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こどもたちにとって理想的なデジタル機器やメディアの使い方とは(2) 〜これまでのガイドラインとその盲点をつく最新の研究

2018-07-05 [EntryURL]

前回、スイスにおいて、こどものデジタル機器やメディアの使い方をめぐって、学校だけでなく家庭にも役割が期待されていることに触れました(「こどもにとって理想的なデジタル機器やメディアの使い方とは(1)〜スイスのこどもたちのデジタル環境・トラブル・学校の役割」をご参照ください)。

今回は、親向けのガイドラインや、最新の研究データを参考にしながら、家庭でのこどもたちのメディア機器やメディアの使い方がどうあるべき、と現在のスイスではとらえられており、今後は、どのようなことが重視されるのかについて、考えていきたいと思います。

親のための講演会

前回触れましたが、めまぐるしく新しいものがでまわるこどもたちのデジタル環境において、どんな機器やメディアをどれくらいどのように使用するようにこどもたちに進めるのがいいのやら、戸惑う親は少なくありません。そんな親たちのために、スイスでは、講習会やワークショップや、ウェッブでの情報開示や、パンフレットの配布などを通して、サポートする活動が活発になってきました。

それらの活動をスイス全国で展開しているのは、主に、教育や青少年、犯罪の予防などに関わる非営利組織です。主要団体名とサイトは、本文下の参考サイトに掲載してありますのでご興味がある方は直接ご覧ください。(なお、メディア・リテラシー向上のための活動は、EU内でも現在さかんです。その概要については「「情報は速いが、真実には時間が必要」 〜メディア・情報リテラシーでフェイクニュースへの免疫力を高める」をご参照ください)。

先日、わたしもある講演会に参加しました。ドイツ語圏で年間約1万5000人のこどもや1万2000人の大人を対象にワークショップや講演会を開催している非営利組織 Zischtig の、小学生の子をもつ親を対象にした講演会です。2時間弱におよぶ講演会では、現在こどもたちに人気があるアプリケーションやコンテンツ、クリエイティブな利用の仕方の紹介から、実際に起こった問題や犯罪、デジタルメディアに依存しないための工夫のアイデアまで、親自身が判断するのに参考になりそうなトピックが多く扱われ、講演会後、こどもの置かれた現状や身近にある危険が一望できた気がします。

現在、同様の問題を抱えていると思われる日本の親世代にとっても、比較や参考の観点から有用と思われる事項もあると思われるため、まず、これについて、ご紹介してみます。

●クラスメートがみんな参加するSNSのチャットは、こどもたちにとって重要な社交の一部とすでになっている。そのためそれを過少評価すべきでないし、ある年齢に達し、周囲がしている場合は、それを自分の子がすることを阻止することものぞましくない。

●こどもが思春期(反抗期)に入ってから、はじめてデジタルメディアの使い方についてお親子で話し合ったり、ルールをつくるのでは遅すぎる。それでは、ルールに従わない可能性が高い。思春期に入る前に使い方について少しずつ親子で話し合っていることがのぞましい。

●デジタルメディアで自分の個人情報をまもることの大切さを伝え、それを徹底させる。写真などプライベートな情報はできるだけプロフィールにのせない。とくに年齢が低いこどもたちは要注意。

●こどものデジタルメディアの問題で最近、新しく深刻な問題なってきたのが、有料コンテンツを配信する大手ネットメディア業者のネットフリックスの利用。シリーズもののドラマなどが豊富に揃っており、広告も入らず連続して長時間みられてしまうため、続きがみたいという衝動にかられ、視聴をやめるのが難しい。それを自制するのは大人でも難しいことであり、こどもたちには大きな試練となっている。

●WhatsappやほかのSNSでモビングやポルノを含む内容を発信、あるいは拡散すると、10歳から処罰の対象となる

●ある州で中学校で男子のスマートフォンを調べたところ、大半の男子学生の間で、大人でも禁止されているたぐいのポルノコンテンツ(未成年がでてくるものや暴力シーンがあるものなど)が保存されていた。それらは発信はもちろん所持することも全般に禁止されているため、処罰の対象となる。

●デジタルメディア(特に文字媒体)でのコミュニケーションでは、誤解が生じることが非常に多い。声のトーンや顔の表情などがわからずに、文字や絵文字のみでやりとりするため、目の前のコミュニケーションでは簡単に伝わることが、伝わりにくい(冗談のつもりで送ったのが、受信者には冗談に伝わらないなど)。このため、簡単なやりとりはいいが、込み入った話、とくに怒りや文句などネガティブな感情を誰かに伝える時には、それを使用をさけるべき。直接本人を前にして話すのが理想で、それができなければ電話かスカイプにする。

●デジタルメディア(ただし音声のみのメディアをのぞく。テレビやスマートフォンなど画面を使用するメディアを主にさす)の利用時間は、6〜9歳で週に5時間、10〜12歳は10時間ぐらいが目安。

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ガイドラインにあらわれている特徴

この講演会に限らず、親向けの講演会やワークショップを開催するの組織の一連の活動内容やサイトの公開されている情報は、それぞれ母体となる組織の性質によって、強調・重視される点には若干ずれがありますが、大きく2種類に分かれます。ひとつは、こどもたちのめまぐるしく変わるメディア環境の概要、そしてもう一つは、こどもたちの好ましい利用方法や危険を防ぐための知識や具体的なノウハウ、いわばガイドラインです。

どこの組織が提示するガイドラインも、スイスの最新の学問や、見識者の多数の意見をとりいれた偏りの少ない中立的な内容として評価できますが、同時にそこには、いくつかの特徴がみられます。例えば、

●コンテンツによっては非常にクリエイティブで楽しめるものもあり、一定年齢からはチャットなど同世代の社交性に不可欠な様子があることも認めるが、全般的には、デジタル機器やメディアの使用を大いに奨励・肯定する、というよりは、むしろ慎重な姿勢が強い。特に小学生の使用には抑制的。

●具体的な使用については、使用できる時間数を(おおまかに)決め、親がコントロールできる居間などでの使用に限り、子どもの寝室には決して持ち込ませない、といった規制や制限を一般的に推奨。

●そのような抑制的な使い方を、家庭のルールとして親子で保持、継続することを賢明とし、それができる家庭や親を、模範的とする。

●これらのルールを守ることで、こどもたちは分別あるデジタルメディアの利用の仕方を身につけることができ、依存症になるのを防ぐ。このような利用法が習慣化することは、こどもたちの将来にとってもよいという展望(希望的観測)。

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メディア消費に関する推論と研究

一方、興味深いことに、至極まっとうにみえるこのようなガイドラインの盲点を突くような調査結果が、講習会参加後1週間もたたないある日、スイスのメディアで大きく報道されました。

チューリヒ大学のコミュニケーション学およびメディア研究研究所の教授ホーギトイEszter Hargittai教授らが発表した研究の調査結果で、学生の大学1年の成績とその社会背景、また学生が覚えている家庭でのスマートフォンなどのデジタルメディアについての規則、またそれを現在ふりかえって評価したものを分析・調査したものです。調査は、スイスではなく、アメリカのシカゴにあるイリノイ大学の平均18歳の1100人の大学1年生を対象にしたものですが、この調査がチューリヒ大学の先鋭の研究者によって行われたものであったため、スイスのメディアでも大きく注目をあびたようです。

調査で、親がはっきりとした理由でデジタルメディアの使用にルールを作っていた家庭で育った学生とそうでなかった(ルールがなかった)学生の成績を比べた結果、学力的な差は見当たりませんでした。はっきり違いがあったのは、スマートフォンの利用を、学校や宿題をすることを理由に禁止していた家庭で育った学生と、そうでない学生とを比較した場合です。調査研究者も驚いたことに、前者のほうが、後者よりも成績が悪いという結果になりました。

ホーギトイは、親はこどもによかれと思って宿題のためにスマートフォンの使用を制限していても、こどもたちにはそのルールがネガティブに感じられ、宿題をしっかりやらないのかもしれないし、もしかしたら一部のテクノロジー、例えばなにかを調べるなど、宿題にとても役にたっているからかもしれない、と推測します。

いずれにせよ、これまで、親はルールをつくってそれに従う習慣をつけさせるほうが、子供達の学力向上につながる、勉強する時間がなくならないようにデジタルメディアの利用時間を制限するのは当然とする考え方が、あまり疑われることなく多くの人に受け入れられてきましたが、話はそれほど単純ではないことを、この研究は指摘しているといえます。少し強く言えば、この調査は、デジタルメディア使用の暗黙の前提であった、「ルール信仰」(ルールを作りそれを守られせるのはいいものだ)に疑問を投げかけ、検証の余地があることを示したといえるでしょう。

ちなみに、健康を理由にデジタルメディアの利用の制限が決められていた学生の場合には、比較的よい学業成績になっていたそうです。健康を心配する親は、たんにメディアを規制するのではなく、ほかのこどもにとってもよいいろいろな活動にこどもたちを向けるからではないかと、教授は推測しています。

ホーギトイ教授は、この研究結果をふまえて、以下のような指摘もしています。
「メディアの消費についてわたしたちは多くの推測をしますが、実際にわかっていることはあまりありません。誤った推論を避けるために、学問がこのような問いに対して体系的に調査することが重要です。」
「人々は新しいメディアをあまりにもよくなにかこどもたちに悪いものだとみがちで、それを規制(制限)しようとします。もちろん問題となる側面もありますが、単に規制するだけというやり方は、わたしの意見ではまちがいです。話し合うことが大切です」(Kündig, 2018)

ただし、この調査結果には、今後参考にする際に、留意すべき点があるでしょう。
それは、この調査がアトランダムに成人した世代を対象にしたものではなく、イリノイ大学という名門大学に入学できた学生たちを対象にしたものであることです。つまり、こどもたちの中には、デジタルメディアのを無制限に利用してこの大学に入るような学力に到達しなかった人も少なからずいたと考えられますが、それらのこどもたちのケースが、この調査ではまったく対象とされていないことです。逆に、非常に厳しい利用制限がある家庭に育ち最終的に学力が低調で、この大学に入らなかった人もいるかもしれません。ここでの調査対象は、イリノイ大学への入学という学力的なフィルターを通過した人たちのなかの傾向、差異を観察したにすぎないということになります。

つまり、この研究は、デジタルメディアを制限なく利用することが誰にとっても全般に学力を向上させることにつながる、といった飛躍した解釈を許すものではないということになります。

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おわりに

タブレットやスマートフォンといったデジタルメディアが当たり前のように身近にある生活環境で育っていくこどもたちが、これから次々に成人していきます。それに伴い、今回の大学生を対象にした研究のように、これまで調べようがなかったデジタルメディアが与えるこどもたちへの(大人になるまで、あるいはなってからの)長期的な影響といったテーマの研究が、飛躍的に進展する可能性があります。

そうなってくると、それまで「よかれと思った措置が意図せずにネガティブな結果になる可能性が」(Schlecht, 2018)これからいくつもでてくるのかもしれません。

一方で、現在の時点で「デジタル世代」の子をもつ親として、最善の策をとりたいとすれば、これからは、なににとりわけ留意することが必要なのでしょう。

これまでみてきたことを総合して考えると、例えば、使い方のルールを決めるだけで安心しないのはもちろん、ルールを作るという行為自体にも、クリティカルなまなざしを向けてみること。もっと基本的なところでは、こどもたちのデジタルメディアとの接し方について、それぞれのこどもの関心や個性や能力、環境、生活のリズムにあわせて柔軟に考えていくこと。そんなことになるのでしょうか。

こどものデジタル機器やメディアの扱い方というテーマにおいては、なにより、「子ども」が主役で子どもの問題と思いがちですが、このテーマについてみていけばみていくほど、実は、それをどうまかせるか、という親にゆだねられる部分が大きく、影の主役は大人(親)たちなのかもしれない、という気がしてきます。

参考サイト

・スイスでこどものメディア利用について講習会やワークショップ、リーフレットを発行している組織
Action innocence
eltern bildung.ch
Mediencoaching für Eltern
Pro Jugentute, Medienprofis
Swisscom, Bildungsagebote: Kurse, Materialien, Internet und Services
Schweizerische Kriminalprävention
zischtig.ch

Drew P. Cingel and Eszter Hargittai. The relationship between childhood rules about technology use and later-life academic achievement among young adults. The Communication Review. May 15, 2018. (ただし私が、参考にしたのはこの論文そのものではなく、研究者がチューリヒ大学のサイトで発表した論文の要旨や研究者へのインタビュー記事など)

Fassbind, Tina, «Kinder surfen mit Sprachbefehlen durchs Netz». In: Tagesanzeiger, 8.6.2018

Genner, S., Suter, L., Waller, G., Schoch, P., Willemse, I. & Süss, D. (2017). MIKE - Medien, Interak-tion, Kinder, Eltern: Ergebnisbericht zur MIKE-Studie 2017. Zürich: Zürcher Hochschule für Angewandte Wissenschaften. (2018年6月11日閲覧)

Häuptli, Lukas, Sex-Filme im Klassen-Chat. In: NZZ am Sonntag, 8.1.2017, 12:08 Uhr

Jugend und Medien. Nationale Plattform zur Förderung von Medienkompetenzen

Kündig, Camille, Schlechtere Noten wegen Handyregeln: «Wenn Papa Snapchat verbietet, trötzeln die Kinder». In: Watson.ch, 6.06.18, 08:12 06.06.18, 16:57

Scharrer, Matthias, Die Lehrkräfte haben noch Nachholbedarf. In: Der Landbote, 13.6.2018, S.23.

Oller, Katrin,Medien und Informatik: Für das neue Schulfach fehlen die Lehrer, Lehrplan 21. In: az Limmattaler Zeitung, Zuletzt aktualisiert am 6.2.2018 um 10:16 Uhr

Regeln beim Medienkonsum können Schulleistungen schwächen, Universität Zürich, Medienmitteilung vom 05.06.2018

Regeln für den Medienkonsum von Teenagern: auf die Begründung kommt es an, Kultur Kompakt, SRF, 6.6.2018.

Rules about Technology Use Can Undermine Academic Achievement, Media, News, University of Zurich, News release, 5 June 2018.

Schlecht in der Schule wegen Handy-Verbot. In: 20 Minuten, 05. Juni 2018 13:18; Akt: 05.06.2018 13:18

Schweizerische Eidgenossenschaft, Jugend und Medien. Zufünftige Ausgestaltung des Kinder- und Jugendmedienschutzes der Schweiz, 13. Mai 2015.

Schweizerische Kriminalprävention, Broschüren + Faltblätter

Umgang mit sozialen Medien - Hoher Medienkonsum macht Jugendliche nicht zwangsläufig dumm, SRF, Kultur, 6.6.2018, 16:56 Uhr (Sendung: Kultur kompakt, 6.6.2018, 11.29 Uhr)

Zahn, Joachim, Internet-Sicherheit: Welche Themen sind zu beachten?, zischtig.ch, 22 Jun, 2016

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


こどもにとって理想的なデジタル機器やメディアの使い方とは(1)  〜スイスのこどもたちのデジタル環境・トラブル・学校の役割

2018-06-26 [EntryURL]

こどもたちは、デジタル機器やメディアとどのように、またどれくらいの時間、接するのが理想的なのか。これは、現在世界中で「デジタルネイティブ」最年少世代を相手に子育てしている親たちが、共通して頭を悩ましている問題ではないかと思います。

今回と次回の記事で、現代の子育ての最大の難問のひとつといえる(!)このテーマについて、スイスの最新事情をふまえて、せまってみたいと思います。

とはいえ、ほかの国同様、スイスでも、それに対する明快な答えをもっているわけではありません。常に変化するデジタル機器やメディアの中身や、教育や心理学、脳科学、メディア分野の研究などからの新しい知見をふまえて、一般的なガイドライン(利用の指針)も移り変ってきているというのが現状です。そのように変化している現状を含め、学校、親、専門家それぞれの立場でこの問題がどう捉えられ、また将来どのようなことが重要になるのかに注目しながら、今のスイスのこどもたちのデジタル機器とメディアをめぐる状況を一望してみたいと思います。

今回はまず、現在のスイスでのこどもたちのデジタル機器やメディアの使用状況やそこでのトラブル、また教育現場(学校)でのこの問題への扱いについて概観してみます。次回は、これらをふまえながら、冒頭の質問、デジタル機器やメディアのどのような使い方が望ましいのか、という問いの答えを、最新の研究結果も参考にしながら、さらに追求していきたいとおもいます。

スイスのこどもたちのデジタル機器やメディアの利用状況

ここ数年の間に、スイスでもこどもをめぐるデジタルメディアの状況は大きく変化しました。利用頻度や時間、用途(メディアの内容)が変化しているだけでなく、利用者の年齢層にも大きな変化がみられます。

2010年から2014年の間で12歳から19歳までの年齢の携帯電話の利用率は16%から87%に急増しました。2014年の調査では、98%が携帯電話をもっており、そのうち97%がスマートフォンを所有しています。インターネットを日常的に使用する人の割合は全体の95%を占め、毎日の利用時間はおおよそ2時間とされます(週末や休暇中は3時間)。利用コンテンツとしてもっとも多いのがソーシャルネットワーク(SNS)で、若年層の89%は、少なくともひとつのSNSに登録しています (Schweizerische Eidgenossenschaft,2015, S.18)。

2017年の調査では、スイスの15歳から24歳の年齢層の98%が、SNSのひとつであるWhatsAppを利用しており、圧倒的な人気を占めています。ただし、2018年にWhatsAppは最低年齢を13歳から16歳に引き上げたことから、今後、利用状況や年齢層の分布が若干変わるかもしれません。ちなみにフェイスブックの利用者は2017年の時点で6割を切り、毎日利用する人は4割未満です。

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2017年スイスの15歳から24歳のデジタルメディアの使用状況
出典: digiMONITOR - Studie zur Mediennutzung in der Schweiz
(赤が毎日使う人の割合で、薄い赤が週に一度くらい利用する人の割合。)



一方、2017年の6歳から13歳のこども1000人以上と600人以上の親をを対象にした調査(Genner, 2017)では、6歳から9歳の4人に一人が携帯電話を所持しています。10歳から11歳においては3人に二人、12歳から13歳は5人に4人の割合です。その使われ方をみると、小さいこどもたちは、エンターテイメントに利用することが多く、年齢が高くなってくると、それでコミュニケーション・ツールとしての機能が重要になっていきます。10歳から11歳の間が大きなターニングポイントのようで、利用頻度や時間がその前後で大きく変化(その後急増)しています。

こどもたちたちの間に生じる危険やトラブルの種類

こどものデジタルメディア環境や利用状況が大きく変わり、デジタル機器やメディアへの依存が高まってくるにつれ、残念ながらそこでのトラブルの数や種類も増えてきました。

こどもたちにとって、分別ある判断や、自分の行動を制御することは、大人以上に難しいため、ただでさえ問題に巻き込まれやすいものですが(それゆえ、未成年者をターゲットにした犯罪も横行しているわけですが)、年々、デジタルメディアやツールを使いはじめる年齢が低年齢化し、使う頻度や依存度が全般に高くなっていることで、問題の種類や被害者・加害者となる年齢が、数年前まで想定されなかった範囲にまで広がってきています。また、一旦問題が起きても、適切な情報や相談相手にアクセスできずに状況が悪化したり、精神的に強い打撃を受けたり、意図せず犯罪に加担してしまう事例も増えています。

現在、スイスのこどもたちの間で、デジタルメディアを利用することで頻繁に起きているトラブルとしてまとめられているものは以下のようなものです(Zahn, 2016)。

1。意図せず料金が発生する
2。画像やテキストが悪用される、転送・拡散される
3。チャット(ネット上の対話)で、誤解が生じ、結果として大きな衝突がおこり、何人かが激しく罵倒される
4。こどもたちが突然見知らぬ人物に「チャットされる(ネット上で話しかけられる)」
5。こどもたちが見知らぬ人物と関わりをもつようになり、見知らぬ人物が突然なにかを要求されて、恐ろしい時間や数日間をすごすことになる
6。チャットやソーシャルメディアサービスが(友人によって)ハッキングされる
7。パソコンやスマートフォンにウィルスをインスタールしてしまう
8。「冗談」(自称「冗談」でもひとを傷つけたり不快にするような内容をここでは指すものと思われます。 筆者註)や脅し、ポルノの拡散などのあとの法律的な問題
9。フィッシング(ネット上の詐欺)
10。利用者データの流出

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こどもたちのための学校での授業という取り組み

こどもたちが、デジタルメディアのトラブルに巻き込まれないようにするためには、どこでなにをするのが有効でしょうか。

まず、多くの人が最初に思いつくのが、こどもたちが毎日通う学校での対応でしょう。事実、スイス社会でも学校に一定の期待が寄せられています。なんでも学校に任せるのは、(聞こえはいいが、実際はほとんど丸投げに近く)無責任な親の法外な要求だとする批判もたびたびありますが、その一方、どんな家庭環境に育っているかに関係なく、すべてのこどもたちがトラブルに巻き込まれないようにしていくためには、学校で全面的に指導することがのぞましい、という考え方もまた強いためです。

ただし、これまでは、スイスで一律の必須科目になっていなかったため、メディアの利用の仕方についてテーマとしてとりあげられるケースがあっても特別授業枠であり、その内容は地域や学校、教師の判断や対処に大きく委ねられており、学校やクラスによって、大きな質と量の差がありました。必須科目でないため、内容をこどもが習得しているかが細かく問われることもありませんでした。

しかし、今年8月から、メディア機器の使い方についてのノウハウや知識の授受が、大きく進展すると期待されています。夏休み以後の新年度から、ドイツ語圏の21州で導入される予定の「 学習計画21(Lernplan21)」(これまで州によって異なった学校の授業や制度を統合し、新たに体系的にまとめたもので、内容的には日本の学習指導要領に近い)で、「情報・メディア」という授業科目が新しく加わるためです。(この授業科目の導入の背景や、教師の養成については「教師は情報授業の生命線 〜 良質の教師を大量に養成するというスイスの焦眉の課題」)。

学習計画21の実際の導入年度や時間配分は、州や学校によって若干異なりますが、例えば、チューリヒ州では小学校5年から、一週間に1から2時間(コマ)の授業が行われる予定です。また、算数や言語など別の科目のなかでも同様のテーマを取り込むなど、ほかの授業と統合した形で情報やメディアリテラシーについて学習される予定です。

授業がどのようにすすめられていくのかは、実際に実施されていかないとよくはわかりませんが、先日完成した、この新しい科目向けの小学校5年生向けの教科書(紙媒体)「コネクテッド Connected」の構成を聞くと、大まかな内容をうかがい知ることができます。

教科書を発行した出版会社の説明によると、この教科書では、主に、テクノロジー(どう機能しているのか)、社会文化(どう使うのか)、利用(どう利用するか)という、三つの観点から情報テクノロジーやメディアについて扱っています。全般に、実践的な内容や詳細にこだわるのではなく、情報のテクノロジーの基本的なコンセプトを理解することに主意が置かれており、急速にテクノロジーが変化する現代でも向こう10年間有効でいられるような内容になっています。この小学5年生用教材を皮切りに、2021年までに6年から中学3年までの残りの教科書も完成させ、これとは別に教師用のデジタル版の教本が3ヶ月ごとに更新され、配布される予定です。

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家庭での親の役割

一方、学校でデジタル機器やメディアについて教えるのとは別に、こどもたちが主にデジタル機器やメディアを使う場所である、家庭でも、親がこどものデジタルメディアの利用について注意し、子どもたちが危険にまきこまれないようにすべきという意見が強くあります。学校側も、直接・間接的に、機会があるごとにそのことを親にアピールしています。

とくに、近年、小学校低学年ごろから、日常的にタブレットやスマートフォンに触れるこどもたちの数が増えてきたことを背景に、数年前までは中学生ごろで十分と考えられていた自分の身をまもるための知識や技術を、すでに小学校低学年、あるいは就学以前から、ある程度身につけることを望ましいとする意見が専門家の間で強まっており、正式に情報・メディアの授業がはじまる小学5年生以前のこどもに対する家庭の役割への期待が、相対的に高まっているように思われます。

しかし、親としては、ことはそれほど簡単ではないようです。そもそも、現在のこどもたちのデジタルメディア環境について、十分に把握している親は意外に多くありません。

親は、自分がこどもたちがすごす時間にデジタル機器を使わない傾向が強く(例えば、屋外でスポーツなどのアクティビティをしたり、家庭にいてもボードゲームなどデジタルツールでないものを使っていっしょにあそぶなど)、換言すれば、こどもたちがデジタル機器やメディアを利用するのは、親がこどもに時間がとることができない、あるいはとらない時である場合が多いように思われます。

そうであると、こどものデジタルツールやメディアの使い方を把握するには、別個に時間をつくらなくてはいけません。しかし、そのような時間がとれなかったり、あえて時間をとるほど、こどものデジタルメディアに関心がもてない親も少なくありません。また、こどもの状況をしっかり把握しようとしても、ネット上にはゲームのアプリケーションもメディアのコンテンツも無数にある現状において、好奇心が強いこどもたちが使うものや内容も日々変化する可能性も高く、こどもが利用するものを常にアップデートして把握するのは、親にとっても楽なことではありません。

また、そもそも親自身が、スマートフォンを四六時中利用したり、メディアコンテンツを長時間利用している場合もあり、こどもの利用を規制しようとしても、(こどものよい手本にはなりえず)説得力に欠けていたり、逆にこどもがデジタル機器を利用していてくれたほうが、自分がこどもの世話をする負担が減るので、それを容認したいという気持ちを内心もっている親もいるでしょう。

このような、時間や関心が不足したり、矛盾する心境を抱えている親たちでも、こどもたちの家庭でのデジタルメディア環境をつくるサポートができるよう、親を対象にした、講習会やワークショップが近年、スイス各地で増えてきました。

次回につづく

次回では、そのような親を対象にした講習会などで提案されているガイドラインや最新の研究結果をみていきながら、こどものデジタル機器やメディアの使い方において、さらに掘り下げて考えていきたいと思います。
※記事に関連するサイトは次回の記事の最後尾の「参考サイト」の項ででまとめて提示します。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


観光ビジネスと住民の生活 〜アムステルダムではじまった「バランスのとれた都市」への挑戦

2018-06-20 [EntryURL]

人気急上昇中の都市観光

近年、観光(旅行)者の数が世界的に急増していますが、なかでも急伸長しているのが都市観光です。都市観光とは、その名の通り、自然環境や周遊ではなく、観光先を都市にしぼった旅行のことで、World Trabe Trends Report によれば、2016年の都市観光者数は、2007年に比べ、60%も増加しています(Helmes, Trend, 2016)。

「海外旅行」と聞いて都市や地域をまわる周遊旅行を思い浮かべる方が多いかと思いますが、IPK World Travel Monitorの統計では、2016年世界全体でされた海外旅行のうちの26%が都市観光でした。これは、ビーチでの休暇(28%)の次に多い旅行の形態で、周遊旅行(19%)よりも高い割合を占めています(Hermes, Reiseziele, 2017)。

空前の都市観光ブームの帰結として、いくつかの人気の高い都市では、様々な問題がでてきました。その対処法として、ヨーロッパでは、訪問客数の制限から、観光地に似せたテーマパークを別の場所に設置するという奇抜な構想まで、各地でいろいろな検討がなされています(「世界屈指の観光地の悩み 〜 町のテーマパーク化とそれを防ぐテーマパーク計画」)。

今回は、そのような都市のひとつで、近年思い切った改革に踏み出したオランダのアムステルダムをとりあげ、そこでの具体的な対策案や長期的な構想を鑑みながら、世界的な観光ブームが地域社会にもたらす影響と可能性について、若干考察してみようと思います。

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観光客問題に直面す都市の代表格であるローマの光景


アムステルダムのマスツーリズムの現状

人口80万人のアムステルダムでは、観光客数が2005年には1100万でしたが、今年2018年には、1800万人にまで増える見込みであり、2025年には2500万人まで増加するとまでいわれています。このような観光客の急増で、アムステルダムで実際に起こっている問題、また今後一層深刻な問題になると予測されるものを整理すると、以下のようなことがあげられます。

●公共施設やインフラなどの公共財全般が、利用過多のため機能不全、あるいは質が著しく低下する。騒音やごみの破棄など環境や公害問題も増加
●交通量が過剰となり、市内のいたるところで渋滞が発生する。公共交通機関も混雑化
●市内のホテルや民泊の需要が増え、その結果市内の家賃が全般に上昇し、住民が住める住居が減る
●街の中心部が、観光関連のサービスや産業で占められ、代わりに、都市の生活者に必要な商店や飲食・レジャー分野のサービスが相対的に減る
●一般の住民が住めない、あるいは住みたがらない傾向が強まり、それらと連鎖して、地縁の希薄化、コミュニティーの衰退化がおこる
端的な数字をみると、
●都市中心部の観光客向け店舗が280店舗まで増加
●2005年から2016年までの11年間でホテルの部屋数が6割増加
●市内のアパートの2017年の平均価格は40万7000ユーロで、前年比で12%の上昇

という状況で、街の一般住民の生活は、急成長する観光産業によって多様な側面で圧迫されて、不便や変化を余儀なくされていることがわかります。

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「バランスのとれた都市」プロジェクト 〜マスツーリズムに対する市の具体的な対策

このような状況がせまってきて、このまま観光産業を野放しにしておくわけにはいかない、という危機感を抱くようになった市は、住民生活を配慮・優先する都市観光に舵を取りはじめます。

とはいえ、観光をコントロールすることに成功した前例も世界でまだなく、なににどう対処すればいいのか、最初は手探り状態でした。そこでアムステルダムが着手したのが、「バランスのとれた都市 City in Balance」というプロジェクトです。2015年から17年にかけて、都市の各地で小規模な様々な「実験」(規模を制限したプロジェクトの実施)を行い、その中身を検証するというものでした。

訪問客を集中ではなく拡散させ、問題を緩和するための、さまざまなレベルのプロジェクトが、住民やビジネス関係者、文化施設、都市の地区や学校など様々な人たちによって行われ、そこで試された内容の68%は現在も引き続き行われています。また、そこから学んだことを活かし、昨年以降、条例や計画が打ち出されるようになりました。具体的な条例や計画をいくつかご紹介してみます。

●観光バスとクルージング船の規制
観光客用のバスの旧市街への立ち入りおよび走行を禁止
大型客船が街の中心部の港に入港できないようにするため、大型客船が入港できる港を都市のはじに設置する計画。

●宿泊に関して
市内の大部分の地域でホテルの新設を禁止
Airbnb などを通した民泊を、2019年から年間上限30日とする(現在は60日)。

●祭りやイベント
これまで市内の中心に集中していた祭りやイベントを削減、拡散する

●観光客税
市内で観光客が宿泊した場合、朝食も含めた全宿泊料金の6%に当たる額を観光客税として支払う。(周辺地域に宿泊した場合は4%。税率を変えるて、市内に宿泊が集中するのを避ける試み)。今年5月の時点では、さらに7%に引きあげる案も検討中。

●商店
観光客に特化した小売や飲食チェーンの店舗(自転車レンタルショップも含む)の新設を旧市街で禁止
このように多岐にわたる観光規制構想に着手しはじめたアムステルダム市ですが、これでことがおさまる、と楽観視している人はいないといいます。「バランスのとれた都市」プロジェクトの担当者自身Eric van der Kooij も、「不完全で、相反する、あるいは常に変化している需要があり、それらはまた把握するのが難しいため、解決することは不可能なほど困難を極める」と率直にみとめています(von der Kooij, p.19)。

それでも、アムステルダムでは、観光業の拡張するにまかせる時代に回帰することはなく、規制や都市計画などによって、都市観光をできるだけコントロールすることを少なくとも当面は、市の重要な課題としていく模様です。

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観光都市の理想的な街並みとは

一方、どんな行政規制も諸刃の剣です。行政が規制・禁止という直接的な措置に踏み込むことで、別の弊害が起きたり、期待した効果があらわれないということはよくあります。今回のアムステルダムの件はこれからどのようなことになるのでしょうか。観光客向けの商店の新設の禁止を例に、もう少し具体的に考えみましょう。

市では、観光客向けの店舗の新設を禁止することで、「カフェやレストランが都市中心分から消失するのを防ぎ、多様なユニークでハイクオリティーの商店が引き続き街中にとどまることができるよう」 (City of Amsterdam, Policy)にするとしています。そして「アムステルダムの住人も観光客も独自の味をもつユニークでブティック風のショップをむしろ好むことがわかった」という市の調査をその根拠としてあげています。

一見、文句をつけようがない地域振興計画の模範的な正論に聞こえますが、その一方で疑問も湧いてきます。現在、世界中どこでも全般に小売は厳しい状況にあります。オンラインショップやディスカウントショップとの熾烈な競合関係にあるためです。市の中心部も例外ではありません。

観光客向けの店舗を規制したあと、かわりに住民の需要を満たしかつ採算にあう商店をどう展開することができるのでしょうか。採算のあう商店として成り立たせることが簡単ではなかったから、現に、市内では次第に観光客向けの店に場所を明け渡してきたその場所に、です。

規制を進めるだけでなく、これまで以上に柔軟で新しい発想が必要になってくるでしょう。観光客向けの店舗が進出してくる以前にあったような店舗展開を想定するのではなく、クロス・チャンネル商法を駆使した小売店舗(「デジタル化により都市空間はどう変化する? 〜バーチャルと現実が錯綜する「スマートシティ」の未来」)もひとつの可能性かもしれません。

体験型を重視する観光客の受け皿

また、一見パラドクスにもみえますが、観光客は、市内の店舗や公共空間を活性化する鍵でもあるのかもしれません。

ここでいう観光客といっても、すべての観光客をさすのではなく、新しいタイプの観光客です。彼らは、マスツーリズムをきらい、民泊を重視しながら、地元の体験を重視するタイプの旅行、つまり、新しい旅行スタイルを好む人たちです。

マスツーリズムを嫌い、地元の人々の生活のなかになるべく入りこみ、体験をしてみたいという好奇心が強い旅行スタイルは、現在世界的にみられ、ひとつの旅行トレンドになっています。この人たちにとっては、街並みや美術館だけでなく住民の生活をも含めた都市全般が観光の対象です。なるべくほかの多くの観光客を避け、その人たちが立ち寄らない穴場を求めて探索する人も少なくありません。

民泊ビジネスの急伸長の一因は、このような新しいトレンド(既存のホテルと観光名所の往復だけではえらえない旅行体験をしたいという)に後押しされたものと推測されます(「民泊ブームがもたらす新しい旅行スタイル? 〜スイスのエアビーアンドビーの展開を例に」)。

このような観光客は、都市のそこここに拡散して移動、居住するため、自分たちが観光地に多大なインパクトを与えているという自覚をあまりもっていません。しかしベルリンやアムステルダムのような都市で年間100万人規模で民泊する旅行者は、トータルすると、「マスツーリズム」同様に、まぎれもなく都市生活に影響を与えていると考えられます。市内で民泊のオファーが増えれば居住用の住居が減り、家賃全般が高騰します。その結果、住民は市外においたてられ、住民が減った市内には生活用品を売る小売店舗も地域コミュニティが消えていきます。つまり、市内の居住者に必要なインフラやアメニティーの質が、下がっていくことになります。

このように、大規模に都市に流入する観光客たちが、住民たちの生活を圧迫したり締め出すという見方がある一方、別の文脈からみると、同じ観光客たちは、都市の再活性化につながる駆動力になるという見方もできます。

地元の生活に触れたい観光客たちは、地元の人たちがいるような場所を求めて街の奥まで入っていき、住民たちの生活圏と観光ゾーンとの境はこれまで以上になくなってきます。そのような観光客の要望をとりいれて、案内情報や交通網などにも工夫しながら、うまく誘導し、広域に引き入れるようにできれば、マスの観光客のもたらす弊害が減るのと同時に、地域の経済や文化活動の活性化の効果など、住民にとって恩恵となる部分が多くなるでしょう。

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住民側にとって利益となる交流や学習

ヨーロッパのほかの地域では、観光客が多いことを逆手にとり、住民の生活を豊かにする文化的な資源として活用できないか、と積極的に模索する自治体もでてきました。

例えば、ユネスコ世界遺産に登録されているドイツの小都市レーゲンスブルクRegenbrug では、世界からやってくる観光客とコンタクトをとりたい住民に、あらかじめ観光局に登録してもらい、それを自治体の観光局が仲介しています。これは、従来の観光業とは一線を画す無償の人的交流であり、お互いに得難い体験をしてもらうことを目的としており、おとずれる観光客だけでなく、地域住民がこれを機会に文化交流や地域理解の機会として活用すること積極的に支持しているものと捉えられます。ほかにも、いくつかの都市で同様の活動がはじまっています。

このような観光客と地元住民の交流プログラムは、まだ小規模なものですが(あるいは小規模であることに意義があるのかもしれませんが)、このような観光客との交流が、住民にポジティブに認知されるようになれば、自分の都市ならではの文化的な資源として享受する人がでてくるだけでなく、住民たちの間に、おのずと観光への関心や理解が深まり、地域の観光の将来を考える際、開発と生活という二項対立的な考え方ではなく、折り合いを求める協調・協力的な見方に向きやすくなる、という利点があるかもしれません。

ベルンなど、スイスのいくつかの観光地では、学校教育の場に、地域の観光の歴史や観光業について学ぶプログラムを導入するケースもでてきました。まだ正式な学校のプログラムに組み込まれたものはなく、期間が限定されたプロジェクトにすぎませんが、その概要をみると、自分の街の観光の役割や意味、課題について学んだり、実際に見学や体験することに力を入れた体系的なプログラムが用意されていることがわかります。
地域の観光について公平な見地から多角的に学ぶ機会は、将来、観光関連に就業するかしないかとは関係なく、都市観光が一般の住民たちの生活にも影響を与えるようになった現代のような時代には、これまで以上に大きな価値があるでしょう。

おわりに

都市観光の規模が小規模の時にはほとんど住民生活に影響がなく、観光客と住民の住み分けが摩擦なく成立していましたが、大規模になってくると、多様な部分に、住民との生活に接点や摩擦がでてきます。

このため、アムステルダムでは、観光を再考し、住民優先の観光に舵をとりなおしましたが、都市における「観光」の意味を改めて考え直さなくてはならなくなる、このような機会は、見方を少しかえれば、観光をどう地域生活や経済活動に活用できるかを検討するよい機会である、と捉えることもできるかもしれません。

もちろん観光客の大量流入によって圧迫される部分は「問題」となり、規制の対象になることが多いでしょう。一方、観光という新たな窓口を通じ、世界に視点が広がったり、その交流から、あらたな文化や経済の発展につながる可能性もあります。観光という視点から自分の街を改めて観察することによってはじめて、みえてくる自分の街の価値もあるかもしれません。

アムステルダムの都市観光と住民生活の「バランスのとれた都市」への挑戦ははじまったばかりですが、今後の世界中で同じようにマスツーリズムの問題を抱える都市にとっても示唆に富む成果がでてくれることを期待したいと思います。

参考サイト

Amsterdam will Tourismus einschränken. In: Tagesanzeiger, 17.05.2018, 23:10 Uhr

Bern Tourismus. Tourismus macht Schule.(2018年6月12日閲覧)

Boztas, Senay, Amsterdam bans new tourist shops to combat ‘Disneyfication’ of city. In: Telegraph, 5 October 2017 • 6:53pm

City of Amsterdam, Policy: City in Balance (2018年5月30日閲覧)

Corder, Mike, Touristenansturm Einige Bewohner Amsterdams sehen nur die Flucht als Ausweg. In> Welt.de, 12.12.2017 | Lesedauer: 4 Minuten

Eric van der Kooij, City in Balance, Gemeente Amsterdam, 26 mei 2016.

Atelier Urbain Urbaniste et directeur de la direction de l’équilibre
Helmes, Irene,Reiseziele An den Grenzen der Gastfreundschaft. In: Süddeutsche Zeitung, 6. Juli 2017, 05:25 Uhr

Helmes, Irene, Trend Städtereise und die Folgen Ersticken Touristen die schönsten Städte? In: Süddeutsche Zeitung, 17. März 2016, 10:03 Uhr

Integration der Einheimischen in die Entwicklung des Tourismus. Trends in Kürze. In Wallsier Tourismus Observatorium, 11.12.2017.

Kamp, Chrstina, Begegnungen auf Reisen. In: Tourism Watch, Juni 2013(2018年6月12日閲覧)

Kirchner, Thomas, Städtereise Amsterdam schließt Touristenläden. In: Süddeutsche Zeitung, 30. Januar 2018, 16:25 Uhr

Kirchner, Thomas, Tourismus Operation Nutella. In: Süddeutsche Zeitung, 6. Oktober 2017, 19:50 Uhr

Luebke, Anna, EXCESSIVE TOURISM BECOMES A CONCERN FOR THE TOURISM SECTOR. In: Tourism Review News, Mar 12, 2018

Mehr Tourismus in der Schule. In: 1815.ch, 28. November 2017, 18:16

Moor, Richard, OVERTOURISM PROTESTS SPREADING AROUND EUROPE. Toursm Review News, Aug 28, 2017

OECD Tourism Trends and Policies 2018 (Summary in Japanese) / OECD諸国の観光業 トレンドと政策2018年版、日本語要約

„Regensburger trifft Gast” - Begegnungen auf Reisen, Tourismus Regensburg(2018年6月12日閲覧)

Reisen mit Einheimischen Bloß kein Tourist sein. In: Spielgel Online, Sonntag, 25.01.2015 07:30 Uhr

Rodriguez, Cecilia, 多すぎる観光客に悩むアムステルダム、大麻や性産業を一部規制か, Forbes Japan, 2018年5月21日

Whitehead, Joanna, Amsterdam to hike tourist tax and clamp down on beer bikes and Airbnb. In: Independent, Thursday 17 May 2018 10:14

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


株式会社オーガニックスタイルズ 代表取締役 市川恵美子 氏

2018-06-19 [EntryURL]

ichikawa2.jpgナチュラル/オーガニック化粧品愛用30年。
25年以上国内外自然化粧品業界で、17年間経営者の一員として活動。

手掛けた代表的なブランドは、ジュリーク(オーストラリア)、ヴェレダ(スイス)、ラヴェーラ(ドイツ)、ナチュラグラッセ(日本)、など。

現在は、日本のオーガニックコスメブランドtokotowa organicsを運営し、化粧品開発や販売のコンサルティング、カラーやアロマの講座運営、を行う。


経歴

株式会社ヴェレダ・ジャパン 代表取締役就任(2005年~2014年)
株式会社ネイチャーズウェイ 取締役就任(2001年~2014年)
株式会社バイオラブ 代表取締役就任(2006年~2010年)
株式会社オーガニックスタイルズ 代表取締役就任(2015年~ )
日本カラーアロマ協会代表理事(2016年~ )

資格

英国ITEC認定アロマセラピスト
米国Conscious Colors認定カラーアロマセラピスト
AFT1級カラーコーディネーター ※カラーコーディネーターとして2004年に文部科学大臣賞受賞
ICD国際カラーデザイン協会認定パーソナルカラーアナリスト


2018年06月30日号 化粧品を作ったり、輸入したりするには!?
2018年07月30日号 自分の化粧品を作るには!?
2018年08月30日号 化粧品の販売について

伝統と街祭りをたばねた住民参加型の卒業祭 〜ヴィンタートゥアのフラックヴォッヘ

2018-06-13 [EntryURL]

初夏と言えば、ヨーロッパでは卒業シーズンですが、スイスでは、大学卒業という学生たちのクライマックスが、ユニークな伝統となって街のイベントとして親しまれている例があります。ヴィンタートゥアWinterthur市の中心部にあるチューリヒ応用科学大学(ZHAW)で開催される「フラックヴォッヘFrackwoche(テールコート・ウィーク)」と呼ばれる行事です。
今回は、この伝統行事をとりあげ、普段はあまり考えをめぐらすことがない、しかし世界のどこの地域社会でも共通するテーマ、〜伝統行事の今日の意味や意義、ローカルな祭やイベントの在り方・可能性、大学と周辺地域の関係、大学などの研究機関の地域における役割や貢献といったテーマ〜 について、少し考えをめぐらしてみたいと思います。
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歴史的な発達と現在の形
まず、この「フラックヴォッヘ」という行事について簡単にご紹介します(「フラックヴォッヘ」は、正確には一連の行事の一部ですが、中心的な行事であるという理由で行事全体を指す言葉としても使われます。今回も一連の行事全般を指す言葉として使っていきます)。
もともと、この行事は、今のチューリヒ応用科学大学の前身である「テヒクニクムTechnikum」ではじまりました。「テヒクニクム」とは、19世紀後半以降スイスの産業化を支える実践的な知識やノウハウを専門的に学ぶ場として、総合大学とは別にスイス各地に設置されてきた、工学・技術分野の高等教育機関です。スイス国内で、産業化がはやくから進み、スイス有数の工業地帯として発展してきたヴィンタートゥアでは、機械、化学、建設などの工学や技術の専門分野としてテヒニクムが1874年に設置されました。テヒニクムとしてはスイスで最も古いものです。
フラックヴォッヘのはじまりは、1925年にさがのぼります。現在、応用科学大学へ入学する人は、職業経験や資格をもつ18歳以上の成人ですが、当時のテヒクニクムに入学したのは、中学を卒業したばかりのこどもたち(当時はほとんどすべてが男子学生)でした。つまり学生たちが卒業するころは、ちょうど19歳前後となり、成人の祝いと重ったため、卒業する生徒たちは、成人の祝いも兼ねて、髭をはやして、燕尾服(ドイツ語で「フラック」)を着て、街をねり歩きました。それが、卒業を祝う伝統行事として、代々受け継がれるようになっていきました。
第二次世界大戦中は中止されましたが1950年からまた復活し、その後も、ヨーロッパの大学制度の統一により日程が変更されたり、学校自体が応用科学大学の一部に統合されるなど変化もありましたが(現在は26学科1万3000人の学生を抱えるチューリヒ応用科学大学の工学系学科として統合されています)、この慣行は以後も廃れず、しかもいくつかの新しい習慣を加えながら、代々卒業生たちに受け継がれて、今日にいたっています。
現在のフラックヴォッヘは、まず、3月末、男性生徒は、街のある噴水前で一斉に髭を剃り、その後100日間髭をそらないことを誓う誓約書に署名するところからはじまります。
2ヶ月後の卒業前の最後の春学期(年間2学期制で二学期にあたる)の最終週(5月末)に、たくわえた髭面で燕尾服、シルクハットにスティックというかっこうで(最近少しずつ増えている女子学生は、その男性の服装に時代的にマッチするようなビクトリア朝風のドレスを着用します)3日から4日間かけてキャンパス内で卒業祝いのイベントを行います。その際、服装だけでなく、大学正面口を大がかりな装置を作成して、特定の行為を行わないと中に入ることができないようにすることで、学生や教員に強制的に参加してもらう、という独特の恒例行事も並行して行われます(人工雪で前をかためてスキーで滑走させたり、池をつくって反対側の岸からボートをこいで到着させるなど、毎年演出は異なります)。
ここまでの行事は主に学生たちだけで行われるものですが、7月初旬の金曜日に、クライマックスを飾るイベントが街をあげて開催されます。まず、再び燕尾服で勢揃いした学生たちが、自分たちが独自に改造した(工学系の学生たちの腕のみせどころでもあります)車やトラクターなどの乗り物に乗り込み、街中を夕方パレードします。
次に、パレード同日の夕方から夜にかけて、大学構内では「テクノロジーの夜」と呼ばれる卒業生の研究成果の展示や最新技術に関するテーマの展示が行われます(これは応用科学大学に統合されてから追加された、新しい恒例行事です)。同じ敷地内では、それに平行してライブコンサートや学生たちの飲食店が軒を並べ、同時に子供向けの工学・物理・物理分野にまたがる様々な実験や工作コーナーが設けられ、文字通り夜遅くまで祭りがつづきます。
そして、祭りの後に髭をまた学生たちが一斉に剃り、100日にわたる「フラックヴォッヘFrackwoche」期間は幕を閉じます。
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伝統の歴史的な意味と今日の意義
ここからは、この一連のイベントの意義や可能性について考えていきたいと思います。まず、伝統行事の歴史的役割や今日の意義について考えてみます。
ここでの伝統とは、若い工学系学生たちが自発的にはじめた行為であり、多少乱暴な言い方をすれば、卒業や成人の祝いを理由にかこつけて、特別になにかを記念にしてみたい、残したいという卒業生の高揚心が、代々共感して受け継いできた慣行であり、その示威運動といえるでしょう。
つまり、ひとつひとつの行為に深いあるいは神聖な意味があるわけではなく、高い地位のある人や社会機関によって奨励・権威付けされたものでもありません。そういう意味で、伝統とはいっても、上から演出されたり、宗教性が強かったり、ほかの地域の模倣をして取り入れたものとは性格的に大きく異なり、ローカルな文脈から発祥したものだといえます。
なんらの権威づけも、外からの支援もないのに、一過性のものに終わらず、毎年入れ替わる学生たちの間で継承され、それが100年近くも続いているということは、逆に言えば、人々の間にそれに対する需要や受け皿が変わらずにあったのだ、と解釈できますが、需要や受け皿とはなんだったのでしょう。
第二次世界対戦後まもない時期に、ビールBielというほかの街のテヒニクムを卒業した方の話を聞いたことがあります。当時の学生たちはみんな貧しく、祝いの行事などは一切なく、同僚たちと家庭で卒業を祝っただけだったということでした。ヴィンタートゥアでも、フラックヴォッヘがはじまった戦前から戦争をはさんでしばらくの間の学生の経済状況は、多かれすくなかれ同じようなものだったのだと想像します。そうだとすれば、燕尾服でねりあるくという行為は、経済的な負担を最小限にして、ハレの気分は最大限に満喫できる、すぐれた演出手法だったといえるかもしれません。
また、現在においてもスイスでは大学へ進学するの割合がほかのOECD 諸国に比べかなり低いですが、かつては今の大学以上に、テヒニクムを卒業するということがめずらしいことであったため、卒業の際のほこらしい気持ちもひときわ強いものだったと想像されます。
これらを考慮すると、テヒニクム卒業という一世一代のハレの舞台に、コストをあまりかけずに人目をひきつけ、自分たちの高揚感や連帯感を満喫したいという需要が、この一風変わった伝統を生み出し、長続きさせることになったのだと思われます。
また、学生に高く支持されても、住民に支持されないような形であったのならば、このような町と一体になった拡大版卒業セレモニーのイベントは成立しない、しばらくあっても長くは存続しなかったのでしょうから、街全体をまきこむこの祭りが、在籍する学生に卒業というクライマックスの演出にふさわしいだけでなく、住民たちにとっても、好感がもてる行事として受け入れられてきたともいえます。確かに、現代の街に、時代劇のような古風な衣装の人が大勢街に忽然と現れ、奇妙な乗り物でパレードしたり、闊歩する姿は、何度みても華やかでスペクタクルで、真夏の金曜日の午後の街を、はなやがせるものに違いありません。
ちなみに現在、「地元に伝わる伝統」とされるもののなかには、観光収益をめあてに開催されてようにみえるものも少なからずありますが、フラックヴォッヘについては、これをわざわざ見学するために、海外からはおろか、ほかの国内地域からもわざわざ観光客が訪れるという話はまず聞いたことがありません。そもそも、スイスのなかでも、ほかの地域や大学ではほとんど知られていないというのが実情です。このため(少なくとも現在までは)、純粋に地元の学生や人が所望し、もりあげ、持続してきた伝統行事だといえます。
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複数のイベントとリンクし、毎年刷新されるイベント
フラックヴォッヘは、ユニークな伝統がある卒業イベントであるというだけでなく、それが、ほかの催しと一体になることで、街の一大イベント(夏祭り)の様相を帯びているという点でも、独特です。
パレードや、ライブ演奏、露店が並ぶ夏祭りや、科学の展示、ワークショップといったイベントは、それぞれ単独で開催されても十分楽しめる充実した内容であるといえるかもしれませんが、それが同じ空間で一斉に開催されることで、多種多様な人が行き交い集まり、活気のダイナミズムが生じている気がします。
とはいえ、毎年同様のイベントを開催すると、新鮮さがうすれ、集客もふるわなくなり、開催が困難になる場合もたびたびあります。フラックヴォッヘにももちろんそのような危険性はありますが、むしろそうなりにくい(祭りとしてすたれにくい)と思われる理由が二つあるように思われます。
ひとつは、トートロジー(同語反復)のように聞こえるかもしれませんが、毎年卒業を祝うというイベントの意義そのものです。とりたてて理由がなく開催される祭りは長続きしないかもしれませんが、大学の卒業を祝わないことは、今日まずないでしょう。つまり、少なくとも大学が存続し、卒業生を輩出する限りは、祝いの行事もまた存続することになるでしょう。
もうひとつは「テクノロジーの夜」という、応用科学大学になってから加えられた新たな催しです。毎年、展示場所やそのスケールこそ、ほぼ同じですが、そこで発表される卒業研究の内容は、毎年刷新、進歩、変化したものです。単に目新しいというのでなく、社会での実用化にとりわけ重きを置く応用科学大学ならではの最先端の応用科学やIT分野にまたがる質実剛健な内容であり、それが一般向けにわかりやすい形で展示され、訪問者は自分の目や手で確かめることができます。実際に手がけた学生や研究者たちがその場にいるので、直接話を聞いたり、質問することもできます。しかもこれらの展示やすべてのイベントは無料で観覧、参加できるようになっています。
このような機会が、専門家に限らず一般の人に与えられこと自体多くはありませんし、大学構内といっても、この日は、祭りのノリで、一般の人でも気軽に立ち寄りやすいのも魅力です。実際、例年展示会場は大勢の人でにぎわっており、それを楽しみにしている人が多いことがわかります。
大学が地域やその住民に還元するものや機会
訪問客や卒業生にとってだけでなく、大学側にとっても貴重で意義深いイベントです。大学は、街中にあるとはいえ、普段は一般住民とほとんど接点がありませんが、年に一度、大学で成された成果をこのように紹介することで、大学研究の役割や具体的な社会への貢献について一般住民が理解を深める機会となっているとも考えられるためです(ちなみにチューリヒ応用科学大学はチューリヒ州立大学のひとつです)。
なかでも、最近特に、家族づれに人気が高く、大学の地域への貢献として評価されているのが、こどものための実験および工作コーナーです。
近年スイスでも、こどもたちの理工学分野離れが危惧されており、こどもたちにいかに理工学分野への関心をもたせるかが、社会で大きな関心ごとになっています。とはいえ特別な特効薬があるわけでもありませんので、学校教育の現場や、図書館、科学博物館などが、それぞれの施設や機会を利用して、こどもたちを対象にした色々な企画をしています(学校や図書館での取り組みについては「小学生に適切な情報授業の内容とは? 〜20年以上続いてきた情報授業の失敗を繰り返さないために」、「デジタル・リテラシーと図書館 〜スイスの公立図書館最新事情」、女子生徒の理工学分野進出問題については「謎多き「ジェンダー・パラドクス」 〜女性の理工学分野進出と男女同権の複雑な関係」をご参照ください)。
チューリヒ応用科学大学でも、複合的な卒業祭の一環として、年に一度、化学、物理、電気工学といった様々な理工学分野の簡単な実験や工作の体験を無料でできるこどものためのコーナーを設けるようになり、こどもたちの理工系への関心を高めるのに一役買っています。昨年は電気や物理、化学分野の実験や工作ワークショップが計16種類用意され、こどもたちは、工作したものや実験結果を抱えこみながら、次々まわっていました。
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おわりに
世の中には、音楽フェスティバル、クリスマス市、フリーマーケットなど多種多様なものがありますが、どんな祭りやイベントでも根っこにとても大切な可視化できない価値があります。それは、そこに集う人々を楽しませること、あるいは人々が楽しむことです。利潤を求めて企画される祭りやイベントでも、集う人が、楽しめるようなものでなければ、長く続く恒例の行事にはなりませんから、それが根っこにあることは共通するといえるでしょう。
フラックヴォッヘは、大学卒業という人生でも特別な最高のハレの舞台を、祭りの題材の中心に置くことで祝祭的な雰囲気をつくりだし、それに参加することで、周辺地域の住民たちも、卒業生といっしょに、祭りをもりあげて楽しみます。この祭りを通して、大学や地域などへの帰属意識や愛着など、ゆるいローカルなアイデンティティーを感じさせる機会にもなっているのかもしれません。
今年も、フラックヴォッの市内パレードと「テクノロジーの夜」が7月6日午後4時から夜11時ごろまで開催されます。ちょうどそのころスイスに立ち寄られる機会がいつかありましたら、ヴィンタートゥアで、世界に類のない卒業祭りの夜を卒業生や住民たちと堪能してみてはいかがでしょうか。
<参考サイト>
フラックヴォッヘについて(英語)
「テクノロジーの夜」

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


慈善事業から自助の支援へ 〜ライファイゼンの協同組合構想とその未来の可能性

2018-06-04 [EntryURL]

今年はカール・マルクスの生誕200年の年(『共産党宣言』の出版から170年目でもあります)という節目の年とのことで、ドイツ語圏ではマルクスを特集する報道をよく目にします。
一方、マルクスに比べるとメディアでとりあげられることは非常に少なく、知名度も格段に低いですが、おなじ1818年生まれのドイツ人で、やはり人々の貧困問題の解決にむけて一生を捧げた人がいました。ライファイゼンFriedrich Wilhelm Raiffeisen(1818―1888)です。ライファイゼンは、自ら実践し経験を積みながら、現在の協同組合の礎をつくり発展させていきました。現在世界には、90万の協同組合があり、8億人以上の協同組合員がいるといわれており、ライファイゼンの構想は今日でも、色あせていない多くの示唆を含んでいるように思われます。
今回は、ライファイゼンの核となる協同組合構想がどのように変化・発展していったのかを概観し、後半は協同組合の現状や将来の発展の可能性について、展望してみたいと思います。
慈善事業として 〜初期の貧農の救済業務のアプローチ
ライファイゼンは、貧しい家庭の出身で、高等教育を受けることはできませんでしたが、25歳で、ヴェスターラントという小さな村の村長職を得たのをきっかけに、その後20年近く、いくつかの地方自治体で町村長として地域の問題に取り組みました。1840年代から1860年代半ばまでの町村長の期間中、ライファイゼンが取り組んだ分野は、学校の設立から道路整備、インフラ整備まで、非常に幅広い分野に及びますが、一貫して関わったのが貧農の救済業務でした。
例えば、1845年に赴任したヴァイヤーブッシュWeyerbuschでは、就任翌年の1846年に、全中央ヨーロッパは8月に積雪があるなど記録的な冷夏にみまわれ、冬にはひどい飢饉にみまわれたため、裕福な人々からの寄付や貸付で穀物類などを購入し、パン工房をつくり通常のパン屋の相場の半分ほどの値段で売る「パン協会Weyerbuscher Brodverein」を翌年設立しました。
1848年は、マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』をロンドンで出版され、ヨーロッパ各地では革命の嵐が吹き荒れた年ですが、ライファイゼンはそれらとは無関係に住人数3000人のさらに大きな自治体フラマースフェルトFlammersfeldの町長に就任し、貧農支援救済協会を設立しています。
1852年から町長に就任した9000人の住人の住むヘッデスドルフHeddesdorf (現在の Neuwied) では、産業化が進むなか貧富の差が拡大してきていることを目の当たりにし、福祉協会Heddesdorfer Wohltätigkeitsvereinを1854年に設立しました。
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貧農たちの貸付金庫 〜自助を支援するというアプローチ
このように、ライファイゼンは各地で協会を設立しながら農民の貧困を緩和するよう努める一方、これらの行動がその場の飢饉をしのぐことにはなっても、住民の困窮を根絶する長期的(持続的)な解決にはならないと、(とくに1860年代から)痛感するようになります (Bertsch, 2018)。
ではどうすればいいのか。たどりついたのが、「一人でできないことでも、多くの人が一緒ならできる」という発想から生まれた新たな人々の結社、つながりです。人々は会費を払って集まり「協会」をつくり、必要な人にそれを比較的安い金利で貸し付けたり(それまで、農民が金を借りるには非常に高い金利を払わなくてはならず、実質的には、借りずに極貧にとどまるか、借りて隷属的な地位に甘んじるかの選択肢しかありませんでした)、共同で効果な農具を買うことを可能にし、人々が自力で自分たちの生活向上できるようにするしくみをつくろうとしました。
これは、貧農への「支援」の発想そのものを変えたことになります。それまでは、「支援」といえば、もっぱら、寄付などを通じた慈善活動を指しましたが、それよりも、貧しい人々が自助できるように「支援」することに重きがおかれるようになったといえます。
ただし、このような「自助のための支援」も、それまでの慈善活動の時と同様に隣人愛の精神に基づいたものであり、キリスト教精神に背くものではないとします。「「まず自分で自分を助けなさい。そうすれば神もあなたを助ける」という格言があてはまる。「自助努力をしなければ、そのような人を協会も、神も助けることはできない」」(Reiffeisen, S。74)とし、自助のため農民それぞれが積極的に努力することを奨励します。
このような発想の転換をうけて、それまで10年間慈善協会として機能していた福祉協会は、1864年、貸付金庫協会に変更されます。自ら責任をもってお互いに結束し運営できるように、この金庫からお金を借りるためには会員にならなくてはならないようにし、会費を支払うかわりに、会員にはすべて共同発言(決定)権があたえられるようにしました。「最初は保険のモデルに近い」形でしたが、これが次第に、現代でいう「協同組合」の形に発展していくようになります(Bertsch, 2018)。1872年は、貸付金庫の中央銀行を置き、ほかの各地にもつくられるようになった貸付金庫協会がお互いに助け合い、経済的なリスクを減らすしくみもできました。
ちなみに、ライファイゼンは、住民の貧困化が深刻化している農村地域で必要とされる支援について、長い経験から、二つのものが考えられるとしています。それは「お金とそれを最大限有効に利用するための知識」です。必要なお金とは、協会からのみ支出可能だとします。そして、ここで提案する協会とは、条件なしの自助に基づくものとし、必要な知識は目的にあった授業(Reiffeisen, S.III)としています。つまり、農民たちにとっては、協会をとおして利用可能なお金を管理・運営するしくみ自体だけでなく、お金の合理的な使い方や運用の仕方なども学び、十分に理解することが重視だ、と捉えていたといえます。
急速に広がる協同組合の思想
ライファイゼンが1866年、これまで培ってきた共同体の基本原理と、それに関連するさまざまな経験についてまとめ『貸付金庫協会』という著作を出版すると、この本はすぐに、大きな反響をよび、外国語にも翻訳され、世界中におなじような組織ができる土台となっていきました。
ところで、ライファイゼンとは別の場所で、しかしライファイゼンとも交流しながら、同じような貸付金庫や協同組合の組織に貢献した人がいました。法律家で政治家のシュルツ・デーリチュHermann Schulze-Delitzschです。ライファイゼンは主に農村、シュルツ・デーリチュは都市部での金庫や協同組合の組織化に従事するという地理的な違いはありましたが、目指すところが同じであったため、20世紀半ばに一つの銀行系列となり、2008年現在、ドイツ全国で1197行がその系列に属しています。
●協同組合のルネサンス
この「自助のための支援」という構想と、そのための最適な形として提唱される協同組合という形は、19世紀後半から、ドイツだけでなく、近隣の国々に、銀行業務や違う業種にひろがっていきます。ただし、これまで順調に発展してきたのではなく、20世紀半ば以降、長く、協同組合は、古いビジネスモデルとして一度人気を落とし、各地で解体されるなど停滞の時期を迎えます。しかしその後、2000年代からは再び、協同組合を見直す機運が社会に高まっていき、現在、すくなくともドイツ語圏では再びルネサンスを迎えているとまでいわれています(Haunstein, 2017)。例えば、ドイツ(人口8300万人)では、8000協同組合あり、累計会員数は2200万人です。オーストリア(人口8800万人)には210万人の協同組合員がおり、従業員は5万8千人、顧客人数は400万いるといわれます。
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ドイツで2007年から2015年の間に新たに設立された協同組合の分布図(自治体ごとの集計総数を赤い四角で表示。例えば、ベルリンは117件と最も多い数の協同組合が設立されている)
出典:Karte 1. In: Haunstein, Stefan / Thürling, Marleen, Aktueller Gründungsboom - Genossenschaften liegen im Trend. In: N aktuell 11 (02.2017) 2, © Leibniz-Institut für Länderkunde

●ライファイゼンバンクの普及
具体的な協同組合の一例として、ライファイゼンバンクという、ライファイゼンの貸付金庫協会をルーツにもつライファイゼンバンクという協同組合をご紹介しましょう。ドイツでは上述のように20世紀半ばに、フォルクスバンクと統合されて名前も変更されましたが、ヨーロッパの各地ではいまも、ライファイゼンバンクという名前の協同組合型の銀行が各地にあります。
1899年以降ライファイゼンバンクが設置されるようになったスイスでは、現在全国で255行、支店数は930支店あり、スイスで3番目の規模を誇る銀行になっています。特に金融危機以降顧客が増え、現在顧客数は全スイス住民の約45%に当たる375万人で、そのうち190万人が協同組合員でもあります。地域振興や文化活動の支援にも積極的で、例えば、スイス全国400箇所以上の博物館や動物園を無料で入場できるミュージアム・パスの顧客へ配付しており、地域の文化活動の維持、発展に貢献しています(「ミュージアム・パス 〜スイスで好評の全国博物館フリー・パス制度」)。
オーストリアでもライファイゼンバンクも国内2番目の規模を誇る大きな銀行になっています。一方、オーストリアでは、ライファイゼンの名のつく銀行以外の協同組合が多いのが特徴です。現在、全国にライファイゼン関連の協同組合は1500あり、そのうちの3分の1が銀行業務の協同組合(1646カ所、490銀行)で、残りの3分の2は、倉庫組合(99)や酪農関連の協同組合(94)など、多様なほかの業務を行っています。
ライファイゼンバンクは、ドイツ語圏だけでなく、19世紀後半、イタリアやハンガリーなどにもひろがっていき、現在は、オーストリアとスイス以外に、アルバニア、ブルガリア、チェコ、ルーマニア、ロシア、ウクライナ、南チロル(イタリア)、ルクセンブルク、オランダなどで、ライファイゼンバンクがあります。
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これからの協同組合の可能性
次に、現在あるいは将来においての協同組合の展開で、とりわけ注目されていると思われる分野について、簡単にご紹介してみましょう。
●途上国の経済と社会のバランスのよい発展のツールとして
国連でも、経済的な発達と社会的な問題解決の両方を可能にする有望なモデルとして協同組合を評価し、2012年を、「協同組合の年」として定めましたが(「協同組合というビジネスモデル」)、今後も途上国が経済発展をしていく上で、協同組合は非常に重要な礎となるでしょう。
例えば、途上国において、野菜の卸売り業者やパン屋、小農など小規模の事業など地域の生活の需要を受け皿にして事業を起こしたり、軌道にある程度のった事業をさらに経済的に発展させるために、協同組合型の非営利の貸付金庫が大変役にたつと考えられます。「ライファイゼンバンクは、最初から、マイクロファイナンスの機関そのものだった。」 (Raiffeisen Schweiz, S.16.)とライファイゼンバンク自身も自認しているように、協同組合モデルが、人々の自助のための大きな支援になるというのは、過去も未来も、先進国でも途上国でも全く同様であるといえます。
●先進国でのエネルギー分野や新たな分野への拡大の可能性
ドイツでは近年、再生可能エネルギー分野での協同組合は目覚ましく増加しています。2011年のエネルギー関連の協同組合総数は586で、2001年から比べるとほぼ10倍に増えました。(Kessler, 2012)
オーストリアのライファイゼンバンクの中央銀行の元ジェネラルマネージャーのローテンシュタイナーは、エネルギー分野以外にも、栄養分野、カーシェアリング、不動産、医療介護分野、飲食業などにも協同組合が今後さらに広がる可能性があるといいます。特に「健康、とくに介護について考えると、まだ未来の可能性が考えられる」とし、「協同組合の考え方に関われば関わるほど、多くの発見がある。わたしたちの時代の焦眉の課題について、協同組合は完璧に合う解決モデルだ」(Interview, 2018)と今後の可能性が広がると予測しています。
●現代の資本主義経済においての意味
金融業界においても、非営利で地域経済振興を重視する協同組合型の金融機関は、ほかの利潤追求型の金融機関と明確な違いをもっており、今後も、ほかの金融機関と並行して存在しつづけると考えられます。ライファイゼンについての伝記著者のクラインMichael Klein は、「協同組合は、金融市場資本主義のオルタナティブにはならない。それをつとめるには弱すぎる。しかし、資本主義全体のなかでのオルタナティブにはなる」(Raiffeisen 200の中に埋め込まれた7分40秒のビデオからの抜粋)としています。
今後の課題・留意点
このように、協同組合は、今後も国営でも、利潤追求する民間企業でもない、オルタナティブのビジネスモデルとして、多かれすくなかれ今後、どの地域でも需要がみこまれ、存続していくことが予測されますが、20世紀後半に人々の信頼を協同組合が失い停滞していた時代があったことを思うと、同じ轍をふまないためには、いくつか留意しなくてはいけない点もあると思われます。
まず、協同組合であっても、効率化や生産性の向上などをはかりつつ、市場経済の競争力を維持することが重要と考えます。ドイツのライファイゼンバンクとフォルクスバンクが20世紀半ばに成し得たように、組合員や地域に対して最適の形になるために、協同組合間での競争で消耗せず、統合の道をとったり住み分けをはかる柔軟な判断も不可欠でしょう。
また、人々が協同組合の役割や意義を正しく認識できる状況を整えることも、非常に重要でしょう。地域に還元する経済振興や環境や社会問題への配慮など、協同組合が社会や組合員に還元する内容を評価する報道や研究や情報が多ければ、協同組合への受け入れや需要が高まるでしょうし、逆にそれがなければ支持基盤は弱まり、存続は厳しくなります。
これらの点から注目されるのは、スイスでの生協(生活協同組合)の展開です。スイスでは、二大生協が、外資系ディスカウント業者や世界的大手通販との激しい競争下にありながらも、現在も国内でお互いトップシェアを争いながら圧倒的なシェアを占める二大小売業者としての地位にあります。どちらの生協も、地域の農業や経済振興、また環境・社会・文化分野での支援活動にも積極的に利益を還元する(例えば、地域社会や文化振興の支援活動を通じて)ことで、ライバルの小売業者に見劣りしない付加価値を創出しつづけ、かつ、それを積極的に顧客向けの無料週刊誌などでアピールしてきました。つまり、組合員や顧客、社会全体への誠意ある姿勢を貫き、同時に、それを組合員や顧客に訴え、納得してもらう努力をつづけてきたといえます(「スイスとグローバリゼーション 〜生協週刊誌という生活密着型メディアの役割」)
おわりに 〜「一人でできないことも、大勢ならできるWas einer alleine nicht vermag, das vermögen viele」(ライファイゼンのスローガン)
貧困から脱するためにはなにが必要なのか、そのための最適な支援とはなにか、それらをうまく機能させるにはどんな組織やしくみが必要なのか、これらの問いの解答としてライファイゼンが試行錯誤しながら導き出していった協同組合構想は、2016年、シュルツ・デーリチュの構想とともに、「共同組合において共通の利益を形にするという思想と実践」というタイトルで、ユネスコ無形文化遺産として登録されました。
ローテンシュタイナーは、19世紀においてすでに、社会で貧富の差が広げるのを防ぎ、逆に中間層を維持・強化する役割を協同組合にみいだしたライファイゼンの視点をもとにして、協同組合という形態が、いつの時代かに関係なく、また、どこの社会においてでも、有効なモデルだろうと眺望します(Interview, 2018)。
協同組合が、時代や社会体制に関係なく、あるいは国営や民間という枠組にはまらない独自の形態で、それぞれの地域の人々の生活を向上させたり地域経済を活性化させることを可能にするビジネスモデルであることが、世界で正しく認知・評価され、19世紀ドイツの貧困であえぐ人々に希望を与えたように、潜在的に必要とされている地域や場所で、今後も大いに活用されていってほしいと思います。
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<参考文献・サイト>
Haunstein, Stefan / Thürling, Marleen, Aktueller Gründungsboom - Genossenschaften liegen im Trend. In: N aktuell 11 (02.2017) 2, © Leibniz-Institut für Länderkunde
Idea and practice of organizing shared interests in cooperatives, Germany, Intangible Cultural Heritage(2018年5月14日閲覧)
Interview mit GA Dr. Walter Rothensteiner. Auszug aus dem Interview mit ÖRV-Generalanwalt Dr. Walter Rothensteiner zum Auftakt des Jubiläumsjahres (vgl. Raiffeisenzeitung 1-2/2018 vom 11. Jänner 2018)
Kesseler, Wolfgang, Jedes Jahr 250 neue Genossenschaften. In: WOZ, Die Wochenzeitung, Nr.31/2012, 2.8.2012.
Raiffeisen, F.W., Die Darlehnskassen-Vereine in Verbindung mit Consum-, Verkaufs-, Winzer-, Molkerei-, Vierversicherungs- etc. Genossenschaft sowie den dazu gehörigen Instruktionen als Mittel zur Abhülfe der Noth der ländlichen Bevölkerung. Praktische Anleitung zur Gründung und Leitung solcher Genossenschaft, erster Theil: Die Darlehnskassens-Vereine und sonstige ländliche Genossenschaften, fünfte theilweise umgearbeitete und verbesserte Auflage, Neuwied 1887.
Raiffeisen Schweiz, Porträt. Raiffeisen -eine Idee, die überzeugt(2018年5月15日閲覧)
Raiffeisen 200. Die Kraft der Idee. Friedrich Wilhelm Raiffeisen. Der Vordenker aus dem Westerwald(2018年5月14日閲覧)
200 Jahre Friedrich Wilhelm Raiffeisen, Der Weltverbesserer aus dem Westerwald, Quelle: SWR, 31.03.2018

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


途上国からの「バーチャル移民」と「サービス」を輸出する先進国 〜リモート・インテリジェンスがもたらす新たな地平

2018-05-25 [EntryURL]

「あなたの仕事は離れたところからでもできますか?Can you do your job remotely?」(Neu überschreiten, 2018)
ジュネーブ国際問題高等研究所教授で、2016年に出版された『世界経済 大いなる収斂 ―ITがもたらす新次元のグローバリゼーション』の著者であるボールドウィン Richard Baldwinは、そう私たちに問い、もしそうなら、わたしたちの仕事はなくなる危険があるといいます。自分たちより賃金が安くてすむ国の人に、仕事が奪われる可能性があるためだからだとします。
それが単なる極論や理論上の話ではなく、実際にこれから十分起こりうる話なのだと、ボールドウィンは順序だてて説明します。今回は、ボールドウィンのそのような見解を追いながら、グローバリゼーションの新たな潮流が、わたしたちの就労環境にどんな影響をあるかについて、少し考えてみたいと思います。
グローバリゼーションの第一段階、モノの大量移動
壮大なスケールの地理的・歴史的な分析をベースにしたボールドウィンの就労環境に与えるグローバリゼーションの新たなインパクトについての見解をまとめることは、本来、門外漢のわたしができるようなことではないとは重々承知していますが、どうかご容赦いただき、以下、大筋をご紹介してみます。
ボールドウィンが、グローバリゼーションにおいてとりわけ重視するのは、モノ、アイデア、人がひとつの場所からひとつの場所に移動させるためのコストです。それがどのくらいのコストであるかが、グローバリゼーションの進行を大きく左右すると考えます。
そのような視点でグローバリゼーションを歴史的に観察してみると、これまでのグローバリゼーションの歴史は、最近まで、大きく2段階に分けられます。最初のグローバリゼーションは、モノのグローバリゼーションで、19世紀の産業化時代以降にはじまったものです。鉄道や蒸気船、車など輸送手段の発達から、物流のコストが格段に下がったことからはじまりました。これにより世界のさまざまな場所から場所へモノが移動することができるようになった現象こそ、最初のグローバリゼーションの特徴だといいます。
輸送手段の発達によって、はじめて短時間で長距離をしかも安価で運ぶことができるようになり、海外から輸入したものを飲食したり、装着したりできるようになりましたが、その一方、モノが安く輸送できるようになっても、アイデアやノウハウの伝達は以前、小規模にとどまっていました。
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グローバリゼーションの第二段階(1990年代以降)と新たな最近の展開
グローバリゼーションが決定的な二段階目に突入するのは、1990年代以降、インターネットなどの情報通信技術(ICT)が画期的な進歩を背景にはじまってからで、それは、情報のグローバリゼーションとも呼べるものだといいます。もちろんそれまでも書籍や電波放送などで情報のグローバルな伝達がされてきましたが、インターネット関連のテクノロジーによって、大量の情報が格安でしかも瞬時に世界中に送ることが可能になり、状況が大きく進展しました。遠隔で管理するコミュニケーション手段ができるようになったことで、途上国など生産が安くできる国に工場が移転されるようにもなっていきます。
ただしこの時点でも、人の移動は、モノや情報に比べると、比較的コストがまだ高く、歴史的にみれば移動量は全体としては多くなってきているとはいえ、モノや情報に比べると、量的な規模は飛躍的に多くはなっていませんでした。
しかし、最近はさらにICTが発達したことで、人の移動がいよいよ大規模になり、近い将来、さらに大きなグローバリゼーションの内実の大きな変化が起こるかもしれない、といいます。それは、「バーチャルな移住」とでも表現できるようなものだとします。それは、人が大量にある場所からある場所に移動するのではなく、グローバルなコミュニケーション技術を駆使することで、バーチャルに人が世界中を移動するようなグローバリゼーションの形態だとします。
このような新しいグローバリゼーションの潮流は、従来の就労のあり方を大きく揺るがすものになると、ボールドウィンは考えます。そのインパクトは、人々の雇用先を奪うものとして数年前よりさわがれている人工知能と同じくらい大きいものだとします。
リモート・インテリジェンス(RI)
そのような、その場所にいかなくてもその場に行った時のように作業ができるテクノロジー全般を、ボールドウィンは、人工知能Artificial Intelligenceに対置して、リモート・インテリジェンス(RI)Remote Intelligence、と名付けます。
ボールドウィンが、「リモート・インテリジェンス(RI)」と考えるものは、主に2種類あります。

・遠隔ロボット

作業現場にロボットを配置し、ICTの遠隔操作で、その場にいかずに作業を行う。

・遠隔プレゼンス

ICTを通じて、バーチャルな形で現場に出現し(その場所にいるのと同じように)仕事を処理すること。

前者が、配達物を届けるドローンや原発事故現場で除染作業するロボットのように、実際に作業している部分に人の気配がないのに対し、後者のほうは、インターフェース(末端)に、(遠隔にいる)人自身がバーチャルな形で現れるとします。しかし、この二つの違いよりも、共通する特徴の方が重要です。それは、これまでの技術と常識ではそこにいないとできなかった仕事である、サービス・セクターの仕事が、ほかのところにいる人にもできるようになるという特徴です。
ここで、冒頭の質問がでてきます。「あなたは、自分の仕事を遠隔からでもできますか」。つまり、リモート・インテリジェンスを使ってできる仕事か、ということですが、もしそれがイエスなら、理論的に、ほかの国(賃金が安い国など)でその人と同じことができる能力のいる人がいれば、その人の仕事が、ほかの国の同じ能力を要する人にとられてしまうということになります。
企業が従業員の人件コストを端的に減らそうと考えるのならば、それは十分考えられることだといいます。たとえ先進国の従業員の半分の給料でも、それが当事国の給料として高給であれば、バーチャルな従業員として先進国企業に勤めたがる人材を、企業は十分確保できるでしょう。もちろん最初から、高い質の仕事になるわけではないでしょうが、経験を増やしながら、より現地の従業員並みに仕事の質を向上させていくことは可能だとします。
自分自身が移動しなくても、先進国の魅力的な就労条件の仕事につく可能性が大きく広がったという意味では、途上国にとって、このICTを駆使した遠隔インテリジェンスは、おおきな恩恵になるといいます。
国や当人のスキルによって異なるインテリジェンスのメリットとデメリット
逆に、先進国では、これまでの雇用先を失う人がでてくることになるでしょう。たとえば、安いホテルの受付の人が、本物の人ではなく、貧しい国の人がバーチャル・スタッフとして、端末の画面や、ホログラムに登場し、接客することがありうるとします。
人工知能が本物の受付スタッフを代替することももちろん可能であり、実際にそのようなホテルが少しずつでてきていますが、サービス業という分野では、とりわけヒューマンな融通や機転が重視されるため、少なくとも当面は、人工知能と並行して利用される可能性が十分にあると、ボールドウィンは、考えているようです。
いずれにせよ、それでは、リモート・インテリジェンスは、人工知能脅威論同様、先進国にとってもっぱら不利益の結果を招く「不都合な事実」ということなのでしょうか。ボールドウィンは、そういうわけでもない、むしろ、先進国にとっても飛躍的にビジネスを拡大するチャンスも多くあるといいます。
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「サービス」の輸出という新たなサービス・ビジネス
特に高質のサービス業を誇る国や人々にとっては、メリット、利益が大きいといいます。そして、その一例として、ボールドウィンが教鞭をとるスイスの国、ローザンヌ大学病院のメディカル・サービスをあげます(Baldwin, 2013)
ローザンヌの大学病院は、高い病院のサービスをICT (情報からコミュニケーションテクノロジー)を駆使して世界中に提供しています。スイスの医療費を払うことは世界的には非常に高額です。そうであるにもかかわらず、高い報酬を払っても、高度なスイスの医療サービスを受けたいという人が世界中には実際にいるため、このようなサービスが実施されています。今後は、さらにICTが発達(はやく信頼できるもの)すれば、外科医が遠隔操作で手術すらこともできるかもしれないと言います。有能な外科医は非常に需要が高 いため、それは十分現実味のある話だといいます。
また、ほかの高度な技術のノウハウの伝授や高い教育全般をほこる企業や組織が、世界を相手に、それらを伝授するというビジネスも、これらの蓄積が大きい先進国にとって有望なビジネスになるといいます。
つまり、サービスが輸出の対象となる、言い換えれば、輸出用サービスというのが、新しいサービス業のジャンルとして成立していく、そういう時代がやってくるのではないか、とボールドウィンはいいます。
サービス業務のジャンルと可能な内容の範囲とは?
以上が、ボールドウィンの見解ですが、このようなサービス分野でのリモート・インテリジェンスを利用したサービスの拡大は、実際にどこまで可能となっていくのでしょう。逆に、どこからは画面やホログラムの人ではなく、実際にその場に人がいることが必要なのでしょうか。これらのことについて、もう少し具体的に考えてみます。
例えば、ボールドウィンが具体的に指摘した医療分野では、今後どれくらいリモート・インテリジェンスが通常の医療行為の代替として可能でしょうか。目下、医療分野では、メディカル・ツーリズムという潮流が、全世界的なトレンドとして興隆してきていますが(「ヨーロッパに押し寄せる「医療ツーリズム」と「医療ウェルネス」の波 〜ホテル化する医療施設と医療施設化するホテル」)、このような潮流とリモート・インテリジェンスを駆使した医療は、どう関連、競合していくのでしょうか。一部で競合、一部で補い合いながら、自国の医療とは異なる別の選択肢を発達させていくのかもしれません。
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すこし先の未来をみすえて、発想をラディカルにしてみましょう。現在、リモート・インテリジェンスで代替することなど想像できないような、メンタルケア部門や宗教関連の分野においては、どのくらい利用可能になるのでしょうか。
上の写真は、バチカン大聖堂内に並列する告解室(自分の罪を神から許してもらうために聖職者に告解する小部屋)です。月曜朝7時に聖堂を訪れた時のものですが、聖職者がなかに入って信者の告解のため待機している告解室がいくつもありました。緑のランプがついている告解室が、信者が入って告解できるということのようです。
ミサのある日でもない早朝から信者を迎える準備が整っているこのようなバチカンの状況とは大きく異なり、現在、北ヨーロッパのカトリック教会ではどこも神父不足が深刻に悩んでいます。このため、例えば、カトリック大国オーストリアでは、解決案として、いくつもの村の神父職を一人が兼任したり、修道士による定期的ミサの出張サービスがすでに定着しています。このような状況では、信者にとって信仰上不可欠な機能を果たしてきた告解室も、思うように運営することができません。
このような状況を総合的に考慮すると、告解室という伝統的な宗教上の信者への奉仕(サービス)業務にも、リモート・インテリジェンスが導入される可能性が将来でてくるのかもしれません。
また、ボールドウィンの説明では、対比される形で提示されていましたが、リモート・インテリジェンスと人工知能は、むしろ融合する形になり、さらにサービス内容がさらに飛躍的に拡大、向上していくことも可能かもしれません。例えば、以前自分の記憶を投入したロボットや人工知能が、ほかの人や自分自身に対応するという話を扱いましたが(「自分の分身が時空を超えて誰かと対話する時 〜「人」の記憶をもつロボットと人工知能の応用事例」)、人工知能が、本人の過去の記憶だけでなく、リモート・インテリジェンスを通じて離れた場所の本人の思考や反応も同時に融合させ、より本人の思考に近い思考や決断を、複数の場所で同時に行うことも、可能かもしれません。
デジタルノマドから考える未来の仕事
少し話はずれますが、先日参加したチューリヒ応用大学の講演会で、フリュッゲBarbara Flügge氏は、2035年に、デジタルノマドは10億人規模になると話していました(Flügge, 2018)。
デジタルノマドとは、場所や時間が固定された従来の就労の仕方とは対照的に、インターネットやほかの高い技術を活用して、固定的な仕事環境をもたず移動しながら仕事をする人たち全般をさします。各地を転々と移動しながら仕事をすると人が10億人規模で世界を移動するという未来図は、従来のしがらみにとらわれない自由なライフスタイルが確立した人たちが増えて行くというイメージを同時に、普通抱かせるのではないかと思います。少なくともわたしはそのようなイメージをこれまでもっていました。
しかし、ボールドウィンの話を聞くと、そんなデジタルノマドについての展望も少し変わってきます。リモート・インテリジェンスが発達し、遠隔でできる仕事もそれをできる人も増えるということは、逆に言えば、そのような雇用のされ方しかない仕事の分野も増えるということかもしれません。そうすると、デジタルノマドたちは、ほかの人ができない仕事をしているからどこにでも自由に移動しながらでも仕事を受注できる、という人だけではなく、もしかしたら、仕事を探し移動しながら、とりあえず当面生計を立てるための仕事を、その場その場でこなす人たちも含むことになるのかもしれません。
そして、結果として、果たして10億人という規模にまでなるのかはわかりませんが、自分が希望するかしないかに関係なく、デジタルノマドという就業の仕方になる人たちが、リモート・インテリジェンスの利用の仕方が多様になることに呼応して、確実に増えていくのかもしれません。
もちろん、デジタルノマドという現象は、多彩なリモート・インテリジェンスの社会への影響のほんの一部にすぎませんし、リモート・インテリジェンスには今想像できないような多様な形で発展していくのかもしれません。
リモート・インテリジェンスは、一体これから、わたしたちをどんな新たな就労や生活のある未来に、連れだして行くのでしょうか。
<参考文献・リンク>
Baldwin, Richard E., Globalisierung neu betrachtet. In: NZZ, 17.4.2013, 06:00 Uhr
Baldwin (2016): The Great Convergence- information technology and the new globalization. Zusammenfassung, FERI Cognitive Finance Institute. (2018年5月7日閲覧)
ボールドウィン、リチャード『世界経済 大いなる収斂―ITがもたらす新次元のグローバリゼーション』日本経済新聞出版社2018年(Baldwin, Richard E, The Great Convergence- information technology and the new globalization, Cambridge: Belknap Press of Harvard University Press, 2016.
Flügge, Barbara, Urbane Lebensräume - Die Bedeutung der Vernetzung, Digitale Innovationsmöglichkeiten in der Stadtentwicklung, INUAS-Ringvorlesung «Zukunft urbaner Lebensräume», 17.4.2018.
«Neu überschreiten auch Dienstleistungen die Grenzen» In: Echo der Zeit, 6.4.2018.
Riecke, Torsten, Das neue Gesicht der Weltwirtschaft. In: Handelsblatt, 11.03.2017.
The Great Convergence- information technology and the new globalization. A NEW BOOK BY RICHARD BALDWIN. PROFESSOR OF INTERNATIONAL ECONOMICS. THE GRADUATE INSTITUTE I GENEVA, 28 November 2016

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


「情報は速いが、真実には時間が必要」 〜メディア・情報リテラシーでフェイクニュースへの免疫力を高める

2018-05-18 [EntryURL]

前々回と前回において、感染力の強い病気への対策を参考にして、フェイクニュースに強い社会を構築するためになにが必要なのかについて考えてみました。そして、感染力が強い病気の隔離・除去にあたるものとして、ドイツのフェイクニュースの抑制を促す法律を、公衆衛生の維持・強化という対策に対応するものとして、公共メディアの役割や改革についてみてきました(「フェイクニュース対策としての法律 〜評価が分れるドイツのネットワーク執行法を参考」、「公共メディアの役割 〜フェイクニュースに強い情報インフラ」)。
フェイクニュース対策を考える最終回の今回は、フェイクニュースにおいて、感染症から個々人の身を守る免疫力の強化に当たるものは何に当たるかを考え、具体的な対策をみていきたいと思います。
フェイクニュースは、フェイクであることを見破ることができない人と場合によって問題となる
フェイクニュースは、大部分の受け手が偽の情報だと分かっていれば拡散されることはなく、深刻な影響はでません。本当の「事実」や「ニュース」だと誤って理解され、広範にソーシャルメディアなどで拡散されることで、はじめて社会や政治に深刻な影響を与えることになります。
その意味では、フェイクニュースがどれだけ誰によって生産されるのかということよりも、人々がフェイクニュースを偽物だと判断できるか否かが、むしろ肝心な問題だといえます。
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それでは、実際にどのくらい人は偽情報と本物の情報を区別することができるのでしょうか。このことに関連するスイスの調査結果をまずみてみましょう(Külling et al., 2017, Zeier et al., 2017)。
一般記事と広告が見分けられない生徒
12才から16才の79人の生徒に、若い人がよく読むウェッブや印刷された新聞(フリーペーパー)をみせ、そのなかでジャーナリスティックな記事(一般記事)とスポンサーがついている広告記事を見分けてもらうという作業をしてもらったところ、一般記事と広告記事を見分けられたのは、参加者全体の40%にとどまりました。
広告記事を一般の記事と判断した理由で圧倒的に多かったのは、新聞に掲載されている記事であったため、というものでした。ほかにも、記事の説明が本物っぽく、うそではなかった、という回答や、印刷メディアの記事だから広告であるはずがない、という回答もありました。
この結果を受けて、調査を行ったチューリヒ応用大学研究者たちは、いくつかの点を指摘しています。

  • 広告記事もレイアウトやスキルが洗練されて、一般の記事と見分けがつきにくいものも多く、大人でもまちがう可能性があり、見分けがつきにくいのは、若年層だけの問題ではないこと。
  • 正しく見分けた人数の割合をみると、所属する教育課程により大きな違いがみられたこと。同じ年齢でも、ギムナジウム(中高一貫エリート校)の生徒は半分以上の55%が正しく見分けられていたが、普通中学の生徒の正解率は23%にすぎない。
  • 若年層は、情報を得るのに伝統的な新聞などのメディア媒体よりもソーシャルメディアを使う傾向が強く、ニュース紙面ですら広告と記事が見分けるのが難しいのなら、ソーシャルメディアの情報(スポンサーの宣伝をするインフルエンサーのビデオなど)を判別することも非常に困難だと推測される。
  • このため、若年層、できれば中学入学以前から、メディアについて学ぶことがのぞましいという見解にいたっています。
    メディア・情報リテラシー
    広告記事同様に、フェイクニュースにおいてもその性質や傾向を理解し、フェイク(偽)だと見破るための知識やスキルをもつことが非常に重要と考えられます。逆に言えば、メディアや情報分野についての基本的な知識や能力全般(以下、「メディア・情報リテラシー」と表記)を向上させることで、フェイクニュースの影響を大幅に減らすことができるはずです。つまり、「個々人のフェイクニュースへの免疫力を高める」とは、これに相当するといえるのではないかと思います。
    このような能力を広く社会全般に高めていくことへの関心は、ここ10年ほどの間に、どこの国でも非常に高まっており、様々な教育プログラムも実施されています。2016年5月から9月までEU28カ国で行われた調査では(Mapping, 2017)、EU全体で547のメディアおよび情報リテラシーに関するプロジェクトが行われていました。これらの多くは、出版メディア、放送局、また公共放送メディアは、学校やほかの教育期間と協力しながら、とくに若い人々にターゲットを絞って行うプロジェクトですが、高い年齢の世代を対象にしたプロジェクトもいくつかあり、全世代を対象にし、様々な形のプロジェクトが展開しているといえます。
    批判的な思考を鍛えるには
    そこでは具体的に、どんな内容が扱われているのでしょうか。
    上記の調査で、テーマとして最も多いのはメディアに対する「批判的思考」を身につけさせる学習でした。全プロジェクト547件の403件が、このことを扱っています (Mapping of media, 2016, p.28)。しかし、批判的な思考を鍛えるとは、もっと具体的に言うと、どのようなことになのでしょう。
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    「情報は速い。真実には時間が必要」
    ここでわかりやすくて参考になると思われるのが、ネット哲学者グラーザーPeter Glaserやメディア専門家のペルクセン Bernhard Pörksenの意見です。両者とも、一人一人がジャーナリズムの技能を身につけることが重要だとします。誰もが記事を掲載するといった情報発信をしたり、受け取った情報さらに拡散もできる現代においては、誰もがある意味でジャーナリストとなったということであり、そのため、ジャーナリストとしての技能は、全員に必要な教育の一部にならなくてはならないとします。
    ジャーナリズムの技能とは、わかりやすくいえば、情報をうのみにせず、慎重に扱うこと。情報の出所を確認し、複数の情報ソースを使い内容を検証すること。情報を公開したり拡散するのは、そのあとにすること。そして、部分ではなく全体像として理解するように努力することとしています(Wir sind, 2018)。
    ジャーナリストの技能をそれぞれの人がもつことは、例えば、なにかの事件が起きた時の情報の正確な把握にも役立つと考えられます。これまで、なにか事件が起きると、半ばパニック状態に陥っている人たちのなかで、一刻も早く事件の状況を把握したいと思うあまり、さまざまな噂やフェイクニュースに過敏に反応することがこれまでは横行し、それらの偽情報に社会が翻弄され、社会全体が不利益を被ることがたびたびありました。
    しかし、グラーザーが「情報は速い。真実には時間が必要」(Richter, 2006)と言っているように、良質のジャーナリズムは、その情報が正確であることを確認、実証するのが不可欠であるため、早く発信できるものではないということを、人々が自覚できたとすればどうでしょう。事件直後からでてくる事件を解明しているかのような、あるいはいかにももっともらしいような耳ざわりのいい情報は、むしろ不自然で偽情報の可能性が高い、と批判的にとらえる人が多くなり、それらにとびついて、社会が不本意に翻弄されることが少なくなるでしょう。
    逆にしばらく時間を経たあとに十分に正確な情報に重きを置き注視することができれば、人々は、有益な情報がしかもわずかな労力で得ることができることになります(Info, 2018)。
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    おわりに
    3回にわたってみてきた、法の整備、良質の公共メディアの維持、個々人のメディア・リテラシーの強化、というフェイクニュースの対策アプローチは、規模も対象者も、また、その効用の現れ方や効果があらわれることが期待されるタイムスパンも非常に異なるものでした。それらの違う対処を、異なる場面や行っていることが、全体として、フェイクニュースにより強い社会をつくっていくということであると思われます。
    <参考文献・リンク>
    Info ist schnell. Wahrheit braucht länger. In: Echo der Zeit, 7.4.2018.
    Külling, Céline, und Zeier, Dominique, “Durchblick behalten”Medienkompetenz bei Jugendlichen der Stadt Zürich, 23.11.2017.(2018年4月5日閲覧)
    Richter, Der Google-Briefschlitz. Das Internet macht faul und schneidet die Vergangenheit ab: Peter Glaser über die Zukunft des Journalismus in Zeiten der Online-Information. In: Zeit Online, 29. November 2013, 5:30 Uhr Quelle: ZEIT online, 3.2.2006
    “Wir sind unseren Medienmöglichkeiten mental nicht gewachsen”. Interview mit dem Medienwissenschaftler Bernhard Pörksen. In: Börsenblatt, 13. April 2018.
    Zeier, Dominique und Külling, Céline, Jugendliche erkennen Native Advertising nicht als Werbung. In: Medienwoche, Magazin für Medien, Journalismus, Kommunikation & Marketing, 05.12.2017.

    穂鷹知美
    ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
    興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
    詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


公共メディアの役割 〜フェイクニュースに強い情報インフラ

2018-05-14 [EntryURL]

前回、フェイクニュースの具体的な対処について、感染症の流行防止対策を参考にして三つの側面に分け、その一つの「病気の徹底排除と発生場所の隔離」に当たるフェイクニュースの対策として、フェイクニュースの削除やブロックを法を介して促進する可能性についてみてみました(「フェイクニュース対策としての法律 〜評価が分れるドイツのネットワーク執行法を参考に」)。今回は、感染症対策において、まだ感染していないほかの地域の人々の衛生環境を整備し、病気がもちこまれにくいようにする対策に相当する、フェイクニュース対策とはなにかについて、考えてみたいと思います。
公共メディアの役割
とはいえ、フェイクニュースが入りこみにくいような「衛生的な」メディア環境を整備するとは、具体的に、どのようなことを意味するでしょうか。
最近発表されたヨーロッパや北米のメディア不信や公共メディアについての調査報告書(Schranz, et al., 2016, Qualität der Medien, 2016)を参考にして、考えてみたいと思います。これらの報告書によると、公共放送を情報のメインソースにしている人やそういう人が多い国ではメディアへの信頼性が高いことがわかりました。伝統的なメディア(公共放送や主要な日刊紙や週刊誌など)を読む人のほうが、メディアへの信頼が高く、専門的な既存のメディアを利用しない場合ほど、メディアへの不信が大きいという相関関係もありました。
ちなみに、ソーシャルメディアを多く利用する人のメディア全般への不信がどこからくるのかについての明確な理由はわかっていませんが、ソーシャルメディアでは利用者の好みにあったニュースがでてくる「パーソナライズドフィルター」機能などが関係していると推測されます。
メディアへの信頼が低くなると、政治的な決断(政府への信頼)も低下すること、また政治的でイデオロギー的なメディアをつかっている人の間では特にメディア不信が強く、政治全般への不信にもつながっていることも、この調査で明らかになりました。
これらをまとめると、良質のメディアが身近にあり、それをコンスタントに消費していれば、判断のよりどころをもつことになり、茫漠としたメディアや政治全般への不信がなくなる、ということになります。
さて、この興味深い調査結果を、少し違う視点でとらえると、堅実な公共メディアを利用すればするほど、どこか出自がわからないあやしいフェイクニュースのようなニュース・ソースにまどわされたり、ふりまわされる時間も機会も相対的に少なくなる、ということではないかと思われます。換言すれば、公共放送や主要な新聞や週刊誌等の公共メディアは、フェイクニュースを社会に広げにくくする壁、つまり、(感染症対策の場合の)「公衆衛生」のようなものに当たるといえるでしょう。
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若者と公共メディア
ただし、現状はこの調査結果に逆行するような厳しい状況です。伝統的な公共メディア(公共放送や主要な新聞・週刊誌等高い質のジャーナリズム)の利用が、全般に少なくなってきているためです。特に少ないのが、若者で、例えばスイスでの公共放送の利用者は、30歳以上は40〜50%、18〜24歳では20%にとどまります。若者になればなるほど、ニュースのソースとして使われるものが多くなっています。ちなみに、高齢になるとニュースのソースは圧倒的に公共放送に偏ってきます(Qualität der Medien, 2016)。
つまり目下、フェイクニュースが社会の広い層に入り込みやすい、つまり「公衆衛生」が徹底化されていない状況であるといえます。公共メディア離れが進む人々を、いかに惹きつけるかは、単なる公共メディアの死活に関わる問題でなく、判断の基準となる情報がなくなることになり、民主主義の社会の土台をゆるがす重要な問題であるにもかかわらず、利用する人がいなければ公共メディアは財政的にもまた社会的な評価の上でも後退するため、負のスパイラルが続いているというのが現状です。
建設的ジャーナリズム
それでは、一体どうすればいいのでしょう。収益を安定的に確保するジャーナリズムのビジネス・モデルの構築が、この問題の解決策として、とりわけよく取り沙汰されますが、ジャーナリズム自体の体質を根幹から変え、報道の仕方や内容を再考することこそ、なにより焦眉の課題だと考える人もいます。
それはヨーロッパでは「建設的ジャーナリズム」という名称でとらえられている動きです。以前にご紹介したことがありますが(「ジャーナリズムの未来 〜センセーショナリズムと建設的なジャーナリズムの狭間で」)、建設的ジャーナリズムは、「今日のニュースメディアで増えているタブロイド化や、センセーショナリズム、また否定的バイアスに」対抗し、「起きている悪いことや否定的な面を強調するのではなく、公平で正確でしかも社会的文脈に関連づけた世界を人々にみせることを目指す」(Constructive Institute)ジャーナリズムの志向や手法として、2010年代のはじめから、デンマークを中心に発達してきました。
提唱者の一人で、2012年の著作『建設的ニュースConstructive news』(英語)で一躍注目をあびるようになったデンマークのジャーナリスト、ハーゲルップUlrik Haagerupは、その後、建設的ジャーナリズムがかかげる改革路線が、世界で共通してジャーナリズムが抱えている問題を解決するのに必要だという確信をいっそう深めていきます。そして2017年3月には、建設的ジャーナリズムの研究をさらにすすめ、世界的にそのノウハウを研修などによって広げていくための「建設的研究所」をデンマークに設立しました。
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この研究所で昨年10月に開かれた研究発表会には、世界各国から470人のメディア関係者が参加しており、メディア関係者の間で建設的ジャーナリズムに高い関心があることがうかがわれます。研究所のスポンサーに名を連ねている組織や企業をみると、国連や国際的ジャーナリスト組織、グーグルといった世界の様々な立場のものがあり、世界のさまざまな分野で建設的ジャーナリズムに強い関心が払われ、またそれらと連携している動き(ジャーナリストだけの動きではなく)ではないことがうかがわれます。具体的な連携の形の例として、グーグルが建設的ジャーナリズムの記事をキーワード検索の上位に掲示することに、ハーゲルップは期待を寄せています。
昨年からすぐれた世界的な建設的ジャーナリズムの活動を行ったジャーナリストたちを褒賞する「建設的ジャーナリズム賞」という賞の授与もはじまりました。
ネガティブな報道に疲れている人々
今年2月にドイツの建設的ジャーナリズムの専門家会議に招かれたハーゲルップは、建設的研究所の目標を三つ掲げています。この先5年以内にグローバルなニュース(報道)文化を変化させること、ジャーナリズムへの信頼を再びインストール reinstallすること、そして、ニュースがもっと意味のあるものになるように助けることです(”Constructive Journalism Day”, 2018)。
ハーゲルップにとって、この三つの課題が、社会にとって望ましいものでありながら、現在のジャーナリズムに不足している焦眉の課題と捉えられるわけですが、受けてである読者や視聴者たちも、実際にそのように感じているのでしょうか。これに関してとても興味深い調査がありますので、ご紹介してみます。
それは、2015年にドイツで名高い社会調査研究所Forsaがドイツ民間放送局 RTL Aktuellの依頼で行った調査結果(Hein, 2015)で、これによると、ドイツ人おアンケートの回答者の45%が、テレビのニュスは自分に問題を背負わされていると感じており、35%は不安な気持ちにさせられ、33%テレビのニュースのあとに気分(機嫌)が悪くなるとしています。
22%の人は、フラストレーションがたまるため、ニュースの報道をみるのが特に好きではないと言いますが。34%は、ポジティブなニュースが放送されるなら、もっと頻繁にみるだろうと回答しています。若い世代(14歳から29歳)では、このような回答の割合がさらに高く42%にまで及んでいます。
80%の人々が問題だけの報道を望まず、解決への糸ぐちがある建設的な報道がみたいとします(若い世代で、そう答えた人の割合は87%とさらに高くなっています)。また、73%は勇気をもらえるニュースがみたいとし、68%はもっとユーモアのある報道がほしいと言っています。
47%の人は死者や苦しみや貧困の画像、31%は戦争や危機、災害についてのニュースを減らしてほしいとし思っています。
ちなみに、すでに40年も前から、ニュースがこのように視聴者や読者に無力さを感じさせることは、メディアの専門家の間では指摘されていました。(Meier, 2018, S.9)つまり、逆にいうと、それでもなお、ジャーナリズムの在り方に、つい最近までほとんど疑われることもなく、まして変わらないだけでなく、さらにセンセーショナルな情報がエスカレートするような報道が行われていたことになります。
建設的ジャーナリズムの可能性
一方、建設的ジャーナリズムの手法は、人々にとってどのように映るのでしょうか。ジャーナリズムの手法として導入されてからまだ数年しかたっておらず、また実際に、既存のメディアでこの手法を直接とりいる例も多くありませんが、これまでの研究や調査でわかっていることをまとめると以下のようになります(Meier, 2018, Berichte,2018.)。

  • 建設的ジャーナリズムの記事は、ほかの記事に比べて、読者に読む価値があったと評価されることが多く、特にローカルな内容の記事において評価が高い。
  • 読者は建設的な記事を読むことで解決の糸口や希望をもつことでき、問題による精神的な負担がなり、感情的に気持ちがよくなる。
  • メディア事業体にとっても好ましい状況をつくりだす可能性がある。読まれる時間が長くなり、読者層も広がり(特にジャーナリズム離れが目立っていた若者を引きつけ)、メディア全般に対してもポジティブで役に立つという印象が強まる。
  • ただし、それが中・長期的にその効果は続くのか、また社会で実際にどんな役割を果たしうるのかなどは、まだ研究がなく不明。
  • 社会問題についての報告でネガティブなインパクトが弱まる可能性がある。そうなると実際の問題の解決に、むしろ役に立たないとも考えられる。
  • ただし、ジャーナリストの間では、慎重な立場や、批判的なスタンスがいまだに強くみられます。ポジティブな面を重視することで、ネガティブな問題のインパクトがうすれ、読者を楽しませる甘いお菓子のような単調な報道となり、社会の深刻な問題をしっかり伝えることができなくなるのではないだろうか。ジャーナリストが社会問題の解決策をさぐるために、社会活動家のように振る舞うことが果たしてジャーナリストとして正しいのか。実際に解決の糸口として言及されるものが、大手企業のものに偏り、新たな不公平さを生むのでないか、といった声がよくきかれます。
    他方、ジャーナリズムの新手法として議論にされることは多いため、批判的、慎重な立場を貫く人も、建設的ジャーナリズムを全く知らないジャーナリストはもはやいないと言ってもいいのではないかと思います。その意味では、自分の報道の在り方を客観的に映し出す鏡のような存在として、それぞれの報道の在り方に(視点から、分析、文章のまとめかたまで)に刺激を受け、中・長期的にさまざまなジャーナリズムの側面で、静かに影響を与えていくのではないかと思われます。
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    まとめ
    今回は、デジタル・メディア環境において、フェイクニュースの横行や流行を防ぐため、感染力の強い病気から社会を防ぐための「公衆衛生」に相当するものはなにかを探ってみました。
    その結果、現時点では、公共メディアがそのようなものに相当すると推測しましたが、一方、今後公共メディアが現在同様に順調に維持され続ける保証がなく、むしろ消費が減っており、影響力も財政基盤も、停滞、衰退する傾向がみられます。
    一方、これまで公共メディアの在り方に問題があり、受け手である視聴者や読者が、公共メディアに対し一定の距離感や嫌悪感をもつようになっていることも明らかになりました。そして、その問題点をジャーナリズム自ら改善、解消し、民主主義的な社会を維持していくために必要な社会や政治上の判断を受け手ができるような、新たな好ましいジャーナリズムをつくりあげていこうという動きもでてきたことをご紹介しました。
    今回は、とりあげませんでしたが、公共的メディアの財政的基盤の確保あるいは、ビジネスモデルといった問題も、ジャーナリズムの内容の改革と同様に非常に重要で、解決が急がれる焦眉の問題です。いずれ別稿でその問題についても考えてみたいと思います。
    <参考文献およびサイト>
    Beck, Klaus, MEDIA Lab Wächterrolle statt Er-Löser, Der Tagesspielgel, 12.1.2018
    Berichte, die die Welt verbessern. Konstruktiver Journalismus, taz, 30.3.2018.
    “Constructive Journalism Day” (Teil 2) , NDR Info - Aktuell - 15.02.2018 16:30 Uhr
    Constructive Institute, Journalism for tomorrow
    Hartmann, Kathrin, “Konstruktiver Journalismus””Wer sagt denn, was eine Lösung ist?”, Deutschlndfunk, Kathrin Hartmann im Gespräch mit Brigitte Baetz, 2.4.2018.
    Horn, Charlotte, Konstruktiver Journalismus steht im Fokus, NDR Info, Stand: 16.02.2018 11:48 Uhr
    Qualität der Medien - Schweiz Suisse Svizzera, Hauptbefunde, Jahrbuch 2016.
    Schranz, Mario / Schneider, Jörg / Eisenegger, Mark, Medienvertrauen - eine vergleichende Perspektive. SQM (Studien, Qualität der Medien) 1/2016
    Meier, Klaus, Wie wirkt Konstruktiver Journalismus? Ein neues Berichterstattungsmuster auf dem Prüfstand. In: Journalistik. Zeitschrift für Journalismusforschung, Ausgabe 01/2018, S.4-25.

    穂鷹知美
    ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
    興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
    詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


PayPal (ペイパル)の為替決済手数料について

2018-05-10 [EntryURL]

本日、2018年5月10日からPayPal (ペイパル)の手数料が変わります

弊社クライアントで売上の大きい方々は、受け取り手数料の%が下がったり、延長され7月から適用されるようになったりしていますが、多くの方は今日から適用となっていると思います。

さて改めてPayPalの手数料について考えたいと思います。

海外から代金を受け取った際、受け取りの手数料がかかります。
3.4%+40円/件~4.1%+40円/件

アメリカの銀行口座に資金を移動させる場合、引出し手数料が発生します。
2.5%

アメリカ口座を迂回せず、日本の銀行口座にダイレクトに移動させた場合、引出し手数料は0ですが(50,000円以下の場合は250円)、為替決済手数料がかかります。

これはPayoneer、WorldFirstも同じです。両者の場合、1~2%です。

PayPalはどうでしょうか。

これが非常にややこしいです。
弊社では、約3.5~4%とお伝えしています。
ですが、PayPalの公式なアナウンスでは、為替決済手数料は、2.5%です。

先日、あるグローバル決済会社からお問い合わせをいただき意見交換させていただきました。
4%ではないのでは?
しかしながら実際の手数料は、以下のようになります。
左が5月2日、右が5月6日の移動分です。


■■2018年5月2日資金移動明細■■


■■2018年5月6日資金移動明細■■

いかがでしょうか。
PayPalは一日2回PayPal独自為替レートを更新しています。

実際の為替レートはこちら。


■■実際の為替レート■■

計算すると約3.5~4%になります。

PayPalのサイトには、「為替手数料や通貨換算手数料等がかかります。」とあります。

どれがどれかちょっとわかりにくいです。
詳細まできっちり理解しておくことも必要ですが、
わたしたちは、受け取り手数料が、3.4%+40円/件~4.1%+40円/件。
為替決済手数料が、約3.5~4%と覚えておけばいいかと思います。


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