ブログ記事一覧

株式会社コンテンツラボ 代表取締役 河野竜夫 氏

2014-08-09 [EntryURL]

10578381_798359120208358_1267794344_n.jpg2005年コンテンツラボを創業し、海外在住日本人起業家専門にオンラインを活用したビジネスコンサルティングや各ビジネス支援サービスを行う。

自社のクライアントやパートナーをメンバーとした海外在住者、日本在住起業家からなる
コミュニティ”コンテンツラボインナーサークル”も主催。
これまでサポートした海外在住者は1000名以上。
世界各都市でオフラインの勉強会も行っている。

2014年海外在住者、日本在住者のマッチング数多くしてきたことを生かし、世界中の日本人同士がビジネスやプライベートで助け合うマッチングサイト「アブローディング-Abroading-」のサービスを開始。

40代。子供二人。大阪府出身だけど大阪弁は下手になっている。


■Webサイト
・ポッドキャスト『インターネットビジネスってそういうことだったのか
・世界中の日本人が助け合う。アブローディング-Abroading- https://abroading.net
・海外在住者のビジネスの輪 http://www.contentslab.net/clients.html

2014年08月10日号 日本人の若者は金になる?海外ビジネスのリアルその1
2014年09月10日号 ベトナムでアラブ人に高額商材が売れる?海外ビジネスのリアルその2
2014年10月10日号 韓国ビジネスは真夜中がオンタイム?海外ビジネスのリアルその3

夢がかなう場所、ディズニーランドパリ

2014-07-25 [EntryURL]

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(映画『眠れる森の美女』のお城がシンボルになっているディズニーランドパリ)


「ディズニーランドは永遠に完成しない。この世界に想像力がある限り、成長し続けるだろう」
これは、ウォルト・ディズニーの有名な言葉です。
彼の飽くなき想像力は、常に私たちを楽しませ、夢を見せてくれました。
そして、またウォルト自身もそんなゲストの姿をこのディズニーランドで見たかったのではないでしょうか。
彼の、人を楽しませたいという想いから始まったディズニーランドのイズムは、ここヨーロッパでも受け継がれています。

ディズニーランドパリは、カリフォルニア、フロリダ、東京に続き、世界で四カ所目のディズニーランドとして92年にパリに建設されました。
実は、65歳の若さでこの世を去ったウォルトがディズニーランドの誕生を見届けたのは、15年もの歳月を費やして55年に初めて造られた、米・カリフォルニアのディズニーランドのみなのです。

その後にフロリダに誕生したウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートは建設中にウォルトが逝去したため、彼自身はその姿を目にすることは叶いませんでした。
それでも、ウォルトの遺志を受け継いだ兄のロイ・ディズニーがその5年後、オープンへと漕ぎつけたのです。

東京をはじめとしたディズニーランドの多くは、どれもウォルト亡き後に彼の遺志を引き継ぐ者たちによって創り上げられてきました。
ディズニーランドパリも、またその一つです。
ヨーロッパで唯一のディズニーランドとして、オープン以来多くの人々に愛されてきました。
ディズニー映画『眠れる森の美女』のお城をシンボルにしたこのパークは、ピンクを基調とした可愛らしい作りが子供たちだけでなく、多くの大人たちをも夢の世界へと導いてくれます。

そして、その可愛らしさとは裏腹に、東京でも馴染みのある、ビッグサンダーマウンテンやスペースマウンテンなどの人気アトラクションはその怖さを増して、大人たちを楽しませてくれるのです。
また、ランドの隣にはウォルト・ディズニー・スタジオ・パークという映画の撮影スタジオを再現したパークが併設されており、こちらでもタワー・オブ・テラーなどのアトラクションがゲストを待ち構えています。
「大人が子供のようにはしゃぐなんてかっこ悪い」そんな大人たちの哀しい性を、ディズニーマジックはいとも簡単に忘れさせてくれるのです。

一方で、私がディズニーランドパリを訪れた際に困らされたのは食事でした。
東京で人気のポップコーンやチュロス、タンドリーチキンなど気軽に食べ歩きできるものはほとんどなく、開いているお店もあまりありませんでした。
あるのはまったくお腹を満たしてくれない小さなワッフルや、お世辞にも美味しいとは言い難いハンバーガーくらいです。
どうやらヨーロッパでは、ディズニーランドの中でもストや定休日、潰れたお店が存在するようです・・・。
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(いつだって忘れないで欲しい。すべては、一匹のねずみから始まったということを ―Walt Disney―)



ウォルトによって生み出されたたった一匹のねずみは、その手を離れ、世界中の人々に愛されて来ました。
それは恐らく、ウォルトが想像したよりも遥かに大きなものだったでしょう。
私たちは、様々な人と様々な想いでパークを訪れます。
それは、年に一度の家族旅行や大切な友人たちとの卒業旅行、或いはカップルの初デートかもしれません。
そんな、一度でも愛する人と特別な想いでディズニーランドを訪れたことのあるすべての人々が抱く、「愛の象徴」としてミッキー・マウスは世界中の人々に愛され続けているのではないでしょうか。

かくいう私にも、その特別な思い出がディズニーランドには数多く存在します。
その一つ一つは、どの瞬間を切り取っても忘れることのできない大切な思い出なのです。
だからこそ、私たちはその思い出を増やしに、また時には過去の思い出に会いに、幾度となくパークを訪れるのです。
それは、今一緒にいる人とは限らないけれど、きっとまた一緒に行けるはず。
なぜなら、そこは夢が叶う場所だから。

そんなほんのり甘い期待を込めて、私たちはこれからもミッキー・マウスを愛し続けることでしょう。
そして、最後に我々は願うのです。
永遠に、ディズニーランドが完成しないことを・・・。

Kisaki Tsujimoto
2014.07.25
辻本貴幸

株式会社SAATS 代表取締役 林一馬 氏

2014-07-05 [EntryURL]

hayashikazuma.jpg4年間のカナダ留学後、在日米軍基地にて8年間アメリカ人と共にマーチャンダイズバイヤーとして勤務。
また、妻もアメリカ人である事で長年の「英語に囲まれた環境」により
国際ビジネスセンスを養う。

早くから始めたeBayビジネスでも日本市場にTERAPEAKを導入する必要性に気づき、
TERAPEAKと販売代理店の契約交渉に挑み、契約締結に成功。

2009年11月に日本語版Terapeak for eBayを日本市場に導入。
2011年7月にヤフージャパンとTERAPEAKとの初のデータライセンス契約に成功。
2012年1月にTerapeak for Yahoo! JAPANをリリース。
2013年にはSAATSコマースというeBay出品管理ツールやSAATSフルフィルメントという配送代行サービス
といったツールやインフラの構築も作り、リサーチ、出品、落札、発送という「仕入れ」以外の
全ての輸出物販のセグメントのサポートを展開。

またeBay公認コンサルタントの資格を持ち、eBayのポリシーやビジネス展開に精通し、
日々会員のビジネスサポートに当たっている。
常に「グローバル」というキーワードを胸に秘め今後も様々なグローバルなビジネス展開に挑む。


2014年07月10日号 なぜあなたは今eBay輸出を始めるべきなのか
2014年08月10日号 eBayで儲かる商品を見つけるリサーチについて
2014年09月10日号 効率よく出品、落札管理、発送業務を行うには

ビジネスに運の要素は必要か?

2014-06-19 [EntryURL]

スペインがグループステージで敗退すると予想した解説者は0だと思います。 オランダに大敗してメンタル的な部分であったり、モチベーション、チーム内でも大きな変化があったかもしれません。運やツキというものあったのかもしれないですね。 ここまで誰も予想できません。 ネットビジネス、わたしがメインで行っているネット輸出ビジネスはどうでしょうか。 時にクレームがきたり、時に予想だにしないところから売れ出したりします。 しかしこれは事前に防げることであったり、予想できることなのです。 ビジネスに運はありまえん。運というファクターは皆無です。 たまたま運が良かったから儲かったというのは運の要素ではなく分析不足の結果でしかありません。 統計・確率から予想できます。その予想の精度によって結果が変わるだけです。 海外サイト販売の場合、Googleの各種ツールを使って情報を得ることができますし、自分のサイトのデータをGoogle Analytics、Googleウェブマスターツールで解析することによって正しい修正を繰り返すことにより、アクセス・コンバージョンをあげていくことができます。 でも特に海外の場合、いろんなファクターが組み合わさってくるので、この予想が難しくスバリ当てるのは至難の業です。 今までの経験や現地情報なども要素に加えなければいけないでしょう。 イチロー選手の言葉で興味深いものがあります。 練習して練習して、試合で自分が予想したところにボールが投げられてきて、それを思ったところに打ち返せたときが至極の喜びだということです。 と同時に、 予想しないところに投げられたにも関わらず、体が自然に反応して打ち返せたときも同じくらいの喜びだというのです。 繰り返しの練習、練習、練習の結果なのでしょう。 わたしたちの作業、作業、作業の繰り返しに似ているかもしれません。 完全な予想はできませんので、予想しない喜びを得られるのもネット輸出ビジネスの面白いところかもしれません。 簡単には結果はでませんが、「正しい作業の継続」で必ず光は見えてきます。
2014.06.19

サイキエミリ (オーストラリア在住) プロフィール

2014-06-03 [EntryURL]

422070_375270982501280_183402246_n.jpgメディカルアロマセラピスト/プロポーションクリエーター 26歳で高級下着販売会社LEE設立代表。 「売上を業界トップ3上位を常にキープ」 プロポーションクリエーターとしてクリエーター育成トレーニング指導。 サロン東京「大官山」サロンが評判を呼びラジオ、雑誌で紹介される 掲載雑誌 「私の部屋」「きれい」 全国を飛び回り各代理店のクリエーター指導、販売。
ヘアーサロン「オルフィー」共同経営。 「女性自身」掲載 「デザイン」掲載 全国より講師以来殺到。 ヘアーショー開催。 有名人お忍び店。 その後友人の会社社長と共に、美顔器その他美容関連商品販売 「雑誌、セミナー」 全国展開代理店方式 同時進行にて銀座クラブ「チーママ」 顔だけでは到底ナンバー1になれない世界で、漫才的会話を盛り込みながらの接待に沢山のお客様がファンについて下さり、また独特の世渡り上手、先輩方々からスタッフから可愛がられ念願だったナンバーワンの位置に上りつめる。そこで人は何が大切か? 仕事をしていく上で人脈の大切さを知る。必ず人は真心をもって接すれば真心を返してくれる事を知る、笑顔の大切さ、などの勉強をする。 知人の紹介から以前から興味のあった留学関連の仕事開始。 なぜ?日本人は会話が出来ないのか?という疑問から。。 自分が実験台になりながらの思考錯誤。幼少から英語耳にしたらどれ程の差が出るのか?という事もあり幼稚園、小学生専門にに留学をさせる。「親子留学」「コンドミニアムの手配。ホテル」「幼稚園、学校、デイケアーの手配」 渡米。豪州。「海外在住16年」 日系のクラブ所属「ペニーレインクラブ、チーママ」。 外国の地という世界で日本人が日本人を求める安らぎを提供。漫才的会話炸裂。演歌を歌う外国人の多さに驚く。また日本人と外国人の橋渡しをする。BBQなど時あるごとに催し物を開催。「日本の伝統的文化を取り入れる」。100席というお店の広さとステージがあるこのお店には、常に日本より有名人が来店それと共に異文化間交流パーティーも開催。 マジカルキャッツ会社設立代表また「なぜ人は生きているのか?」 外国独特の自己啓発め、ヒラー関連など 今まで自分が生きてきた中で体験した引き寄せを少しでも多くの人に。 日本と世界をむすぶ医療現場から、現代医学と世界の自然療法学の最新情報をネット、セミナーなどを通して情報交流、これからの医療の発展と向上を心がける。海外での医療・介護・心のケアなどを専門家のアドバイス含めたセミナーを実行、さらに現場での体験実習「証明書取得あり」。、また日本での海外講習も予定。受講者のニーズにあわせ、健康全般をはじめ、日本ではまだなじみの浅い自然療法学=ナチュウロパシィについて広めてゆくセミナー&交流を開催。 [aromatherapy massage]in Australia *International Aromatherapy&Aromatic Medicine association in Australia.Japan and England Medical Aroma セラピスト

パリで出会った日本人(家庭料理研究家 奥田玲子さん)

2014-05-31 [EntryURL]

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(奥田玲子×辻本貴幸)


「家庭料理は家族という人間関係を繋ぎ、培うもの。いつの時代も食卓は家族が集まる場として普遍的な存在であって欲しいと思っています」 こう語るのは、家庭料理研究家で、ケーキ教室『Eclat』(エクラ=大阪府)を主催する奥田玲子さん。 食育や、口からの美を伝える奥田さんが語る、いつまでも健康で、輝き続ける秘訣とは? 私の友人でもある、奥田さんにお話しを伺いました。 ―まず、奥田さんがパリに来ようと思ったきっかけはなんだったんですか? 奥田さん(以下、奥田)「以前に日本で『秋の味覚の一週間』というシンポジウムがあり、私もそれに参加したんです。その時に、フランスのシェフの方たちもたくさんいらっしゃって講演されていたんですね。そこで彼らのような有名なシェフたちが食育の活動をしているということを知ったんです。日本ではまだまだ正しく周知されていなかったことが、フランスでは何年も前から既にはじまっているということに驚きました。国民が食に興味を持っていて、有名シェフたちによる食育活動もさかんな国で作られ、食べられている家庭料理というものに興味を抱いたのが最初のきっかけでした」 ―実際にパリに来られていかがですか? 奥田「パリに来てまず驚いたのは、家族の食卓の在り方でした。こちらでは少し遅くなっても家族が全員揃ってから、皆でご飯を食べるんです。もちろん食事をするダイニングルームにはテレビや新聞は置いていません。家族皆が忙しく時間に追われている日本ではなかなか見られなくなった光景だと思いますが、家族で会話を楽しみながら食卓を囲むというのは家族の基本。忙しい現代人にとって、テレビや携帯を見ながら一人でささっと済ませるという食事スタイルが必要になるときもあるかと思います。でも、だからこそ心や時間に余裕をみつけて、大切な人たちと食事を楽しむということを大事にして欲しいと思っています」 ―奥田さんの思う、パリの魅力とは何だと思いますか? 奥田「美しさと汚さが共存しているところだと思います。パリってこんなに綺麗な街なのに足元をみると汚いですよね。ちゃんとゴミ箱もあるのにタバコの吸い殻や空き缶、ありとあらゆるゴミをその辺にほかす(捨てる)。犬の糞は皆拾わずに置きっぱなし。日本から来た私は、もっと綺麗にすればいいのにと思ってたんです。でも、日本人の方でパリにはもう40年以上住んでらっしゃる、ある偉い先生とお食事をご一緒した時に「パリって汚いですよね?」って私言ったんですね。そうしたらその方が「汚さも含めてパリの魅力だ」っておっしゃるんです。「どんなに綺麗な女性でも、パンツの中は汚くて臭いでしょう?それと同じだよ」って」(笑い) ―汚いものがあるからこそ、綺麗なものがより引き立つ訳ですよね? 奥田「そうなんです。それは辻本さんのファッションでも同じだと思うんですけど、表も裏もただ綺麗なだけのものってつまらないと思うんですね。明暗があるからいい。だから私は、そこも含めてパリの魅力だと思っています」 140531-2.JPG個人的な話をすると、僕はいつも玲子ちゃんって呼ぶんだけど。 奥田「はい」 ―この写真もそうなんだけど、たまに玲子ちゃんがお菓子とかいろいろ差し入れしてくれるじゃない? あれって美味しくて大好きなんだけど、いつも玲子ちゃんの手作りなんでしょう? 奥田「そう。あれは私が作ってるの。ちゃんと健康にも気を遣って甘さ控えめで、その分フルーツをたくさん使ったりして」 ―玲子ちゃんとは時々食事にも行くんだけど、その時にいつも思うのは、玲子ちゃんは野菜とかいろいろバランスよく食べていて凄いなって。 僕はいつもお酒を飲みながら、何も考えずに好きなものだけを食べてるから・・・。 奥田「きさきくんは偏食だし、私は野菜ソムリエでもあるから、どうしても気にはなるのよね。でも、子供の頃に楽しくバランスよく食べることを知っていたら、特別意識しなくても、自然と食べられるようになる。そういう風にしてあげるのも食育の一つだと思うの」 ―なるほど。食育の大切さ、身に沁みますね。 奥田「だけど、きさきくんはいつもたくさんの人と一緒にいるでしょう?相手が日本人でもフランス人でも、いつも楽しく食事をして、お酒を飲んでる。それってすごく大切だし、難しいことなのよ」 ―確かに、日本では今ぼっち飯っていうのが話題になってますよね? 京大の学食ではお一人様席、いわゆるぼっち席を作ったら大人気だとか。 奥田「そうね。それに便所飯(友達がいないため、トイレで一人でご飯を食べること)っていうのもあったでしょう?そういう人たちだって、きっと一人で食べるのが好きなんじゃなくて、誰かと食べたいと思っているはず。大学の学食なんてあんなに友達がたくさんいる中で、本当に一人で食べたくて食べてる人ってどれくらいいるのかなって。家族や友人、恋人と会話をしながら食事をすることってとっても楽しいことなのに。だけど最近は誰かと食事をしていてもテレビや携帯に夢中なんて人も多い。私たちは孤独の孤と書いて孤食なんて言い方をするんだけど、寂しいですよね」 ―フランスではその辺りはどうなんですか? 奥田「フランスでは一人で食事をする人があまりいません。一人の場合は「ここに座っていいですか?」から会話が始まりますよね。会話をしながら食事を楽しむことを本当に大切にするフランス。気軽に声をかけあうことが大切なんじゃないかと感じます」 ―玲子ちゃんが主催しているエクラではそういうことも伝えてる? 奥田「これからそういうことも伝えていきたいですね。私はこれまで口からの美について伝えて来ました。生きるエネルギーとなる食べ物を摂取する口、会話しながら笑顔が生まれる口、それが、人の輝きに繋がると思っているんです。口からの美は笑顔を出せる自分だから」 ―これからのエクラ、どうしていきたいですか? 奥田「パリに来て、こちらのマダムから料理を教わったり、フランス語のレシピ本を翻訳したりと、濃密なパリ生活で学んだことを今度は私の教室で生徒の皆さんに発信していけたらと思っています。今は私の誕生日にきさきくんからいただいたラデュレのレシピ本を一生懸命翻訳しているところ。ただ、フランスにはフランスの、日本には日本の食文化があるでしょう?その国の風土に合った食ってとても大切だと思うんです。その辺りも意識しながら、私なりに工夫したレシピを皆さんに伝えていけたらいいなと思っています」 ―最後に、このコラムを読んでいる日本の皆さんになにか一言いただけますか? 奥田「フランス語でエクラは輝きという意味。私にとってキラキラ輝くことは料理だったんです。だから、皆さんも少しでも興味のあることを見つけたら、まずは悩む前に扉を叩いてみて欲しいですね。そうすれば、きっとそこにはキラキラ輝くことが待っています」 140531-3.JPG

家庭料理研究家 奥田玲子

京都府出身。
家庭料理研究家として、自身でエクラ教室を主宰する一方、野菜ソムリエ、歯科衛生士としての顔も持つ。
歯科衛生士としての知識を活かし、食だけでなく口から考えるトータルビューティ―も伝えている。
また、エクラでは野菜ソムリエ認定教室として、自身の故郷である京丹後市で採れた野菜を使い、野菜の美味しさを伝える食事プレートも提供している。

ケーキ教室『Eclat -Patisserie Class-』
大阪市北区中之島
TEL090‐5151‐7102

Kisaki Tsujimoto
2014.05.31
辻本貴幸

株式会社ゼロスタート 代表取締役 岡田剛 氏

2014-05-27 [EntryURL]

okadago.jpg 27歳の時、月給15万円の新聞配達をしながら、インターネットビジネスを学び始める。 30歳の時、輸入ビジネスで成功。短期間で100万円以上の売上げを出せるようになり、独立。
32歳の時、自宅での完全な一人ビジネスで3000万円以上を売上げ、株式会社ゼロスタートを設立。
現在も、自宅で一人、時間を自由に使って複数のビジネスに取り組み、起業家として活動中。


2014年06月10日号 輸入ビジネスの勝負はほぼ99%がここで決まる。
あなたの成功を左右する【商材選び】で失敗しないための3つの鉄則
2014年07月10日号 売れる前から「これはいける!」と思ってしまっている人は要注意。
●●だけは、まず【テスト販売】でチェックせよ
2014年08月10日号 ついにあなたの未来を激変させる作業が始まる。
【ホームページ】を打ち出の小槌にしてしまう成功者達の思考法とは?

株式会社ミナモ 代表取締役 木村百合 氏

2014-05-15 [EntryURL]

kimurayuri.jpg薬剤師
薬科大学を卒業後、化粧品会社に入社。
会社の研究所で、化粧品原料の品質管理、化粧品の品質管理、薬事業務などを担当後、化粧品開発の仕事、安全性試験を担当。その後、化粧品の開発、安全性試験の責任者となる。
化粧品開発は主に基礎化粧品を担当し、化粧水、乳液、クリーム、美容液、洗顔等様々な種類のものを開発。その他頭髪化粧品等も担当する。
20年勤めた化粧品会社を退職、韓国系化粧品会社に入社し、品質保証マネージャー、総括製造販売責任者として、輸入化粧品の薬事・品質管理業務に携わる。
韓国系化粧品会社を退職し、新会社の設立時に総括製造販売責任者として参加。
同社退職後、株式会社ミナモを設立、現在に至る。ミナモオンラインショップ


2014年05月10日号 化粧品の基本となる法律、薬事法について
2014年06月10日号 化粧品を輸入するための手順や、気を付けなければいけない事、関連する法律
2014年07月10日号 化粧品を販売する、又は販売した後の表示・広告表現・回収について

お支払の流れ

2014-05-09 [EntryURL]

「お申し込みボタン」をクリックしていただきますと、
お手続き完了まで、以下のような流れになります。


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夢と現実のヴェルサイユ宮殿

2014-04-25 [EntryURL]

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(ヴェルサイユ宮殿前に設置された太陽王、ルイ14世の騎馬像)


私がパリに来てどうしても行きたかった場所。 それは、かの有名なヴェルサイユ宮殿でした。 ここには、私の夢の形があったのです。 パイロットにスポーツ選手、アイドルにお医者さん、幼い頃に思い描く夢は人それぞれ様々でしょう。 そして、夢と呼ぶにはあまりに大層で、現実味のない空虚な妄想というものを、子供の頃にはみんな多かれ少なかれ体験したことでしょう。 私にとってのそれは、王様でした。 私は変わった子で、他の子供たちがウルトラマンや仮面ライダーになりたいと願った幼少時代、「僕は王様になりたい」と思っていたのです。 大豪邸に、目が眩む程の貴金属、一生かかっても着尽くせない程の洋服や毛皮の数々に、ピカピカに磨かれた銀食器で毎晩フォアグラやフカヒレ、シャンパンの晩餐。 当時、私がそこまでの想像をしていたのかは、今となっては思い出せませんが、多くの召使いに囲まれて、王様の様に振る舞う事を想像して楽しんでいたのは間違いありません。 今にして思えば、あの頃から人にチヤホヤされるのが好きだったのでしょう。 我ながら、浅ましい少年時代だったと思います。 ですが、どんな夢も妄想も、大人になるに連れ、そんな事は一生起こらないのだと勝手に学び、そんな妄想をすることが虚しくなると、いつしか忘れていくのです。 そして、気付けば現実になるかもしれないと願った夢すらも遠く彼方にあるという現実・・・。 さて、前置きが長くなりましたが、ヴェルサイユは私の心の奥底に眠っていたかつての妄想を想起させるに十分な場所でした。 美しく、厳かなこの宮殿に、私は一瞬で魅了されたのです。 あまりに現実離れした広大な敷地や、映画でしか観たことのないような宮殿に私は圧倒され、「ここに本当に人が住んでいたのだろうか?」と疑わずにはいられないほどでした。 今、自分が立っているこの部屋で、数百年前、あの太陽王やマリー・アントワネットが暮らしていたなんて想像できるでしょうか? 私には出来ませんでしたが、事実彼らはここで暮らしていたのです。 幼少の私が、小さな脳みそで妄想していたものを遥かに超える王室の暮らしが、そこには間違いなく実在したのです。 私は中世の世界史を彩る彼らが、かつて暮らしたこの宮殿に心躍りました。 ですが一方で、この宮殿やここでの暮らしが、あのフランス革命の原因になったのかと思うと、何とも言えない虚しさが残るのです。 ヴェルサイユ宮殿とは、そもそも1682年に太陽王と呼ばれたフランス王・ルイ14世が建てた宮殿であり、パリを忌み嫌ったとされるルイ14世が、パリから離れたこの地に建てさせたのです。 その後、後に起こるフランス革命により、ルイ16世がパリに連行されるまでの107年間に渡って王族の人々がこの宮殿に暮らしてきました。 その間、宮殿は造園や増築を繰り返し、現在の姿になっているのです。 しかし、ヴェルサイユをただ豪華な宮殿として見物するにはあまりに勿体ないでしょう。 フランスの歴史として見れば、フランスの絶対王政の実現に一役買ったというこのヴェルサイユ宮殿は、1919年、第一次世界大戦終結の、ヴェルサイユ条約の調印が成された場所としても有名で、その豪華さだけでなく歴史的価値という面でも計り知れないものがあるのです。 0425-2.jpg そして、ここがその調印式が行われたとされる、あの鏡の間です。 鏡の回廊とも呼ばれるこの場所は、500枚以上もの鏡が壁一面にはめ込まれ、全長73メートル、高さ12・5メートルの天井にはルイ14世が戴冠以来18年に渡って成し遂げてきた偉業の数々が、ル・ブランによって天井画として描かれています。 21世紀を生きる私たちが見ても度胆を抜かれるこの宮殿は17、18世紀に訪れた人々に王の威厳を示すには申し分ないものだったことでしょう。   まさに豪華絢爛、贅の限りを尽くしたヴェルサイユ宮殿は、かつての王族が確かにここに権力と富を築き上げてきたという象徴であり、332年の歳月を経た今なお、かつての権威と繁栄を堂々と、惜しむことなく誇示すると共に、世界中から訪れる人々を魅了し続けているのです。
Kisaki Tsujimoto.
2014.04.25
辻本貴幸

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