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都市と地方の間で広がるモビリティ格差 〜ヨーロッパのモビリティ理念と現実

2019-11-06 [EntryURL]

前回、共通運賃制度や統一した運行計画(ダイヤの策定)などをもつことで利用者に使い勝手がよく、利用者が恒常的に増え続けているドイツ語圏の公共交通について、ウィーンを例にみてみました(「公共交通の共通運賃・運行システム 〜市民の二人に一人が市内公共交通の年間定期券をもつウィーンの交通事情」)。

今回は、ヨーロッパ全体の潮流や、都市と地方の地域的な差異を視座にいれながら、人々にとってモビリティとはなにか、またなにがそこで重要になってくるか、といったモビリティの本質的な問題について、今日的な文脈に沿って考えてみたいと思います。

モビリティがないと世界はどんなふうに映るか

ところで、人がモビリティを日々確保できること(いつでも自由に移動できること)は、決して当たり前のことではありません。卑近な例ですが、数年前、キューバ郊外を車で走行した時、そのことを強く感じました(キューバの今 〜型破りなこれまでの歩みとはじまったデジタル時代)。

当時、ガソリンがキューバで全般に不足していたこともあり、一旦都市部を離れると、車やバイクの交通量はぐっと減り、バスなどの公共交通機関の運行も限られていました。かわりに馬車など旧来の輸送手段も若干使われていましたが、最もよくみかけたのは、自転車や自転車タクシー、リヤカーなどの人力に頼るモビリティです。しかし人力に頼る移動手段で、太陽光を遮ってくれる木陰などない、砂糖プランテーションや熱帯風景の間を延々と伸びる道を炎天下走行するのは、どう考えても体力的に厳しく、現地の人が日々直面しているであろうモビリティの問題(物理的な不足や気候的な問題からモビリティがいちじるしく制限されていること)を目の当たりにしたように感じました。

移動は、一見すると、生きていく上で、食べ物、住む場所、医療、情報、仕事などに比べると、それほど深刻で重要なことのようには思えません。しかし、実際の生活では、モビリティがなければ、仕事や学校にはいけませんし、生活必需品の購入や、時には命に関わる(医療などの)公的なサービスを受けることもままなりません。

ヨーロッパでのモビリティの捉え方

ヨーロッパでは基本的に、このようなモビリティを、人々の生活の質の重要な一部とし、「公共交通を国や自治体が供給責任を負う公共サービスとして位置づける」(国土交通省、2014年、22頁)傾向が、日本よりも強くみられます。

例えば、ドイツでは、1930年代終わりから「水道・ガス・電気のほか、郵便・電信・電話・保健衛生上の保護の供給、老齢・廃疾・疾病・失業への備え等に並び、あらゆる種類の交通機関の供給」など生活に不可欠なサービスの給付を「生存配慮」の任務と捉え、「広義の国家(Staat)」の責任と課」す考え方が生まれ(土方、2018、38頁)、「その度合いや方法に関する解釈は」(43頁)、「時代ごとの変化を免れていないものの、概念の創成当時から今日に至るまで」、「「生存配慮」は地域鉄道への行政による関与の根拠としては概ね機能してき」(43−44頁)ました。

スイスでは、鉄道を人々の輸送を目的とする公共交通と観光や貨物など営利目的の交通に分けて考え、前者の維持・運行で不足する費用は公的な補助金で補うことが法律で決められています(後者は、独立採算生を基本理念にしており、補助金がでないのに対し)。公共交通として認められている路線は、補助金を得ることができるかわりに、十分に公共交通として機能すべく毎日十分な頻度をもって運行ダイヤを維持させることが、国や州に求められます(ちなみに後者は、1日の本数だけでなく、冬季の走行を停止するなど、運行を不定期に行っても問題とされません)。

そして、ヨーロッパの少なくともドイツ語圏では、全般に人々のモビリティの基本として高水準の公共交通を確保するために、州や市が補助や投資をすることに、すでに社会的な合意ができているようで、それを改めて疑問視したり、反対をするという声を聞くことはほとんど聞かれません。

このことについては、しかし、意識的に住民が補助金政策を支持しているというより、一住民にすると、いくら公共交通に投資されおり、自分が直接どのくらいこれに対して税金から支払っているのか、というのはみえにくく、それよりむしろ自分の財布から払う公共交通がいくらで、どのくらい便利か、ということのほうに関心が高くなるためだからではないか、という指摘もたびたびみられます(例えば、渡邊、2018)。いずれにせよ結果として、間接的に公共交通政策を支持する結果となり、モビリティの確保を重視する政策が、ドイツ語圏では、ぶれずに長期にわたって今日まで存続してきたことは確かです。

ただし、モビリティはどこにおいても同じである必要はありません。地域や人、そこでの生活に不可欠な移動規模の大きさによって、最適のモビリティの手段は異なり、いちがいにどれがすぐれているということもいえないでしょう。ヨーロッパにおいても自転車交通網を相対的に重視する地域もあれば(「カーゴバイクが行き交う日常風景 〜ヨーロッパの「自転車都市」を支えるインフラとイノベーション」)、むしろ圧倒的に公共交通網に力をいれるところある、といった具合で、決して画一的なものではありません。近年は各地で、シェアリングという新しい可能性が従来の交通網の不足を補うものとして注目されたり、導入される例もでてきました(「ウーバーの運転手は業務委託された自営業者か、被雇用者か 〜スイスで「長く待たれた」判決とその後」)。

ともあれ共通するのは、それぞれの地域に人々に適切なモビリティがあるかないか、あるいは、あるにはあっても、使いがってがいいか悪いかが、生活に決定的な影響を与えるということです。

モビリティとは、単に道路をつくる、電車を通すというようなハードな話ではありません。道路や鉄道路線を実際に走行し人を輸送するモビリティが、便利な程度で存在するか、という実利の話となります。便利な程度、とは、例えば電車が1時間に最低1本は運行しているとか、深刻な交通渋滞など移動自体が妨害されていないことを意味します。もともとは便利な交通手段であったものでも、多くの人がそれを追求するために、かえって渋滞が悪化し、適切なモビリティを維持できなくなることもあります(「交通の未来は自動走行のライドシェアそれとも公共交通? 〜これまでの研究結果をくつがえす新たな未来予想図」)。

地域全体への恩恵

モビリティが確保されることは、それだけで、個人レベルの生活の質をあげますが、地域の発展のチャンスや経済の競争力も増やすことになり、ローカルな地域の魅力も高める効果にもなります。つまり地域全体の文化や経済発展の土台であるといえます。

例えば、前回とりあげたウィーンは、公共交通の利用率が非常に高い都市ですが、それでも運賃収入だけでウィーン公共交通の総支出額を回収できているわけではありません。一方、公共交通が充実することで、人のモビリティが確保され、経済活動や文化と複雑にからみあいながら、経済的に好転する作用を生み出していることも確かです。そうなると当然、観光客もひきつけます。経済や観光がさらに文化的な豊かさや生活の多様性をつくり、それがまた高い価値を生み出します。

このため、公共交通の直接的な採算性だけでとらえ、でてくる数値は、地域の利益を捉える数値としては、かなり限定的なものであるといえます。

環境を考えたうえでの「採算性」

他方、今日的な文脈にそってみると、環境という(現在の経済に十分に反映・評価されているとはいえない)分野での「採算性」は、むしろ今後、一層、注目されるものとなるといえるかもしれません。

前回、ウィーンでは、車の利用を減らし公共交通へと人々をうながすインセンティブがとられ、それが功を奏して、公共交通利用者の増加がつづいている状況をみました。大方の住人はこのようなウィーンの交通政策を支持していますが、市内の駐車料金が倍額になったことは、車を運転したい人にとっては当然、不評です。

しかし、ウィーン市議会ではこのような車利用者の不満を大きな問題とはしません。さらに今後さらに車の通行を抑制するための案として、通行料金を別途請求するという案も、都市の交通分野担当の市議会議員で緑の党の政治家ヘバイン Brigit Hebeinが中心となって、検討されています。

一貫してウィーン市がこのような市内の自動車交通を抑制する公共交通政策を推し進めているのは、一方で、住民の多数派にこのような方針が受け入れられているからだともいえますが、その根拠となっているのは、環境のいわば「採算性」です。環境負荷を都市全体として減らすという大目標を前に、なにがより効率的か、また中期・長期的な観点からみて、なにが採算性が高いかということを基軸にして、交通政策が進められています。

フランスの黄色いヴェスト運動の背景にあるモビリティ問題

一方、基本理念としてモビリティを重視するといわれるヨーロッパにおいても、一様にウィーンと同じような交通政策が支持されているとは限りません。

昨年、フランスではじまった黄色いベスト運動がさかんな地域は、その反対の立場を示している顕著な地域といえるでしょう。黄色いベスト運動は、政府が、ディーゼル車の燃料である軽油に対して、ガソリン車に比べ2倍近く上げるという燃料税の案を発表したことがきっかけではじまった、各地でのデモや暴動などの動きです(ただし、発端は燃料税でしたが、その後の黄色いベスト運動の展開には、フランス社会の様々な問題がからみ、反映されていると言われます。これについての国際経済と労働市場の専門家の見解は「向かっている方向は? 〜グローバル経済と国内政治が織りなすスパイラル」)。

ヨーロッパでは、1990年代以降、環境政策を推進するための重要なインセンティブとして、積極的に環境税制改革がすすめられてきました。ドイツでも1998年に緑の党と社会民主党の連立政権が誕生した後、エネルギー税や炭素税などが次々と導入されてきました。

こうした課徴金制度に対しては、環境を考慮した課徴金の大部分は、徴収した分を国民に直接還元する形がとられることが多く、このような制度の推進派は、課徴金の対象となるものを回避し、公共交通を利用するようにすることによって、家計の負担が減り、環境にもよいことになる。このため、特定の住民に集中して打撃を与えるものではない、と主張(説)します。

しかし今回のフランスの件をみると、この主張が妥当と言えるのは、公共交通などのモビリティが十分確保されている時であるといえるでしょう。フランスはドイツに比べ人口密度が低く、都市部を除くと鉄道網などの公共交通網が発達しておらず、その分、地方在住の人は、マイカーで移動することが多い国であり、この燃料税は、国全体の痛み分けというより、都市在住者よりも地方在住者により大きな犠牲を払わせるものと理解され、今回、地方で抗議運動が広がりました。

恩恵をより一層受ける人(公共交通がそのまま使えるだけでなく、環境税の還流も受けられるため)と、(長期的には異なる可能性があるにせよ)少なくとも短期的には課徴金が大きな負担を強いられる人という風に、社会が二つの方に両極化してくことだけでもすでに問題です。しかし、その分断が、一度社会のみなの目の前で鮮明に可視化されてしまうと、さらにやっかいです。国のなかが二手に分かれて感情的に対立し、議論が合理的な合意をめざす理性的な展開にすすみにくくなるためです(テーマは全く違いますが、ブレグジットの件で国の世論が大きく二分されてしまったイギリスの融和の道は非常に険しくみえるのと若干似ています)。

ただし、だからといって、ディーゼル燃料など人々の生活に直結する環境税は、たびたび、弱者いじめ、不公平だ、などと一面的に批判することも、少し違うように思います。さらに社会を広範囲からとらえてみると、ディーゼル車も保持できないような貧困層にとっては逆に燃料税が国民全体に還流されることで、恩恵を受けられるとう解釈もできるためです。

つまり、環境のための課徴金制度に「不公平」のレッテルをはり、インセンティブとして問題だ、と糾弾するのは簡単ですが、それほど単純なことでもなく、より重要なことは、それを導入するにあたって、都市部だけでなく、それぞれの地方においても、適切なモビリティ構想を合わせもっているのか、という点なのではないかと思います。

都市と地方の間で広がるモビリティ格差

前回、ドイツ語圏の都市部など公共交通がこれまで定着・成功した例をみましたが、視座を地方を含むヨーロッパ全体にひろげてみると、フランスでみえたような都市部と地方の間のギャップや政策の矛盾、不公平さは、むしろヨーロッパ全体を覆う問題として各地に存在しており、今後も状況によっては、その問題がより鮮明に、深刻になってくるのかもしれないという気がします。

ドイツ語圏の都市部ではどこも、公共交通や環境負荷の少ない交通政策に熱心な緑の党や左寄りの政党を選び、これらの政党が中心となり交通政策をさらに推進する傾向が強くなっています。この結果、ますます公共交通が便利となり、自転車道の拡充なども推進され、多くの住民たちはその恩恵を受ける、という好循環のスパイラルができつつあります。

一方、地方では、同じ時代の同じ国のなかであっても、都市の交通の発達とは異なる道を歩んできましたし、今も歩んでいます。もともと地方では、都市部よりもマイカーの利用が多く、公共交通の恩恵にあずかることがずっと少なく、それを促進することへの関心も必要性、都市部より低いままでした。

そのような状況下では、マイカーを抑制しようとする政策はもちろん支持されず、基本的に阻止、あるいは先延ばしにされ、マイカー利用が公共交通にシフトする機会を再び逃す、という工程が続いており、転機がおとずれる兆しはありません。

都市で公共交通が推進される一方、地方では推進されない。このように交通政策が乖離して進んでいった結果、受けられる公共交通の恩恵の大きさの差も都心と地方で大きく開いてきています。そして、受けられる恩恵の大きさが異なれば、住民たちの交通政策における公共交通への期待や理解、認識も異なっていきます。期待や認識が異なれば、当然、その地方の政府や議会が、次の時代の交通政策をどう舵取りするかも違ってきます。

このような状況が10年、20年と続いていったあかつきには、どうなるでしょう。都市部と地方において、今よりもさらに決定的な交通事情の差がでてくるのかもしれません。

おわりにかえて

前回と今回で、いろいろな立場や角度からモビリティについて考えてきましたが、最後に、ヨーロッパから目を離し、日本に目をむけてみましょう。

前回と今回の記事作成のために参考にした交通政策の調査報告や論文をみると専門家の間では、最終的に、ヨーロッパを参考にしながら、日本が目指すべき方向というものを共通して見出しているようにみえます。それがどのような見解なのか。宇都宮浄人関西大学教授の言葉をそのまま引用して、ご紹介してみます。

「今、求められるべきは、まちづくりと一体となった「統合的交通政策」である。そして、そのためには、ストラテジー(戦略)、タクティクス(戦術)、オペレーション(運行)の明確化が必要である。日本の場合は、鉄道会社がまちづくりまで全部担ってきたという歴史的な経緯がある。しかし、縮小、縮退の時代においては、民間ですべてができるわけではない。まずは大きな戦略として、どのような交通とまちにするのかを定めることが重要である。収益性ではない」(オーストリア、2018、3−4頁)。

「いかにして住み続けたくなる、訪れたくなる、Quality of Living の高いまちをつくりあげていくのかが重要。全体最適に向けて、もっと長い目で政策の優先順位を明確化していく必要がある」(同上、4頁)

現在、すでに日本が目指すゴールが、専門家の間で一致してみえているのであるなら、国や県、自治体、また地域の複数の交通事業体が連携しながら、早速、それの実現に向けて現実に取り組み始める段階にあるといえるでしょうか。1965年ハンブルクで、背水の陣で、自治体や交通事業者が一体になってのぞみ、実現した公共交通改革のように。

参考文献

Strom – eine Schlüsselenergie auf dem Prüfstand, Kontext, SRF, 23. Oktober 2019, 9:02 Uhr

Wiener Linien, 2018. Facta and Figures (リーフレット)

Wiener Linien (ウィーン市交通局のホームページ)

遠藤俊太郎「使命を終える鉄道―ドイツにおける鉄道旅客輸送廃止の動き―」『運輸と経済』第78巻第8号’18.8、104―107頁

「オーストリアの交通まちづくりから、地域再生の本質と方法論を学ぶ」、ルネッセ・セミナー第三回概要、エネルギー・文化研究所、1−4頁、3、4頁、2018年8月29日

加藤浩徳、Andrew Nash「スイス・チューリッヒにおける公共交通優先型都市交通政策」『運輸政策研究』Vol.9 No.1 2006、22−34頁。

国土交通省国土交通政策研究所「地方都市における地域公共交通の維持・活性化に関する調査研究」『国土交通政策研究』第120号、2014年11月

後藤孝夫「ドイツ・オーストリアにおける統合交通政策の現状」『運輸政策研究』海外通信004早期公開版 Vol.21 2、1−5頁

土方まりこ「ドイツの地域鉄道政策における「生存配慮」概念の意義『交通学研究』第61号(研究論文)2018年37−44頁

土方まりこ「ドイツの地域交通 運輸連合 役割の変換 研究員の視点」2016年(『交通新聞』からの転載)2019年10月22日閲覧

土方まりこ「ドイツの地域交通における運輸連合の展開とその意義」『運輸と経済』 第70巻 第8号2010.8、85―95頁

渡邉亮「運輸連合の概要と日本への示唆─ドイツ・ベルリンを例に─」『運輸と経済』第72巻 第9号 ’12 .9、72−81頁

渡邊徹「なぜ公共交通の確保維持に多額の補助金を支出することが社会に受け入れられているのか ―ドイツ語圏主要3カ国の主要都市を事例としてー」『運輸と経済』第78巻第2018.8、97−103頁。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


公共交通の共通運賃・運行システム 〜市民の二人に一人が市内公共交通の年間定期券をもつウィーンの交通事情

2019-10-28 [EntryURL]

ドイツ語圏の国々(ドイツ、オーストリア、スイス)の都市を中心とした多くの地域の公共交通では、日本にはない、共同運賃・運行システムがとりいれられています。

まず、バスや電車など複数の異なる交通事業者の交通機関を利用して移動する際、ひとつのチケットを購入するだけですみます。それぞれのチケットを買うという面倒な作業も必要なければ、初乗りなどの上乗せ料金もかかりません。チケットの料金は、場所により若干異なりますが、基本的に多くの人が利用しやすいように、低価格におさえられています。

また、運行計画やダイヤは、市内の複数の交通機関をすべて考慮した統一的なものであり、それぞれの交通事業者の乗り継ぎがスムーズにできるようにしてあります。

このような運賃・運行システムは、住民にとってはもちろん観光客にとっても、非常に使い勝手がよく、実際に、このようなシステムを導入している地域の公共交通の利用者数は増加傾向にあります。また、単に利用者に便利というだけでなく、住民への公平なモビリティの提供や環境負荷の少ない移動手段といった、別の観点からの評価も高く、交通施策として安定的に支持されています。

今回と次回を使って、このようなヨーロッパの公共交通のシステムをとりあげ、それを切り口にしながら、モビリティの役割や今後の時代のモビリティのあり方、また現在、直面している地方における問題など、日本でも共通するテーマについて、少し掘り下げてみていきたいと思います。具体的には、初回の今回はまず、ドイツ語圏の公共交通において共通運賃・運行システムがつくられた経緯と、現在、実際にどのように日々使用されているのかを、ウィーンを例にみていきます。次回では、モビリティのもつ役割について、より広く、複数の角度から検証し、そこででてくる問題についても考えていきます。

なお、今回のテーマに関連する調査や研究が、日本語でも多く発表されており、それらがウェッブで公開されています。詳しくは、次回の記事の下で一括して掲載します参考文献をご参照ください。

モータリゼーション全盛期の公共交通

公共交通で共同運賃・運行システムをはじめて導入したのは、1965年、ドイツのハンブルクです(土方、2010)。

1960年代といえば、どこの都市でもモータリゼーションが進んだ時期です。(現在は、都市の中心部は、車の通行を禁止したり制限し、歩行者が道のどこでも自由に闊歩できるような区域を設けているところが多くなりましたが、)当時は、車道が都市の中心部までのび、広場は駐車場と化し、自動車が都心部のオープンスペースのほとんどを占領していました。(ちなみに、現在世界で自転車都市として名を馳せているアムステルダムやコペンハーゲンも当時同じような状況で、その後市内の自転車交通網を整備していくことになります「カーゴバイクが行き交う日常風景 〜ヨーロッパの「自転車都市」を支えるインフラとイノベーション」)。

車でどこでもいけるようになると、公共交通の利用者は相対的に減っていきますが、公共交通は、利用者が減るとどうなるでしょう。利用が少ないので、運行側も、本数や新規投資を減らさざるをえず、利用が不便になったり、車両や運行のテクノロジーが古くなっていきます。そうなるとその先は、悪循環のスパイラルが続いていきます。効率も悪くなり、コストはますますかかるようになり、遅延も起きやすくなります。その損失分を利用者の賃金で補填しようとすれば、さらに人々の足が遠のきます。

ハンブルクからはじまった公共交通の復興物語

こういった悪循環のスパイラルを放置しておくと、必然的に公共交通は衰退していきますが、当時のハンブルクでは、公共交通の復興をかけて、これまでなかった全く新しいシステムを導入しました。そしてこれが、ドイツ語圏の公共交通システムの歴史において、大きな転機となります。

それは上述したように、公共交通事業者たちが協同して、時間的な無駄が少なく乗り継ぎがしやすい地域の全体の運行計画(ダイヤを策定を含む)をつくり、それらを利用する際、異なる事業者によっていちいち初乗り料金を請求しない、地域内の統一・共通の運賃体制(つまり一つのチケットで特定の地域の交通機関すべてにのれる)をつくる、というものでした。

この新たな任務を遂行するため、そのための専門的な組織も、新たにつくられました。「運輸連合Verkehrsverbund」と呼ばれるものです。運輸連合は具体的に、交通(運輸)に関わる事業者の間で調整し、統合的な運行計画や乗車料金体系を作成し、それに基づき、関係するそれぞれの交通事業者と詳細にわたる協定を結び、その協定に沿った運行が達成されているかをチェック・評価し、達成度や評価に合わせて、運輸連合に一括してプールされた運賃などの売り上げを、それぞれの交通事業者に再配分することを業務とします。

ハンブルクではじまったこの画期的な試みは、利用者に好評を博し、利用者数を徐々に回復していきます。ハンブルクの例は、同様にモータリゼーションの潮流で苦戦していたドイツのほかの都市や地域、またオーストリアやスイスでもすぐに知られるところとなり、各地で同じような運輸連合が相次いで設立され、公共交通の在り方として定着し、今日にいたっています。

公共交通のパラダイス、ウィーン

ここからは、ドイツ語圏の公共交通の状況について、ウィーンを例にとって、具体的に概観してみます。ドイツ語圏でベルリンに次いで二番目に大きな都市で、現在の人口は180万人おり、今後も増加すると見込まれているウィーン市の公共交通は、現在、ドイツ語圏の都市のなかでもとりわけ公共交通の成功例として注目されており、世界各地からの視察団が頻繁におとずれる公共交通政策のいわば「聖地」ともなっています。

それは、まず、単に利用者数が多いからというのではなく、大都市の公共交通というきわめて複雑で課題の多い運行をうまく行っており、住民から高い支持を受け、実際によく利用されているためです。また、将来の都市の人口増をみすえて、ウィーンの都市計画と密接に連携しながら、長期的な公共交通プランをたて、そのための投資も積極的に行っていることも、(同様に将来人口増加が見込まれる世界各地の)大・中規模都市にとって、非常に参考になるのだと思われます。

ウィーンでも、1960年代にほかのドイツ語圏の都市同様に、運輸連合が設置されたのち、公共交通の運賃が統合され、それぞれの乗り換えもスムーズにいく体制ができていきました。

その後、人口の増加も後押しし、安定的に利用者数は伸長し、現在は1995年に比べ3分の1ほど多い、260万人以上の人が、毎日利用しています。ウィーン住民の間で、主要な交通手段として公共交通を利用する人の割合は、約4割です(2016年は39%、2017、8年は38%)。この割合は、ほかのドイツ語件の主要都市に比べると(ベルリンでは27%、ミュンヘンは23%、ハンブルクでは18%)、突出した割合といえます(ちなみに、ここでの主要な交通手段というのは、最も長い時間利用する交通手段をさします)。

ただし、このような利用率の高さは最初から達成されていたものでなく、とりわけここ数年で顕著となった現象です。例えば1993年には29%で、ほかのドイツ語圏の主要都市と大差ありませんでした。一方、その後は、公共交通のシェア率が徐々に上昇し、それから四半世紀後の2016年には10%多い、39%に到達しています。

他方、車を主要な交通手段とする人は、1993年は40%でしたが、2018年には29%に減っています。つまり、四半世紀の間に、公共交通と車の交通手段としての有効性が、逆転したことになります。


出典: Wiener Linien, 2018. Facta and Figures


ちなみに、2017年、2018年には前年より1%下がって38%となっていますが、これはウィーン公共交通の対象地域が拡大し、新しい地域の公共交通ネットワークは現在また完成しておらず、その地域でいまだ比較的多い自動車利用者の数が反映されたものだと、ウィーン市交通局(都市ウィーン100%出資している株式会社ウィーン都市施設局の一部で、ウィーンの公共交通の運行を一手に行なっている部署)では理解しています。実際に利用者数が減ったのではなくむしろこの間も増加しています。このため一時的に利用率としては落ち込んだ形に現在なっていますが、現在建設中のこう公共交通が完成していく数年後には、ふたたび全体の利用率もまたあがると見込まれています。

二つの補完しあう公共交通促進のインセンティブ

1993年の時点では、ほかのドイツ語圏の都市圏の現在の公共交通利用の割合とほぼ横並びだったのが、その後1割近くも高くなったのには、二つのインセンティブが重要であったと考えられます。

ひとつは、年間定期券の大幅な値下げです。2012年から、ウィーン市交通局は、これまでもあった年間定期券(ウィーン市内の公共交通すべてを1年間を通じて自由に好きなだけ乗ることができるチケット)の値段を480ユーロから365ユーロへと、大幅に引き下げました。

またこの年間パスの大幅な値下げと同時に、ウィーン市は、市内の駐車場の一時間駐車料金をそれまでの倍額の2ユーロ20セント(約2ドル50セント)に引き上げました。

その結果、年間定期券の値下げ直後から、(特に広告などは一切しないでも)定期券の購入は毎年右上がりで一気に増えてゆきます。2015年以降年間定期券の購入者数は、ウィーン市で登録されている車の台数を、超えるようになり、2018年にはこれまでで最高の82万2000件のパスが販売されました。ウィーンの人口が180万人なので、単純に概算すると約二人に一人が年間定期券を保持していることになります。ただし、この数には年金所得者や若者を対象として割引年間定期券は含まれておらず、就学前のこどもにいたってはそもそも交通料金がかからないことなどを考慮すると、成人年住民で、なんらかの年間定期券を保持している人の割合はもう少し高くなると考えられます。


出典: Wiener Linien, 2018. Facta and Figures


つまり、年間定期券を値下げする一方で、駐車場の料金をあげる。このような両サイドからのインセンティブによって、人々は年間定期券を購入し、公共交通を利用する方向に移行していったと考えられます。ちなみに、1日1ユーロという、誰にでもわかりやすい値段体系も、年間定期券の手ごろ感と便利さをアピールするのに大いに役立ったとされます。

ちなみに現在、交通局に入る交通料金収入の年間定期券の占める割合は45%を占めます。ほかに、若い学生や60歳以上の人々を対象にした割引年間定期券も販売しており、それもあわせると、年間定期券関連販売収入は、全チケット販売収入の63%になります。

運賃値下げの背景

ところで、このような大胆な値下げは、ウィーン市交通局自らの意向で実施されたわけではありません。ウィーン市交通局が財政的に100%経済的に依拠しているウィーン市の意向を反映したものです。

この値下げ案に限らず、ウィーン市議会は、伝統的に左派や緑の党が強く、すべての人に公平なモビリティを確保することや、自動車を都市から減らし人々を公共交通に移行させることを重要な課題としてきました。このため、換言すれば、数十年にわたる市の交通政策が、現在のウィーンのすぐれた都市交通ネットワークとして実を結んでいるといえます。

2018年の利用者数はのべ人数で9億66万人(一日当たり260万人)であり、2年後には10億に到達すると見込まれています。

おわりにかえて

今後、日本でも、人口の縮小や高齢化などの理由で公共交通の利用が減少する地域が、確実に増えていくと思われますが、そこでは、どんな可能性が残されているのでしょうか。

近年は、MaaS(マース)という最新のデジタル技術を駆使した交通体系を再編成・統合の動きが世界的に改めて注目されるようになってきましたし、既存の交通事業者やそれを抱える自治体が、簡単に廃線や補助金カットという選択肢を選ぶのでなく、少なくとも、誰のためのなにが重要でそれがいかにして可能であるかを改めて検討し解決策をさぐるのは、今からでも決しておそくないでしょう。

ただし、ウィーンをはじめとする主要なドイツ語圏の都市の主要な公共交通網は、現状では、委託業者の入札以外では基本的に自由競争の原理にのっとっておらず、州や自治体あるいはそれらが100%出資する会社が運行管理しています。このため、独立採算制が重視され、複数の交通事業体が競合的な関係のなかで運営している日本の公共交通体制とは、基礎的な枠組みを大きく異なり、簡単に比較をすることはできません。

そうであるとはいえ、今回紹介したような、共通運賃・運行制度や、年間パスなどの定期券を格安で販売するという大胆なインセンティブが、ドイツやオーストリアで、実際に地域住民や社会全体、また環境にどのような効果や反響をもたらしたのかという事実関連は、日本でも参考になることでしょう。

次回は、モリビティについて、今回の話より広げてみてゆき、いくつかの観点で掘り下げて考えてみたいと思います。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


情報伝達量からみた日本語 〜世界でもっとも早くしゃべる日本語話者のツイートは濃厚?

2019-10-13 [EntryURL]

日本語が、ほかの主要言語と比べて最も速くしゃべられている、と指摘する言語学の論文が今年9月に発表されました(Coupé, 2019)。そこで導き出された結論が(言語学の専門家だけでなく)一般の人にとってもおどろくべき内容であったため、世界各地のメディアでとりあげられていました。

今回はこの論文の内容を紹介しながら、情報伝達の媒体としての日本語の特徴について、さらに少し掘り下げて考えてみたいと思います(とはいえ、論文そのものは、専門的知識や理解が足りず歯が立たなかったため、以下の記事は、論文の著者自身や主要メディアの解説を参考にしながら、論文の結論の部分についてまとめました。原文については下の参考文献から全文ご覧になれます)。

言語の情報伝達容量の測定と比較の結果

言語は構造や発音などいろいろな要素があり、それらは言語によって非常に大きく異なりますが、情報を伝達する、という機能と、その情報の伝達に、音声を使うということは共通しています(書き言葉もあるのでは、とつっこみたい方もいるかもしれませんが、もともと言語は音声で伝える口語であったという言語発祥の歴史にさかのぼり、とりあえず、ここでは、言語を音声に依拠するもの、と一応とらえておくことにします。ただし、話し言葉でない言語についても、あとのほうで若干触れます)。

論文著者たちは、以前、ひとつの音節(シラブル)内に伝達できる情報量の容量について、世界の主要言語を調べたことがありますが、その結果、日本語が、ほかの言葉に比べると非常に低いということを明らかにしました。

音節とは、ひとまとまりとして感じられる音の最小単位のことで、言葉をゆっくり話した時に、区切られて聞こえる音のことです。母音と子音が組み合わさってできています。つまり、ひとつひとの単語は、ひとつ、あるいは複数の音節によって成り立っているということになります。

これだけ聞いてもぴんときませんので、『世界大百科事典』(出典:平凡社世界大百科事典 第2版)にあげられている例をあげてみます。「例えば英語のstrike[stráik]は1音節であるが,日本語は[str]のような子音連続や[k]のような子音で終わることを許さないので,strikeという英語を日本語の語彙の中に取り入れるためには,これらの子音の間や終りに母音ウ[ɯ]やオ[o]を添加してス・ト・ラ・イ・ク[sɯtoraikɯ]と5拍に読み替えてしまう。」

つまり、「音節(拍)の構造が〈子音+母音〉を基調とし」、「母音で終わる〈開音節〉の語が多い」日本語は、ほかの言語よりも、言葉のなかに音節がやたらに多く、それゆえ音節ごとに切ってその情報の容量をはかると、やたらに少ないということなります。著者たちの計算によると、1音節で伝えられる情報量を英語と日本語で比べると、実に11対1になるそうです。

言語によってしゃべられる速さが違う

しかし、ここまでは、単に音節が多い言語形態なのだから、ひとつひとつの音節のなかの情報量が少ないのも、当然といえば当然という気もします。この論文での興味深い発見は、むしろここから先です。

論文の著者たちは、世界の言語をいくつかのグループに分け、それらをおおむね代表していると考えられる17言語を選び、それぞれの言語につき、10人のネイティブスピーカーに15の短い日常の光景を叙述した文章を読んでもらいました。そして、その音源をもとに1秒間に何音節発話しているか測定しました。1秒間に話す音節の数を、スピードを図るバロメーターとし、しゃべる速度を測定したというわけです。

すると、1秒間に話す音節の数は、言語によって大きく異なり、もっとも速くしゃべられていたのが、日本語、という結果になりました。日本語話者は、1秒間に平均して8音節をしゃべります。ドイツ語や、アジアの声調言語(音の高低(トーン)のパターンで意味を区別させる体系をもった言語。中国語やベトナム語など)では、これよりずっと1秒間に発話される音節数が少なく、つまり、ゆっくりしゃべられていました。ちなみに、スペイン人やバスク人、イタリア人も、日本人とほぼ同じほど速く(つまり多くの音節)を発話していました。

しゃべる速度と情報量の関係

さらに、著者たちは驚くべき事実を発見します。17言語のしゃべる速度と、それぞれの言語の音節の平均情報量を掛け合わせて、一定の時間に伝えられる情報量を計算してみると、17言語が伝達する情報量は、ほぼ同じ値となったのです。その情報量をビットという情報の単位で計算すると、毎秒39ビット(1秒あたり1ビットの伝送率、b/s, bps, bits/sなどとしても示されます)となりました。

つまり、しゃべる速度は言語により異なりますし、音節内にある情報量も違いますが、(音節の)情報量が多い言語Aは、ゆっくり話され、情報量が少ない言語Bは、(言語Aと同じ分量の情報量を一定時間内に伝達するために)速く話されることで、最終的に「伝えられている情報の量」は、どの言語も、同じだったということになります。

「やっぱり」と「意外」

この論文の結果が、ドイツ語圏で報道されると、ドイツ語圏の人たちからは、ああ、やはり、という声が多かったようです。常日頃、ドイツ語話者の間では、イタリア語やスペイン語の話者の言語をはたで聞いていて、どうも自分たちよりよくしゃべっているような、早口だなあ、という印象をもっていた人が多かったからでした。

一方、たとえ早口でしゃべっていても、結局、しゃべっている内容量が、実は、自分たちとほとんど同じだったという事実には、想定していなかったようで、驚いていました。

日本語話者としてどう感じる?

さて、ここからは、話題をヨーロッパからアジアにうつし、日本語に焦点を合わせてすすめていきます。日本語話者は、今回、著者たちから、「世界最速のおしゃべり語族」のお墨付きをもらったわけですが、そのような自覚が、これを読まれている日本語話者のみなさんに、これまであったでしょうか。

わたしは、この話を聞いて、ひとつ思い出したことがありました。ドイツ語と日本語の間で通訳する際たびたび経験してきたことなのですが、短いドイツ語を通訳するわたしに対し、(わからないながら)横で聞いていたドイツ語圏の話者が、なぜ、簡単なドイツ語の文章がそんなに長い通訳になるのか、と面喰らっていた場面です。

このため、この論文の結論を聞いて、なるほど、とすこし腑に落ちた気がしました。その一方、日本語がほかの言葉より多くしゃべっている(とすればその)理由は、単に音節内の伝達できる情報の密度だけでは、十分な説明ではない、という感じも、同時に強くもちました。日本語がほかの言葉より、一定の時間内に同じ情報を伝達するのに、多くしゃべられるのだとすれば、それは、ほかにも少なくとも二つの大きな理由があると思います。ひとつは、日本語の音節の種類の少なさ、もう一つは日本人の礼節文化の独自さからです。ひとつずつ説明してみます。

音節の少なさに起因する饒舌さ

日本語は世界的にみても、音節の種類が非常に少ない言語です。たとえば、英語には音節の種類が7000ありますが、日本語が650しかありません。

音節が少ないため、同音異義語が多くなります。漢語の熟語は、特に多く、同音異義語のオンパレードです。このため、通常の話をしているとその前後の文脈(コンテクスト)で、同音異義語のどの意味を指しているのかがわかる場合が多いですが、それでも、時々、どの同音異義語を指しているのかそれほど自明でないこともあります。そのため、(同音異義語が比較的少ない)やまと言葉に置換して言ってみたり、どの言葉を指しているのかはっきりさせるために前や後の文脈を補ってみたり、あるいはちょっと気取った言い方で、英語で相当する言葉で言い換える、などの必要がでてくることがしばしばあります。

例えば、「ビジネスで肝心なのはソーゾーする力だ」と音声で聞くと、これだけでは「ソーゾー」が、「想像」か「創造」かはっきりしません。なので「新しいことやものを考える力である」とか、「クリエイティビティ」など、ほかの言葉で言い換えして内容を補充、補完するようなことが、結構あるように思います。

置き換えたり、前後に文脈を補強して、指している言葉を察知してもらわらなくてはいけない場面が多くなればなるほど、結果として、音節が豊富な言葉よりも、しゃべる言葉数が多くなってしまう、ということがままあるように思います。

礼節文化に起因する独自さ

もう一つ考えられるのは、日本語という言語というより、日本人の礼節への考え方や相手への期待など、独自の文化的背景に起因する、独特の「饒舌さ(発話量の多さ)」です。

これは、人や文脈によって、もちろん一概にはいえませんが、通訳の場面ではたびたび感じます。相手の誠意や礼節ある態度を、表現しようとする時、日本語では、しゃべっている言葉だけでなく、日本人は発話する態度や、言い回し方、話の順序(なにから話をはじめるかなど)などをとても重視し、オブラートに包むよに丁寧に伝える傾向が強いと思います。もちろんドイツ語圏の人でも、礼儀はあり丁寧な言い方もありますが、日本人の比ではありません。

例えば、ダイレクトに言わずに語尾をぼかして、察知してもらうように期待するとか(「今日はちょっと、いろいろあって」 〜言葉の通訳と異文化間のコーディネイト)、はっきりいうにせよ、相手に対する理解を前後で示したり、相手にできるだけ抵抗なく受け止めてもらうようにいくつかの言い回しを追加する、といったことがあります。礼節の一環として、日本語で頻繁にもちいられる謙遜後や尊敬語も、文章を長くします。例えば、「わたしも行きたいです」という情報を、「わたしも行かせていただきたいのですが、ご一緒してもよろしいですか」といった具合に表現することがあります。そのように丁寧な言い回しを重視すればするほど、基本の情報量は同じでも、言葉数としては、かなり多くなります。

また、お礼の気持ちを表す時に、ドイツ語では一度「ありがとう」で済むせることでも、日本語は一回でなく、感謝の言葉を、何度か時間の間隔をあけて繰り返す(そのような形で感謝の気持ちを真摯に表そうとする)ことがままありますが、このように、情報としては同じでも繰り返すことが多いのも、発話量は増やす結果につながっているように思います。

脳の処理能力

ところで、この論文では、一定時間に伝達される情報量が、どの言語にも共通している、という重要な事実も指摘していましたが、一体どうしてそのようなことになったのででしょう。17カ国の言語の精密な観測の結果、ほとんど違いがないというのですから、単なる偶然ではないでしょう。これについては、著者たちは仮定にすぎないと断りながらも、脳の処理能力に関係するのではないか、と自説を披露しています。

わたしたちホモ・サピエンスの脳は共通して、伝達されてくる情報を処理する能力をもちますが、それには(どの情報処理ツールにもあるような一定時間に処理できる容量の)上限があり、それ以上の情報が入ってきても処理できないため、だいたいどこの言語においても、その上限に見合うほどの情報量しか、一定の時間内に、伝達されていない、ということなのではないかと。言い換えれば、言語は非常に差異があるにも関わらず、毎秒39ビットという最大容量の情報を伝達することには、いずれも成功しているということになります。

ちなみに論文著者は、この上限は、耳が聞き取れていないということではない。耳は聞くことができたとしても、聞いたことを処理し考えにかえていく能力(速度)に限界があり、毎秒39ビットという値になったと考えます。

逆の現象が観察されているツイート

最後に、今回のリサーチをしている間に、日本語の情報伝達についての、全く違う観点からの興味深い指摘もみつけたので、このことについても言及してみます。

それは、書き言葉としての日本語は、英語などほかの言語に比べ、非常に濃厚な情報伝達言語であるというものです。この指摘は、日本語とほかの言語でTwitterを使っている利用者たちからでていました。Twitterは、ご存知のように文字数に制限があるソーシャルメディアですが、英語やドイツ語に比べ、たくさんのことが短文でも表現できる。このため、日本語で「ツイート(つぶやく)」と、英語のつぶやいているものより、ずっと濃厚な内容になるのだ、と言われていました。その理由は、漢字という、意味を文字のなかに圧縮したような情報過密な表意文字であることが大きいようです。

わたしはTwitterをしていていないので、このことを実感しているわけではなく、また、この説が実証的な研究で証明されているのかもわかりませんが、もしこの指摘が正しいのだとすれば、音韻数で切るのでなく、書き言葉メディアとして文字数を制限して比べると、逆に、事情が反転し、情報伝達量が多くなる、というのは、妙で面白い話です。

おわりに

ところで、この一連の話、わたしにとっては大変おもしろかったので、ドイツ語圏で日本語を解さない知人何人かに、説明しようとしたのですが、ただちにそれは、かなりの難題であることがわかりました。

背景としてまず日本語の特徴を説明しようとすると、いちいち、わたしの説明に疑問がわいたり、つまずいてしまいます。尊敬語、謙譲語とはなにか。表意文字とは一体どんなものなのか。そもそも、そんなに同音異義語が多いなんて、あまりに非効率な言葉で使いにくいのではないのか、等々。

結局複数の人でためしてみましたが、うまく理解してもらえず、話はいつのまにか別のテーマに移っていってしまい、最後までこの話を説明しきることはできませんでした。

わたしたちホモ・サピエンスには、一定の時間に同量の情報伝達を処理する言語能力が備わっているらしいことが今回の論文でわかりました。一方、互いの言いたいことを伝えきって理解してもらうためには、そのような潜在的な情報処理能力だけでなく、説明力や、忍耐力、あるいは想像力といった別の要素が話者と聴者両側で不可欠で、それがないと、たとえ共通する潜在的な言語能力があっても、やはり伝わるものではないのだ、という事実を改めて思い知らされた気がします。

参考文献

Charisius, Hanno, Haben Sprachen ein universelles Tempolimit? In: Süddeutsche Zeitung, 6. September 2019, 13:52 Uhr

Coupé, Christophe/ Oh, Yoon/ Dediu, Dan/ Pellegrino François, Different languages, similar encoding efficiency: Comparable information rates across the human communicative niche. In: Science Advances 04 Sep 2019:Vol. 5, no. 9, eaaw2594 DOI: 10.1126/sciadv.aaw2594

Faster and slower languages convey information at similar rates, by CNRS, phys org, September 5, 2019

Haas, Lucian, Alle Sprachen kommunizieren gleich schnell, Deutschlandfunk, 5.9.2019.

Pellegrino, F., Coupé, C/ Marsico, E.(2011). A Cross-Language Perspective on SpeechInformation Rate.Language, 87, 539-558. Warum Italiener so schnell reden, Science, ORF.at, 6.9.2019.

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世界大百科事典内の音節の言及(出典『平凡社世界大百科事典 第2版』)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


男性が「女性の仕事」へ進出する時 〜みえない垣根のはずし方(2)

2019-10-05 [EntryURL]

前回、女性の性別に典型とされてきた仕事に男性を進出させることが、労働市場の観点から今後非常に重要となる、というUBSの報告書を取り上げました(男性が「女性の仕事」へ進出する時 〜みえない垣根のはずし方(1))。一方、報告書の指摘は、スイス社会に、当初、斬新に映り、メディアで一斉に報道されたものの、その後、現実社会に、新たな動きをつくりだしたようにはみえません。

それはなぜか。結論を先に言うと、男性の性別典型とされる仕事とおなじかそれ以上に、女性の性別に典型とされる仕事への敷居ためからだと考えられます。今回は、なにが敷居を高くしているのかを具体的にみていきながら、その上で、職業や専門の上でのジェンダーフリー化という問題について、改めて考察してみたいと思います。

「女性の仕事」の特徴

スイスにおいて「女性の仕事 Frauenberuf」とされる女性の就業が圧倒的多数を占める健康や社会分野の仕事にはいくつかの共通点があります。

まず、男性が多い業種に比べ給与が全般に低いことです。(高等教育課程の教師などは例外として)介護や低学年担当の教師の給与は全般に、スイス全般の給与と比べると低く、それが、男女の平均的な賃金格差を広げる理由の一つともなっています。

また、パートタイムの働き方が容易であることも、この職業分野の大きな特徴です。パートタイムという働き方は容易であるというのにとどまらず、すでに圧倒的な多数派の就業の仕方にもなっています。

例えば、現在スイスの教師のうちフルで働いているのは3割にとどまり、残りの7割はパート勤務です(ちなみに、スイスのドイツ語で規定されている教師のフルタイム勤務時間は年間で1916時間で、週になおすと約40時間)。近年、特にパートの時間数を減らす人が多く、50%以下のパートタイム勤務をしている小学校教師は教師全体の3割であり、州によっては教師の半数近くが就労時間50%以下の勤務の形をとっています。保健医療や社会部門(教育をのぞく)のパートタイム就業も55.2%です(BFS, 2019)。

逆に、これらの分野でパートタイムという働き方が、徐々に確立されたことが、女性にとって仕事と子育てなどの家庭の課題の両立を可能にし、女性に就業への道を開いてきた。つまりそれが、これらの分野において、女性の就業が多い直接的な理由でもあるともいえます。

一方このような女性の性別に典型となっている就業の仕方の特徴は、男性を人材として獲得する際には、大きな障壁となっています。男性の間では、パートタイム就業を希望する人はむしろ少数派であり、好景気で労働力は全般にどこの分野でも不足している状況下、ほかの仕事と比べて給料が低いこれらの業種に魅力を感じる人が少ないためです。

就労形態や給与面でもメリットを感じないだけでなく、介護や学校現場などにつきまとう「女性の仕事」という社会や個人が抱くイメージや先入観や、実際に女性が圧倒的に多い職場であることも、そこに入っていくことに、躊躇や抵抗を招きやすくしているといえるでしょう。

これらのことを考慮すると、男性を女性の性別に典型の職業にひきつけるのは、容易ではないことが想像されます。

性別典型の仕事の「ジェンダーフリー化」問題

これまで男女性別に典型的な職業や専門と言われるものを具体的にみてきて、どちらの場合も、就労環境や条件、また社会に根付いたネットワークや価値観、また職業を選択する本人の特性(なにを得意とするかなにが気にいるかなど)などが、本人が強く意識しているかいなかとはまた別に、水面下で深くからみあっいるようだということがわかってきました。それらが重なり合ってみえない垣根をつくって、別の性別の人たちへ門戸を開くのを難しくしているようです。

さて、ここで改めて、ふりだしの命題(どの職場でもジェンダーフリー化を目指すべき)にもどり、問い直してみます。男性および女性占有の職業をともにジェンダーフリー化はいかにして可能となるのでしょう。なにが優先されどこから手をつければいいのでしょう。

男女同権パラドクスの指摘をした著者の一人のStoetは、どうしたら女性のSTEM分野への進出が促進されるかという質問にインタビューで回答したことがあります(Fulterer, 2018)。これについては以前の記事ですでに言及してありますが、今回の論考をすすめる上でも参考になるため、その内容を再び紹介してみます。

著者は、「分別ある案」と「クレイジーな案」という二つの案を提示します。「分別ある案」とするのは、学校に在学中の生徒に科目を選択させないというものです。早期に科目を選択できなくすることで、STEM科目を長く勉強しなければならなくなると、女子生徒も、それらの科目への失望感を克服できるはずだとします。もう一つの「クレイジーな案」としては、STEM科目を専攻する女性への優遇措置(差別化)を提案します。例えば、授業料を学生が支払うイギリスではSTEM科目に進む女性の授業料を免除したり、大学の費用が無料のドイツでは女性だけに奨学金を出すといったものです。

一方、著者は後者の案に対し、「そのような経済的なインセンティブは機能するだろう」と楽観的な見込みをもちつつも、次のような疑問も呈しています。「しかし、公平な成果をもたらすために、不公平なシステムを打ち立てるべきなのでしょうか?」(Fultere, 2018)。

確かに女性のSTEM問題(女性でSTEM分野に進む人が少ないこと)は現在多くの国で、社会的に問題と捉えられており、状況を改善すべきという点ではほぼ社会で合意されていますが、具体的な施策として、女子が少ないので女子を優遇することと、女子と男子と同じに扱うこと、そのどちらがより社会の公平・平等に寄与する優先事項なのか、それほど自明ではありません。著者もその点を重くみて、あえて「不公平なシステム」にならないのか、と問いをたててみたのでしょう。

では、男性の進出を女性の独占的な職場や専門においても促進しようとする際はどうでしょう。当然、同様の問題がもちあがるでしょう。男性だけを対象にした待遇強化(例えば介護研修や教職課程に在籍する男性だけに奨学金をだすこと)をするべきか。それとも教育上の機会は、あくまで男女公平に保つべきなか。どちらが賢明と考えるかは、この場合でも、人や立場によってかなり異なってきそうです。

好きな仕事に従事するのは正当か

そもそも、男女平等パラドクスという現状の評価自体も、どの点を重視するかによって、違ってくるといえるでしょう。女性がまんべんなく男性が現在占有しているような分野においても、活躍するのが「男女平等」な社会のあるべき姿であるとするなら、STEM分野に進む女性が結果として相対的に少ないという現在の男女格差の少ない国で起こっているような状況は、望ましくないことです。

一方、そもそも、男女が好きな仕事が選べる自由のある社会で、個々人が自分で希望する職種を選び、自分のより得意な分野に進む女性が多いという状況は、非難に値することなのでしょうか。

少し話をずらして、男性と女性がボランティアでどんな仕事に従事しているかをみてみます。スイスの例でみてみると、男女がするボランティアの仕事は、どちらも人を助ける仕事であるという意味では共通しているものの、具体的な活動領域は、大きく異なっています。例えば、女性や育児や介護などソーシャルな分野が多く、男性は大工仕事やコンピューター、車の配車など、力仕事や専門を生かした仕事が好まれる傾向が強くあります。

ボランティアは生計を立てるためにすることではなく、自分の自由な時間を自分の自由な意志を使っておこなうものですが、ここで、ボランティアと生業である職業を対照化しながら考えてみます。

ボランティアであっても生業であっても、男女で従事する仕事がかなり異なっている。これが現在の事実ですが、これに対しどう考えるのが妥当でしょうか。ボランティアは自由時間にするという意味で、趣味と同じであり、原則として好きなことをやるのでもいい。一方、生業ではむしろジェンダーフリーを意識して男女が偏らずいろいろな仕事につかせることを奨励すべきだ。あるいはボランティアであっても、生業と同じように、女性も男性も性別に根付いた仕事を離れ、もっと積極的にこれまで従事していなかったような仕事に進出させるよう推進すべきだ。それとも、生業もボランティアも、その人が好きなことを選んで従事するのが望ましい、でしょうか。

おわりに

ここまでいろいろな角度から議論してきましたが、なかなか終わりがみえないので、この辺で、議論を一旦うちきりましょう。

議論がどう続いていくかという話とは全く別に、こんなことも言えるかもしれません。人々の好みや考え方はどんどん変化していくものなので、一見、現在男女同権の推進に付随して矛盾にみえる現象や、不公平で問題にみえる事項もまた、一時期のもの、一過性のものに過ぎず、時代が進むうちに、結び目がほどかれていくように、自然に社会のなかで解消されていくのかもしれない。

いずれにせよ、現在の時点で重要なのは、今みえている状況や問題に終始せず、まして、性別に典型とされる職業を、一刻もはやくジェンダーフリー化すべき悪しき存在として一面的にとらえることでもないでしょう。むしろ、その社会的背景やそこにある複数の意味や捉え方の変化を考慮しながら、性別に典型的な職業について、簡単な結論を追い求めず議論や解釈を継続していく。そのような息の長い関わり方をしていく覚悟なのかもしれません。

参考文献・サイト

Bundesamt für Statistik (BFS) (hg.), Schweizerische Arbeitskräfteerhebung (SAKE), Teilzeiterwerbstätigkeit in der Schweiz 2017, 17.01.2019, 8.30 Uhr

Fulterer, Ruth, Mint-Fächer: “Nicht allein die Biologie”. In: Zeit Online, 7. März 2018, 16:46 Uhr Editiert am 14. März 2018, 7:55 Uhr

Gender-equality paradox, Wikipedia (2019年9月2日閲覧)

Gruber, Katharina, Nicht überall ist Technik ein „Männerfach“. In: Ö1-Wissenschaft, 8.3.2018

Mädchen fehlen weibliche Vorbilder, Science ORF at, Publiziert am 13.02.2017

Nguyen, Duc-Quang, Das Geschlecht der Berufe Die Entwicklung der Geschlechter bei der Arbeit seit 1970, Swissinfo, 7. Mai 2018.

Obermüller, Eva, Paradoxie der Gleichberechtigung, ORF at, Science, 14.2.2018.

Stoet, Gijsbert/ Geary, David C., The Gender-Equality Paradox in Science, Technology, Engineering, and Mathematics Education. In: Psychological Science, February 14, 2018, pp.581-593.

UBS, Wirtschaft Schweiz. Mehr Stellen – aber genug Arbeitskräfte? Chief Investment Office GWM, 11 Juli 2019.

Wittenhorst, Tilman, MINT-Studium: Frauen weniger interessiert, wenn sie die Wahl haben. In: heise online, wissen,20.02.2018 16:46 Uhr

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


男性が「女性の仕事」へ進出する時 〜みえない垣根のはずし方(1)

2019-10-02 [EntryURL]

今日のヨーロッパでは、就労の在り方として、性別により進む専攻や職業選択が制限されるべきでないというだけでなく、なんらかの制限する、構造的な問題や意識上の障害があるのであれば、それをできるだけ取り除くべきだという考え方もかなり定着しています。

このため、例えば、単なる企業の商品やイメージの宣伝だけでなく社会で一定の影響力をもつと考えられる各種の広告においても、女性や家事、男性は仕事といったステレオタイプ的な性別の役割分担を強調・助長するものや、特定の性別イメージを植え付けると思われる表象がないかが配慮されます(穂鷹「ヨーロッパの広告にみえる社会の関心と無関心 〜スイス公正委員会による広告自主規制を例に」)。

その一方、男女同権が進んでいるとされる国では、近年、「(教育上の)男女平等パラドクス」とよばれる現象が観察されています。これは、男女同権が進んでいる国と男女同権が進んでいない国を比べると、前者のほうが理工学分野へ進む女性の数がむしろ少ないという、逆説的にみえる現状をさします。例えば、フィンランドやノルウェー、スウェーデンでは、グローバル・ジェンダー・ギャップ・インデックスで上位に位置し、男女同権が社会で最も進んでいるとされる国々では、大学などの高等教育課程で理工系分野を専攻する全学生のなかの女性の占める割合は25%以下にとどまっています。その一方、同じインデックスで性差による差別が大きいとされる国々のほうが、平均して理工系科目を学ぶ女性が多い傾向にあります。最たる例は、アルジェリア、チュニジア、アラブ首長国連邦で、理工系科目の卒業者の40%が女性です(Stoet and Geary, 2018)。

男女同権が社会で進み機会が均等になればなるほど、女性と男性の専攻(専門)や職業選択における性別の差異はなくなるだろうというこれまで一般的だった楽観的な予想は、根拠に乏しく現実からかけ離れていることが証明されたといえます。

一方、スイスのメガバンクUBS が今夏に発表した労働市場に関する報告書は、これまで女性が占有していた職業や専門に、大きく注目しています(UBS, 2019)。

これらの話を次々耳にすると、女性だけでなく男性にとっても、踏み入れがたい性別に典型とされる職業や専門の傾向が、今日も依然として強く残っている、という印象を受けます。それは、(広告内容を変更することなどで)先入観や事情が近い将来にお大幅に修正・改善されるといった単純に片付かない問題のようです。

では、具体的に現代ヨーロッパにおいて、どんなことが職種や専門のジェンダーフリー化の足かせとなっているのでしょうか。

今回と次回を使い、以前扱った男女平等パラドクスの議論と合わせながら、UBSの新たな報告書の内容をみていき、性別に典型的となっていた職種や専門が、どのような社会的背景と結びついているのかをさぐっていきたいと思います。そして改めてこの問題について、どのようにとらえられる(べきな)のか、少し考えてみたいと思います。

※自然科学や工学系分野の総称として、この記事では、科学・技術・工学・数学の頭文字をとって、英語圏を中心にした一般的な「STEM」という表記を用います。


スイスで50万人が参加した「女性ストライキ」(2019年6月)


世界的に観察される男女平等パラドクス

男女平等パラドクス(ジェンダー平等パラドクス)という一見矛盾に満ちているようにみえる状況について最初に指摘し、こう命名したのは2018年のGijsbert StoetとDavid C. Gearyの論文です(Stoet and Geary, 2018)。論文で調査は、2015年のピサ・テスト(OECD(経済協力開発機構)が進めている国際的な学習到達度に関する調査Programme for International Student Assessmentの頭文字をとって通常PISAと呼ばれているもの)のデータをもとに67の国と経済地域の4475000人の15歳から16歳の若者の成績を分析し、いくつかの意外と思われる点とその相関関係について考察しました。

このことについては以前「謎多き「男女平等パラドクス」 〜女性の理工学分野進出と男女同権の複雑な関係」で紹介しましたので、詳しくはこちらをご覧いただきたいのですが、そこでの結論だけを抜粋すると、

●STEM科目以外に女子生徒にとって「よりよくできる科目」があり、他方STEM科目には成績の割には自信がもてないでいる。このような状況が、女子生徒が職業選択する時に大きな意味をもつ(職業選択に影響を与えている)のではと推測される。

●男女同権が進んでいる国では、自分がどんな分野が得意だとか好きだとかいう直接的な能力や願望が、職業選択に直接影響する一方、男女同権が進んでいない国では、生徒たちが住む社会的な環境が、進路決定に大きな影響を与える

より具体的に言うと、男女同権が進んでいる国では得意な分野を活かしたいという願望があって、読解のほうがSTEM科目よりも得意な女子生徒たちは、STEM分野ではなく、最終的にそれ以外の分野でのキャリアの道に進む、という方向に進みやすくなるということになります。

一方、社会的な保障が少なく、経済的にも将来への不安が大きく、男女同権が進んでいないような国々では、STEM分野のキャリアを積むことが、女性にとって安定した職や高収入のチャンスを与えてくれる数少ない進路となるため、好むと好まざるとに関わらず、STEM分野に進む女性が、相対的に増える結果になります。

ただし、このような結論(解釈)については、ほかのデータを使うと結論が矛盾することも指摘されており、完全な解釈とはいえないという批判もあり(Gender-equality)、今後さらに多様なデータからも検証されれば解釈がより洗練・緻密になり、修正される部分もでてくる可能性があります。しかしいずれにせよ、男女同権パラドクスが実際に現在観察できることは確かであり、そうなると、これをどう克服するかということは、男女同権化が進行する国々に共通する課題にもなりつつあるのではないかと思われます。

男性の進出をはばむ「女性の仕事」業界

ところで、現在のヨーロッパにおいて、女性だけが不在が目立つ職業や専門分野をもっているわけではなく、男性がほとんどいない職業分野というのもあります。典型的なのが、介護や教師、ソーシャルワーカーなど健康や社会分野での仕事です。例えばスイスでは介護士全体の9割、小学校教師では8割が女性で、州によっては低学年の担当教師の95%までが女性というところもあります。

女性不在の職業分野についてはこれまで問題視され、様々な対策や対応がとられてきた一方、これら男性が不在の職業分野についてはこれまでそれほど気に留められることがありませんでした。しかし今年7月にUBSが発表した労働市場に関する報告書『経済スイス』では、このような男性不在の職場に改めて注目し、その分野に男性が進出することの重要性を示唆しました(UBS, 2019)。

男性に独占されている職業や専門のジェンダーフリー化については、男女平等・同権を推し進めるという目的とリンクして議論されるのが一般的ですが、女性に占有されている職種のジェンダーフリー化を求めるこの報告書は、それとは異なる観点から問題が提起されていることで話題になりました。この報告書で関連する部分を、以下、まとめて紹介してみます(以下、報告書がスイス国内に限ったものであるため、スイスのみを対象としてすすめていきますが、ドイツでも同様の傾向がみられ、以下のような問題は、少なくともドイツ語圏に共通する課題であると考えられます)。

「女性の仕事」業界で期待される男性とその背景

●近年25年のスイスの労働市場の動向をみると、女性の就労が非常に大きくのびているが、その大きな理由の一つが、女性が圧倒的に多い分野の労働市場自体がとりわけ成長してきたことによる。健康や社会分野の職業で、1994年以来これらの分野の4分の3は女性が占めている状況が続いている。そして今後さらに数十年、さらにサービス分野、とりわけ医療や介護分野で市場がさらに拡大することが予測される。

●これまでは、増える労働力需要を主に女性の就労が増えることでなんとか補っていたが、すでに一部その供給は限界に達しており、今後、女性の就労人数が大きく増員されることは期待できない。すでに、教育やケアという社会に不可欠な分野で人手が深刻に不足しており、特にベビーブーマー世代が退職する数年後からは、状況がさらに悪化すると見込まれる(国の教育研究機関によると2025年には2015 年と比べ、スイス全体で12万人義務教育課程の生徒が増えると予想されている 筆者註)。

●これまで必要な労働力としてすでに多くの移民が就労しており、今後も必要な労働力を移民で補うとすると、これまでより3万人多く必要となり年間新たに10万5000人の移民の受け入れが必要となる。

●しかしこのことは、二つの新たな問題につながる恐れがある。一つは、受け入れの規模が大きくなることで政治的また社会的に移民への抵抗が強まり、かえって人の自由な移動や EU 市場が脅かされる危険がでてくること。このため移民によって労働力を増員するという策は、最初にとるべき選択肢ではない。二つ目は、EUの失業率が低くなってきたため、これまでのようにスイスが高い技術をもつ移民を、長期的に労働力として確保できるか自体がうかがわしい。

●このため、とりわけ人材が不足してるこの医療と介護業界は、「男性に魅力的になっていかなくてはならない。過去数十年間、社会は、「クラシックな男性の職業」において女性の割合をあげることに焦点をあてていたが、今後、労働市場の成長には、今後変換をする必要がある。すなわち男性が「女性の職業」に大幅に進出しなくてはならない」

つまり、この労働市場の動向について分析したこの報告書では、女性にこれまで占有されてきた職業・専門分野が広く男性に向かって開かれることの重要性が、労働市場という(これまでの職業のジェンダーフリー議論で)ほとんど重きが置かれてこなかった観点から指摘されたといえます。

おわりに

UBSの報告書は、マスメディアで大々的にとりあげられ、ケア・学校教育分野の人材不足へのこれまでにない新しい提言として、社会に一石を投じたようにみえます。一方、具体的になにをどうすべきかという議論はこれまでほとんどなく、報告から数ヶ月がたちましたが、なにも変化が見られないというのが現状です。

それはどうしてなのか。そして、どのようなことが性別典型の職業をジェンダーフリーにする突破口になるのか。次回は、これらの問題についてより踏み込んでみていきたいと思います。
※参考文献は、こちらの記事の下で一括掲載いたいます。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


電話とメールで診断し処方箋は直接薬局へ 〜スイスの遠隔医療の最新事情

2019-09-22 [EntryURL]

前回、スイスが医療業界における患者情報のデジタル化についての現状と来年から始動するデジタル改革について、レポートしました(個人医療情報のデジタル改革 〜スイスではじまる「電子患者書類」システム)。

今回は、そのような医療データの扱いの変化に並行して、デジタルテクノロジーを利用し診療そのものを変革・拡大しようとする新たな試みとして注目される、スイスの遠隔医療Telemedizinについてレポートしてみたいと思います。

患者と保険会社にウィンウィンとなるか、遠隔医療

スイスでは2000年代から、「遠隔医療」と銘打ったICTを駆使した医療サービスを扱う会社ができはじめ、いくつかの会社は、今日、スイスだけでなく、フランスやイタリア、オーストリア、ドイツなど国外にも進出しています。ただし、これらの会社が行ってきた「遠隔医療」とは、基本的にコールセンターに待機する医師などの医療専門家に、医療の相談をする、いわゆる相談業務にとどまるものでした。

これに対し、スイスでは今年はじめから、遠隔医療サービスを提供している民間保険会社のひとつ「Swica」の遠隔医療サービスが、診療所としても認可され、これまでは医者に行かないと受けられなかったような医療サービスの一部を遠隔医療で受けることが可能になりました。

具体的に言うと、ひどい咳の症状、風邪、腰痛や膀胱炎など15種類の疾患を訴える患者の診療が、現在遠隔医療サービスの医師に認可されました。これらの病気と診断される患者に対しては、病院の医師と同様に、抗生剤をはじめとする薬の処方箋をだすことができ、また、放射線検査や血液検査、リハビリ治療などに患者を送ることもできるようになりました。

遠隔医療の手法は、これまでの医療業界の慣習にとらわれないのが特徴です。例えば、自分で疾患部分の写真をとっておくってもらいそれをみて判断する。専用アプリで症状としてあてはまるものを自身でチェックしてもらう。複数の専門家が電話で対応し、判断をする、などの手法が、定着してきました。

もちろん遠隔医療での診療は、医師が直接患者をみることができないため、限界があります。例えば、Swicaの遠隔医療サービスでは、病気休暇証明書(患者があり病気休暇が必要であることを認める内容の書類。スイスでは医師が公式に病気であることを認めれば、企業は社員に病気休暇をとることを認めなくてはいけないことになっています)の発行も可能となりましたが、患者を直接みないで、本人の説明や訴えだけで、医師が病気休暇が必要かを判断するのは、現実的には難しいものです。しかし(仕事のずる休みといった)不正な行為を手助けするものになってしまっては、スタートしたばかりの遠隔医療の信憑性にひびが入ってしまうため、最長で三日間の病気休暇しか認めず、また一人につき年間2回までしか病気休暇を認めないなど、独自のルールをつくって現在対応しています。

つまり、全般に、いかに診断の質をあげていくか、そのためにほかにどんな工夫の余地があるかが、遠隔医療の今の重要な課題であり、今後拡張路線にスムーズに移行できるかの鍵になるといえるでしょう。

今後拡大が予想される遠隔医療

このように遠隔医療は、まだはじまったばかりで、試行錯誤の部分や実際の有効性が問われ厳しく制限される部分も今後でてくるかと思いますが、大局的にみると今後、遠隔医療業務は必要不可欠で、市場としても一定の拡大をすると予想されます。その理由はいくつかあります。

1。とにかく便利
いつでもどこからでも簡単に電話でできるため、気軽に相談でき、相談だけでなく、場合によっては処方箋をだしてもらったり、リハビリ治療への許可をだしてもらえるなど、物理的に医者にいくという手間をひとつスキップした次の段階にすぐに進めます。時間的な拘束が少ないこのコンビニエンスさは、通常の医療機関とは比べものになりません。

2。医療コストが減る
遠隔医療では、少なくとも現状では、相談はもちろん、処方箋や紹介状の発行もすべて無料でやってもらえるため、患者にとって経済的にも魅力的です。Swicaによると、昨年まで、(相談業務だけにとどまったにも関わらず当時から)遠隔医療に対して、年間で50万件の電話があったといい、すでに高い需要を示していますが、医療行為が拡大した今年以降、さらに需要がのびることが予想されます。

このような医療モデルは、患者だけでなく保険会社やひいては国全体にとってもメリットが大きいといえるでしょう。電話の相談や診断だけですみ、病院に行かなくてもすむ人が増えれば、その分、医師にかかると発生する医療コストが減るためです。

現状で唯一、遠隔医療の診断が認可されている民間保険会社Swicaでは、すでに病院にいく前に必ずこの遠隔医療に相談することを義務付けるという保険商品として扱っており、今後、このような、遠隔医療を利用することで医療コストを抑制し、被保険者の負担も少なくする新しい保険モデルが増えていく可能性があります。

ちなみに、Swicaでは、この遠隔医療サービスを、自社の保険に加入している人に限定していますが、今後、加入保険会社を限定せずこのサービスを提供することも検討中だそうです。

3。医療スタッフ不足の対応策として
現在、スイスでは(ほかの国同様)医療スタッフの不足が大きな問題です(このことについての詳細は「帰らないで、外国人スタッフたち 〜医療人材不足というグローバルでローカルな問題」)。都心部はそれでもまだ医療機関が十分ありますが、郊外にいけばいくほど深刻な医療機関や医者や医療機関不足に悩んでいます。そのような物理的に医療機関が不足する地域の人々にとって、アクセスできる医療サービスがあることは、非常に重要であり、今後、医療スタッフ不足に対応する有望な策として、遠隔医療の拡充が、各地で推進される可能性があるでしょう。

おまけ 外国語で症状を伝える時

ところで一方で、医療サービスがどんどん便利になってきているとしても、患者本人が症状についてうまく伝えることができなければ、いい診療を受けることはできません。特に、遠隔医療では、直接診てもらわない分、自分が自分の症状をうまく伝えることがより重要となるでしょう。

外国に滞在中、医療施設にお世話にならなくてはならなくなった時、そこで痛感するのが言語の壁です。医療サービスを受ける側のこのような問題について、最後に少し言及してみたいと思います。

普段使わない難しい病名や体の部分の名前などを外国語で理解・確認することももちろん一苦労ですが、それはとりあえず、対訳を辞書などで調べればことはすみます。それよりも、わたしにとって医療現場で言葉の壁として立ちはだかり、難易度が高いように思うのは、病気の症状について、どう叙述・表現するかという問題です。このような難易度の高い翻訳は、いまだ自動翻訳でも不可能です。

端的な日本語を母語とする自分自身を例にあげてみます。母語の日本語では、体の異変を表現しようとすると具体的にぴったりする言葉がすぐ頭に浮かびます。ずきずきする、きりきりする、ひりひりする、ぱくぱくする、ふらふらする、ぼーとする。。。そして、日本語がわかる人に、これらの言葉を使って伝えると、通常、すぐに相手にも状況を察してもらうことができます。

しかし、ほかの言語では、(わたしの場合ドイツ圏なのでドイツ語では)、このような症状をどう表現できるでしょう。結論から言うと、残念なことにぴったり対応する語彙がありません。ものごとの状況や気持ちや音を音的に表現する、これらオノマトペ(擬音語・擬態語などの総称)と言われるものは、言語専門家によると、日本語に特徴的で、日本語では非常に豊かな一方、ほかの言語にあまりないのだそうです。

この手の表現手法がないドイツ語で、無理やり音的な表現で症状を試そうとすれば、たちまち「稚拙」な印象を与え、大人が医師と交わすまじめなやりとりの場には全く不適切な感じです(オノマトペがただちに稚拙に感じられるのは、オノマトペが大人の語彙にほとんどないのに対し、こどもの言葉の世界や語彙には少しあるためだと思われます)。

ではどうすればいいのでしょう。ドイツ語では、全般に、その状態を客観的にみて表現するというのが、一般的な手法です。痛みがひどければ、強さを、1から10の数で痛みの度合いを表すといった方法がよく使われます(例えば、10が自分が想像できる最も強い痛むの程度と仮定して、痛みは8といった風に)。どんな痛みかについては、第三者的な叙述、例えば、刺すような痛み、強い疲労感、船酔いのような気持ちの悪さといった言い方をします。

しかし、ここで問題にぶち当たります。痛みの強度は数で示すだけなので問題ありませんが、どのような痛みかを十分表現するには、一定の言語能力が不可欠です。ドイツ語の語彙が多い人であれば、自分の症状を十分表現できるデータバンクが頭にあり、そこから随時適切なものを引き出して利用すればいいのでしょうが、ドイツ語の語彙が少なくそのようなデータバンクが頭にそもそもない人はどうすればいいのでしょう。

仕方がないので、知っている言葉を駆使して、自分の症状のイメージに合うような客観的な表現を、日本語のオノマトペを参考にしながら探し、あとは、うまくそれが相手に伝わるように祈ります。さいわい普通の病気の症状は、(地球に住む同じホモ・サピエンスのかかる病気として)世界共通であり、こちらの説明がつたなくても、医療スタッフのほうでもおおよそ想像がつくようです。わかったような神妙な顔で、わたしの(若干怪しげな)症状説明を聞いてくれることが多く、病気の時に、途方にくれるほど困ることは、これまでありませんでした。しかしそれにしても、頭にオノマトペでのぼってくる身体の症状を、ドイツ語の客観的な表現に入れ替えて伝えるという作業や努力は、自分の具合が悪い時は、とりわけ骨の折れる難しい作業に思われることは確かです。

おわりに

歴史的にみると、200年の歴史をもつ西洋医学の医療は、現在、デジタル化という大きな転換期をむかえているのかもしれません。少なくともテクノロジーは整いつつあり、それをいつ、どのように導入するか、ということが問われる段階にあるのかもしれません。

ただし、全国民が関わる壮大なプロジェクトであり、成功させるのはどこの国でも簡単ではないでしょう。国民からの信頼を得られず実質的に医療データのシステム導入が進まなかったり、安全な診察が実現できず利用がままならないという事態も、十分ありえます。

しかし、住民に便利なサービスとして定着し、医療全体の質を向上させられたら、どんなにすばらしいでしょう。多くの国でこれを達成し、医療を一段ステップアップした明るい境地に導いていってほしいと願わずにはいられません。

参考文献

Arztzeugnisse per Telefon sind im Streitfall nichts wert, Medinside. Das Portal für die Gesundheitsbranche. Veröffentlicht am: 05. Juni 2019 6:47

Bürgi, Marc, Medgate und Medi24 machen sich nun auch im Ausland Konkurrenz, Handelszeitung, 27.02.2019

Diener, Esther, Swica-Ärzte dürfen Zeugnisse und Rezepte neu am Telefon geben, Medinside, Das Portal für die Gesundheitsbranche., Veröffentlicht am: 09. Januar 2019 9:04, Letzte Aktualisierung: 10. Januar 2019 20:38

Eco -Elektronisches Patientendossier krankt, ECO. Das Wirtschaftsmagazin, SRF, 16.9.2019, Montag, 22:35 Uhr

ehealthsuisse, Fragen und Antworten zur Umsetzung (2019年9月17日)

EPD elektronisches Patientendossier (2019年9月17日)

Himss Europe, Digitales Ökosystem Gesundheitswesen - Vorgaben, Umsetzen, Versprehen einlösen, Swiss Health Summit 14.-15. Sept. 2015, Kursaal Bern Schweiz.

Nachts klopft das Herz lauter. Telemedizin. Die Telemediziner von Swica sind Tag und Nacht erreichbar. Wir haben bei der Spätschicht mitgehört. In: Der Landbote, 11.9.2019, S.3.

Swica-Ärzte dürfen Zeugnisse und Rezepte neu am Telefon gebenVeröffentlicht am: 09. Januar 2019 9:04, von Esther Diener Letzte Aktualisierung: 10. Januar 2019 20:38

Telemedizin-Startup: «Häufig ist kein persönlicher Arzt-Patientenkontakt notwendig», Medinside. Das Portal für die Gesundheitsbranche. Veröffntlicht am: 17. Oktober 2018 7:00, von cm Letzte Aktualisierung: 03. Mai 2019 19:27

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


個人医療情報のデジタル改革 〜スイスではじまる「電子患者書類」システム

2019-09-20 [EntryURL]

超高速の検診

スイスで定期的に検診(婦人科)に行きますが、病院に足を踏み入れたから定番検診メニュー(尿・血液検査、血圧・体重測定、検査結果についての医師からの報告、内診、最後に再び医師との話し合い)を一通り終え、病院を出るまでの所要時間は、特になにも問題がない場合、20分以内です。

このことを日本の人に話すと、たいてい短いと驚かれます。世界中どこの医療機関でもおおむね検査内容は同じだと考えると、スイスと日本で所要時間の差はどこからでてくるのでしょう。結論から先に言うと、医療機関での患者の個人データの扱い方の違いが大きいように思います。

今回は、このような差を生み出していると思われる、スイスの医療データの扱いについて焦点をあててみていきたいと思います。次回は、最新の遠隔医療の最前線の状況を追い、2回の記事をとおして、スイスの医療分野の最新テクノロジー事情を概観してみたいと思います。スイスの具体的な事情を、自分の普段接している医療現場の状況と照らし合わせることで、違いだけでなく、共通する課題についても眺望していただく機会になればと思います。

診療の背景で共有されている患者データ

まず、具体的に現在の一般的なスイスの診療の流れを追いながら、医療機関での患者の個人データの扱われ方を、みていきましょう。

スイスでは、電話やメールなどで予約をとってから診察や検診を受けるのが普通ですが(ただし救急や休日医療などでは、事前に予約をとらずに来院できる場合もあります)、予約の際、院内の患者のデータと照合され、来院歴などが確認されます。

すでに来院したことがあれば院内にすでに情報があるため、予約当日は、保険証の内容の変更などがない限り、書類作成や保険証等の提示は一切必要ありません。指定された時間に行って名前を告げるだけで受け付けは終了し、すぐに診療をはじめられることになります。

初診の場合は、書類記入が必要なこともありますが、それでも、いくつかの質問項目に答える程度の簡単なものです。というのも基本的な個人のデータは、スイス在住者がすべて保持している保険証のICチップに入っているためです(ちなみに、スイスの保険について説明すると長くなるので、ここでは割愛しますが、全ての居住者に基礎医療保険の加入を義務付けているというという点では国民皆保険と似ています。しかし実際の保険業務は、複数ある民間保険会社がそれぞれ窓口となって行なっており、保険会社は、基礎医療保険に加え、独自の異なる保険商品を保険加入者に提供(販売)しています)。


保険会社Visana のカードの見本図
(ほかの会社のカードも記載されている内容や位置はほとんど同じ)
出典: https://www.visana.ch/de/privatkunden/services/versichertenkarte;jsessionid=06B215190C8A4EB5D0BC031BE0637ADD


現在、ICチップに入っている個人のデータとは、連絡先や社会保険番号、保険会社や保険の種類などの基本データ類です。ただし、本人の希望で、緊急時の対応などに便利な個人の健康や医学情報(例えば病歴、アレルギー、飲んでいる薬の種類、予防接種の有無や血液型など)もいれることが可能です。

診療代金の請求書は、患者にではなく、医療機関から直接保険会社にいくため、診察終了後はすぐに退出することができます(患者が支払う費用の明細や請求書は、後日、保険会社から郵送されます)。薬局で処方された薬をもらう場合も、同じように保険証のICチップの情報を介してすすみます。

つまり、スイスでは関連する機関や企業間の患者情報の共有がすすんでいるおかげで、内容的に繰り返しが多い書類作成や、それに関連して発生するもろもろの事務手続きなど、患者にとっても医療機関にとってもわずらわしい作業とそれにかける時間が大幅に少ないのだと思います。

「電子患者書類」 〜患者情報の共有の拡大化

それでもスイスでは、現行のやり方はまだまだ無駄や問題が多いという考えから、来年の2020年の春からは、情報処理をさらに大幅に合理化させる「電子患者書類Das elektronische Patientendossier (略語: EPD)」と呼ばれる壮大な患者情報のデータバンクのシステムが始動する予定です。

新しいシステムは、いくつかの点で、患者情報の管理・保存の仕方がさらに便利になります。現在のスイスでは、医療機関が共通してアクセスできる情報は、上述のように患者が希望すればほかのデータもいれられますが、基本的には患者の基礎情報(住所や保険会社や保険番号)のみで、診療や病歴についての情報は、医療機関がそれぞれ個別に保管しています。ちがう医療機関で受けた治療や処方された薬の最新情報がほかの医療機関に共有されていないため、必要な過去の情報を入手したり、確認しなくてはならない場合、電話などでほかの医療機関にいちいち問い合わせなくてはいけませんでした。

これに対し、電子患者書類では、患者ひとりひとりに対する情報(例えば、レントゲン写真や処方された薬類、病歴、アレルギー、接種した予防注射の種類や日時など)が電子書類として統括され、インターネットでアクセスできるようにします。病院等の医療機関は、常に総合的でかつ最新の患者の情報を容易に入手し、また新たに情報を追加することができるようになります。

このようなシステムが作動すれば、患者や医療機関、また社会全体にとっても大きなメリットがあると期待されています。

まず、データが統括され、関連する医療スタッフすべてがその最新の内容をみることができることによって、医療上の危険が減り、無駄もなくなると期待されます。例えば、高齢の患者に対し、医師、介護士、薬剤師などが情報を共有することで、複数の医療機関から処方された薬の量や種類が適切かを確認し、薬のとりすぎや危険な組み合わせを防いだり、ほかのプログラムと照合しながら総合的な健康改善計画をたてることができます。

意識がもうろうとして救急で病院に運ばれた人でも、電子患者書類があれば、患者のアレルギーや病歴がわかるため、それらを考慮し診療することができます(ただし、この際は後日、緊急のため電子患者書類を閲覧したことを患者に伝えることが義務づけられています)。患者自身も、いつでも自分の情報を閲覧することができ、これまで以上に、自分の健康状態や医療措置への理解が深まり、主体的に医療に関わる余地が大きくなるかもしれません。

複数の医療機関に患者の情報を問い合わせる手間や、独自の患者データのアップデートや保持の必要がなくなることは、医療部門全体の人出不足を緩和し、コスト削減にもつながるため、社会全体がその恩恵にあずかることにもなります。

関連するアクター(医療関係者と患者)ができるだけ多く参加するシステムを目指して

ただし、この情報共有システムは、病院や介護施設がこの電子患者書類への参加を義務づけられているのに対し、患者と個々の医師(開業医)については、参加が任意とされています。もちろん、できるだけ多くの患者や医師たちが参加することがのぞましいのは確かなのですが、強制はしていません。それは、患者や医師の危惧や諸事情に配慮しているためです。

例えば、患者のなかには、このようなインターネットでアクセスできる形で情報が置かれることで、自分の健康・医療情報が第三者に流出したり乱用されたりするのはないか、と憂慮する人が、少なくとも当初は少なくないと想像されます。

そのように憂慮する人の気持ちを無視して、はじめから強制して参加させるのもひとつの可能性でしょうが、スイス流では、強制はせず、別のやり方をとることにしました。それは、一方で患者の情報を安全に保持できるようつとめ、他方で、このシステムについての啓蒙キャンペーン(電子患者書類の安全性やメリットについて国民にさまざまな形で丁寧に説明する)をすすめるというものです。ある程度時間をかけて多くの人に納得して利用してもらうことが、長期的にみるともっとも混乱が少なくシステムを移行させることになるとみているようです。

システムにおいては、不正な情報流出などのサイバー犯罪対策はもちろん、悪用や乱用を未然に防ぐ目的で、利用方法や利用者も明確に制限します。例えば、この情報は、医療機関と患者個人だけにアクセスが可能とし、保険会社や雇用者の閲覧は一切認めません。また、患者は、電子患者書類を利用するとしても、すべての情報をすべての医療機関に公開する必要はなく、医療機関のだれがどのような情報をアクセスすることまでを認めるかを、患者自身で決めることができます。同時に、情報がアクセスされた場合はすべて記録され、誰がいつみたかを、いつでも確認することができます。

開業医などの医師にも、システムの移管が簡単でない独自の事情があります。患者の情報を容易に入手したりアップデートできることに基本的に医師は賛成であると思われますが、これまで手書きのカルテで患者情報を管理してきたところでは、システム変更が困難なためです。このため、これまで患者のデータを手書きのカルテで保存していた場合で以後電子患者書類に参加する場合は、過去のカルテをすべて電子患者書類上に反映させる義務はなく、新しいデータのみを掲載するだけでいいなど柔軟な対応をとっており、またシステム参画のための補助金をだすなど、今後、医師がシステムに参画しやすくする環境をととのえることが検討されています。

おわりに

電子患者書類システムは、スイスでは来年以降の導入予定ですが、すでにカナダやオランダなどでは導入され、日々実績が積み重ねられています。これらの先例を参考にしながら、来年以降、スイスの医療も、さらに患者にも医療スタッフにも使いやすいものになることが期待されます。

次回は、医療のもうひとつの新しいトレンドとして、遠隔医療についてレポートします。
※参考文献は次回の記事の最後で一括して提示します。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


カーボンニュートラルに空を飛ぶ 〜水と大気と太陽光で燃料が量産される未来

2019-09-12 [EntryURL]

悩める航空業界に希望の光?

多くの人にとって飛行機は、出張や旅行をする際、切り離して考えられない乗り物です。しかしこの便利で速い乗り物は、大量の二酸化炭素(CO2)を排出し、地球の温暖化を加速させてしまうという悩ましい問題をかかえており、さらに悪いことに年々フライトの数は世界的に増加していることで負の影響が一層深刻になっています。このような状況を憂慮し、ヨーロッパでは昨年から「フライトシェイムFlight shame」という言葉(飛行機に乗ることは恥さらしだ、という意味)が使われはじめ、若者たちを中心とする環境デモでも、飛行機の利用の抑制を訴える声も強まっています(ちなみにフライトシェイムは、スウェーデンで昨年新語として使われるようになった「Flygskam」の英語訳です)。

そんななか、今年6月、スイスを中心とするドイツ語圏であるニュースが流れ、注目を集めました。スイスのチューリヒ工科大学が100%カーボンニュートラルの燃料を開発したというものです(カーボンニュートラルとは、二酸化炭素の排出量と吸収量が同じ量であることを意味します)。

そしてその3ヶ月後の今年9月初旬、この画期的な燃料開発を飛躍的に進展させるため、すべてのフライトに課徴金を課し、2050年には飛行機の燃料をすべてカーボンニュートラル化するという国会議員や工科大学の教授らが提案する野心的な案が、スイスの主要な日刊紙『ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング』の日曜版(NZZ am Sonntag)の一面で発表されました(Benini, 2019)。

技術的な革新に(過剰に)期待をすることで、複雑な環境問題を単純化してとらえようとしたり、現実を直視することから目をそらすのは問題です。しかし、現実が複雑さと困難さであたかも八方塞がりかのようにみえる時、めざましい技術が開発され、それが新たな展望を切り開いてくれるのではと希望をもつことは、(たとえ現実にそうはならなくても)新しい原動力につながる可能性があり、貴重でしょう。

少なくとも今回スイスにおいては、この画期的な技術の話を聞いて、次のステップへの希望を感じ、自らも協力的に動く姿勢をみせた人たちがいました。それは航空業界です。航空業界は、この提案が、長距離、短距離を問わずすべてのフライトに課徴金を課すという(一見、航空業界から不満がでてきそうな)案であるにもかかわらず、歓迎の姿勢を示しました。

ただし、まだ発表されたばかりで、今後この提案が国会にもちこまれ、実際に通過するかは全く不明です。とはいえ、とりあえず、来月の10月20日の連邦議会総選挙に向けて選挙戦が終盤を迎えつつあるスイスでは、選挙戦の重要なテーマである環境問題を政党や政治家がとらえているかを計る具体的な材料のひとつとして、この斬新な提案が、世間で注目され、議論の引き合いにだされることは確かではないかと思われます。

今回は、このスイスの最新のホットな技術について紹介してみたいと思います。

大気と太陽光でつくる液体燃料という6月のセンセーション

今年6月、チューリヒ工科大学のシュタインフェルト教授Aldo Steinfeldとそのチームが、カーボンニュートラルの画期的な燃料を開発したというニュースがスイスのメディアをかけぬけ、人々をうならせました。しかもこれをつくるのにはたった二つの材料、太陽光と大気だけだといいます。

大学側の概要説明によると、しくみは以下のようなものです。

●太陽光をパラボラ反射鏡で3000倍に強化し、パラボラ反射鏡の焦点部分にある化学反応器内部を1500度の高温にする。その太陽光化学反応器に、大気からとりこんだ水と二酸化炭素を入れる。

●化学反応器の中心部分には、特殊な構造をもつ酸化セリウム(CeO2)のセラミックが入っており、これが触媒となって、高熱によって水と二酸化炭素が分化され、水素と一酸化炭素の混合物である合成ガスが精製される。


出典:
チューリヒ工科大学サイトのビデオ”Carbon-neutral fuel made from sunlight and air”


●これを液化すると、ガソリン、ジェット燃料(航空用のジェットエンジンに使用する燃料)、メタノールなどの炭化水素(炭素原子と水素原子だけでできた化合物)の燃料になる。燃料は、通常の燃料と同じように、直接車や飛行機に利用できる。

通常の燃料と同様にこの燃料を燃焼する際にも二酸化炭素が発生しますが、もともと大気からとった分の二酸化炭素しか排出されないため、カーボンニュートラルな燃料ということになります。

電池にはない液体燃料のすごさ

ところで、ここで不思議に思われる方がいるかもしれません。飛行のエネルギー供給源として、ソーラーパネルやそれを蓄電する電池という、もともとカーボンニュートラルな方向に求めず、なぜわざわざ液体燃料化にこだわるのだろう、と。

確かに、現在、太陽光パネルのエネルギーで飛行することも不可能ではありません。実際に、2015年から16年にかけて、ローザンヌ工科大学のソーラー・インパルスSolar Impulseという飛行機は、太陽光だけで飛行し、世界一周を果たしました(ちなみにソーラー・インパルスは不天候の際に日本の名古屋にも立ち寄りました)。

しかし、このソーラー燃料精製技術の事業化を目指すスピンオフ会社Synhelion のCTOであるフーラーPhilipp Furlerは、「液体燃料は、依然として、エネルギーが最も豊かな物質である。バッテリーに比べ20から60倍多くのエネルギーを含んでいるためだ」といい、このため、いくつかの用途では、今後も不可欠なのだとします。例えば長距離飛行では、必要なエネルギーをすべてバッテリーでまかなおうとすれは、飛行機は重くなりすぎ飛べないため、将来も液体燃料を使う可能性がきわめて高いといいます(ETH, CO2, 2019)。

ちなみに酸化セリウム(CeO2)のセラミック触媒は、特許を取得している特別なものですが、それ以外の構想や技術、つまり太陽光と二酸化炭素は利用し液体燃料をつくるという研究や開発は、世界各地でも試みられおり、近年実現された事例がいくつも報告されています。

それでも、今回のスイスの技術が注目に値するとすれば、国際的(ヨーロッパ内)な研究協力体制のもと事業化の道を着実に進んでおり、現在はまだ非常に高価ですが、具体的な実現可能目標がみえてきた点でしょう。2010年以降、二酸化炭素を大気からとりだす技術の商業化や、液体燃料化技術を市場に参入させるためのスピンオフの会社がつくられ、2016年からはじまったヨーロッパ共同プロジェクトSUN-to-LIQUIDの一環として、マドリッド近郊の太陽光化学反応器での大規模な実験もスタートしています。2025年までに、大規模な商業的燃料精製施設を建設することも計画されており、その施設が完成すれば、年間1000万リットルの液体燃料メタノールが精製できると見込まれています。

2050年までの壮大なプロジェクト

9月上旬にだされた提案は、現在国会で導入が検討されているジェット燃料関連税(環境税の一種)で有力視されている還流案(課徴金を国民にもどす案)の対抗案として出されました。

自由緑の党(緑の党よりも経済分野を重視する環境政党)の国会議員で化学者ボイムレMartin Bäumleと環境政策の専門家でチューリヒ工科大学教授パットAnthony Patt、また自由民主党政治家で物理学者のメッツィンガーPeter Metzingerが、細かい試算を重ねた結果具体的なモデルとして提示したのは以下のようなものです。

全フライトに課徴金を課し、その税収をすべて、大規模な太陽光施設を世界の好条件の場所に設置するなど膨大にかかる開発研究費用に直接あてる。これによって、現状では通常の石油や燃料にくらべ3〜4倍高い合成燃料の精製コストを大幅に下げて大量に精製していく。フライトでは徐々に通常の燃料の分量を減らしていき、2050年には飛行機を100%カーボンニュートラルの燃料だけで飛ばす。

三人の試算によると、合成燃料の開発に必要な課徴金の金額は、比較的低額におさえられるといいます。例えばチューリヒとニューヨークの往復フライトでは、当面70スイスフラン、ヨーロッパ内のフライトではそれより低い額で採算がとれるとします。

航空関連業界の反応

航空業界の温暖化対策として新しいモデルを提示したこの提案に対し、航空関連企業はそろって肯定的な反応を示しました(Benini, 2019)。

例えば、チューリヒ空港のスポークスパーソンのビルヒャーPhilipp Bircherは、「航空業界が徐々にカーボンニュートラルになるために、中期的には合成燃料がもっとも現実的で、それゆえもっとも望ましい手段であるという見解に同意」する、と今回の提案の歓迎の意を表明しています。スイスのフラッグキャリアSWISS(通称名。正式名称はスイス・インターナショナル・エアラインズ)のスポークスパーソンのミュラーKarin Müllerも、将来の航空業界において、カーボンニュートラルに飛行するというのが唯一のオプションだという認識を示し、直接開発のための課徴金という提案に賛成しています(Benini, 2019)。

おわりに

航空業界からのエールは、この提案を国会で通過させる追い風となるでしょうか。また、今後この提案が仮にスイスの国会で認可されたとして、膨大な太陽光を集めるための大規模施設を国外(スイスよりも太陽光が豊富な国や地域)に設置するための、国際的な協力体制は順調に構築されていくでしょうか。そして、飛べば飛ぶほど地球温暖化させてしまうという飛行機の宿命は、いつか変わることができるのでしょうか。

この果敢なチェレンジが、航空業界だけでなく飛行機を利用する裾野の広い多くの人たちの関心をひきつけて、この先順調にすすんでいくことができるのか、固唾を飲んで見守りたいと思います。

参考文献

Benini, Francesco, Subares Fliegen: Neue Abgabe soll Durchbruch ermöglichen. und Neuer Vorschlag für eine tiefe Flugkicket-Abgabe. In: NZZ am Sonntag, 8.9.2019, S.1 und 11.

ETH Zürich, CO2-neutraler Treibstoff aus Luft und Sonnenlicht, Medienmitteilung, 13.06.2019

ETH, «CO2-neutraler Treibstoff aus Luft und Sonnenlicht»(ビデオ)In: ETH Zürich, CO2-neutraler Treibstoff aus Luft und Sonnenlicht, Medienmitteilung, 13.06.2019

ソーラー・インパルス、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(2019年9月10日閲覧)

Zeroual, Omar/ Muri, Fitz, ETH zündet Energierevolution - Aus Sonnenlicht und Luft entsteht Benzin, SRF, News, Aus 10vor10 vom 13.06.2019.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


「移動の自由」のジレンマ 〜EUで波紋を広げる新たな移民問題

2019-09-07 [EntryURL]

移動からみるヨーロッパの危機

今回はヨーロッパでの「移動(移住)」について考えてみたいと思います。とはいえ、難民危機のようなEU圏外からの移動についてではなく、EU圏内で認められている移動についてです。

今日のヨーロッパ連合(EU)において、人の自由な移動は、EUの経済的な発展だけでなく、互いを理解し、未来にむけて協調的な基盤をつくるためにも基本的、重要不可欠なものとしてとらえられています。7月に扱った若い学生たちの移動を奨励する留学プログラム「エラスムス」もそれを確信しているがゆえに成り立っている、世界最大規模の交換留学プログラムでした(「世界最大の交換留学プログラム「エラスムス」 〜「エラスムス」世代が闊歩するヨーロッパの未来」)。

一方、総人口5億1200万人のEU圏内で自由な移動が認められて、壮大な規模で実際に移動が起こるとどうでしょう。人口や社会にどのような変動や影響を及ぼすのでしょうか。端的に言えば、移動によるインパクトに一国や一都市で対処するのが難しい状況になります。

今回は、このような状況や問題について、スイスの新聞『ノイエ・チュルヒャー・ツァイトンク(NZZ)』日曜版に掲載された先鋭のヨーロッパ政治学者イワン・クラステフIvan Krastev の最新のインタビュー(Mijuk, 2019)や著作を参考にしながら概観し、どんな対処が可能なのかについて、少し考えをめぐらしてみたいと思います。

ちなみに、東ヨーロッパも含めたヨーロッパ全体を見渡すクラステフの卓見については昨年も同紙で紹介され、今回のインビュー記事は、それから1年後のヨーロッパの状況をアップデートする内容とみることもできます(この記事の抜粋とそこからの考察を2本の記事にまとめたものは、「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(1) 〜 「普通」を目指した国ぐにの理想と直面している現実」、「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(2) 〜移民の受け入れ問題と鍵を握る「どこか」派」)。

EU圏内の移動、移住の実態

冷戦終結以来、ヨーロッパでは大規模な人口移動が続いています。冷戦以降、ポーランドから250万人、ルーマニアからは350万人が流出しました。そして、この流れは、東側から西側へという一方向に偏ったものでした。

クラステフは、「少し前まで移住は(ヨーロッパの 筆者註)外からくるものが最も大きな問題だった」が、これについては、現在ヨーロッパにおいては、EUの国境を超え自由に流入することをみとめず一定の規制をすることで、ヨーロッパの合意ができており、ヨーロッパ内で意見が分裂する問題ではもはやないとします。その一方、「現在は、内部の移住が問題となっている。それはシェンゲン協定と人の自由な移動だ」とします(Mijuk, S.6.)(シェンゲン協定とは、1985年以降はじまった、EU圏内を国境検査なしで自由に移動できること許可した協定のこと)。つまりヨーロッパ外からヨーロッパに入ってくる難民や移民は、現在ある程度コントロールできるようになったものの、EU内の移動には制限が基本的になく、その移動の量や質が、EUの社会や政治的な問題となりつつある、という見解です。

例えば、冷戦終結以降現在までに、ポーランドから250万人、ルーマニアからは350万人が流出しました。東ヨーロッパ全体では、1990年から今日までで1200から1500万人が祖国を去っています。

その移動の主たる世代は若者たちで、いずれも恵まれた経済や生活環境に惹きつけられての移動です。若者たちは単純労働の口を探して動く人たちもいますが、専門的な職業訓練を受けたものも多く含まれています。例えば、ルーマニアでは2年間で1万人の医師が国を去っていますし、家庭の老人の介護要員など、西側のサービスやケア産業全般の足りない人材の多くも、東ヨーロッパからの人材にたよっています(「人出が不足するアウトソーシング産業とグローバル・ケア・チェーン」)。

結果として、東ヨーロッパの国ぐにでは、全体の人口減少もさることながら、深刻な専門家不足にも陥っており、クラステフは、このままの状態では、国の様々な機能を維持することができなくなるだけでなく、若者が国を去り、保守的な年配の人たちが残ることで、政治システムも硬直化し、悪循環につながるだろうと予測します。そしてなんとかこれをくい止める施策を投じなくてはいけないとします。

問題の深刻さが近年、送出国の国民たちにも鮮明に把握されるようになってきました。現在、中部、東部のヨーロッパの国々では、チェコ、イタリア、ギリシアとスペインを除き、すべての国では、外国からの移住者よりも、外国への移住者のことについて危惧をしており、ポーランドやハンガリー、ルーマニアなどでは、経済的な理由で外国へ移り住むことを制限することに賛成する人も増えています。

人口の大規模な移動にどのように対応すべきか、できるのか

しかし、移動の自由は、これまでEUが謳う重要な自由の一つであり、どこの国の人々にも与えられてきた権利です。それを制限する権限を誰がどういう形でもつべきなのでしょうか。

そもそも、移動の流れをむりやりにでも食い止めることで問題は解決するのでしょうか。移民としてでていく国には、でていくなにか理由や問題があるということになりますが、それを見ずに、移動する人だけに焦点をあわせ、その人たちをどう、どこにどれくらい配置するか、という話をするので、長期的な解決、広い社会全体に配慮した解決になるのでしょうか。

いずれにせよ、人口が流出する(東ヨーロッパなどの)国々だけで解決できる問題でないと思われます。ではなにが必要なのでしょう。結論を先にいうと、解決を目指すのであれば、むしろキーとなるのは、流出していく国よりも、受け入れ国で、それにどう対応するか、どこまで協力的に関われるかという点ではないかと思われます。

例えばルーマニアから移住する人がもっとも多いのはドイツで、2016年の1年間で7万人以上の人がルーマニアからドイツに移住していますが、ドイツのように移民が流入する国は、概して豊かな国です。このような受け入れに積極的な豊かな国が、移民を送り出す国に配慮し、その国にもなんらかの恩恵を与えるよう関わることができないでしょうか。

簡単に解答がだせるような問題ではもちろんありませんが、ヒントになりそうな具体的な動きをふたつあげてみます。

医療スタッフに関する世界的な協定

ひとつは、2010年、世界健康保健機構の総会で定められた「保健医療人材の国際採用に関するWHO 世界実施規範(日本語訳)」です。(「帰らないで、外国人スタッフたち 〜医療人材不足というグローバルでローカルな問題」)。

今日、世界的医療関係者が不足しており、よりよい市場や就労条件を目指してグローバルに人々が移動しており、その割合が年々増えていますが、人材の移動の増加に並行し、国から国外への医療スタッフの流出が際限なく続くことで、送出国が長期的に深刻な影響を受けることも、国際的に認知されるようになってきました。このため、医療人材の移動による不公平を緩和し、世界的に協調的にこの問題に取り組むためにつくられたのが、この世界健康保健機構の指針です。200カ国近い加盟国によって合意され、行動規範として推奨されることになったこの「保健医療人材の国際採用に関するWHO 世界実施規範(日本語訳)」では以下のようなことがうたわれています。

1。人材が不足している国からは受け入れない
2。国内の従業者と同じ扱いをする
3。受け入れ国と供給国の両者の国際的な協力を強める
4。国内従業員の需要を補うための措置をとる
5。海外の医療スタッフについては、データを収集し、研究プログラムや定期的な評価などを行う

これは、あくまで規範であり法的な強制力を伴うものではなく、また移民の権利を制限するものでもありませんが、各国に自覚や自主規制を訴え、逸脱する行為の監視や抑制をする国際的な枠組みとして、倫理規範に加盟国が合意した意義は大きいとされています。

EU圏内ではもともと自由な移動が認められているため、通常個々人が組織や会社と契約し就業しています。しかし医療スタッフやまたほかの高度な専門職の人材など、送出国が輩出することで社会に大きな打撃を与える分野においては、このような協定を参考に、受け入れ国だけでなく送出国も、なんからの恩恵を享受できる具体的なしくみをつくっていくことが、長期的な視点からみて望ましいと思われます。

移民政策と途上国援助を一体化させる方針

もう一つのヒントは、スイスの移民政策と途上国援助を合わせるという方針です。スイスはこれまで移民政策と途上国援助を全く別の目的とカテゴリーで行なってきましたが、2015年のヨーロッパ難民危機以来(現在は流入する難民が減っていますが)、二つの別個に行なっていた政策を見直し、移民が多く入ってくる国に重点を置いて開発援助を行う方針への切り替えを模索するようになりました。

例えば、これまで開発援助の対象であったラテンアメリカからは少しずつ撤退し、今後援助の中心は、北アフリカと中東、サハラ以南のアフリカ、アジア(中央、南部、南東)、東ヨーロッパにしぼり、対象国を46カ国から34カ国に減らすとします。開発援助の対象にする基準としては、まず、当事国の援助の必要性、次にスイスの国としての利益、そして三番目に、国際的に比較してスイスの援助の付加価値の高いものであることを重視する方針を打ち立てています(Die Schweiz, 2019)。

ここでの移民政策の「移民」は主に、経済移民や難民など、様々な理由からスイスで難民申請をする人などを指しており、上記の高度な技術をもつスタッフの受け入れに関する協定が対象にする人々とは異なります。一方、難民としてスイスなどに渡ってくる必要がなくなるように、移民たちがでてくる国に、効果的な開発援助を行うという主旨は、人々の移住を、送出国への支援と関連づけているという点で、最初の医療就労者の協定の例と相通じるものがあるでしょう。

ただし、このようなスイスの方針の転換については、開発援助という世界の豊かな国が協調しながら行なっているプロジェクトを、一国の移民政策を尺度にして、方向づけるのは正しくなく、世界的な貧困の克服や持続可能な開発などの優先課題を軽視したものである、とOECD開発援助委員会からは批判されています。しかし、スイスとしては、これまでよりも対象国を減らし集中的に援助することで効果を高めるという主張で自国の方針転換を正当化し、当面これを撤回するつもりはないようです。スイスは2021年から向こう4年間の開発援助をこのような方針でやっていくことを今年5月に決定しました。

おわりに

「移民」「移動」というと、とかく、排外主義的な人たちの言動や暴力、衝突が目立ち、そのことに注目がいきがちですが、それは移動や移民の流入・流出の問題の、ほんの一部のテーマにすぎません。

国を変えて大量に移動するという現象は、非常に多様な要因や複雑な受け入れ国と送出国の需要と供給が作用して起きており、逆に言うと、国外への人口流出を防ぐために愛国主義や国の連帯を訴える声や排外主義の動きなどで、抑制、制御できる範囲は限られているといえます。また、移動者を送出する国だけでも、受け入れる国だけでも解決できる問題ではありません。

このため、利害や経済力などが大きく異なる国々どうしであっても、(存続の危機に瀕する東ヨーロッパ各国を救済し、EUとして共存共栄していくためには)これまで以上にお互いに協力して、移動に対する対策や措置をすすめていくしか、希望をつなぐためにEUに残された道はないのではないでしょうか。

参考文献

Alabor, Camilla /Friedli, Daniel/ Kucera, Andrea, Cassis setzt auf “Switzerland first». In: NZZ am Sonntag, 14.4.2019, S.9.

Die Schweiz soll in weniger Ländern Entwicklungshilfe leisten. In: NZZ, 2.5.2019, 13:35 Uhr

イワン・クラステフ著庄司 克宏監訳『アフター・ヨーロッパ』岩波書店、2018年 (Krastev, Ivan, After Europe, Philadelphia, 2017.)

Mijuk, Gordana (Interview), «Die Europäer fürchten sich vor der Zukunft». In: NZZ am Sonntag, 9.6.2019, S.6-7.

OECD kritisiert Neuausrichtung bei Entwicklungshilfe, SRF, Freitag, 5. April 2019, 18:00 Uhr

OECD日本政府代表部、OECDの概要:開発援助委員会 - DAC: Development Assistance Committee(2019年4月15日閲覧)

United Nations, Department of Economic and Social Affairs, Population Division. World Population Prospects: The 2017 Revision, Key Findings and Advance Tables. Working Paper No. ESA/P/WP/248, 2017.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


ベネチア旅行記 - ジョジョの奇妙な冒険 聖地巡礼

2019-09-04 [EntryURL]

ベネチアの歴史

イタリアの水の都「ベネチア」は、「ヴェネツィア」「ベニス」「ヴェニス」などいろんな表記があります。この記事では「ベネチア」で表記したいと思います。

ベネチアは共和国として1000年も繁栄し、「アドリア海の女王」「アドリア海の真珠」と称えられました。

828年、聖人を祀るために、サン・マルコ寺院が創建されました。
11世紀に、十字軍遠征が始まり、1202年からの第四次十字軍で地中海の要所であるコンスタンティノープルが陥落したことにより、ベネチア共和国は黒海の覇権を握りました。
1381年にはトリノでの講和条約が結ばれ、アドリア海と地中海を手にし、東方貿易を独占するようになります。

ヨーロッパと東方の交易がベネチアを経由することで、ベネチアには大きな富をもたらせられることになりました。有名な「東方見聞録」のマルコ・ポーロはベネチア商人です。
その後、ベネチアは絶頂期を迎え、絵画においては「ベネチア派」の画家たちが活躍し、工芸では、ガラス細工やレースが発展しました。

1571年のレパントの戦い以降、トルコとの戦いは17世紀まで続きます。
1630年にペストが大流行し人口が激減します。そして、1797年にナポレオンがベネチアに侵攻。ルドヴィゴ・マニンが無血開城を受け入れ、ベネチア共和国1000年の歴史に幕が閉じました。
その後、オーストリア、フランスの支配下に置かれ、1866年にイタリア王国に併合され現在にいたります。


関空~ドバイ~水の都ベネチアへ

飛行機は、昨年のロシア行きに続いてエミレーツですが、関空からもA380が飛ぶようになりましたので、今回はビジネスで行くことにしました。アメニティセットはブルガリです。
ドバイでトランジットしてベネチアに向かいます。

座席はゆったりしていて長時間のフライトでもとても楽です。
深夜便ですが食事が出ます。洋食にしました。ワインもいただきほろ酔いでぐっすり寝ました。

ドバイで約4時間待ち時間がありました。
ラウンジでゆっくりすることにします。
とても広く、どこに座ろうか悩みました。食べ物・飲み物なんでもそろっています。
シャワーもありますし、チビッコが遊べるスペースもあります。

ドバイからベネチアまでは約6時間くらいだったでしょうか。読書していたらあっという間でした。ヴェネツィア・テッセラ空港(VCE)に着きした。
空港にはエミレーツの配車サービスが待ってくれていました。やはりイタリア人は陽気です。こちらが少し英語で挨拶と質問すると、矢次にベネチア観光案内やお勧めの店、お土産など早口で楽しそうに教えてくれました。
30分くらいかかってでしょうか。英語苦手なのに、久しぶりの英語で頭フル回転していました。

多分サンタルチア駅近くのフェリー乗り場に降ろしてくれたと思います。
ベネチア最大の特徴と言えば、「運河」です。
街での移動は徒歩か船になります。ベネチアは、自動車や自転車が走っていないのです。物流や郵便配達がたいへんだと思いました。

ホテルまでのフェリー乗り場に案内してもらって、そこからボートでホテルに向かいます。
今回のホテルは、JW MARRIOTT VENICE RESORT & SPA。ベネチア本島からフェリーで15分くらい。早朝から深夜まで動いているので特に不便は感じませんでした。
予約のとき決済は終わっていましたが、チェックイン時デポジットされます。宿泊税やチップなどもそこから引かれます。2019年7月からの訪問税はどこで払ったのかわかりませんでしたが、どうやら交通機関の運賃に含まれているようです。
お部屋は広く清潔感があり気持ち良く過ごせました。朝食がとても美味しかったのが嬉しかったです。


ジョジョの奇妙な冒険 聖地巡礼

ジョジョの奇妙な冒険 第2部

リアルト橋は、2部でジョセフとシーザーがリサリサと会う場所として描かれました。jojo リサリサ

400以上架かるベネチアの橋の中でも最も美しいとされるのがリアルト橋で、カナル・グランデ運河にかかる最古の橋です。

設計したのは、アントニオ・ダ・ポンテですが、ミケランジェロが一般公募に参加したことでも有名です。

ぼくたちが行く前の7月19日、リアルト橋のたもとでコーヒーを淹れていたドイツ人バックパッカー警察に通報され市外への退去を要請され、950ユーロの罰金を科されました。5月に制定されたベネチア版の迷惑防止条例に違反していたためです。
ルイージ・ブルニャーロ市長は、「ベネチアは敬意をもって扱われなくてはならない」と声明を出しました。


サン・マルコ広場は、世界一美しい広場とも称されるベネチア一の観光名所です。
荘厳なサン・マルコ寺院や高くそびえ立つ鐘楼など見所だらけで、囲む回廊を含めた大部分が大理石で出来ています。

リサリサがお茶しているとこにスリと遭遇しジョセフがボコボコにした場所です。

世界的な観光地なのでスリや置き引きはあるのでしょうが、治安面は全く不安はありませんでした。

鐘楼の上からの景色は絶景です。


ジョジョの奇妙な冒険 第5部

5部の巡礼のメインは、やはりサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会です。同じ名前のサン・ジョルジョ・マッジョーレ島にあります。

サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は、「水辺の貴婦人」と称されている美しい教会で、1610年に完成しました。設計は16世紀を代表する建築家パッラーディオ。「柱廊と入り口上部の調和」と「左右対称の柱の配置」が特徴だといわれています。
正面祭壇の脇には、ティントレットの「最後の晩餐」と「マナの収集」が配されていて、礼拝堂には、ヤコポ・バッサーノの「羊飼いの礼拝」などの素晴らしい絵画の数々が飾られています。

ボスの指令に従い、ブチャラティとトリッシュはエレベーターで鐘楼に登ります。
このエレベーターに乗りに来ました。
このエレベーターの中で、ボスはスタンド能力で時間をふっとばし、トリッシュの手首を切断し連れ去ってしまうのです。

ボスめ!!!!!!

鐘楼の上からの眺めも美しいです。



ここで、ブチャラティとボスの闘いが繰り広げられます。
ブチャラティは顔から携帯電話を出しましたね。



たどり着くのに苦労しましたが、ジョルノたちが、スクアーロとティッツァーノに襲われたレストランも見つけられて良かったです。



ライオン像を破壊してDISCをゲットする指令を受け、ホワイト・アルバムのギラッチョと闘ったサンタ・ルチア駅。残念ながら見学できませんでした。jojo サンタ・ルチア駅

「『ベニスの商人』とか『ベニスに死す』とかよォ~~。なんで『ヴェネツィアに死す』ってタイトルじゃあねえーんだよォぉぉぉォーーッ。」で有名なギラッチョですが、

この闘いでの名言は、「『覚悟』とは!!暗闇の荒野に!進むべき道を切り開くことだッ!」でしょう。


ベネチア観光と食事

サン・マルコ寺院は、ベネチアで最も有名な寺院であり、世界遺産にも登録されています。聖マルコの遺体が眠っています。壮大な外観に圧倒されますね。内部の装飾も豪華で素晴らしかったです(写真撮影禁止)。夕方に行ったので空いていました。見学は無料です。

ゴンドラにも乗りました(80€)。
ため息の橋(Ponte dei Sospiri)は、16世紀に建設された歴史ある橋です。

ゴンドラで観光する場合、必ず通る有名スポットで、夕方にため息の橋の下でキスをした恋人は永遠に結ばれると言われています。

ロマンチックなスポットとしてとても人気となっていますが、この橋はドゥカーレ宮殿と牢獄をつなぐ橋でした。





サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会隣の新しい博物館「プンタ・デッラ・ドガーナ」に行ってきました。安藤忠雄氏の手がけた内装が評判です。もとはヴェネツィア共和国の海の税関で、2007年にフランスのピノー財団コレクションを展示する現代美術館としてオープンしました。

ここは面白かったです。前衛的すぎて全く理解できませんでしたがとても楽しめました。





帰りの飛行機はミニラウンジにも行けました。食べて飲んでぐっすり寝れたのであっという間に関空に着きました。楽しかったです。是非また行きたい街です。


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