若者の目につくところに公共放送あり 〜スイスの公共放送の最新戦略
2019-05-05 [EntryURL]
マスメディアはもはや不要?
世界的にソーシャルメディアをはじめとするネット上の多様なコンテンツにおされて、伝統的なマスメディアの利用が減っていますが(Qualität der Medien, 2016)、この傾向は、スイス公共放送のテレビやラジオの視聴にも如実に現れています。2016年のスイスのドイツ語圏では、日々、240万人が視聴していますが(民間放送は140万)、これは2000年と比べると60万人少なくなっています (Brupbacher et al., 2017)。視聴する人の年齢が顕著に高齢化していることも最近の特徴です。スイスの公共放送の第一報道局(スイスのテレビ、ラジオのメイン放送局、時事問題を主に扱う)の視聴者の平均年齢は60.8歳です(ちなみにスイス全体の平均年齢は42歳)(Tobler, 2018)。
一方、昨年の公共放送のネット視聴状況をみると、ネットでの視聴は年々増加しており、全く違う現象があらわれていることになります(スイスの公共放送のコンテンツはラジオもテレビもほとんどネット配信されています)。この二つの現象、減る(テレビとラジオの)視聴と増える(ネットの)視聴は、どう関係しているのでしょう。
今回はスイスの公共放送をめぐる最新の動きについてみていき、そこでの戦略や特徴について概観してみたいと思います。
アクセスできるツールを増やす戦法
スイス公共放送は、2007年はじめから、ユーチューブのチャンネルを開設しており、4月中旬現在、トータルで4213万回視聴されています。
スイス公共放送の発表によると(Beck, 2019)、2018年のユーチューブでの公共放送ビデオのクリック回数は850万回で、1日に換算すると23万3000回になります。視聴された時間をみると、年間で3億5400万分、1日になおすと16160時間公共放送の内容がユーチューブで視聴されました。この視聴時間は前年比で22%の増加となります(Beck, 2019)。
ユーチューブ利用の大幅な伸長について、「公共放送のテレビ番組の未来にとって、ユーチューブは非常に重要になるであろう」とスイス公共放送局長マーヒャントGilles Marchand はコメントしています(Beck, 2019)。
ユーチューブでは視聴者数も視聴時間が増えていることと、同じコンテンツをテレビでやっても視聴者数は減っていることは、矛盾しているのでしょうか。
そうではないでしょう。従来のテレビやラジオでなく、ユーチューブで視聴する人が増えているということであり、もちろん、公共放送をどんな形でもみないという人もいるでしょうが、視聴手段が移行、変化していることのあらわれと思われます。
同じようにコンテンツをユーチューブで配信するようになったドイツの民間放送局RTSでは、前年比で利用者が75%も増え、「ユーチューブはますます我々の二つ目のテレビとなる」(Beck, 2019)と言っています。
この比喩をつかえば、スイスの公共放送においても、第二、第三のテレビ(あるいはラジオ)を整備する、つまり、従来のテレビ、ラジオ以外の形で、人々に使い勝手がいいものをツールにして内容を伝えることが、今後の視聴回数や人を増やす鍵となっている、といえるでしょう。
このことは、わたしがここで指摘するまでもなく、公共放送がすでに理解し実行していることです。すでに、ユーチューブ以外にも、スイスの公共放送は、テレビとラジオ以外の手段でコンテンツを配信することに力をいれており、テレビとラジオでしかみられない番組は、もはやないといえるほどです。
まず、ホームページから番組(過去のものも含め)を視聴できます。スイスの公共放送の公式ホームページの訪問者数は、すでにフリーペーパーと大衆紙の次に多いといった状況であり(Beck, 2019)、ほかのネット関連業者がうらやむほどの多数の訪問者数を獲得していることになります。ほかにもポッドキャストの配信にも力をいれています(「聴覚メディアの最前線 〜ドイツ語圏のラジオ聴取習慣とポッドキャストの可能性」)。毎日夜に30分ラジオで放送されている、ニュース報道「時代のエコー(こだま)」(日本で言えば夜7時のNHKのニュースに相当するような存在)は、2014年、年間250万件のダウンロードがありました。さらにこれに加え、ご紹介したように、ユーチューブでも、主要な番組(すべてではない)が視聴できるようになっています。
スイスの視聴者側からいうと、視聴したい番組の視聴の仕方を、状況に応じて選べる、それが、すでに公共放送の常識になっているということになるでしょう。
ちなみに、ユーチューブと公共放送の関係は、最初からこれほど親密なものではあったわけではありません。むしろ少し前まで、公共放送にとってユーチューブは、視聴者を取り合う商売敵として距離を置く態度がむしろ強かったといえます。しかし、それが最近変わりました。もちろん今も、公共放送がほかのデジタルコンテンツと一面で競合しているという事実に変わりはありませんが、同時に、ユーチューブという報道の「インフラ」を最大限に利用する、つまり、可能な部分では互いに提携し、互いにウィンウィンの関係になるほうがいいという、公共放送において発想の転換があったといえます。
若者層をとりこむ
このようにスイスの公共放送は、すでにネット配信自体は長く行ってきたわけですが、今回、ユーチューブでの視聴がとりわけ増えいるという事実は、ある観点からとりわけ注目に値します。それは、視聴者の世代です。詳細はわかりませんが、ユーチューブは、とりわけ若者が多く消費するコンテンツとされているため、単純に考えて、ユーチューブの視聴が増えたことは、これまで公共放送が従来の形で一番とりこみにくかった若者層が、とりわけ公共放送にアクセスしたということなのでしょうか。
この点公共放送側からの説明がなく、はっきりわかりませんが(公共放送もどこまで把握いているのか不明です)、この話題の伏線として、興味深い事実があります。昨年はじめ、スイスで、公共放送の受信料廃止の是非が問われた国民投票がありましたが(圧倒的多数で廃止が否決され、引き続き受信料を財政源として公共放送が維持されることが決定されました。詳しくは以下をご参照ください「メディアの質は、その国の議論の質を左右する 〜スイスではじまった「メディアクオリティ評価」」)、その時、もっとも受信料廃止に反対する人の割合が多かったのは、(誰も想像すらしていませんでしたが)意外にも若者でした(30歳未満で反対した人は80%以上)。
この選挙結果を素直にとらえるならば、若者は、公共放送をはじめマスメディアから現在は足が遠のいている状況が一方であるものの(「若者たちの世界観、若者たちからみえてくる現代という時代 〜国際比較調査『若者バロメーター2018』を手がかりに」、fög, 2018)、それでいて、若者たちの間で、公共放送は、決して過小評価されているわけではないということでしょう。
若者が一方でニュース離れしているのに、他方で公共放送をどの世代よりも高く評価している。ということは、もしかして、若者がアクセスしやすくなるようなしくみさえあれば、若者にもっとみてもらえるという希望的観測ができるのでしょうか。
若者をひきつけるために、コンテンツをどう変えていくかもひとつの大きな問題とされますが、それと同時に、しかし全く別の問題として、若者の目に届くのはどこか、ということがあり、この二つの全く別の問題をどう最適化できるのかが、一層問われることになりそうです。
ちなみに、若者層をとりこめない、という問題はスイスだけでなく、ドイツの公共放送も同じようにあり、試行錯誤が続いていますが、ふたつの国の現在の方針は大きく異なっています。スイスではそのような独自のものをもたず、ユーチューブやソーシャルメディアなど、すでに若者層に人気があり利用されているものに連結する形で、若者に接近する方針に固まっていますが、ドイツでは、ユーチューブに依存せず、独自の若者向けのポータルサイトを開設することで、若者をとりもうという方針をとっています(Tobler, 2018)。
ユーチューブ側のメリット
さてここまで、公共放送側の発想の転換やメリットについてみてみましたが、ユーチューブ(あるいはその親会社であるグーグル)にとって、このようなスイスの公共放送の動きはどのようにうつっているのでしょうか。
全般に、アクセス数や視聴時間が増え(それられによって様々なデータもまた入手でき)ることは、ユーチューブにとって好ましいことですが、とりわけ、現在、公共放送がユーチューブでコンテンツを配信することは、歓迎されているのではないかと思います。
というのも、EUでは今年4月著作権法の改正案が採択され、将来、プラットフォーマーに著作権侵害のコンテンツを削除することが義務付けらることになり、今後、全般にユーチューブなどでの著作権管理をより厳しくしなくてはいけなくなりましたが、公共放送自らがコンテンツを配信している場合は、高品質で視聴者数が多く集まりやすいコンテンツでありながら、著作権上の問題がありません。ユーチューブにとっては、価値が高いコンテンツをのせてくれるありがたい顧客であるといえるでしょう。
プラットフォーマーやソーシャルメディアと協働するメディアの潮流
公共放送とプラットフォーマーの協働的な関係は、スイスの公共放送に限らず、近年のメディア全体をみても、確かな潮流になってきているようです。メディアの報道の中心がネット上の配信に重心が移っていくようになった今日、競合関係も激しいですが、共有、協調できる部分や可能性がこれまで以上に大きくなっているためです。
提携することで、高品質の報道コンテンツの社会への影響力を広げようとする動きもでてきています。「建設的ジャーナリズム」です。これについては以前何度か紹介しましたが、2010年ごろから「今日のニュースメディアで増えているタブロイド化や、センセーショナリズム、また否定的バイアス」を問題視し、人々に「起きている悪いことや否定的な面を強調せずに、公平に、正確に、また社会的な文脈に関連づけて世界の姿をみせることを目指す」(Constructive Institute)ジャーナリズムの新たな手法としてでてきました(「ジャーナリズムの未来 〜センセーショナリズムと建設的なジャーナリズムの狭間で」、「公共メディアの役割 〜フェイクニュースに強い情報インフラ」)。
今年1月、建設的ジャーナリズムの二回目の国際会議が開催されましたが、そこでの様子をみると、56カ国から555名が参加したこの会議のスポンサーはグーグルで、会議のスピーカーとして、ジャーナリストやメディア専門家だけでなく、国連やユネスコなどの国際機関や、フェイスブック・ニュース主任やグーグルニュース部門専門家が名を連らねていました。また、建設的研究所のパートナーに名を連ねている組織や企業名には、公共放送局やジャーナリストの組織だけでなく、様々な立場でジャーナリズムに関わる団体の名がみられます。
これをみると、よりよい報道のあり方を目指し、世界のメディア関係者(ジャーナリストやプラットフォーマー、ほかの様々な形でメディアに関わる人や組織)が、協力的な関係を築く方向に確かに動きだしているようにみえます。
プラットフォームやソーシャルメディアとマスメディアの連携は、今後、これまで以上に緊密になっていくのかもしれません。消費者にとっても、それが、より高品質のものを簡単に入手しやすくすることであるのだとすれば、歓迎すべき傾向でしょう。
今後も、ネット上にいっせいにならんで競合しあいながら切磋琢磨して進化しつづけるメディアの展開から目が離せそうにありません。
参考文献
O’Sullivan, Domhnall, 宇田薫(訳)、公共メディアと若者-ソーシャル世代から支持されるには?、スイスインフォ、2019年3月7日
Tobler, Andreas, SRF kämpft um seine Zukunft. In: Tages-Anzeiger, 16.10.2018, 20:06 Uhr
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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