公共交通の共通運賃・運行システム 〜市民の二人に一人が市内公共交通の年間定期券をもつウィーンの交通事情
2019-10-28 [EntryURL]
ドイツ語圏の国々(ドイツ、オーストリア、スイス)の都市を中心とした多くの地域の公共交通では、日本にはない、共同運賃・運行システムがとりいれられています。
まず、バスや電車など複数の異なる交通事業者の交通機関を利用して移動する際、ひとつのチケットを購入するだけですみます。それぞれのチケットを買うという面倒な作業も必要なければ、初乗りなどの上乗せ料金もかかりません。チケットの料金は、場所により若干異なりますが、基本的に多くの人が利用しやすいように、低価格におさえられています。
また、運行計画やダイヤは、市内の複数の交通機関をすべて考慮した統一的なものであり、それぞれの交通事業者の乗り継ぎがスムーズにできるようにしてあります。
このような運賃・運行システムは、住民にとってはもちろん観光客にとっても、非常に使い勝手がよく、実際に、このようなシステムを導入している地域の公共交通の利用者数は増加傾向にあります。また、単に利用者に便利というだけでなく、住民への公平なモビリティの提供や環境負荷の少ない移動手段といった、別の観点からの評価も高く、交通施策として安定的に支持されています。
今回と次回を使って、このようなヨーロッパの公共交通のシステムをとりあげ、それを切り口にしながら、モビリティの役割や今後の時代のモビリティのあり方、また現在、直面している地方における問題など、日本でも共通するテーマについて、少し掘り下げてみていきたいと思います。具体的には、初回の今回はまず、ドイツ語圏の公共交通において共通運賃・運行システムがつくられた経緯と、現在、実際にどのように日々使用されているのかを、ウィーンを例にみていきます。次回では、モビリティのもつ役割について、より広く、複数の角度から検証し、そこででてくる問題についても考えていきます。
なお、今回のテーマに関連する調査や研究が、日本語でも多く発表されており、それらがウェッブで公開されています。詳しくは、次回の記事の下で一括して掲載します参考文献をご参照ください。
モータリゼーション全盛期の公共交通
公共交通で共同運賃・運行システムをはじめて導入したのは、1965年、ドイツのハンブルクです(土方、2010)。
1960年代といえば、どこの都市でもモータリゼーションが進んだ時期です。(現在は、都市の中心部は、車の通行を禁止したり制限し、歩行者が道のどこでも自由に闊歩できるような区域を設けているところが多くなりましたが、)当時は、車道が都市の中心部までのび、広場は駐車場と化し、自動車が都心部のオープンスペースのほとんどを占領していました。(ちなみに、現在世界で自転車都市として名を馳せているアムステルダムやコペンハーゲンも当時同じような状況で、その後市内の自転車交通網を整備していくことになります「カーゴバイクが行き交う日常風景 〜ヨーロッパの「自転車都市」を支えるインフラとイノベーション」)。
車でどこでもいけるようになると、公共交通の利用者は相対的に減っていきますが、公共交通は、利用者が減るとどうなるでしょう。利用が少ないので、運行側も、本数や新規投資を減らさざるをえず、利用が不便になったり、車両や運行のテクノロジーが古くなっていきます。そうなるとその先は、悪循環のスパイラルが続いていきます。効率も悪くなり、コストはますますかかるようになり、遅延も起きやすくなります。その損失分を利用者の賃金で補填しようとすれば、さらに人々の足が遠のきます。
ハンブルクからはじまった公共交通の復興物語
こういった悪循環のスパイラルを放置しておくと、必然的に公共交通は衰退していきますが、当時のハンブルクでは、公共交通の復興をかけて、これまでなかった全く新しいシステムを導入しました。そしてこれが、ドイツ語圏の公共交通システムの歴史において、大きな転機となります。
それは上述したように、公共交通事業者たちが協同して、時間的な無駄が少なく乗り継ぎがしやすい地域の全体の運行計画(ダイヤを策定を含む)をつくり、それらを利用する際、異なる事業者によっていちいち初乗り料金を請求しない、地域内の統一・共通の運賃体制(つまり一つのチケットで特定の地域の交通機関すべてにのれる)をつくる、というものでした。
この新たな任務を遂行するため、そのための専門的な組織も、新たにつくられました。「運輸連合Verkehrsverbund」と呼ばれるものです。運輸連合は具体的に、交通(運輸)に関わる事業者の間で調整し、統合的な運行計画や乗車料金体系を作成し、それに基づき、関係するそれぞれの交通事業者と詳細にわたる協定を結び、その協定に沿った運行が達成されているかをチェック・評価し、達成度や評価に合わせて、運輸連合に一括してプールされた運賃などの売り上げを、それぞれの交通事業者に再配分することを業務とします。
ハンブルクではじまったこの画期的な試みは、利用者に好評を博し、利用者数を徐々に回復していきます。ハンブルクの例は、同様にモータリゼーションの潮流で苦戦していたドイツのほかの都市や地域、またオーストリアやスイスでもすぐに知られるところとなり、各地で同じような運輸連合が相次いで設立され、公共交通の在り方として定着し、今日にいたっています。
公共交通のパラダイス、ウィーン
ここからは、ドイツ語圏の公共交通の状況について、ウィーンを例にとって、具体的に概観してみます。ドイツ語圏でベルリンに次いで二番目に大きな都市で、現在の人口は180万人おり、今後も増加すると見込まれているウィーン市の公共交通は、現在、ドイツ語圏の都市のなかでもとりわけ公共交通の成功例として注目されており、世界各地からの視察団が頻繁におとずれる公共交通政策のいわば「聖地」ともなっています。
それは、まず、単に利用者数が多いからというのではなく、大都市の公共交通というきわめて複雑で課題の多い運行をうまく行っており、住民から高い支持を受け、実際によく利用されているためです。また、将来の都市の人口増をみすえて、ウィーンの都市計画と密接に連携しながら、長期的な公共交通プランをたて、そのための投資も積極的に行っていることも、(同様に将来人口増加が見込まれる世界各地の)大・中規模都市にとって、非常に参考になるのだと思われます。
ウィーンでも、1960年代にほかのドイツ語圏の都市同様に、運輸連合が設置されたのち、公共交通の運賃が統合され、それぞれの乗り換えもスムーズにいく体制ができていきました。
その後、人口の増加も後押しし、安定的に利用者数は伸長し、現在は1995年に比べ3分の1ほど多い、260万人以上の人が、毎日利用しています。ウィーン住民の間で、主要な交通手段として公共交通を利用する人の割合は、約4割です(2016年は39%、2017、8年は38%)。この割合は、ほかのドイツ語件の主要都市に比べると(ベルリンでは27%、ミュンヘンは23%、ハンブルクでは18%)、突出した割合といえます(ちなみに、ここでの主要な交通手段というのは、最も長い時間利用する交通手段をさします)。
ただし、このような利用率の高さは最初から達成されていたものでなく、とりわけここ数年で顕著となった現象です。例えば1993年には29%で、ほかのドイツ語圏の主要都市と大差ありませんでした。一方、その後は、公共交通のシェア率が徐々に上昇し、それから四半世紀後の2016年には10%多い、39%に到達しています。
他方、車を主要な交通手段とする人は、1993年は40%でしたが、2018年には29%に減っています。つまり、四半世紀の間に、公共交通と車の交通手段としての有効性が、逆転したことになります。
出典: Wiener Linien, 2018. Facta and Figures
ちなみに、2017年、2018年には前年より1%下がって38%となっていますが、これはウィーン公共交通の対象地域が拡大し、新しい地域の公共交通ネットワークは現在また完成しておらず、その地域でいまだ比較的多い自動車利用者の数が反映されたものだと、ウィーン市交通局(都市ウィーン100%出資している株式会社ウィーン都市施設局の一部で、ウィーンの公共交通の運行を一手に行なっている部署)では理解しています。実際に利用者数が減ったのではなくむしろこの間も増加しています。このため一時的に利用率としては落ち込んだ形に現在なっていますが、現在建設中のこう公共交通が完成していく数年後には、ふたたび全体の利用率もまたあがると見込まれています。
二つの補完しあう公共交通促進のインセンティブ
1993年の時点では、ほかのドイツ語圏の都市圏の現在の公共交通利用の割合とほぼ横並びだったのが、その後1割近くも高くなったのには、二つのインセンティブが重要であったと考えられます。
ひとつは、年間定期券の大幅な値下げです。2012年から、ウィーン市交通局は、これまでもあった年間定期券(ウィーン市内の公共交通すべてを1年間を通じて自由に好きなだけ乗ることができるチケット)の値段を480ユーロから365ユーロへと、大幅に引き下げました。
またこの年間パスの大幅な値下げと同時に、ウィーン市は、市内の駐車場の一時間駐車料金をそれまでの倍額の2ユーロ20セント(約2ドル50セント)に引き上げました。
その結果、年間定期券の値下げ直後から、(特に広告などは一切しないでも)定期券の購入は毎年右上がりで一気に増えてゆきます。2015年以降年間定期券の購入者数は、ウィーン市で登録されている車の台数を、超えるようになり、2018年にはこれまでで最高の82万2000件のパスが販売されました。ウィーンの人口が180万人なので、単純に概算すると約二人に一人が年間定期券を保持していることになります。ただし、この数には年金所得者や若者を対象として割引年間定期券は含まれておらず、就学前のこどもにいたってはそもそも交通料金がかからないことなどを考慮すると、成人年住民で、なんらかの年間定期券を保持している人の割合はもう少し高くなると考えられます。
出典: Wiener Linien, 2018. Facta and Figures
つまり、年間定期券を値下げする一方で、駐車場の料金をあげる。このような両サイドからのインセンティブによって、人々は年間定期券を購入し、公共交通を利用する方向に移行していったと考えられます。ちなみに、1日1ユーロという、誰にでもわかりやすい値段体系も、年間定期券の手ごろ感と便利さをアピールするのに大いに役立ったとされます。
ちなみに現在、交通局に入る交通料金収入の年間定期券の占める割合は45%を占めます。ほかに、若い学生や60歳以上の人々を対象にした割引年間定期券も販売しており、それもあわせると、年間定期券関連販売収入は、全チケット販売収入の63%になります。
運賃値下げの背景
ところで、このような大胆な値下げは、ウィーン市交通局自らの意向で実施されたわけではありません。ウィーン市交通局が財政的に100%経済的に依拠しているウィーン市の意向を反映したものです。
この値下げ案に限らず、ウィーン市議会は、伝統的に左派や緑の党が強く、すべての人に公平なモビリティを確保することや、自動車を都市から減らし人々を公共交通に移行させることを重要な課題としてきました。このため、換言すれば、数十年にわたる市の交通政策が、現在のウィーンのすぐれた都市交通ネットワークとして実を結んでいるといえます。
2018年の利用者数はのべ人数で9億66万人(一日当たり260万人)であり、2年後には10億に到達すると見込まれています。
おわりにかえて
今後、日本でも、人口の縮小や高齢化などの理由で公共交通の利用が減少する地域が、確実に増えていくと思われますが、そこでは、どんな可能性が残されているのでしょうか。
近年は、MaaS(マース)という最新のデジタル技術を駆使した交通体系を再編成・統合の動きが世界的に改めて注目されるようになってきましたし、既存の交通事業者やそれを抱える自治体が、簡単に廃線や補助金カットという選択肢を選ぶのでなく、少なくとも、誰のためのなにが重要でそれがいかにして可能であるかを改めて検討し解決策をさぐるのは、今からでも決しておそくないでしょう。
ただし、ウィーンをはじめとする主要なドイツ語圏の都市の主要な公共交通網は、現状では、委託業者の入札以外では基本的に自由競争の原理にのっとっておらず、州や自治体あるいはそれらが100%出資する会社が運行管理しています。このため、独立採算制が重視され、複数の交通事業体が競合的な関係のなかで運営している日本の公共交通体制とは、基礎的な枠組みを大きく異なり、簡単に比較をすることはできません。
そうであるとはいえ、今回紹介したような、共通運賃・運行制度や、年間パスなどの定期券を格安で販売するという大胆なインセンティブが、ドイツやオーストリアで、実際に地域住民や社会全体、また環境にどのような効果や反響をもたらしたのかという事実関連は、日本でも参考になることでしょう。
次回は、モリビティについて、今回の話より広げてみてゆき、いくつかの観点で掘り下げて考えてみたいと思います。
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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