということになります。となると、フレキシブルな働き方と従来の働き方が並存する将来の状況において、これまでのように労働時間数やその1日の割り振り方だけで一括して規定すること自体、そもそも限界があるということかもしれません。
おわりに
現行の労働法下では、やりたいように仕事ができないと思っている職業の人たちがいて、その人たちは特に労働の規制緩和やフレキシブル化を望んでいる。一方、労働法が緩和されることで、被雇用者に健康被害がでないようにするにはどうすればいいのか、まだ明快な解答がない。これはスイスの話であると同時に、スイスに限定された特殊な問題ではないでしょう。多くの先進国では、ベビーブーマー世代の労働力が近い将来に大幅に減ると予測されています。このため新しい労働力を様々な形で確保することは、各国にとって死活問題であり、そのために働きやすい就労環境を整えることは焦眉の課題です。そのためのガイドラインともいえる労働規定を、時代の変化や需要に合わせて変更していくという舵取りの手腕が、今、どこの国においても問われているのかもしれません。
////
<参考サイトと文献>
——連邦議会における労働法改正に関する経過報告
Teilflexibilisierung des Arbeitsgesetzes und Erhalt bewährter Arbeitszeitmodelle
Parlamentarische Initiative

Ausnahme von der Arbeitszeiterfassung für leitende Angestellte und Fachspezialisten, 16.423 Parlamentarische Initiative
Beratung zur Revision der Quellenbesteuerung abgeschlossen
Medienmitteilung, Freitag
, 19. August 2016 12h15
Arbeitnehmerschutz - Wirtschaftskommission erwägt Lockerung des Arbeitnehmerschutzes, Dienstag, 24. Januar 2017 17h35
——労働法改正案についてメディアの報道
Hansueli Schöchli, Wenn flexible Arbeitszeiten der Gesundheit nützen, Reform des Arbeitsgesetzes. In: NZZ, 23.8.2016
Hansueli Schöchli, Die Brückenbauer im Streit um die Arbeitszeiten, Arbeitsgesetz. In: NZZ, 18.1.2017
Hansueli Schöchli, Für flexiblere Arbeitszeiten. In: NZZ, 29.4.2017.
«Kassensturz»-Spezial Flexible Arbeitszeiten: Freiheit oder Ausbeutung?, SRF, 2. Mai 2017.
«Eine 70-Stunden-Arbeitswoche ist moderne Sklaventreiberei», Mit Thomas Feierabend sprach Andreas Valda. In: Tagesanzeiger, 24.05.2017.
Hansueli Schöchli, Die 60-Stunden-Woche soll legal werden, Arbeitsgesetz. In: NZZ, 28.8.2017
Länger arbeiten, kürzer ruhen: Mehrere Arbeitnehmervertretungen präsentieren einen Kompromissvorschlag, «Flexibilisierung» des Arbeitsgesetzes. In: NZZ, 28.8.2017.
60 Stunden, dafür weniger im Büro. In: Berner Zeitugn, 29.08.2017
Hansueli Schöchli, Aussichten auf die 60-Stunden-Woche. In: NZZ, Kommentar, 2.9.2017, 07:00 Uhr
Markus Städeli, Weniger Arbeitnehmerschutz ist auch für die Arbeitnehmer gut. In: NZZ am Sonntag, 3.9.2017.
Kathrin Alder, Die Verstösse gegen das Arbeitsrecht nehmen zu. In: NZZ, 9.9.2017.
——その他
Die plattform der Arbeitnehmerverbände Angestellte Schweiz, Kaufmännischer Verband, Schweizer Kader Organisation SKO und der Zürcher Gesellschaft für Personal-Management (ZGP) Mediengespräch, Modernisierung der arbeitsgesetzlichen Grundlagen, 28. August 2017, Bern Medienzentrum.
Katharina Matheis, Konrad Fischer, Jan Guldner, Max Haerder, Kristin Schmidt, Unheimlich unabhängig: Arbeit. In: Wirtschafts Woche, 15.9.2017.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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シェアリング・エコノミーが活かされる社会とは 〜ドイツ語圏での議論を土台に

2017-09-20 [EntryURL]

前回、シェアリング・エコノミーの普及によって表面化してきた問題や、懸案についてご紹介しました(「シェアリング・エコノミーに投げかけられた疑問 〜法制度、就労環境、持続可能性、生活への影響」)が、今後、シェアリング・エコノミーが社会全体に広がっていくのだとすれば、どのような形が望ましいのでしょう。「シェアリング・エコノミー」という題名のドキュメント番組を作成したヒッセンは、シェアリング・エコノミーの目標について、「シェアリング・エコノミー事業が行われている地域がそれぞれ、地域的にシェアリングエコノミーの恩恵を受けられる」ということではないか、とします(Hissen, 2015)。それは、「持続可能という意味でも、社会的という意味でも、また同時に利益や税収という経済的な意味においても」恩恵を受けるということであり、地域全体に還元される経済・社会活動という位置づけになると思われます。
ヒッセンのこの発言は、至極真っ当で、将来への指針を示しているように聞こえますが、具体的に個々人や会社だけでなく地域全体が恩恵を受けられるような、持続可能な社会、しかも経済的に成り立つシェアリング・エコノミーのしくみとは、どのようなものでしょう。シェアリング・エコノミーについての連載最後となる今回は、これまでの議論を踏まえて、ヒントやキーになるように思われる構想や試みを、ドイツ語圏を中心にして、いくつかピックアップしてご紹介していきたいと思います。
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持続可能な社会を目指す一環としてのレンタルショップ
まず、具体的に自ら目指す形を試している事例をご紹介しましょう。前回の記事で、シェアリングがもつ潜在的な拡大消費傾向を批判するニコライ・ヴォルフェルト氏の意見を紹介しましたが、氏はベルリンで「ライラ」というレンタルショップを営んでいます。持続可能な消費を実現するために資源やエネルギーの消費を減らしても、生活水準を下げないようにするにはどうすればいいか。このような思索の末生まれた「ライラ」は、借りるものに対し対価を支払う通常のレンタルショップとはかなりシステムが違います。
今年開店5周年を迎えた店は週に3回夕方、ヴォルフェルト氏を含む10数人のボランティアによって営まれています。約900人いると言われる会員は、毎月1から3ユーロの間で、自分が決めた額を支払います。それとは別に会員はおのおの、ほかの人に貸せるものを店に持ち込みます。ひとつ持ち込めば、店のものを最高で3つまで借りられます。借りられる期間は、その都度店員と話し合って決めますが、ほかの人が借りやすいように、なるべく使い終わったらすぐに返すことを原則としています。会員が支払う会費は、店の賃貸料と運営費にあてられています。店は、貧困層に様々な製品を利用できる機会も提供しており、地域的なつながりやお互いのコミュニケーションも活性化にもつながっているとされます 。
店のホームページをみると、店の在り方をオープンソースのビジネスモデルと位置づけ、ほかの地域でも同じような店舗が展開されていくことにも協力的な姿勢を示しています。実際、すでに同様の店がドイツ国内に10店舗以上開店しており、イギリスにも広がっているとされます。
評価機構で信頼を担保する
ところで、ものをシェアしたり賃借するには、人の好意や善意だけでなく、サービスを提供する側と利用する側がお互いに対して信頼できる基盤があることが前提ですが、信頼を維持するためには、どのようなしくみが必要なのでしょうか。
サービス提供者について、独立した評価機構がそれぞれの団体の運営の仕方や活動内容を評価することは、ひとつの有力なしくみでしょう。様々な経済活動で取り入れられているような、個々のサービスを受けた個人が評価するだけではみえてこない、あるいは客観的な評価が難しいい部分にも目を向けるためです。ただし、その第三者機関自体の知名度や信憑性が低かったり、あるいは機関はしっかりしていても、評価の審査に多大なコストや時間がかかるとなると、敷居が高くなり、シェアリングのサービスの提供者の増加にはつながりません。世界最初に、「シェアリング・シティー」と自ら名乗った韓国のソウル市では、このような問題を最小限に減らすため、市が率先して、それぞれの組織の目的や活動内容を審査し、望ましいシェアリングエコノミーの活動をしているとみなされるものだけを認証することで、市民が安心して利用しやすいように努めています。
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ソウル市庁舎

規模や地域を限定する
お互いを信頼しやすくするシステムをつくるために、あえて規模や地域を制限することも有効かもしれません。シェアリングの様々な現象について12回に分けて特集したドイツのラジオ番組では、「ダンバー数」というものに注目、紹介しています(Kultur des Teilens, 2016.)。
ダンバー数とは、イギリスの人類学者ダンバー Robin Dunbar が提唱したもので、歴史的な村落や世界各地の集落の大きさを研究調査した結果、人がお互いを知り、信頼できる人のコミュニティーの最大人数は、世界的に普遍的に約150人(100から250人の間)だとしたものです。これ以上の人数になると「グループの団結と安定を維持するためには、より拘束性のある規則や法規や強制的なノルマが必要になる」と考えました(「ダンバー数」『ウィキペディア』)。
インターネットを通じたバーチャルなコミュニティーにおいては、これまでの組織やグループと異なりますが、ネットワークでつながる人々を、規模や地域など、なんらかの形で限定することで、お互いを認知しやすくなることは確かでしょう。その結果、コミュニケーションが円滑になるだけでなく、お互いに身勝手なことをすることへの抑制となり、信頼がおける関係が維持しやすくなることも考えられます。
経済的・社会的に公正であることと規制緩和の間の落とし所をさがす
シェアリング・エコノミー全般に関しては、EUにおいてもスイスにおいても原則としてシェアリング・エコノミーの市場価値を認め、規制には全般的に慎重な姿勢です。一方、EUにおいては営業形態や課税などの詳細な制度や規定は各国に委ねており、今後は徐々に、国や地方自治体レベルで、実際の状況や問題を検証しながら、地域や分野によって規制ができてくることは必至でしょう。目下のところ、ホテル業界やタクシー業界など既存の業者との公平な競争のための課税などの新しい制度づくりや、シェアリング・エコノミーが提供するサービスの安全確保や社会保障の問題が、各地で議論、一部では実現されています(民泊に関する最近の事例は、「民泊ブームがもたらす新しい旅行スタイル? 〜スイスのエアビーアンドビーの展開を例に」をご参照ください)
従来の人間関係(やりとり)を補充するシェアリング
前回の記事で、ドイツでは社会学者たちの間で、人に何かをすることが善意ではなくサービスの対象となってしまうことで、人間関係全体が商業主義的になってしまうのではないかという危惧がでていることを紹介しました。これについてはどう対処すべきなでしょうか。
社会学者たちの指摘を文面通り理解する前に、少し整理してみたいのですが、商業主義的な関係、つまりサービスのやりとりは、そもそも善意でつながる関係の対極にあるものなのでしょうか。少し話がそれますが、今年初め、アマゾンの荷物が多くてヤマト運輸が窮地に陥っていることがメディアで取りざたされた時のことを思い出してみます。この時は、国民の間ではヤマト運輸を同情する声が多く、日経の読者向けのアンケートでは回答者3800人余りのうちの8割が、深刻化する人手不足対策として、宅配便の引き受けを抑える検討に入ったことに対し「賛成」しました(木村、日経、2017年)。宅配が減ることにより自分が将来被るであろう不便さだけを人々が憂慮していたのなら、8割という圧倒的な賛成票はありえなかったでしょう。もちろん、配達量の多さのあまり宅配会社が廃業してしまってはもっと困る・不便なため、という合理的な思考が、そこに入っていたことも確かでしょうが、商業主義的であることがただちに、利害だけでお互いを捉え、信頼や共感する気持ちがなくなるとはいえないことは一概に言えず、一営利企業と利用者の間にも、信頼や同情、共感する気持ちが根付くことが可能でということを、このアンケート結果は、如実に物語っているように思われます。
歴史を紐解けば、人がしてくれた行為に見合うお礼をするという風習は、貨幣が登場するずっと以前 から、そして世界のどこにでもありました。このことは、貰いっ放しでもあげっぱなしでもなく、なんらかのギブ・アンド・テイクの形が、健全で信頼関係を築くための安定的で有力な手段であったことを示しています。
一方、はっきりしたギブ・アンド・テイクという打算的な関係でなくても、どんな関係においても、なんらかの効果や報酬を期待することと純粋な好意や善意との線引きをするのは難しいものです。そう考えると、シェアリング・エコノミーの弊害や危険性に注視することはもちろん大切ですが、単なる否定論に陥らず、むしろ「商業的」かいかんによらず、相互に信頼や満足できる関係であるかに重心を置いた考察も重要ではないかと思われます。
シェアリング・エコノミーの到来とともに訪れる「商業化する」未来の人間関係の在り方を新しい関係の一部として認め、不足する部分や問題点がでてくれば、その都度それを補完するシステムや関係を志向するという、シェアリング・エコノミー容認論は、今後、大いに議論・構想される余地があるのではないかと思います。
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おわりに
ベルリンの新しい形のレンタルショップ「ライラ」や、世界初の「シェアリング・シティー」と自ら宣言して、時代に合ったシェアリング・エコノミーを形作ろうと模索する韓国のソウル市。二つの動きに共通しているのは、それぞれのコンセプトを専有し特権的な地位に安住しようというのではなく、みずから積極的にアイデアやノウハウを外部と共有しながら、世界的に広げていこうというオープンな態度です。人や世界を信頼するこのような態度こそ、「シェアリング」の核心部分であり、望ましい展開へと後押しする推進力といえるかもしれません。
<参考サイト>
Jörg-Daniel Hissen, Sharing Economy - der Weg in eine neue Konsumkultur?. In: Arte, 30. September 2015.
Elisabeth Schwiontek, Nutzen statt besitzen: Einblicke in die deutsche Sharing-Szene. Sternchenthemen, Schulen. Partner der Zukunft (2017年8月23日閲覧)
ベルリンのレンタルショップ「ライラLeila」のホームページ
「共有都市(Sharing City)・ソウル」プロジェクト、SEOUL Seoul Metroplitan Government2017年1月2日
キャット・ジョンソン「次なるシェアリングシティを目指すソウル」『Our World国連大学ウェッブマガジン』2013年08月16日
Kulturen des Teilens, Aus der 12-teiligen Reihe: “Die teilende Gesellschaft” (10), Von Dirk Asendorpf. Onlinefassung: U. Barwanietz & R. Kölbel, SWR2 Wissen: Radio Akademie, Stand: 7.7.2016, 16.56 Uhr
「ダンバー数」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2017年8月11日 (金) 18:04 UTC
Bundesrat verabschiedet Bericht zu Rahmenbedingungen der digitalen Wirtschaft, Bundesrat, Das Portal der Schweizer Regierung, Bern, 11.01.2017
René Höltschi, Teilen als Chance, EU-Leitlinien für die Sharing-Economy. In NZZ, 2.6.2016,
Pierre Goudin, European Added Value Unit, The Cost of Non Europe in the Sharing Economy. Economic, Social and Legal Challenges and Opportunities, January 2016
上瀬 剛「シェアリングエコノミーがもたらす政策課題(EUに学ぶ)」『情報未来』No.51(2016年7月号)
Marco Metzler, Das Uber-Modell ist nicht AHV-tauglich. In: NZZ am Sonntag, 8.5.2016, 12:07
Rasoul Jalali, Es geht um mehr als um Taxis und Uber. In: NZZ, Gastkommentar, 7.9.2016.
木村恭子「ヤマトの宅配総量抑制『賛成』約8割 」第311回解説 『日本経済新聞』(Web版)、2017年3月2日

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


シェアリング・エコノミーに投げかけられた疑問 〜法制度、就労環境、持続可能性、生活への影響

2017-09-07 [EntryURL]

前回、ドイツ語圏でのシェアリング・エコノミーの普及について調査結果をもとに概観しましたが(シェアリング・エコノミーを支持する人とその社会的背景 〜ドイツの調査結果からみえるもの)、シェアリングエコノミーの市場規模が大きくなり、生活の様々な分野に普及してくるにつれて、それによって引き起こされる問題点や課題もまた、鮮明になってきました。近年は特に、それらの問題点を取り上げて警鐘をならす報道が目立ってきたように思います。今回はこれらの最近取り沙汰されている、シェアリング・エコノミーにおいて生じつつある主要な問題や危惧される社会の変化について取り上げてみます。
制度的な問題
以前、「民泊ブームがもたらす新しい旅行スタイル? 〜スイスのエアビーアンドビーの展開を例に」で、ドイツ語圏のAirbnbについて扱った際にも取り上げましたが、新しいシェアリングエコノミーの動きに対し、営業法や課税制度など、法制度が整っていないところで起きている問題(あるいはその混沌とした現状を逆手にとって、グレーゾーンでできるだけ利潤をあげようとしている動き)があります。
シェアリング・エコノミーとの競合が深刻化している、ホテル業を例にとると、通常のホテルでは、ドイツ語圏のどこにおいても、火災防火安全対策や規定が義務付けられており、そのための人員も雇用しなくてはいけません。これに対し、民泊先をオファーする個人については、今のところそのような一律の規定はありません。また既存のホテル業者に比べ、民泊で得た利益を申告しなくてはいけないという意識がまだ薄く、納税が徹底して行われているとは言い難い状況です。結果として、宿泊手続きや料金体系だけをみると、既存のホテル業者は民泊先提供者に対し、なかなか太刀打ちができない状況にあり、強い危機感や不公平感を産んでいます。
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就労に伴う問題
マクロな経済の視点にたてば、既存の企業とシェアリング・エコノミーの間の競争が生まれることで、効率や生産性が一層高まると期待されますが、ホテルやタクシー、室内清掃など、シェアリング・エコノミーの市場が急速に拡大しているサービス業分野では、就労状況が全般に著しく悪化するのでは、という危惧もでてきています。シェアリング・エコノミーが今後既存の産業を大きな割合で代替する可能性がある、これらのサービス業分野では、この先、シェアリングエコノミーが広がると、行き着く先は、いつも健康で就業できるということが前提で、いったん体調を崩せば、ほかに代替はいくらでもあるため、切り捨てられるだけ、というような就労環境に陥るのではという不安です。
実際、シェアリング・エコノミーは原則として、みんな個人事業者(フリーランス)であるため、通常の企業に就労する労働者が享受することができる社会保障は一切なく、それをオファーする個々人側がすべてのリスクを自分で負うことになります。就労中の事故や病気のための労災保険もなければ、就業時間の規制もなく、最低賃金も保障されていません。公的な年金も失業保険制度も、労働組合も今のところありません 。
シェアリング・エコノミーはこれまでの就労規則に阻まれない自由な働き方や生き方と解釈することもできでも、労働者が150年来戦い勝ち取ってきた労働者の権利や保護する法律をすべて手放し、無力なフリーランスに押し戻されてもいいのか、とニューヨーク大学のニュースクールの、ショルツTrebor Scholz氏は疑問を呈しています(Die Kommerzialisierung des Teilens, 2016)。
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持続可能性への疑問
シェアすることは従来型の消費に対して環境負荷が少なく、目指す持続可能な社会に近くなるものであるという楽観的な見方にも、果たして本当にそうなのかという疑問の声があがっています。その一人であるベルリンでレンタルショップを経営するニコライ・ヴォルフェルト氏は、いつでもどこでも簡単な操作でかつ安価に消費や利用の可能性が広がったことは、むしろ、消費への欲望を刺激することになり、消費が拡大するのではないか。つまるところシェアリングは、持続可能性にではなく消費拡大にむしろ加担しているのではないか、と批判的な意見を示しています。(Berlin - Von der geteilten zur teilenden Stadt, 2016)
商業主義が生活全体に広がるという危機
シェアリングは過剰な資本主義を終焉させ、資本主義は新たな段階に達しつつある、という一時期広がった思想に対しても異議申し立てがでてきました。シェアリングは過剰な資本主義を終焉させるどころではなく、むしろプライベートの生活全体を徹底的に商業化させるという形で、資本主義社会を徹底化させることになるのではないかという指摘です。
哲学者ハンHan 氏はドイツの主要日刊紙『南ドイツ新聞』に寄せた記事で、プライベートな領域の商業化が進むことで、これまで友人どうしでお金をぬきに行われてきた交換や相互のやりとりは、すべて商業的なサービスの対象と代わっていくことになり、「もはや目的をもたない友情はない。お互いに評価し合う社会では、友情もまた商業化される。よりより評価を保つためにフレンドリーになる」(Han, 2014)、と挑発的な表現をしています。
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消費者に委ねられた問い
これらの列挙された問題点を聞いて、みなさんはどうお考えになられるでしょうか。前回の記事でとりあげた調査結果の段階でバラ色に見えたものが、180度違ってみえてくるような気がします。シェアリング・エコノミー専門家のトレメル氏は、これらの問題をあげた後に読者を突き放して、大手生協誌上で、以下のように言い放っています(スイスでは、3人に一人が生協週刊誌を読んでいるといわれ、影響力の大きいメディアの一つとされています。生協週刊誌についての詳細は「スイスとグローバリゼーション 〜生協週刊誌という生活密着型メディアの役割」をご参照ください)。「Airbnbやウーバーを使えば、それがなにを引き起こすことになるかは驚くには当たらない。有機農業を買うか、それともディスカウントの食品を買うかをわたしたちが選択することで、わたしたちが経済に影響を与えているのと同じことだ」 (Tremel, 2017, S.24.)
つまり、消費者がなにを選択するかによって、就労状況が悪化する社会にもなれば、そうでない社会にもなるのであり、未来は最終的に決断する消費者、つまりわたしたち自身にかかっているとします。つまり、シェアリング・エコノミーを一概に良いだの悪いだのと批判するよりも、それを実際に自分たちがどう利用するかが大事なのであり、それが一人一人に問われているのだということなのかもしれません。
問題意識を抱えながら、次回へ
それでは具体的に、シェアリング・エコノミーの提供者・享受者として、あるいは全体のシステムとして、どんな形が有望なのでしょうか。最終回の次回では、今回指摘された問題点を踏まえながら、いくつかのモデルや構想、実際の動きを取り上げ、シェアリング・エコノミーの前途をさらに考えてみたいと思います。
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<参考リンクと文献>
Olivier Kofler, Sharing Economy - nutzen ist in, besitzen out. In: PwC’s Experience Center. Blog,18.08.2016.
Barbara Höfler, Sharing Economy: Teile und herrsche. In; NZZ am Sonntag, 10.4.2016.
Tobias Haberl, Teile und herrsche. In: Heft 27/2015, Süddeutsche Zeitung.
Berlin - Von der geteilten zur teilenden Stadt, “Die teilende Gesellschaft” (1). Von Dirk Asendorpf, SWR2 Wissen: Radioakademie, Stand, 5.4.2016, 8.30 Uhr
Die Kommerzialisierung des Teilens, “Die teilende Gesellschaft” (4) Die Kommerzialisierung des Teilens, SWR2 Wissen: Radio Akademie, Sendung: Samstag, 28. 5. 2016, 8.30 Uhr
Kulturen des Teilens, “Die teilende Gesellschaft” (10), Von Dirk Asendorpf. Onlinefassung: U. Barwanietz & R. Kölbel, SWR2 Wissen: Radio Akademie, Stand: 7.7.2016, 16.56 Uhr
Nikola Endlich, Prinzipiell einfach mal teilen. In:Taz.archiv(2017年8月23日閲覧)
Byung-Chul Han, Neoliberales Herrschaftssystem Warum heute keine Revolution möglich ist, 3. September 2014, 14:27 Uhr
Luise Tremel, „Die Welt wird immer käuflicher”. In: Migros Magazin, 4, 23.1.2017, S.22.-6.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


シェアリング・エコノミーを支持する人とその社会的背景 〜ドイツの調査結果からみえるもの

2017-09-03 [EntryURL]

ここ数年、シェアリング・エコノミーという言葉を耳にする機会が増えました。デジタル時代の新しいサービスの在り方として注目されるだけでなく、新しい時代を象徴するキーワードの一つのように扱われることも増えてきました。他方、ドイツ語圏では、シェアリング・エコノミーについて、これまでになかった新たな可能性をみる肯定的な議論が一巡し、就労者や社会全般に及ぼす様々な影響や問題について指摘する、批判的な議論が近年、増えてきています。

実際に、シェアリング・エコノミーは、どのくらい社会に広がってきており、具体的に社会にどのような影響を与えつつあるのでしょうか。またどのような課題があると、現在取り沙汰されているのでしょうか。これらシェアリング・エコノミーについてドイツ語圏で取り上げられてきた話題を、今回から3回にわたり、まとめてみたいと思います。

最初の回である今回は、シェアリング・エコノミーが現代社会でどのように受け入れられているのかを、ドイツでの最近の調査結果を手がかりにみていきます。次回は、現在までに様々な角度から指摘されている問題点や課題とされているものについて紹介してみます。第三回目の最後の回では、今後定着していくとすれば、どのような形が望ましいのか、指摘されている問題や課題はどう克服できそうなのか、その見通しについて、いくつかのドイツ語圏の具体例や構想を取り上げながら、考えてみたいと思います。

※平成27年の総務省情報通信白書で、シェアリング・エコノミーを、「ソーシャルメディアの特性である情報交換に基づく緩やかなコミュニティの機能を活用」した「個人が保有する遊休資産(スキルのような無形のものも含む)の貸出しを仲介するサービス)」をその典型とし、「貸主は遊休資産の活用による収入、借主は所有することなく利用ができるというメリットがある」と説明しています。3回の記事でも、シェアリング・エコノミーという語を同様の語義において理解し、使用していきます。

シェアリング・エコノミーを牽引する若者

2012年に「シェアリング・エコノミー」という興味深い調査報告書が、ドイツのリューネブルク大学教授ハインリヒス氏らにより発表されました。これは、シェアビジネスの大手Airbnbの依頼を受けて、ドイツで最初のシェアリング・エコノミーに関連する理解や行動様式について調査したもので、1000人以上のアトランダムに選ばれたドイツ人が調査対象とされました。これにより、シェアリング・エコノミーに関わる人の具体的な実像がはじめて明らかになりました。

この調査結果で興味深いと思われた点を、かいつまんでご紹介してみます(調査報告の全文に興味のある方あ、記事の下の「参考サイト」に掲載したリンクからご参照ください)。まず調査当時、すでに調査対象者の55%、つまり過半数以上の人がシェアリング・エコノミーの経験(消費や住宅も含めた賃貸行動)があると回答しています。その内訳をみると、55%がフリーマーケット、52%がインターネットを通じて、個人から個人への物品の売買を経験したことがあり、29%の人は、車や自転車を賃貸したことがありました。民泊を利用あるいは提供したことがある人は全体の28%おり、庭や日曜大工で使う作業用具など普段はほとんど使わないものを必要がある時に賃借したことがある人は25%でした。全体の12%がこれらの貸し借りや売買をインターネットを介して行っていました。

これらの利用者層で目をひくのが、14歳から29歳の若い世代が多いことです。デジタル世代と呼ばれるこの世代は、とりわけインターネットを介した売買や賃借行為に積極的で、25%がインターネットを介したシェアや利用をしたことがあると回答しています。同じようにインターネットを介した利用者の割合が、40〜49歳の人の間では13%、60歳以上においてはたった1%に留まることと比較すると、若い世代の利用の割合が突出しているのがわかります。

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学歴や収入、価値観との関わり

年齢だけでなく、教育(学歴)と収入や価値観(世界観)などの社会的な所属や背景も、利用頻度と強い相関関係にありました。若者でかつ高歴、高収入な人ほど、賃貸システムやインターネットでの売買の利用頻度が多く、また創造性や変化に富む生活を高く評価する人ほど、従来の所有や消費のあり方にこだわらず、シェアや賃借を頻繁に行う傾向がみられました。

民泊を利用あるいは自身が提供する人においても同様の傾向がみられました。高学歴で、変化に富む生活に興味をもつ人ほど、利用頻度が高いという結果です。その人たちは、ほかの人に対して必ずしも社交的というわけではないものの、他人に対しての信頼は、比較的高いという結果もでました。

利用者の圧倒的多数が、持続可能性や環境負荷を配慮するという回答結果もでていることから、ハインリヒス教授らは、シェアリング・エコノミーがもたらした新しい「協力的な消費kollaborativer Konsum」は一過性のものではなく、従来の個人の占有を前提とする経済市場を補充するものとして発達し、一つの流れとして定着するのではないかと推測しています。(Heinrichs, et al, S.19.)

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現在の状況

この調査報告が発表された時から、さらに5年の歳月が流れましたが、現在のドイツやドイツ語圏での状況はどうなったでしょうか。ここからは、スイス(ドイツ語圏)在住の自分自身の印象や経験をもとにした憶測になりますが、シェアリング・エコノミーは、様々な分野に広がり、利用は増え、生活に確実に定着してきているように思われます。同様の調査を仮に繰り返したとすれば、利用経験をもつ人の割合が増えているのでは、と想像します。

卑近な例ですが、ちょうど10年前から私が勤めているスイスの遊具レンタル施設でも、5年ほど前までは、利用者が減る一方でしたが、その後小さい子どもをもつ若い親たちを中心に利用者が増えてきており、貸し出し総額も、毎年約1000スイスフランほど増加する、という状況がここ数年続いています(ちなみに遊具のほとんどは、2ないし3スイスフランで貸し出されています)。自分の勤めるところだけが例外的なわけではないようで、同じ都市にあるほかの地区の遊具レンタル施設でも、貸し出し総額が毎年増加しているといいます。この現象が、シェアリング・エコノミーのメインストリームと直結している保証はありませんが、少なくとも施設で顧客と話をすると、自分たちの子どもたちにおもちゃを買い与えるのではなく、借りて済むものは借りようというはっきりしたスタンスが、特に若い親たちにおいて、特別のことではなくライフスタイルして定着しているように感じられます (スイスの遊具レンタル施設については、「スイスの遊具レンタル施設」をご参照ください。)

単なる流行?それとも新しい社会のスタンダード?

他方、シェアリング・エコノミーのサービスが広い分野で全般に拡大しているということは、一時の流行にすぎないのかもしれない、という気もしないでもありません。時と地域によって、ブランドの服やバックに身を包んで自分のステイタスを顕示するファッションが流行ってきたように、今日のドイツ語圏では、自分のライフスタイルや人生哲学を、身をもって表したり、行動に反映させたりすることが、ひとつのトレンドになっていると言われます(このようなトレンドの傾向ついては、「デラックスなキッチンにエコな食べ物 〜ドイツの最新の食文化事情と社会の深層心理」もご参照ください)。

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シェアリングからは話がずれますが、環境重視の志向のライススタイルが、端的に表出したかのように思われる出来事が、つい先月、スイスでもありました。今年の8月21日から、ファストフードとしての昆虫食が大手スーパー店頭で売り出された時のことです(スイスでは、ヨーロッパでもはじめて昆虫食が合法的に認められました。スイスで合法化された昆虫食の詳細については、「前途有望な未来の食材?」をご高覧ください)。ハンバーガーやミートボールのように丸めた形のチルドの昆虫食食品( 自分で火を通して食べるタイプで、それぞれ1パック辺り170g)が、約9スイスフラン(日本円で千円余り)で売り出されたのですが、高額であるにも関わらず、チューリヒの繁華街の支店では、用意されていた1千食が、すぐ完売になりました。

たしかに昆虫食が、環境負荷の少ない食文化として社会的に期待されていることを受けて、このような大きな反響に至ったことは間違いありませんが、流行に敏感な人たちが、高値でさらに決して連想すると食欲がそそられるものでないにも関わらず、好奇心も手伝ってトレンディな食材としてこぞって購入した、という意味合いも強いように思われます。

ひるがえってシェアリング・エコノミーの潮流をみると、現在、高級車でもなんでも自ら所有するのではなく、他人とできる限りシェアすることが、都会的な洗練されたライフスタイルに映ったり、ひとつの「クールな」行為と思われたりして、流行に敏感な特に若い人たちをひきつけているだけなのかもしれません。そうだとすれば、何かを他人とシェアする行為も、いずれ、ほかの流行にすげかえられて、今の活気が下降していくのかもしれません。

シェアリングが、トレンディな消費や利用よりももっと深く根付き今後さらに定着していくのか、はたまた単なるトレンドにすぎず数年後にはまた忘れ去られてしまうのか、それを現在見極めるのは難しく、その検証は、引き続き観察した数年先の課題とすることにします。そうとはいえ、シェアリングにしても、昆虫食にしても、これらライフスタイルとつながるトレンドは、それが持続可能な社会を目指すという志向がひとつの重要なモチーフとなって盛り上がってきていることは(少なくともドイツ語圏においては)確かなようですし、好奇心から試してみようとする人の絶対数がさらに加わることで、将来も継続して利用・消費する人が一定数維持されれば、将来の社会の変化につながる可能性は十分あるのかなと思います。

次回はシェアリング・エコノミーの問題点をクローズアップ

次回は、現在シェアリング・エコノミーについての議論で、近年頻繁に指摘されるようになってきた、問題点のほうに目をむけて、論点をまとめてご紹介してみたいと思います。

参考リンク

総務省『平成27年版情報通信白書 特集テーマ「ICTの過去・現在・未来」』第2部 ICTが拓く未来社会、第2節 ソーシャルメディアの普及がもたらす変化、1。シェアリング・エコノミー―ソーシャルメディアを活用した新たな経済

Heinrichs, Harald; Grunenberg, Heiko, Sharing Economy : Auf dem Weg in eine neue Konsumkultur? Lüneburg 2012.

Hennig Zühlsdorff, Sharing Economy - „Deutschland teilt”,In: Leuphana, Universität Lüneberg, 11.02.2016.

Alexander Kühn, Und auf einmal essen die Zürcher Insekten. In: Tagesanzeiger, 23.8.2017.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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