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コメディは社会のセラピー 〜ドイツの人気コメディアンと「#MeTwo」ムーブメント

2018-10-03 [EntryURL]

先日、ドイツのテレビであるコメディアン・ショーを見て、ある思いがよぎりました。

今年の夏、ドイツのメディアでは、難民やイスラム教徒のトルコ系移民へ反発するで極右勢力支持者たちによる排斥的な動きが、連日のように報道されていましたが、笑いやユーモアというものは、もしかしたら現在のような状況において、他のイニシアティブよりも意外に頼もしい効力を発揮するのではないか。もちろんそれは、対立する人々の間を取り持つような直接的な取り組みにはならないにせよ、ユーモアを交えて捉えることで、偏ったり硬直してきた自分の頭の硬さが少しほぐれ、他人や自分自身を少し違う立ち位置からみえるようになるのでは、という思いです。

今回は、こんな思いにいたらせてくれた、このショーとそれを演じたコメディアンの話から出発し、コメディが社会にもたらすものの可能性について、(コメディ的)楽観的な視点で展望してみたいと思います。具体的には、このコメディアンがインタビューやショーの中で、今のドイツの社会状況や世界、またその中で自分のコメディの役割をどのように捉えているのかを観察し、同時に現代のドイツの社会的な文脈のなかで、このコメディアンやコメディがどんな位置にあるのかをさぐってみます。

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人気コメディアンの正体

「Around the world」と銘打ったこのトークショーは、今年9月14日の金曜夜10時15分から0時までの週末のゴールデンアワーに、ドイツの民間放送局RTLで放送されました(私が住むのはスイスですが、ドイツ、オーストリア、スイスといったドイツ語圏の国々の主要な放送局のコンテンツが視聴できます)。ただしショー自体は、2013年秋から巡回独演会のプログラムとして公演されてきたもので、今回放映されたものは、2015年に公演・収録されたものです。

約1時間半に及ぶソロのトークショーをこなしていたのは、カヤ・ヤナーKaya Yanarという、今年デビューから17年目になる45歳のドイツの人気コメディアンです。しかし、ヤナーを、単なるドイツの人気コメディアンと紹介するだけでは不十分でしょう。

というのも彼が、ドイツに移住したアラブ=トルコ系の移民の子どもでありながら、「ドイツ人と非ドイツ人どちらにもにじように認められ」ているコメディアンであり、多くの移民たちにはとって、「移民的背景をもちながらドイツのテレビで自分の専門番組をもつようになった最初のエンターテイナー」として「重要なインテグレーションの象徴」的人物であるためです(Boran, 2006, S.282)。

言語的な特徴を正確に模写するすぐれ技を活かしたコメディ

ヤナーは、さまざまな言語の癖や特徴の模倣を得意技とするコメディアンです。これについては、今回のテレビ番組の紹介文がうまくとらえているので、少し長くなりますが、引用してみます。

「カヤ・ヤナーは、アジア、アメリカ、ヨーロッパを旅し、とんでもない冒険をする。カヤほど知らない国や文化の独特の特徴について感動する人はいない。どうして中国人は、四本足があって机じゃないものは全部食べるのか。。(中略)。。世界中ほとんどの国でバナナを「バナナ」に近い発音で表記するのに、トルコ語では「ムズ」なのか。。(中略)。。カヤ・ヤナーは、言語、文化、人々をよく観察し、それぞれの妙な習慣を明確に模倣する。親がトルコ人で、ドイツのパスポートを持ち、世界中の旅行に情熱を傾ける彼にしか、これらの独特の習慣にこんなにもあけすけに、鋭く観察することはできない。そしてカヤの手にかかると、単に隣人を笑うことで終わらず、いつも少しだけハートが重要になる。」(Kaya Yanar live!, 2018)

ヤナーは、現在のドイツでは、言語や文化、習慣の違いといった(ともすれば、政治問題にまで転じかねない、様々な人が神経を尖らせている微妙な)テーマを、いとも簡単そうに、持ち前の観察力と模倣力と、軽快なノリで、取り上げ、笑いに仕立てていきます。しかし誰かを犠牲にしたり不快にさせたりする笑いではありません。見下すような視線や、違和感や警戒心、笑い者にする突き放した姿勢もありません。あるのは、どこの国の人たちも、その言語的な発音やアクセントを正確に捉えながら、愛嬌たっぷりのキャラクターとして描写する演出です。

この点について、ヤナー自身も強く意識し、配慮をしているようで、自らも以下のように表現しています。「同じようにステレオタイプを扱う舞台でも」、「ステレタイプ自体を笑いものにするのと、ステレオタイプのなかにある人をからかう(笑いものにする)のは、描写の仕方として大きく違う。」(Loh und Grüngör, S.169)

このようなわけで、ヤナーのショーは、(見ているドイツ人も外国人も)ほかの地域の文化や人を扱っていても、人種差別的なのではないかと危惧されることもなく、ホールを占める老若男女の8千人ほどいるかと思われる観客と一体になって、安心して遠慮なく、思いっきり笑い飛ばすことができます。

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移民としての生い立ち

人種や文化の違いを超えた立ち位置から眺望し、ユーモアと愛着で包みこみ、描写するようなヤナーのコメディは、彼の独特の持ち味であるのと同時に、現在のドイツのトルコ系などの移民的背景をもつ若者世代が共通してドイツで味わってきたもの、そしてそこから育まれた生き方やポリシーと重なる部分も多分にあるように思われます。

ヤナーの生い立ちに少し触れますと、アラブ系のトルコ移民の二世としてドイツのフランクフルトに生まれたヤナーは、エリート校(ギムナジウム)そして大学へと進学し(音声学等を専攻)、当時、トルコ系移民としては破格のドイツ社会でのエリート・コースを歩んでいます(当時通っていたギムナジウムには、彼と彼の兄弟の二人だけしかトルコ系移民がいなかったといいます)。その一方、国籍でいえばトルコ人であるにもかかわらず、トルコ語が満足に話せず、アラブ系でもありますがアラビア語も習得していません。

彼のこの複雑な事情や心境は、ドイツのトルコ大使館に行った時のエピソードとして、コメディでもでてきます(今回視聴したものではありません)。トルコの国籍をもち、外見もトルコ人的であるヤナーをみて、当然の帰結として、領事館スタッフは彼にトルコ語で話しかけるのですが、ヤナーには意味がわからない。ヤナーがトルコを解せないということがスタッフにとっては想定外であるため、トルコ語の質問に反応しない彼をみて、大使館員は耳が不自由だと思い込む。というふうにコメディは続いていくわけですが、とにかく、トルコ語が話せないということは、(笑いのネタにもなりますが)、彼にとってひとつのやっかいな問題でした。
最終的に、トルコ国籍を破棄してドイツ国籍を取得し、晴れて語学能力とパスポートが一致しますが、それでもまだ別の問題が残ります。語学能力とパスポートから見て完璧な「ドイツ人」であっても、ほかの人から「ドイツ人」と認識されるかはまた別の問題だからです。

「トルコ人」、「移民」、「よそ者」など「ドイツ人」ではない者とみなされることもありますし、自分自身でも「ドイツ人」、「トルコ人」、「トルコ系ドイツ人」どのように名乗るのが一番適切であるのかも、もはやよくわからなかったり、はたまた、それ自体、どうでもいいような境地にもなったりします(そしてそれがまた、コメディのネタになったりします。)

「#MeTwo」ムーブメント

このような、自分が持ちたい帰属意識と他者から認められている自分の像の間のギャップ、あるいは自分自身でもよくその辺りがわからない、あるいはそれを見極めること自体が、自分自身にとっては重要とは思えず、自分を拘束する社会のレッテルのような気持ちがする、と言う感覚は、ヤナーだけでなく、多くのドイツに育った移民たちに、共通しているようです。

ここで、ドイツの移民の歴史と現在の状況について、トルコ系移民を例に簡単にご紹介してみましょう。ドイツは戦後の高度経済成長に深刻な労働力不足に陥り、1961年にトルコとの間で雇用に関する二国間協定を結びます。この結果、1960・70年代の大勢のトルコ人が就業のためにドイツに移り住んできました。

二国間協定から半世紀以上がたった2015年の時点で、ドイツのトルコ系移民(本人あるいは親がトルコ出身である人たち全般をさします。トルコの国籍を現在保持しているかは無関係です)は、285万人おり、ドイツ全体の人口8169万人の約3.5%を占めています(Migrasionsbericht, 2015, S.162)。ちなちにドイツ全体では、なんらかの移民的な背景(本人あるいは親の少なくとも片方が外国出身)をもった人たちは、全体の21%を占め、人口でいうと約1712万人になりますが、そのうちの16.7%がトルコ系移民で、2位のポーランド系移民(9.9%)の約1.7倍の人数です(ebd., S.163)。

ところで、トルコ系移民がドイツにきてすでに半世紀以上がたった今年になって、改めて、移民的な背景をもつ人々たちが新たに連帯してドイツ社会にアピールするムーブメントが盛り上がりました。

今年7月末、トルコ系ドイツ人のサッカードイツ代表選手が、トルコのエルドアン大統領と写真を撮ったことでドイツで大きな批判をあび、最終的にドイツの代表を辞退する決断をしました。これを受けて、ドイツ国内で対話を推進する活動を行なっているジャンAli Canがオルタナティブ雑誌『Perspective Daily』誌上で、移民的な背景をもつ人たちに、ドイツ社会で差別について隠さず自由に語ることをうながす、新しいツイッターのトピック「#MeTwo」 を立ち上げたところ、三日間で4万人が自分の体験を語るほど大きな反響をよぶことになりました(ジャンの活動と、オルタナティブ雑誌については次の記事で紹介しています「悩める人たちのためのホットライン」が映し出すドイツの現状 〜お互いを尊重する対話というアプローチ」「ジャーナリズムの未来 〜センセーショナリズムと建設的なジャーナリズムの狭間で」)。その後も、書き込みが続いて、一連の動きは、ドイツの主要なメディアや政治家たちからも注目され、一目置かれました。

ところで、「#MeTwo」というトピックは、昨年世界的に広がった「#MeToo」を意識したものです。発音は同じで単語を入れ替えた「me two」という巧妙な命名がわかりやすかったことも、すぐに広がった理由のひとつかもしれません。

移民出身者は、ドイツ社会で成功していれば、よくインテグレートされていると称される。しかし、なにかに失敗すると、移民であることを理由にされる。ジャンや代表を辞退したサッカー選手は、現代のドイツの移民出身者が抱える問題を端的にこのように叙述しました。そこにあるのは「勝てば官軍、負ければ賊軍」のような不条理さであり、それへのいらだちが強く感じられます。

他方、ジャン自身も言っているように、このムーブメントは、単なる差別の苦しみや問題を訴えるにとどまらない、もっと広い視座をもったものでもあります。それを私なりにまとめてみると以下のようなことではなると思います。

移民的背景をもつドイツ人の多くは、二つの文化にまたがるアイデンティティー(ドイツ育ちでドイツ人でありつつも、家族のルーツとなる文化も大事にしているため)をもっていること。それをドイツ社会にもそれを差別の理由にするのではなく肯定的に認めて欲しいこと。二つの祖国やアイデンティティをもつ彼らにとって、ドイツ人対移民という単純な対立構図自体も受け入れがたいこと。そして、二つ(あるいはそれ以上)の文化的背景をもつ人たちが増えることが、ドイツ社会を分断するのではなく、むしろ橋渡しし、ドイツの将来をむしろ豊かにするのにも貢献できる、といったことです。

コメディはセラピー

一つの文化や一つの国を特別視したり、優れているといった考えに簡単に収斂できない独特の文化的背景やアイデンティティを持ってている人たちは、最終的に、文化やイデオロギー的な対立を超越したところに視線が向かっていくようです。ヤナーもまた、ドイツで、文化やアイデンティティの対立や矛盾がジャングルのように錯綜した社会に育ち、(ひとつの文化やイデオロギーに執着しない)最終的に見晴らしのいい眺望にたどりついたことで、独自のマルチカルチャー的(多文化主義的、様々な言語や文化の違いをテーマにした)なコメディのスタイルにたどりついたのでしょう。

とはいえ、彼が売りにするマルチカルチャー的なコメディをめぐる社会的環境は近年、緊張や対立が高まっており、多文化主義のお祭りのような無害さが強調されるだけでのコメディでも、済まなくなっているようにも思えます。

しかし、だからといって、コメディは誰かにお説教を垂れたり、何かをさとすものでもないでしょう。ヤナーもそれは毛頭考えていないようで、なぜドイツの極右政党AfDやトランプ大統領などについて扱わないのか、というインタビューの質問に対して、「僕は、自分のショーで、人種主義者を転向させようとしているのではない。時代を扱うそういう類のショーは自分には退屈だ」と言っています (Sarasin, 2017) 。

無害で気楽なだけでもだめで、ストレートなメッセージ性があるものも、現代において、ピントが外れているというのなら、コメディはどんなスタイルが可能でしょうか。個々人の好みによってその解答は異なるものでありえるでしょうが、ヤナー自身は、「自分にとって、何か憤慨するものがあったら、それについて笑う方がいい。それが、セラピーの本来の形だ」と言い(Kaya Yanar, 2018)、コメディを、一つのセラピーのようなものと解釈し、それに見合うようなスタイルを、自分のコメディのスタイルにしているようです。

このセラピー・コンセプトはコメディアンの彼自身だけでなく観衆みんなにとっても有効に働くといいます。そして、自身が憤慨することがあったら、どうするか(どうやってまた元気を回復するか)という質問への回答のなかでこう答えます。「ジョーク、チャーム(魅力)、そしてユーモアでだ。僕の観衆たちの前では、できる限りジョークを飛ばして息抜きにしている。そうすると、みんなにも笑いをもたらす。観衆はみんなユーモアを持っているからね。これ全体が、すごくチャーミングなことだと思わないか?僕たちみんなにとって大きなセラピーの時間なのさ。一緒に憤慨し、笑うのがすごく助けになる。心理学セラピーに行くよりずっと安いもんさ。」(Janssen, 2018)

おわりに

コメディやユーモアは、社会で特定の意味や意義など持ってはいませんし、強い特定の期待に応えるものでもありません。一方、ヤナーは、マルチカルチャーのコメディ・ショーは「慎重な配慮を要する(扱いにくい)感情的なテーマを取り上げ、そこにコメディを見出す」ことであり、「真面目にやらない、ということじゃない」。むしろ逆に、コメディアは、「コメディは、適切な場所に節度のある簡潔でふさわしい言葉を置くことができる」のだと言います(Kaya Yanar, 2018)。

はっきりしない存在だからこそ、色々な可能性も秘めており、意見や見方を自由に行き来して、様々な現象や人物にスポットを当てたり、異なった演出で、違った側面を引き出すこともできますし、他の場面で対立する人たちを共通して楽しませたり、共感させることもできるかもしれない。ヤナーに生き生きと愛嬌たっぷりに再現されるさまざまな国や言語の人たちや、それを演じながらセラピーとしてのコメディの意義を認めるコメディアン、ヤナーの姿を見ると、そんな楽観的な展望が開かれてくる気がします。

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参考文献・サイト

Boran, Erol, Geschcihte des türkisch-deutschen Theaters und Kabaretts, Diss. Ohio State Univ. 2004. (Memento vom 6.9.2006 im Internet Archive) (2018年9月24日閲覧)S.272-282.

Janssen, Sabine, Kaya Yanar: “Für uns alle ist das eine Therapie-Stunde” RP Online, 19.2.2018.

Kaya Yanar: «Ich bin der Kultusminister der Comedy». In: Bluewin, 23.2.2018 - 08:34, tsch

Kaya Yanar live! Around the World, RTL, Freitag, 14. September, 2018 • 22:15 - 00:00. In: Teleboy

Klahn, Andrej, Ethno-Comedy Warum wir plötzlich über Ausländer lachen dürfen. Nordrhein-Westfalen, Ethno-comedy, Veröffentlicht am 29.11.2014

Loh, Hannes und Murat Güngör. Fear of a Kanak Planet - HipHop zwischen Weltkultur, und Nazi-Rap. Höfen: Hannibal, 2002.(ヤナーの発言部分を本文に引用しただけで、本書は未読)

Migrationsbericht des Bundesamtes für Migration und Flüchtlinge im Auftrag der Bundesregierung Migrationsbericht 2015

#MeTwo In: Wikipedia (2018年9月19日閲覧)

#MeTwo gegen Alltagsrassismus : „Solche wie dich hat mein Opa früher erschossen” In: Frankfuter Allgemeine, 27.07.2018-12:01

#MeTwo: Tausende Geschichten gegen Ausgrenzung und Rassismus, veröffentlicht von spiegeltv, 30.7.2018.

Perspectiy Daily, 24.7.2018, 10:11, Twitter(2018年9月19日閲覧)

Sarasin, David, «Die Leute lachen gerne über Zürcher». In: Tages-Anzeiger, 01.02.2017, 16:57 Uhr

Themen und Pesronen, Kaya Yanar (2018年9月17日閲覧)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


ヨーロッパのタトゥーにみえる社会心理(2)〜社会との相互作用で変わっていくタトゥー「感覚」

2018-09-23 [EntryURL]

前回、ヨーロッパで近年、タトゥーが広く流行していることについて、ご紹介しました(「ヨーロッパのタトゥーにみえる社会心理(1) 〜高まる人気と社会の反応」)が、今回は、社会心理的な側面から、ヨーロッパの現在のタトゥー文化やその将来について、考えてみたいと思います。

北米タトゥー保持者のタトゥー心理

まず、昨年発表された北米の人を対象にして、タトゥーをする人の心境を調べた、数少ない貴重な調査から、前回から解けない素朴な疑問、なぜタトゥーが人気なのか、ついての解答をさぐってみます(Breuner, et Al., 2017)。

ヨーロッパ同様、北米でもタトゥーは高い人気を現在ほこっています。2012年は大人の2割であったのに対し、4年後の2016年の統計では、大人の3割が、少なくともタトゥーをしており、そのほとんどの人が二つ以上を有しているとされます。Pew Research Centerの推定では18歳から29歳の若者においては、38%がタトゥーを有しているとされます。

これらタトゥーを有する人たちの圧倒的多数、86%の人が、これまでタトゥーをしたことを一度も後悔したことがないとしています。同時に、タトゥーをしたことにより自分をより肯定的に捉えるようになる人がかなりいます。3割の人は、自分が、タトゥーをしていなかった以前より自分がセクシィになったように感じ、21%が全般に魅力的あるいは強くなったように感じるといいます。ほかにもスピリチュアルな感性が高まった感じ(16%)、健康になった感じ(9%)、賢くなった感じ(8%)、スポーツマン(スポーツウーマン)になった感じ(5%)が高まったとする人も1割前後いました。

自分がスポーツをよくしている人のような気になったり、魅力的になったように思えるるのは、タトゥーをしているスポーツ選手やポップスターなどのイメージが強く反映されているからだろうと、比較的容易に因果関係が想像できますが、スピリチュアルだったり、健康的だったり、賢くなったように感じる人も、1割前後いるというのは、(わたしにとって)かなり意外な感じがします。

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グレヴァン博物館(パリ)の蝋人形



それと同時に、反対に、そこにこそ、タトゥーをする人たちがタトゥーにこめたもの、期待しているものの核の部分がみえているようにも思われます。客観的にみて正しいか、正しくないか、といった議論とは全く無関係に、(現在のタトゥー保持者にとって)、自分をポジティブに肯定したり、自信をもつための強い後押しをする役割を、タトゥーが担っているということなのかもしれません。つまり、それらの人たちにとってタトゥーは、ある種の「お守り」を(体内に)身につけるというような感じなのかもしれません。

タトゥーの「長所」とみなされているもの

次に、ドイツ語圏の雑誌『フォークスFocus』で、タトゥーの長所を、5項目にまとめている (Tattoo stechen,Focus, 2014)ものに注目してみます。これは、調査や研究に基づくものではなく、一般論として雑誌編集者がまとめたものにすぎませんが、一般的にどのようなことが、ドイツではタトゥーの利点として考えられているのかを知る手がかりになるように思うので、補足・推測を加えながらご紹介します。

1。とにかく、かっこいい
2。個性をだせる。
3。人生の思い出を記す
4。夏季の自慢となる
5。自分を守るのに役立つ

1は、もちろんモチーフにもよりますが、一般的にタトゥーをする人たちにこのようなポジティブな見解があることは確かでしょう(そうでなければ露出する体の部分にタトウーを施しそれを街中で晒す人が多い理由が見つかりません)。2に関しては、自分の意向や個性を文字どおり身を以て示すことができる、ということのようです。3であげられている思い出とは、嬉しいことだけでなく、自分にとって大切で忘れたくない思い出をなんらかの形で体に刻みつけておくことで、いつも思い出せる、離れないでいられるということのようです。4は、自分の自慢のタトゥーを人にみせることが、たのしみであることも多いというということのようで、その人たちにとっては、肌の露出度が高い夏季がとりわけかけがえのない季節のようです。5は、社会の一般的な反応と関係してきます。タトゥーから危険を連想し、ひるむ人がいまでも少なくないため、その意味で単にクールなだけでなく、(タトゥーをしている人は)自分が少し強くなったように感じるということのようです。

サブカルチャーという魅力

ここまでの話をまとめると、まず、タトゥーのモチベーションやそれへの自身の評価は、一言では言えず、タトゥーにいろいろな種類があるのと同様に、非常に様々であるということでしょう。自分自身の信念や思いを反映した結果であることもあれば、周囲の他の人に対しアピールするあるいは魅力的になるひとつの手段として用いられる場合、あるいは単に美的あるいは、ファッション的な嗜好ゆえのこともあるということのようです。

そのような観点からみると、服装や所持品、ライフスタイルなどと同じようなモチベーションといえそうですが、タトゥーについてはいまだ欧米社会で一定の根強い嫌悪や恐怖心があり、それがサブカルチャー的な性格をいまも残っています。タトゥーをすることで北米人の25%が「反社会的になった」気がすると回答していることからも端的にうかがわれるように、本人たちもそのサブカルチャー性についてある程度自覚しているようです。

ヘアフルターは、このタトゥーのサブカルチャー的な要素自体もまた、人気(魅力となる心理)と関連している、と指摘します。タトゥーに限らず、サブカルチャーからメジャーなトレンドになる事象は非常によくあり(例えば、ジャズ、ロック、ラップなどはすべて最初はサブカルチャーでした)、むしろ、逆に言えば、今のタトゥーが醸し出しているサブカルチャー的な感じが、人気のひとつの理由となっているということのようです。

タトゥーについて増えている医学的見地をあつかう報道

ところでここ数年、メディアでは、ファッションや文化などではなく、医学的なテーマとしても、頻繁にタトゥーがとりあげられるようになりました。タトゥー彩色材料の体に及ぼす影響についての研究が近年進んできたことを受け、憂慮される事項が、注目されるようになったためです。

これらの報道内容の要点をかいつまむと、体に入ってくるタトゥー彩色材料が内臓器官への負担や血流トラブルなどを引き起こしたり、発がん性物質を含んでいる疑いがあること。しかし、長年体に入っていることの影響は、長期的な調査が必要で、どのくらい実際に危険なのかの全貌はつかめていないこと。それらを考慮すると、彩色材料の選択や品質の確認はもちろん、タトゥーという行為そのものについても、さまざまな危険もよく考慮にいれてから決断すべき。というようなことになります。

ただし、このような医学的な見地の警鐘をならす報道が増えているにもかかわらず、タトゥー人気は衰える気配はありません。タトゥー・スタジオはどの都市においても、雨後のたけのこのように、街中に増えており、タトゥーをする人の数も増加の一途をたどっています。

今日、健康ブームが、食べ物からライフスタイルまで広い分野で全盛期にあるように見られるのに(健康ブームについては以下の別稿でも扱っています「便利な化学調味料から料理ブームへ 〜スイスの食に対する要望の歴史的変化」「ウェルネス ヨーロッパの健康志向の現状と将来」)、タトゥーに警鐘をならす医学的な言説が、タトゥー人気の大きな打撃になっていないという事実は、どう解釈することができるでしょう。ここからは推測の域を出ませんが、タトゥーに強い関心をもつ人たちは、自分を自分の肌の上でどう表現したいか、どんな風にみられたいか、といった自分の嗜好に、健康言説より大きな比重を置いているということであり、その意味で、たばこやアルコールといった体に取り入れる嗜好品と類似しているといえるかもしれません。

おわりにかえて タトゥーをめぐる未来のシナリオ

現在のタトゥーの流行とその社会心理をおおまかにつかめたので、最後に、今後タトゥーの流行はどうなっていくのか、ありそうなシナリオをいくつか考えてみたいと思います。

・タトゥーは、ピアスや髪を染めることのように、単なるファッションやライフスタイルの一部として、ますます、社会に受け入れられるようになっていく。

・一般的な流行現象となることで、サブカルチャー的なオーラは一層薄まっていく。かっこつけのためためにやろうという人や減り(実際多くの人がやっていれば、特に「かっこいい」と思わなくなる)、新しい「反社会的な」士気の高い若者たちの間では、むしろタトゥーという「メジャーな文化」に対抗するという形で、タトゥーの人気が落ちていく。

・現在の若者たちからそれ以上の年齢の人たちでタトゥーをしている人は、基本的にそれを一生もちつづけるため、そのような「タトゥー全盛時代の世代」は、当然、時間とともに加齢、高齢化していくことになる。この結果、タトゥーが相対的に「年齢が高い人たちの」習慣、ライフスタイルとみられ、次にでてくる若い世代からは「古い時代を感じさせる習慣」「(悪く言えば)時代遅れ」というように見えるようになる。

・将来、タトゥーの原材料など、医学的な見地からみたタトゥーの健康被害の全貌がおり明らかになり、同時にそれが広範に知れ渡るようになる。タトゥーのいまのようなあまり健康を配慮せずにはいられず、ためらう人が増える。

あるいは、はたまた、タトゥーが大きく進化をとげ(これまでの「タトゥー」の理解の枠組みを超えるものに変化していき)、全く違う展開があるのかもしれません。例えば、

・現在、体の不調を色の変化などで知らせるタトゥーを研究している人がいるますが、健康を害するのではなく、むしろ寄与する「健康的な」タトゥーというものが一般的になり、従来のタトゥー文化を凌駕していく。
さらにもっと先の未来を考えて見ると、他の新たなシナリオも浮かびます。将来は、自分の体のあちこちに何かを埋め込んで、自己機能を拡張させたり社会生活の最適化を図る、そんなことが当たり前の時代が到来すれば、そもそも、体の表面に若干のタトゥーをしているか否かという事実の重み、それについての関心自体が相対的に減る、ということになるかもしれません。

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参考文献・リンク

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Breuner CC, Levine DA, AAP THE COMMITTEE ON ADOLESCENCE. Adolescent and Young Adult Tattooing, Piercing, and Scarification. Pediatrics.2017;140(4):e20171962

Büchi, Jacqueline, Wild West in Schweizer Tattoo-Studios - braucht es bald eine Lizenz zum Stechen? (watson.ch) In: Aargauer zeitung, 6.8.2018 um 11:52 Uhr

Fassbind, Tina, Polizei führt Knigge für Tattoos ein. In: Tagesanzeiger, 18.6.2015.

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Helg, Martin, Fürs Leben gezeichnet. In: NZZ am Sonntag, 8.7.2018, S.12-15.

Krüger, Sasch, »Wer zu viel seift, stinkt.« In: Galore, Mittwoch, 4. Oktober 2017.

Müller, Monica, Tattoos ohne Grenzen - jeder darf mal. In: Migors Magazin, 27. April 2015

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Zinkant, Kathrin, Immunsystem Warum bleibt ein Tattoo auf der Haut? In: Süddeutsche Zeitung, 8. März 2018, 11:53 Uhr

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


HPS Trade Co.,Ltd - CEO 飯野慎哉 氏

2018-09-21 [EntryURL]

飯野慎哉大学卒業後オーストラリアにマーケティングを学びに留学し、帰国後 東京の商社に勤め海外営業に没頭する。3年後 商社での貿易経験をある程度積み副業の輸入通販業が好調であったため独立。独立後、並行輸入だけではなく海外商品の日本総代理店ビジネスを展開。モロッコの美容オイル、アメリカのスポーツタイツ、カナダのアイディア ゴルフ雑貨などノンブランド商品をウェブだけでなく、PR(広報)を活用しながらリアルでも販売。

しかし輸入業という在庫、資金の先払い、売掛金の回収に時間がかかるビジネスモデルにてキャッシュフローを上手く回せず、また東日本大震災後の売上不振により挫折。約300万円の借金を抱え、深夜のアルバイト、派遣会社に勤めながらコピーライティングを習得。隙間時間でマーケティング・コピーライティングのノウハウを活用し集客の仕組みを作り、クライアントを獲得しながら借金を完済。

2014年2月から活動拠点をタイのバンコクに移す。異国の地ながらも2年間で顧客ゼロから個人年商1億円を達成。実績を買われ2016年にタイで商社・物流会社を立ち上げ、経営の原理原則を元にマーケティングの知識と仕組み化を使って初月から黒字を継続中。

飯野慎哉ツイッター
タイで働く社長のブログ - ベッカク:http://bekkaku-biz.com
タイの物流商社 - HPS Trade Co.,Ltd:http://hps-trade.co.th/?lang=ja
タイの現地 仕入れ・企画ツアーサービス - RIMNAM:http://rimnam.net

2018年09月30日号 海外でも高い実積を出す方法。
短期間で年商1億を超える為の商品選びの基本とは?
2018年10月30日号 飛ぶように商品が売れる販売法!
ライバルに圧倒的な差をつける為のマーケティングの正しい使い方
2018年11月30日号 絶対に行動できる目標設定方法!これで借金を返してタイで社長になりました

ヨーロッパのタトゥーにみえる社会心理(1) 〜高まる人気と社会の反応

2018-09-19 [EntryURL]

ヨーロッパの夏の新しい「風物詩」?!

今夏はヨーロッパでも厳しい暑さが続き、プールがどこも大にぎわいでしたが、ヨーロッパのプールで近年目立って増えてきたものがあります。タトゥーです。

現在、スイスでは国民の10人にひとり、25歳から34歳に限ればは25%がタトゥーをしており(Tattoos, Migros Magazin, 2015)、隣国ドイツにいたっては、国民の5人に一人、若い女性(25歳から34歳)に限れば、二人にひとりがタトゥーをしていると言われます(Helg, 2018, S。13)。

このように近年ヨーロッパ(ここで扱うのは主としてドイツ語圏)で一種の社会現象のように流行しているタトゥーについて、今回と次回の記事を使って、少し掘り下げてみてきたいと思います。人気の背景にある社会心理や、タトゥー保持者の社会での扱われ方をみていきながら、現在のヨーロッパ人にとってタトゥーがどのような意味をもっているを考えてみます。

タトゥーの人気の推移

ヨーロッパにおいて、タトゥーが人々の間で、宗教(例えば、痛みをやわらげるまじないとして)や政治的(例えば、犯罪者や奴隷としての烙印として)ではなく、個人的な意向で、自分の体に刻みつける現在のタトゥーのようなスタイルが人気を得るようになったのは、18世紀以降と言われます。タトゥーをしていたタヒチの住民に出会ったのがきっかけで、船乗りなどを中心にヨーロッパ人の間でもタトゥーをほどこす人が次第に増えたと言われます。

それ以降20世紀の初めごろまでに、商人や貴族の一部でも少しずつ人気が高まっていきましたが、それに平行して、ギャングなどの犯罪者や売春婦の間で、タトゥーが定着していくようになると、(芸術家たちは別として)社会の大部分の人の間では、犯罪やアウトサイダーのイメージがタトゥーと重なるようになり、タトゥーを好まない文化が形成されていきました。以降、タトゥーというと、船乗りやバイクのライダー、ギャングなどを連想するというのが、1980年代までの一般的な理解でした。

しかし近年、タトゥー観は大きく変わってきました。長い歴史的な視点にたてば、ながらく固定的だったタトゥーへの見方が、ちょうど変化している真っ只中にあるといえるのかもしません。上述のように、タトゥーをする人々が社会全般に増えており、20世紀においてはタトゥーをむしろそれまで敬遠していていた女性たちの間でも、人気が高くなっているのも大きな特徴です。

タトゥー・スタジオで働く人へのインタビュー記事によると(Persano, 15.8.2018)、男性より女性のほうが、モチーフの考慮に時間を使い、男性に比べ女性はカラフルなものを好むといいます。ちなみに、女性がタトゥーをするもっとも多いところは、腕、腰、太ももで、小さいのを複数の方が多い(大きいのがひとつより)そうです。ちなみに、スイスでは保護者が認めれば16歳からタトゥーが可能です。ただし、ほとんどのスタジオは自主的に18歳から、としているところが多いようです。

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タトゥーが大衆化するにつれて、タトゥーのモチーフも大きく変化してきました。それは、多様になったというほうが的確かもしれません。船のイカリや頭蓋骨、劇画タッチの花や獄彩色のうねり模様のような古典的なモチーフは相対的に減り、非常にバラエティに富んだ形や色が描かれるようになりました。彩色の技術もここ数十年で飛躍的に向上し、カメラで写した写真のように細部にいたるまで描写するタトゥーも可能になりました。また、モチーフには、絵画的なものだけでなく、文字や記号なども用いられています。

社会の反応

とはいえ、少なくとも今のところ、タトゥーをしていない人々のほうが、社会の多数派です。これら多数派は、このようなタトゥーの人気の急上昇を、どう受け止めているのでしょうか。

北米の調査では、2008年においては、多くの人が常軌を脱したことのようにおもっていましたが、2012年にそのように思っている人は24%にとどまっている、という研究結果がでています(Breuner, et Al., 2017,p3.)。ヨーロッパにおいても、同様に、社会全体の、タトゥーへの許容が、ここ10年ほどで大きく変わってきた可能性があります。

ただし、これまでの暴力やドラックなどの犯罪とつながっているようなイメージがまだ社会に根強く残っているのも確かです。現在タトゥーをする人としない人々の相互関係、影響についてドイツで博士論文を執筆中のヘアフルターNicole Herfurtnerは、現在もタトゥーを行使する人は、それによってほかの人々からなんらかのレッテルをはられることを覚悟しなくてはいけないといいます(Baer, 2018)。

それが端的によくあらわれるのが、企業や公共機関の人材採用の時のようです。ただし、詳しくみると、タトゥー保持者をどうとらえるかは、職業分野によって大きく異なっており、スポーツ、ファション、ライススタイル分野では、もはやタトゥーがあるかいなかは、仕事で全く支障にならないと言われます。他方、大方のほかの分野、特にサービスや健康、金融分野では、タトゥーが、厳しく制限(禁止とまではいかなくても)されていることが多いようす。

スイスの警察を例にみてみましょう。(Fassbind, 2015)。近年、タトゥーがあっても就業可能かという問い合わせが非常に増えてきたため、チューリヒ州警察では2015年春にタトゥーに関する準則を明確にしました。

これによると、みえるタトゥーはチューリヒ州警察では認められず、制服や私服で隠れる範囲なら許可されます。つまり、夏の一般的な服装である半袖でもみえるところにあるのは、許可されないということであり、警察になるには、のどや腕にあると難しいということになります。小さな一部がみえるような場合は、例外的に、担当部署の長に一任されます。また全般に、警察という職務に適さないモチーフや内容も認められません(具体的にどのようなものが適さないかということは、言及されていません)。

一方、タトゥーについての評価は、性別と世代によって、かなり異なっているようです。これもまた、北米での調査結果ですが、タトゥーをほどこすことは悪くなる変化とみなす人が、若い女性では27%であるのに対し、50歳以上の女性では61%、65歳以上の女性では64%にのぼっています。一方、男性では、若者では30%、50代の51%でした。男性よりも女性のほうが世代間でタトゥーに対する意見の別れ方が激しいことがわかります(Breuner, et Al., 2017,p3.)。

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タトゥーを好む人に対する部外者がもつ素朴な疑問

と、このようにタトゥーの世評の変遷をみてきても、いまだ腑に落ちない点があります。

タトゥーは強い痛みを伴いますし、痛みに耐えて一旦タトゥーを行っても、未来永劫、自己が満足できるとは限りません。恋人の名前をタトゥーでいれてあとで後悔するという話もたびたび(冗談ではなく)聞きます。最近はレーザーでタトゥーを消去する技術も発達してきましたが、レーザーで消し去るのが難しい場合もあり、また消去するというだけの行為に、再び大きな苦痛を味わなくはなりません。

それほど困難やリスクがあるのに、なぜ、あえてしたい人が今、これほど増えているのか。その肝心な部分がまだよくわからず、釈然としません。

しかし、これについて一定の解答を提示してくれるような研究調査は、残念ながらいまのところありません。今世紀はじめから心理学分野でも研究の対象とするものがでてきたものの、ほとんどの研究は、まだ近年10年足らずの間にはじまったもので、研究自体がまだ非常に少ないためです(Baer, 2018)。

ただし、いくつか手がかりになりそうな、研究やメディアの記事はみつけることができました。次回は、それらをてがかりにして、タトゥーをほどこす人の心理にせまり、近い将来、タトゥーがヨーロッパでどのように扱われるようになるか、いくつかのシナリオを考えてみたいと思います。

※ 参考文献とリンクは、こちらのページに記載させていただきます。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


未来都市には木造高層ビルがそびえる? 〜ヨーロッパにおける木造建築最新事情

2018-09-11 [EntryURL]

近年、木造建築が、ヨーロッパ、とくにドイツ語圏で熱い注目を浴びています。ヨーロッパで最も影響力が大きいトレンドや未来研究のシンクタンクの一つとされる「未来研究所」の2017年のレポートでも、「樹木が都市空間の建設を革命する」(Zukuntsinstitut Österreich, S.56)と記されています。

一体、何が起こっているのでしょうか。今回は、ヨーロッパの静かな木造建築ブームについて、オーストリアとスイスを中心に、レポートしてみます。

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増える木造建築

近年、ヨーロッパでは、木材が建築資材として改めて注目され、また木造建築の需要が高まっています。一戸建てだけではなく(ちなみにスイスでは現在新築一戸建ての新築の5戸に一戸は木造建築)、大規模な建造物が木造で建設される場合が増えてきました。

例えば、スイスでは、2005年と比べ、現在、木材を主に使った共同住宅の建設申請件数は、2倍以上になっており、集合住宅や、オフィス、学校、共同住宅(多世帯用住宅)の増築と改築においては、すでに3分の1を占めています(Zulliger, 2018)。

大型建造物に木材を使うという発想は、数十年前までは皆無であったのに(防災など技術的な問題のため禁止されていました)、なぜ急に変化したのでしょう。

木造建築業界の新星「クロス・ラミネーティッド・ティンバー(CTL)」

最も直接的で大きな理由は、クロス・ラミネーティッド・ティンバー Cross laminated timber と呼ばれる、新しい建築素材が開発されたことにあります(クロス・ラミネーティッド・ティンバーは、ドイツ語ではBrettsperrholz、日本語で「直交集成材」と訳されますが、世界的によく使われている「CLT」という英語名(頭文字をとった略名)を今回は使うことにします)。

CLTとは、針葉樹を使った強固な板状の建築資材を、少なくとも3層、直角に交差させ、それらを接着剤で固定しパネル状にしたもので、軽量なのに強度が高く、しかも柔軟性も合わせもつ画期的な建築素材です(成分は、木材は99.4%以上、接着剤は0.6%の割合です)。1990年代、主にオーストリアとドイツで試作や調査が始まり、90年代半ばからとりわけ、オーストリアなどで本格的に産学協同の研究が進められたことで、今日のヨーロッパのスタンダードになる品質が開発、確立されました。

1998年以降、実際にドイツ、オーストリア、スイスの三つのドイツ語圏で、CLTを使った建築が許可されるようになり、その後次第に、この新しい資材への関心が、このドイツ語圏3国を中心に、広がっていきます。

その結果、特に2000年代後半から、生産量も飛躍的に増え始めました。2008年から2011年までの3年間で、ドイツ、オーストリア、スイスでは、CLTの生産が倍以上になり、その後毎年、生産量は5〜10%増えています(Plackner, 2014)。

生産の中心は当初から現在まで変わらずオーストリアとドイツですが、ヨーロッパ各地でもCLTの生産拠点が作られるようになってきました。2016年には、全ヨーロッパで670,000 m³のCTLが生産されており、今後も2020年まで生産量が年間15%増加すると仮定すると、2020年のヨーロッパ全体のCLTの生産量は、120万 m³になると概算されています(Ebner, 2017)。

しかし、木材を接着剤でつけただけの資材が、なぜそれほど、すごいのだろう、とピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。このCLTの何がどう画期的で優秀なのかは、コンクリートやレンガなどの建築資材でに比べるとよくわかります。以下、具体的にその優れた点をまとめてみます(Vorteile von CLT, CLT - das Massivholzbausystem)。

・時間も騒音も最低限ですむ建設現場
CTLを使った建設とは、事前に工場などで必要な形のパネルに仕上げたものを、現場に運び込み、それを現場で組み立てるという工程になります。このため、建設時間が大幅に短縮されるだけでなく、現場での貯蔵スペースも、時間も騒音もホコリも大幅に減少されます。このため、人が集住している都市での建設様式としても理想的です。

・優れてエコロジカル
資材として将来利用するために育てられる樹木は、森に生えている間は光合成で二酸化炭素を吸収し、炭素として木の内部に固定します。建築資材として伐採されても、燃やされない限りは、樹木の中にある炭素は、大気中に放出されません。つまり、木造建造物を建てること(そしてそのために樹木を育てていくことは)大気中の二酸化炭素を減らすことになります。

CLTは生産工程でも、省エネです。CLT生産に要するエネルギーは、コンクリートと比べると半分、鋼材(スティール)と比べると1%にすぎません(Ravenscroft, 2017)。

しかし、木造建築がさかんになれば、樹木を大量に伐採し森を破壊することになるのでは、と危惧される方もおられるかもしれません。しかしそれは今のところ、ヨーロッパでは杞憂のようです。オーストリアを例にとってみると国土の48%以上が森林で、その木々の成長を概算すると、40秒ごとに、一件の木造の家が建てられる計算となり、森を維持しながら建材を十分確保できる見込みです。また、CTLの資材に使う木材も、森の木で圧倒的に多い(6割)を占めるトウヒ(エゾマツやハリモミなど)のような針葉樹林のみで、しかも持続可能な森の樹木であるという認定を受けた木材だけが利用されるよう厳重に管理されています。

また、木材という建設資材は、非常に耐久性があるだけでなく、解体した後にリサイクルしやすいのも大きなメリットです。

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・快適に広がる室内空間
木目の木材の表面は、見た目がいいというだけでなく、室内が木に囲まれることで、室内の快適さも格段アップします。木材は湿気が高くなると吸収し、低くなると室内にまた水分を放出するという性格があるため、室内気候を自然に理想に近づけてくれます。(冷んやりしたコンクリートと異なり)、触れるといつでも、ほんのり暖かいのも、室内空間の魅力です。

さらに、軽くて気密性が高い木材を使うことで壁が薄くなり、レンガなどを使用する従来の建設方法に比べて、床面積も増加させることができます。100㎡の居住面積の家で、6%から最大で10%居住面積が広くなります。

・空間設計の自由度を高める
CLTのパネルは、生産する工場にもよりますが、現在、3.5 m × 16mまで製造可能になっており、このようなパネルを使うと、これまでなかったような、様々な建築の可能性が広がると言われます。

具体的な例については、後であげることにして、要点だけをおさえると、従来の木造建築では木材を梁や柱として利用する建築であったのに対し、CLTでは、面として構造を支えることが可能になり建築の幅が広がったということになります。同時に、CLTは、コンクリートやレンガに比べ軽量であるため、建物を高層化したり、屋根部分としても使うのに適していると言います。

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・いくつかの危惧される点も解決
これまで木造建築というと、火災が危惧され倦厭されがちでしたが、CLTは、この問題も解決しました。まず、CLTは約12%の湿度を有しているため、火災が生じても、まずその水分を蒸発させる防火効果があります。それでも火災が発生した際には、表面に施された炭化加工などが、火災による内部の構造を守る役割を果たします。

このような防・耐火構造は、オーストリア木材研究所でも検証・証明されており、木造だから火災が危険という偏見も減ってきました。スイスでも、2015年以降スイスでは、火災予防規定が新しくなり、全ての建造物カテゴリーで、木材を建築資材とすることが可能となりました。

優れた静力学的な安定性と柔軟性のおかげで、地震の多い地域にも適しており、コンクリートよりも軽いことで、建物の重さによる崩壊も起こりにくいと言われます。

・地域社会の新たな雇用の創出
これはCTLに限りませんが、地域の木材を使った木造建築が広がることは、持続可能的な環境に貢献することだけでなく、地域に林業や CLTの生産拠点といった、新たな雇用を地方の地域社会に創出することにもなります。

実際に、スイスでは、木造建設が増えるに従い、木造建設に関連する雇用が、20年間で5千人増加し、現在、1万8千人が木造建築業界で働いています(Der Holzbau liegt, 2018)。

スイス最大の木造集合住宅

ここからは、いくつかの最新のヨーロッパの木造建造物を紹介しながら、広がってきている木造建築の可能性について具体的に見ていきましょう。

今年、小都市ヴィンタートゥアで、スイス最大の木造の集合住宅が完成しました。5〜6階建ての20棟で、全部合わせると17800㎡、265戸の住居となります。この集合住宅は、25万の木材パーツから建設されました。25万種類ものパーツを首尾よく設計(3Dモデルを使っての設計)、製作、組み立てていくために、すべてのパーツには番号が振られ、それぞれのパーツが現場で組み立てられるまでの作業が、デジタルに統括されていたと言います。

建築に必要とした資材の8割が木材ということで、室内全体に(床はもちろん、天井、壁)、木に囲まれているという実感と快適さがありそうです。

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チューリヒ動物園のゾウの館

2014年に完成にチューリヒ動物園内に開園した巨大なゾウの館は、現代木造建築のモニュメント的な作品です(Markus Schietsch Architekten GmbH建築事務所の作品で、記事の冒頭にある写真がその室内部分で、他のアングルからの写真もご覧になりたい方は、参考サイトをご参照ください)。

ゾウの館(6800 m2)の屋根部分(6500 m²)が、1000以上の木材を主材料とするパーツからできており、パーツに挟まれる形で自然光を取り入れる天窓(ルーフ・ウィンドウ)も271箇所つけられています。一番高い地点での屋根の高さは18メートルあり、内部に柱は一切ありません(天井部分が自らを支えている構造)室内でありながら、自然の中にいるような感覚が楽しめる(少なくともそのようにゾウが感じて快適に過ごせるよう意図した)室内空間です。

「木造高層ビル」

「木造高層ビル」構想も、近年、ヨーロッパのあちこちで始まっています。スイスでは、すでに10階建の木造建築物が竣工し、15階建が現在建設中です。

オーストリアのウィーンで現在建設中の「HoHo(ホホ)」は、ホテル、サービス付きの住居、オフィル、他飲食サービスなどが入居する24階建の複合施設で、完成すれば、世界で最も高い木造高層ビルとなる予定です。建物の核となる部分はコンクリートですが、それ以外の部分(地上階から上の建築部分の75%)は木材で作られ、84mの高さが予定されています。

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おわりに

ただし、CLTを中心に始まった新たな木造建築ブームにも、まだいくつかの課題があります。コストが比較的高いことや、建築家自身で木造建築のノウハウを知っている人がいまだ少ないこと、また施主の、木造イコール火災に弱いといった偏見をどう減らすかがとりわけ重要な課題とされます(Zukuntsinstitut Österreich, S.104-108)。

木材工学の専門家ペトゥシュニックAlexander Petutschniggは、木造にこだわるのではなく、木材という優れた資材を、いかにコンクリートや金属など他の資材と組み合わせ、新たな可能性を探っていくことが大切だと強調します(ebd., S.66)。

都会でも建設しやすく、エコロジカルな観点でも申し分なく、人にとっても自然を感じる快適なアンビエント(環境)を提供する木造建築。ただの一過性のブームに終わらず、これからさらにヨーロッパや世界の各地で、他の資材との最適化をへながらスタンダードな建築資材をして認められるようになってくると、と都会の風景や生活環境もずいぶん変わってくるかもしれません。

参考文献・リンク

Bauen mit Brettsperrholz, holzbau handbuch, Reihe4 Teil6 Folge1, Erschienen: 04/2010, 4. inhaltlich unveränderte Auflage 08/2016.

BSP: Wachstum ist abgeflaut. 2015 wird nur um 3% mehr BSP erzeugt. In: Holzbauaustria, 30.09.2015

CAMERON STAUDER, CROSS-LAMINATED TIMBER. An analysis of the Austrian industry and ideas for fostering its development in America, 27 SEPTEMBER 2013.

CLT - das Massivholzbausystem, A. Maicher (2018年8月27日閲覧)

Der Holzbau liegt wieder im Trend. In: 10 vor 10, SRF,13.02.2018, 21:52 Uhr

Die Lokstadt baut auf Holz. In: Lokstadt Magazin, erscheint begleitend zum Bau der Lokstadt. 2. A(2018年8月28日閲覧)

Ebner, Gerd, CLT production is expected to double until 2020. This means a production volume of 1.2 million m³ for Europe In: Timber-Online.net, translated by Susanne Höfler | 13.06.2017 - 17:15

Elefant House Zoo Zürich /Markus Schietsch Architekten (ゾウの館の建築家のサイトで、複数の写真が見られます)

5. Grazer Holzbau-Fachtagung, Graz, am 29. September 2006

Gurtner, Christian, Zu teuer? In Neuhegi stehen Neubausiedlungen teils zur Hälfte leer. In: Landbote, 12.07.2018, 17:38 Uhr

Implenia: FeierteAufrichte bei„sue&til”, der grössten Holzbauwohnsiedlung der Schweiz(2018年8月27日閲覧)

Kübler, Wolfram, Eine Holzschale für Dickhäuter. hbs (holz Baumarkt schweiz), 01/2014, S.22-25.

Nachhaltige Wirtschaft bringt Arbeitsplätze. In: Trend, SRF, Samstag, 25. August 2018, 8:13 Uhr, Moderation: Marcel Jegge, Redaktion: Marcel Jegge

Plackner, Hannes, CLT: Growth coonitues. Walls fitted with insulation and plaster bases just around the corner?, translated by Robert Spannlang, Timber-Online.net, 21.04.2014 - 09:15

Ravenscroft, Tom, What is Cross Laminated Timber (CLT)? In: The B1M | 5:23, 26 April 2017

Stora Ensoのホームページ(2018年8月27日閲覧)

Vorteile von CLT, Stora Enso (2018年8月27日閲覧)

Zukuntsinstitut Österreich, Holzbau CLT -Cross Laminted Timber, Eine studie über Veränderungen, Trends und Technologien von Morgen, Eine studie des Zukunftsinstitutes in Zusammenarbeit mit Stora Enso, Wien 2017.

Zulliger, Jürg, Holzbau: Häuser aus Schweizer Holz, newhome.ch, 15.3.2018.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


自転車離れするスイスの子どもたち 〜自転車をとりまく現状とこれから

2018-09-04 [EntryURL]

今日、クリーンな移動手段として、自転車への期待が世界的に高まっています(「カーゴバイクが行き交う日常風景 〜ヨーロッパの「自転車都市」を支えるインフラとイノベーション」)。

しかし、スイスの現状をみると、頻繁に自転車に乗る人は全住民の7〜8%にすぎず、ドイツ(12%)に比べ、大きく下回り、EU 28カ国全体の平均(8.3%)と比較しても若干少ない割合です。特にスイスのフランス語圏にいたっては4%以下、イタリア語圏では2%以下という数字です。若年層(6歳〜20歳)においては、さらに驚く数値に出くわします。主要な移動手段として自転車を利用する若年層の割合が、この20年で半分近くに減っているのです(Sauter, 2014, S.85)。

これらのデータをみると、スイスは、単に、ヨーロッパ全体の潮流に遅れをとっているにとどまらず、むしろ後退・離脱していくかのようにもみえます。

スイスでは一体なにが起こっているのでしょう。今回は、特に若年層の自転車走行をめぐる現状とその背景について注目し、複雑な状況について、読み解いていきたいと思います。後半は、このような状況の建設的な打開策のひとつとして現在各地で取り組まれている、自転車能力試験についてご紹介し、今後の自転車をとりまく状況とその課題について一望してみたいと思います。

減り続けるこどもの自転車走行

スイスの6歳から20歳の間の年代で、主要な移動手段として自転車を利用する人の割合は、1994年から2010年までの約20年の間に、19%から10%と、ほぼ半減しました。例えば、16〜17歳は26%から14%、18〜20歳までは20%から5%までに減っており、自転車を最もよく利用する世代であるとされる13歳〜15歳の年齢層でも、38%から24%と少なくなっています(Sauter, 2014)。

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1994年〜2010年の間のスイスの若年層(6歳〜20歳)が利用する主要な交通手段の推移(青が徒歩、水色が自転車、黄色が公共交通、オレンジが自動車、緑がその他)
Sauter, Daniel, Mobilität von Kindern und Jugendlichen. Entwicklungen von 1994 bis 2010. Analyse basierend auf den Mikrozensen «Mobilität und Verkehr». Im Auftrag des Bundesamtes für Strassen, ASTRA Bereich Langsamverkehr Bern Juni 2014, S.85


スイスで自転車走行する人の割合が最も高いとされるバーゼル市でも、通学などで定期的に自転車を利用しているティーンエイジャー(12歳〜17歳)は、23%にとどまります。

このような最近の若者の自転車離れの理由として、以下のような点が指摘されています。

・公共交通機関を以前より多く利用している
若者の間で以前より公共交通機関が多く利用されるようになっていることが、相対的に、自転車の利用を減らしているとされます。

公共交通機関が多く利用される理由は主に二つ考えられます。まず、公共交通が以前より使いやすくなったことです。1994年から2010年の間で、スイス全体で公共交通機関は、(本数が増えたり、距離が伸びるなどして)3割充実化してました(Sulter, 2014, S.14)。

もう一つは、若者たちの生活環境やライフスタイルの変化です。若者の間でもスマートフォンの保有が当たり前となり(こどもにとって理想的なデジタル機器やメディアの使い方とは(1)  〜スイスのこどもたちのデジタル環境・トラブル・学校の役割)、

SNSを使って友人とやりとりしたり、音楽をきくなど、スマートフォンを使う時間をつくるため、自転車に乗る代わりに公共交通機関を利用する人が増えていると推測されます。

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スイスの若年層の年齢による交通手段の変化(青が徒歩、水色が自転車、黄色が公共交通、オレンジが自動車、緑がその他)
Sauter, Daniel, Mobilität von Kindern und Jugendlichen. Entwicklungen von 1994 bis 2010. Analyse basierend auf den Mikrozensen «Mobilität und Verkehr». Im Auftrag des Bundesamtes für Strassen, ASTRA Bereich Langsamverkehr Bern Juni 2014, S.85


・自転車を躊躇する若者独特の事情
自転車で通学したいと思う生徒の数自体が必ずしも少なくないのではなく(自転車通学を希望すると生徒が半分を占めるという調査結果が出ているケースもあります)、自転車で走行するための前提がネックになり、敬遠されているという説もあります。

端的な例が、ヘルメットです。一方で、ヘルメットを被らないと危険であるという認識があるものの、現在の若者のファッション感覚として、ヘルメットをカッコ悪いとする傾向が強いようで、ヘルメットがかぶりたくないために自転車に乗りたくないという人も意外に少なくないと推測されています。スイスでは、14 歳までのこどもでヘルメットをかぶる子供たちが、2009年には70%いたのに、5年後の2014年には60%にまで落ち込んでいます。(ただし、若者だけでなくヘルメット離れは、スイス社会全般に現在みられます。2014年、いくつかの地域で大人のヘルメット着用を観察したところ、2009年と比べ46%から43%に減っていました。)

また、若者の自転車への感覚も、自転車に対する敷居を高くしているとされます。自転車を必要な交通手段、つまり生活必需品という感覚で捉えるのではなく、生活スタイルのプラスアルファー、つまりファッションの一部になってきているため、乗るなら、ファッショナブルで上等のものに乗りたい、と考えます。しかし、そのような要求をある程度満たす自転車を購入するとすれば、700スイスフランはするため(日本円で約7万5000円)、かなりの高額です。結果として、(安いものを買って「かっこ悪く」乗り回すより)買わずにいる方がいい、という発想になるという人が多いのでは、と言われます。

また、たとえ高い自転車を購入した(できた)としても、そうなるとなおさら壊されたり盗難の危険が高くなり(スイスでは学校のキャンパスが、門や塀などで囲まれていないため、誰もいない自転車置き場は、たびたび盗難や毀損のターゲットにされます)、自転車通学を抑制する傾向につながっているとも言われます。

・親の車の送迎が増えている
親の学校や課外活動への車での送迎が増えたことも、自転車利用が減った直接的な理由としてよく取りざたされます。

直接関連する統計のデータは見当たりませんでしたが、近年、親がこどもたちの通学の送迎をすることが増えている、と教育現場では言われています。スイスでは、基本的に親が同伴せず、一人あるいは友達といっしょに自力で通学することが、小学校はおろか、幼稚園の時から奨励されていますが(「学校のしくみから考えるスイスの社会とスイス人の考え方」)、一部では送迎する親が増えているようです。

理想と現実が乖離する自転車をとりまく環境

このように、スイスでは、クリーンで健康を促進する移動手段と認められ社会全般で評価されている一方で、若者たちの間では自転車離れが進んでおり、自転車をめぐり、理想と現実の乖離が目立ちます。

一方、このような若年層の自転車離れの状況を改善すべく、個別に問題を解決しようとする対策も始まっています。ここからは、そのような対策の具体例として、近年スイス全土で力が入れられ始めた、自転車技能試験に目を向けてみます。

なぜ自転車に乗らない、乗らせないのか

しかし、自転車技能試験が、自転車離れとどう直接関係するのか、と首を傾げておられる方もおられるかもしれません。そこで、もう一度、若年層の自転車離れの理由として最後に挙げられていた項目に触れて見ます。

近年、親たちによる送迎が多くなったのでしょうか。これには色々な理由が考えられますが、その一つとして、自転車が危険、という理解が強まっているからではないかと推測されます。自転車の交通量や全体の交通量は全体として年々増えており、それに平行して、確かに事故が増えています。2013年(こどもが通学に自転車通学すると、自転車通学しない場合(バスや徒歩の通学)の場合よりも、事故にまきこまれる危険が5から7倍高い、という統計もあり(«Sicherheitsreport 2013)、これらのデータや報道を見聞することで、意識するしないに関係なく、子どもたちの自転車運転への不安が高まっているのかもしれません。

実際に、最近の子どもたちの自転車運転技術が未熟で、事故の直接的な原因となっているという意見もあります。子どもたちの運動能力的な問題、例えば、左折右折の時に片方の手をあげてわたる、車線を変える時に後ろをみて車がいないか確認する、あるいは、まっすぐに走るなどが、できない子どもたちが増えていると言います。実際、自転車事故の3分の2が、自分の運転ミスから生じてた事故です。

つまり、これらのデータを合わせて考えると、自転車に乗るのは危険だといって子どもを自転車に乗せずに、親が学校の送迎をする。そうすると、子どもたちは、ますます運転の練習ができないため、当然、運転が下手で、事故を起こしやすい、という悪循環に陥っている可能性があります。

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自転車技能試験

いずれにせよ、こどもたちの自転車の事故が増大するようでは、総合的にみて優れた移動手段とはいえないのは確かです。このため、まずは、こどもたちが安全に自転車走行できるようにすることが重要とし、2010年代からそのための有力な対策として、スイス各地で取り入れられるようになってきたのが、自転車技能試験です。

ただし、自転車の技能試験自体は、新しいものではありません。ドイツやオーストリアを含めドイツ語圏の多くの地域では、(自動車が増え交通事故が増加する)1970年前後から数十年間、技能試験が実施されていました。

しかし、試験開催には50人の要員が、1日がかりで関わらなければならず、他方、1970年前半をピークに交通事故件数は減少の一途をたどるようになっていったことを背景として、自転車技能試験を実施する自治体は次第に減っていきました。たとえば、2013年の時点で、チューリヒ州内にある171自治体のうち義務の自転車技能試験を実施しているのは、14自治体のみです。

しかしチューリヒ州警察では、近年こどもたちの自転車走行技術がこれまでより悪化してきているという危機感が強まっており、自転車技能試験を再び自治体で義務化させることを、最終的に実施の権限をもつ自治体に訴えています。近年スイス各地で技能試験が実施されるようになってきた背景にも、同じような危機感があると考えられます。

三部構成の試験概要

試験は具体的にどのような内容なのでしょうか。州によって若干異なりますが、概要をご紹介しましょう。

・対象年齢は小学校4年から6年生(スイスの地域によって若干異なる)
法律上、こどもは6歳になれば自動車道路や自転車専用道路を走ることができまが、車やほかの車両交通と危険なく、走行するのは難しいため、12歳までは、歩行者道を自転車で走行することが認められています。逆に12歳をすぎると(つまり中学生以上)は、一般道路を走行しなくてはいけなくてはならないため、それまでに、そのための知識と技能の両方の取得が不可欠となる、これが、小学生のうちに試験が行われる理由です。

・試験内容(3部構成)
1。交通ルールについての筆記試験
事前に配布された教材やオンラインで勉強した交通ルールについての筆記試験

2。自転車の点検
ブレーキ、前と後のライトと反射鏡、タイヤの状態、ベル、ヘルメットがチェックされます。

3。実技試験
教習所内での(カーブや細い道などを走行する)実技試験と路上での実技試験(具体的な走行ルートの例(ビデオ)は、記事最後に掲載してある参考リンクからご覧ください)

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交通ルールについて学ぶために子どもたちに配布される学習教材の例


・試験の合否と試験後のケア
試験は、多くの自治体で、自動車免許試験同様、合格と不合格に判定されます。これには法的効力はありませんが、合格すれば(あるいは合格するために交通ルールを覚えたり実技の練習をすることで)、こどもたちには、公道を走行するのに必要な余裕や自信となることでしょう。

不合格となる場合にも、法的効力があるわけではありませんが、こどもたちが不十分な技能で不安なまま走行することにならないよう、後日、補講を行うなど、さらなる指導をしています。自治体や年度により合格率は異なりますが、平均すると5、6人の生徒のうち一人の割合で不合格者がいるとされます。

おわりにかえて 〜適切な移動手段を考える

スイスの子供たちの現在の自転車走行を取り巻く状況を広範に見ていけばみていくほど、様々な事情や相反する問題が絡んできて、自転車が乗れなくなったことが一概に悪いことで、自転車を推進することが正しいとも言えなくなります。

例えば、端的に以下のような問いには、どう回答するのが適切でしょう。

こどもたちの健康促進や環境負荷を減らすために自転車にのらせたほうがいいのか、それとも事故予防のため、自転車にのらないようがいいのか。

自転車走行が下手であれば、乗らないほうがいいのか。それとも上手になるために、自転車走行したほうがいいのか。

自転車走行を奨励するとしたとして、今度は、ヘルメットの問題があります。かぶらないなら自転車にのらないほうがいいのか。それともかぶらなくても自転車走行を奨励したほうがいいのか。

ところで、直接これらの回答の手助けにはなりませんが、これに関連する話として、デンマークの自転車愛好家Mikael Colville-Andersenの興味深い主張があります。ヘルメットをかぶる人が多いところほど、その町の自転車運転が安心感がない、という説です。実際、ヘルメットをかぶる人が多いところほど、自転車にのる人がすくないということはある調査でもみとめられたといいます(ただしこれは1997年のイギリスの調査です)(Schindler, 2016)

ヘルメットをかぶりたくない人は、ヘルメットなしでは危険と考え、自転車自体にのらないということもあるといいましたが、スイスでは自転車の乗る時にヘルメットをかぶっている人でも、かぶっていても安全な気がしない人が多いといいます (Schindler, 2016)。

それらの話を聞くと、ヘルメットをかぶるかぶらないに関係なく、安心して走行するための、自転車専用レーンの整備などを優先すべきという気もしてきます(実際に、来たる9月23日の国民投票では、憲法に自転車専用レーンの設置を盛り込むかの是非が問われることになっています)。

または、自転車に諸事情(自分が運転するよりデジタル機器を利用する時間を作りたいなど)があって乗りたがらない人が増えているのだとすれば、その人たちが乗る方向を目指すよりも、さまざまな理由で自転車に乗ることができない人々(例えば高齢者や幼児、障害者など)も乗車できる公共移動手段の充実をさらに優先させるほうが、公益になるのではという考え方もできるかもしれません。

さらに広げて考えてみれば、地域社会の規模、地形(平地か山がちか)、気候、地域住民の社会構成(年齢や社会、経済的背景)などによって、社会で中心的になる移動手段は異なることでしょうし、そもそも、社会のインフラやライフスタイルなど生活を取り囲む環境自体が数年単位で大きく変化している現代においては、自転車の社会での意味や重要性自体も大きく変わる可能性があります。

今後も、さまざまな事例をとりあげながら、人々にとって適切な移動・交通手段とは何か、場所や世代や時代の文脈に合わせて、考えていきたいと思います。

参考文献・サイト

Aargau Solothurn - Schulkinder fahren gut Velo, aber…. In: SRF, Montag, 08.08.2016, 06:09 UhrAktualisiert um 06:09 Uhr

Aletti , Melina, «Ich war schon ziemlich nervös», meint der Schüler nach überstandener Veloprüfung. In: Oltner Tagblatt, von Schweiz am Wochenende, Zuletzt aktualisiert am 30.6.2017 um 19:06 Uhr

Darum fahren Jugendliche nicht mehr Velo Helm und Handy sind schuld. In: Blick, Publiziert am 25.09.2015 | Aktualisiert am 26.07.2017

Kaufmann, Carmen, Alle Schüler bestanden die Veloprüfun. In: Tagblatt, 30.5.2018, 08:01 Uhr

Gagliardi, Claudio, Immer mehr Kids rasseln durch Veloprüfung. In: 20 Minuten, 14. Mai 2013 23:35; Akt: 15.05.2013 17:35

Kinder und Velo: Keine Erfolgsgeschichte, Mdeianschule St. Gallen. In: Saiten, 27.9.2013.

Müller, Roger, Umwelt und Verkehr - Immer weniger Kinder tragen einen Velohelm, Kassensturz-Espresse, SRF, Dienstag, 08.07.2014, 17:00 Uhr

Raths, Olivia, Wenn eine Autoversicherung Velofahrer warnt. In: Tagesanzeiger, 9.8.2013.

Rüttimann, Céline, Schulweg soll zum Veloweg werden. In: Der Bunde, 5.9.2017.

Sauter, Daniel, Mobilität von Kindern und Jugendlichen. Entwicklungen von 1994 bis 2010. Analyse basierend auf den Mikrozensen «Mobilität und Verkehr». Im Auftrag des Bundesamtes für Strassen, ASTRA Bereich Langsamverkehr Bern Juni 2014.

Scharrer, Matthias,Autofahren wird sicherer - auf zwei Rädern ist das Gegenteil der Fall. Verkehrsunfallstatistik 2017, az Limmattaler Zeitung, Zuletzt aktualisiert am 13.3.2018 um 18:20 Uhr

Schindler, Felix, Velo-Entwicklungsland Schweiz. In: Tagesanzeiger, 9.8.2016.

Sommerhalder, Maja, Polizei will mehr Veloprüfungen in Schulen. In: 20 Minuten, 09. Oktober 2013 21:10; Akt: 09.10.2013 21:11

Veloprüfung der 6. Klässlerinnen und 6. Klässler. In: Der Landbote, 07.06.2016.

Veloprüfung, Schule Steinberg(自転車試験のために必要な技能と知識が一望できる)(2018年6月27日閲覧)

Veloprüfung, Stadtpolizei Winterthur,Verkehrsinstruktion(ヴィンタートゥア市で行われている路上での実技試験で使用されている全ルートを紹介するビデオ)(2018年6月27日閲覧)

Veloprüfung, Stadt Winterthur(2018年6月27日閲覧)

Veloprüfung, Winterthur(オンライン交通ルール問題集)(2018年6月27日閲覧)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


はさみをもった家庭訪問員たち 〜「早期支援」という観点から臨む移民のインテグレーション・プロジェクト

2018-07-21 [EntryURL]

前回、スウェーデンの地域の移民と高齢者両方に恩恵をもたらすインテグレーションのプロジェクトをご紹介しましたが(「難民と高齢者の需要と供給が結びついて生まれた「IT ガイド」、〜スウェーデンで評判のインテグレーション・プロジェクト」)、今回は、スイス社会で定評のあるインテグレーションのプロジェクトについてご紹介します。

ドイツ語圏の「早期支援」

具体的なプロジェクトについてご紹介する前に、そのバックボーンにあるドイツ語圏の「早期支援」という考え方について、少しご説明します。

「早期支援 Frühförderung」とは、幼少時期の能力を発展させるための支援のことで、ドイツ語圏の教育上重きが置かれている考えの一つです。ペスタロッチやシュタイナー、フレーベル、モンテソーリといったヨーロッパの名だたる教育思想家の幼少期の教育についての理念を織り交ぜた早期支援の考えを、一言で乱暴にまとめるとすれば、こどもの成熟度に見合う「遊び」のなかで「学ぶ」という考え方になるかと思います。

ここで「学ぶ」対象と考えるものは、非常に幅広く、それを達成するために、周囲の大人たちにも(密接なこどもとのやりとりや、ふさわしい環境を維持する役割など)一定の役割も期待します。例えば、工作や料理の手伝いなどを通して、手先を使う細かな作業や、単調な作業に集中することや、できあいの視聴覚メディアを用いず、親が本を読み聞かせたり、いっしょに対話や演奏することで想像力や感受性、表現力を高めたり、豊かにさせることを、こどもにふさわしい課題と考えます。(ドイツ語圏で具体的に理想とさえる遊びやその玩具については、「想像の翼が広がる幼児向けアナログゲーム 〜スイスの保育士たちが選ぶ遊具」、「ドイツ語圏で好まれるおもちゃ ~世界的な潮流と一線を画す玩具市場」)。

ちなみにこれは、読み書きや計算、英語などの外国語の勉強といった、就学後に学校で学ぶ内容を、単に前倒しで学ばせる「学び」の在り方とは、一線を画します。幼少期のこどもの関心や感性に見合う「学び」方を強調する立場であるため、前倒しの「学び」方にはむしろ否定的です。

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移民のこどもたちのハンディと早期支援の意義

一方、移民たちの中には、出身の地域によって大きく異なりますが、そのようなこどもの早期支援の考え方とは、無縁な環境に育った人たちも少なくありません。こどもの遊び方に放任で、こどもの好奇心や向上心を高めることにも関心をもたない、あるいは、具体的にそれにふさわしい玩具がない環境で自らの幼少期を過ごした人たちです。

そうした人たちの中には、ドイツ語圏のスイスにきてからも、スイス人が重んじるようなこどもの情操教育やそのための遊びの考え方を知らず、自分たち大人がそのために何をすればいいのかもわからないし、家にも適した材料(玩具や本)がないという人がいます。

それが普遍的に悪いというわけでは決してないでしょうが、少なくとも情操教育や手先をつかった細かな作業(あそびとして)を重視するスイスでは、そのような親の元に育つこどもたちは、スイスのほかのこどもたちに比べ、いくつかの点で「問題」となる差がでてきます。スイスで教育上重視する能力、語学や認知能力において「遅れ(未発達)」とみなされるものです。

その差は、小学校入学時、あるいはすでに幼稚園に入園する時点でみられることが多く、本来スタート地点であるはずの、幼稚園や小学校1年という地点で、すでに、ハンディをもつことで、その後もそのハンディが簡単に縮まらず、こどもたちのスイスでの長い将来(職業教育の選択からキャリアまで)において、負の影響がながく続くことがわかってきました。

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一方、逆に、移民のこどもたちにとって、就学前の早い時期の支援が能力向上させることが、その後の学校教育を順調に進める決定的な助けとなり、最終的にこどもたちの将来の社会へのインテグレーションに決定的に重要であるという認識が高まっており、そのような「早期支援」に重点を置いた新しい教育制度を導入する自治体が、今日、増えてきています。

例えば、チューリヒ州で、2006年から新しい教育条例を施行し、小学校入学前の2年間の幼稚園が義務教育の一部としましたが、これは、移民のこどもたちが就学前にドイツ語やほかの就学に必要な能力を習得することで、就学のスタート時点で遅れをとらないようにすることをとりわけ考慮した制度と言われます(スイスの幼稚園は4歳から)。

バーゼル市では、対象年齢をさらに早めた教育プログラムを2013年からスタートさせました。ドイツ語が話せない移民のこどもたちを対象に、幼稚園に入園する前の1年間、言葉を学ぶためにプレイグループや保育園に入ることを義務化させるというものです。

家庭をまるごとターゲットにした早期支援「一歩ずつ」

幼少期の早期支援をする場所や方法は、いく通りも可能で、実際に、家庭、全日制の幼稚園や保育園や数時間のプレイグループ、あるいは保育ママ(自宅でこどもの保育をする人)など多様な形があるわけですが、今回とりあげるのは、家庭訪問を通した支援です。

これは、1歳から4歳ごろのこどもたちのいる親の家庭を、週に1度か2度、18ヶ月の間、家庭訪問員が訪問するというもので、2006年からスイスではじまりまりました。このプロジェクトのもともとのルーツはオランダにあります。効果的な移民家族のインテグレーションのためのプログラムを探していた、ソーシャルワーカーのデーラーErika Dähler氏が、2003年、オランダの青少年機関(NJi)が行っていたOpstapjeというプログラムを視察し、それに強く共感し、「一歩ずつSchritt:weise」というプロジェクト名で、スイスに導入しました。

先述のように、移民の親のなかでは、こどもとの(とくにスイスの現在の家庭で一般的な)あそび方、例えば、絵を描く、はさみを使って工作をする、本をいっしょに読む、音楽でおどったり、簡単なゲームをするなど、を全く知らないで育った人もいますし、たとえ知っていても、経済的、あるいは精神的・時間的に余裕がなく、こどもたちにそのような遊具を与えたり、いっしょにあそべない人たちもいます。そのような家庭に、訪問員は、毎回、はさみやのりや本など、実際にこどもとあそぶためのツールやアイデアをもって訪問し、数時間、親とこどもといっしょに時間を過ごします。

訪問員は、こどもとあそびながら、親に遊び方を教えたり、子育て全般のいろいろな相談にのります。また、プログラムは、家庭訪問で完結するのではなく、孤立しがちな親子を外に積極的に出し、ほかの親子と交流させることも重視しており、月に一度、プログラムに参加するほかの家族と集まり、地域の子育てに便利な場所(図書館や公園)へいっしょにでかけたり、重要な情報(健康や学校制度について)について説明する機会などを設けています。

訪問は月に10スイスフラン(日本円で1200円ほど)の安価で受けることができ、原則として1年半の間毎週継続して訪問を受けます。

訪問員には、移民出身者を積極的に採用しています。このプログラムは移民に限ったものでなく、スイス人も希望すれば受けられますが、外国出身者の親の家庭でとりわけニーズが圧倒的に大きいためです。訪問する人の母語(例えばトルコ語やアルバニア語)が話せ、自身も移民としての苦労した経験をもち、文化的差異の戸惑いへの理解も大きい移民出身の訪問員には、(高い知識のスイス人専門家などよりも)、親たちも緊張せずに接することができ、打ち解けやすいのだそうです。

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「一歩ずつ」の優れた点

こどもを社会にインテグレーションするという目的であれば、保育園やプレイグループなど既存の施設で十分なのではないか。なぜ、わざわざ家庭の個別訪問という別の形を設ける必要があるのか、と疑問に思われる方もおられるかもしれません。確かに、保育園やプレーグループもこどものインテグレーションにすぐれた効果をあげますが、「一歩ずつ」プロジェクトには、ほかの早期支援の施設にはない長所がいくつかあり、それが、並存して存続している理由となっています。「一歩ずつ」の長所をまとめてみると以下まとめてみましょう。

●親の抵抗感が少ない
移民のなかには、第三者にこどもをあずけることへの抵抗感がある人がたびたびいます。とりわけ父親があずけ保育を嫌い、それを禁止する場合もあるといいます。そのような不安や抵抗が強い家庭のこどもたちも、家庭訪問という形があれば、インテグレーションのための支援を享受することができることになります。

●こどもだけでなく親もひっくるめてインテグレーションの支援の対象にできる
保育園やプレーグループでは、親がいないので、保育士やほかのこどもたちとの交流の濃度が相対的に高くなるため、言語学習からは効果的と言えますが、移民の親は切り離されて、インテグレーションの恩恵にはあずかることはできません。他方、家庭訪問を受ける場合は、こどもをどう早期支援するかのノウハウを、直接学びながら、訪問員やべつの家族と交流し、こどもとともにインテグレーションを進めることが可能になります。これは、親に、自主的な自助努力をまかせるよりも、効果的に親たちをインテグレーションできる方法といえるでしょう。

●親がこどもの早期支援において主体的な役割を果たす立場になれる
このプロジェクトでは、親自身が、保育園や専門家などに依存せずに、主体的にこどもを支援できるようにすることがねらいです。その意味では、「自助のための支援」といえます。前回でも取り上げましたが、インテグレーションにおいても、自助のための支援というあり方は、移民(ここでは親)自身のモチベーションを高め、効果が高まると考えられます。

●移民自身が、ほかの移民を支援する側にまわり、主体的な役割が果たせること
このプロジェクトでとりわけおもしろいのは、移民の支援を、先輩の移民(以前に移住してきて、長年そこに住んでいる移民)たちがすることです。自ら経験をしたことを最大限にいかして、ほかの移民を助けるというアクションをすることによって、訪問員自身にも、自覚やほこりが生まれますし、改めてインテグレーションの重要さを認識し、みずからサポートする立場として社会に貢献する立場になります。昔の移住者と、最近移り住んできた移住者という、二者を、違う形で、同時に支援するシステムになっているといえます。

移民と一言で言っても、社会に貢献できることや分野は、移民の在住年数や語学力、経験や職業経歴によって、実際には非常に大きく異なります。移民たちのそれぞれの段階や守備範囲に合わせて、できることをしてもらう。それがトータルで多くなればなるほど、インテグレーションが円滑に進んでいることを意味するのではないかと思います。

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現在までの実績

活動開始から10年あまりたち、「一歩ずつ」を支援する自治体が増加は増えてきており、現在、スイス全体で400人のこどもが参加しています。80人のこどもが参加しているベルン市では、家庭訪問員が話せる言語を10言語に増やし、多国籍のこどもたちに対応しているといいます。

訪問を受けた70家庭のこどもの90%が、訪問を受けることで能力を発達させることができ、最終的に良好な総合的な発達をしているという調査結果もでており(Schmid, 2010)、2010年には、「一歩ずつ」の活動を行う協会「ア・プリモa:primo」が、ドイツの同じような活動を行う協会とともに、クラウス・J・ヤコブス賞(Best Practice Award)を受賞しました。この賞は、毎年世界で、こどもや青少年の発達の大きな課題に対してイノベーティブな解決をもたらしたプロジェクトに与えられている賞です。(ヤコブス財団とその賞については「共感にゆれる社会 〜感情に訴える宣伝とその功罪」)

おわりに

「労働力を呼び寄せると、来たのは人間だった」(Frisch, 1967)

これは、20世紀のスイスを代表する作家マックス・フリッシュの有名な一文です。労働力として外国から移民を受け入れる際に、労働力ということにばかり目がいき、その人たちのインテグレーション問題があとまわしになったことで、のちのちインテグレーションが進んでいない人々やその人たちが集中する地域で、根深い問題が生じることがありました。上の一文は、そのような当時の状況を凝縮・象徴した優れた一文として、たびたび引用されてきました。

社会の超高齢化と労働力不足という年々深刻化する問題を前に、先進国では、移民の受け入れを、問題解決の数少ない選択肢としてプラグマティックに認識し、期待する姿勢が目立つようになってきています。そのような現代、21世紀の移民受け入れは、具体的に、どうあるべきでしょうか。

20世紀のヨーロッパでの様々な成果や失敗を鑑みると、移民をどれだけどのように受け入れるかという制度や政治レベルの話に議論や関心を終わらせず、移民の社会へのインテグレーション、という課題を自覚し、いかにそのための地道な努力を、移民側と受け入れ側の双方が地道に実際に行っていく。それが、できるかできないかが、(移民を受け入れる社会の)将来の明暗を大きく分けるのではないかと思われます。

参考文献・サイト

a:primo(スイスでプロジェクト「一歩ずつ」の活動を行っている協会)のホームページ

Comtesse, Mirjam, Früh übt sich. In: Tagesanzeiger, Erstellt: 31.01.2018, 23:36 Uhr

Dähler, Erika, Früher Kindheit ist entscheidend. In: NZZ-Verlagsbeilage zum Swiss Economics Forum, 6. Juni 2018

Frühförderung zur besseren Integration. In: Migros Magazin,28. November 2016

Frisch, Max, Vorwort zu dem Buch «Siamo italiani - Die Italiener. Gespräche mit italienischen Arbeitern in der Schweiz» von Alexander J. Seiler, Zürich: EVZ 1965. Als “Überfremdung I” in Max Frisch: Öffentlichkeit als Partner, edition suhrkamp 209 (1967), S. 100.

Garne, Jigme, Für Eltern von Kleinkindern, interkulturelles forum. In: Stadtanzeiger, 6.3.2012, S.12.

Garne, Jigme, «schritt:weise» besser spielen und lernen mit dem Kleinkind, interkulturelles forum. In: Stadtanzeiger, 30.11.2010, S.12.

Schmid, Simone, Basteln für die Zukunft. In: NZZ am Sonntag, 28.11.2010, S.63.

Über uns Verein a:primo, a:primo gewinnt Jacobs Best Practice Award 2010 (2018年7月9日閲覧)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


難民と高齢者の需要と供給が結びついて生まれた「IT ガイド」、〜スウェーデンで評判のインテグレーション・プロジェクト

2018-07-15 [EntryURL]

2015年の難民危機以降、ヨーロッパの移民関連の報道といえば、難民や移民(以下、難民と移民の総称として「移民」という表記を用います)の間からテロリストがでてくることへの不安や、排外主義の強まりなど、移民と国民の間での不協和音的な部分が取り上げるのが定番となっています。

しかし、それらの問題は社会の先鋭的な動きの一部であってもすべてではありません。そのような動きや問題にばかり目を向けていると、移民をめぐる大局的な視点、社会の全体的な潮流への理解が不足する危険があります。実際、社会の大部分のセクター、教育や就労、生活空間などにおいては、日々、地域住民と移民たちは、平穏に共存しています。

ただし移民のインテグレーション(統合)は、自然発酵的に順調に進むとは限りません。むしろそうならないケースもたびたびあったことで、ヨーロッパではそれを教訓にして、今日のインテグレーションのガイドラインができあがってきたといえます。

現在のインテグレーションのガイドラインの特徴は大きくふたつあると思われます。まず、それぞれ異なる社会や文化背景をもった移民たちが、それぞれ既存の社会のなかで役割を担いながら共存していくためには、移民側と受け入れ側両者において、理解と労力が必要で、同時に、一定の時間がかかる、ということをまず、前提としていること。その上で、国から割り振られた難民の受け入れ先などになっている自治体や地域社会が、イントロダクション・プログラムや支援プロジェクトなどを通じて、積極的にインテグレーションに関わるようになったことです。

今回と次回では、ヨーロッパで、近年、自治体が支援する移民のインテグレーション・プロジェクトとして定評を受けている、二つの事例をスウェーデンとスイスからお伝えします。移住先の社会で活路を見出そうとする人々や、それらの人々への社会からの支援を具体的な例を通じてみていくことで、ヨーロッパでの移民をめぐる状況について、時事ニュースで通常知覚するのとは違う見方で、とらえる機会になればと思います。

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スウェーデンのITガイド

今回は、スウェーデンの「ITガイド」という制度についてとりあげてみます。「ITガイド」とは、スウェーデンで難民の若者たちがスウェーデン人の高齢者たちにデジタル機器の使い方を有償で教えること、また教える若者スタッフたちのことです。

このプロジェクトは、夏季休暇を利用しなにか仕事がしたい、とティーンエイジャーの難民たちから相談をうけたことからはじまった、とプロジェクト創案者のGunilla Lundbergさんは言います。逆に、なにができるのか、と訪ねてきた若者たちに質問したところ、コンピューターやデジタル機器には強い、と答えたことから、コンピューターに関連する仕事を夏季休暇に必要とする人がどこかにいないか、と思いめぐらし、高齢者を結びつけるプロジェクトの着想にたどりついたといいます。

早速、2010年Örebroという自治体で、難民の若者たちが、土曜日や学校の授業後の時間に、図書館や公共施設のインターネットカフェで、コンピューターやスマートフォンなどの身近なデジタル機器の使い方について高齢者に教えるというITガイドプロジェクトをスタートさせます。

プロジェクトをはじめるとすぐ、難民側と高齢者側の両者においてこのプロジェクトの需要が高いことが判明します。そして、年々、賛同する自治体や支援する団体が増えていきました。2016年には、国内10自治体で、現在は20以上の地方自治体でこのような制度が設けられ、ITガイドの数も2016年の80人 から約200人に増加しています。

ITガイドは、スウェーデン語がある程度できるようになった語学の上級クラスに在籍する17歳から22歳の外国出身の若者たちで、コンピューターや携帯電話、タブレット、ほか電器機器の使い方などのITの知識やチームワーク、また事業の運営についての基本的な知識を学ぶ、30時間の研修プログラムを受講した人がなることができます。

このプロジェクトが、スウェーデン社会全体から評価を得るのにも、時間がかかりませんでした。プロジェクトがスタートして3年後の2013年に、スウェーデンの社会のデジタル参加を奨励する大会で「Digidel」”People’s Favorite”賞を受賞し、2016年には、ベルギーのブリュッセルで開催されたthe Social Innovation Accelerators Network (SIAN) award最終候補にも選ばれました。今年2018年には、スウェーデンの優秀なインテグレーションの活動に毎年与えられている「スウェーデン・ドアオープナー賞」の候補にもなりました。

難民にとっての利点

このように、ITガイドというプロジェクトは、スタートから10年もたたないうちに、インテグレーションの成功プロジェクトとして各地に広がり、社会的にも高い評価もうけるようになったわけですが、ITガイドの優れた特徴を、今一度以下に、まとめてみたいと思います。

まず、難民の若者たちにとって、ITガイドになることは、以下のような利点があります。

●教えることによって、スウェーデン語語の能力(しゃべることと聞くことの両方)を高めることができる
海外に住んでいて、語学学校に通っていたとしても、ほかの外国人とお互いに学んでいる言語を話す練習をすることはできても、語学学校の外で、練習をする機会は、意外と多くありません。

言葉がある程度できるようになれば、いろいろなところで会話する機会も増え、好循環で言葉も上達していきますが、言葉があまりできないうちは、逆にすべてが難しいというのが現状です。このため、言葉を定期的に言葉を使う機会、しかも自分がメインに話す機会があることは、とても貴重です。

●働いた分の収入が得られる
ITガイドは有償の仕事であり、多くの難民たちにとって、スウェーデンではじめて自分で稼ぐ仕事になります。

●高齢者をよろこばすというやりがいが実感できる仕事
自分のする仕事が人の役にたち、実際に目の前で喜ぶ人をみることができる仕事であるという意味で、やりがいを感じやすい仕事といえます。特に、アフガニスタンやシリア(現在、難民として入国する人の二大出身国)からの若者は、文化的にも高齢者を敬ったり大事にする習慣を比較的強くもっていると思われるため、異国においても高齢者を助けることを、金銭や語学の向上というプラグマティックな理由だけでなく、よろこんでする人も多いかもしれません。

●異世代間の交流や同僚のITガイドとのチームワークを通して、社会とのつながりが深まったり、知人のネットワークが広がる

顧客である高齢者との関係だけでなく、横の関係、ほかのガイドスタッフとの関係を通じて、スウェーデン社会により広くつながる可能性があります。例えば、ITガイド制度では、働き始めて1年目は、個別の相談や指導をするITガイドとして働きますが、2年目以降になると、ほかのITガイドのリーダーとしてほかのITガイドの養成や運営についても携わり経験を広げることができるようなプログラムになっていますし、ほかにもチームの同僚たちの間でも活発な交流ができる機会がもうけられています。

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高齢者にとっての恩恵、利点

高齢者にとっても、多くの利点や恩恵があります。ITガイドによって、メディア機器やインターネットの知識を得ることができるだけでなく、若者と交流する新たな社交の場が増え、これらの機会や交流を通して、高齢者たちが、自分の世界を大きく広げたり、単調な生活のメリハリをもつことができるでしょう。

また、高齢者自身、そのことを強く意識してはいないかもしれませんが、自身がスウェーデン語をしゃべり、また相手のスウェーデン語を聞いてあげる機会を与えるということで、インテグレーションに実際に大きな貢献をしています。その事実は、高齢者にとっての生きがいやよろこびにもつながるでしょうから、大いに肯定すべき、重要なファクターだと思います。

難民と高齢者の両者が恩恵を得られれるという点に関して、ほかにも、おもしろい指摘もありました。

外国出身の若者は、数年スウェーデン語を集中して学び、一通りスウェーデン語を話せるようになっても、まだ上手にはやくしゃべることができません。他方、高齢者は、ほかの人が早口で説明されてもすぐに理解できませんし、自分自身もそれほど早口でしゃべることができません。このため、両者とも、ほかのスウェーデン人よりもゆっくり話すわけですが、それによって、高齢者、難民の若者たち両者とも大きな恩恵を受けることができるというものです。

スウェーデン人の高齢者にとって、孫やこどもがいれば、IT分野に強い孫やこどもたちから学ぶのが最適のようにも思われますが、なかなかそのような機会が簡単に定期的に必要な時に得られるとは限りません。たとえ、教えてくれるということになっても、スウェーデンの若者ですからしゃべるテンポがはやく、また、わからなかったり何度も同じことを聞くと、身内ではすぐにいらいらしてしまいがちになり、うまく教えてもらえることが意外に少ないといいます。

一方、他人でしかも自分もはやくしゃべることができない外国出身の若者たちは、高齢者に対して、孫やこども、またほかのスウェーデンの若者たちより、理解と忍耐があり、高齢者に教えるという目的において、より適しているといいます。

2016年の集計では、このサービスをうけた高齢者数は1700人のうち98%は、自分の友人にITガイドを勧めたという回答をしています。これは、なにより、高齢者がITガイドに非常に満足していることを表していると数字といえるでしょう。

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インテグレーション・プロジェクトとしての自助の支援

このように通常全く接点のない二つの社会グループが出会い同時に恩恵を受けられるということ自体、十分素晴らしいですが、長期的な観点でみると、自立をうながす支援として、大きな効果をあげる可能性あることも、重要でしょう。

社会からただ支援や保護を受けて生活するのでなく、自分で稼ぎたい、自分も社会で役に立ちたい、という願望は、若い移住者にはとりわけ強いと思われますが、できる仕事でかつやりがいのある仕事をみつけるのは、誰にとっても難しいことであり、移民にとってはなおさらです。何世代にもわたって生活保護を受け、ゲットー化した居住区で、将来の展望をもてずに不満をたている移民たちも少なくありません(就労とインテグレーション(社会への統合) 〜 スウェーデンとスイスの比較)。

そんななか、ITガイドという仕事は、収入としては大きな額ではなく、長く続ける仕事でないにしても、異国での自信や充実感やモチベーションなど、お金の額以上の大きなプラスアルファーをもたらすと考えられます。

ITガイドたちへのインタビューをみると、このITガイドをきっかけに、自信や語学、ITのスキルを磨き、自分の次の目標(正規の雇用やより高度な仕事など)をもち、さらなるステップアップを目指す声が多くあり、ITガイドでの経験が、若者の将来のステップアップの道や自信、そのためのモチベーションにもつながっているようにみえます。

以前、協同組合を構想したライファイゼンが、支援のあり方として、慈善的な支援では結局貧農を貧困から救うことにはならず、自助の努力をする人や仕事への支援に重点を移っていったこに触れました(慈善事業から自助の支援へ 〜ライファイゼンの協同組合構想とその未来の可能性)。インテグレーションは、協同組合モデルとは直接関係ありませんが、この事例をみると、主体的な努力やそのモチベーションを大事にし、そこに支援の主軸を置くという、自助の支援という考え方が、インテグレーションでも有望、と解釈できるかもしれません。

次回につづく、インテグレーションの好例

次回は場所をスウェーデンからスイスに移して、引き続き、高い評価を受けているインテグレーションのプロジェクトをご紹介してみたいと思います。今回と同様、ニュースではほとんど触れられることがない、ヨーロッパのインテグレーションの一断面をみていただければと思います。

参考サイト

IT Guideホームページ

http://www.it-guide.se/karlskoga/

Aalbu, Anders, Young refugees teach IT skills to seniors in Sweden, UNHCR, The UN Refugee Agency, 16 May 2018.

Årets Samhällsentreprenör: IT-guide. In: Dagens Samhälle, Publicerad: 19 maj 2016 kl 08:45, Uppdaterad: 25 maj 2016 kl 20:52

Media,culture and arts activities, Training course/Workshop for young people, Internship/Employment services and activities, Title: IT - Guide Duration: From 2014 to 2, Becoming a part of Europe, Co-fundey by the Erasmus and Programme of the European Union.(2018年6月18日閲覧)

Oldies online, plan b, ZDF, 17.05.2018

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


スイス社会のスイス人とドイツ人の微妙な関係 〜言語共同体にひそむ緊張と信頼の絆

2018-07-08 [EntryURL]

今年の初夏は世界中ワールドカップの観戦で盛り上がったと思いますが、スイスのパブリックビューイング会場で、ドイツの試合を観戦したドイツ人の友人は、ショックなことがあったと言います。観衆の大半(スイス人と思われる人たち)が、ドイツを罵倒する言葉を発しながらドイツが負けるように応援して試合観戦していたのだそうです。
この話を、子どもにすると、「なぜみんな、ドイツに負けてほしかったの?」と逆に質問され、はっとしました。スイスに住んでいると、スイス人とドイツ人の間に独特の関係あることがなんとなくわかり、上記のような話を聞いても、個人的には友人を気の毒だと思っても、特に驚きません。起きたことが、想定範囲内のように感じられるためです。同様に、政治的な正義に照らし合わせて、ドイツに対する差別だ、ヘイトスピーチだといって騒ぎたてるドイツ人もいなければ、「問題行為」だとしてニュースや社会で取りざたされることもありません。問題となる程度のことではない、という見解もまたスイス社会でほぼ一致しているためだと思われます。
しかし、そのような微妙な関係は、目にみえる現象や出来事から主に状況を理解・判断する子どもにとっては、とらえにくく、それをとりたてて問題としない社会的な共通見解も不可解に映るのだ、ということに、子どもから質問を受けて初めて気づきました。それと同時に、このような事象は、子どもにだけでなく、第三国にいる人々にとっても、みえにくく、とらえにくいことに違いない、という憶測が頭をよぎりました。
今回は、この憶測をもとに、「問題」として捉えられにくいけれどスイス社会で歴然と存在している(とスイスに住む人が認識している)スイス人とドイツ人の微妙な関係について、わたしの経験や理解をもとに、可視化を試みてみようと思います。
このような関係は、スイスでのドイツにまつわるさまざまな表面的な事象を理解する根っこの部分にあるため、今回のような、ドイツへの嫌悪や不満の紛糾を理解するのに役立つのはもちろんですが、背景にある微妙な関係が表面的な事象や現象とどう関わっているのかを、今回の事例で可視化して知覚することは、ほかの国や地域間での関係を考える際にも、参考になるのではと思います。
※今回の話は、スイスでもドイツ語圏に限った話となります。このため「スイス」と叙述する時も、スイスのフランス語圏やイタリア語圏の状況については配慮しておりませんので、ご了承ください
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「強いドイツ」をよく思わない背景
パブリックビューイングでドイツを罵倒する人が多かった最も直接的な理由は、ドイツがサッカーで強いから、ということでしょう。
今回のワールドカップでは一次リーグを突破できませんでしたが、ドイツは前回の優勝国でもあり、一般にサッカーに「強い国」と認識されています。そんな「強い国」を相手にする試合では、相手国に関係あるない関わらず、つい「強い国」に立ち向かう相手国を応援したくなることがあっても無理はありません。強豪の相撲取りに立ち向かう小さな相撲取りを応援したくなる気持ちと似たようなものでしょう。
ただ、逆に強いからこそ人気があるチームもあります。サッカーでも、野球でも、強かったり、スター選手がいることで、人々を魅了し、ますますファンを獲得するという場合もあります。
また、たとえ強いチームに勝って欲しくないと内心望んでいたとしても、試合中に罵声を発するというような、一線は越えた行動には出ないところにとどまる、という可能性もあります。
今回、二つ目や三つ目のケースではなく、一番目のケースに多くの人が当たり、ドイツ側のプレーに罵声を発するに至ったということは、水面下で、そちらに傾斜するような背景があったのだと解釈します。そしてそれが、とりわけスイスにおけるドイツ人とスイス人に微妙な関係と考えます。
それでは、スイス人とドイツ人の関係のどのような側面が、とりわけ、今回の状況にいたらせたといえるのでしょうか。ここでは、それを問題をわかりやすく捉えるため、具体的な三つの現象(あるいは特徴)、スイス人のドイツへの関心、共通の言語がもたらす緊張関係、スイス社会で占めるドイツ人の位置、について取り上げてみます。そこでのスイス人とドイツ人の態度や見解の違いを観察し、それが、どのようにネガティブな衝動や感情のような要素とつながるかを推し量り、考察していきます。
ビックブラザー・ドイツとそれが気になるスイス
スイスの10倍の人口(約8300万人)をもち、スイスの5.5倍の国内総生産を誇るドイツは、スイスにとって、圧倒的な存在感を放っている隣国です。そんなドイツをスイス人は「ビッグ・ブラザー Grosser Bruder」と表記することもたびたびです。
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このような大国に隣接するスイスは、その国のことについて、政治や経済だけでなく、互いの関係も含め、絶えず気にしているようにみえます。もちろん地方紙と全国紙、あるいはそれぞれの新聞社の方針によって、ドイツが取り上げられる頻度や内容には大きな幅がありますが、全般に、スイスのメディアでのドイツへの関心は高く、トップニュースの常連です。
たとえば、スイスの日刊紙でドイツ語圏の高級紙として名高い『ノイエ・チュルヒャー・ツァイトンク』(以下、ドイツ語でのこの新聞の略名表記にならい「NZZ」と表記します)では、ドイツの国政に関わる時事報道に多くの紙面をさくだけでなく、読者を対象に、ドイツに焦点を絞ったしたニュースレターを配信しています。長文の詳細にわたるドイツの政情を分析する週1回のニュースレターと、ドイツの読者に最も読まれた記事をリストアップしたもの(日曜を除く毎日)の二つです。ドイツ人がどのような記事を読んだかについてまで知ることが果たして重要なのかは定かではありませんが、少なくともNZZでは、ニュースレター全19種類の1割を、ドイツに特化していることになります。
ドイツへの関心の高さは、同じドイツ語圏で東側の隣国であるオーストリアへの関心と比べると、さらに鮮明になります。
オーストリアは、やはり同じドイツ語圏として、スイスと人やモノの行き来がさかんであり、近くて手頃な避暑地としてもスイス人に人気が高い国です。にもかかわらず、オーストリアがスイス国内で話題や関心にのぼることは、ドイツに比べかなり少なくなっています。スイスのメディアでのオーストリア関連のニュースの頻度がボリュームだけでなく、オーストリアで発信されているメディアの消費も、ドイツのそれに比べものにならないほど少量です。例えば、スイス、ヴィンタートゥア市内の図書館が定期購読しているドイツとオーストリアのメジャーな新聞と総合雑誌の数をみると、ドイツが5誌であるのに対し、オーストリアはたった1誌のみです。
(なぜオーストリアやオーストリア人に対して、スイスでは、同じドイツ語圏なのにドイツよりも格段に関心が低いのかという問題については、スイス人とドイツ人の関係を本題とする今回は、深入りしませんが、大雑把に言えば、スイスとほぼ同じ人口規模で、経済や文化面でも、等身大に近い国であるオーストリアに対して、スイスが、ドイツほどの関心がもてないのも、ある意味、当然といえるのかもしれません。)
関心の高さに比例する感情的な反応
高い関心が寄せられているということは、好感につながる場合もある一方、違和感や嫌悪感などネガティブな感情を刺激することがあります。ドイツに他国と比べ圧倒的に高い関心を寄せているスイスでの、ドイツの場合も例外ではないでしょう。このため、結論を先に言えば、ほかの国よりもドイツに対し、ネガティブな感情が抱かれることも多くなるのだと推測します。
ふたたび、オーストリア人についてのスイス人の見方と比較して、具体的に考えみます。これまで何度か(スイスにいるとドイツ人についてよく問題児のようによく言われるので、同じドイツ語圏のオーストリア人については果たしてどう思っているのだろうと気になって)、スイス人に、オーストリア人についてどう思っていのか、自分たちと比べてどんなところが違うと思うのか、と尋ねてみたことがあるのですが、その結果は興味深いものでした。
わたしの質問に対し、回答は「人当たりがいい」「感じがいい」、「(スイス同様、アルプス山腹に住む伝統をもつためスイスと)違いはあまりない」、など個性や特性に乏しいあたりさわりのない形容の返答ばかりだったのが印象的でした。スイスに住んでいるオーストリア人(2016年現在4万1900人)だけでなく、働きに来ているオーストリア人も多いですし(特に国境付近の地域では)、スイス人がオーストリア人をよく知らないわけではないはずです。ドイツ人についてどう思うかとスイス人に訊けば、控えめなスイス人でも、自分たちの「ドイツ人」的なるものについての考えを、色々な表現で説明してくれることが多いのとは、かなりのギャップで、拍子抜けするほどでした。
「温厚な人たち」、「問題のない人たち」とオーストリア人が理解されていることは、一般的に考えれば、スイス社会でうまくインテグレーションことの証左であり、よいことに違いありません。
しかし、オーストリア人の中には、そのようなスイス人の態度にいまひとつ物足りなさを感じる人もいるようです。先日、長年スイスに住むオーストリア人が、「スイス人はオーストリアに無関心で、オーストリア人についてなんとも思っていないように思う」と不満そうに言っていました。彼女からみると、スイス人は、ドイツの国や人に対する関心に比べると、あまりにオーストリアの国や人についてのスイス人の関心が低く、まるで、対抗意識からわざと無視しているかのような気さえするのだそうです。
このようなオーストリア人の推測が正しいのかわかりませんが、とりあえず、スイス人のオーストリア人観として、あまり気にもせず、腹も立たなければ、ネガティブな感情も起こりにくいというのが実情と思われます。ひるがえって、相対的に高い関心をもってみているドイツの国や人には、問題と感じることが多かったり、感情的に敏感に反応することも多いということがあるのではないかと思います。
ドイツのスイスへの関心
ちなみに、ドイツ国内ではスイス人やスイスの国はどうとらえられているのでしょう。まず(統計をとったわけでなくあくまで自分の印象からの推定ではありますが)、ドイツの主要メディア上で、スイスについて扱われる比率は、スイスがドイツについて扱う比率よりも圧倒的に低くとどまっているように思われます。大国特有のさがでもあるかと思いますが、ドイツは自国のことにまず熱心であり、その次にくるのはEUへの関心です。EUにも入っていない近隣の一小国スイスは、ドイツにとって、相対的に重要性が低く、結果として、スイスのドイツに対するほどの関心は、ドイツはスイスに対し抱いていないのではないかと思われます。
ドイツ国内で、ドイツ人とスイス人の間で摩擦や問題はどのくらいあるのでしょうか。たしかにドイツでも仕事や勉強で住み着いているスイス人もいますが(2017年末現在で8万8600人で、数だけでいえばスイスに住むドイツ人の倍以上いますが)、ドイツの人口比に対してスイス人の数は、(スイスでのドイツ人が占める割合に比べ)相対的に低く、スイス人とドイツ人の緊張感の濃度も、また、ほかの「問題」(たとえば移民やイスラム教徒問題など)に対比され「問題」として深刻化する確率も、低くとどまっていると思われます。
つまり、ドイツ人とスイス人の間にある微妙な関係は、ドイツとスイス全般にみられるわけではなく、スイスという地域でのみ強く認知されている、つまり「地域的な問題」であるともいえます。
ドイツ語という共通言語にまつわる緊張関係
スイスに住むスイス人とドイツ人を、よくも悪くて切っても切れない縁でつなげている、もう一つの重要な要素として、言語があると思います。少し細かい話になりますが以下、説明してみます。
スイスは通常「ドイツ語圏」とみなされますが(もちろんフランス語圏やイタリア語圏の場所もありますが、それらを除く大部分の地域で)、スイスで、一般的に話されているドイツ語は、標準語とはかなり音声的にかけはなれたドイツ語方言です。(どのくらいかけ離れているかというと、ドイツでの番組では、スイスドイツ語が放映されると字幕がつけられるほどです。)スイス内でも地域により方言はかなり異なりますが、標準ドイツ語に対比して、それらのスイス方言は、全部まとめて、「スイスドイツ語」と一般に呼ばれています。
スイスドイツ語は基本的に口語(話される言葉)で、筆記用の言葉ではないため、書き言葉には、標準ドイツ語を使っています(標準ドイツ語とはドイツで、口語および書き言葉として標準的に使われている言葉です)。標準ドイツ語は、書き言葉であるだけでなく、ドイツ語圏の共通の言葉でもあるため、、子どもの頃から、標準語を上手に使いこなせるように、学校の授業では基本的に標準ドイツ語しか使わないなどして、使う訓練を重ねていきます。
ここまでは、日本国内での地方での方言と標準語の関係と類似しており、特記することもないように思われますが、ここでネックなのは、標準語と方言の使い方の差異が、同一国民のなかの差異でなく、スイス人とドイツ人という国民的な差異になっていることと、標準語に対する認識が双方でかなりくい違っていることです。
スイスドイツ語は、スイス人であることを示すよりどころのようなものであり、その意味ではスイスでは「標準語」並みあるいはそれ以上のプレステージをもった言葉であると言えます。特にここ数十年で、スイスドイツ語の重要性が、スイス社会で見直される傾向にあり、以前は、スイス国内で開催される講演会や会見などの公的な場では標準語を利用するのが一般的だったのに対し、最近は、スイスドイツ語が使われることが多くなってきています。
一方、それをあからさまにドイツ人は蔑むわけではありませんが、ドイツ人にとっては、標準語と方言の間には明確な違いがあり、スイスドイツ語は、「方言」のひとつにすぎず、標準語と同等ではない、という意識が、長年スイスにいるドイツ人においてさえも根強くあるようで、それが時に、スイス社会でも見え隠れします。
このようなドイツ人の標準語を優位に感じる感情は、スイスドイツ語を標準語にまさるともおとらないものと思っているスイス人にはあまりいい気がしません。
「標準ドイツ語」のことを、標準ドイツ語では「ホッホ・ドイチュ(英語で言えば「ハイ・ジャーマン」)」と通常言いますが、スイスでは、「文章用ドイツ語」と称し、「標準ドイツ語」という記述を使いたがらないことには、そのような、スイス人の不満な気持ちが反映されているように思えます。スイス人にとって、自分たちのしゃべる「スイスドイツ」語が、標準ドイツ語に対して、劣った「低い」ものであるわけではなく、書き言葉であるだけなのだ、と暗に主張する対抗意識のようなものです。
さらに、スイス人は、学校教育の場で使ったり、その後も書き言葉として使ってはいますが、スイスにいる限り標準ドイツ語をしゃべる必要は(外国人を相手に話す場合などを除いて)ほとんどもたないため、結果として、ドイツ人に比べれば、標準ドイツ語をそれほど「上手に」(標準語らしい発音で正確で、流暢に、などの意味)話せない人が少なからずいます。そのなかには、自分はスイスドイツ語が話せるのだから、ドイツ人ほど標準語ができなくてもいい、と表向きはふるまっていても、ドイツ人ほど自分が標準語をうまく使いこなせないことが、一種のコンプレックスになっている人もいるようです。
このように、スイス社会水面下でスイスドイツ語と標準語をめぐり微妙な関係があるなかで、ドイツ人が(真っ正直なドイツ人堅気にもとづき)ストレートに強引な主張を、流暢な標準ドイツ語でまくしたてるような場面が展開したらあかつきにはどうなるでしょう。スイス人には、ドイツ人が傲慢で意固地な人にみえてきても無理はないかもしれません(スイス人が、ドイツ人ほど直接的な言い方を好まず、調和や妥協をより重視する、という性格的な違いも、摩擦を起こしやすい素地をつくっていると思われます)。
まとめてみます。同じ言葉を話す隣国人とは、ただでさえ、言葉のひだやニュアンスもよくわかり、意気投合がしやすい反面、お互いがよくわかりすぎて、価値観の相違もみえやすく、不満や不信になりやすくなります。さらにそれに輪をかけて、今回のように、自分たちの言葉が隣国であまり評価されていないと感じ、同時に自分たちは、隣国の標準言語を使いこなさなければ立ち行かない、という複雑な関係になってくると、摩擦や葛藤が生じやすいでしょうし、それらが積もり積もって生まれた負の「ドイツ人」像(ステレオタイプ)へ対抗意識や衝動的な感情を表出するケースもでてくるのだと思います。
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スイス社会におけるドイツ人のポジションとドイツ人差別が「問題」とされないことが意味すること
しかし、打倒ドイツをパブリックビューイング会場でさけんだ人たちであっても、ドイツ人がいなくては、国の経済や生活はたちゆかないことを知っていますし、これまで一度も親切な、あるいは気の合うドイツ人に職場や生活空間に出会ったことがない、と言い張る人もいないでしょう。
スイス全体の移民のなかで、ドイツ人は、イタリア人に続き多い多数派移民で、スイスには30万3500人おり(2016年現在)、スイス社会でドイツ人はオムニプレゼントな(どこにでもいる)存在です。
単に数が多いというだけでなく、ここ十年余りの間にドイツから渡ってきたス人たちは、とりわけ高学歴で、社会的地位も高い重要な職に就いている人が多いのが、これまでのスイスの移民の主流であった低学歴低収入の社会層と大きく異なる特徴です。例えば、スイスで働く医師の5人に一人はドイツ人ですし、チューリヒ大学の教授は3人に一人、バーゼル大学の教授はほとんど二人に一人(42%)がドイツ人です(Laur, 2015)。
言葉だけの問題でなく、学力・就業ともに、スイスでバリアがなく躍進できるドイツ人は、スイス人ではないにもかかわらずスイス人にせまる高い地位を得ている。そのことが、逆に、スイス人を刺激して、潜在的に脅威を感じたり、ドイツ人をよく思わない人を増やす傾向に、つながっているとも考えられます。
ただし、そのような複雑な感情を多少引き起こすとしても、自分たちで十分に求人枠を供給できないため、やはりドイツ人がいないとどうしようもないと認識しているようです。先ほどバーゼル大学の教授職の42%がドイツ人であるとお伝えしましたが、これに関し、大学はなにか対抗手段を講じるべきか、という日刊紙『ターゲスアンツァイガー』のオンラインアンケートでもそれが伺われます。、回答した924人のうち、「とるべきではない」と回答したのが74.1%でした(Laur, 2015)。圧倒的な多数が、(優秀な人材を確保するために)州立大学が、ドイツ人を採用することを、問題とみなしておらず、賛成している、というのが実情なのです。
ところで以前、スイスの広告に自主規制について扱った記事で、女性や移民出身者、高齢者などであれば、ただちに差別問題だと判断されるような表象(その人たちをネガティブに表現するなど)でも、それが白人のヨーロッパ男性を表象したものだと、問題にならない(あるいはなりにくい)という傾向について示唆しました。一般的に社会の弱者やマイノリティが、差別被害の対象者となるためで、ヨーロッパ(白人)男性は、スイス社会において、社会で権力側にあるマジョリティの社会グループと認識されており、このような権力のある側をネガティブに表象したとしても、それは「差別的」ではなくコメディのたぐいとみなされる、という話でした(「ヨーロッパの広告にみえる社会の関心と無関心 〜スイス公正委員会による広告自主規制を例に」)
この話を、ここでのテーマにあてはめて考えてみると、以下のような解釈も可能かもしれません。ドイツに罵声をあげて観戦する人々が後をたたなくても「問題」とならないということは、裏を返せば、ドイツ人は、「二流市民」扱いをされていないどころか、すでにスイス社会において、権力者側にいるマジョリティ(あるいはそれに匹敵する存在)になっていることを意味する。ドイツ人は、権力側に立っているのだというお墨付きを、すでにスイス社会から与えられているのだ、と。
おわりに
これまでの話をまとめてみましょう。
スイスは長いこれまでの歴史のなかで、ドイツという大国の引力にときに振り回されながらもなんとか独立を維持し、政治や文化をつむいできました。今日の関係は、基本的に大変友好的ですが、恩恵を享受しあい、共感するだけでなく、時には弊害も苛立ちもある愛憎関係でもあり、「友好」よりも「憎悪」色が濃い行為や言動がたびたび噴出されることも、たびたびみられる状況にみえます。
同時に、ドイツ人とスイス人には共存するための信頼の基礎があり、社会や友人としてもなくてはならな存在であることを、(ドイツ人も含め)誰もスイスで疑っていない、だからこそ、ヘイトスピーチだと声高にさけぶ人もおらず、政治沙汰にはならないということになります。
とはいえ、今回のショックを受けたドイツ人のように、スイスのドイツ人とスイス人の間に摩擦や軋轢が起きた時、その場にでくわす当人者たちにとっては、決して気持ちのいいものではないでしょう。実際にスイスになじめなかったり、なんらかのトラブルからドイツにもどるドイツ人ももちろんいます。ただし、それを特別扱いするのは少し問題かと思います。そういう移住者はどこの国でも一定数いて、スイスのドイツ人の問題として特記するものではないように思うからです。ただし、そのようなテーマが(ドイツ人の存在がとかく気になる)スイスでは、注目され、たびたびメディアでも言及されるという意味では、やはりスイス特有のこと、といえるかもしれません。
一方、少し見方を変え、その現場から一歩距離を置き、それは愛憎の一面であり、違う角度からみれば、スイスにとってドイツは常に、目を離せない大きな存在でありつづけているということなのだ、と冷静に思うことができれば、ドイツ人も悪い気はしないかもしれません。
ヨーロッパの大国ドイツを故郷とするドイツ人としては、やはり、スイス人に一目置かれる存在であるはず(そうであっていいはず)だ、という自負もまた、強いのでしょうから。
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<参考サイト>
Newsletter, NZZ
Laur, Franziska, 42 Prozent Deutsche an Uni Basel. In: Tagesanzeiger, 17.06.2015

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


こどもたちにとって理想的なデジタル機器やメディアの使い方とは(2) 〜これまでのガイドラインとその盲点をつく最新の研究

2018-07-05 [EntryURL]

前回、スイスにおいて、こどものデジタル機器やメディアの使い方をめぐって、学校だけでなく家庭にも役割が期待されていることに触れました(「こどもにとって理想的なデジタル機器やメディアの使い方とは(1)〜スイスのこどもたちのデジタル環境・トラブル・学校の役割」をご参照ください)。

今回は、親向けのガイドラインや、最新の研究データを参考にしながら、家庭でのこどもたちのメディア機器やメディアの使い方がどうあるべき、と現在のスイスではとらえられており、今後は、どのようなことが重視されるのかについて、考えていきたいと思います。

親のための講演会

前回触れましたが、めまぐるしく新しいものがでまわるこどもたちのデジタル環境において、どんな機器やメディアをどれくらいどのように使用するようにこどもたちに進めるのがいいのやら、戸惑う親は少なくありません。そんな親たちのために、スイスでは、講習会やワークショップや、ウェッブでの情報開示や、パンフレットの配布などを通して、サポートする活動が活発になってきました。

それらの活動をスイス全国で展開しているのは、主に、教育や青少年、犯罪の予防などに関わる非営利組織です。主要団体名とサイトは、本文下の参考サイトに掲載してありますのでご興味がある方は直接ご覧ください。(なお、メディア・リテラシー向上のための活動は、EU内でも現在さかんです。その概要については「「情報は速いが、真実には時間が必要」 〜メディア・情報リテラシーでフェイクニュースへの免疫力を高める」をご参照ください)。

先日、わたしもある講演会に参加しました。ドイツ語圏で年間約1万5000人のこどもや1万2000人の大人を対象にワークショップや講演会を開催している非営利組織 Zischtig の、小学生の子をもつ親を対象にした講演会です。2時間弱におよぶ講演会では、現在こどもたちに人気があるアプリケーションやコンテンツ、クリエイティブな利用の仕方の紹介から、実際に起こった問題や犯罪、デジタルメディアに依存しないための工夫のアイデアまで、親自身が判断するのに参考になりそうなトピックが多く扱われ、講演会後、こどもの置かれた現状や身近にある危険が一望できた気がします。

現在、同様の問題を抱えていると思われる日本の親世代にとっても、比較や参考の観点から有用と思われる事項もあると思われるため、まず、これについて、ご紹介してみます。

●クラスメートがみんな参加するSNSのチャットは、こどもたちにとって重要な社交の一部とすでになっている。そのためそれを過少評価すべきでないし、ある年齢に達し、周囲がしている場合は、それを自分の子がすることを阻止することものぞましくない。

●こどもが思春期(反抗期)に入ってから、はじめてデジタルメディアの使い方についてお親子で話し合ったり、ルールをつくるのでは遅すぎる。それでは、ルールに従わない可能性が高い。思春期に入る前に使い方について少しずつ親子で話し合っていることがのぞましい。

●デジタルメディアで自分の個人情報をまもることの大切さを伝え、それを徹底させる。写真などプライベートな情報はできるだけプロフィールにのせない。とくに年齢が低いこどもたちは要注意。

●こどものデジタルメディアの問題で最近、新しく深刻な問題なってきたのが、有料コンテンツを配信する大手ネットメディア業者のネットフリックスの利用。シリーズもののドラマなどが豊富に揃っており、広告も入らず連続して長時間みられてしまうため、続きがみたいという衝動にかられ、視聴をやめるのが難しい。それを自制するのは大人でも難しいことであり、こどもたちには大きな試練となっている。

●WhatsappやほかのSNSでモビングやポルノを含む内容を発信、あるいは拡散すると、10歳から処罰の対象となる

●ある州で中学校で男子のスマートフォンを調べたところ、大半の男子学生の間で、大人でも禁止されているたぐいのポルノコンテンツ(未成年がでてくるものや暴力シーンがあるものなど)が保存されていた。それらは発信はもちろん所持することも全般に禁止されているため、処罰の対象となる。

●デジタルメディア(特に文字媒体)でのコミュニケーションでは、誤解が生じることが非常に多い。声のトーンや顔の表情などがわからずに、文字や絵文字のみでやりとりするため、目の前のコミュニケーションでは簡単に伝わることが、伝わりにくい(冗談のつもりで送ったのが、受信者には冗談に伝わらないなど)。このため、簡単なやりとりはいいが、込み入った話、とくに怒りや文句などネガティブな感情を誰かに伝える時には、それを使用をさけるべき。直接本人を前にして話すのが理想で、それができなければ電話かスカイプにする。

●デジタルメディア(ただし音声のみのメディアをのぞく。テレビやスマートフォンなど画面を使用するメディアを主にさす)の利用時間は、6〜9歳で週に5時間、10〜12歳は10時間ぐらいが目安。

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ガイドラインにあらわれている特徴

この講演会に限らず、親向けの講演会やワークショップを開催するの組織の一連の活動内容やサイトの公開されている情報は、それぞれ母体となる組織の性質によって、強調・重視される点には若干ずれがありますが、大きく2種類に分かれます。ひとつは、こどもたちのめまぐるしく変わるメディア環境の概要、そしてもう一つは、こどもたちの好ましい利用方法や危険を防ぐための知識や具体的なノウハウ、いわばガイドラインです。

どこの組織が提示するガイドラインも、スイスの最新の学問や、見識者の多数の意見をとりいれた偏りの少ない中立的な内容として評価できますが、同時にそこには、いくつかの特徴がみられます。例えば、

●コンテンツによっては非常にクリエイティブで楽しめるものもあり、一定年齢からはチャットなど同世代の社交性に不可欠な様子があることも認めるが、全般的には、デジタル機器やメディアの使用を大いに奨励・肯定する、というよりは、むしろ慎重な姿勢が強い。特に小学生の使用には抑制的。

●具体的な使用については、使用できる時間数を(おおまかに)決め、親がコントロールできる居間などでの使用に限り、子どもの寝室には決して持ち込ませない、といった規制や制限を一般的に推奨。

●そのような抑制的な使い方を、家庭のルールとして親子で保持、継続することを賢明とし、それができる家庭や親を、模範的とする。

●これらのルールを守ることで、こどもたちは分別あるデジタルメディアの利用の仕方を身につけることができ、依存症になるのを防ぐ。このような利用法が習慣化することは、こどもたちの将来にとってもよいという展望(希望的観測)。

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メディア消費に関する推論と研究

一方、興味深いことに、至極まっとうにみえるこのようなガイドラインの盲点を突くような調査結果が、講習会参加後1週間もたたないある日、スイスのメディアで大きく報道されました。

チューリヒ大学のコミュニケーション学およびメディア研究研究所の教授ホーギトイEszter Hargittai教授らが発表した研究の調査結果で、学生の大学1年の成績とその社会背景、また学生が覚えている家庭でのスマートフォンなどのデジタルメディアについての規則、またそれを現在ふりかえって評価したものを分析・調査したものです。調査は、スイスではなく、アメリカのシカゴにあるイリノイ大学の平均18歳の1100人の大学1年生を対象にしたものですが、この調査がチューリヒ大学の先鋭の研究者によって行われたものであったため、スイスのメディアでも大きく注目をあびたようです。

調査で、親がはっきりとした理由でデジタルメディアの使用にルールを作っていた家庭で育った学生とそうでなかった(ルールがなかった)学生の成績を比べた結果、学力的な差は見当たりませんでした。はっきり違いがあったのは、スマートフォンの利用を、学校や宿題をすることを理由に禁止していた家庭で育った学生と、そうでない学生とを比較した場合です。調査研究者も驚いたことに、前者のほうが、後者よりも成績が悪いという結果になりました。

ホーギトイは、親はこどもによかれと思って宿題のためにスマートフォンの使用を制限していても、こどもたちにはそのルールがネガティブに感じられ、宿題をしっかりやらないのかもしれないし、もしかしたら一部のテクノロジー、例えばなにかを調べるなど、宿題にとても役にたっているからかもしれない、と推測します。

いずれにせよ、これまで、親はルールをつくってそれに従う習慣をつけさせるほうが、子供達の学力向上につながる、勉強する時間がなくならないようにデジタルメディアの利用時間を制限するのは当然とする考え方が、あまり疑われることなく多くの人に受け入れられてきましたが、話はそれほど単純ではないことを、この研究は指摘しているといえます。少し強く言えば、この調査は、デジタルメディア使用の暗黙の前提であった、「ルール信仰」(ルールを作りそれを守られせるのはいいものだ)に疑問を投げかけ、検証の余地があることを示したといえるでしょう。

ちなみに、健康を理由にデジタルメディアの利用の制限が決められていた学生の場合には、比較的よい学業成績になっていたそうです。健康を心配する親は、たんにメディアを規制するのではなく、ほかのこどもにとってもよいいろいろな活動にこどもたちを向けるからではないかと、教授は推測しています。

ホーギトイ教授は、この研究結果をふまえて、以下のような指摘もしています。
「メディアの消費についてわたしたちは多くの推測をしますが、実際にわかっていることはあまりありません。誤った推論を避けるために、学問がこのような問いに対して体系的に調査することが重要です。」
「人々は新しいメディアをあまりにもよくなにかこどもたちに悪いものだとみがちで、それを規制(制限)しようとします。もちろん問題となる側面もありますが、単に規制するだけというやり方は、わたしの意見ではまちがいです。話し合うことが大切です」(Kündig, 2018)

ただし、この調査結果には、今後参考にする際に、留意すべき点があるでしょう。
それは、この調査がアトランダムに成人した世代を対象にしたものではなく、イリノイ大学という名門大学に入学できた学生たちを対象にしたものであることです。つまり、こどもたちの中には、デジタルメディアのを無制限に利用してこの大学に入るような学力に到達しなかった人も少なからずいたと考えられますが、それらのこどもたちのケースが、この調査ではまったく対象とされていないことです。逆に、非常に厳しい利用制限がある家庭に育ち最終的に学力が低調で、この大学に入らなかった人もいるかもしれません。ここでの調査対象は、イリノイ大学への入学という学力的なフィルターを通過した人たちのなかの傾向、差異を観察したにすぎないということになります。

つまり、この研究は、デジタルメディアを制限なく利用することが誰にとっても全般に学力を向上させることにつながる、といった飛躍した解釈を許すものではないということになります。

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おわりに

タブレットやスマートフォンといったデジタルメディアが当たり前のように身近にある生活環境で育っていくこどもたちが、これから次々に成人していきます。それに伴い、今回の大学生を対象にした研究のように、これまで調べようがなかったデジタルメディアが与えるこどもたちへの(大人になるまで、あるいはなってからの)長期的な影響といったテーマの研究が、飛躍的に進展する可能性があります。

そうなってくると、それまで「よかれと思った措置が意図せずにネガティブな結果になる可能性が」(Schlecht, 2018)これからいくつもでてくるのかもしれません。

一方で、現在の時点で「デジタル世代」の子をもつ親として、最善の策をとりたいとすれば、これからは、なににとりわけ留意することが必要なのでしょう。

これまでみてきたことを総合して考えると、例えば、使い方のルールを決めるだけで安心しないのはもちろん、ルールを作るという行為自体にも、クリティカルなまなざしを向けてみること。もっと基本的なところでは、こどもたちのデジタルメディアとの接し方について、それぞれのこどもの関心や個性や能力、環境、生活のリズムにあわせて柔軟に考えていくこと。そんなことになるのでしょうか。

こどものデジタル機器やメディアの扱い方というテーマにおいては、なにより、「子ども」が主役で子どもの問題と思いがちですが、このテーマについてみていけばみていくほど、実は、それをどうまかせるか、という親にゆだねられる部分が大きく、影の主役は大人(親)たちなのかもしれない、という気がしてきます。

参考サイト

・スイスでこどものメディア利用について講習会やワークショップ、リーフレットを発行している組織
Action innocence
eltern bildung.ch
Mediencoaching für Eltern
Pro Jugentute, Medienprofis
Swisscom, Bildungsagebote: Kurse, Materialien, Internet und Services
Schweizerische Kriminalprävention
zischtig.ch

Drew P. Cingel and Eszter Hargittai. The relationship between childhood rules about technology use and later-life academic achievement among young adults. The Communication Review. May 15, 2018. (ただし私が、参考にしたのはこの論文そのものではなく、研究者がチューリヒ大学のサイトで発表した論文の要旨や研究者へのインタビュー記事など)

Fassbind, Tina, «Kinder surfen mit Sprachbefehlen durchs Netz». In: Tagesanzeiger, 8.6.2018

Genner, S., Suter, L., Waller, G., Schoch, P., Willemse, I. & Süss, D. (2017). MIKE - Medien, Interak-tion, Kinder, Eltern: Ergebnisbericht zur MIKE-Studie 2017. Zürich: Zürcher Hochschule für Angewandte Wissenschaften. (2018年6月11日閲覧)

Häuptli, Lukas, Sex-Filme im Klassen-Chat. In: NZZ am Sonntag, 8.1.2017, 12:08 Uhr

Jugend und Medien. Nationale Plattform zur Förderung von Medienkompetenzen

Kündig, Camille, Schlechtere Noten wegen Handyregeln: «Wenn Papa Snapchat verbietet, trötzeln die Kinder». In: Watson.ch, 6.06.18, 08:12 06.06.18, 16:57

Scharrer, Matthias, Die Lehrkräfte haben noch Nachholbedarf. In: Der Landbote, 13.6.2018, S.23.

Oller, Katrin,Medien und Informatik: Für das neue Schulfach fehlen die Lehrer, Lehrplan 21. In: az Limmattaler Zeitung, Zuletzt aktualisiert am 6.2.2018 um 10:16 Uhr

Regeln beim Medienkonsum können Schulleistungen schwächen, Universität Zürich, Medienmitteilung vom 05.06.2018

Regeln für den Medienkonsum von Teenagern: auf die Begründung kommt es an, Kultur Kompakt, SRF, 6.6.2018.

Rules about Technology Use Can Undermine Academic Achievement, Media, News, University of Zurich, News release, 5 June 2018.

Schlecht in der Schule wegen Handy-Verbot. In: 20 Minuten, 05. Juni 2018 13:18; Akt: 05.06.2018 13:18

Schweizerische Eidgenossenschaft, Jugend und Medien. Zufünftige Ausgestaltung des Kinder- und Jugendmedienschutzes der Schweiz, 13. Mai 2015.

Schweizerische Kriminalprävention, Broschüren + Faltblätter

Umgang mit sozialen Medien - Hoher Medienkonsum macht Jugendliche nicht zwangsläufig dumm, SRF, Kultur, 6.6.2018, 16:56 Uhr (Sendung: Kultur kompakt, 6.6.2018, 11.29 Uhr)

Zahn, Joachim, Internet-Sicherheit: Welche Themen sind zu beachten?, zischtig.ch, 22 Jun, 2016

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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