出生率0.8 〜東西統一後の四半世紀の間に東ドイツが体験してきたこと、そしてそれが示唆するもの
2018-12-16 [EntryURL]
今年最後の今回と次回の記事では、今年耳にしたニュースのなかで、とりわけ自分で印象に残ったものをピックアップしてご紹介してみます。今回は、スイスのニュース専門ラジオ放送局の「今日の会談」という番組で11月に取り上げた、東ドイツに関する内容を紹介してみます。今年、東ドイツでは、移民排斥をかかげる極右支持者のデモを繰り返され、対抗デモとの激しい衝突で死者もでましたが、この回では、東ドイツに多いこのような極右支持者のデモの背景を探るというテーマで、ベルリンの人口と発展研究所所長のクリングホルツReiner Klingholz氏が招かれ、東ドイツのこれまでと現在の状況を解説していました(Reiner Klingholz, 2018)。ちなみにこの番組は、毎回約25分、ひとつのテーマについて、それに関連する経済や政界人、あるいは専門家を招いて、集中的に議論やインタビューをするものです。
東西統一後に起こった人口動態の非常事態
冷戦崩壊(東西ドイツ統一)からわずかの間に、180万人もの人口が東ドイツから西ドイツに移動しました。これは、統一前の旧東ドイツ1450万人の人口の、単に数として大きいだけでなく、非常に年齢と性別に特徴がある移動でした。移住者の多くが若い女性であったためです。
これに対し、当初は、女性が多く移動したことに対し、労働者市場は、女性に厳しく、女性に十分な仕事がなかったため、西側に移動せざるをえない女性が続出した、という解釈がされていました。しかしよくみてみると、これまで想定していた事態とかなり違うことがわかりました。まず、当時男性と女性をみると、男性のほうが失業率が高かったため、失業問題が、女性だけが西側に移住する理由ではないことがわかりました。
では、なぜ女性たちがとりわけ西へ向かったのか。それは全く違う事情からでした。当時の東ドイツの女性と男性の学歴を比較すると、男性に比べ女性のほうがギムナジウムと呼ばれる大学進学を前提とする進学校に通う率が50%も高く、逆に普通中学校Hauptschuleしかでていない人や、そこを中退した人の数は、男性のほうが女性よりも100%も多いことがわりました。
つまり、若者世代の性別で、学歴に大きな差異があり、学歴が男性に来れば圧倒的に高い女性たちは、よりよいキャリアのチャンスを求めて、西側に旅立ったということだったのです。
残された東ドイツにあふれたもの ―男性と極右
西へ移り住んだ女性たちは、その後そこで仕事を続けたり家庭をそこで持ったのでしょう。東ドイツに戻ってくる人はわずかしかいませんでした。
この結果、東ドイツでは世界でもまれにみる特別な状況が生じてきます。まず1990・2000年代において20代・30代の若者の性別をみると、女性が男性に比べ30%も少なくなりました。これほど極端な若い女性の割合の減少は、世界にも例がないと言います。
女性が極端にこの地域に少なくなったことで、男性たちはパートナーを非常にみつかけにくくなり、家族をもつことも難しくなりました。そのころ東独では、失業率も高かったため、仕事もなく家庭の希望ももてない男性が2世代にわたって、急増したことになります。その状況はいかなるものだったかは、0.8という当時の出生率がなにより雄弁に物語っているといえるでしょう。世界の様々なところでこれまで出生率が計測されてきましたが、これほど低い出生率はこれまでありません。
ただし、男性が社会に多くなったからといって、男性が多かった西部開拓時代のアメリカ西部のように、社会が暴力にあふれていたわけではありませんでした。西部が、男性が集まってできた社会だったしたら、こっちは、むしろ残された人たちで形成されてきた社会で体質がもともと違います。当時の東独の男性は、暴力性はすくなく、むしろ内向的で、うちに引きこもるタイプであったといいます。
しかし、この頃から、東ドイツに極右勢力が次第に台頭してきます。パートナーがいないことや失業と、極右思想を直接結びける因果関係はありませんが、仕事にもパートナー関係にも失意した世代が、右翼の中心的な世代と一致しています。
このような怒涛のような東独の変化を観察してきたクリングホルツは、2008年、若者男性の救済のための政策をとうよう提言したといいます。新しい社会で、若い男性が、時代にあった適切な役割を果たしていけるように、まず、教育現場で、男子学生に考慮する授業の進め方をするよう提案しました。旧東ドイツからつづいてその当時も、学校教師の職は圧倒的多数を女性たちが占めていました。女性教員が必ずしも悪いわけではもちろんありませんが、男子学生にとって、女性教員が圧倒的多数を占める学校教育ではさまざまな問題の要因が、今日指摘されています。
ちなみに、女子が男子よりも高い学歴になるというパターン、また女性が自分と同じ学歴かそれ以上の学歴で、収入も高い人を自分のパートナーに選ぶ傾向が強いというのも、東ドイツに限らず、先進国のいたるところで起きている現象です。
さいわい数年前から、西側に流出する人よりも西から東にくる人の数が増えるようになり、西への流出は底をついたかのようにみえます。男子と女子の学歴の差も以前に比べれば緩和されました。
一方、現在ドイツの国会にも議席をもつ極右政党「ドイツのための選択肢(略称AfD)」の支持者は、30代・40代が中心です。この世代は、まさに、10から15年前、女性が忽然と自分たちのまわりからいなくなった東独時代に若者だった世代です。当時の若者達が直面させられた状況が、その後も長期にわたって影響を与え続けていると解釈されます。
生活水準全体からみてみると、東ドイツ時代に比べ、この地域の生活水準は格段よくなっています。なかでも、ザクセン州は生活水準がもっともあがった地域とされます。しかし、現在、極右政党の支持基盤が最も大きいのも同じザクセン州です。つまり、東ドイツで起こっていることを説明するには、生活水準だけでは、全く不十分であるということになります。
天秤の左右にのった女性と極右
ここまでが、ラジオで視聴した内容です。これを視聴してすぐに、やはり今年読んだ二つの記事が思い出されました。
ひとつは、オンライン・デジタル・キオスク「ブレンドル」からおすすめの記事として紹介され、今年3月に読んだ「わたしに一つの女性を世話してください。そしたら、ペギーダのデモには行きません」(Reinhard)というタイトルの記事です(オンライン・デジタル・キオスクそのそのキュレーション・サービスについては、「ジャーナリズムを救えるか?ヨーロッパ発オンライン・デジタル・キオスクの試み」、「デジタルメディアとキュレーション 〜情報の大海原を進む際のコンパス」)
ペギーダとは、旧東ドイツを中心として活動している民族主義的政治団体「西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人」の略語で、2014年からドイツ各地でデモを行っています。この記事は、2014年からザクセン州の同権および社会統合(インテグレーション)大臣として働いているケッピングPetra Köppingと彼女のザクセン住民との交流について書かれたものでした。
ケッピングは1958年生まれの旧東ドイツ出身者です。本来、彼女の職務は、男女同権や難民のインテグレーションなのですが、それを推進するためには、女性や外国人ではなく、住民の理解や支持が不可欠であると強く感じ、積極的にザクセンの住民のなかに入っていき、住民たちの話に耳を傾けてきました。このため、ザクセンとくに郊外では、自分たちの話を唯一聞いてくれる政治家として、人気を集めている人物のようです。
ケッピングのところには、ザクセンの住民から様々な手紙も届きます。その一つが、この記事のタイトルになっているようなものでした。ドイツが大量の難民を受け入れることに反対するペギーダのデモに行く男性が、ケッピングに、「女性を世話してください。そうしたら、ペギーダのデモにももう行きませんから」と送ってきたのでした。
ここで、この手紙を書いた人について、筋の通らない話だと一蹴したり、女性や難民の人権や大臣の仕事をなんだと思っているのだと、様々な政治や社会、モラルのレベルの問題として取り上げることは、いくらでも可能でしょう。しかし、この手紙の内容や書いた人を個人的に批判し、説教をたれることよりも、わたしには、今、もっとずっと大切なことがあるような気がしました。
この手紙を投函した人は、自分としては切実な思いにつかれて直接知りもしない州大臣に手紙を書いたのでしょう。自分勝手でナイーブな話ですが、そうだと切り捨てる以上に、今、ザクセン州でできることがないのか。あるのではないか。あってほしい、と思いました。
わたし自身が、東西統一まもない1996年からザクセン州に2年余り滞在し、ザクセンの人々を自分の目で見て接した経験があるから、余計、自分の感情が強く入ってしまうのかもしれませんが、それを差し引いても、東ドイツについては、何度指摘しても強調しすぎにならないほど、重要なことがあります。それは、東ドイツの人々は、母語こそドイツ語で共通ですが、西ドイツとは全く違う制度で生活していた人たちだったということです。そして、東ドイツが西側に統一されるという形でドイツが一つの国家となったため、その中で自分たちの全く新しい境遇になれていく必要がありました。
土地や建物こそ統一で変わったわけではありませんが、自分の住んでいた国が突如なくなって、しかも単一の新しい国として生まれ変わるのでなく、違う国の一部となって歩み始めるという経験は、あまりにも稀有です。同じ統一の経験を西側で経験した人たちにとっては、これがどんなことだったのかを理解するのは難しいでしょう。そのような不可解や不理解をかかえながら、これまで東ドイツの人は歩んできました。その道のりには、どのような前代未聞の様々な試練があったかは、容易に想像されます。
過去にさかのぼって当時の人に何かをすることはもちろんできませんが、ケッピングのように、現在の旧東独の人たちの気持ちを聞いて、なにが必要なのかを考え、なにかを変えていくことは、少なくともできます。以前、東ドイツの市民らの不安を少しでも取り除くすためにと開設されたホットラインについて紹介しましたが、これもまた、そのような試みのひとつとして、評価できるでしょう(「悩める人たちのためのホットライン」が映し出すドイツの現状 〜お互いを尊重する対話というアプローチ)。
未来の東ドイツの状況が、1990年代以降の様々な経験から多くを学び、よい道に続いて行くよう祈るばかりです。
東ヨーロッパ、そして世界全体で起こっていることとの相関性
もう一つ、このラジオのニュースを聞いて、すぐに思い起こされたのが、『アフター・ヨーロッパ』の著者で、今年3月にスイスの新聞の日曜版に掲載されたブルガリア人政治学研究者イワン・クラステフ Ivan Krastevへのインタビュー記事です。
これについては、すでに記事で紹介したことがありますので、詳細はここでは割愛しますが、東ヨーロッパは全般に冷戦終結後、若者を中心に出国する人が後を絶たず人口が減り続け、冷戦終結から四半世紀たった今日、社会に深刻な問題が生じてきていること。しかし事態の改善を試みようにも、EUという枠組みで移動する人口移動に対し(EU加盟国)の国レベルで対処することは難しく、根本的に、社会構造に由来する問題を解決することがいかに難しいことが、鮮明になる示唆に富む記事でした(「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(1) 〜「普通」を目指した国ぐにの理想と直面している現実」)
クラステフの指摘を聞き、東ヨーロッパが今置かれている状況の深刻さを思う一方、このような東ヨーロッパ全体の状況は、意外にも、イギリスのブレグジットの背景との相関性もあるのでは、という気もしてきました。というのも、イギリスのジャーナリスト、グットハートDavid Gooodhartが、ブレグジットの社会的背景を説明するために、大変興味深い分析概念を用いているためです。それは、「どこかSomewhere 」タイプと「どこでもAnywhere 」タイプという概念です。
「どこか」の人たちとは、安全、伝統、家族などを重視し、変化に慎重な保守派で、自分のアイデンティティーは、個人というより、なんらかの所属する集団に求めます。学歴はそれほど高くなく、地域に根付いていた生活や就労をしています。これに対し「どこでも」タイプの人は、順応性や柔軟性にたけ、自主性が強く、所属するグループではなく、自分が成し遂げることに重きを置きます。都会に多く、学歴は全般に「どこか」タイプより高い傾向にあります(「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(2) 〜移民の受け入れ問題と鍵を握る「どこか」派」)。
グットハートの説はイギリスの置かれた状況を説明するのに興味深いだけでなく、非常に汎用性の高い概念でもあるように思われます。「どこでも」派と「どこか」派の対立、また、「どこでも」派のいる中心から離れた周辺に取り残された「どこか」派が直面している様々な問題。これらは、現在、世界のいたるところで多かれ少なかれ起こっている問題ではないでしょうか。同様に、それらの対立や問題が緩和される見通しが見当たらず、当面、緊張や溝が大きくなる兆しがみられる、というのも、多くの国に共通しているようにみえます。
さらに、人の流れに視座を広げると、西欧社会は周辺国家の人々を巻き込み、封建時代の「奉公人」に匹敵するような世界的な階級社会化が起きているのではないか、というバルトマンの指摘(「人出が不足するアウトソーシング産業とグローバル・ケア・チェーン」)の重みも感じます。
東ドイツについてのニュース報道は、このように、今という時代や世界を鳥瞰する視界にまで、遠く連れさっていくような、非常に考えさせられる、どしりと重いテーマであり、わたしにとって今年、一番心に残るニュースとなりました。
次回は明るく、年の終わりをしめくくります
さて次回は、今回とは一転し、今年聞いた明るい「グッド・ニュース」のほうに的をしぼり、今年最後の締めの記事にしたいと思います。またおつきあいただければ、さいわいです。
参考文献・サイト
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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