現代人の深層心理を映し出す 〜LSDをめぐる最近の議論や期待感から
2018-02-22 [EntryURL]
LSDに期待を寄せる社会の心理
前回「20世紀に封印され21世紀に期待を寄せられる化学物質」に、現時点で知られるLSDについての最新の医学的知見について整理しましたが、LSDについては、その医学的効果や健康への影響、またその効果がどのくらい持続するか、といった医学的・学術的な知見とは全く別の次元で、冷静に扱う必要がある重要な問いがあるように思われます。
それは、なぜ今、LSDに社会で関心が集まるようになったか、という問いです。それに対する私なりの結論を最初に述べますと、LSDが、とりわけ今日の社会で重視されている問題と非常に深く関わっているためと考えます。どんな側面で、長く封印されていて日常目に触れることもないドラッグが、わたしたちの社会と関わっているのでしょうか。以下、密接に関わっていると思われる社会領域(テーマ)をあげてみます。
自己最適化ブーム
LSDへの関心は、まず、冒頭のトレンド・デーのタイトル「自分をスーパーにする。成長する自己最適化の市場」が物語っているように、現在、シリコンバレーだけでなく世界中で自分の最適化や能力アップへの情熱、あこがれと強く結びついています。
自己の能力を向上させたいという願いは、人間にとっての究極的で本能的な衝動であると解釈もできますが、それが過剰に所望される社会状況は、能力向上へのプレッシャーが社会や職場、教育の場で高まっていることの裏返し、ととれなくもありません。
先述のスイスでのドラック使用状況を調査したSUVAの2013年の報告では、全体としてはドラック使用が少ない一方、教育課程中の人に使用が、就業者の2倍にのぼっていました。この調査だけでは教育課程中の人の方が多い理由は定かではありませんが、教育課程にいる人のほうが、すでに雇用先がある就業者よりも、とりわけ能力向上への自己プレッシャーや不安が大きいということが、理由としてあるのかもしれません。
クリエイティブになるためのツールとして
近年、人工知能の発達によって、現在ある雇用先の数割が消失するのではという話をよく耳にし、現代は誰もが自分の雇用先に不安を抱かずにはいられない時代であり、それになんとか対処しなければという気持ちが誰にでも多かれ少なかれあるのではないかと思われます。
実際になにをすればいいのか、と戸惑う人たちを前に、昨今もてはやされている言葉が「クリエイティブな」発想や思考です。
昨年、スイスで情報専門家が、小学校の必修授業として情報の授業を取り入れる究極の理由としてあげていたのも同じような理由でした。20年先にどんな仕事があるかは全くわららないからこそ、将来クリエイティブに仕事ができるためのツールとして、情報の授業が重要だと捉えていました(「教師は情報授業の生命線 〜 良質の教師を大量に養成するというスイスの焦眉の課題」)。
単なる仕事のテンポや生産性の向上だけでなく、とりわけクリエイティビティーの強化に寄与する、と理解されることが少なくとも現状では多いLSDの存在は、それゆえ、手っ取り早い切り札のように、現在大きく期待され、注目されやすいのだと考えられます。
ただし、いくら感情的にクリエイティブになっても、それを表現するための手段(絵画の技術であったり、演奏の技術であったり)が身についていなければ、結局実りある表現や仕事には結びつかないと判断を下す専門家もおり、「クリエイティブ」という漠然としたイメージをどう定義するかによって、LSDの効用も、かなり違って捉えられるのではないかと思います。
脳のアンチエイジングのツールとして
LSDの専門家フォーレンヴァイダーは新聞のインタビューで、数年間にケンブリッジで開催された神経学学会の会合で、30歳以降少しずつ衰えてくる認知能力低下を防ぐという目的のため、50歳以上の人々に「脳ドーピング Gehirndoping」をするという新しいヴィジョンが出たことを紹介しています(Zweifel, «Gratwanderung», 2016)。
現代において、働きざかりの世代や、これから働こうとする若い教育課程の世代だけでなく、高齢者の間でもできる限り働き続けることが、生きがいや自己肯定につながり、社会にとっても望ましい高齢者の姿と捉える見方が、高齢化が進む先進国では全般に強くなってきています。日本の「一億総活躍社会」というスローガンにも、そのような高齢者が増えることへの期待があるように聞こえます。
そうであるとすれば、脳にとってのアンチエイジングともいえる、このようないいニュアンスでは「能力向上」、悪いニュアンスでは「ドーピング」として捉えられる薬物の消費は、将来広い社会層で許容されたり、一般的になっていく考え方になっていくのかもしれません。
表裏一体の負の可能性
このように、現在LSDがもてはやされる土壌、親和性が、現代社会にはあることは確かな事実として認められますが、だからといってそれを無制限に推し進める方向に社会が進んでいくことを想定すると、疑問もでてきます。わたしの抱いた疑問を、いくつか指摘してみます。
例えば、能力向上を目指すことは、個人で目標に向かって努力するというスタンスでは決して悪いものではないでしょうが、自分だけでなく、周囲の人もまた同じことを目指せばめざすほど、競争原理でヒートアップしていくことになり、終わりがありません。社会の大半が能力向上を目指して際限なく挑戦していくことは、世界的に進む高学歴化やそれに伴いヒートアップする受験(「進学の機会の平等とは? 〜スイスでの知能検査導入議論と経済格差緩和への取り組み」)と同じように、歯止めがきかないエンドレスの競争の時代に突入するような感じを覚えます。
また、人工知能に奪われない仕事にありつくために、たのみにするクリエイティビティーという能力も、いわんとする主旨はわかるものの、それが一体なにを示すのかが依然茫漠としていて目標がみえません。またすべての人がクリエイティブであることに解を求めることは、逆に画一的であり、「クリエイティブ」の対極に位置する貧相な発想であるようにも思われます。
高齢者がアンチエイジングを進め、若者とできるだけ同等に働き続けることも同様に、今ほとんど可能でないため、あこがれるような理想的な響きをもちますが、いざそのようなことが実現するとどうなるのでしょうか。高齢者があるがままの高齢者らしい姿をさらせないことは、社会の公正さからみると、ゆがみがあるようにも思えます。
おわりに
LSDが開発されてちょうど80年となる今年の4月には、LSDに関する学術会議がスイスで予定されていますが、その会議の公式サイトには、LSD について、20世紀に発明・開発されたあまたのもののなかで「ほとんど匹敵するものがないほど20世紀の文化の歴史に影響を与え、変化もさせた化学物質」という記述がみられます。
しかし見方を変えれば、21世紀の現代こそ、医学的療法や、また見地や職場の能力向上やクリエイティブな頭脳への願望を実現するためなど、時代の必要なものを提供する輝ける救世主のように、明確な用途と目的で大々的に利用がすすみ、LSDにとって最も重要で、進展のある世紀になるのかもしれません。
少なくともこれからの数十年でLSD に対し、社会的常識や理解がかなり変化していくことは確かなように思えます。LSD専門家の一人ベルガーは、LSDを含め、能力を向上させる物質が、この先数十年の間、大きなテーマになると確信しており、朝食にコーヒーを一杯飲むように、そのような物質を摂取するのが普通のことになることは容易に想定できるといいます (Blick, 2017) 。そこまで実際にいくのかはわかりませんが、度肝をぬかれるような現象に、近い未来に、再び出くわすことになるかもしれません。
///
<参考サイト>
Aufgeputschte Studenten LSD statt Kaffee zum Zmorge. In: Blick,20.08.2017 | Aktualisiert am 07.09.2017.
Austin, Paul: «LSD-Mikrodosierung steigert unsere Effizienz», Arbeiten, Wirtschaft, Hacks, GDI (Gottlieb Duttweiler Institute). (2018年1月25日閲覧)
Britsko, Sascha, Ein Schweizer LSD-Forscher hat uns erklärt, wie die Droge dein Leben verändern kann. (Interview mit Matthias Liechti) In: Vice, 12.11.2015.
Büttner, Jean-Martin, LSD als kreatives Doping. In: Tagesanzeiger,30.11.2016.
«Etwa jeder 10. Konsument hat ein Drogenproblem», Global Drug Survey. In: 20 Minuten, 14. Juni 2016 12:27; Akt: 14.06.2016 13:01
75 Jahre LSD
Junge dopen am häufigsten. In: Suva, Medien, 26. November 2013.
Lahrtz, Stephanie, Der Drogenkonsum in Deutschland steigt - droht eine Krise wie in den USA? In: NZZ, 26.1.2018, 05:30 Uhr
LSD : Neue Forschung mit LSD in der Schweiz. In: Blick, 11.03.2008.
LSD-Therapie. In: SWR, Odysso Wissen, 07.04.2016 | 8 Min.
Mikrodosiertes LSD, «Ich glaube nicht, dass das etwas bringt». (Interview mit Matthias Liechti )In: 20 Minuten, 2.12.2016, 18:21
Plante, Stephie Grob, Meet the World’s First Online LSD Microdosing Coach. In: Rollingstone, September 7, 2017.
SaW Redaktion, LSD-Trips im Universitätsspital. In: Schweiz am Wochenende, 19.9.2015 um 23:30 Uhr.
Schrader, Hannes, Microdosing: LSD statt Kaffee. In: Zeit Online, 04.01.2017 - 13:07
Schweizer nehmen Mikro-Dosen LSD als Arbeitsturbo. In: 20 Minuten, 01. Dezember 2016 10:02; Akt: 01.12.2016 17:02
Universität Zürich, LSD wirkt über Serotonin-Rezeptoren wahrnehmungsverändernd, Medienmitteilung vom 26.01.2017.
Zürcher, Christoph, Die Politik setzt auf die falschen Drogen. In: NZZ am Sonntag, 30.11.2017.
Züst, Patrick, Konzentriert und kreativ arbeiten: Entwickelt sich LSD zum neuen Hirndoping? Silicon Valley. In: Schweiz am Wochenende, 18.3.2017 um 05:45 Uhr
Zweifel, Philippe, «Gratwanderung zwischen Ordnung und Chaos». Mit Franz X. Vollenweider sprach Philippe Zweifel. In: Tagesanzeiger, 1.12.2016.
Zweifel, Philippe, Eine Mini-Dosis LSD zur Arbeit. In: Tagesanzeiger, 1.12.2016.
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。