現代社会の就労環境と「女性の仕事」の将来の行方 〜ドイツ語圏を中心に
2018-04-09 [EntryURL]
ドイツ語圏での事情と国際比較
前回の記事「謎多き「男女平等パラドクス」 〜女性の理工学分野進出と男女同権の複雑な関係」に引き続き、ジェンダー・パラドクスの問題について、今回はドイツ語圏の事例をあげながら、さらに考えてみたいと思います。
ドイツ語圏(ドイツ、オーストリア、スイス)は、北欧ほど男女同権社会が進んでいないものの、女性の理工学系分野(以後MINT分野と表記します)進出が全般的に遅れており、北欧諸国同様、これを問題視をする状況が続いています。このため、同様の問題はメディアでもたびたび取り上げられてきました。以下、近年のオーストリア国営放送で注目されていた、いくつかの点についてご紹介してみます。
性別に典型的な仕事 〜地域による違い
まず、「男性の(典型的な)仕事」や「女性の仕事」とみなされるものが、もともと世界共通でなく、国によって差異があるという点です (Gruber, 2018)。
南欧やアラブ諸国からの留学生がいるウィーン工科大学で教鞭をとっている女性化学者ラッツァーBrigitte Rather氏は、そのような地域による常識の違いを端的に示す例として、エジプトやイランからの女子留学生に質問した時のエピソードをあげています。女性としてなぜ技術系の科目に進んだのかを彼女たちに訊ねると、質問の意味自体がわからなかったというものです。そして、オーストリアなどの中央ヨーロッパやおそらく北米でも、工学を「男性的」とみなす傾向が強いのに対し、世界的にみると「多くの国では、技術系の科目は逆に『女性にとって伝統的な大学の専攻科目』」であることが多く、女性であることと工学は「彼女たちにとってなんの矛盾もな」い状況であるとしています (Gruber,2018)。
一方、このようにMINT分野が「女性の職業」や「専門」として受け入れられる背景には、MINT分野の職業が、社会的にどう認知されているかも大きいことも指摘されています。
一般的に、OECD(経済協力開発機構)加盟国を含め、世界的な傾向として、高いステイタスをもつ仕事は男性によって占められています。これは逆に言うと、社会的に高く認知されていない分野は、女性が進出しやすい、ということを意味します。
同じヨーロッパ内でも地域において工学分野の社会的な評価が異なり、例えば、スペインやポルトガルでは、工学は、ドイツ語圏ほど社会的に高い評価を得ていません。北や中央ヨーロッパよりも相対的に、工学系の分野を専攻する女性が多いのは、このような社会的な背景が関係すると考えられます。
アラブ諸国でも、宗教などの人文分野の職業が高いステイタスをもち、男性に占められていますが、工学分野は、(アラビア諸国において学問分野によって社会的評価が違うのかという研究はまだありませんが)それらの職業にほどの高いステイタスでなく、それで女性が進出しやすという状況ではないかと考えられます。
「性別に典型的な」仕事の時代による変化
ただし、「女性の仕事」、「男性の仕事」と一般的に捉えられているものも、長期的には変化していきます。
その好例のひとつが、学校教員です。学校の教員はドイツ語圏において男性がなる普通の職業の一つでしたが、現在は男性教員人数が激減しています。スイスでは、1995年に3割を占めた小学校の男性教員は、現在18%にまで減っています。中学以上の学年では男性教員の割合が少し高くなりますが、ドイツやオーストリアを含めドイツ語圏での教育現場は圧倒的に女性が多数派です(男性教員が減った理由と考えられる社会的背景についてはここでは割愛します)。
女性の比率が圧倒的に高くなることで、結果として、男性が教師になりづらい就労環境が形成されてくるとみられ、社会全体としてはもう少し男性教員が増やたほうがいいという声が強いにもかかわらず、男性教員数がなかなか増えてこないのが現状です。
前例の有無
オーストリア国営放送では、MINT分野で活躍する女性の前例が乏しいという事実にも注目しています(Mädchen, 2017)。前例がなくても飛び込んでいく人たちももちろん一定数いるでしょうが、全般に、前例が多ければ多い分野ほど、進出しやすくなると考えます。
この解釈がぴったり当てはまっているように思える話を、先日耳にしました。スイスの情報分野、チューリヒ州に二つある情報専門高校の一つの学校の話なのですが、この学校の昨年卒業した生徒も女子は一人で、今年度入学した約50人の生徒でも女子学生も一人だけだったというのです。
この極端な男女比率だけでも驚きますが、スイスで小中学校での情報授業を広範に展開してきた二人の専門家が言っていた話を思い出すと(小学生に適切な情報授業の内容とは? 〜20年以上続いてきた情報授業の失敗を繰り返さないために)なおさら、衝撃を覚えます。二人の教授は口を揃えて、授業では男子も女子も全く差がなく授業に熱心に取り組んでいた、と言っていたためです。
授業として強い関心や能力を示す女子生徒がいる一方、情報専門の高校に進学する生徒には大きなギャップがあるという状況はどう説明できるのか、そう考えると、私には、前例が乏しい、という説がかなり有力に思えます。前例がないと、ほかの同性(女性)にその専門学校について伝わる情報量が相対的に少なくなるだけでなく、同性が少ない学校生活への期待や魅力が減る、そういった悪循環ができてしまうように思われます。
ただし、特定の職業に対する見方が時代とともに変化していくように、情報分野をとりまく学生の状況も、今の状況が未来永劫に続くわけでなく、近い将来、変化する可能性が十分あります。
例えば、オーストリアのフォアアールベルク州では、女子生徒だけを対象にした学校見学会を毎年開催するなど、州をあげて工学・技術系の高等専門学校への女子生徒の進学を奨励することに力をいれています。この甲斐あってか、今年度、この5年生の学校に入学した女子の割合は、全生徒の3分の1を占めるまでに増加したといいます(就業と学業の両立を重視した教育課程が充実するフォアアールベルク州の高等教育については、「地域経済・就労のサイクルに組み込まれた大学 〜オーストリアの大学改革構想とフォアアールベルク専門大学の事例」をご参照ください)
現代社会の就労全般の議論のなかでの女性のMINT分野進出の可能性
「男女同権の」社会のあるべき姿として、女性がまんべんなくどの分野においても、男性と同じように活躍するのが望ましいとすれば、現在の(少なくとも男女同権が進んでおりMINT分野にすすむ女性が少ない)状況は、変わっていかなくてはいけないもの、と捉えられます。
他方、個々人が自分で希望する職種をできるだけ選べることが望ましい、とするなら、現在の男女格差の少ない国で起こっていように、自分のより得意な分野に進む女性が多く、MINT分野に進む女性が結果として相対的に少ないという状況も、問題であるようにみえません。
さらに、視界を社会全体に広げれば、現在、急激なテクノロジーの発達や高齢少子化という社会構造の変化を背景に、就労状況や環境が大きく変化しており、これらに伴い、就労をめぐって新たな問題が生じており、混乱やパラドクスが生じているのは、女子のMINT分野の就労の問題に限ったことではないともいえます。
例えば、新しい働き方を奨励・保護する新たな枠組みを作ろうとしても、具体的な制度案となると、意見が強く対立しており、いまだに決定的な展望が開かれてはいません(「フレキシブル化と労働時間規制の間で 〜スイスの労働法改正をめぐる議論からみえるもの」)。
また、ここ数年のヨーロッパでは、家庭での性別役割分担やワーク・ライフ・バランスなど、有償の就労を大前提とする議論だけでなく、就労をもっと根幹から違う見方でとらえる構想がでてきました。就労を生活のためと狭くとらえず、有償無償を問わずそれぞれが目指すことを人生で実現することを是とし、そのための教育機会や最低限の生活費用を社会の成員すべてに保障しようという、ベーシックインカム構想です(ベーシックインカム 〜ヨーロッパ最大のドラッグストア創業者が構想する未来)。
まだこの構想を、恒常的な社会保障制度として正式に導入した例はありませんが、いくつかの地域で実験的に取り入れられたり、専門家の間で真剣に可能性が議論がされるようになってきました。スウェーデンの大手通信機器メーカーエリクソンが昨年末まとめたトレンド研究調査「10 Trend 2018」でも、アンケートで32%に人が人生を意義深いものにするのに仕事が必要だとは必ずしも思わないと答え、10人に4人は趣味が新しい収入源になる可能性を信じ、49%がベーシックインカム制度に興味をもっているという調査結果がでています(Ericsson, 10 Trend)。就労をめぐる議論が、ベーシックインカム構想などを刺激にして、新しい次元に移行しつつあるのかもしれません。
このように就労をめぐる理想や目指す方向性自体が、ダイナミックに揺れ動き混沌としている状況ですが、一つ確かに思えるのは、就労と生活のバランス、個人の自己実現の仕方、また長命化した人生の就労の意味やライフステージの分け方など、これまでよりもずっと多くの就労にまつわる要素が、就労する女性にも男性にも重要な割合を占めるようになってきていることです。つまり、もちろん進路や職業の選択は、就労の問題の重要な部分であることには変わりありませんが、同時に、ほかの就労にまつわる要素との調整が不可欠となってきたということだと思います。
このような傾向がこのまま続くのだとすると、MINT分野が女性にも魅力的な職場として認識され定着していくために、社会が必要なことが見えてくる気がします。MINT分野での環境整備やその分野への女子の進路を奨励するといった直接的な働きかけだけでなく、個々人のキャリアと生活や多様な要望が調整、調和できるようにする、そう仕向けていく、そのような視点が、一層、重要になっていくということではないかと思います。
参考文献・サイト
Ericsson, 10 Trend 2018(2018年4月9日閲覧)
この報告書の概要について担当者がインタビューで説明しているビデオ
Hot Consumer Tech Trends for 2018, December 11, 2017
Fulterer, Ruth, Mint-Fächer: “Nicht allein die Biologie”. In: Zeit Online, 7. März 2018, 16:46 Uhr Editiert am 14. März 2018, 7:55 Uhr
Gruber, Katharina, Nicht überall ist Technik ein „Männerfach”. In: Ö1-Wissenschaft, 8.3.2018
Mädchen fehlen weibliche Vorbilder, Science ORF at, Publiziert am 13.02.2017
Obermüller, Eva, Paradoxie der Gleichberechtigung, ORF at, Science, 14.2.2018.
Stoet, Gijsbert and Geary, David C., The Gender-Equality Paradox in Science, Technology, Engineering, and Mathematics Education. In: Psychological Science, 14.2.2018, First Published February 14, 2018.
※ただし、私がこの論文で読んだのは、概要部分のみです。前回まとめた論点に関する部分は、この文献リストにある論文の要約記事をもとに作成しました。
Wittenhorst, Tilman, MINT-Studium: Frauen weniger interessiert, wenn sie die Wahl haben. In: heise online, wissen,20.02.2018 16:46 Uhr
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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