ブログ記事一覧

地域社会に潜む郵便事業の未来 〜フランスの郵便配達員の新しいサービスを例に

2017-12-26 [EntryURL]

今年最後の記事となる今回は、いつにもまして楽観的な想像力をたくましくさせ、新年以降の未来について思いをめぐらしてみたいと思います。具体的には、スイスの郵便事業の状況やフランスの郵便配達員が行っている新規ビジネスの事例をもとに、郵便事業と地域生活を支えるサービスやネットワークの未来の形について考えてみます。

郵便事業の現状

最初に、世界的な郵便業界の状況について、スイスを例に概観してみます。
前回の記事「人出が不足するアウトソーシング産業とグローバル・ケア・チェーン」でも触れましたが、オンラインショッピングの増加に呼応し、配達する荷物の量は世界的に急増しています。スイスでは、2016年は前年比で5.7%、2017年は前年比で6%増加しています。スイスでそれら荷物の約8割を扱っているのが、国営の郵便事体であるスイスポストです。概算では今年2017年の1年間で約1億3000万の荷物がスイスポストによって配達されました。2003年以降スイスの物流市場は自由化されましたが、今もスイスポストが圧倒的なシェアを占めるという状況が続いています。

一方、電子的な通信が進み、信書や書類のやりとりが急減する生活やビジネス環境の急速な変化に伴い、従来の郵便窓口業務の収益は、大幅に縮小しています。スイスでは今も年間一人あたり269の郵便物を受け取っており、ヨーロッパではスロベニアに次ぎ、郵便物の数が多いという統計結果はでていますが、それでも郵便局が扱う郵便物は、2000年から2013年の10年余りで半分にまで落ち込みました。

全国中に置かれている郵便局では、従来の郵便事業以外に金融・保険業務も行ってきましたが、郵便局の窓口での取引はこれらの業務も縮小傾向にあるため、長年地域に根ざして存在していた物理的な郵便局の存続が難しくなってきています。すでに2000年の現在までで全国3385カ所あった郵便局は1757カ所と、48%と大幅に減少しました。今年6月のスイスポスト社長へのインタビューでは、さらに459カ所の閉鎖が検討中であることが公表されています(Bürgler, 2017)。

現在扱う量が多い荷物の配送部門も、安泰の状況とはいえません。ヨーロッパや世界をまたにかけた荷物配送のライバル会社が多いだけでなく、将来、オンライン業界が独自に配送ルーツを構築しようという動きも今後、考えられるためです。

このため、郵便事業体としては、従来の業務に平行し、店頭での様々な物品(文具、チョコレート、ごみ袋等)の販売や、古紙やほかのリサイクル商品の回収や食料の配達など、新しい事業を各地で試験的に行いこれまで新しいビジネスへの参入を検討してきました。

そんななか、先月末スイスの消費者問題を扱う国営ラジオ番組「エスプレッソ」で、パリの郵便局のことがとりあげられました。以下、内容を抜粋してご紹介します(Liebherr, 2017)。

171226-1.jpg

パリの郵便職員の新しいサービス

フランスでも郵便事業は縮小傾向にあり(これまでの4年間で郵便物は2割減で、今後5年でさらに半減すると予測されている)、新しく参入するビジネスを探しています。その一つとして、数年前から、一人暮らしの人、主に高齢者を訪ねるという業務をはじめました。

今回の番組が取材したのは、週に1度高齢者の女性をパリの郵便配達人が訪ねるというものでした。郵便物があるなしに関係なく、週の決まった時間に定期的に訪ねるサービスです。このサービスを担当するにあたり半日間の特別な研修を受けた女性の郵便配達人は、女性とお茶を飲みながら、生活で問題がないかを女性にたずねそれを記録していきます。そして、必要に応じ、その場でできる用事を済ましたり、必要なものをあとで届けたりします。

サービスは、顧客に合わせて設定され、訪問は月に6回まで可能とされます。24時間ボタン一つで助けを求められるサービスは、月20ユーロで、毎週約20分(配達の仕事が多い時は短め)決まった時間を指定できます。

これまでに、このサービスに強い関心を寄せたのは、とりわけ高齢者の子どもや孫たちです。自分自身で訪ねる時間がなかったり、遠くに住んでいる人が、このようなサービスを重宝しているようです。ほかにもパンや医薬品を届けるサービスもはじまっています。

171226-2.jpg

他社を凌駕する「郵便配達員」というブランド力

このようなサービスを、郵便配達員がはじめた背後には、郵便局や配達人が長年かけて地域の住民たちとの間に培ってきた信頼関係がある、と番組では分析されていました。

確かに、一人暮らしの高齢者が、知らない人を自宅に招き、個人的な話や問題を打ち明けるということは、通常考えられないことであり、そのようなサービスに対し不安や抵抗感は非常に強いことでしょう。逆にいえば、いつも界隈で仕事をする姿を見かけ、実際に自分も世話になっている、身元のよく知れた郵便局配達員であるからこそ、成立可能なサービスといえるでしょう。

全般に、このような巷で信頼できる人物としてのステイタスを最大限に活かす、それを強みとするビジネスこそ、ほかの業界では簡単に参入しにくく、郵便事業体が大きなシェアを伸ばせる潜在的なビジネス分野であるといえるでしょう。具体的にどのような需要が潜在的にあるかは今後、細かく地域によって異なるニーズを見ていく必要があるでしょうが、そのような分野に新たな活路を見出そうという方向性は、前途有望のように思われます。

前途有望なのは、それが郵便事業体のビジネスとして有望であるいう意味だけにとどまりません。単身の高齢者が今後一層増えて、様々なニーズがでてくることを考えると、安心して頼める便利なサービスに気軽にアクセスできることは、地域社会のライフライン(インフラ)として、大きな可能性を秘めているように思われます。

171226-3.jpg

地域全体のライフラインとして

高齢者のなかでは、普段は概ね一人で支障なく暮らしていける人のなかにも、身体的あるいは技術的に難しいことをいくつか抱えている人は多いでしょう。例えば、重い家具を動かすこと、はしごに登って天井の壊れた電球を替えること、電気機器の設定やメディアやインターネットの取り扱い方などは、日常茶飯事に起きる問題ではありませんが、いざ起きると、手に負えない問題の典型でしょう。

これらの問題に、ほんの少しの助けがあれば、不安が解消されたり、より快適に暮らせるという場合も多い、というここまでは、みなが簡単にわかることですが、しかし、どこにこういう助けを求めればいいのか、というと、意外に簡単ではありません。近所に親身になって助けてくれる知り合いがいれば問題ありませんが、さまざまな事情で、すぐに頼める人が必要な時に近くにいるとは限りません。

このような、ちょっと人に助けを求めたい時に、簡単に安価で信頼できる人を自分の家に呼んで、頼みごとをできるというサービスやシステムがすでにあるとすれば、どうでしょう。普段の生活での安堵感が格段増すと思っている人は多いのではないかとおもいます。

環境負荷も少ないサービスの形

スイスでは郵便配達員は、週に6回かそれ以上、4百万世帯の家の前を通過しているといいます。そのような巡回ルートをすでにもっていて、さまざまな住居に住む人にアクセスしやすいという条件は、地域社会で求められているサービスや交流を実現するための、大きなポテンシャルを秘めています。

遠くから注文してきてもらうのでなく、近くまで来ている人が立ち寄るという形で用を済ますことができれば、環境面でも(CO2削減や渋滞の緩和など)大きな貢献をすることができます。

スイスの郵便局の労働組合も、解雇される代わりに新しいサービスに参入することを歓迎しています。これから、このような郵便事業ならではの資源やこれまで培ってきた信頼を最大限に活用し、地域生活を充実させ、環境負荷も減らす新しいサービスがでてくるのであれば、郵便事業は、将来も十分生き残れることでしょう。

おわりに

郵便事業に限らず、人的また環境的な資源を大事にした地域生活を充実させる新しいサービスが、 奇抜な発想とともに、新年以降も、続々と世界各地ででてくることを期待しながら、今年の最後の記事を終えたいと思います。

171226-4.jpg

ウィーン、フンデルトヴァッサーハウス

参考サイト

Brühwiler, Peter. So viele Pakete wie nie - doch die Post muss sich neu erfinden. In: Aargauerzeitung, 10.3.2017 um 05:15 Uhr.

Bürgler, Erich, «Eine Jobgarantie kann die Post nicht geben». In: Tagesanzeiger, 25.6.2017.

Enz, Werner, Schweizer lieben Briefpost. In: NZZ, 24.11.2017, 11:28 Uhr.

Goebel, Jacqueline, Das gebrochene Versprechen. In: Wirtschaftswoche, 30.11.2017.

Lattmann, Thomas, Weniger Briefe und Pakete: Post jammert zu stark. In saldo 14/2013 vom 11. September 2013 | aktualisiert am 22. Februar 2016.

Liebherr, Charles, Wermelinger, Roland und Kressbach, Maria. In Frankreich wird der Briefträger zum Sozialarbeiter. In:SRF, Espresseo, 29.11.2017, 5:13 Uhr

Meier, Jürg, Päckli-Boom in der Schweiz: Kunden werden ungeduldiger. In: NZZ am Sonntag, 9.12.2017.

Paukenschlag im Schweizer Onlinehandel Amazon plant mit Post 24-Stunden-Lieferung. In: Blick, Publiziert am 23.11.2017 | Aktualisiert am 25.11.2017

Pilotprojekt Post testet Briefzustellung an weniger Tagen. In. Spiegel.de, 2.9.2017.

Post erzielt mehr Gewinn trotz weniger Briefen. In; NZZ, 10.3.2016, 11:13 Uhr.

Riklin, Fabienne und Camp, Roland, Päckli-Rekord für die Post. Der Shopping-Rausch im Netz beschert dem gelben Riesen ein glänzendes Jahr - weil aber nicht jede Lieferung pünktlich eintrifft, steigt die Zahl der unzufriedenen Kunden. In: Sonntagszeitung, 17.12.2017, S.36-7.

Schneeberger, Paul, Mehr als nur Filialschliessungen. In: NZZ, 6.6.2017. 20:41 Uh

Schneeberger, Paul, Wie die Post zu einem rentablen, innovativen Konzern wurde. In: NZZ, 28.9.2017, 08:49 Uhr

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


人出が不足するアウトソーシング産業とグローバル・ケア・チェーン

2017-12-18 [EntryURL]

現在、世界中で共通して、社会でその必要性が広く認められている仕事なのに、慢性的に人出が不足しているという職業があります。子どもの保育・預かり、高齢者の世話、家事代行、荷物の配達業務といった、ケアやデリバリー分野のアウトソーシング(外部委託)化されたサービス業です。
ドイツ人のバルトマンChristoph Bartmannは、これらのアウトソーシングの仕事に従事する人たちに、前近代の階級社会にいた「奉公人Diener」との類似性を認め、今後、「奉公人」のいたような階級社会に再び戻っていくるのではないか、と2016年に刊行した著作で挑発的に問いかけました。『奉公人の再来』というタイトルのこの本は、刊行後、ドイツ語圏のメディアで広く紹介され、そこで提起された問題は、主要メディアの特集番組やルポルタージュでもたびたび注目されてきました。
この本がドイツ語圏で一定の反響をもたらしたのだとすれば、その理由はなんでしょう。一言で言えば、テクノロジーの進歩や新サービスの登場などの表面的な変化の水面下で起きていること、人々の生活や就業の変化や新しく形成されつつある社会的な役割分担システムといった複雑なテーマを、身分制社会を連想させる「奉公人」というインパクトのあるキーワードで、浮き上がらせたからではないかと思います。
今年のスイスやドイツ語圏での報道をふりかえって掘り下げる試みの最終回となる今回は、この本によって喚起された一連のテーマや問題点を整理しながら、グローバルに連鎖している社会格差の問題について少し考えてみたいと思います。
現代社会で需要が高まる職種とその労働力
現在、子どもたちの保育や、高齢者の介護・世話、また荷物の配達業務といった仕事の人手不足は先進国で例外なく共通していますが、人手が不足する直接的な理由もまた各国で共通しています。
まず、働く母親が増加したことで、家事代行や幼少の子どもを預ける需要が増えました。また、高齢者、特に自宅で可能な限り居住しようとする高齢者が増加し、身の廻りの世話や介護のニーズも大幅に増えてきています。また、社会全般に多忙な人が増え、日常生活に不自由を感じたり要望が多くなることで、オンライン・ショッピングの取引も右肩上がりで増加しており、その結果、配達業務も際限なく増大傾向にあるためです。
ケア・サービス分野でアウトソーシングが増えている理由として、そのような家庭内の仕事を第三者に委ねることに、人々の抵抗感が少なくなっているという、人々のメンタルな変化も大きいと指摘されます。特に、年配の人が自分の家の家事代行を依頼するのに根強い抵抗感があるのと反対に、若い世代では、家事代行を外部に委託することへの躊躇感が少なくなっていると、家計経済、家族研究専門家のマイアー=グレーヴェUta Meier-Gräweは言います(Nezik, 2017 )。
現代の「奉公人」
バルトマンは、ゲーテ・インスティテュート(ドイツ国内外でのドイツ語の普及と文化交流の促進を目指して設立された機関)の館長としてニューヨークに滞在した際にこの本の着想を得たといいます。今日のニューヨークでクリック一つで注文できるありとあらゆる分野のアウトソーシングのサービスは、非常に便利である反面、そのサービスの背後の実際に働く人々の就労形態やその業務を考えると、疑問が浮かんできたためでした。
ケアやデリバリー分野のアウトソーシング産業において、どのように人々が働いているのか、バルトマンの指摘やほかの報道を参考にまとめてみます。
171218-1.jpg
不安定な就労形態と低賃金
ケアやデリバリー分野のアウトソーシング産業の就労形態は、正規の就労からパートタイム、またシェアリング・エコノミーとしてくくられる不定期のミニ・ジョブ就労まであり、非常に様々で一概には言えませんが、賃金相場が低く、社会の下層に位置する人々が多く従事しています(シェアリング・エコノミーの就労に伴う問題については、「シェアリング・エコノミーに投げかけられた疑問 〜法制度、就労環境、持続可能性、生活への影響」もご参照ください)。
就労者のなかでも比較的高い割合を占めているのが、移民たちです。北米では、ラテンアメリカから、ドイツではポーランドやハンガリー、チェコなどの東欧からの移民が多く働いています。そして、そのうちのかなりの人数が、正規の労働(労働許可証なしで働いていたり、労働許可のある人でも社会保険料や税金逃れのために非公式に働くなど)ではないと推計されています。不法労働のため統計がないので推計にすぎませんが、ドイツでは270万から300万人が非公式に家の掃除しており、家事代行市場の9割を占めると推定されています(Nezik, 2017Spiegel, 2017)。
これらの仕事は、教育や資格がなくてもすぐに働けるものが多く、移民がすぐに就ける仕事を提供しているという意味では、いいことであるのですが、不法就労の実態は把握しにくく、労働組合のような連帯の絆もないため、賃上げや就労状況の改善などの交渉ができず、需要が高いのにもかかわらず、ほかの業種に比べ低賃金で、就労条件もなかなか改善されません。
グローバル・ケア・チェーン
就労する人たちの労働条件や環境だけでなく、もっと広くその人たちの出身国や人間関係も視座にいれると、さらに違う問題が浮上してきます。
先進国においては、自宅に住む高齢者の身の周りの世話や、働きに出ている親に代わって、子どものの世話や家事を代行する仕事の需要が非常に増えていますが、これらの仕事を引き受けている人の多くは、出稼ぎの外国人です。長い就労あるいは拘束時間で、住み込みの場合も多く、その割に低賃金のため、これらの仕事にあえて就こうとする人が先進国にはほとんどいないためです。
これら外国からの就労者は主に女性ですが、欧米の人々の生活を支える仕事をしている一方で、職場から遠く離れた故郷に、自分自身の子どもや高齢の親を残して働いている場合がよくあります。言い方を変えれば、それらの家族を養うために、割のいい先進国に出稼ぎにきているという構図です。
これらの女性たちは、欧米での就労を希望してきており、実際に欧米で働くことで自分の子どもの養育費を稼げるなどを考えると、このような就労形態は、ある意味では、途上国女性の社会進出や独立を推進していることになると解釈されます。一方、自分たちの子どもや家族との生活が物理的にできなくなるという大きな欠点があることも確かです。「豊かな国の共働き夫婦のニーズが、結果的に相対的に貧しい国の女性から自分の子どもを育てる機会を剥奪している」(筒井、157頁)という解釈も可能です。
バルトマンは、後者の解釈により重きを置き、豊かな国の人々が豊かさを特権として、ほかの人の家族や家族との時間をうばっていいのかと倫理的な疑問を覚え、先進国の社会の上層や中間層の人々とそこに仕える新しいサービス業就労者たちの関係を、「ネオ(新しい)封建主義」や「コロニアリズム」に陥っていると挑発します。
さらに、このような「他人の子どもを育てたお金を使って、自分の子どもを他人に育ててもら」うという関係は、もっとほかの人も巻き込んで連鎖する傾向があります。豊かな国で稼ぐ女性は、その経済力を駆使して、自分より貧しい女性を自分の子どもの世話をしてもらうために雇うというように、「ケアが二重にも三重にも『移転』」(筒井、154頁)していくためです。社会学者のホックシールドArlie Russell Hochschildは、世界的な共通してみられるこのような状況を捉え、2001年に、経済用語のサプライ・チェーンになぞらえて、世界的に連鎖する社会的現象として、 「グローバル・ケア・チェーン」と名付けました。
171218-2.jpg
利用者の意識と反響
新しいアウトソーシングのサービス部門が広がってきて、人々は、どんなサービスがあり、そのサービスがいくらか、評価はどうかなど、具体的なサービスには大いに興味を抱いても、荷物を運んでくる配達人や、家事代行を定期的に頼む会社や人自身がどんな社会背景や環境で仕事をしているのかについて関心は極めて低いものでした。換言すれば、単にサービスを享受するためにつながっているだけで、むしろお互いプライバシーに干渉せず、クリック一つでつながるネット特有の匿名性の高い取引関係であることが、このサービスの繁栄につながってきたといえるかもしれません。
自分たちがやっていることは、自由な市場取引の一端にすぎず、奴隷を使ったり、メイドをつかう英国社会は自分たちと、類似点があるとはつゆほども思っていないでしょう。サービスを提供する不法就労者や社会下層の人々を見下ろしたり、差別するつもりでもないでしょうし、奉公人を雇用していた封建的な身分制社会のころのように、一種のステイタスシンボルとして、家事労働者を雇っているという人もほとんどいないでしょう。本人たちは、ただただ必要に迫られてアウトソーシングを注文している、それだけの自覚しかない人がほとんどではないかと思われます。
そう思っていればいただけ、前近代の「奉公人」のような状況に置かれているというバルトマンのテーゼはショッキングに響き、利用者であり恩恵を受ける側にいるドイツ語圏の人々自身にとって、聞き捨てならなかったということが、この本がこれまでドイツ語圏で注目されてきた理由なのではないかと思われます。
いずれにせよ、関心があるないに関わらず、今日、南北の経済格差に由来するこれら、ケアやサービス産業就業者の問題は、特定の地域に限らずグローバルで普遍的な問題となりつつあります。このような問題にいかに取り組むべきなのでしょうか。バルトマンやほかが言及している、いくつかの具合的な提案をご紹介しましょう。
171218-3.jpg
利用者側として一定の倫理的規範をもつ
まず、近年意識が高くなっている環境への配慮と同じように、アウトソーシングのサービスに従事する就労者の就労の仕方や背景などにも配慮・留意すべきだとします。つまり、利用する側が、アウトソーシングの就業に関する問題に無関係・無関心である体質を改善し、直接関与・影響を与えることができる立場として、選択や考慮の余地があるのでは、とします。
見境なく簡単にアウトソーシングを注文する前に、それが本当に必要か、またこのサービスは適切かなど考えたり、アウトソーシングに依存しすぎないように自制すること、依存しすぎないことも重要とバルトマンはいいます。
ケア・サービス市場を改革する
またバルトマンは、アウトソーシング産業から人的労働力を減らすことが、一つの有効な解決への方向性と考えており、将来、介護などのケア産業にロボットを代行させたり機械化することに、高い期待を寄せています。
しかし、家事代行や幼児、高齢者の世話は、単なる床の掃除のような単調な作業ではなく、多様な技量が必要で、近い将来、機械やロボットで代行されることになはならないという、冷めた意見のほうが、現在のドイツ語圏では主流です。そうなると、当面、どのような方向に進むべきでしょうか。
経済倫理家のBernhard Emundsは、「家事代行や介護を委託することが非難されるべきではない。重要なのは、どんな形なのか、仕事の背後にあること」だとし、国から、代行サービスに助成金を出すべきだと主張します(Nezik, 2017)。ちなみに、ベルギーでは、2004年からすでに半民半官のサービスとして家事代行や介護サービスが始まっています。すべての市民にアウトソーシングの割引券が配布されており、市民は、国が認可する会社のサービスであれば、この券を利用してサービスを受けることができます。例えば家事代行サービスを1時間利用したければ、9〜10ユーロを自分で払えば、残りの費用(一時間につき約13ユーロ)は国が支払うしくみになっています。ベルギーでは、このように合法的なシステムに組み入れたことで、家事代行サービス会社の数が倍増し、不法でなく正規の仕事としての家事代行の雇用先が数千人分で創出されました(Nezik, 2017)。
おわりに
南北格差や社会格差に由来して新たに形成されてきた「階級的」社会においてみてきましたが、興味深いことに、雇う側と雇われる側に共通する傾向がみられるという指摘もあります。どちらの側も、仕事に追われ時間に余裕がなく、自分でこどもや高齢者などの家族の世話をする時間がなくなっているというのです(Stephan, Felix, 2016)。
社会の一方で、会社で業績をあげるように圧力がかかり、家のこともちゃんとこなさなくてはいけないというストレスが、アウトソーシング需要を押し上げています。他方、アウトソーシングに委託し家事を代行してもらい、インターネットでものを購入するなどして、自由な時間を取り戻そうとするしても、さらに新たな別の仕事を増やして、実際には、自由になった時間を、ほかの仕事にあてているだけでいるといえるような状況も多くなっているとバルトマンはいいます。
例えば、家族のために「健康的な」食事あるいは、週末にグルメな食事を作ることを、新たな生活のスタンダードとすると、そのために、これまで以上に料理に時間がかかることになります。また、商品を自分で店に取りに行かなくても済むといってもオンラインショッピングは膨大な選択肢から、値段や内容を比較して選びとろうとして、電気機器も洋服、また飛行機のチケットや宿の予約にも、気づけば、かなりの時間が費やされていることもあります。
社会において、安価な賃金で過剰な仕事量をこなしている人や、アウトソーシングを駆使して自由時間を作っても、やらなくてはいけない(と思われる)ことが多くて、時間に結局追われている人が増えて行くとすると、どんな時代になるのでしょう。ネツィクは、ルポルタージュの最後で「社会が、みんなが働き、誰も、お互いに世話をする機会がなくなるというのでは、進歩とは呼べないのでは」(Nezik, 2017)、と読者に問います。
こう考えると、バルトマンが指摘する階級的な社会構造や分化する就労のあり方といった問題は、実は、もっと根幹のところで、人々の時間の使い方やその捉え方(なにをしていることに価値を置くかといった費やす時間に対する価値規範)という、「時間」をめぐる別の問題にぶつかっているということなのかもしれません。バルトマンの問題提起は示唆に富みますが、結論を急がず、これを議論のスタート地点にして、今後さらに、多様な角度からの観察や、包括的な分析が続いて行くことが期待されます。
<参考文献・リンク>
Bartmann, Christoph: Die Rückkehr der Diener. Das neue Bürgertum und sein Personal. München 2016. Hanser Verlag.
Bitter, Sabine et al., Das Comeback von Concierge und Zugehfrau. In: SRF, Kontext, 9. November 2016, 9:02 Uhr.
Christoph Bartmann: «Die Rückkehr der Diener». In: SRF, Tagesgespräch, Dienstag, 23. August 2016, 13:00 Uhr.
Erleben wir die Rückkehr der Diener? In: NZZ, Leserdebatte, 11.2.2017, 10:00 Uhr.
Nezik, Ann-Kathrin, Die neuen Diener. In: Der Spiegel, 24.11.2017.
Roth, Jenni, «Man vermeidet jedes Gefühl von Nähe». In: NZZ, 10.2.2017, 05:30 Uhr.
Stachura, Elisabeth, Auf dem Rücken der anderen. In: Spektrum, Rezension, 24.3.2017.
Stephan, Felix, “Die Rückkehr der Diener”: Der Kindermädchen-Jetset. In: Zeit Online, 28.10.2016.
筒井淳也『結婚と家族のこれから』光文社、2016年。
Timmler, Virien, Zum Glück gekauft. In: Süddeutsche Zeitung, Donnerstag, 27. Juli 2017.
Unsere neuen Diener. Die neuen Diener sind Putzfrauen, Au- pair-Mädchen, Baby- oder Hunde-Sitter. Essay über Ausbeutung. In: Süddeutsche Zeitung, 26. August 2016, 16:34 Uhr.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


経済的豊かさと予防接種率が反比例? 〜ドイツ語圏で多様化する健康観と社会への新たな問い

2017-12-12 [EntryURL]

今回は、この1年の報道を振り返って、テーマを掘り下げる試みの第二弾として、ドイツ語圏の医療分野で、今年印象に残ったテーマについて取り上げてみたいと思います。それは、予防接種にまつわる最近の状況です。
予防接種といえば、日本もふくめ世界中で、それを受けるか否かについて、長期にわたる肯定派と反対派の意見対立が一部でみられることがめずらしくありませんが、ドイツ語圏の現状を鑑みると、恒常的な対立構図で硬直しているというより、新たな社会的な潮流をつくり、同時にこれまでなかった倫理的な問いや課題がでてきているようにみえます。一体どのようなことなのか、その背景となる健康観や医療方法の変化もみながら概観し、現在の問題と今後の展望についてまとめてみていきたいと思います。
予防接種率の低さと経済的豊かさの関係
まず、昨年の『ディ・ツァイト』(ドイツの主要な全国新聞)の記事などを参考にして近年のドイツの子どもたちの予防接種の状況を概観してみます(Zeit Online, 2016)。ドイツの220万人の子どもたちの予防接種歴を調べた結果、多くの州で、子どもたちの予防接種率減っていることがわかりました。例えば、2歳の誕生日までに必要とされる麻疹の2回の予防接種をしている子どもたちは63.1%で、3分の2に達していません。2009年から2012年に生まれた子ども7万3千人以上が麻疹の注射をしていません。
予防接種率は、地域により非常に差が大きくなっています。接種率が低いのが南部で、バイエルン州の比率はなかでも最も低くなっています。バイエルンの三つの郡(Landkreise)Bad Tölz-Wolfratshausen, Garmisch-Partenkirchen と、都市のひとつRosenheimで、2歳までに麻疹の2回の接種を予防接種している子どもの割合は36%から47%と、半数を下回る率です。
バイエルン州は、ドイツでも経済的に豊かな州の一つです。そのバイエルで、接種のワクチンが不足しているわけでも、それを購入するお金のない国でもないのに、なぜこれほど、予防接種率が低いのでしょうか。興味深いことに、現代においては、失業率が低く、健康上の問題も少なく、かつ収入が多い場所ほど、予防注射の接種率が低く、豊かさと接種率には相関関係があると(少なくともドイツでは)いうのが、専門家たちの共通する意見です。
経済が豊かになることで予防接種率を後退するとは、一見、話が矛盾しているように思われますが、少し視界を広げ、健康観全般についての歴史的な変化や社会的背景をみると、理にかなった結果であるようにもみえます。以下、具体的にみてみましょう。
171212-1.jpg
健康志向の多様な展開
どの国でも社会が経済的に豊かになってくると、貧しい時代に関心が薄いあるいは、欲しくても経済的にも時間的にも余裕がなくスルーしていた分野に、強い関心が向けられるようになっていきます。そして、ステイタスを表す顕示的な消費だけに飽き足らず、食生活や、余暇の過ごし方など、生活の広い分野へと関心が広がっていき、それを洗練させたり、向上させようという動きや消費につながってきます。なかでもとりわけ、どこの国でもまた広くどの世代にも大きな関心ごととして観察されるのが、健康にまつわるモノやコトです。
ヨーロッパでは90年代以降ウェルネスブーム(マッサージからセミナー、食品にいたる幅広い健康や体調を意識した消費生活や余暇の行動様式のこと。詳しくは「ウェルネス ヨーロッパの健康志向の現状と将来」をご参照ください)が一斉を風靡し、最近は、ヨガ・ブームや、菜食志向(「肉なしソーセージ 〜ヴィーガン向け食品とヨーロッパの菜食ブーム」)、また医療ツーリズム(「ヨーロッパに押し寄せる『医療ツーリズム』と『医療ウェルネス』の波 〜ホテル化する医療施設と医療施設化するホテル」)と言ったように、細分化された需要が新たに生み出され、新たな市場が展開してきました。
換言すれば、健康志向は、現代世界の文化や消費市場において、なにより重要なエンジンとなってきたといえるでしょう。
171212-2.jpg
健康観の多様化と医療制度における適応
健康志向が高まると、世界中から様々な健康に対する情報やそのツールが紹介され、ちまたにでまわるようになります。そして、そのような多様な健康にまつわる説や実践の仕方のなかから、個々人が自分で選ぶことができるようになる、つまり健康観が多様化・個人化することになっていきました。
社会が豊かになり、健康観が多様化・個人化することによって、ヨーロッパでは近代以降、西洋医学によって占有されてきた(少なくとも社会保険が唯一認定し支払いの対象としてきた)医療行為自体についても、もっと幅広い選択肢から選びたいという要望も強まっていきます。
そのような国民に広がる要望を組み上げ、スイスでは、医療行為として認めるものの対象枠を広げる決断に踏み切りました。2009年の国民投票で、代替医療(民間医療)を医療として憲法で正式に認めることになり、2012年以降、実際にホメオパシーや中国伝統医療(針治療など)など代替医療の一部が、基礎健康保険の対象として取り扱われるようになったのです。
スイスで代替医療が健康保険の対象となって5年がたった今年、医師を対象に西洋医学会と代替医療の関係を調べるアンケート調査が行われましたが、その結果をみると、1500人のスイスの医師が回答した調査結果では、日々の西洋医学の医療行為において、すでに、代替医療医療とあからさまな対立ではなく融和、協調的な姿勢が目立っています。
具体的にどういうことかというと、回答した医師、ホメオパシーを処方したことがある医師も、していない医師もそれぞれ6割以上が、ホメオパシーのプラセボ(偽薬)効果を認めており(プラセボ効果とそれを取り入れる方向に関心を寄せる社会や医学界の動きについては、「プラセボ 〜 医学界と社会保険政策で注目される理由」をご参照ください。)、患者の自然治癒力が活性化されることを期待してることがわかりました。そして、西洋医学を学んだ正規の医師の4人に一人が過去1年間に間者に代替医療の代表格であるホメオパシーの薬に該当するレメディと呼ばれる小さな砂糖玉を処方したことがあるとします。さらに、医師の10人に一人は、プラセボ(偽薬)としてでなく、実際のグローブリの効用も信じているという結果もでました(Walter, 2017)。
このような状況に対し、調査を行ったチューリヒ大学の内科医師マルクンStefan Markunは、(代替医療の是非については)「公の場では、議論が二極分解しているが」、実際に患者を前にした臨床の場では「医師たちは、ずっと寛容な態度であることがわかる」とコメントしています(Walter, 2017)。
171212-3.jpg
個人の健康観が尊重される時代に問われること
このように、代替医療が社会に受け入れられてくることで、西洋医学と代替医療が表面的に対立より協調されてくる面があらわれてきた一方、懸案材料として新たに注目されるようになったのが、前述の予防接種率低下の問題です。
近年、代替医療を信奉する人たちの間で、予防接種を忌避する傾向が強まり、自分の子どもたちに予防接種を受けさせない例が増えてきたわけですが、この結果、感染力が強く重篤な症状になる危険をもつ病気が、流行する危険が高まったと、少なくとも西洋医学界ではいわれます。というのも麻疹を例にあげると、社会の95%以上の人が予防接種を受けていればその人たちが、防壁のような役割を果たし流行を食い止められますが、逆に予防接種を受ける人がそれ以下に減ると、防壁ではなくむしろ感染を介在する役割を果たすことになるためです。
スイスでは、過去(2006年から2009年)に4400人が発症する麻疹の大流行があり、近年も麻疹を発症する人の数は増える傾向にあるというのが、西洋医学の専門家の一般的な意見です。2016年に発症したケースは71件で、前年比で倍でしたが、発症した人の90%は、全くあるいは十分に予防接種を受けていない人でした(以前は、1回の接種で足りるという判断で1回しか受けていない人もいましたが、現在は2回受けることがスタンダードになっています)。発症した人の4分の1は病院で手当てを受け、8%の人は肺炎も併発しています。ちなみに、WHOによると、世界中で1時間に麻疹でなくなる子どもたちは16人いるといいます。
感染症が流行すると、ほかにも解釈が分かれる難しい問題もでてきます。例えば、感染症が流行する際、社会には3種類の人たちがいます。接種を受けたり過去に感染してその免疫能力を有する人、自分あるいは保護者の意志で接種を受けていない人、そして最後に、予防接種を受けるという選択肢がそもそもない人たちです。最後のグループには、健康上の理由で予防接種が受けられない人や、1歳未満の乳児が入ります(麻疹の予防接種は通常1歳以上で、2回に分けて行われます)。この人たちは、自分の意志で感染を防ぐことはできないため、感染のリスクは所属する社会に委ねられていますが、この人たちのリスク管理における責任の所在が不明です。
例えば、感染して重篤な症状に至った場合、責任は誰にあると考えられるのでしょうか。公衆衛生を徹底化しなかった国や社会全体でしょうか、もしくは、その人たちに、感染の防波堤をつくることを拒否した予防接種拒否者の総体でしょうか。それとも、予防接種が受けられなかった人は不運だったとあきらめるべきなのでしょうか。
もっと根幹的な社会の基本姿勢として、予想可能なリスクをもつ人たちのリスクを最小限に減らすために、個々人の健康志向を遂行する自由を制限する(ここで言えば予防接種を受けることが可能な人の予防接種を徹底させる)など、社会の構成員が連帯し、協力的になるべきなのでしょうか、それとも、個々人の健康志向を遂行する自由をより優先すべきなのでしょうか。
さまざまな問題と絡み合っており、現在のヨーロッパにおいて、明快な答えがでにくい複雑な問題ですが、ひとつ、はっきりしているのは、これまで、近代医学に基礎を置き推奨することに疑問を抱かれることがほとんどなかった予防接種を推進する公衆衛生という考え方自体が、現在試練に立たされているということでしょう。
171212-4.jpg
ヨーロッパ各国の取り組み
ドイツ語圏の国以外のヨーロッパの国々でも、同じような予防接種率低下の傾向がみられますが、国により、それへの対応は異なっています。フランスやイタリアでは、いくつかの予防接種を義務化するという、強硬策を選択しました。フランスではすでにポリオやジフテリアなどの予防接種が義務になっており、風疹や麻疹などの11種類の接種も来年以降義務化の対象になる予定です。イタリアでは義務化を不服とする南チロル州の住民数十人が、隣国のオーストリアへ難民申請をしたといいます。
一方、ドイツ語圏(ドイツ、スイス、オーストリア)では、小児科医師の間では義務化を要望する声がたびたびあがっているものの、予防接種は義務になっていません。ドイツ語圏では、ナチス時代のドイツが国民の健康化に大きく関与し、国民や侵略国の人々を抑圧した苦い経験が強烈で、以来国家が国民の健康に関与することに対し、とりわけ嫌悪感や抵抗感が強く、それが、今も予防接種の義務化に慎重な理由になっていると考えられます。いずれにせよ、近い将来に、イタリアやフランスのような強硬な政策へ進展する気配は、いまのところありません。
ただし、公共セクターがなすすべもなく手をこまねいているわけではありません。啓蒙キャンペーンや相談窓口を設置するなどして、予防接種率をあげるよう取り組んできました。予防接種率の低いバイエルン州でも、過去に、啓蒙キャンペーンなど予防注射の重要性をアピールする活動を繰り返し、この結果過去11年間で、麻疹の予防接種(2回)をした子どもの数は、バイエルン全体で47%から91%まで増加したとされます(Geiger, 2017)。
ただし、キャンペーンや相談窓口に限界があることも事実です。それでもなお、毎年、親たちに、予想接種をすすめる医師や自治体のよびかけがこれからも途絶えることなく続けられることは確かでしょう。
おわりに
このように、ドイツ語圏では、現在、健康観の多様化が、逆に予防接種という公衆衛生の立場からみた国民の健康推進のツールを後退させてしまう、という社会的なジレンマに陥っているようにみえます。そして、今後はさらに、健康観や健康志向が今後も多様化していくとすれば、予防接種だけでなく、ほかにも公衆衛生と齟齬をきたす問題がさらにでてくるのかもしれません。
一方、スイスの医師の間で代替医療の薬を処方するケースが増えていることは、西洋医学と代替医療が互いに衝突し消耗する代わりに、(お互いプラセボかの是非を問わず、ポジティブな効果が期待できるのならよしとする)プラグマティックな視点に立つことで、合意や歩み寄りができる可能性も示しているように思われます。
西洋医学と代替医療は、この先どう関わり合い、人々(一般の人や、西洋医学界、代替医療界)にどんな形で受け入れられていくのでしょうか。また、さらにずっと先の未来に目を向けると、一連の現在の予防接種をめぐる状況や代替医療や西洋医学へのまなざしは、未来人たちにとっては、どんな風に映るのでしょうか。
<参考文献・サイト>
«Die Empfehlung lautet: Impfen!» In: SRF, News, Donnerstag, 31. August 2017, 5:57 Uhr, aktualisiert um 16:01 Uhr
Geiger, Stephanie, Wo die Reichen wohnen, gibt es am meisten Impfgegner. In: NZZ, 24.10.2017, 15:00 Uhr.
Kleinkinder In diesen Teilen Deutschlands wird am seltensten geimpft. In: Welt.de, 09.07.2017.
Masern: Jedes dritte Kleinkind ist nicht geimpft. In: Zeit Online, 27. Oktober 2016, 17:36 Uhr.
ロバート・N・プロクター著宮崎尊訳『健康帝国ナチス』、草思社、2003年。
Walter, Nik, Ausgekügelte medizinische Wahrheit. In: Sonntagszeitung, Wissen, 26.11.2017.
Walter, Nik, „Nützs nüt, so schads nüt” ist ethisch heikel. In: Sonntagszeitung, Standpunkte, 26.11.2017.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


スイス人の4人に一人はマルチローカル 〜複数の場所に居住する人々とその社会への影響

2017-12-05 [EntryURL]

年の暮れが押し迫るこの時期は、この1年を振り返る報道が多くなってきますが、わたしも、今年のスイスやドイツ語圏での報道をふりかえって、個人的に強く印象に残った、居住、医療、サービス業界(家事や介護を含む)という三つの分野のテーマをピックアップして、今回から3回にわたって、ご紹介してみたいと思います。

扱う三つのテーマはジャンルも内容も直接的な接点はありませんでが、いくつかの共通点があります。まず、普通の常識的な考えでは、一見驚くような(それ故メディアでも話題にされたわけですが)事象であること。同時に、それが一過性の流行というような話ではなく、むしろ今後も社会で恒常的に定着していくようにみえるもの。そして、定着してくようになるとすれば、将来的に社会に少なからぬ影響や、新たな問題がでてくることが予想されるものであることです。

記事では、主にスイスやほかのドイツ語圏の事例に沿って取り上げていきますが、日本をはじめ世界的にみられる状況や共通の現象も視野にいれながら、今後の展開について考察してみたいと想います。

スイス人の居住の仕方に関する調査

今回は、スイスで注目されている居住スタイルについてお伝えします。チューリヒ工科大学の学際的な研究機関「居住フォーラム」が、バーゼル大学、ルツェルン専門大学と共同で2012年から2014年までに15歳から74歳までの3200人を対象に調査しところ、スイスに住む住民のうち2百万人以上、人口の28%が、ひとつの場所に定住しておらず、二つ以上の場所に居住していることが明らかになりました。

ちなみにここでいう、「居住」とは、居住地として正式に自治体に届けられているものだけでなく、公式、非公式に定期的に宿泊を伴い違う場所に滞在する場合も含みます。つまり、遠距離車両の運転手やフライト・アテンダントなど仕事であちこちに滞在する人も、両親の離婚などで、2カ所以上に居住することを余儀なくされている子どもたちも、この居住形態の人々に含まれます。

居住場所を複数もつ人のうち、過半数以上は居住場所が二つですが(68%)、三つの人も23%おり、4つ以上もっている人も9%いました。また、現在は違っても、過去に複数の居住場所をもっていた人(1回が13%、数回が7%)もすべて合わせると、なんとスイスの住民の半分にまでなることがわかりました。
このように公式、非公式な滞在あるいは居住場所を2カ所以上もつことを、この調査レポートの表記に準じて「マルチローカル」と示すことにして、以下、この実態についてさらに詳しくみていきます。

171205-1.jpg

複数の居住場所をもつ人も理由も様々

これだけ多くの人が居住場所を複数もっていたり、過去にもっていたとことに、調査をした研究者も驚いたといいますが、一体なぜ、ひとつの場所に定住しないマルチローカルな人がこれほど多いのでしょうか。

調査によると、当人たちが理由としてあげられることで一番多かったのは(複数回答可)は、休暇やレジャーであり、回答者全体の3分の2以上の68%の人が理由としてあげています。次に多いのが、離れて住むパートナーのところに滞在するなどのパートナーに関連したもので、50%以上の人が理由としてあげています。

一方、意外に少ないのが、仕事や就学を理由にあげている人の割合です。仕事や就学を理由にする人は、居住場所を複数もつ人の4人に一人だけで、そのうち、 仕事を理由にしているのは15%にすぎませんでした。

ただし具体的な理由は、個々人により非常に異なり、複数の理由が絡まっている場合も多く、少なくとも今回の調査では、わかりやすい一般的な理由や傾向が示しにくいのが特徴です。また、人々の職種や社会的な地位も、学生からアーティストまで多種多様で、複数の居住場所をもつ男女間にも特記できるような差異は見当たらないといいます。

一方、子ども時代の経験など過去にどのような居住をしてきたかは、将来にマルチローカルな居住形態を選択するかに、少なからぬ影響を与えているようです。マルチローカルな居住形態をとる4割の人は、以前住んでいたり働いていた、などなんらかのゆかりがある場所に居住地のひとつを置いているといいます。

いずれにせよ複数の場所に住むことは、一カ所に住む場合よりも、住宅にも移動にもコストがかかるため、マルチローカルの居住形態の人がこれほど多く存在するということ自体が、現代のスイスの豊かさの表れであることは確か、と調査を中心的に行ったヒルティNicola Hiltiはいいます。

ちなみに居住場所は、スイス国内だけでなく海外の場合も多くなっています。しかしこれは、同じ言語を話す隣国が多く(フランス、ドイツ、イタリアなど)、地続きだったり、飛行機で1、2時間で到着できる近い距離にある、これらの国々やほかのEU諸国と、スイスが経済や文化的にも密接な関係があることを考えれば、今の時代、不思議なことではないかもしれません。

定住しないことの受け止め方

定住しない生活というと、かつては、「根無し草」と言う言い方に表象されるように、精神的・社会的な不安定さが強調され、ネガティブな印象も少なくありませんでしたが、今日のスイスにおいて、当人たちはどのような心境で、このような生活をしているのでしょうか。

離婚夫婦の間の子どもたちのように、自分の意志に関係なくやむをえず複数の居住地を往復している人もおり、決して一概には言えませんが、調査の中心メンバーで、個人的なインタビューも行った社会学者ヒルティによると、現代2カ所以上に住む人当人たちのなかでは、むしろその利点ととらえ、それを積極的に享受している人が多いといいます。例えば、複数の場所に住むことで、地域に縛られない新しい人間関係が結ばれることになり、違う生活や文化を楽しめるなど、定住する人はなかなか味わえない醍醐味があり、それがそれらの人たちにとっての生活の質を高める要素に結びついているようです。

これには、物理的に離れていることによる、人間関係が疎遠になるなどの弊害が相対的に減ったことも大きいと考えられます。コミュニケーション技術の近年の大きな進歩のおかげで、数年前に比べると格段に遠隔コミュニケーションの手段が増え、簡単で安価に遠距離の人間関係も維持しやすくなりました。

複数の居住場所をもつことによるもうひとつの避けされないデメリットである、移動の時間の長さも、ネット環境の改善などにより、仕事やコミュニケーションなど、かなり多様に活用することが可能になってきました。このため、マルチローカルな人々の間では、移動中がただのロスタイムであるという感覚がうすれ、むしろ、移動の間の時間や場所もまた自分たちの生活空間の重要な一部としてとらえられるようになってきたといいます。

171205-2.jpg

マルチローカル化が社会に与える影響

人口の4人に一人がしているというマルチローカルの居住スタイルは、もはやスイス社会の少数派の特殊なケースではなく、ひとつの社会現象と捉えられます。そのことは同時に、社会全体に与えるインパクトも、無視できない大きさに及ぶことを意味します。

具体的に、社会にどのような影響を与えるようになるのでしょうか。まず、直接的な影響を与えるのは住宅市場です。「縮小する住宅 〜スイスの最新住宅事情とその背景」でも触れましたが、スイスでは近年、住宅不足が続いており、特に都心の小規模住宅の不足は深刻です。

困ったことに、2カ所以上に居住する人が好む住居を考えると、とりわけ不足している物件にかなり重なっているようにみえます。常に住むわけではないので、住居にそれほど高価で大きな住宅を望む人はむしろ少ないでしょうし、移動が多いため、交通の便がいい都心部が好まれると考えられるためです。

今後も高齢者などの単身世帯が増え続けると予想され(スイス統計局の予測では世帯人数は今後30年で減り続け、単身世帯は40万、二人世帯は30万増えると予想されています)、現在も供給が追いついていない、都心の小規模の住居が、今後も恒常的に不足しつづけ、状況が悪化することが危惧されます。

また、恒常的に移動し、定住しない人が一定数を占めるようになると、地域社会の運営や在り方そのものにおいても、これまで考えられなかったような新たな問題やなかった課題が増えていくように思われます。

ヒルティは、マルチローカルな人にも地域の活動に熱心な人もいれば、そうでない人もおり、個人差が大きいため、一般普遍化することをできないと言いますが、移動が多い人は、移動時間が増える分、ほかの人よりも自分が自由に使える余暇の時間は少なくなると考えられます。

その結果どんなことが起こるででしょうか。例えば、マルチローカルな人たちは定住する人よりも、地域のボランティア活動などに参加する時間も必然的に減ることは避けられないでしょう。そのような人口が地域で増えれば、これまでボランティア・ベースで運営されていた様々な地域の公共的なサービス、例えば、消防団や町内会、教育・福祉分野での活動が、たちゆかなくなるかもしれません(規模の大きい都市では、消防隊員が雇用されていますが、規模の小さい都市や村では、いまもボランティアが担っています。)

一方、日本の地方のように過疎化が進む地方で、定住人口を大幅に増加させることが難しくても、マルチローカルな人々の誘致・受け入れを積極的に進めることで、逆に、地域経済や住民の生活の向上につながる機能やサービスを拡充していく道が開けるのかもしれません。

171205-3.jpg

おわりに

マルチローカルな居住スタイルが、すでに社会の少数の周辺的な現象ではないことが、今回の調査で明らかにされましたが、長期的にさらにどう展開していくのでしょうか。

経済力が十分になければマルチローカルな居住スタイルは難しいため、短期的なスパンでみれば、マルチローカルな居住スタイルの増減は、スイス全体の経済状況で変化することは十分考えられます。 他方、将来、就労の仕方や生活スタイル、家族や人間関係のあり方などは今後、一層多様化していくことが予想され、それに伴ってマルチローカルへの需要は長期的には増加傾向となるでしょう。つまり、社会のマルチローカル化はより「普通」で、より一般的なことになっていくのではないかと考えます。

そうであるとすれば、この調査は、単にスイスの居住の現状を明らかにしただけでなく、住宅、地域経済、地域生活など幅広い社会の公共サービスや社会構造において、今後、マルチローカルな人々の動きや機能は無視したり、避けて通れない存在であり、この存在を視野にいれながら将来の計画を立てていかなくてはならない段階にすでにきていることも暗示している、といえるかもしれません。

171205-4.jpg

参考文献・サイト

An mehreren Orten zu Hause. Neue ETH Studie zeigt: Wohnen an mehreren Orten ist in der Schweiz stark verbreitet, Medienmitteilung, Zürich, 16. Juni 2015

Hartmann, Stefan, Mal hier, mal dort. Im: NZZ am Sonntag 25.11.2012

Salm, Karin, «Zuhause ist dort, wo ich übernachte». In: SRF, Gesellschafts und Religion, 28. September 2015, 5:52 Uhr.

Strohm, David, Hin und her zwischenWohnorten. In:NZZ am Sonntag, 25.5.2014, S.43.

Wo ist zuhause? Vom multilokalen Wohnen. In: Kontext, SRF, Montag, 28. September 2015

ジョン・アーリ『モビリティーズ 移動の社会学』作品社、2015年。
Zahl der Haushalte wächst markant. Immer mehr Ledige brauchen immer mehr Wohnungen. In: NZZ, 24.11.2017, S.14.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


ヨーロッパの自治拡大の動きと共栄をさぐる道 〜南チロルの歩みと現状を鑑みながら

2017-11-23 [EntryURL]

今年10月はじめに、スペイン北東部のカタルーニャ州では、スペインからの分離独立の是非を問う住民投票が行われ、同月の下旬には、イタリア北部のロンバルディア州とベネト州でも、自治権拡大の是非を問う住民投票が実施されました。前者は独立、後者は自治拡大を問うものですが、両者とも、中央集権的な政治・経済体制の在り方に対する異議申し立ての動きであったという意味では、一致しているといえます。

このような異議や抗議が噴出する際、すでにあるほかの国や地域の政治体制が、目指す方向や具体的な形として掲げられることがよくあります。ヨーロッパのなかでも地方分権が強いスイスはそのような国の一つで、たびたびほかのヨーロッパ諸国で引き合いに出されますが、10月のイタリアの選挙で 、自治拡大を求める勢力が、目指す形として言及していたのは、同じイタリア国内の別の地方である、ボルツァーノ地方、ドイツ語で南チロル地方と呼ばれる地方です。

同じイタリアのなかで、この地方が、ほかの地方に羨望されている理由はどこにあるのでしょうか。今回は、歴史をたどりながら、この地域の自治の在り方について具体的にみていきたいと思います。その上で、自治制による地域の変化や、この地域の周辺地域や国との関係、また言語や文化的なつながりに注視しながら、現代ヨーロッパにおいて、地域の在り方や地域性とは何を意味するのかについても、少し考えてみたいと思います。

南チロルの歴史

ボルツァーノ(南チロル)とは、北部アルプスの山中に位置する7400 km²の広さのイタリアでも最も大きい県のひとつです。人口は52万人ほどで、イタリア語でボルツァーノ(ドイツ語でボーツェンBozen)という都市を県都とします。

イタリア最北に位置するこの地方の大きな特徴は、ドイツ語を母語とするのが人口の6割と、イタリア語を母語とする人の割合(2割)よりもはるかに多いことです(ちなみに、ほかにも4%が「ラディン語」と(あるいは「レト=ロマンス語」)と呼ばれる少数言語を母語とする人もいます)。

ドイツ語を母語とする人が過半数以上を占めていながら、イタリアの一地方であるという、複雑な事情のルーツは、ちょうど100年前にさかのぼります。なおこの地方の表記は、地元の多数派であるドイツ語話者の表記に準じて、以後、イタリア語の「ボルツァーノ」ではなく、「南チロル」とすることにします。

南チロルは、第一次世界大戦終結までオーストリア・ハンガリー帝国に属していましたが、19世紀後半にイタリア統一運動が進むなか、イタリア側にとっては「未回収のイタリア」の一部と捉えるようになっていきます。そしてオーストリアが敗戦を迎えた第一次世界大戦後は正式にイタリア領となりました。

それから20年後の1939年には、ヒトラーとムッソリーニの間で、南チロルについての新たな合意が達成されます。これにより、南チロルのドイツ語を母語とする人(以下、これらの人を「ドイツ語話者」と表記します)は、当時、ヒトラー支配下にあったドイツ・オーストリアに移住するか、残留するかを選択するかの選択を迫られることになり、1943年に南チロルの住民の3分の1がこの地を去り、3分の2は残留を選びました。

第二次世界大戦が終わると、南チロルに残ったドイツ語話者の多くは、南チロルがオーストリアへ再び帰属することを希望しましたが、戦勝国は、南チロルが引き続きイタリアに帰属するという決断を下します。ただし、1946年には、イタリアとオーストリア両国が、南チロルとそれに隣接するトレンティーノのドイツ語話者の地域に対し、自治権を与えるということで正式に合意しました。これによって、ドイツ語話者たちの間では、それまでのようなドイツ語の使用を禁止する「イタリア化」が強要されず、オーストリアとの関係もより密接となる自治の環境が整うと期待されました。

しかし合意された「自治」は実際にはほとんど機能せず、イタリアのほかの地方からの南チロルへの移住者の数が増加していったため、南チロルでは不満がつのっていきます。1950年代からはイタリアからの分離運動が活発化するようになり、テロ行為も繰り返されるようになりました。最も激しかったのは1961年6月の二日間には、37ヶ所で送電線をねらったテロ行為が勃発しました。

このような状況下、南チロルの行方について国際社会の関心も高まり、イタリア側も現実的な妥協を余儀なくされます。そして、1971年にイタリアの国会で、いわゆる「第二の自治」と呼ばれる南チロルの自治権を認める決議がされます。それ以降、実質的な自治が確立されていくのに従い、徐々に分離独立の動きもおさまってゆき、南チロルは自治権を享受するイタリアの1県という独自の道を歩み、今日に至っています。

171123-1.jpg

「特別自治州」の特権

現在、南チロル県は、隣接するトレンティーノ県といっしょにトレンティーノ=アルト・アディジェ州という「特別自治州」を形成しています。「特別自治州」とは、イタリアに5つしかない、通常州(普通の州)とは異なるその政治的な地位や経済的な権利をもつ州で、その特権的な地位は憲法でも保証されています。

これによって、南チロルでは教育、健康、社会、インフラなど広範囲で自治が認められ、そのために必要な財源として、この地域で収められた税金のうち9割が、一旦国に収めたあとにまたこの地域に戻され、自由裁量で自治運営に使うことができます。2015年の南チロルでは、5億3000万ユーロの歳入がありましたが、これは、お隣のオーストリアの70万人の人口を抱えるチロル州の同年の歳入(3億4000万ユーロ)よりも高くなっています。

潤沢な税収のおかげで、南チロルと、同じ特別自治州に預かるトレンティーノ県の2県では、ほかのイタリアの地域に比べ、教育制度や交通網、ごみの収集など多岐にわたるインフラ・福祉の分野で、公共サービスが充実しています。ただし、単に税収が多いだけでなく、官僚構造が効率的で、政治家や官僚たちの腐敗が少ないなど、運営の仕方や効率性が優れていることも、この地域の特徴とされます。

豊かになった南チロル

自治権の拡大により、南チロルには、平和だけでなく、経済的な豊かさがもたらされました。

2013年の南チロル県の国内総生産額は一人当たり4万ユーロです。これは、イタリアの平均は2万6500ユーロ、オーストリア平均の3万8100ユーロすら超える高さであり、ヨーロッパでも有数の非常に豊かな地域であることがわかります。失業者数も4.4%(2013年)と、イタリア全体の12.2%と比べると約3分の1という低さです。数十年前まで、険しいアルプスの山あいに小さな集落が散在する貧しい山岳地域にすぎなかった南チロルは、現在は、ヨーロッパでも有数の豊かな地域のひとつへと生まれ変わったことになります。

経済は主にサービス産業に集中しており、経済全体の4分の3に相当しています。なかでも強いのが、人やものの移動が自由で、通貨も共通であるほかのEU諸国からの観光客を対象にした観光業と、それに関連する販売や交通関係分野の産業です。風光明媚なアルプスが楽しめ、しかも治安や衛生面でもほかのドイツ語圏に全くひけをとらない高水準で、しかもドイツ語が問題なく通じ、地理的にも比較的近い南チロルは、とりわけドイツやスイス、オーストリアなどのドイツ語圏の人々の余暇スポットとして、高い人気を博しています。

171123-2.jpg

南チロルの人々の生活

わたしも3年前にオーストリア側から南チロルに入ったことがありますが、静かで、ごみもひとつも落ちておらず、ドイツ語の本がずらっと並ぶ本屋が佇む街並みは、どこから国が変わったのか見分けがつかないほど、ドイツ語圏のほかの都市と全くかわらないたたずまい、という印象を受けました。

ドイツ語話者とイタリア語話者が混在する南チロルでは、人々は実際にどのように生活しているのでしょうか。

まず言語ですが、南チロルでは両方の言語を学ぶことが義務になっており、両方の言語を解することが表向きの前提です。しかし現実には、二つ目の言語能力(ドイツ語話者にとってイタリア語、イタリア語話者にとってのドイツ語)が十分でないことが多いといわれます。

また、語学レベルの問題だけでなく、ドイツ語話者とイタリア語話者は、幼稚園から高校まで別々の学校システムがあり、それに通うため、共通のアイデンティティーというものが育つ土壌もないと、長年南チロルに住み、イタリア語をドイツ語の学校で教えるトスカーナ出身の教師のルカGabriele Di Lucaは指摘します(Spalinger, 2016)。

そうやって大人になった人々は、どのように、もうひとつの言語や言語話者に接することになるのでしょうか。仕事上、ドイツ語とイタリア語の話者がいっしょに働くことはもちろんありますが、お互いに必要最低限な接点しかもたないというのが現状のようです。プライベートでは別々の友人サークルや、スポーツクラブに所属することが多く、ドイツ語話者とイタリア語話者の婚姻は、南チロルの全婚姻の1割にとどまります。

イタリア語教師のルカは、なるべくお互いの間に距離をとるという選択肢が、平和的な共存のためにとられてきた、と説明します。特に、高齢のドイツ語話者たちにとっては、イタリア化にとりわけ慎重な姿勢が強く、余計な交流をしないという選択肢を自ら選択してきたといいます(Spalinger, 2016)。

地理的にも住み分けができています。ドイツ語話者は第一産業やツーリズムに就業している人が多く、都市ではなく周辺の地方に住む人が多いのに対し、イタリア語話者は町が多く、県都ボーツェンに限ると、住民の7割はイタリア語話者です。

南チロルのガイドの方に聞いたドイツ語話者の大学進学の話も印象的です。南チロルにも小規模の大学はありますが、総合大学がないため、地元にない専門科目を勉強したい場合は南チロルを出なくてはいけません。その際、どこにいくかというと、圧倒的多数は、オーストリアのチロル州の都市インスブルックにいくのだといいます。法学部に進みたい人だけは、南チロルで法律家として働くためにはイタリアの大学で修学することが不可欠なため、イタリアの大学へいきますが、それ以外の学科で、イタリアの大学に行く人はほとんどいかないのだそうです。

大学へ進学する地域のエリート青年たちが、地理的な利便性(ミラノへは200㎞、オーストリアのインスブルックへは45㎞)や、言語や文化の親和性・類似性から、このように大学を選択したあと、さらに人生はどう変わっていくでしょうか。ここからは推論になりますが、大学でどちらの国にいくかは、仕事や世界観、あるいはパートナーや友人などの交友関係など、将来の個々人の生き方に決定的な影響を与えるのではないかと思います。

これらのことを総合すると、イタリアよりもオーストリアに親和性が強い南チロルの文化やアイディンティティーが世代が移り変わっても、継続していくひとつの筋書きが、そこにも現れているように思われます。

171123-3.jpg

南チロルに対するイタリアのほかの地方の視線

イタリアでは2001年以降、中央から地方への権利移譲がひとつの流れとして進められてきました。しかしそれがかえって腐敗や官僚の肥大化につながっているという見解が近年広がっており、最近はむしろ地方分権の動きを見直す動きが強まっているといいます。

実際に、南チロル同様に、特別自治州であるサルディニアやシチリアなどほかの四つの州においては、南チロルのあるトレンティーノ=アルト・アディジェ州とは異なり、政治や経済がうまくまわっておらず、自治権によってむしろ中央政府に不当に扱われていると感じる人も少なくないと言われます(Spalinger, 2016)。

とはいえ憲法で保証された「特別自治州」下にある南チロルについての自治を見直そうという議論は少なくとも現状ではなく、アルプスの貧村からヨーロッパ有数の豊かな地域へと発展をとげた南チロルの自治体制は、イタリア各地で、羨望のまとになっています。特にその思いが強いのは、イタリアでも豊かな地方です。

例えば、ロンバルディア州(州都ミラノ)は、南チロルがある特別自治州トレンティーノ=アルト・アディジェ州の約10倍の人口を抱え、国内総生産の2割を占めますが、税金としてとられるほうが、中央からもどってくるものよりはるかに多いことに強い不満を持っています。中央に収める税収と戻ってくる額の差額は2015年には、520億ユーロにまで及びました。トレンティーノ=アルト・アディジェ州の5倍の人口のヴェネト州(州都ベネツィア)では、150億ユーロでした。

南チロルのような特別自治州になることは、憲法上の問題があり無理だとしても、とりあえず、南部イタリアなど、自分たちから遠く離れたほかの地域に流れてもどってこない自分たちの本来の税収を、なるべく多く自分たちのところに還元できるようにし、まずは財政枠を広げたい。そのような地方の欲求を中央にアピールする目的で行われた自治権拡大を問う10月22日の2州の住民投票では、どちらの州も9割以上が、賛成という結果になりました。

国という枠組みを超えてつづいているもの

南チロルは、国内の少数民族問題を解決し平和に導いた例として注目されており、講演などに世界から招かれることが多いそうですが、南チロルのケースは、確かに、現代でも各地でみられる自治をめぐる地方と中央の対立、分離独立運動の行方を考える際にも参考になることが多いといえるでしょう。

それらのテーマとは少しずれますが、わたしも、南チロルを訪問した際、個人的に地方の在り方や地域性ということについて、印象に強く残ったことが二つありましたので、最後に触れたいと思います。

ひとつは、南チロルが見出したユニークな地域振興の立ち位置です。南チロルが100年間イタリアに属してきたなかで、さまざまな衝突があり、今も、同じ地域に暮らしているドイツ語とイタリア語を母語とする人々の間での交流が少ないという批判もあります。その一方、自治権を獲得して以降は、地理的・文化的な中間に位置する自分たちの特性を最大限に利用し、ドイツ語圏の観光客を誘致するという平和的で経済的な地域振興に力を注いできたのも事実です。イタリアとオーストリアどちらにもある程度近く、同時に一定の距離を置く形を、自分たちの地域性として捉える、それまでなかった新しい南チロルの「形」や「時代」を作ってきたといえるではないかと思います。

もう一つは、言語や文化といったものは、政治権力や建築のように可視化されるものではないものの、国という枠をらくらくと超えていく強い絆のようなものを作りだす力をもっていると、いう実感です。少し大げさな言い方ですが、少なくともそう端的に感じる出来事が、観光の一コマでありました。

南チロルのワインとソーセージなどを食べ歩く秋祭りTörggelenにホテルのほかのゲストたちと参加した時なのですが、アコーディオンの演奏がはじまると、ドイツ語圏の違う国から来たゲストたちと、南チロルの地元のスタッフたちが、みんな声を合わせて歌いだしました。聞けば、誰もが知っている流行歌だといいます。

ゲストと南チロルの人たちは、お互いに国や地域にいったことがなく、お互いの文化や歴史について詳しく知らなくても、歴史や言語、文化によってなんらかの形でつながっており、それは、国という枠組をやすやすとこえるような、確かなつながりであること。それを、ゲストと南チロルの地元の人たちが声をひとつにして歌っている姿を見て、感じました。わたしが日本出身で、全くそのようなつながりがなく、歌も歌えなかったために、そのようなつながりが、とりわけ強く感じられたのかもしれません。

ドイツ語で流行歌のことは、「フォルクVolk」の「歌lied」で「Volkslied」と表されます。「フォルクVolk」とは、国民を指すこともありますが、歴史や言語、文化によって結びついた人々やその共同体全般を指す言葉でもあります。その晩、歌でつながっていたゲストと南チロルの人たちは、まさに、同じ「フォルク」だったのでしょう。

おわりに

ヨーロッパは、面積が小さい地域に国が密集しており、引かれている国境の密度は世界でも最上位ではないかと思います。この結果、国境の区切で回収しきれない問題や、線引きで新たに生じる対立も頻繁に目にします。

南チロルもそのような衝突や緊張の歴史をもつ地域のひとつですが、現在の南チロルをみると、国という枠組内の地域の軋轢を緩和させる道があることや、逆に国という枠組みでつながっていなくても、ほかの地域とつながる形があることを、自分たちの歩みのなかで、みせてくれているように思われます。

参考文献・サイト

Steininger, Rolf, Südtirol. Vom Ersten Weltkrieg bis zur Gegenwart, Inbsbruck-Wien 4. Auflage, 2015.

Echo der Zeit, SRF, 17.10.2017.

Lombardei und Venetien stimmen für mehr Autonomie. In: NZZ, 23.10.2017

Spalinger, Andrea, Gemeinsam einsam. In: NZZ, 15.6.2016.

Spalinger, Andrea, Die Norditaliener wollen weniger zahlen. In: NZZ, 21.10.2017.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


ドイツ語圏で好まれるおもちゃ ~世界的な潮流と一線を画す玩具市場

2017-11-18 [EntryURL]

今年もまた年の瀬が近づき、玩具業界にとって一年で最大の商戦シーズンであるクリスマスシーズンの到来です。今回はこの季節にちなんで、ドイツ語圏の幼児用の玩具についてレポートしてみます。
ドイツの玩具、と聞くと形も色もシンプルで肌触りのよい木製玩具類を思い浮かべる方も多いかと思います。木製玩具のジャーマン・ブランドは世界的にも有名ですが、当地のドイツやほかのドイツ語圏では、どのような玩具が好まれ、出回っているのでしょう。結論から先に言うと、ドイツの玩具をめぐる状況は、好みや流行りがグローバルなスタンダードに均一化されやすい現代においても、独自路線を貫くレアなケース、というのが玩具市場専門家レンツナー氏Werner Lenznerやドイツの玩具卸売業者団体の専門家たちの間で共通する見解です。
具体的に、ほかの国と比べて、玩具の好みや流行にどのような違いがあり、玩具市場にどんな特徴があるのというのでしょう。以下、具体的に探ってみます。
171118-1.png
玩具の支出額のヨーロッパでの比較
まず、玩具に支出する金額からみてみましょう。2012年のデータでは、子どもひとりに購入する玩具の額は、フランスで300ユーロ、イギリスでは300ユーロ以上であるのに対し、ドイツでは250ユーロにとどまります。
ただし、国内の玩具への支出額の近年の推移をみると、増加傾向がみられます。近年の出生率が低下傾向にあるにも関わらず、2011年の子ども用玩具の総売上げ額は、概算で前年比で3%増の2億3000ユーロで、2016年には、約3億ユーロにまで拡大しています。ドイツで最も玩具への支出が多いのが3歳から5歳の子どもに対するもので、一人当たり300ユーロを超える額が支出されています(Deutsche sind, 2012)。
好まれる国産玩具
ドイツでは、玩具にかける費用は比較的少ない一方、全般として、長持ちする品質や教育的価値・意義が重視され、全般に玩具に期待されていることが多いとされます。言い換えると、安物ですぐにこわれて捨てなくてはならないような玩具に対する抵抗感が強いということであり、安いものをたくさんではなく、高品質の玩具を少量購入するという傾向が強いということになります。
とはいえ、やはり安価の魅力には勝てず、ドイツでも一時期は、安価な中国産玩具が玩具市場の7割を占めるまで増えたこともありました。しかしそれ以上のシェアは伸びず、近年は、全市場の6割を占めるまでに、減ってきています。今後も中国産玩具は、割合としては減ると予想されています。
安物玩具が市場から減っていくのに代わって、売り上げを伸ばしているのが20ユーロ以上の玩具です(Dierig, 2011)。とりわけ高品質で定評のあるドイツの大手玩具メーカのもの、つまりブランド玩具が売れています。
商品の詳細をみると、売れ筋は、新商品ではなく、むしろ玩具として市場にでて久しいスタンダード商品です。それらクラシックな定番玩具は、値下げがほとんどありませんが、親や祖父母の間では、品質をよく知るブランドメーカーの定番玩具への信頼が根強いということのようです。ドイツの大手玩具メーカーのひとつラーベンスブルガー社では、新商品の売り上げは、総売上の3割にすぎず、残りは、クラシックな定番商品だといいます(Dierig, 2015)。
ドイツ産の玩具のシェアが伸びているほかの理由として、中国に生産拠点を移していたもともとドイツの会社が品質維持や、中国での人件費の高額化などの理由から、ドイツやヨーロッパのほかの国に戻ってくる「ドイツ産の玩具のヨーロッパ回帰」 と呼ばれる現象も、指摘されています。1880年創業で年間1億1000万ユーロの売り上げを誇るぬいぐるみ玩具の老舗シュタイフ Steiffもその一つで、2010年以来、生産拠点を中国からドイツに再び移しました(Dierig, 2011)。
171118-2.jpg
玩具の素材や内容
玩具の素材の好みも、国により異なります。南ヨーロッパやイギリス、また世界の大多数の国では、プラスチックが軽くて衛生的で値段も比較的安価であるため、好まれることが多いのに対し、ドイツおよびほかの北ヨーロッパの国では、伝統的な木や布などの自然の素材が、根強く優先されます。
また、玩具のモチーフ(テーマ)にも違いがあります。世界的に人気の映画やキャラクターの玩具が、ドイツでは外国ほど人気がありません。ドイツでは、子どもの玩具はどのようなものであるべきかという一定の伝統的、保守的な基準が今も強く、これに照らし合わせ、外国産のキャラクターグッズは、色がけばけばしい、ヒーローものは攻撃的、人形はセクシーすぎるなど厳しい評価が下されることが強く、子どもに買い与えるのに慎重なようです(Deutsche sind, 2012)。
また、キャラクターの玩具は、値段が比較的高い割には高品質であるとは限らず、また流行があるためすぐ人気がなくなるというネガティブなイメージや、キャラクターの一面的なイメージが強すぎて、こどもの世界観や自発的な遊びや想像力が広がるを阻むという否定的な意見も根強くあります。
とはいえ、ドイツにおいても親の世代の変化に伴い、ディズニーやスター・ウォーズのキャラクターグッズなど、映画のキャラクターの玩具で売れ筋となるものもでてきています。またデジタル媒体を取り入れた玩具への抵抗感も、徐々に減る傾向も観察されると、玩具市場専門家のレンツァーは言います(Deutsche sind, 2012)。
典型的なドイツ語圏の玩具とは?
これらの指摘はあくまでドイツを対象にしたものですが、スイスやオーストリアなどほかのドイツ語圏においても、おおむね当てはまっていると考えられます。
例えば、スイスでもオーストリアでもドイツの 大手玩具メーカーの玩具は店頭でも圧倒的な存在感を示していますし、10年ほど私が勤めているスイスの遊具レンタル施設で貸し出される遊具も、ドイツ人が重視するような素材やテーマを重んじた玩具が主流です。スイスで幼少の子どものいる親や、保育士たちが話してくれる玩具を選ぶ基準やこだわりも、上記のドイツでの傾向と、まったくといっていいほど一致しているという印象を受けます。このため、以後は「ドイツ」に限定せず、「ドイツ語圏」として、以後、話をすすめていきたいと思います。
さてこのように、ヨーロッパのほかの国々や、世界全般の玩具の潮流とは一線を画す、子ども用玩具への独特のこだわりや理解が今も強いドイツ語圏で、具体的に人気のある玩具はどのようなものなのでしょうか。
今回は、就学前の子どもたちの典型的な玩具の例として、「ブレットシュピールBrettspiel(英語の直訳では「ボードゲーム」に当たる) 」や「箱にはいった遊び(道具)Schachtelspiel」とよばれるものを取り上げ、具体的に中身やそこに反映されている考えや価値観をみていきたいと思います(以下、これらの玩具を「箱入り玩具」と表記します)。
171118-3.JPG
子どもの日常世界に身近な玩具
ドイツ語圏の就学前の子どもたちを対象にした「箱入り玩具」類は、なんらかのゲーム性が含まれているものは多いものの、日本語の「ボードゲーム」の範疇よりもかなり広く、実際に多様な玩具が含まれます。特に低年齢(4歳以下)のものは、ゲーム性よりも、穴にさす、ひもに通す、積み上げるなどの手作業や、語彙や言語表現の促進、また触感などの感性に訴えることに終始あるいは重視したものが多くなっています。
玩具のモチーフには、小動物や花、食べ物など、子どもたちが日常的にみかけるものが多いもの特徴です。そして、玩具は、それらのテーマやモチーフを、シンプルで色鮮やかな形の木片やイラスト、布地の素材で表現されたものが一般的です。このため、凝った仕掛けや複雑な形状のものは見当たりません。磁石を利用したものは見られますが、電池が必要な電気部品が含まれるものは、非常にまれです。つまり、箱入り玩具の内容は、一貫して素朴で地味であり、玩具屋でひときわ目をひく斬新さや目新しさとは無縁なものです。また、玩具を使って行う(あるいは行うことが期待される)作業も、穴に入れたり、触ったり、動かしたりという、子どもが日常世界でよく行われるような作業が目立ちます。
こうしてみると、高額を出して、わざわざ買うほどの玩具ではないように思えるかもしれません。しかし、このように日常生活でみかけるモチーフや作業に近いという点が逆に、幼少の子どもの玩具として人気のカギをにぎっているといえるといえるかもしれません。
ドイツ語圏の親や教育関係者たちは、アニメや映画のキャラクターあそびには慎重な人が多いと上述しましたが、逆に好まれるのは、日常的に馴染み深いものや、身近な環境にあるものです。特に、低年齢層のこどもたちは、日常の身近にあるもののなかに、子どもたちの好奇心をそそり、 遊べる素材やモチーフを十分あり、それらを自分たちの自由な発想で遊びに仕立てるのがよいと考えます。
とはいえ、日常環境で、こどもの使いやすい大きさや形、色づかいで、遊びやすく揃って存在することはまれです。だからといって、それらをすべて親が手作りで準備するのにはかなりの手間ひまがかかります。例えば、ひもに穴のあいたものを通す作業は、小さい子どもでも強い興味をもちますが、子どもの技能で通せる穴のあいた適切な材料を、身の回りで見つけるのは容易ではありません。かといって、子どものために、木片にひもが通しやすい大きな穴をあけていくのも大変ですし、第一そのような玩具を作るための道具が手元にない場合も多いでしょう。
それゆえ、いつでも何度でも使える形でコンパクトにまとめられていて、安全性や耐久性でも非の打ち所がない箱入りキットという形は、使い勝手がよく重宝されるのでしょう。先ほどの例で言えば、穴のあいた色とりどりのさまざまな形の積み木と、動物の頭に太いひもがついて掴みやすく、遊びやすいモチーフの玩具がセットになった「箱入り玩具」があります。
「箱入り玩具 」が、積み木やドールハウスなど、定型の箱に入らないさまざまなほかの玩具に比べ、重ねて収納もしやすく、箱に印刷された中身の絵で分別もしやすいため、文字の読めない子どもたちが自ら出し入れや片付けしやすいことも、片付けを自分ですることを学んでいく年齢である低年齢の玩具として、望ましい形といえるでしょう。
さらに保育士たちに聞くと、箱入り玩具で遊ぶことを通して、子どもたが自然に日常生活の本物の世界に一層関心が広げていったり、ほかの 玩具や日常物品を加えいれて新しい遊びや世界を作り出していくきっかけにしやすいという指摘もありました。箱のなかで遊びを完結させず、ゆるくひろく日常生活とつながっていきやすい形であることが、「箱入り玩具」の裏技で、奥深い魅力でもあるようです。
いずれにせよ、種類も豊富な「箱入り遊び 」は、こどもたちを預ける保育園や幼稚園、プレーグループなどで置かれていないところはまずないといえるほど玩具の一つとして定番となっています。
最近増えている「2歳から」シリーズ
このようにすでに、子ども部屋や保育所ですでに地位を確立している「箱入り玩具」シリーズですが、これまで以上に年齢を下げた商品が増えているのが、近年、新たな潮流として観察されます。
もともと低年齢のこどもを対象にした「箱入り玩具」シリーズを主力商品として実績をもつ老舗であるハーバ社 Habaもその一つで、以前「箱入り玩具」といえば、最低でも3、4歳児以上のもので、2歳児対象はほとんどありませんでしたが、近年、積極的に「2歳児」をキーワードにしたラインアップに力をいれています。
2歳児の「箱入り玩具」シリーズの販売は、メーカー側にとって二つの大きなメリットがあると考えらえます。
まず、 2歳児の「箱入り玩具」は、市場も競争もまだほかの年齢層の商品に比べ少ないため、急成長できる潜在的な可能性があることです。とりわけ、 ハーバ社のようにすでに3歳以上の玩具ですでに知名度や定評が高い会社は、ほかの会社よりも有利に、2歳児用の市場に参入することができるでしょう 。
ふたつ目は、2歳児から「箱入り玩具」に慣れ親しんだ子どもたちが、3歳、4歳と成長していく過程で、引き続き同じようなスタイルの上の年齢対象の「箱入り玩具」の利用者として残る可能性が高くなることです。自社の玩具のスタイルに早くから慣れ親しんだもらう形で、末先長い玩具の未来のユーザーを獲得しやすい環境を整えるといえるでしょう。
ただし、上述の分析でみたようにドイツ語圏の親は、質にこだわるだけでなく、保守的な玩具観をもっています。これらの人を納得させられる内容でなければ、市場の開拓は不可能なだけでなく、玩具メーカーとして悪いイメージがついては、のちのちまで販売が不利になる恐れすらあります。
このため、これまで2歳児で必要ないと思われていた(少なくとも存在せず、必要が認められていなかった)「箱入り玩具」シリーズの価値を、親たちに認めてもらうための工夫が必要でしょう。ハーバ社では、親心をくすぐすような発育促進をうたうキーワードを箱に大きく表示し、箱を開けなくても知育効果がわかるようにしています。それと同時にハーバ社では、知育玩具にありがちなおもしろみや味気ないものとして映らないように、自社自慢の木製玩具やカラフルなイラストを多用し、玩具としての高品質性や楽しさのアピールにもつとめています。
171118-4.jpg
おわりに
ドイツ語圏の玩具をめぐる状況をみると、玩具のまわりの環境や親の世代も少しずつ変化している一方で、 玩具へのこだわりや価値観は、いまでもかなり強く残っているといえます。
このような状況下、ドイツの玩具メーカーは、グローバルな時代の潮流とは別に、玩具の固有の地域性を尊重し、人々が愛着をもつ要素を重視してきたことが、最終的に玩具の安定的な売り上げにつながってきたということなのでしょう。一方、過去のスタンダード玩具に安住せず、新たな趣向をとりこむ意気もみられます。
今後さらにドイツ語圏のこだわりの玩具が、世代を移り変えながら、さらにどんな進化をとげていくのでしょうか。わくわくする幼心をこちらも忘れないようにしながら、さらに観察を続けていきたいと思います。
<参考リンク>
Berndt, Marcel, Baby-Whirlpool und Luxusjäckchen - Eltern greifen zu. In: welt.de, 16.9.2011.
„Deutsche sind bei Spielwaren Elektronikmuffel” Im Gespräch: Werner Lenzner. In: faz.net, 25.12.2012.
Dierig, Carsten, Das Kind im Mann lebt. In: Welt.de, 30.1.2015.
Dierig, Carsten, Einzelhandel Deutsche Eltern setzen auf Marken-Spielzeug. In: Marken-Spielzeug??, 23.10.2011.
Hemmerlein, Harald, Interview Simba Dickie Group: Eltern kaufen mehr Spielzeug für Babys. In: Spielwarenmesse.de, Magazin, 09. Dezember 2015.
Kotowski, Timo, Spielwaren-Branche : Knete und Tischfußball statt Hightech. In: faz.net, 25.1.2016.
Ritzer, Uwe, Marken und Spielwaren Einmarsch der Filmfiguren. In: Süddeutsche Zeitung, 25. November 2016

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


ベトナムのネット輸出入に注力している理由

2017-11-08 [EntryURL]

わたしは、初心者の方にセミナーなどでまずお伝えするのは、「専門店化」にしなければ売れないということです。特にサイト販売はそうです。

いろいろ何でも売っているサイトを作っても売れません。

何らかの専門店にする必要があります。

例えば、電化製品をなんでも扱うサイトはダメで、掃除機専門店とか、もっと言えば、中古の掃除機専門店とか、ある機能がついた掃除機専門店とか、赤色の掃除機専門店とかです。
まあ掃除機は現実性ないですが、考え方はそういうことになります。

わたしたち越境ECやネット輸出入ビジネスする者にとって、必ず日本以外に国と関係を持つことになります。

この「国」の専門店化もとても面白いです。

特定の国に特化して輸出したり、輸入するということです。

わたしはよりニッチで障壁が高いところが好きなので、今春からベトナムに特化してネット輸出入をしています。

ベトナムのいいところは(難しいところでもあるのですが)、言語がベトナム語、日本とFTAを結んでいる、銀行振り込みもよく使う、スマホはみんな持っている、親日、などなどあります。
人口ピラミッドの形もいいです。

先日、協業している株式会社J-nextの松井社長とベトナムのホーチミンに行ってきまして、いろんな障壁を取り除いてきました。

どうやって売っていくか、価格帯はどれくらいか……

先駆者的な人がまだいないのでモデリングできません。
テストを繰り返し繰り返しやっていきます。

サイトも作ります。ドメインもできたら.com.vn を使いたいですが最初は.comでいいかなと思っています。もちろんベトナム語で。決済はカードはドン決済はまだできないのでドルになるかもしれませんが、銀行振り込みはドンでいけます。

新しいこと始めるのは楽しいです。
わたしが海外サイト販売したのは10年前です。

個人レベルでは全く誰もやっていませんでした。
ですので五里霧中右往左往しました。

結果でるのに苦労しましたが、大きな利益もとれました。
いわゆる先行者利益的なものでしょうか。今では無理でその時やっていたから恩恵を受けれた感じです。

その味を知っているので、今度はベトナムを狙ってみようと思います。
輸入は結果がでてきているので、今度は本格的に輸出に力を入れていきます。

ベトナムから届いた商材は提携している倉庫会社に納品され、ここからお客様に発送されます。

みなさまもご自身が興味ある国を一度調べてみてはいかがでしょうか。


詐欺師に引っかからないようにするために

2017-11-07 [EntryURL]

11月にはいり、一年で一番売れる時期になってきました。
まさにこれからが書入れ時ですが、注意しておかなければいけないこともいくつかあります。

「詐欺」もそのひとつ。

プレゼント用に購入されるものや転売されやすいもの、高額なものは要注意です。
弊社も昔、腕時計をこの時期めちゃくちゃ売りました。
時計なんか狙われやすい商材ではあります。

毎年たくさん売られる方は経験されていると思いますが、年が明けると返品対応で忙しくなります。
その中に詐欺が混ざってきます。

よくあるオーソドックスなものは、売れて代金をもらってから発送。
到着してから、返品依頼がきます。返品を受けるわけですが、返送されてきた商品は全然違うものが入っているというもの。

またはもっと簡単に、届いたけど商品が入っていなかったとかもあります。

第三者、たとえば配送業者が商品を抜くなど悪いことをするといった可能性もないことはないですが、まあ多くは意図的なバイヤーの詐欺が多いです。

普通にやっていると、アマゾン、eBay、サイト販売(PayPal決済なので)とも、販売者が負けます。結局、強制的に返金になり、商品をとられてしまうということになります。

では、わたしたち販売者はどういった対策を講じればいいでしょうか。

まず、「すぐに発送しない」。

PayPal決済の場合はとても重要です。
別の詐欺であるクレジットカードの第三者利用や、アカウント乗っ取りなどの対策になります。

怪しい取引の場合はPayPalが独自調査をします。
すぐ発送してしまっては、その調査で黒とわかってももはや商品は手を離れ戻らない可能性が高いです。

もちろんハンドリングタイムの関係もありますが、怪しいのはすぐ送らないというのは徹底します。

またその間、バイヤーの情報を集めます。
facebookやGoogleマップで住所を調べましょう。

そして、バイヤーにメッセージを送ります。
購入のお礼と、購入意思の確認です。

もし金額的に大きな商品でなおかつ一品もののようにキャンセルが効かないものなどは、同様のメールを、もしバイヤーがfacebookなどをしていたら、facebookにも送ります。
「念のためにこちらからも送らせてもらいました。」という感じで。

加えて、(これが一番重要なのですが)以下の内容を記載しておきます。

「高額なためこの商品は、第三者の郵便局員立会いのもと梱包し発送させていただきます。間違いがないよう、複数名で宛名、内容物を確認し撮影もしています。間違いなくお手元に届きますのでどうかご安心ください。」

詐欺を考えている輩は、このメールを受け取った後、キャンセルしてきます。
送った後のキャンセルと、送る前のキャンセルは雲泥の差です。

こちらが「徹底している」ということを暗にアピールするのが重要です。

狙われやすいのは、やはり新規セラー、評価が少ないセラーです。
防御もきっちりやってこれからの商戦を売りぬきましょう。


教師は情報授業の生命線 〜 良質の教師を大量に養成するというスイスの焦眉の課題

2017-11-06 [EntryURL]

スイスのドイツ語圏では情報授業が小学校から必修となりましたが、この新しい授業が成功するかの最大のネックは、教材やツールでなく教師だとたびたび言われます。
これまで、一部の州や試験的に実施される場合はあったものの、小学校での情報授業は一般的でなかったため、当然のことながら授業経験をもつ教師もほとんどいません。教えたことがないだけでなく、自分自身が情報に関する授業を人生で受けたこともありません。しかも、国の統計によると、現在の小学校の教師の3分の2が40歳以上で、女性の占める割合は82%であり、一概に年齢や性別でくくることはもちろんできませんが、全般にデジタル媒体に詳しいとは言えない人が多いと言われます。非デジタル世代の現役教師たちが、デジタル世代に情報授業を行う、という複雑で困難な状況において、いかに教師たちを教育するかが、とりわけ大きな問題となります。
前回の記事(「小学生に適切な情報授業の内容とは? 〜20年以上続いてきた情報授業の失敗を繰り返さないために」)で、ホロムコヴィッチ教授が、情報授業について最も重要なのは、成功体験を可能にすることだと述べていましたが、子どもたちをそのような成功体験に導くために、具体的に情報授業はどのように進められていくべきなのでしょうか。また、そのような授業を行う教員をいかに短期で大勢養成していくのでしょうか。現在、各地で焦眉の課題となっている、これら教師と教え方をめぐる問題について、今回も講演と討論会での、引き続きホロムコヴィッチ教授とレペンニング教授という二人の専門家の意見を参考にまとめながら、考えていきたいと思います。
教育大学の情報授業教師養成講座
今秋からいくつかの州で情報教育の教師の養成講座が開講されましたが、どこも定員以上の申し込みがあるという盛況ぶりでした。来年秋から小学校5、6年生で上場授業を必修とすることになったチューリヒ州でも、教育大学の情報教育の講座(90時間)の530人分の定員枠が、小中学校教師の申し込みですぐにいっぱいになったといいます。今後4年間でチューリヒ州では3200人の教師が養成講座をうける予定になっています。
このように情報授業の養成講座を大規模に始動させることは、 デジタル媒体を使った教育についてこれまでほとんど扱ってこなかった教育大学にとっても大きな挑戦であり、課題も山積みのようです(スイスにおいて小学校の情報授業教育者の養成は、いまのところ教育大学のみで行っています)。少なくとも、ホロムコヴィッチ教授は、現在の教育大学の状況における懸念材料をいくつか指摘しています。
まず、教育大学で情報分野を教える教師たちの多くは情報科学の専門家ではなく、メディアの専門家であることです(Das Schweizer ElternMagazin, 2016)。このため、現代のコミュニケーション技術がなにを反映しており、それをどう使いことなすか、あるいは自分がどうそこで表現すべきかなどという点は上手に教えられても、情報についての適切で十分な専門知識を伝達・教授できるのかが、不確かだとします。(Eggli,2017)。
そもそも、2014年にスイスのドイツ語圏に共通する 、情報の授業を必修と決めてモジュールを定めた「 学習計画(Lernplan21)」において、情報の授業は「メディアおよび情報」という枠組みの一分野として位置づけられいるのですが、このことにも問題があるといいます。ネットいじめやフェイスブックに載せていい自分の個人情報などの「メディア」に関わる学習は、「情報」と全く別物であり、それらの問題が重要でないわけではないが、メディア分野に偏った授業になることで、情報の基本理念など情報授業に不可欠な内容に十分な時間が費やされない危険があるといいます。
実際に、いくつかの州ではいまだに情報の名において、メディアについての授業ややデジタルツールの操作方法偏重の授業がされていて、教授が重視するような授業内容とははるかに隔たっているため、今後の展開への疑念はつきないようです(Das Schweizer ElternMagazin, 2016)。
ホロムコヴィッチ教授は、教師が情報を教えることに「不安なのはわかる。それは普通だ。しかし唯一の道は、教師たちからそのような不安をのぞき、示すことだ」とし、建設的に教師をサポートする ために、良質の教材と教師のための指導教材の開発に目下取り組んでいるといいます(Hardegger, 2017)。同時に、教師が不安なく情報授業を行えるように、なおさら(教授にとって)「正しく」科目を教授できる情報専門家が教師たちを養成することが必要だと訴えます。
しかし教育大学のほうでは、ホロムコヴィッチ教授のような情報専門家が、教育大学の情報教師養成講座に関して干渉や強すぎる影響を及ぼすことに対する警戒心が強いようです。このため、ホロムコヴィッチ教授は2005年にチューリッヒ工科大学に「情報教育および相談センターAusbildungs- und Beratungszentrum ABZ für Informatik」を設立し、以後個々の小中学校の生徒と教員を対象にした情報教育で様々な成果やノウハウを積み上げてきたにも関わらず、教育大学との間の直接的な連携・協力関係はこれまでありませでした。ドイツ語圏共通の教育計画「学習プラン(Lehrplan21)」の一環として情報授業の導入を2010年から検討し、2014年に最終決定した審議会にも、2013年7月からホロムコヴィッチ教授が初めて招かれるまでは情報専門家は一切招かれておらず、教育関係者(教育大学、教育関連を専門とする官僚や政治家)だけで審議がされていました。
171106-1.jpg
教師になるための必修科目として
北米コロラド大学を拠点に20年以上にわたり情報の授業と教師の養成に関わってきたレペンニング教授は、2014年から、スイスの北西応用科学大学(アールガウ州,バーゼル州、ソロトゥルン州の3州合同の州立大学)の教育学部の教授としてスイスの情報授業とその教師の養成に直接関わるようになりました。
この教育学部は、2014年にレペンニング教授を招いてスイスではじめての「情報教育学Informatische Bildung 」という専攻分野を設置しただけでなく、今年の9月下旬からさらに、革新的な試みをスタートさせました。 情報教育学を教育学部学生全員の必修科目とするというものです。つまり上記の3州で教鞭をとる未来の教師たちは全員、情報科学を大学時代に学んでいる人たちということになります。情報教育学を教育大学の必修科目にするという教育制度は、スイスはもちろん世界でもまだ例がなく、「この点ではスイスは世界的にも先駆的」とレペニング教授は自負しています。情報教育学は、情報専門の学問と教授法からなるもので、現在この教育学部で800人の学生(25人ずつのクラスで32クラス)が、情報教育学を受講しています。
レペンニング教授は、将来的に、スイスで長年情報授業の普及や教員の養成に独自に取り組んできたホロムコヴィッチ教授のチューリッヒ工科大学やローザンヌ工科大学とも協力しあい、スイスの情報教育を向上させることを目指しています。ホロムコヴィッチ教授も「情報教育および相談センター」の将来的な目標を、個々の教員の養成や学校での指導ではなく、教育大学全般の情報分野の教員養成のための支援と考えているため、今後、教師を対象としたより体系的で高い水準の養成・研修体制が、これらの機関の協力関係のなかで形成されていくことが期待されます。
171106-2.jpg
授業の進め方について
最後に、二人の教授はどんな授業の進め方を情報授業において理想と想定しているのかをご紹介してみます。
まず、教師がまちがいを指摘するのも、解決法を直接伝授するのも、よくないとします。それでは子どもが自分で学習することになっておらず、逆に指摘されることで、自分にはできないと思い込んだり、やる気がそがれることになるためです。生徒たちが自分自身で創造的に作業をし、問題にぶつかれば、自らほかにどんな可能性があるのかをみつけるようにさせるため、教師は、相談役に徹するべきだとします。つまり、ここでは「教えるteaching のでなくコーチング coaching」というのがキーワードとなります。細かな内容やプロセスの正誤確認が必要なのではなく、子どもの試行錯誤のプロセスを全面支援することが、情報授業における教師の最大かつ唯一の使命ということになります。
レペンニング教授の長年の調査では、教師としての経験が豊富で情報科学知識が少ない場合と、その逆の場合(教師としての経験は浅いが情報科学の知識は豊富)をみると、概ね前者のほうが、授業がうまくいくことが多いといいます。これは、情報の授業において、とりわけ、なにかを教えることより、こどもが学ぶのをサポートするのが大事である、という考えと一致しているともいえるでしょう。というのも、子どもたちが情報の基本原理をいかにうまく自分で利用し、自分の考えを発展していけるかというところで、子どもの力を引き出し導く仕事は、教師経験の長い人ほど、得意であるに違いないからです。(ただしこれは、クラスの人数が20人前後でのスイスの場合では可能でも、日本のようにクラスの規模がはるかに大きい場合においては、同様のコーチング体制の導入は難しいかもしれません)
20年後の将来を視野にいれた教育
討論会の最後のほうで、ホロムコヴィッチ教授は、「20年前にインターネットがこれほど社会で重要になることを予測していた未来研究者は一人もいなかった。わたしたちも20年後にどんな仕事があるのか全くわからない。わからないけれど、子ども達に、将来のためになにかを教えなくてはいけない。それでは、一体なにを教えればいいのか。どんな仕事が今のこどもたちが大人になる時代に必要になるのかわからないのなら、クリエイティブに働くことや、考えることができるようにするしかない。そしてそのために、情報科学が役になるのではないかと考える」と発言していました。
現在、すでにスイスでは(パソコンサポーターからウェッブデザイナーまでいれると)約3万人以上の情報専門家が現在不足していると言われますが、現在の情報専門家の人材不足をどう近い将来に填補するかという短いスパンの話ではなく、もっと先の未来、子どもたちの将来の望ましいゴールについてまで展望するという、豊かで刺激的な内容の講義と討論会でした。
171106-3.jpg
<参考文献及びサイト>
——「学習計画21(Lehrplan 21)」の「メディアおよび情報」授業について
Donzé, René, ETH-Professoren warnen vor einer Bildungskatastrophe. In: NZZ, 1.7.2012.
Modul Medien und Informatik
Lehrplan 21
——ホロムコヴィッチ Juraj Hromkovič教授のプロジェクトおよび関連記事(インタビューを含む)
Bettzieche, Jochen, Das ist kein Spiel. In: NZZ am Sonntag, 15.4.2016, 09:07 Uhr.
Carli, Luca De, 20 Jahre lang falsch unterrichtet. In: Tagesanzeiger, 28.10.2017.
Hardegger, Angelika, Schwieriger Wechsel in den digitalen Modus. In; NZZ, 7.4.2017, 05:30 Uhr.
Hromkovič, Juraj, et al., Programmieren mit Logo, Version 3.3, 15. März 2016
Jäggi, Walter, «Jedes Kind muss programmieren lernen». In: Tagesanzeiger, Analyse, 9.7.2013.
Materialien für Schulkinder LOGO
Matter, Bernhard, Projekt „Programmieren in der Primarschule” Beteiligte Institutionen und Personen der ersten Projektphase: Ausbildungs- und Beratungszentrum für Informatikunterricht der ETH Zürich: Prof. Dr. Juraj Hromkovic und Mitarbeitende des Instituts Primarschule Domat/Ems: Pascal Lütscher und Daniela Zanelli, Pädagogische Hochschule Graubünden, Dr. Leci Flepp und Bernhard Matter. Zusammenstellung der Informationsbroschüre: Bernhard Matter 13. August 2010.
Pollim, Tanja, «Informatik macht Spass und schult das Denken». In: wireltern für Mütter und Väter in der Schweiz(2017年10月6日閲覧)
Primalogoについて
Programmieren für Kinder
Ristic, Irena, «Programmieren, so wichtig wie schreiben und lesen» (Interview mit Juraj Hromkovič) In: Friz und Fränzi. Das schweizer ElternMagazin, 3.12.2016.
Weiss, Claudia, Neues Schulfach Informatik? (Interview mit Juraj Hromkovič) In: Migros Zeitung, 24.10.2016.
Zedi, Roger, «Ohne Informatik keine Forschung» (Interview mit Juraj Hromkovič) In: Tagesanzeiger, 6.6.2011.
Zopfi, Emil, Computerbenutzer statt -fachleute. In: NZZ, 6.2.2012.
——レペンニングAlexander Repenning教授のプロジェウトおよび関連記事(インタビューを含む)
AgentCubes Online(ソロトン州の許可で2017年から無料でオンラインで使えるようになった教材ソフト)
Bettzieche, Jochen, Das ist kein Spiel. In: NZZ am Sonntag, 15.4.2016, 09:07 Uhr.
FHNW (Fachhochschule Nordwestschweiz), Kanton Solothurn, Scalable Game Design -Ein Erfolgsmodell Kurzfassung des Schlussberichts, November, 2016.
Professur Informatische Bildung, FHNW(北西スイス応用科学大学教育学部)
Willkommen bei Scalable Game Design Schweiz. In: Scalable Game Design, Fachhochschule Nordwestschweiz, Pädagogische Hochschule
Winkel, Martin, Motiviert: Wenn Kinder spielend lernen, macht das Lernen Spass. In: Coopzeitung, 27.03.2017, 15:00 Uhr
11.09.2017: Preis für Informatische Bildung der PH
——情報授業の教師養成について
Eggli, Marisa, Wie Zürcher Schulen digital aufrüsten. In: Tagesanzeiger, 18.6.2017.
Jacquemart, Charlotte und Koble, Eveline, Riesiger Bedarf an Weiterbildung der Lehrer Montag. In: SRF, News, 14. August 2017, 6:38 Uhr
Miller, Anna, Pflichtfach: Primarschüler sollen programmieren lernen. In: Schweiz am Wochenende, von SaW Redaktion, 18.6.2016 um 23:30 Uhr.
Sieber, Méline, Lehrplan 21 Informatik in der Schule: Umsetzung bereitet Kopfzerbrechen. In: SRF Digital, 22.6.2017, 13:09 Uhr
Wie Informatik Schule macht. In: Luzerner Zeitung, 11.8.2017.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


笑売繁盛株式会社 代表取締役 桶下眞理 氏

2017-11-04 [EntryURL]

okeshitamari2.jpg熊本県生まれ。幼少期までに10回以上引っ越しを経験後、神戸で育つ。

バブル崩壊後の就職氷河期に総合職を目指すも数々失敗。
生活のため、しぶしぶ保険営業職に就職。

お客様のセクハラに耐えきれず、10ヶ月で辞める。
その後、転職をするが、パワハラやブラック企業、リストラ等で、職を転々と変わる。
その数20を超える。

システム会社が倒産をきっかけに、 金なし、コネなし、人脈なし、知識もゼロの状態で独立。

通販店で立ち上げ、無借金経営をし続けている他、多動力を生かし、9つのビジネスの柱を作る。

現在、自由な時間とお金を手にできる開運起業したい女性起業家を支援している。


2017年11月05日号 ビジネスに「顔出し」は必須でしょうか?
2017年12月05日号 産経新聞に2回も紹介された理由
2018年01月05日号 SNSは信用貯金

PAGE TOP




MENU

CONTACT
HOME