デジタル時代の博物館 〜博物館の特性を活かした新しい在り方を求めて

デジタル時代の博物館 〜博物館の特性を活かした新しい在り方を求めて

2016-10-23

秋も深まり、日本でも博物館や美術館を訪れる方が多い季節かと思います。前回の記事( 「ミュージアム・パス 〜スイスで好評の全国博物館フリー・パス制 」)で、スイスでは博物館が共同するイベントやミュージアム・パスの普及により、近年博物館を訪れる人が増加していることをお伝えしましたが、もちろん、博物館や美術館自身も、来訪者数を増やしたり、来訪者の層を広げるため、色々な新しい試みや工夫をしています。そして、従来型の展示方法とその保護に重点が置かれる紋切り型の展示とは対照的な、新しい展示方法や、内容、新たなサービスが現れてきました。また、これらに並行して、博物館や美術館のイメージや社会的な意義が変化し、学際的な重要性も高まってきているように思われます。
今回は、そのような、ヨーロッパの博物館や美術館全体にみられる新しい試みや変化について、いくつか紹介してみたいと思います。(以下では、前回の記事同様、特定のテーマや目的で展示・公開されている鑑賞や観察を目的とした美術館や博物館などの公共施設の総称として「博物館」と表記しています。ご了承ください)
視覚以外の感覚の活用
具体的に博物館の新しい展示方法や工夫をみていく前に 、まず、今日の博物館が置かれている状況を確認してみます。
様々なコンテンツが自宅や移動中に入手できるのが当たり前のデジタル化時代において、とりわけ、人々が簡単に鑑賞できるものはなんでしょう。視覚・聴覚的なコンテンツです。一方、博物館の展示で主になっているものは、なんでしょう。これもまた、視覚的なコンテンツです。博物館の展示物は、オリジナル、立体的な複雑さ、規模などの特別性はありますが、視覚的なコンテンツであることに変わりはなく、その意味では、博物館の展示品とデジタル・コンテンツとの間で明確な差異は認識されにくくなります。結果として、わざわざ博物館に足を運ぶ必然性も感じられにくくなります。
一方、この論理を逆転させれば、つまり、デジタル化が進んでも手に入りにくいものを、博物館で提示することができれば、ほかのデジタル・メディアとの差異が明確になり、博物館の存在意義が高まることになります。もちろん、博物館が単に入館者を増やそうとするために、結果として展示の質が下がったり、内容の多様性が大きく制限されるようではこまりますが、デジタル時代の博物館の場が最大限活かされるような展示を意識することは、決して間違った方向ではないのではないかと思います。
嗅覚と展示
実際に、デジタル・コンテンツが追随できない、従来の展示とは全く異なる内容の実験的な展示が、昨年と今年、複数の博物館で開催されました。一つは、様々なにおいを提示するという、嗅覚を全面に押し出した展示で、 バーゼルとチューリッヒの博物館で開催されました。
ドイツの嗅覚研究第一人者ハット教授によると、人が嗅ぎ分けられるにおいの種類は、視覚や聴覚で区別できる種類の数よりもはるかに多いといいます。また、嗅覚によって記憶される記憶は、数十年後にも、おなじにおいいをかぐことで記憶がよびさまされるというほど、脳裏に深く刻まれそうです。 このように人の感覚と優れて深い関係をもつ嗅覚ですが、視覚や聴覚的よりもはるかに、生成や再現が難しいため、これまでそれを応用、利用した文化活動は非常に限られていました。しかし、近年、嗅覚のしくみを解明する研究が目覚ましく進んでおり(詳細は、「嗅覚を活用した産業、ビジネス、医療 〜ドイツの最新嗅覚研究からの示唆」をご覧ください)、ビジネスや医療分野だけでなく、今後博物館のような文化活動分野でも利用、応用範囲が格段に広がる可能性があります。
例えば、展示室に視覚的な展示物と並んでにおいを配置することで、展示物の鑑賞に、独特の印象や、特定の記憶と結びつくような印象を与えることができるでしょう。保存・復元された歴史的な屋内や屋外の博物館の空間においても、家具や調度品、あるいは建造物を並べて訪問者に鑑賞させるだけでなく、歴史的に特有だったなんらかの香りを放つことで、歴史的な趣をより印象的に伝えることができるかもしれません。
触覚と展示
触覚も、現状のデジタル・コンテンツで、ユーザーが享受不可能な重要な感覚です。ヨーロッパで唯一のハプティック研究所を率いるドイツのグルンヴァルト教授は、視覚に偏って依拠する現代社会においては全般に、 触覚はなおざりにされており、便利なデジタル機器の普及により、多様なものに触れる機会や頻度も減っていると言います。(詳細は、「ハプティック・デザイン 〜触覚を重視した新たなデザインの志向」をご覧ください。)
このような状況を逆手にとって、博物館で触るのはこれまで原則禁止でしたが、触覚によって確かめられるような対象物を博物館が積極的に置くようにすれば、博物館は、ここでも、デジタル・コンテンツとの差異をつくることができ、博物館の意義を確保することができます。
そのような意図が直接、特別展の直接の契機になったかは不明ですが、昨年、スイス有数のデザイン博物館では、「触ってください!」という、文字通り展示物を触ることを全面に押し出す特別展がありました。触覚という感覚をいろいろな角度から喚起・意識させる展示物で構成された特別展は、比較的小規模であったにも関わらず、博物館の展示として斬新な試みであったためか、メディアでも大きく取り上げられていました。
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見ないで様々な形と材質の物に触る体験。(「触ってください!」の展示会場で)

触るものとほかの展示を合わせることでも、展示物を視覚的に観察することでは味わえない体感が加わり、展示効果を高めることも可能でしょう。例えば、ヴィンタートゥアの産業博物館でのクレイ・アニメについての今夏の展示では、さまざまな作品ビデオや実際のアニメで使われたモデルの展示と並び、クレイアニメの材料として優れた材質である工作用粘土 を来訪者が自分でこねて作品を作ることができるコーナーが設けられていました。このようなコーナーを設けたことで、クレイの材質感を実感でき、展示内容が格段わかりやすくなったと言えます。
見た眼の印象と触った感じの違いを楽しむといった、視覚と触覚のギャップをつくった作品の鑑賞も、デジタル・メディアにはできない博物館ならではの醍醐味になるかもしれません。
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クレイ・アニメの粘土を実際に触ることのできるコーナー

体験型
現在、テーマパークは世界的に非常に高い人気を誇っており、集客の原動力として、観光業界でも大きく注目されています(詳しくは、「世界屈指の観光地の悩み 〜 町のテーマパーク化とそれを防ぐテーマパーク計画 」をご覧ください)。通常の展示のように一方向からだけではなく 、来訪者の体を取り囲む全方向から情報や刺激が送られてくるテーマパークには、確かに圧倒される独特の迫力があり、博物館の展示よりも強い臨場感や一体感が「体験」できることが多くあります。博物館の限られた空間で、街や自然風景のような大掛かりな演出をすることはできませんし、博物館とテーマパークとは基本的に役割が異なりますが、そのようなテーマパークでの訪問者(受容側)の「体験」を重視する演出を、部分的に取り入れることは可能です。
実際、「体験」効果を意識した展示を部分的に導入することが、ヨーロッパの博物館でも増えてきているように思われます。「体験」型の展示は、特に現代からは想像しにくい異なる時代や地域の生活や状況について、直感的に理解するのに優れ、( 極端な印象や、効果が過剰にならないよう配慮すれば)子どもなど、展示への予備知識が乏しい人に興味をもたせたり、ぐっと引きつけるのに最適です。
体験型を全面に出した展示で人気を集めている博物館の一つが、オーストリアの首都ウィーンの「タイム・トラベル・ウィーン」です。 ウィーンの歴史を即席で学ぶことを目指した新しい博物館で、施設そのものが中世から続くワインセラーであり、独特の雰囲気を放っていますが、その施設内にいくつかの時代を象徴する体験型の展示部屋を配置しています。例えばその一つの、当時そこに実際あったものを一部再現した防空壕では、小さな換気口がスクリーンとなっていて戦時中の様子が轟音とともに映し出され、戦時中の状況や防空壕での心細さを、わずかな時間ではありますが、文章の説明や当時の写真よりも、強く追体験することができるようになっています。
この博物館の1時間足らずの早足のガイド付きツアーでは、歴史の詳細を知ることはとうていできませんが、外国からの観光客や 家族連れが、当地の歴史を知る足がかりとしてはちょうどよいようで、人気急上昇中です。世界有数の博物館激戦区であるウィーン市内で、2012年のオープン以降、順調に入館者数を増やし、昨年は入館者数17万5千人 と、ウィーンの年間入館者数トップ20位にくいこみました。
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ウィーンの博物館「タイム・トラベル・ウィーン」


博物館の多様なガイド・サービス

ここまで、展示の手法に関する新しい試みや傾向についてみてきましたが、最後に、博物館側のガイド・サービスにおいての新しい動きについて紹介します。博物館入館者を対象にしたガイドや、それをインスタントにまとめたオーディオ・ガイドは、これまでかなり普及してきましたが、そのようなスタンダード・ガイドに加え、 年齢や需要に合わせた特別のガイド・サービスが、近年、非常に発達してきています。
まず、多いのが子どもや家族向けのガイドです。博物館の展示は普通、子どもには多すぎて退屈してしまうか、自分が興味をひかれることがたとえあったとしてもそれを見つけることは簡単ではありません。まして、館内で自力で情報を読み取り理解することもできません。そのため、子どもたちは、長い間、一般の博物館では重要な来訪者とは捉えられてきませんでした。しかし近年は、既存の博物館で子どものためのコーナーを設けるところや、子どもに特化した博物館をつくるところもでてきました。そのような特別のスペースをつくらない博物館でも、積極的に子どもや子ども連れの家族を対象にしたガイドを開催し、子どもたちにとって博物館に親しみやすくなるよう努めるところが増えています。
子どもたちのためのガイドは、具体的に一般の大人向けとどう違うのでしょう。 スイスのヴィンタートゥアの4〜8歳向けのワークショプ付きガイドの内容を例として紹介してみます。まず、専門の学芸員に付き添われ博物館のひとつの作品について、時代背景や作家の生い立ちを織り交ぜた解説を聞きます。(学芸員によると、一つの作品に集中するのが、この年齢層の鑑賞方法としては適切なのだそうです)。作品を前にした学芸員とのやりとりでインスピレーショを得た子どもたちは、その後博物館内のワークショップ用のアトリエに移動し、絵画やねんどなど毎回異なる材料やテーマをもらって、自分の作品として形にしながら、作品で得たインスピレーションを発展させます。この全行程の所要時間は約1時間半から2時間で、親の同伴が不要なため、親自身にとっても、しばしの間、展示を静かに鑑賞したり、博物館カフェでくつろげる時間ともなり好評です。ほかにも博物館はそれぞれ、学校の学年に応じた特別ガイドやワークショップを毎年企画し、学校の課外学習の場を提供しており、年間を通じて、児童は何度か異なるテーマや課題のために、博物館を訪問するのが、恒例となっています。
数年前からは、ドイツやイタリアを中心にしたヨーロッパ各地で、認知症の人のための新たな博物館ガイドもスタートしました。スイスで最初に認知症の方のためのガイド・サービスを提供し始めた博物館の一つであるヴィンタートゥアの自然博物館では、来訪者は、周辺に生息する野鳥の声を聞いたり、鳥や小動物の剥製に手を触ることができます。博物館を訪れる方には、過去によく耳にしたり目にした鳥や動物に博物館の中で再会することで、記憶がよみがえって、それを嬉しそうに話し出す方も多いそうで、認知症の人に対し、博物館という施設が、かけがえのない環境を提供していると言えるでしょう。
このように、対象を特化したガイド・サービスの充実させることで、これまで博物館に縁の薄かった人たちを、博物館を利用・鑑賞にいざなうことができれば、博物館側にとっては、新しい顧客の獲得であり、博物館の重要性が社会的に広く認知されることにもつながるでしょう。
おわりに
長らく、利用者に合わせるというより、博物館が「博物館らしく」不動の存在としてあることが博物館の存在意義のように思われる時代が続いてきましたが、デジタル技術の高度な発達という時代的な変化は、博物館に大きな変化を迫っています。
しかしそれは、ただ画一的に、一時的にちやほやされるデジタル最先端の技術を導入するような常套手段に安易に頼るということとは限らないでしょう。むしろ、従来のやり方や在り方にこだわらず、発想を少し自由にして、訪問者の需要や関心に寄り添って博物館にしかない、できないような展示内容を考えたり、ほかの博物館との協力を追求することによって、博物館らしい新たな可能性が掘り起こされていく のではないかと思います。
博物館にとっては大変な時代の幕開けなのでしょうが、 一般市民にとっては、博物館は、今後、ほかでは代替し難い刺激に満ちたおもしろい場所となっていくのかもしれません。
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<参考サイト>
——嗅覚に関する特別展(スイス、バーゼルとチューリッヒ)について
Belle Haleine - Der Duft der Kunst, Museum Tinguely, 11. Februar - 17. Mai 2015
Übler Gestank in Zürcher Ausstellung. Das Museum Kulturama zeigt, wie es war, als Shampoo und Unterhose noch nicht erfunden waren. Schnuppern auf eigenes Risiko, Tagesanzeiger, 28.9.2016.
Rita Angelone,100 Gerüche im Kulturama: Ein Paradies für Schnuppernasen, Die Angelones, 30.9.2016.
——美術館Schaudepot の特別展「触ってください!」(チューリッヒ)ついて
Bitte berühren!, Schaudepot, 27.11.2015 - 20.03.2016
Bitte berühren: Eine Ausstellung über und für den Tastsinn, Kulturplaz, SRF, 16.12.2015.
Paulina Szczesniak, Mit frischem Blick auf alltägliche Dinge, 25.11.2015.
——産業博物館のクレイ・アニメの特別展(スイス、ヴィンタートゥア)について
http://gewerbemuseum.ch/ausstellungen/aktuell/detailansicht/gmwausstellung/plot-in-plastilin/?no_cache=1
——博物館「タイム・トラベル・ウィーン」(オーストリア、ウィーン)について
Wiener Geschichte im Schnelldurchlauf , ORF.at, 14.05.2012
David Rennert, 5D-Erlebniskino bietet fragwürdige Zeitreise für Touristen durch Wien, 13.3.2013.
——子どものためのワークショプ付き博物館ガイド(スイス、ヴィンタートゥア)について
http://museumoskarreinhart.ch/de/sehen/demnaechst.html
——認知症の方のための博物館訪問(ドイツ、スイスほか)について
«Aufgeweckte Kunst-Geschichten» - Menschen mit Demenz auf Entdeckungsreise im Museum(2016年10月15日閲覧)
Führungen für Menschen mit Demenz, Winterthurer Zeitung, 16.09.2015.
Kleiner Leitfaden für einen Museumsbesuch mit Menschen mit Demenz (2016年10月1日閲覧)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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