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越境ECグローバルカンファレンス 「Retail Without Borders」のお知らせ

2018-04-26 [EntryURL]

日本企業の海外進出促進のための
スペシャルイベントが開催されます。

2018 年5 月23 日(水)、ベルサール九段 (東京都千代田区)で越境EC グローバルカンファレンス、「Retail Without Borders Tokyo」が日本で初開催されます。一年に一度開催される「Retail Without Borders」は、ヨーロッパにおいては、最大規模のマーケットプレイス・カンファレンスと位置づけられています。

世界をリードするマーケットプレイスが集結。グローバル展開を目指すマーチャントが一同に集まり、業界の最新トレンドを学び、ネットワークを構築する場として開催されています。

2018年はロンドンだけでなく、東京で5月23日(水)に初開催致します。国内外のマーケットプレイスを招き、日本企業の皆様に有意義な場を提供されます。日本の越境ECのイベントにおいて、他に類を見ない国際色豊かなイベントになることは間違いありません。

グローバル・オンラインセールスを加速し、国際的なブラント認知度を高め、現地の通関事情、国際発送、言語障壁をナビゲート。クロスボーダー(越境)e コマース分野のキーパーソンから最新情報とケーススタディなどのノウハウを学べます。

会期中には、8つの基調講演、マーケットプレイスによるプレゼンテーション、4つのパネルディスカッションが予定されています。登壇予定者は約20 人以上。国内外を代表する業界のキーパーソンから、業界の現在、将来を見据えた業界動向を学ぶチャンスです。

海外販路拡大に関心がある日本企業、越境EC ビジネスを成⾧させたい企業にとっては見逃せないカンファレンスです。

参加対象

●越境ECに新規参入する企業 (ご担当者様あるいは責任者)
●海外へ販路拡大を目指す企業 (ご担当者様あるいは責任者)
●越境ECに関連のある企業

※ 同業他社および個人の方のご参加はお断りさせて頂く場合がございますので予めご了承ください。

参加のメリット

  • 会場規模400 名以上、来場者は海外販路拡大を目指す企業様が中心。
  • マーケットプレイス、業界のエグゼクティブとの交流。
  • 現地体験・経験から学ぶ、エデュケーショナル・アジェンダ。
  • 深まる越境EC への洞察力、国際的なe コマースの成功に導くための知見と事例に焦点。
  • E コマース関連企業とつながる欧米スタイルのネットワーキングを提供。

イベント当日のアジェンダ

09:30- 受付開始

10:00開催 <第一部>

■越境ECグローバルカンファレンス/Retail Without Bordersへようこそ (Laurence Guy, CEO, We Are Pentagon)
■グローバル・マーケットプレイスへの「ワンゲートウェイサービス」のご紹介
■「越境ECを活用した海外販路拡大に向けて」(JETRO 草場 歩氏)
■[基調講演] オンライン販売者向けの外貨サービスのご紹介(張 継章氏、事業開発総責任者、ワールドファーストジャパン)
■マーケットプレイスによるプレゼンテーション
■東南アジア最大級のECサイト「Lazada」(Will Ross氏, CEO Lazada Crossborder, Lazada)
■アメリカ第二位のネットショップ「Newegg」(Sophia Tsao氏、VP, Newegg Global Marketplace)

12:00- <第二部>

■ランチネットワーキング
■[基調講演] DHLジャパン株式会社
■海外フルフィルメント・リターンサービスのご紹介 ( Al Gerrie氏、CEO, ZigZag Global)
■[パネルディスカッション] EC業界における持続的なイノベーションのあり方
■マーケットプレイスによるプレゼンテーション
■中国オンライン小売最大大手「JD.com」(荒井 伸二氏、日本業務最高責任者、JD.com京東日本株式会社)
■世界190ヵ国へ販売「イーベイ・ジャパン株式会社」
■国際版マーケットプレイスの直近の取り組み「楽天株式会社」

15:00-<第三部>

■コーヒーブレイクネットワーキング
■[パネルディスカッション] マーケットプレイスが小売業界に起こした変化と近い将来
■[基調講演] アジェイルデータの不可欠な時代 - もう準備はできていますか?(Volker Schmidt氏、Productsup株式会社)
■欧州マーケットプレイスの最新情報と参入方法 (Graham Broughton、Managing Director Europe、We Are Pentagon)
■データ保護時代のヨーロッパ・コンプライアンス事情 (Bela Scweiger, President, Enter Japan)
■[パネルディスカッション] 新規市場参入時の海外マーケティングの事例 (佐伯陽子氏、株式会社アーティーズ他)

18:00-19:00

■カジュアルドリンクレセプション

※スケジュールやコンテンツの内容等に関しては、予告なく変更が生じる場合がございます。

開催日などの詳細とお申し込み

開催日:2018 年5 月23 日(水)

場所:ベルサール九段 (東京都千代田区)

定員:400名

参加費は無料:軽食ランチ・飲料も含まれます。

事前の登録が必要です。お早めに こちらよりお申し込みください。ご入場の際は、必ず2枚の名刺をご準備の上、イベント会場3F受付にお越しください。


東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(2) 〜移民の受け入れ問題と鍵を握る「どこか」派

2018-04-23 [EntryURL]

移民、難民の受け入れについて
前回「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(1) 〜 「普通」を目指した国ぐにの理想と直面している現実」でみてきたように、東ヨーロッパ諸国では、EUに加盟以降、人口が減少の一途をたどっており、国内の高齢化や若者労働人口の流出など、深刻な影響がでています。そのような状況に、2015年以降は、難民の分担受け入れという、新たな難題をEUに迫られるようになりました。
外国からの難民や移民を受け入れたくないという強い感情をもち、断固難民の分担受け入れを拒否する姿勢を崩さない東ヨーロッパの背景として、政治学者クラステフは、東ヨーロッパの国内が現在同質性が非常に高い国である点に言及していました(Mijuk, Orban, S.6)。
確かに、これまでほとんどいなかった文化的背景の人を、同質性の高い社会に受け入れていくのは、大きなチャレンジであり、危惧がつきまとうというのが本音かもしれません。
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西ヨーロッパ諸国の場合
一方、視線の向きを変えて、西ヨーロッパにおいて、分担受け入れ案が可能なのか(もちろん社会全体をみると反対派も少なくありませんが、政府レベルでは分担を推進するのが西側の立場です)を考えてみます。するとなにより、すでに移民を受け入れてきた実績があることが、東ヨーロッパよりも分担案に抵抗が少ない、主要な理由であると思われます。
西ヨーロッパでは、特に第二次世界対戦後の経済成長期から、相当数の移民が移住してきました。これまで不穏な動きもたびたびあり、現在も厳しい対立や緊張関係がみられる地域もありますが、それとは別に、それらの移民たちの就労なしには経済や社会が立ち行かない事実を、大多数の人は日々の生活のいろいろな場所で感じています。例えばスイスでは住民の4人に一人が外国人で、スイス国籍に移籍した人も加えれば全体の3割程度になるといわれていますが、この人たちが突如いなくなったら、どうなるでしょう。そう考えると、移民の受け入れの是非の結論はあまりにも明白です。
また、西側諸国が移民を受けていくのにあたりインテグレーションの重要さを実感し、インテグレーションを推進するためのノウハウやそれを推進するイニシアティブも官民両者で充実させ、それなりの成果を出してきました(「ヨーロッパにおける難民のインテグレーション 〜ドイツ語圏を例に」および穂鷹「職業教育」2017)。
若い世代は、このような社会での外国出身者の役割を認識する以前から、学校という共に学ぶ場所で外国出身者やそのこどもたちと密接なコンタクトがあり、年齢が高い世代よりも、さらにずっと外国出身者への違和感が少ないと考えられます。ちなみにスイスの都市部では、学級全体で外国出身者の親をもつ子どもたちのほうが、スイス国籍の親をもつ子どもよりも多いという学級がむしろ普通になってきているほどです。
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「どこか」派と「どこでも」派
ただし、若い世代を中心に、移民や難民への受け入れ姿勢が柔軟になってきたといっても、あるいはそのように時代や社会が変化していく時にこそ、年齢の高い世代の人が大切にしてきた伝統的な価値観や、農村分など周辺地域の住民たちの心境、あるいはもともと古い伝統や旧来の生活の在り方を好む人の嗜好にも考慮し、それらを尊重する姿勢、また新しい時代に取り残されることへの危惧や不安もまた、非常に重要で、敬意や配慮が十分払われることが必要に思われます。
イギリスのジャーナリストDavid Gooodhartは、イギリスがEU離脱を決めたことを分析するための独自の観点として、イギリス人を「どこかSomewhere 」タイプと「どこでもAnywhere 」タイプの人に分けて論じています(Mijuk, Populismus, 2018)。
「どこか」の人たちとは、安全、伝統、家族などを重視し、変化に慎重な保守派で、自分のアイデンティティーは、個人というより、なんらかの所属する集団に求めます。学歴はそれほど高くなく、地域に根付いていた生活や就労をしています。
これに対し「どこでも」タイプの人は、順応性や柔軟性にたけ、自主性が強く、所属するグループではなく、自分が成し遂げることに重きを置きます。都会に多く、学歴は全般に「どこか」タイプより高い傾向にあります。
そして、ブレグジットは、この二つの社会グループの深刻な対立を背景に起こったといいます。具体的には「どこでも」派の人たちが社会を過去25年間に大きく変えたことに不満をつもらせた「どこか」派による「反動」、と解釈します。
今後の鍵となる東ヨーロッパの「どこか」派
イギリスに限らず、どこの国にも、この二つのモデルに類似するものが存在し、国内に少なからぬ緊張関係を常に作っていると考えられるのではないかと思います。
そして、これを現在の東ヨーロッパの文脈において考えると、 EU離脱を決めたイギリスのように、「どこか」タイプの人が、今後の国の政策や、しいてはEU全体の政策にも決定的な影響を与える、重要な鍵を握っているように思います。
自分たちが大切に考え、あるいは守るべきと考えている安定した共同体に根ざした生活、あるいは文化や治安までが、社会の体制の変化や難民の流入で、失われてしまうのではないか、という危惧。あるいは、自分たちが社会から十分な配慮を得ておらず、置き去りにされているのではないかといういらだち。そして、そのような衝動につき動かされて強まっていく、ほかの人たちへの嫉妬や不満。これらの感情が個人の心情で強まれば強まるほど、全面的に世界観がずれていくのでしょう。
このような近年の状況について、クラステフは、「難民危機によって、全般に、選挙民は、中道左派から右や極右へ移行した」と簡明にまとめています(不安や悩める人たちと右翼や極右の台頭との関係については、「「悩める人たちのためのホットライン」が映し出すドイツの現状 〜お互いを尊重する対話というアプローチ」もご参照ください)
おわりに
人口縮小化、高齢化、そして難民や移民問題。東ヨーロッパで起こっているこれらの問題は、世界やEUという大きな枠組みに密接につながっていて、小国一国で対応するのは到底不可能な難題です。そんな東ヨーロッパには一体どのような道が残されている、あるいはどのような道へ進むべきなのでしょうか。そして、第三国のわたしたちは、ここから、なにを学べるでしょうか。
クラステフは、鋭い分析や解説に徹していて、インタビューで具体的な提案をなにもしているわけではありませんが、現在重大な局面に立っているEUという超国的共同体の意義について、最後に以下のように述べています。
「時にはいい兆しはみえず、ただなんとかもちこたえることだけしかできない、あるいはそれが必要な時代もある。EUは今そのような時代にいるのだろう。EUはとりあえず持ちこたえることができれば、それがなにより一番の存在の正当化になるだろう。長く存続すればするほど、より正当性が高まっていくものであるから。それは、まだ新しい発明にすぎない国民国家にも当てはまる。」(Mijuk, Orban, S.7)
そして、EUを引っ張っていくリーダーたちについては、以下のような観察をし、間接的に助言を呈しています。
「問題の一部は、西ヨーロッパのエリートたちが、これまで順調に成功してきて、高度に技術官僚的に発達してきたヨーロッパにおいて、余裕(冷静さ)を失ってしまっていることだ。混乱を耐える辛抱強さ。民主主義とはそもそも定義の上では、混沌としてシステムだ。」(Mijuk, Orban, S.7)
民主主義が「混沌としたシステム」であると受け止め、楽観でも悲観でもなく、混乱期を耐える、という時代も世界も超越したような語り口は、社会主義時代のブルガリアを生き抜いたクラステフならではと言えるでしょう。同時に、そんな彼の言葉だからこそ、口先だけの表現に聞こえず、なんとかなりそうなたのもしさや力強さを感じるのは、わたしだけでしょうか。
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<参考文献>
Mijuk, Gordana, «Der Populismus ist die neue Sozialdemokratie». Mit ihrer Offenheit gegenüber Zuwanderungs habe Labour in Grossbritanien ihre Wähler vergrault, sagt Auto David Goodhard. Der Brexit war eine Antwort auf die Ignoranz der Elite. In: NZZ am Sonntag, 7.1.2018, S.7.
Mijuk, Gordana, «Orban und Putin geben Wählern das Gefühl des absoluten Sieges» Der Westen war einst Vorbild der Osteuropäer. Doch heute halten sie Europa für dekadent. Sie wollten den Kontinent zur demokratischen Autokratie machen, sagt Politologe Ivan Krastev. Interview: Gordana Mijuk. In: NZZ am Sonntag, International, 18.3.2018, S.6-7.
穂鷹知美「職業教育とインテグレーション――スイスとスウェーデンにおける移民の就労環境の比較」『Synodos』2017年11月1 日

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(1) 〜 「普通」を目指した国ぐにの理想と直面している現実

2018-04-17 [EntryURL]

世界の潮流や問題が凝縮してみえる東ヨーロッパ
EUの旧社会主義圏の国々の動向や政治的リーダーの発言が、近年たびたび、西側の人々を戸惑わせています。西側諸国では、東ヨーロッパについての報道が比較的少なく、全体の状況や背景がみえずらく、単発的なニュースを聞くだけでは、社会が反民主主義的な方向へ向かっているようにみえるためです。
そんな中、東ヨーロッパの事情やそこに住むの人々の気持ちが少しわかったような気になる記事に会いました。ブルガリア人の先鋭政治学研究者イワン・クラステフ Ivan Krastevへのインタビューです(Mijuk, Orban, 2018)。また、少しわかった気になるだけでなく、クラステフの平易な解説によって、そこで起きていることが、日本やほかの国でも他人事ではなく、むしろ共通する世界的な潮流や問題が多いことにも気づかされました。
今回と次回の記事では、インタビュー記事の東ヨーロッパの状況を分析した部分を抜粋しご紹介し、世界的に共通する潮流や問題と捉えられるいくつかの側面について具体的にみていきたいと思います。日本や世界で起こっている現代の共通の問題を、自国を中心にみていくのではなく、普段は日本との関係が薄い東ヨーロッパの問題として、少し距離を置いて観察することによって、問題の本質やその社会背景が、少し違った角度や相対的な視点から捉えられることができればと思います。
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現在の東ヨーロッパを読み解く
まず、クラステフの東ヨーロッパについての分析の主要な論点をご紹介します。
●旧東ブロックが夢見た「普通な国」
冷戦終結後、旧東ブロックでは、普通に戻りたいというのがたった一つの願いだった。そのたった一つの「普通」という願いは、西側の市場経済や民主主義、そして高い生活水準と結びついていたものだった。
●人口変化、加速する高齢化
しかし、冷戦終結から四半世紀たった現在、その頃東ヨーロッパが想定していなかった、いろいろな問題が生じてきた。まず、若者を中心に出国する人が後を絶たず、冷戦終結の1989年以後、人口が減り続け、高齢化が加速しながら進んでいる。
●これまでの「理想」とのずれが鮮明化
また、これまでやみくもに「手本」として捉え、いかに近づくかが課題だった西ヨーロッパと、自分たちが求める「理想」との間にギャップがあることにも気づき始める。
それが特に顕著になったのが、2015年の難民危機以降である。EUが、ギリシャとイタリアに流入した難民を加盟国で分担して受け入れることを要請したのに対し、ハンガリーやポーランドなどの東ヨーロッパ諸国は強い反感と疑念をもつようになる。
●東ヨーロッパの同質性と移民の受け入れ
ここで留意しなければいけないのは、東西ヨーロッパの国のなかの同質性、端的に言えば住民のなかの移民の割合である。
東ヨーロッパの国々は、現在も、住民の同質性が極めて高い。ポーランドは98%が民族的にも同じポーランド人で、イスラム教徒は0.1%しかおらず、文化的に統一されている。ハンガリーにも、ほとんどがハンガリー人しか居住していない。
これは、西ヨーロッパの状況と非常に異なっている。(国全体で住民の2割程度、都市部では3割以上が移民的背景をもつ人々というのもめずらしくない 筆者註)
この結果、従来、移住者の流入に慎重な姿勢である保守勢力の立場も、東と西では大きく異なる。西側の保守勢力は、政治や宗教的な理由でインテグレーション(移住者の移住先の社会での平和的な共存や統合)ができない人を問題視するが、東の保守勢力は、インテグレーションが可能だと想定していない。自分たちの民族的な均質性を保ち続けることが重要課題であり、インテグレーション自体を恐れていると言えるほどである。東ヨーロッパの保守勢力が求めているこのようなことは、西の保守勢力には、すでにオプションでなくなって久しい。
●東ヨーロッパの新たな構想
ただし東ヨーロッパの国々は、EUが自分たちに必要であり、EUを離脱するのも現実的でないことも承知している。このため、東ヨーロッパは、別のプランを構想する。それは、東ヨーロッパがヨーロッパを新しく作っていくというものだ。
そのような考え方の先駆者が、ハンガリーのオーバン Viktor Orban 首相にあたる。彼は2017年夏、次のような意味のことを言った。過去25年間ヨーロッパは我々にとっての手本であった。しかし今は我々がヨーロッパにとっての手本である。ヨーロッパはこれまで少数派を守ることに心をくだいてきたが、われわれは、多数派の権利を守る民主主義だ、と。
一方、国内においては、これ以上西側に国民が流出しないために、自国のすばらしさをたたえ、魅力的なものだと説得・演出する。そして国民にとって故郷にとどまることこそ幸せなのだと強調する。
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オーストリアにあるアフガニスタンの食品店

世界的に共通する潮流や問題
上記の東ヨーロッパについての分析は、日本やほかの先進国と共通する重要ないくつかの潮流や問題を提示しているように思われます。いくつかの点に焦点をあててみてみます。
海外への労働力流出
まず、EU内で起こっている、大規模な一方向への人口移動です。冷戦終結からこれまで、ポーランドから250万人、ルーマニアからは350万人が西側へ流出しています。
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「2001年から2011年までのヨーロッパの人口推移(自治体ベースの統計)」
赤が強い地域は人口が増加しており、青が強いと人口が減少している
出典: BBSR Bonn 2015

物価や賃金が高い豊かな方の国の方に、物価や賃金が低い国から労働力が流れているわけですが、EU圏の中での賃金や物価の格差が減らない状況下、これはどうやったら食い止められるのでしょう。あるいは、そもそも、食い止めるべきなのでしょうか。
より賃金が高い、あるいは社会保障が整備されている国で就労したいと思う人の流出を食い止めようということ自体は、個々人にとっては、諦め難い希望でしょう。
また、不足する低賃金の労働力をそれらの人々が補ってくれることは、労働者が来てくれる国の住民にとっては、全般的にみて、短期的な不都合を取り除いてもらえるありがたいことでしょう(排外的な動きがそれらの人への反発としてでてくることはありますが)。
東ヨーロッパ社会への影響
一方、労働力が西に流出する東ヨーロッパの社会や、単純労働力として西側に就労する人々にとっては、短期的にも長期的にも大きな打撃や影響を残します。
例えば、働きざかりの世代の労働力が西側に吸い上げられることで、東側の国々は、働き手の人々を失い経済的に打撃となるだけでなく、子育て世代の母親たちが自分たちの子どもを自国において、海外の介護や子守といったケア部門に出稼ぎにでることで、母親がほとんど不在で育っていく子どもたちが増えていきます。世界の豊かな国を頂点にして、このようなケア労働の連鎖が世界各地でできていますが、西側ヨーロッパと東側のヨーロッパの間にもそのような強い連鎖・依存関係が形成されてきています。
また、単純労働で母国より安易に高賃金が得られるため、高等教育を修了せずに、西側諸国へ向かう多くの若者自身も、将来の問題を抱え込みます。雇用が不安定なだけでなく、将来のキャリアアップが難しいためです(ケアやデリバリー部門の人々の就労の在り方やそこでの問題については「人出が不足するアウトソーシング産業とグローバル・ケア・チェーン」もご参照ください)。
先日、ハンガリー人と話をする機会があり、このような海外での就労に向かう若者たちを非常に憂慮する声が聞かれましたが、この問題は、冷戦終結後、ハンガリーの高等教育の学費が高額になったため、高等教育課程へ進学すること自体が難しい若者も増えてきたことにも大きな原因があるとしていました。
若者の労働人口が偏って流出することで、社会の高齢化が一挙に進みます。どこの国でも農村から人口が都市に流入し、農村で過疎化・高齢化が進むといった現象は、産業化のはじまりとともに、ずっと起こってきてはいましたが、それがEU圏内という国の枠を超えた大きな移動の規模で、また、一国の政策や管轄が及ばない形で起こってきていることになります。
次回は、難民受け入れ問題からみえる世界的な潮流について
次回は、特に、2015年以降の難民受け入れ問題をめぐり西ヨーロッパと対立するようになった東ヨーロッパでの状況を中心にして、東ヨーロッパからみえる世界的な潮流について引き続き考え、解決にむけた手がかりを探してみたいと思います
<参考文献>
Mijuk, Gordana, «Orban und Putin geben Wählern das Gefühl des absoluten Sieges» Der Westen war einst Vorbild der Osteuropäer. Doch heute halten sie Europa für dekadent. Sie wollten den Kontinent zur demokratischen Autokratie machen, sagt Politologe Ivan Krastev. Interview: Gordana Mijuk. In: NZZ am Sonntag, International, 18.3.2018, S.6-7.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


現代社会の就労環境と「女性の仕事」の将来の行方 〜ドイツ語圏を中心に

2018-04-09 [EntryURL]

ドイツ語圏での事情と国際比較

前回の記事「謎多き「男女平等パラドクス」 〜女性の理工学分野進出と男女同権の複雑な関係」に引き続き、ジェンダー・パラドクスの問題について、今回はドイツ語圏の事例をあげながら、さらに考えてみたいと思います。

ドイツ語圏(ドイツ、オーストリア、スイス)は、北欧ほど男女同権社会が進んでいないものの、女性の理工学系分野(以後MINT分野と表記します)進出が全般的に遅れており、北欧諸国同様、これを問題視をする状況が続いています。このため、同様の問題はメディアでもたびたび取り上げられてきました。以下、近年のオーストリア国営放送で注目されていた、いくつかの点についてご紹介してみます。

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性別に典型的な仕事  〜地域による違い

まず、「男性の(典型的な)仕事」や「女性の仕事」とみなされるものが、もともと世界共通でなく、国によって差異があるという点です (Gruber, 2018)。

南欧やアラブ諸国からの留学生がいるウィーン工科大学で教鞭をとっている女性化学者ラッツァーBrigitte Rather氏は、そのような地域による常識の違いを端的に示す例として、エジプトやイランからの女子留学生に質問した時のエピソードをあげています。女性としてなぜ技術系の科目に進んだのかを彼女たちに訊ねると、質問の意味自体がわからなかったというものです。そして、オーストリアなどの中央ヨーロッパやおそらく北米でも、工学を「男性的」とみなす傾向が強いのに対し、世界的にみると「多くの国では、技術系の科目は逆に『女性にとって伝統的な大学の専攻科目』」であることが多く、女性であることと工学は「彼女たちにとってなんの矛盾もな」い状況であるとしています (Gruber,2018)。

一方、このようにMINT分野が「女性の職業」や「専門」として受け入れられる背景には、MINT分野の職業が、社会的にどう認知されているかも大きいことも指摘されています。

一般的に、OECD(経済協力開発機構)加盟国を含め、世界的な傾向として、高いステイタスをもつ仕事は男性によって占められています。これは逆に言うと、社会的に高く認知されていない分野は、女性が進出しやすい、ということを意味します。

同じヨーロッパ内でも地域において工学分野の社会的な評価が異なり、例えば、スペインやポルトガルでは、工学は、ドイツ語圏ほど社会的に高い評価を得ていません。北や中央ヨーロッパよりも相対的に、工学系の分野を専攻する女性が多いのは、このような社会的な背景が関係すると考えられます。

アラブ諸国でも、宗教などの人文分野の職業が高いステイタスをもち、男性に占められていますが、工学分野は、(アラビア諸国において学問分野によって社会的評価が違うのかという研究はまだありませんが)それらの職業にほどの高いステイタスでなく、それで女性が進出しやすという状況ではないかと考えられます。

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「性別に典型的な」仕事の時代による変化

ただし、「女性の仕事」、「男性の仕事」と一般的に捉えられているものも、長期的には変化していきます。

その好例のひとつが、学校教員です。学校の教員はドイツ語圏において男性がなる普通の職業の一つでしたが、現在は男性教員人数が激減しています。スイスでは、1995年に3割を占めた小学校の男性教員は、現在18%にまで減っています。中学以上の学年では男性教員の割合が少し高くなりますが、ドイツやオーストリアを含めドイツ語圏での教育現場は圧倒的に女性が多数派です(男性教員が減った理由と考えられる社会的背景についてはここでは割愛します)。

女性の比率が圧倒的に高くなることで、結果として、男性が教師になりづらい就労環境が形成されてくるとみられ、社会全体としてはもう少し男性教員が増やたほうがいいという声が強いにもかかわらず、男性教員数がなかなか増えてこないのが現状です。

前例の有無

オーストリア国営放送では、MINT分野で活躍する女性の前例が乏しいという事実にも注目しています(Mädchen, 2017)。前例がなくても飛び込んでいく人たちももちろん一定数いるでしょうが、全般に、前例が多ければ多い分野ほど、進出しやすくなると考えます。

この解釈がぴったり当てはまっているように思える話を、先日耳にしました。スイスの情報分野、チューリヒ州に二つある情報専門高校の一つの学校の話なのですが、この学校の昨年卒業した生徒も女子は一人で、今年度入学した約50人の生徒でも女子学生も一人だけだったというのです。

この極端な男女比率だけでも驚きますが、スイスで小中学校での情報授業を広範に展開してきた二人の専門家が言っていた話を思い出すと(小学生に適切な情報授業の内容とは? 〜20年以上続いてきた情報授業の失敗を繰り返さないために)なおさら、衝撃を覚えます。二人の教授は口を揃えて、授業では男子も女子も全く差がなく授業に熱心に取り組んでいた、と言っていたためです。

授業として強い関心や能力を示す女子生徒がいる一方、情報専門の高校に進学する生徒には大きなギャップがあるという状況はどう説明できるのか、そう考えると、私には、前例が乏しい、という説がかなり有力に思えます。前例がないと、ほかの同性(女性)にその専門学校について伝わる情報量が相対的に少なくなるだけでなく、同性が少ない学校生活への期待や魅力が減る、そういった悪循環ができてしまうように思われます。

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ただし、特定の職業に対する見方が時代とともに変化していくように、情報分野をとりまく学生の状況も、今の状況が未来永劫に続くわけでなく、近い将来、変化する可能性が十分あります。

例えば、オーストリアのフォアアールベルク州では、女子生徒だけを対象にした学校見学会を毎年開催するなど、州をあげて工学・技術系の高等専門学校への女子生徒の進学を奨励することに力をいれています。この甲斐あってか、今年度、この5年生の学校に入学した女子の割合は、全生徒の3分の1を占めるまでに増加したといいます(就業と学業の両立を重視した教育課程が充実するフォアアールベルク州の高等教育については、「地域経済・就労のサイクルに組み込まれた大学 〜オーストリアの大学改革構想とフォアアールベルク専門大学の事例」をご参照ください)

現代社会の就労全般の議論のなかでの女性のMINT分野進出の可能性

「男女同権の」社会のあるべき姿として、女性がまんべんなくどの分野においても、男性と同じように活躍するのが望ましいとすれば、現在の(少なくとも男女同権が進んでおりMINT分野にすすむ女性が少ない)状況は、変わっていかなくてはいけないもの、と捉えられます。

他方、個々人が自分で希望する職種をできるだけ選べることが望ましい、とするなら、現在の男女格差の少ない国で起こっていように、自分のより得意な分野に進む女性が多く、MINT分野に進む女性が結果として相対的に少ないという状況も、問題であるようにみえません。

さらに、視界を社会全体に広げれば、現在、急激なテクノロジーの発達や高齢少子化という社会構造の変化を背景に、就労状況や環境が大きく変化しており、これらに伴い、就労をめぐって新たな問題が生じており、混乱やパラドクスが生じているのは、女子のMINT分野の就労の問題に限ったことではないともいえます。

例えば、新しい働き方を奨励・保護する新たな枠組みを作ろうとしても、具体的な制度案となると、意見が強く対立しており、いまだに決定的な展望が開かれてはいません(「フレキシブル化と労働時間規制の間で 〜スイスの労働法改正をめぐる議論からみえるもの」)。

また、ここ数年のヨーロッパでは、家庭での性別役割分担やワーク・ライフ・バランスなど、有償の就労を大前提とする議論だけでなく、就労をもっと根幹から違う見方でとらえる構想がでてきました。就労を生活のためと狭くとらえず、有償無償を問わずそれぞれが目指すことを人生で実現することを是とし、そのための教育機会や最低限の生活費用を社会の成員すべてに保障しようという、ベーシックインカム構想です(ベーシックインカム 〜ヨーロッパ最大のドラッグストア創業者が構想する未来)。

まだこの構想を、恒常的な社会保障制度として正式に導入した例はありませんが、いくつかの地域で実験的に取り入れられたり、専門家の間で真剣に可能性が議論がされるようになってきました。スウェーデンの大手通信機器メーカーエリクソンが昨年末まとめたトレンド研究調査「10 Trend 2018」でも、アンケートで32%に人が人生を意義深いものにするのに仕事が必要だとは必ずしも思わないと答え、10人に4人は趣味が新しい収入源になる可能性を信じ、49%がベーシックインカム制度に興味をもっているという調査結果がでています(Ericsson, 10 Trend)。就労をめぐる議論が、ベーシックインカム構想などを刺激にして、新しい次元に移行しつつあるのかもしれません。

このように就労をめぐる理想や目指す方向性自体が、ダイナミックに揺れ動き混沌としている状況ですが、一つ確かに思えるのは、就労と生活のバランス、個人の自己実現の仕方、また長命化した人生の就労の意味やライフステージの分け方など、これまでよりもずっと多くの就労にまつわる要素が、就労する女性にも男性にも重要な割合を占めるようになってきていることです。つまり、もちろん進路や職業の選択は、就労の問題の重要な部分であることには変わりありませんが、同時に、ほかの就労にまつわる要素との調整が不可欠となってきたということだと思います。

このような傾向がこのまま続くのだとすると、MINT分野が女性にも魅力的な職場として認識され定着していくために、社会が必要なことが見えてくる気がします。MINT分野での環境整備やその分野への女子の進路を奨励するといった直接的な働きかけだけでなく、個々人のキャリアと生活や多様な要望が調整、調和できるようにする、そう仕向けていく、そのような視点が、一層、重要になっていくということではないかと思います。

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参考文献・サイト

Ericsson, 10 Trend 2018(2018年4月9日閲覧)

この報告書の概要について担当者がインタビューで説明しているビデオ
Hot Consumer Tech Trends for 2018, December 11, 2017

Fulterer, Ruth, Mint-Fächer: “Nicht allein die Biologie”. In: Zeit Online, 7. März 2018, 16:46 Uhr Editiert am 14. März 2018, 7:55 Uhr

Gruber, Katharina, Nicht überall ist Technik ein „Männerfach”. In: Ö1-Wissenschaft, 8.3.2018

Mädchen fehlen weibliche Vorbilder, Science ORF at, Publiziert am 13.02.2017

Obermüller, Eva, Paradoxie der Gleichberechtigung, ORF at, Science, 14.2.2018.

Stoet, Gijsbert and Geary, David C., The Gender-Equality Paradox in Science, Technology, Engineering, and Mathematics Education. In: Psychological Science, 14.2.2018, First Published February 14, 2018.
※ただし、私がこの論文で読んだのは、概要部分のみです。前回まとめた論点に関する部分は、この文献リストにある論文の要約記事をもとに作成しました。

Wittenhorst, Tilman, MINT-Studium: Frauen weniger interessiert, wenn sie die Wahl haben. In: heise online, wissen,20.02.2018 16:46 Uhr

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


謎多き「男女平等パラドクス」 〜女性の理工学分野進出と男女同権の複雑な関係

2018-04-03 [EntryURL]

男女同権が進む国のパラドクス

理系分野への女性の進出を奨励しているのに、実際に進む女性の割合がいまだに少ない。日本でも欧米でもこんな話をよく聞きます。しかし、男女同権が進んでいる国の方が、男女同権があまり進んでいない国よりも、理工学分野へ進む女性の数がさらにずっと少ない、ということはもうご存知でしょうか。

「男女平等パラドクス」と言われるこのような状況は、どうして生じてくるのでしょうか。今回と次回の記事では、この現象について、今年発表になった論文と、オーストリア国営放送の関連レポートを手がかりにしながら、考えてみたいと思います。パラドクス現象の直接的な原因や背景についてみていくだけでなく、ドイツ語圏の具体的な事例もみながら検証し、現代の就労環境において、女性の理工学分野への進出のために何が重要なのかについて探ってみたいと思います。まず今回は、今年2月に発表され話題となったイギリス人心理学者Gijsbert Stoetとアメリカ人の同僚 David C. Geary が発表した共同論文 (Stoet and Geary, 2018)の論点を、ご紹介していきます。

※自然科学や工学系の分野は、数学、情報、自然科学、技術の頭文字をとって、ドイツ語では「MINT分野」あるいは「MINT科目」と呼ばれています(英語圏での「STEM」に相当)。今回と次回で扱う事例や文献はドイツ語圏のものが多いため、これらの分野の総称として、以下、ドイツ語の表記「MINT」を使用することにします。

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女性の進路と学問的な能力の関係

これまで一般的に、男女同権が社会で進み機会が均等になればなるほど、女性と男性の職業選択の差異は消失すると捉えられてきましたが、このような理解は、現実と大きく食い違っています。

グローバル・ジェンダー・ギャップ・インデックスで上位に位置し、男女同権が社会で最も進んでいるとされるノルウェーやフィンランドでは、MINT分野を専攻する全学生のなかの女性の占める割合は20%以下であるのに対し、同じインデックスで性差による差別が大きいとされる国のほうが、平均してMINT科目を学ぶ女性が多いという結果がでているためです。最たる例は、アルジェリア、チュニジア、アラブ首長国連邦で、MINT科目の卒業者の40%が女性です。

一方、論文著者が、50カ国以上の40万人以上の15歳から16歳の生徒の成績を、2015年のピサ・テスト(OECD(経済協力開発機構)が進めている国際的な学習到達度に関する調査Programme for International Student Assessmentの頭文字をとって通常PISAと呼ばれているもの)のデータをもとに調べたところ、MINT科目の成績で、男子生徒と女子生徒の差はほとんどありませんでした。男子と女性の成績が同じであったのが26カ国、男子生徒がわずかに上位であったのが22カ国、女子生徒のほうがわずかに上であった国が19カ国という結果です。

つまり、女子生徒も男子生徒と同じくらいMINT科目ができていることになります。しかしそれなら、なおさら、女子生徒がMINT分野へ進む割合が少ないのでしょう。

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「できる科目」と「一番よくできる科目」

女子のMINT 分野への進出が遅れているのには、なにかほかの理由があるのでしょうか。それを説明するのに、論文の著者は、別の事実に注目します。それは、女子生徒が男子生徒と同等にできるMINT 科目以外に、もっとよくできる科目がある場合が多い、という事実です。

全般に男子生徒はほとんど MINT科目が一番好成績の科目であるのに対し、女子生徒の多くは MINT科目よりも読解力のほうが優れています。つまり、女子学生がMINT分野が男子生徒と同じくらいできる一方、読解能力では男子生徒を上回っていることになります。

なぜ女子学生は読解のほうがMINT科目のほうが得意なことが多いのかの理由(同時に男子において、MINT 科目より読解が劣る理由も)についてはここでは深入りせず、とりあえず女子生徒のなかで読解能力のほうがMINT分野の能力よりも高いという事実に注目してみます。

すると興味深いことに、男女格差が少ない国々では、とりわけ女子の一番得意な科目が読解であることが多く、MINT分野で働く女性が最も少ないという傾向がみられました。さらに、MINT科目について、男子は全般に、とても興味や自信があるのに対し、女子は自分の能力を過小評価する傾向が世界的にみられ、特に男女格差が少ない国で、その傾向が強いということもわかりました。

得意な分野を活かしたいという願望

論文著者は、これらの点、MINT科目以外に、女子生徒にとって「よりよくできる科目」があり、他方MINT科目には成績の割には自信がもてないでいる状況が、女子生徒が職業選択する時に大きな意味をもつ、と主張します。読解のほうがMINT科目よりも得意な女子生徒たちは、MINT分野ではなく、最終的にそれ以外の分野でのキャリアの道に進む、というわけです。

確かに、好きだから得意になるのか、得意だから好きになるのかわかりませんが、得意な科目は好きになる可能性が高く、その結果として、その分野に進みたいと思う人が増えても不思議はありません。

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社会環境や制度の影響

また、自分がどんな分野が得意だとか好きだとかいう直接的な能力は願望とは別に、生徒たちが住む社会的な環境も、進路決定に大きな影響を与えているとも、著者たちは言います。特に、社会保障がしっかりしている豊かな国であると、自分の才能や好きなことを生かして仕事にするといった、進路を選ぶ際の自由な決断の余地がより大きくなるといいます。

これらの国々では、MINT分野の就労が比較的高収入であるという事実も、進路決定にそれほど大きな影響力は与えません。給与額よりも、自分の好きなものや興味を優先する傾向が現代の若者に強いとされます(Fulterer, 2018)。

女性のMINT分野への進出率が高い国々

一方、社会的な保障が少なく、経済的にも将来への不安が大きく、男女同権が進んでいないような国々では、MINT分野の専門性を身につけているかいないかは、女性の将来にとって決定的な違いを生み出すとされます。

そのような社会環境では、MINT分野のキャリアを積むことが、女性にとって安定した職や高収入のチャンスを与えてくれる数少ない進路となるため、好むと好まざるとに関わらず、MINT分野に進む女性が、相対的に増える結果になっていると考えます。

著者の二つの案

さて、このように現状分析をする著者自身は、具体的にヨーロッパ諸国で、女性のMINT分野への進出が進展するにはどうしたらいいと考えているのでしょうか。インタビューでこのような質問を受けた著者の一人Stoetは、二つの案、「分別ある案」と「クレイジーな案」とする案を提示しています(Fulterer, 2018)。

分別ある案としては、学校に在学中の生徒に科目を選択させないことを提案します。早期に科目を選択できなくすることで、MINT科目を長く勉強しなければならなくなると、女子生徒も、それらの科目への失望感を克服できるはずだとします。

もう一つのクレイジーな案としては、MINT科目を専攻する女性への優遇措置(差別化)をあげます。氏が教鞭をとるイギリスではMINT科目に進む女性の授業料を免除する案をあげ、もともと大学の費用が無料のドイツでは女性だけに奨学金を出す。「そのような経済的なインセンティブは機能するだろう」と言います。

おわりに 著者が提示する新たな疑問

一方、上記の案を示した直後、著者Stoetは、次のような疑問も呈しています。「しかし、公平な成果をもたらすために、不公平なシステムを打ち立てるべきなのでしょうか?」(Fultere, 2018)。

確かに、女性のMINT問題は現在多くの国で、(女性がある特定の専門分野に不在であるという意味で)倫理的・社会的問題と捉えられていますが、そのような状況を改善しようという方法についてもまた、(女子と男子と同じに扱うのが公平なのか、それとも女子が少ないので女子を優遇するのが公平なのか、という)どの公平さに最も重きを置くべきかという倫理上の解釈が絡んでおり、社会的許容範囲や合意が問われ、対応や改善策も簡単ではなさそうです。

次回は、ドイツ語圏で指摘されているほかの論点と、それに即した具体的な事例をみていきながら、女性のMINT分野にこだわらず、社会でどんな就労形態が求められているのかを、さらに考えていきたいと思います。

※参考サイトについては、次回の記事のあとに一括して掲載いたします。ご了承ください。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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WorldFirst (ワールドファースト) オーストラリア セミナー

2018-04-02 [EntryURL]

お世話になっている、WorldFirst (ワールドファースト)さんがセミナーを開催されます。
弊社も昨年から注力しているオセアニア向けのセミナーです。

内容はとても興味深く、将来の収益の柱に育つ可能性の高いマーケットです。
質の高いセミナーですが、ご参加は無料です。是非ご参加ください。

セミナー・アジェンダ(暫定)

開始前のネットワーキング

ご挨拶:
Ray Ridgeway レイ リッジウェイ WorldFirstオーストラリア マネージングディレクター


オーストラリアとニュージーランドの市場について

マーケットプレイスの可能性(Amazonオーストラリア/ニュージーランドTrade Me)

Amazonオーストラリアでの販売について

Amazonアカウントの登録

GST(物品サービス税)の登録

IOR(輸入者)またはACP制度について

FBAの利用

オーストラリアの配送事情(直送の場合の郵便事情も含む)

オーストラリアにおける売れ筋カテゴリー(中古品を含む)

Amazonオーストラリアのポリシー(プライム、タイムセールなど)

オーストラリア購入者の性質(返品など)

質疑応答

名刺交換/ネットワーキング

日時: 4月17日(火)
13:30(開場) 14:00 – 17:00
場所: 東京都千代田区神田和泉町1-1-16 KONKOビル7階 ハロー貸会議室秋葉原駅前 Room A

日時: 4月18日(水)
13:30(開場) 14:00 – 17:00
場所: 大阪府大阪市中央区西心斎橋1-13-18イナバビル2F ハロー貸会議室大阪心斎橋2F

セミナー参加費は無料です。
招待制の先着順ですので、お席が確保できてから正式なお申し込をしていただきます。

お申し込みの受付は終了させていただきました。




ダイヤモンドが将来も輝くために必要なものは? 〜お金で買えないものに寄り添うマーケティング

2018-03-23 [EntryURL]

「輝きを失うダイヤモンド」
今年早々、こんな新聞の見出しが、目にとびみました(Gallarotti, 2018)。ダイヤモンドと言えば、その輝き同様に高価な価値が不変にあるもの、となんの疑いももたずに考えていましたが、記事を読むと、なるほど、現在ダイヤモンドは厳しい状況下にあることがわかりました。なぜダイヤモンドをめぐる状況が近年、変化しているのでしょう。
今回は、まず、ダイヤモンド業界が現在抱えている状況とその問題についてみてゆき、後半は、ダイヤモンドへの見方や需要が変わった社会の方で、一体なにが起こっているのかについて目をむけてみたいと思います。ただし、社会での変化というのでは、あまりに漠然として扱いにくいので、この問題のキーになっていると思われる、ステイタスやシンボルの変化に話を絞って進めていきたいと思います。このなかで、現代のドイツやヨーロッパ全般において、なにがステイタスとして重視されているかだけでなく、そのようなステイタスはほかのモノやコトとどうつながっており、マーケティングの新しい可能性はどこにあるのかなどについても、探ってみたいと思います。
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ダイヤモンド産業の景気
まず最初にダイヤモンドをめぐる現状と今後の見通しについて、アメリカの大手コンサスタント会社ベイン・アンド・カンパニーが昨年暮れに発表したダイヤモンド業界についての昨年のレポートから、概観してみます。
ダイヤモンド業界は、需要が大きい国の経済状況などによって短期的には需要にブレがみられるものの、長期的な見通しとしては、2030年ごろまで世界的な需要はさらに1〜4%増え、一応、安泰という見通しが示されています。ただし中国とインドの中間層の間では確かに需要が伸長しており、これが世界的な需要も押し上げていますが、世界の多くの国ではむしろ需要の伸び悩みがみられます。レポートでは、これを、「ダイヤモンド宝石類の需要の景気後退Slowdown」とし、「ダイアモンド産業が直面している長期的な課題」のなかでも「もっとも焦眉の課題」としています(Linde, et. al, 2017)。
ダイヤモンドの需要が減っている背景として、いくつかの要因が考えられます。『ノイエ・チューリヒャー・ツァイトゥンク』(略してNZZ)の記事では、特に以下のような点を、需要後退の主要因としてあげています(Gallarotti, 2018)。

・若者の宝飾に対する認識の変化

最も大きな要因とされるのは、宝飾全般に対する認識の変化です。とりわけ「若い世代が彼らの親や祖父母と異なる宝飾類への理解がある」と言います。例えば、若い世代ではピアスやタトゥーが高い人気を博していますが、これらは一種の「宝石の代替」的な役割を担っているとします。

また、若い世代は、商品を全般にオンラインで購入することがとりわけ多い世代ですが、オンラインの購入では全般に、(自分の目で確認できない)品質よりも、値段に敏感になる傾向があります。このような購入スタイルや、質や値段についての捉え方は、従来の店頭でのジュエリーの販売方法とは根本的にそりがあわず、そのような販売手法のジュエリーでは、どうしても苦戦してしまうと分析します。

・紛争ダイヤモンドの問題

ダイヤモンドの需要や人気を下げる要因は、宝飾への考え方やファッションの変化だけではありません。一つは、紛争ダイヤモンド(ダイヤモンドの産出国が紛争地域にあってダイヤモンドが紛争の資金源にされること)の問題です。紛争ダイヤモンドを国際的な流通網から駆逐する努力は繰り返しされてきてはいますが、国際社会において制裁手段が徹底できていないため、完全に根絶するのが難しい状況だといいます。

・合成ダイヤモンドとの競合

さらに、近年、合成ダイヤモンド(人工ダイヤモンド)が安価で製造できるようになったことで、ダイヤモンド業界での競争が一層激しくなると考えられます。現在の合成ダイヤモンドの市場規模は小さいものですが、天然ダイヤモンドと合成ダイヤモンドの違いは素人ではほとんど判別不可能であり、合成ダイヤモンドは紛争地域から出自でないことがはっきり証明できるため、今後合成ダイヤモンドが広く出回っていく可能性があります。

・産出国の労働環境や環境問題

NZZでは触れられていませんが、ほかにも産出国での採掘労働者の就労状況、採掘現場周辺の環境問題などが、たびたびメディアで批判的に報じられており、華麗なダイヤモンドには犯罪や紛争への加担や南北問題、といった負のイメージもまたついてまわっているのが実情です。

このようなダイヤモンドについてまわるグレーあるいはダークなイメージが、世界的に環境や社会の公平性について関心や意識が強い人たちの間で、ダイヤモンドを敬遠させていることは十分考えられます。

社会における変化 現在のステイタスとは?
次に視線をダイヤモンドから、社会全体の変化のほうに向けてみます。社会がダイヤモンドへの見方を変化させていったのだとすれば、どんな理由や背景があるということなのでしょうか。
ここで手がかりにしたいのは、2013年にドイツのオンラインの戦略代理店「ディフェレント」が行った、人々が欲しいと思うものについてのアンケート調査の結果です。無作為抽出で約2000人の様々な年齢の人にオンラインで行ったものだそうですが、アンケートの結果は一般に公開されていないため、以下は、情報を提供されその内容について掲載したドイツの大手日刊紙 „Welt am Sonntag”といくつかの関連メディアの報道をもとにしてまとめました。
お金で買えないものを望む人たち
このアンケート調査で注目されるのは、欲しいものはなにかという質問への回答で、上位10に入った回答のうち9つが、お金で購入することにできないものだったことです。
一番多かったのが、自分の時間で、すべての世代で90%の回答者が、欲しいものにあげました。ほかには、無期限労働契約、こどもをもつこと、結婚すること、上手に料理ができること、常に世界情勢についてよくわかっていること、ボランティアで働くこと、健康でいること、多言語をしゃべることといった事項が回答上位に入りました。
一方、アンケートが行われた5年前といえば、スマホが今よりも目新しく感じられたはずですが、スマホを所有すること、という回答はトップ10に入っていません。SNSで多くの人とコンタクトをとるのが望ましいと答えたのも16%にとどまります。むしろ回答者の半分以上が、意識的にスマホやインターネットを使わない時間をもうけることが、他者から距離を置くために重要と答えています。
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唯一お金で買えるモノで、上位トップ10に入ったものは、自分が所有する住宅(戸建やマンションなど)で、回答者の80%が欲しいと回答しています(4位)。
全体として、回答者の年齢が高くなればなるほど、また富裕になればなるほど、非物質的なものが重要になり、顕示的(人にみせびらかすため)な消費への意欲がうすれる傾向がみられます。例えば、18歳から29歳の世代では、自宅を購入したいとするのが、全体の比率より高く84%にものぼり、友達に強い印象を与えるようなことをしたいと考えている人は、42%いました。一方、50歳以上で、同じように友達に強い印象を与えるようなことを希望する人の割合は14%にとどまっています。
上位には入りませんでしたが、クラシックなステイタススンボルを望む回答ももちろんありました。例えば回答者の48%が欲しいものとして車をあげています。一方、パソコンやスマホを欲しいと回答したのは回答者の16%、ファッション、時計、宝飾を欲した人たちはさらに少ない割合でした。
現在の状況は?
このアンケートはいまから5年ほど前にドイツで行われたものですが、現在はどうでしょうか。
アンケート調査の責任者イェムリヒ氏は、当時、将来はこのような状況にさらに拍車がかかるだろうとしていますが、わたしの印象としても、このような傾向が現在も強くあるように感じます。お金で買えないものを求めるという傾向は、なにより、ドイツを含め現代のヨーロッパ社会が全体的に、モノが十分にゆきわたった久しい状況にあることと関係が深いでしょう。モノがあふれている時代に、モノをかざしてステイタスを示すことは、難しいと考えられるためです。
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さらに近年の、シェアリング・エコノミーの広範な分野での興隆が、このような傾向にさらに追い風をおくっているのかもしれません(「シェアリング・エコノミーを支持する人とその社会的背景 〜ドイツの調査結果からみえるもの」)。自己が所有することに固執せず積極的にシェアする人たちは、モノを所有するという行為自体に、相対的に低い価値や意味しか見出していないことになりますが、このような考え方の人が増えれば増えるほど、あるいは、そのような考え方が社会に認められれば認められるほど、モノに付加されていた社会的な価値は、相対的に低くならざるをえず、モノをめぐる価値体系全体が、地盤沈下を起こしていくように思えます。
お金で買えないステイタスにつながるモノ
ところで、この調査の責任者であるイェームリヒDirk Jehmlich氏は、調査結果に基づき、ほかにも興味深いふたつの指摘をしています。
まず一つ目は、このような新しい、お金で買えないステイタスを求めるトレンドは、必ずしもモノを求めないということに帰結するとは限らないという分析です。一見アンケート結果と矛盾するように思われますが、物質的な需要はなくなるわけでも、非物質的な需要と矛盾するわけでもなく、むしろ、その新しいステイタスを示すシンボル、つまり新しいモノの消費が拡大する可能性がある、という指摘です。
例えば、自分のための時間をもつということ、それは休息をとるためにボートや別荘を買うということにつながるといいます。総じて、「非物質的なシンボルは、それを表明するなにかのプロダクトが必要。そこにマーケティングのチャンスがある」と考えます。
確かに、このようなイェームリヒの説が妥当と思えることは、ほかにもいろいろ考えればありそうです。例えば、有機農業食品のブーム(「デラックスなキッチンにエコな食べ物 〜ドイツの最新の食文化事情と社会の深層心理」)がなぜ起きているのかと考えるとき、環境や健康への高い意識をもつ人が、その思想に合致するモノを求めており、その思想に有機農業がうまく合致したから、と捉えられるかもしれません。
同様に、トヨタのプリウスが高級車であるにもかかわらず欧米でよく売れたのは、プリウスにはほかの車種と異なりハイブリットしかなく、自分がエコに行動するだけでなく(それだけの目的ならもっと安いエコカーでもよかったわけですが)、それをほかの人にも顕示しステイタスを示したい人の気持ちをくすぐったためだという指摘がありますが、これもステイタスを表明するプロダクトであったからこそよく売れたのだ、と捉えることができそうです。
トレンドをつくり出す人たちを指針にしたマーケティング
もう一つイェームリヒ氏は、ある一定の数の人たちが自分たちの意識や考えを社会に広げていく影響力と、その利用可能性について、おもしろい指摘をしています。
調査の結果、多くの人は、人々が経済的に富裕なエリートより、知識や意識が高いエリート層に属したいと願っていることがわかったのですが(ここでいう知識や意識が高いエリート層とは、自分たちの価値規範を擁護する立場をとる人たち全般を指します)、これらの人たちの考えやふるまい、ライフスタイルなどが、ほかの人たちに共感されることが多く、最終的に、単なる意識の高いエリートであるだけでなく、ほかの人や社会を先導する影響力をもっていると考えます。
これらの人たちは、言葉を代えて言えば、「社会の先駆者でありトレンドをつくっていく人」であり、企業にとってはマーケティングの重要な指針となるキーパーソンということになります。このため、企業は、これらの人々の動向をとりわけ重視することで、トレンドに単に乗り遅れないようにするだけでなく、自らがトレンドを先取りする形で展開できる可能性があるとイェームリヒ氏は指摘します。
その一例として、ドイツの国鉄の例をあげています。国鉄は、それまでの褐炭の火力発電源を多く使っていた電車の電力源を、すべて再生エネルギーに切り替えるという、環境意識がとりわけ高いエリートグループに直接アピールする戦略をとったところ、顧客数を大幅に増やすことに成功しました。マーケティング部のレーコプフ氏Manuel Rehkopfはこのことを振り返り、環境意識が高いエリートグループが「とりわけ発言力が強く、その意味でマルチプライヤー(乗算器)」になっていたと言います。
おわりに
そろそろ冒頭のテーマにもどって、まとめてみましょう。ダイヤモンドには、今後どのような道が待っているのでしょうか。ベイン・アンド・カンパニーのレポートでは、ダイヤモンド業界に、これまで以上にマーケティングに力をいれることでなんとか乗り切る道を示しますが、NZZ の記者は、それで事態が好転するとは思えない、とそのような希望的観測に疑問を投げかけています。
しかし、このまま若い人たちの間で宝飾への認識が変化しており宝石類全般への関心が薄れ、他方では環境問題や途上国の社会環境に高い意識をもつエリートたちが、ダイヤモンドのダークな面を問題視し続ければ、これまでダイヤモンドをつけることで期待されていた意味や価値(顕示的な消費価値)が社会で目減りすることは避けられないでしょう。そうなるとこれにリンクし、ダイヤモンドの市場価値が長期的に低下することも避けられなくなるでしょう。
一方、これまでのような意味づけや形でダイヤモンドが社会で人気を得ることがもはやなくても、お金では買えない望まれるものをうまくとらえて新たなモノの需要が生み出されるように、これまでとは異なる文脈から、モノとしてのダイヤモンドの新たな役目ができてくる可能性はあるでしょう。
この点で具体的なヒントになりそうな話を、ダイヤモンドと同様に近年売上の変動が激しい高級時計についての記事で、チューリヒの社会学者アルベルト氏Ernest Albertがしているので、その要点をご紹介します。
近年は、高級時計を購入できるような贅沢ができる人でも、高級だからといって無条件に高級時計は買うことはしない。これらの人も、社会的、エコロジー的、あるいは文化的な価値を重視しているためである。しかし、これを逆からみれば、豪華な時計を売りたければ、これらの価値観をアピールすればいいということになる。例えば、「(スイスの伝統的な時計の産地)ジュラ州の小さなマニュファクチャーでそれが作られたのだとか、この腕時計を購入することで熟練の腕時計職人の職場を確保するのに寄与するだとか、高い価値の原材料を利用している」など、それを所有した人がほかの人にも伝えたくなるような、その時計の価値に沿った話を添える必要がある(Waltersperger, et. Al, 2017)。
ダイヤモンドにも、新たな物語や尊い意味が、もしもしっくりなじんで顧客の心をとらえれば、着実に売上につながるかもしれません。少なくとも、ダイヤモンドを潜在的に欲しいと思ってもいる人(しかもそのためにお金を出せる人)がいるとすれば、そういう人にとっては、そのような物語やトピックが、なにより求められているといえるかもしれません。
もしそうだとすると、ダイヤモンドの背後で人々が伝えたくなる物語や意義を、改めて発掘したり、つくりあげること。それこそが、ダイヤモンド業界にとって今とりわけ大切な課題といえるかもしれません。
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<参考文献・サイト>
Gallarotti, Ermes, Damanten verlieren an Glanz. Die härteste Wärhung steht unter Druck. In: NZZ, Wirtschaft, 5.1.2018, S.24.
Linde, Olya an Kudryasheva, Genia et. al, The Global Diamond Industry 2017: The Enduring Story in a Changing World. In: Bain report, December 11, 2017 Bain report.
Michler, Inga, Das perfekte Leben. In: Welt.de, 4.8.2013.
Papasabbas, Lena, und Schldt, Christian, Superdaddys: Vaterschaft als Status. In: Zukunftsinstitut, Neuer Status, neue Lebensstile (02/2016)
Statussymbole: Darauf legen die Deutschen wert. In: Badische Zeitung, 28.2.2014, um 15:20 Uhr
Statussymbole im Wandel: Worauf junge Menschen Wert legen. In: OXMOX, Hamburgs StadtMagazin, 6.7.2014.
Waltersperger, Laurina und Vontobel, Niklaus, Luxusuhren haben ausgeprotzt: Auf das Statussymbol soll nun digitale Technologie folgen. Uhrenindustrie. In: Schweiz am Wochenende, 18.3.2017 um 05:30 Uhr

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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自分の分身が時空を超えて誰かと対話する時 〜「人」の記憶をもつロボットと人工知能の応用事例

2018-03-17 [EntryURL]

空想の世界のものだった「分身」が現実に
突然ですが、ちょっと想像してみてください。自分の分身ができて、めんどうな仕事をやってくれるだけでなく、自分の代わりにほかの人に会ったり、やりとりをするようになったら?
このような話が単なる空想の話ではなくすでに現実になっている、それを示唆するニュースに、先日相次いで遭遇しました。ロボットや人工知能を駆使した本人の分身が、実際に本人に代わって他人とやりとりをしたというのです。ロボットや人工知能に関するニュースは毎日のように耳にするので、あまりもう何にも驚かないように勝手に思いこんでいましたが、架空の人物ではなく、実際の人間の分身となってほかの人に対応するという今回の話を聞いて、驚きと感慨、そしていくつもの疑問が浮かびました。
物理的、現実的に出会ってもいない人に、分身を通して会うということはどういうことなのでしょう。分身であっても現実の人間に出会ったような感じがするのでしょうか。もしそうであるとすれば、その人の心理にどのような作用を及ぼすのでしょう。また、社会ではどんな機能を担うことになるのでしょう。従来の人間関係を補完、補充するような新たな関係性になるのでしょうか。
今回は、二つのニュースの内容を具体的にご紹介し、それを聞いて素朴にわいてきた疑問をもとに少し考えをめぐらしてみたいと思います。
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作家が書かない作家の本
ひとつ目のニュースは、オーストリアの作家、クレメンス・ゼッツClemens Setzが最近出版した本の作成に関わったボットについてです。
『ボット。作家なしの会話』というタイトルの本の著者名は、一応上記の作家名、ゼッツということになっていますが、実は作家は本のために一文も書いていません。編集者が、作家にしたい質問を、作家の膨大な思考の記録(著者によって執筆され日記や書物の内容)をデジタル化し搭載したボット(ロボットの一種)に尋ね、ボットが適切な答えとして探したものをまとめたのがこの本です。ただし、このようなボットの発想は今回が初めてではなく、『ブレードランナー』の原作者フィリップ・K・ディック Philip K. Dickの死後に彼の手記を搭載した同様のロボットがすでにあり、今回はそれと同じ原理でつくられたものだそうです。
自分の分身のこのような作業と出てくる内容をみて、作者ゼッツはどのように感じたのでしょうか。インタビューの記事によると、作者はこのようなことが可能ではないかと常々考えており、今回、実際に実現できた結果をみて、「まっとうで、優雅、ある種詩的に」「自分自身のために語っている」と感じ、「なぐさめになった」と言っています(Tobler, 2018)。
なぜ「なぐさめになった」になったのかという質問には、「人は宇宙に生きていて、いつか死ぬ運命であるのに、死んだあとも、なんらかの形で存在できるという事実は解放してくれる」からだと作家は回答しています。作家独自の感性やそれに基づく言葉を安直に解釈することはできませんが、一般的に語彙から理解すれば、以下のようなことかと思われます。
自分が死んだ後も自分のつづった言葉や考えが、人との対話のなかで伝えられことができるとすれば、自分の(言葉を通じて思索、表現した)存在が喪失されずに生き続ける可能性を開いたということであり、そう思うと、自分のなかにある不安が解かれる気がする。
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ホロコーストの生存者の語りを伝えるメディア
もう一つのニュースは、ホロコーストの生存者の語りを忠実に再現するために開発された最新の視聴覚メディアに関するものです。このメディアとは以下のようなものです。視聴覚メディアの置かれた部屋に入ると、ホロコーストの生存者である86歳のピンヒャス・グッターPinchas Gutter氏が、原寸大のリアルな映像として映し出されています。その前にマイクが置かれており、誰かがマイクに向かってなにか質問すると、本人(の映像)が答えてくれます(最後の参考サイトに掲載してある、O’BrienとYoungの記事のなかに、実際の様子がわかるビデオがありますので、合わせてご覧ください)。
このメディアを実現するため、グッター氏は、五日間にわたり1500の(多くの来訪者がすると想定される)質問についてあらかじめ回答しており、高性能のカメラにおさめたこれらのグッター氏の回答のなかから、人工知能が、適切な答えをさがしその部分の映像が映し出されるというしくみになっています。このメディアは、映画監督のスティーヴン・スピルバーグが1994年に設立し、ホロコーストで生き残った5万5千人の人々をビデオに記録してきたショア財団により作成され、今年1月のスイスのダボス会議中、展示されました。
人工知能が簡単で即物的な質問に応答することには、アップルのSiriやアマゾンのAlexaですでに慣れつつありますが、非常に深淵なテーマを、しかも現実に存在する生身の人間の分身として伝えるという難しい任務を、人工知能に担わせるという試みに、まずは、おどろきます。
しかし、このような手段をとるにいたった背景を考えるとその必要性もよくわかります。さまざまな歴史的事実を伝えるために、それを実際に体験した語り部たちの語りは、どんなほかのツールにも完全に代替されえない特別な価値をもっていますが、時がたつにつれて、語り部自身の数が減るという避けられない問題も併せ持っています。ホロコーストの生存者も高齢化が進んでおり、どうすれば、本来の語り部のようにそばで話かけてくれる存在として伝承をつづけさせることができるのか、という焦眉の難題の打開策として、今回の斬新なメディアが生まれたということになります。
インターアクティブなやりとりの形と影響
人工知能には学習能力で内容や表現を自分で進化させていくものもありますが、この二つのケースでは、現実の本人の作成したデータには一切加工が施されていません。その意味では、データの内容自体は、ビデオやテキストなどに記録されたデータと、異なるものではありません。唯一しかし大きく違うことは、ビデオやテープ、書籍が、一方的に伝える形であるのに対し、質問をする人に個別に対応して、伝達するというインターアクティブなやり方をとっていることです。
内容が同じでも、インターアクティブに伝えるという手段をとると、受け手に違った影響を与えるのでしょうか。
違う影響としてまず考えられるのは、対話の相手として、その場で出会ったり、生きている(ように感じる)錯覚、感覚を抱きやすくなることでしょう。実際に、ホロコースト生存者のメディア装置を訪れた記者は、「本物のグッター氏にインタビューしたわけではないのに、本当にしたような気持ちがする」という感想を記しています(O’Brien, 2017)。ショア財団のビデオをみた限り、わたしも、話者の映像や話し方が非常に臨場感があるように感じ、これまでの博物館の流しっぱなしの視聴覚メディアコンテンツとは、かなり異なるように思われました。
リアルに自分の前で語りかけられている感覚を来訪者がもつことができれば、その内容への興味が高まったり、強い印象を受けることが可能性が高まります。その意味で、重要な歴史的事実の伝承という目的には、有望なメディアツールであるといえるでしょう。
一方で、内容や頻度にもよるでしょうが、実際に会っていないのに会った、あるいは会って対話しているという感覚は、感情的にその人に強すぎる愛着や絆を作ってしまうかもしれません。強すぎる、というのは、本当のそこに存在しないという現実を受け入れがたくなるほど、とここでは、おおざっぱに定義しておきます。
例えば、すでに亡くなっている人が、亡くなっているということが頭でわかっていても、感情的にそう思えなくなるということがあるかもしれません。そしてそれが、新たに、生きているように思いたい気持ちと、そこに実際にいない事実を認めるべきだという気持ちの間の心の葛藤を生み出すといったことがあるかもしれません。
しかし逆に、メディアを通じ現実と虚構の間があいまいにされることが、時と場合によっては好ましいと解釈されることもあるかもしれません。例えば、新しいこのようなメディアを利用することによって、親しい人との楽しかった思い出や、すばらしい思い出が、自分の記憶をたどったり、ほかのメディア(写真や交換した手紙類など)を使うよりも、いきいきと思い出され、心がなごんだり、生きてきたこれまでの人生に幸せを感じる、といったことが可能かもしれません。別れや死が受け入れられない、受け入れるのがあまりにつらい、精神的状況にある場合にも、これは一種の「心理療法」になる可能性があります。
しかし、これらのメディアが、死や別れをごまかしつづける「偽りのなぐさめ」にすぎず、かえってその人たちの現在生きる肯定的な意思を損なうものになると総合的に判断・解釈され、むしろ社会の倫理上、禁じ手とみなされることになるかもしれません。
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パリのグレヴァン博物館

本人自身の関わり方
次に、作成した当人自身にとって、それを後日利用することはどんな意味や可能性があるのかについても少し考えてみたいと思います。
まず考えられるのは、現在の自分が忘れていた過去の自分自身の言動やその背景の思想を思い出すことが、新鮮な刺激になる可能性です。「温故知新」のハイテク最新バージョンとでもいえるかもしれません。作家のゼッツ氏も、ボットからでてくる言葉に、自分がもともとつづった言葉であるとはいえ改めて驚いたり、関心したりして、新たなインスピレーションを得ています。
また、自分の脳に保管された記憶のように、いつでも記憶が取り出せるという側面に注目すれば、自分の記憶の外部の記憶保管装置として積極的に使える可能性もまた浮かびあがります。
そのような機能は、認知症が進行していき自分の記憶がなくなっていることに大きな不安を感じている人にとって、もしかしたら心強い助っ人となるかもしれません。失われた記憶で自分に必要なものが、自分の脳裏に保存されていなくても、すぐに取り出したり、取り戻せる環境が作ることで、自分自身の記憶を消失している、あるいはしていくかもしれないという、底知れぬ不安感や虚無感が、ある程度緩和されるかもしれません。
一方、このような技術が進歩し、記憶の外部装置から必要なものを取り出すのが便利になればなるほど、脳が本来もっている記憶能力を行使する機会が減り、健常者のなかですでに獲得していた能力が低下したり、未発達になる可能性もあります。少しテーマはずれますが、近年のナビゲーションに関する研究では、ナビゲーションに頼りすぎると地理的記憶が脳にとどまらず方向感覚も鈍化するという因果関係がわかってきています(Hein, 2018)。
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おわりに
ロボットや人工知能が現実の人と他者の間に入り仲介する今回のようなケースは、今後増えていくのでしょうか。そうであるとすれば、過度にそれらに依存し弊害がでてしまわないよう、それぞれが自覚して考え続けていくことが、非常に重要でしょう。そして、時には、どこまでどのように利用したいかを冷静に考え、特には断念したり限定するという、自制的な判断も必要となるでしょう。
個々人が自覚して賢明に判断できるように、今後、これらロボットや人工知能が介在する人間関係の便利さと危険性についての研究を進め、同時に、それらの成果や情報について、公共メディアなどを通じて、社会で偏りなく積極的に開示していくことも望まれます。
そして、人間関係を介在するこれらの新しい技術がこれからどんどん身近な存在になっていくのであれば、それらが人々の幸福や利益を最大限にもたらすものになることを強く願います。
<参考文献・サイト>
Auffermann, Verena, Clemens J. Setz: “Bot. Gespräch ohne Autor”Oft verblüffend, manchmal Nonsens. In: Deutschlandfunk Kultur, Buchkritik, 10.02.2018.
Clemens J. Setz: Bot. Gespräch ohne Autor. In: SWR2 Lesenswert, 11.2.2018 | 17.05 Uhr | 6:35 min
Hein, Till, Macht das Navi dumm? In: NZZ am Sonntag, 11.3.2018, S.49-50.
O’Brien, Sara Aschley, Shoah Foundation is using technology to preserve Holocaust survivor stories. In: CNN Tech, April 24, 2017: 12:04 AM
Tobler, Andreas, «Die Leute brauchen keine Fake News, um Mitmenschen zu verachten». In: Sonntagzeitung, Kultur, 11.2.2018, S.57.
Virtuelle Zeitzeugen: Wie künstliche Intelligenz hilft, den Völkermord an den Juden nicht zu vergessen. In: Kultur Kompakt, Donnerstag, 25. Januar 2018, 11:29 Uhr
Winkels, Hubert, “Bot. Gespräch ohne Autor”: Steckt noch ein Autor in diesem Automaten?, Zeit Online, 14. Februar 2018 .
Young, Alicia, What If You Could Speak to a Holocaust Survivor? Now You Can. In: Techo Zone 360, FEATURE NEWS, April 28, 2017
Zwinzscher, Felix,„Ein Twitter-Bot schreibt die schönste deutsche Lyrik” In: Welt, Literatur, 12.02.2018

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


「悩める人たちのためのホットライン」が映し出すドイツの現状 〜お互いを尊重する対話というアプローチ

2018-03-09 [EntryURL]

今月初め、チューリヒである異文化間コミュニケーションについてのワークショップに参加しました。ワークショップの担当者は、対話を通じ異なる意見や文化の人々を橋渡ししようとする地道な活動が注目され、昨年からドイツや世界のメディアにたびたび登場しているクルド系ドイツ人のアリ・ジャンAli Can という人物です。ワークショップで紹介されたジャン氏のこれまでの歩みや手法、また話し合いの内容は、日本のこれからの時代においても、示唆に富む内容だと思いましたので、今回抜粋して紹介してみたいと思います。
※ワークショップは、チューリヒにある宗教改革者ツヴィングリの住宅を改装してつくられた文化センター「クンストハウス・ヘルフェレイ」で月一度行われているSchule des Handelns の催しの一部として開催されたものです。
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旧東ドイツへの旅
ジャン氏をとりわけ世界的に有名にしたのは「悩める人たちのためのホットライン
」という、匿名で誰でも無料で電話できるホットラインの設置です。まずこれがはじまった経緯が説明されました。
2015年ごろからシリアの内戦が激しくなり、ドイツに大勢の難民申請者が入ってくると、難民を助けようとする個人や組織の活動が活発になった反面、難民受け入れを強く反対するデモや深刻な個人への攻撃も多発しました。強い嫌悪感をあからさまに示すドイツ人の姿をみて、どうしてこれほど強い嫌悪感があるのか。同じドイツ社会に生きていく者として、このような人たちとどうやっていけばいいか、なにか道はあるのか、自分には一体なにができるのか、とジャン氏は自問します。
周囲の友人や家族にそのことを相談しても、どうせそういう人たちはいるし、状況も変わらないと、一般化されたステレオタイプ的な意見ばかりでした。しかし、批判したり、悪態をつくだけでは、なにも役に立たないと考え、なにか違う道がないか模索を続け、まずは、メディアやほかの人の意見からではなく、自分自身で、外国出身者への嫌悪感が強い人々について知ろうと思いたちます。そして1週間ひとり旧東ドイツへ旅にでかけます。
反外国人勢力が強いとメディアで報道される地域を集中して訪ね歩き、反イスラム・難民を訴える「西洋のイスラム化に反対する愛国的な欧州人」(略称「ペギーダ」)の集会にも参加し、その場にいる人たちとの対話をこころみます。典型的なドイツ人の風貌とはかけ離れ、東ドイツの方言をしゃべることもできない若い一学生のジャン氏は、どこにいっても最初は猜疑的な視線を感じましたが、人々や地元の文化について敬意や興味を示し、丁寧な態度で話しかけると、返答してくれる人にも出会うようになります。
旅で得た二つの知見
試行錯誤でひとり旅の場を踏んでいくうちに、ふたつのことが強く実感されるようになります。
ひとつは、イスラム教徒や難民について危惧していて人のなかで、実際にそれらの人と接触したことがない人が多いこと。そしてもう一つは、おたがい攻撃的な態度でなく、心から(個人的に心を開いて、相手に興味と敬意をもって)対話ができれば、なにか共通の信頼関係がつくりだせるという実感です。
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ホットラインの誕生
旅を終えたあとに、旅で知り合った女性から電話がありました。先日、外国人に道をたずねられ、教えたら何度もお礼を言われ、好感が持てた、とうれしそうに報告する電話でした。
この電話と旅の実感が織り交ざり、ジャン氏はあることを思いつきます。世の中には外国出身者やイスラム教徒にまつわるテーマで心配をしている人が少なからずいる。しかも心配ごとがあっても、心配についてまわりにそれを公平に、また真摯に聞いてくれる人がいなく、心配が高じて、閉鎖的、あるいは攻撃的な態度に転じることもある。ならば、心配な人が気軽に自分の心配や問題と感じるものを話し、不安を解消できるような機会をつくれないか、と。そうして設置されたのが「悩める人たちのためのホットライン」でした。
早速ホットラインをスタートさせると、次第にメディアで注目されるようになります。昨年は、これまでの数百人との対話の体験をテーマごとにまとめて、『悩める人たちのためのホットライン。あなたに信頼される難民申請者からの回答』と題する本も出版されました。実際のホットラインでの数百人と交わした対話の内容を、戯曲風に四つのテーマでまとめたものです。電話機の背後にいる人々の一筋縄ではとらえられない複雑な感情(怒り、戸惑い、大切に思うものを失うのではないかという危惧など)がわかりやすく描き出されているだけでなく、電話のやりとりをしていくうちに、信頼関係がうまれ、電話口にいる人が質問に答えながら、自分のなかの感情や問題を整理して理解していく様子を、読者も追体験できるような構成になっています。
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評判や知名度が高まったおかげで、ホットラインが寄付でまかなえるようになっただけでなく、ジャンさん以外に、ドイツ人2名、オーストリア人、ヨルダン出身のアラビア語もできる女性もホットラインに加わって、毎晩電話を受けられるようになりました。現在、グーグルの検索マシーンで「ホットライン」とドイツ語で検索するとどこでも上位にでてくるほど、この「悩める人たちのためのホットライン」は、ホットラインとしても知名度が高くなっているそうです。
ただし、心配な人がかなり多いと推測される東ドイツからの電話は、相対的に少ないそうです。旧東ドイツ側からが少ないのには様々な理由が考えられますが、ひとつは方言や文化的な違いが大きいのではと、ジャン氏は推測します。もちろん標準ドイツ語でも話は通じますが、そこで育ったわけでもないジャン氏が、文化的な差異や方言のニュアンスを汲み取ることは簡単ではないでしょうし、不信感が強い旧東ドイツの住人も多いのかもしれません。それ故、今年、東ドイツのザクセン州が同様のホットラインを独自に開設することになったことは、ジャン氏は大きな進展として高く評価しています。
対話をみて感じたこと
ワークショップでは、異文化間のコミュニケーションについて様々な角度から話し合われましたが、わたしにとってとりわけ強く印象に強く残ったのは、後半にジャン氏の短いビデオをみて(本文下の参考サイトに掲載してあります)、具体的な対話の方法ややりとりの背景について話し合ったことでした。
ビデオは、昨年のクリスマスがせまるドレスデンの街頭や「ペギーダ」の集会会場で、ジャン氏と会話する人々のやりとりを、国営放送の放送用に3分に編集したものです。カメラが回っているなかでの応答であり、しかも短く編集したビデオなので、前後や背景などはわかりませんが、難民や移民にノーの意思をあらわに示す集会に参加している人たちが、ジャン氏と実際にやりとりしている様子をかいまみることができます。
そのなかで、ペギーダの集会にいるところをみると難民や移民に不満をもつ人なのかと思いきや、突如自分の住居には空いている部屋があるから二人のシリアからの難民に貸せると発言する若者がいました。話を聞いていたジャン氏自身もこの若者から、こんな発言が飛び出すとはおもわず内心驚いたそうですが、どうしてこんな発言があったのだろう、とワークショップ参加者に問いかけました。
まず、わたしには、人の考えや意見は複雑だし矛盾も多く含んでいて簡単にステレオタイプ化できないことを、よく示しているように思えました。ペギーダのデモに出ているからといって、こういう人間だと決めつけることが、いかに薄氷を踏むような危ないうすっぺらな判断であるかを、ビデオは、なにより雄弁に物語っているように思えました。
同時に、対話をしているうちに自分でも気付かなかった心のなかのもうひとつの声が飛び出してくることがたびたびありますが、今回もそのような感じで、言っている本人も内心は自分の発言に驚いたかもしれないとも考えました。ジャン氏は対話のなかで、相手への敬意を示しながら、たびたび中立的な質問することが上手なのですが(詳細についてはぜひ彼の本を実際にみていただきたいのですが、残念ながらまだ邦訳はでていません)、質問されることで対話者が自分の考えや意見に対して、これまでと違う視点から話しがみえてきたり、ジャン氏との間に共通の理解をみつけることが、たびたびあるようです。
考えてゆけばゆくほど、ビデオのなかの若者が、どこにでもいそうな身近な存在に思え、異質というより親しみの方が強くなります。このようなことが、ジャン氏が言う、同じ目の高さでお互いに敬意をもって対話するときに自然に生じてくる相手への信頼感なのかなと思いました。
(ビデオには出てきませんが)ジャン氏との対話のあと、一人の男性は、その人自身非常に経済的に厳しい状況にあるにも関わらず、難民のためにといって10ユーロ寄付したといいます。その男性も、話している間に硬直した感情や問題意識がゆるみ、これまでとは違うパースペクティブがみえたのかもしれません。
一方、短く編集され、そつなく仕上げた国営放送局のビデオは、一種のいいとこ取りのそつないクリスマスの「いい話」にされているような印象も受けました。クリスマス前のヨーロッパは「許し」や「慈愛」が、教会だけでなくメディアでも強調される季節です。このため、ジャン氏になくても、すくなくとも放送局側は、年末の平和なきもちを楽しみたい視聴者への期待を裏切らない、旧東ドイツ地方からの希望を伝えるメッセージにしたいという意図を少なからず、このビデオにこめていたのではないかと推測しました。そういう簡単で安っぽい物語にされてしまうことは、本来ジャン氏の目指す意図をかえって伝わりにくくし、危険であるとも感じました。
敵対するのではなく共通の目的のために
ワークショップの参加者から、ジャン氏がこれまで、幾度も直接デモや右翼の集合場所に出没し、現在ではメディアで大きく報道されるようになって、身の危険を感じることはあるか、という質問も出されました。
ジャン氏は深刻なものはこれまでなかったと返答し、その理由として、自分の行動は、誰かに対し敵対しようとするものではなかったからではないか、と答えました。そして、常にこころがけているのが、相手を蚊帳の外において、あいつらはこうだ、と論じることではなくübereinaner、相手とともにnebeneinander 話し合うことであり、誰かを批判したり文句や愚痴をいうのではなく、なにか共通の目標や目的を考えるようにしてきた、と補足しました。
もちろん自分の意向を他者がいつもその通り理解してくれるわけではありませんし、たとえこの動きに警戒する人がいることも十分考えられます。しかし、対立や相手の怒りをあおるものでない以上、たとえ、ジャン氏が気に入らなかったとしても、批判の矛先をジャン氏にあからさまに向けることも難しいのかもしれません。
対話という手法
ワークショップにはひとつの目標や解答があるわけではなく、参加者それぞれが議論しながら何かを感じ、それをメモして持ち帰るという形で終了しましたが、著作を読んだり、ワークショップ前日に個人的にインタビューさせてもらい、ジャン氏の対話手法について自分なりにもう少し考えてみました。
ジャン氏がドイツで始めた対話による社会の融和への取り組みは、まだ始まったばかりであり、どのような局面と規模でどれだけ社会や人々に浸透するのか未知数です。このため、取り組みがはじまったばかりのこのような手法に対して、単なる理想論を語っているにすぎず、現実的な問題の解決にはならないと一蹴し、切り捨てることは、いとも簡単です。
しかし、どうなのでしょう。ほかのこれまでのやり方のどれが、ドイツの難民や移民問題や(あるいは世界どこにおいても社会で対立する問題において)実際に、このような方法より生産的で有力だったと言えるでしょうか。意見の対立が大きな溝をつくっている社会において、その対立を緩和しようとする時、お互い意見を戦わせ、どちらも議論で相手を負かそうと息巻いても、結局平行線に終わり、相手を批判したり罵倒することや、暴力にものを言わせることと同じくらい、解決はおろか対立の深化しか生み出していないのが現実のように思われます。
一方、対話という手法はどうでしょう。強い信頼関係を築いたり、まして安定した合意にたどりつくことはもちろん簡単ではありませんが、相手を打ち負かすための否定や批判は目標にはなく、感情に身をまかせた攻撃的態度もしりぞけられることが大きな特徴です。その代わりに、お互いに聞く耳をもち、お互いを尊重する基本的な態度をもつことを重視し、まずは人が出会う場、人がお互いに敬意をもって出会える機会や場所、それを作ることをつくることからはじめます。このような、解決や正誤を求める視座から全くはずれたアプローチには、ほかの手法とは違う手応え、進展の可能性があるように感じています。
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これからの展望
わたしの所感はさておき、一人の学生が模索しはじめた対話という社会の融和のためのアプローチは、現在、社会の期待の渦の最中にあるようです。
特に昨年秋に「憎悪と人種主義への抗議」デモをベルリンでジャン氏が主催して以降は、BBCや、ニューヨークタイムズやアルジャジーラなど世界的なメディアでも注目されるようになり、現在は、ヨーロッパを中心に世界中から400件以上の問い合わせに追われているといいます。ジャン氏によると、日本のNHKも昨年秋にはジャン氏の密着取材を行い、その内容は4分半のドキュメントとして、日本国内で報道されたといいます(残念ながらNHKの放送内容は国外からのアクセスが厳しく制限されているため、わたし自身はその内容を確認することができていませんでした)。
ジャン氏自身の活動自体も、さらなる発展の途上にあります。これまでのホットラインや各地でのワークショップの活動に加え、社会企業家から委託されて、北ドイツ・ルール地方の都市エッセンの都心部に平和のための対話センター(仮称)を今年5月からオープンさせる予定だといいます。建物内には、宗教や若者組織など様々な組織の拠点や、平和的な対話のためなどの研修ルーム、また共同して利用できる出会いの場所をつくり、様々な人々が対話するための物理的な場所を提供することを目標としているそうです。
おわりに
ジャン氏は、1995年にトルコからの難民家族の長男として2歳半でドイツに渡ってきて、2007年までは暫時滞留許可しか持たずドイツ国内の移動も制限されていました。その後教育学部の大学生となり、ひとりではじめた活動が、1年半もしないのに、これほど支持者を広げるまでに急発展しました。なんの後ろ盾もなかったジャン氏のこのような飛躍的な活動の展開自体に、移民や難民にも開かれたドイツ社会のこれからの可能性を感じます。
また今後、お互いを尊重する対話がドイツだけでなく世界中に広がることを期待したいと思います。
<参考文献・サイト>
Can, Ali, Hotline für besorgte Bürger. Antworten vom Asylbewerber Ihres Vertrauens, 2017.
「悩める人たちのためのホットライン」のホームページ
ビデオ 「PEGIDA Adventssingen Friedlich mit ALI CAN」
Schule des Handels のホームページ

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


デジタル化により都市空間はどう変化する? 〜バーチャルと現実が錯綜する「スマートシティ」の未来

2018-03-01 [EntryURL]

都市空間はデジタル化に伴い大きく変容している、とチューリヒ工科大学の都市計画専門家のクリスティアンセKees Christiaanseはいいます。デジタル化のよる都市空間の変化と聞いてわたしの中で端的にイメージされるのは、オンラインショピングが増えることで既存の小売業が打撃を受け、シャッター通りが増えるというような、どちらかというと都市に活気がなくなり廃れるイメージでした。しかし、クリスティアンセによると、変化は非常に多様であり、都市に新たな息吹を吹き込むと指摘します。
具体的にどのようなことを意味するのでょうか。今回は、スイス国営ラジオ局でのクリスティアンセへのインタビュー (Blick in die Feuilletons, 2018)と、スイス提唱されている「スマートシティ」構想をみていきながら、未来の都市の形について少し考えをめぐらしてみたいと思います。
バーチャルと現実の錯綜から生まれる都市空間
クリスティアンセはデジタル化によって都市の公共空間が空洞化するという説は、正しくないとします(以下、クリスティアンセのインタビュー内容で、キーワードなど断片的な言及にとどまった部分は、わたしの理解で言葉や解釈を補充しながらまとめました)。
確かにデジタル化によって情報のとりかた、モノやコトの選び方、コミュニケーションのありかた、さらに都市の文化のあり方は変化します。例えば、公共交通のチケットの購入、タクシーや自転車のライドシェアリング、目的地までのナビ情報や近隣のサービス情報などの新たなデジタルネットワークは、単に移動や輸送を便利にするだけでなく、何を選択し、どう動くかという自分の判断自体にも大きな影響を与えます。
一方、デジタル媒体でコンタクトをとった人たちが、現実に出会う場所を求めるようになり、都心部のホテル、映画館、外食産業などの公共空間がその要望を果たすために必要になると言います。
就労や生活空間としても都市は変化する、とクリスティアンセは言います。例えば、増加しているクラウドワーカーなどの「アトム化」した人々(一般に個人事業主と言われるひとを指すと思われます)の一部が、都心に共同オフィスを構えたり、シェアオフィスを積極的に利用するようになるといった、新しい職場の形やその需要が増えてくると考えます。そして、これらの新しい形で都心で働く人たちが、交通や環境面でも状況が改善された都心に一部住み着くことで、都市の人々の生活空間も新たに展開、あるいは充実していくと考えられます。
総じて、クリスティアンセは、デジタル化により、今後も都市に人々の需要の受け皿として新たに編成され、存続・発展する可能性をみています。
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小売業と外食産業からの検証
このようなクリスティアンセの指摘は、どのくらい都市の現在の状況と一致しているのでしょうか。都市の多様な局面の一断面にすぎませんが、少なくとも近年のスイスやドイツの小売業や外食産業業界の状況は、クリスティアンセの説にそった展開であるように思われます。
確かに、都市部の小売業界は、現在オンラインショッピングの増加で大きな打撃を受けています。スイスでは2017年のオンラインショッピング額は、前年比で10%伸張しており、とりわけ外国を拠点とするオンラインショッピング産業は23%もの成長を果たしています(Internet-Einkäufe, 2018)。このような数字をみると、従来から存続する都市の零細の小売業者が大きな打撃を受けているように思われます。
他方、著名なザンクトガレン大学の営業マネジメント研究機関 IRM-HSGによる、スイス、ドイツ、オーストリアの2900人の消費者を対象にした昨年の調査(Online-Shops, 2017)では、オンラインショップだけを経営している業者よりも、オンラインショップと現実の店舗の両者を所有する業者の方が、より多くの人に利用されていることがわかりました。現実の小売店舗をもつことは、個人的な顧客とのつながりを強化することにつながり、オンラインショッピングで完全に代替できないものであるためと考えられます。このため、従来の店舗は、クロス・チャンネル商法(さまざまなツールを用いて顧客とつながる商法)を駆使することにより(それを怠ればまた別の話ですが)、将来もオンラインショップに完全に代替されることはなく、生き延びる、という結論が、この調査では導かれています。
以前扱った、外食産業の市場の近年の顕著な拡大傾向も、人の集まる都市のような空間に新たな需要の兆しのようにみえます。ドイツでは過去10年間堅調に拡大しており、この先も2021年には615億ユーロにまで達すると予測されており、外食産業のなかでは、増えているのが規定の場所や形にこだわらないテイクアウェイ(すぐに食べられる形になっている食料や食事を店から持ち出して食する形態)の形が増えています(「ドイツの外食産業に吹く新しい風 〜理想の食生活をもとめて」)。
テイクアウェイは、人と集って食したり、一人ですきま時間に簡単に済ませるなど、とりわけ自由度が高い食事の仕方であるため、テイクアウェイが広がれば、食に結びついた新しい都市空間や食と合わせた複合的な用途の空間が新たに形成される可能性があるでしょう。通行や日常品の購買よりもその場の滞留時間が長い食事という行為の人々の流れや利用のされ方が、都市の公共空間にうまくつなげがれば、都市全体の新たな活気を生むことになるかもしれません。
交通からみたヨーロッパの都市の変化
ところで、クリスティアンセが都市の現在の変容を指摘しているといっても、都市が変化すること自体は決して特別なことではありません。むしろ、ヨーロッパでは19世紀以降、産業化や科学技術の進展、それに伴う人口変化ととともに、その構造や規模、また人々の就労や生活形態はめまぐるしく変化してきました。
近年のひとつの例として、1960年代まで車社会に対応し車交通を優先させる都市構造や開発が推進されてきましたが、その後にそれを部分的に覆すような交通分野の変化があります。1960年末から車交通による弊害(大気汚染、騒音、交通事故、渋滞、都市中心部の衰退など)が社会で広く認識されるようになり、それに伴い、都市中心部での車交通を制限あるいは排除する新しい手法が各地で試されるようになっていきました。そして、今日のヨーロッパの主要な都市において、この手法は非常に一般的なものとなっています。これに伴い都市の交通網の在り方や道路構造も変わってきました。車に代わり都心の主要なモビリティとして自転車交通を強化・整備する動きが、全ヨーロッパでみられます(「カーゴバイクが行き交う日常風景 〜ヨーロッパの「自転車都市」を支えるインフラとイノベーション」)。
近年は、交通手段のどれかを締め出すという原理ではなく、それぞれの特徴と利点がある交通手段である車、自転車、歩行者が共存するためのしくみも重視されています。1996年からスイスからはじまった「出会いゾーン Begenungszone」はその好例です(「ヨーロッパの信号と未来の交差点 〜ご当地信号から信号いらずの「出会いゾーン」まで」)。
それまで交通量が多く、交通手段も多様な地区には、専用道路を配置したり、信号で交通を制御し、分化・分類する形で安全な交通を目指していましたが、これでは安全であっても慢性的な渋滞が引き起こされるという問題が残りました。これに対し、車、自転車、歩行者など、すべての移動者が同時並行して横断・交通できる「出会いゾーン」は、すべての交通者にとってスムーズでしかも安全な移動が可能になるという評価と理解が広がっており、出会いゾーンを設置する自治体がスイスで全国的に増えてきました。
このように、変化すること自体は都市にとって決して特別なことではありませんが、「デジタル化」が都市の変化の公式の主要な変数となるというのは、これまでにない現代や近未来の都市におけるひとつの大きな特徴だといえるでしょう。
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ヴィンタートゥア市の「スマートシティ」構想
次に、実際に行政側・自治体側は、デジタル化をどう利用して、どんな新しいしくみを目指そうとしているのかを、ヴィンタートゥア市の「スマート・シティ」プロジェクトを例にみてみます。
「スマートシティ」とは、数年前からスイス各地で唱えられている、エネルギー効率や節電を促進するためにデジタルツールやネットワークを積極的に利用する都市の包括的なシステム構想です。「インフラシステム(交通、エネルギー、コミュニケーションなど)をインテリジェントに結びつけることによってエネルギー消費を最低限に抑え」、「居住空間やモビリティー、インフラなどの供給、行政をネットワーク化し、同時に新しい情報やコミュニケーション・テクノロジーを導入し、相乗効果の潜在的可能性を最大限に活用」することで、最終的に「住民に高い生活の質を提供する」ことを目指しています(ちなみに、ここでの「インテリジェント」とは、ITだけを指すのではなく、ほかの同様のメカニズムも指します)。
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ヴィンタートゥア市では、昨年11月には市長や関連分野の市議会議員が揃い、
一般住民を招いたスマートシティ構想の説明会と討論会を開催されました。

スマートシティ構想の具体的な内容は、多岐の分野の技術やプロジェクトから成ります。
はやくからスマートシティ構想推進をかかげ取り組んできた都市のひとつであるヴィンタートゥア市では、人や交通量によって照明の強さを変化させる屋外照明や、交通の必要に応じて個々の信号を個別に操作するための遠隔制御システムなど、すでにいくつかのインテリジェントシステムがインフラ分野を実現しています(インテリジェント照明についての詳細は「明るい未来を開くカギは「暗さ」? 〜ヨーロッパの屋外照明をめぐる新しい展」をご参照ください)。
これまで自治体が手がけてきた上下水道や電気の供給などのインフラ事業と異なり、効率的にまたスピードアップして実現するため、企業や住民、研究機関などのさまざまなパートナーとの協力関係を結び開発・実現を目指すプロジェクトが多いのも、スマートシティ構想の特徴です。共同開発中の市内の駐車場を簡単に探せ、スマホで直接支払いもできるアプリや、交通量も観測する太陽光発電のスマート型道路照明、屋根付き伝統バイクのシェアリングシステムなどが、現在、実際の導入を検討されています。
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おわりに
バーチャルな世界が今後、ますます重要となり、費やす時間も情報も関心をもたれるコンテンツも大方こちらに移行してしまうと想定すると、その分現実の世界で人が集うことが減り、都市の活気が失われるのではと危惧していましたが、今回、クリスティアンセの指摘をきっかけに、新たな都市の変化や兆しと合わせながら考えてみると、確かに都市空間が新たに編成されつつある具体的な姿が少し見えた気がします。
都市が今後、新たな時代に適応し、バーチャルと物理的な形を混ぜ合わせたどんな人々の集住する新たな形になっていくのでしょう。環境危機や高齢化など、今後も都市にさまざまな難題がおとずれることが想定されますが、それでも都市がそれらの外的要因に適応しながら進化・展開していく姿を今後も期待と希望をこめて見守っていきたいと思います。
<参考文献・サイト>
Blick in die Feuilletons mit Kees Christiaanse. In: Kultur Kompakt, SRF, 9.1.2018, 11:29 Uhr.
Internet-Einkäufe im Ausland legen überdurchschnittlich zu. In: NZZ, 20.2.2018, 10:49.
Öffentliche Beleuchtung: Neue Technologien bewähren sich. In: Winterthurer Zeitung, 21.2.2018, S.3.
Online-Shops können Ladengeschäfte nicht ersetzen. IRM-HSG mit Studie zu Handelstrends. In: alma 3/2017, S.7.
スイスの「スマートシティ」公式サイト
Winterthur auf dem Sprung zur Smart City.In: Züriost, 17.11.2017.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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