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現代人の深層心理を映し出す 〜LSDをめぐる最近の議論や期待感から

2018-02-22 [EntryURL]

LSDに期待を寄せる社会の心理
前回「20世紀に封印され21世紀に期待を寄せられる化学物質」に、現時点で知られるLSDについての最新の医学的知見について整理しましたが、LSDについては、その医学的効果や健康への影響、またその効果がどのくらい持続するか、といった医学的・学術的な知見とは全く別の次元で、冷静に扱う必要がある重要な問いがあるように思われます。
それは、なぜ今、LSDに社会で関心が集まるようになったか、という問いです。それに対する私なりの結論を最初に述べますと、LSDが、とりわけ今日の社会で重視されている問題と非常に深く関わっているためと考えます。どんな側面で、長く封印されていて日常目に触れることもないドラッグが、わたしたちの社会と関わっているのでしょうか。以下、密接に関わっていると思われる社会領域(テーマ)をあげてみます。
自己最適化ブーム
LSDへの関心は、まず、冒頭のトレンド・デーのタイトル「自分をスーパーにする。成長する自己最適化の市場」が物語っているように、現在、シリコンバレーだけでなく世界中で自分の最適化や能力アップへの情熱、あこがれと強く結びついています。
自己の能力を向上させたいという願いは、人間にとっての究極的で本能的な衝動であると解釈もできますが、それが過剰に所望される社会状況は、能力向上へのプレッシャーが社会や職場、教育の場で高まっていることの裏返し、ととれなくもありません。
先述のスイスでのドラック使用状況を調査したSUVAの2013年の報告では、全体としてはドラック使用が少ない一方、教育課程中の人に使用が、就業者の2倍にのぼっていました。この調査だけでは教育課程中の人の方が多い理由は定かではありませんが、教育課程にいる人のほうが、すでに雇用先がある就業者よりも、とりわけ能力向上への自己プレッシャーや不安が大きいということが、理由としてあるのかもしれません。
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クリエイティブになるためのツールとして
近年、人工知能の発達によって、現在ある雇用先の数割が消失するのではという話をよく耳にし、現代は誰もが自分の雇用先に不安を抱かずにはいられない時代であり、それになんとか対処しなければという気持ちが誰にでも多かれ少なかれあるのではないかと思われます。
実際になにをすればいいのか、と戸惑う人たちを前に、昨今もてはやされている言葉が「クリエイティブな」発想や思考です。
昨年、スイスで情報専門家が、小学校の必修授業として情報の授業を取り入れる究極の理由としてあげていたのも同じような理由でした。20年先にどんな仕事があるかは全くわららないからこそ、将来クリエイティブに仕事ができるためのツールとして、情報の授業が重要だと捉えていました(「教師は情報授業の生命線 〜 良質の教師を大量に養成するというスイスの焦眉の課題」)。
単なる仕事のテンポや生産性の向上だけでなく、とりわけクリエイティビティーの強化に寄与する、と理解されることが少なくとも現状では多いLSDの存在は、それゆえ、手っ取り早い切り札のように、現在大きく期待され、注目されやすいのだと考えられます。
ただし、いくら感情的にクリエイティブになっても、それを表現するための手段(絵画の技術であったり、演奏の技術であったり)が身についていなければ、結局実りある表現や仕事には結びつかないと判断を下す専門家もおり、「クリエイティブ」という漠然としたイメージをどう定義するかによって、LSDの効用も、かなり違って捉えられるのではないかと思います。
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脳のアンチエイジングのツールとして
LSDの専門家フォーレンヴァイダーは新聞のインタビューで、数年間にケンブリッジで開催された神経学学会の会合で、30歳以降少しずつ衰えてくる認知能力低下を防ぐという目的のため、50歳以上の人々に「脳ドーピング Gehirndoping」をするという新しいヴィジョンが出たことを紹介しています(Zweifel, «Gratwanderung», 2016)。
現代において、働きざかりの世代や、これから働こうとする若い教育課程の世代だけでなく、高齢者の間でもできる限り働き続けることが、生きがいや自己肯定につながり、社会にとっても望ましい高齢者の姿と捉える見方が、高齢化が進む先進国では全般に強くなってきています。日本の「一億総活躍社会」というスローガンにも、そのような高齢者が増えることへの期待があるように聞こえます。
そうであるとすれば、脳にとってのアンチエイジングともいえる、このようないいニュアンスでは「能力向上」、悪いニュアンスでは「ドーピング」として捉えられる薬物の消費は、将来広い社会層で許容されたり、一般的になっていく考え方になっていくのかもしれません。
表裏一体の負の可能性
このように、現在LSDがもてはやされる土壌、親和性が、現代社会にはあることは確かな事実として認められますが、だからといってそれを無制限に推し進める方向に社会が進んでいくことを想定すると、疑問もでてきます。わたしの抱いた疑問を、いくつか指摘してみます。
例えば、能力向上を目指すことは、個人で目標に向かって努力するというスタンスでは決して悪いものではないでしょうが、自分だけでなく、周囲の人もまた同じことを目指せばめざすほど、競争原理でヒートアップしていくことになり、終わりがありません。社会の大半が能力向上を目指して際限なく挑戦していくことは、世界的に進む高学歴化やそれに伴いヒートアップする受験(「進学の機会の平等とは? 〜スイスでの知能検査導入議論と経済格差緩和への取り組み」)と同じように、歯止めがきかないエンドレスの競争の時代に突入するような感じを覚えます。
また、人工知能に奪われない仕事にありつくために、たのみにするクリエイティビティーという能力も、いわんとする主旨はわかるものの、それが一体なにを示すのかが依然茫漠としていて目標がみえません。またすべての人がクリエイティブであることに解を求めることは、逆に画一的であり、「クリエイティブ」の対極に位置する貧相な発想であるようにも思われます。
高齢者がアンチエイジングを進め、若者とできるだけ同等に働き続けることも同様に、今ほとんど可能でないため、あこがれるような理想的な響きをもちますが、いざそのようなことが実現するとどうなるのでしょうか。高齢者があるがままの高齢者らしい姿をさらせないことは、社会の公正さからみると、ゆがみがあるようにも思えます。
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おわりに
LSDが開発されてちょうど80年となる今年の4月には、LSDに関する学術会議がスイスで予定されていますが、その会議の公式サイトには、LSD について、20世紀に発明・開発されたあまたのもののなかで「ほとんど匹敵するものがないほど20世紀の文化の歴史に影響を与え、変化もさせた化学物質」という記述がみられます。
しかし見方を変えれば、21世紀の現代こそ、医学的療法や、また見地や職場の能力向上やクリエイティブな頭脳への願望を実現するためなど、時代の必要なものを提供する輝ける救世主のように、明確な用途と目的で大々的に利用がすすみ、LSDにとって最も重要で、進展のある世紀になるのかもしれません。
少なくともこれからの数十年でLSD に対し、社会的常識や理解がかなり変化していくことは確かなように思えます。LSD専門家の一人ベルガーは、LSDを含め、能力を向上させる物質が、この先数十年の間、大きなテーマになると確信しており、朝食にコーヒーを一杯飲むように、そのような物質を摂取するのが普通のことになることは容易に想定できるといいます (Blick, 2017) 。そこまで実際にいくのかはわかりませんが、度肝をぬかれるような現象に、近い未来に、再び出くわすことになるかもしれません。
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<参考サイト>
Aufgeputschte Studenten LSD statt Kaffee zum Zmorge. In: Blick,20.08.2017 | Aktualisiert am 07.09.2017.
Austin, Paul: «LSD-Mikrodosierung steigert unsere Effizienz», Arbeiten, Wirtschaft, Hacks, GDI (Gottlieb Duttweiler Institute). (2018年1月25日閲覧)
Britsko, Sascha, Ein Schweizer LSD-Forscher hat uns erklärt, wie die Droge dein Leben verändern kann. (Interview mit Matthias Liechti) In: Vice, 12.11.2015.
Büttner, Jean-Martin, LSD als kreatives Doping. In: Tagesanzeiger,30.11.2016.
«Etwa jeder 10. Konsument hat ein Drogenproblem», Global Drug Survey. In: 20 Minuten, 14. Juni 2016 12:27; Akt: 14.06.2016 13:01
75 Jahre LSD
Junge dopen am häufigsten. In: Suva, Medien, 26. November 2013.
Lahrtz, Stephanie, Der Drogenkonsum in Deutschland steigt - droht eine Krise wie in den USA? In: NZZ, 26.1.2018, 05:30 Uhr
LSD : Neue Forschung mit LSD in der Schweiz. In: Blick, 11.03.2008.
LSD-Therapie. In: SWR, Odysso Wissen, 07.04.2016 | 8 Min.
Mikrodosiertes LSD, «Ich glaube nicht, dass das etwas bringt». (Interview mit Matthias Liechti )In: 20 Minuten, 2.12.2016, 18:21
Plante, Stephie Grob, Meet the World’s First Online LSD Microdosing Coach. In: Rollingstone, September 7, 2017.
SaW Redaktion, LSD-Trips im Universitätsspital. In: Schweiz am Wochenende, 19.9.2015 um 23:30 Uhr.
Schrader, Hannes, Microdosing: LSD statt Kaffee. In: Zeit Online, 04.01.2017 - 13:07
Schweizer nehmen Mikro-Dosen LSD als Arbeitsturbo. In: 20 Minuten, 01. Dezember 2016 10:02; Akt: 01.12.2016 17:02
Universität Zürich, LSD wirkt über Serotonin-Rezeptoren wahrnehmungsverändernd, Medienmitteilung vom 26.01.2017.
Zürcher, Christoph, Die Politik setzt auf die falschen Drogen. In: NZZ am Sonntag, 30.11.2017.
Züst, Patrick, Konzentriert und kreativ arbeiten: Entwickelt sich LSD zum neuen Hirndoping? Silicon Valley. In: Schweiz am Wochenende, 18.3.2017 um 05:45 Uhr
Zweifel, Philippe, «Gratwanderung zwischen Ordnung und Chaos». Mit Franz X. Vollenweider sprach Philippe Zweifel. In: Tagesanzeiger, 1.12.2016.
Zweifel, Philippe, Eine Mini-Dosis LSD zur Arbeit. In: Tagesanzeiger, 1.12.2016.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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2018-02-19 [EntryURL]

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20世紀に封印され21世紀に期待を寄せられる化学物質

2018-02-13 [EntryURL]

スイスにトレンド研究で有名なGDI(Gottlieb Duttweiler Institute)というシンクタンクがあるのですが、そこが今年3月に予定している第14回ヨーロッパ・トレンド・デーという会合のプログラムを見て、度肝をぬかれました。「自分をスーパーにせよ。成長する自己最適化市場Super You: Die wachsenden Märkte der Selbstoptimierung」という今年のトレンド・デーのテーマの一環として、『LSDマイクロ用量がわれわれの効率を高める』というタイトルの講演が入っていたためです(Austin, GDI)。
幻覚剤として世界的に使用が全面的に禁止されているLSDが、由緒正しいトレンド研究の会合で扱われるとは一体どういうことなのでしょう。早速気になって調べていくと、単なるドラッグとしての合法性やその効用といった話におさまらず、LSDをめぐる現在の状況は、人工知能の発達や就業のあり方、高齢化など、現代社会の深層に横たわる広く旬なテーマに深く関わっているものであることがみえてきました。
今回と次回の2回の記事で、LSDをめぐるこのような現在の状況について概観してみたいと思います。今回は、2007年末からLSDの臨床研究が再開された世界的にも数少ない国の一つであるスイスでの、これまでの研究成果や専門家の見解を整理しながらLSDの現時点の評価をまとめてみます。次回は、LSDに対し忌避から一転して期待を寄せるようになった社会の変化に注目し、そこに見え隠れする現代社会の傾向や不安や、その問題点について少し掘り下げて考えてみたいと思います。
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スイスはLSD発祥の地
LSDは、スイスの化学者アルバート・ホフマン Albert Hofmann によって1938年に開発され、43年に同じくホフマンによって幻覚作用が発見された薬物です。もともと強いうつ病患者などの症状を緩和する治療薬として開発されたものでしたが、幻覚作用を目的とした消費が次第に世界的に広がってゆき、過剰な消費が問題視されるようになっていきます。この結果、1966年に最初にアメリカで、それに続き世界全体で、全面的に使用や販売が禁止となり、治療目的の利用も1973年以降行われなくなりました。
しかし21世紀に入り、ふたたび医師や心理療法師たちの間でLSDは注目されるようにっていきます。なかでもスイスは、世界に先駆けて2007年12月から期限付きの試験的な利用を一部の心理療法師や研究機関に許可するようになり、現在までLSDの治療や臨床実験を行う世界的にも数少ない拠点となっています。
これまでの研究から、LSDは、うつ病患者の症状を軽くしたり、ガン患者の不安を緩和させるなど医学的な効用がわかってきています。
「シリコンバレー」をキャッチワードに広がる社会での期待感
一方、近年のドイツ語圏のメディアでは、LSDについて医療目的とは全く違う観点からたびたび取りあげられるようになってきました。シリコンバレーでエキスパートたちがLSDを使用しているというのが主な内容です。例えば『週末のスイス Schweiz am Wochenende』では、シリコンバレーの複数の会社の情報専門家やエンジニアがLSDを直接上司から購入している事実について報道しています(Züst, 2017)。
シリコンバレーのLSDといえば、スティーブ・ジョブズがLSDの幻覚を重要な体験と位置付けていたことが有名ですが、これらの報道によると、現在シリコンバレーでLSDがもてはやされる理由は、幻覚作用に強く惹かれているからではなく、とりわけ仕事上の集中力強化や能力の向上といった効果のためだといいます。
シリコンバレーでは自己最適化や能力向上への関心が非常に高く、スーパーフードやヨガなど、仕事の効率や集中力を高めることを謳ったり期待される商品やトレーニング手法があふれており、そのような状況下、(シリコンバレーでLSDを定期的に利用している人は、非合法であることもあり現在はまだ少数派にすぎませんが、)能力向上させるツールの選択肢としてLSDが徐々に視野に入ってきているようです (Züst, 2017)。
その際の摂取量は、幻覚作用を起こすと言われる用量の10分の1から12分の1にあたる量(10mg以下)で、通常「マイクロ用量」と呼ばれる量が一般的に想定されています。マイクロ用量は、非常に少量であるため、幻覚作用はないとされます。
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ドイツとスイスのドラッグの消費状況
アメリカ同様に、LSDの販売や消費が、例外的な医学目的を除き現在も禁止されているスイスやドイツでのLSDの消費状況は、現在どのようになっているのでしょうか。
2014年のドイツのドラッグ観察所の調査では、18歳から25歳の若者のうち大麻を消費したことがある人の割合は15.3%であるのに対し、LSDを利用したことがあると回答したのは0.9%でした。
スイス全国で保険リハビリや予防施設を運営する民間企業Suvaの2013年の15歳から74歳のスイス在住の1万171人を対象にした調査では、4%が通常医療の処方箋がなくては入手できない薬品やドラッグを、認知能力向上や気分を高揚させるために使ったことが少なくとも1回あると回答しています。そのなかで圧倒的に消費が多かったのは、リタリンでした。
これらの調査結果が実情をそのくらい捉えているかは、また別の問題ですが、少なくともこれらのデータに基づくと、ドイツでも、スイスにおける個人的なLSDでの消費はまだ非常にわずかであるといえます。
LSDの使われ方はどうでしょう。能力向上のために10倍から12倍に希釈したマイクロ用量を定期的に摂取している人たちを匿名で取材した記事がスイスでもドイツでもたびたび主要な紙面に掲載されており、シリコンバレーと同じように、LSDに能力向上を期待するケースが、ヨーロッパでもあらわれてきたのは確かなようです。
専門家たちのLSDに対する理解と評価
さて、LSDが医学的な効用だけでなく社会から一定程度期待をもたれるようになったことがわかりましたが、マイクロ用量の摂取は体にどのような影響を与え、実際にどのくらい効果があるのでしょうか。ガン患者や重いうつ病患者などに2008年からLSDを利用しはじめた、世界でもLSDに詳しい数少ない医師で心理学者であるペーター・ガッサーやほか数人の専門医師のインタビュー記事の回答意見や最新結果をもとに、以下まとめてみます。
まず、人体への全般的な影響については、中毒症状など、直接人体へ及ぼす影響はなく、ニコチンやコカインと異なり依存症にもならないとされます。幻覚症状がでている間に事故死したケースはあっても、LSDが直接の死因につながったことはありません。ただし、100mg程度で幻覚体験など感情に変化を及ぼすため、心理や感情に深い影響(よいものだけでなく悪いものも)を与える可能性があるといいます。
マイクロ用量の効果について
マイクロ用量という微量の用量が、体や心理状態にどのような影響与えるのかについては研究が皆無に等しく、長期及び短期的影響についてはっきりしたことはわかりません。このため、推測の域をでないとしつつも、以下のことを、専門家たちは推測しています。
まず、ガッサーは、「インターネットで肯定的な内容を読み、LSDに期待をして実際に使用すると、おそらくよい経験ができる」 (Schrader, 2017)とし、マイクロ用量の消費について起こりうる効用を、とりわけプラセボ効果とします(プラセボの効果については今日医学的にも広く認められています。詳細は「プラセボ 〜 医学界と社会保険政策で注目される理由」をご参照ください)。
リーチティMatthias Liechti も、10〜30mgまでの用量ではほとんど効果がないとし(Züst, 2017)、「仕事の効率があがったりクリエイティブになるとは想像できない」(20 Minuten, 2016)とするものの、クリエイティブになることを期待する人に消費されると、プラセボ効果として、若干そのような効果が心理的に及ぼされるかもしれない、と判断しています。
一方、チューリッヒ大学の精神科医のフォレンヴァイダーは、仕事の効率化やリラックス効果は認めませんが、一方「クリエイティブになりたいのでなければ、LSDはなんの助けにもならない」とし、クリエイティビティーへには何らかの影響があることを認める立場です(Zweifel, «Gratwanderung», 2017)。
フォレンヴァイダーのこのような判断の根拠のひとつとなるものに、自ら関わった研究結果があります。LSDの摂取によって、被験者は音楽に通常より強い感情を抱いたり、非常に個人的に受け止めるようになり、またLSDを感知する感覚器を麻痺させる薬を摂取すると、また普通の感覚に戻りました。つまり音楽の認識や意味づけにLSDがなんらかの影響を与えると理解されます (Universität Zürich, 2017)。
ベルガーMarkus Bergerは、自身が被験者として試した経験した際、LSDで「気分が高揚し、約4時間体の調子がよく集中できた」(Blick, 2017)と語り、その効果を全面的に認めています。
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健康な人の消費に対して
目下、健康な人が単に能力向上や集中力を高めるなどの理由でLSDをマイクロ用量で消費することについては、どの専門家も慎重です。その最大の理由は、前述のように、健康な人がマイクロ用量で摂取した場合にどんな変化があるかについて臨床研究がないことにあります。想定される心理的な影響やほかにも、長期にわたる服用の影響など未知の危険が多くあり、慎重な態度をよびかけます。
また、ガッサーやリーチティは、多く利用しつづけると体が慣れて、特別な効果がなくなる可能性が高いとし、たとえ若干効果がみられたとしても、定期的にLSDを摂取すること自体意味がない、という見解も示します(Britsko, 2015)。

次回の記事につづく

ここまでみたきたように、スイスの医学専門家たちは現在もLDSに対し、不安やうつ症状緩和の効用以外では、概ね慎重な態度が目立ちます。その一方、マイクロ用量のLSDの消費に期待する動きは、アメリカのごく一部の動きにとどまらず、世界的に着実に広がってきているようにみえます。LSDなどのドラッグをマイクロ用量消費する人が未来の労働世界をリードするとし、ドラッグの消費を推奨するアメリカ人のオースティンPaul Austinが、今年3月にスイスのトレンド研究の大会で講演することは、そのような世界的なひとつのうねりを象徴しているということなのでしょう。

次回はそのような期待が高まる社会にスポットをあてて、社会がLSDに魅了される理由や将来の動向について考えを巡らせてみたいと思います。

※参考サイトは、こちらのページにまとめて掲載しています。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


共感にゆれる社会 〜感情に訴える宣伝とその功罪

2018-02-05 [EntryURL]

昨今、「共感」という言葉が、社会背景の異なる人々が共存や共有するためのキーワードとして、世界的に飛び交っています。実際、人々の共感は、世界的なシェアリング・エコノミーの展開やヨーロッパでの大量の難民受け入れの背景として大きな役割を果たしたと考えられますし、「共感」への共感は、個人的動機や人道的な支援分野にとどまらず、ビジネスの世界にも広がってきました。共感を新たなビジネスモデルのコア概念とし、SNSを駆使して顧客から共感を勝ち取るという広告や販売戦略をたびたび耳にします。

このような時世に、浮かれた気分を逆なでするようなタイトルの本がカナダで出されました。カナダ人の心理学者ポール・ブルーム氏の『共感に対抗して。合理的思いやりの事例Against Empathy: The Case for Rational Compassion』という著作です。

共感という人間がもつ自然な感情の功罪について鋭く論じたこの本で、著者は、昨年末にクラウス・J・ヤコブス賞を受賞しました。この賞は2009年からスタートしたばかりで、世界的な知名度も高くありませんが、毎年、スイスの有力な財団が青少年の人格的成長に貢献し社会的にも重要な役割を果たした研究と実践に授与している賞であり、受賞者には100万スイスフラン(約1億2000万円)という、ノーベル賞にほぼ相当する高額な賞金がおくられます。

一体、具体的になにがスイスの学術振興財団において高い評価を受けたのでしょうか。今回は、最初にブルーム氏へのインタビュー記事をもとに彼の見解をまとめ、その後、最近のスイスの寄付を募る救済組織の動きをとりあげて、氏が主張する共感のもつ危うさとその社会的な影響について、具体的に考えてみたいと思います。

普段の生活で、「共感」という抽象的で漠然としたものの社会での影響力について考え巡らすことなどほとんどないと思いますので、今回の記事が、それらを身のまわりで見回しながら考えてみる機会を提供できればと思います。

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ブルーム氏の共感への批判

ブルーム氏は、共感は確かに人を善行に導くものであるが、「道徳的な判断をする際は、共感は悪い助言者だ」と言います(Freuler, 2017, S.53)。例えば、物乞いをする人がたとしたら、人は同情しお金をあげたくなりますが、もしもその人が集めたお金でドラッグを買うのならば、 募金すべきではないし、氏にはティーンエイジャーの息子が二人いますが、仮に子どもが水曜にパーティーに行きたいといったら、判断の基軸を共感ではなく翌日の学校での弊害に置き、許可すべきではないためです。

感情に強く依拠する共感が下す判断や行動の問題は、戦争勃発や戦時中に特に顕著になるといいます。まず、誰も戦争を望んでいないはずなのに、戦争がはじまるときは強い感情がきっかけとなります。さらに戦争中に自分の仲間達の間の犠牲に感情的な共感が強いと、残酷な結果に至ることがたびたびあるとも指摘します。いずれも共感が強くなることで判断能力が支障をきたし、判断を誤っているケースと考えられます。そして、このような感情をもとに下された判断や行為は、感情が一時的なもので消えさった後も、のちのちまで長く影響が残るものになることも、深刻な問題とします。

しかしこのように共感に問題が多いのに、「共感はわれわれの目をくらま」してしまい(Gielas, 2015)、「多くの人が共感を道徳の万能薬のように捉え」る傾向が変わらず続いています(Freuler, S.53)。このような姿勢が根強い社会であるため、この本が世に出た時も、辛辣な批判を浴びたといいます。

共感ではなく「(合理的な)思いやり」

このためブルーム氏は、物事の判断は、感情や共感以外のほかの認知や理解能力を駆使して、最大限に冷静に行うべきだといいます。氏が特にすすめるのが、「(合理的な)思いやり rational compassion(ドイツ語ではMitgefühl)」です。彼が定義するこの「思いやり」とは「ほかの人について配慮し、うまくいくように願うこと」ことであり、「共感と親戚関係にあるが、ずっと距離を置き、むしろ友情に比較できるもの」とします。このような思いやりは、単なる共感よりも公平で道徳的なものであり、自分の国の人だけはなく一般的で全人類の幸福をのぞむものにつながると考えます。

もう少し噛み砕いた表現を引用してみますと、「共感は、さらっと洗い流せるような、おなかで感じる感情」であり、ちょうどそれに対置するものが「感情などに左右されない冷静な合理性」だとします。そして「思いやりは、ちょうどその間にあって、心に話しかけますが理性的な理由にも耳を傾けるもの」であり、「これこそが、われわれが耕し育てていかくてはならないもの」とします(Gielas, 2015)。

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非営利団体への寄付金

ここからは、実際に現代社会において共感がどのような役割を担っているのか、スイスに500以上ある非営利団体の寄付をよびかける行動を例に、具体的に考えてみたいと思います。

スイスでは、この10年で、個人の寄付金金額が6割以上増え、現在一年で集まる寄付の総額は180億スイスフランです(Feldges, 2018)。スイス全世帯の5分の4が寄付をしており(ちなみにドイツで寄付をするのは全世帯の3分の1)、平均額は300スイスフランで(Feldges, 2018)、一人当たりの非営利団体への寄付金額としては世界最高額と言われます(Freuler, 2016)。寄付の内訳は、 全体の5割弱がが海外で、国内の社会福祉が2割で、健康関連が約2割弱(Grundlehner, 2017)です。

このような膨大な額の寄付金は、どのように集まってくるのでしょう。非営利団体どうしの寄付金をめぐる競争も激しいため、どの団体もだまって寄付がくるのを待っているのではなく、キャンペーンや広告活動に力をいれています。

ただし寄付の集め方は、どこも似通っています。いまだに郵便を使ったダイレクトメールや街頭キャンペーンなど、伝統的に寄付を募る方法が圧倒的多数で、とくに多いダイレクトメールは、個々人への寄付を募るアクセス全体の4分の3を占めています。逆に言えば、ダイレクトメールが今でも有力な手段だからであり、スイスではダイレクトメールの寄付の呼びかけ1割の人が反応するといいます(ドイツではダイレクトメールの呼びかけに反応し寄付をする人が2−3%にすぎないのに対し)。クラウドファンディングやアプリケーションなどインターネットを通じた寄付はまだほとんど成功例がなく、全体の2%にとどまっています(Feldges, 2018)。

寄付金が集まる時期も、どこも共通しており、例年、クリスマスムードがもりあがる年末の2ヶ月に、全寄付金の3分の1が集中しています。

つまり各団体は、クリスマスに近い同じ時期に同じような条件で、寄付を募る宣伝活動に力をいれていることになり、このため、どこの団体も少しでも多くの注目を人々から集めるために、より工夫につとめることになります。

感情に訴える宣伝

工夫として、今日、非営利団体でよく用いられているのが、人々の感情に訴え、共感を誘導するような表現や演出方法です。これについて端的な実験結果があるので、まずはこれをご紹介してみます(Wilhelm 2014)。

アメリカのオレゴン大学教授で心理学者のスロヴィック教授Paul Slovicのもとで行われた実験で、二つのグループに分けた被験者は対象に行われました。一つのグループには、アフリカで食料不足で瀕死の少女の写真とその子の名前とプロフィールが書かれたものを見せ、もう一つのグループには、同じ写真と食料不足の統計が一望できる資料をみせました。結果は、最初のグループのほうが、後者のグループより2倍も多い額の寄付をしました。

この実験が示すように、人々は、通常、数よりも具体的な人の特徴(顔や名前、個人的な状況を綴った話など)により強く反応し、判断や行動に影響を受けます。このような事実は学問的に立証されているだけでなく、非営利団体の間でもすでに広く知られており、このような現象を最大限に活かした宣伝を行う団体が増えています。つまり、統計などの数的なデータを減らし、むしろ支援が必要とされる人々の人格にクローズアップし、顔やプロフィール、手書きの文字などをのせる、広告の仕方です。

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ドイツ語の「寄付」と「広告」というキーワード検索ででてくる画像

共感に依拠する寄付の問題

このように寄付を訴える団体が毎年様々な表現で感情に訴える宣伝には、効果だけでなくいくつかの問題があります。

まず、団体の本来の実績ではなく、感情に訴えるキャンペーン、宣伝に成功したところが比較的寄付金を多く得るというしくみ自体がまず問題をはらんでいます。宣伝で成功するところが、活動内容にすぐれた団体とは限らないためです。

また、自分たちの団体に多くの寄付を募りたいがばかりに、広告にかける予算を多くとるようになると、当然、活動のために寄付してもらったお金のなかで、本来の活動にかけるためのお金が減ることになります。すでに、2015年のスイス全体の調査結果では、スイスの救済団体は、寄付金の1割以上、100ラッペン(1スイスフランに相当)のうち平均14.4ラッペン、を、このような寄付集めの宣伝用途に使っているとされています。寄付から得られた活動資金を本来の活動にではなく宣伝に使う割合が大きくなればなるほど、(広告宣伝業界以外の)社会全体にとっては、不利益といえるでしょう。

感情に訴えることの限界

それぞれの団体はなんとか人の目を引くため、感情に訴える表現がエスカレートしていき(Schoop, 2017)、互いに競争を続けること自体も、袋小路に入っていくようにみえます。

まず、あまりに感情的な情報が氾濫してくると、かえって感覚が麻痺したり、それらの情報を見聞すること自体を避けたくなるといった心理的な反動がでてくることも考えられるためです。特に、一度広告に感情的に動かされ寄付をした人には集中して寄付を募る情報が舞い込み、そのような反動を引き起こ可能性が高いかもしれません。というのも非営利団体は新しい寄付者を募るために、救済団体が専門業者から買い取ることがありますが、その際すでに寄付をしたことがあり、「感情的に影響を受けやすい emotional empfänglich」と評価された人々の連絡先はもっとも人気があり、高く売られているためです(Schoop, 2017)。

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選択肢の多さによってひき起こされる反応

そのような感覚の麻痺や衝動的な拒絶感に陥らなくても、選択肢が多くなることで、選択や判断が自動的に不能になる人が増えることも考えられます。

ドイツ語圏で最も影響力が大きいと言われる未来研究者ホルクス氏Matthias Horx は、店頭にたくさんのものが並んでいると、結局なにも買えなかったり、購入しても、一番いいものを買わなかったのではないかという気持ちになるという、誰もが一度は経験したことがある感情を例にあげ、私たちの脳は、選択肢がありすぎると「比較パニック」の反応をする、とします(Machac,S.23)。

毎日のように、寄付を募るダイレクトメールが郵便受けに入っていたとしたら、どうでしょう。開封するだけでも面倒くささを感じるかもしれませんし、寄付をしようとしたとしても、それらのなかからどれにどのくらい寄付するべきかを見極める前に、判断がブロックして決断に至らないかもしれません。

今日、自分の身につける服を選ぶことすら面倒で億劫になっている人が少なからずいます。2015年の調査でドイツの男性の間では、服の購入が嫌いでストレスを感じている人の数は、楽しいと思う人の3倍にものぼっています(「キュレイテッド・ショッピング 〜ドイツ語圏で始まった新しいオンラインビジネスの形」)。言わんや、ほかの人のための寄付に、多くの選択肢の中から労力を割いて選びとることをあきらめてしまう人が多くても不思議はないように思われます。

また、感情に訴える広告に反応することがわかった「善意ある人たち」をさらにターゲットとして集中アプローチするという宣伝手法自体も、倫理的にどこまで許されるか、問われる必要があるかもしれません。
こう考えると、感情に訴える共感トリックを使った寄付の訴えは、 将来エスカレートすればするほどその問題が増え、限界にも近づいていくように思われます。

共感でなく冷静な分析を判断の根拠に

それでは、非営利団体にどのように寄付をしていくことが望ましいのでしょうか。

『南ドイツ新聞』では、感情ではなく事実、例えば統計データで、成功しているもの、少しの費用で最大の効果を引き出しているものを選ぶべき、というオクスフォード大学のWilliam MacAskillの 意見を紹介しています(Ratzesberger, 2015)が、これはブルーム氏の目指す方向に近いのではないかと思います。

しかし、ひとつひとつ自分でそれぞれの団体の実績を確認するのが面倒な人も実際には多いかもしれません。そのような人には、中立的な認定機関の評価を活用することも有効でしょう。スイスでも、スイス非営利集金団体認証組織(Zewo)は、独自に設定して21の指針に合わせ水準を満たしているかを検証し、21全ての項目で基準を満たしていれば承認証発行しており (Freuler, 2016.)、このような認証制度に基づいて、寄付先を選ぶこともひとつのやり方です。

ただし規模が小さいあるいは財源が乏しい団体は、認定申請のために高額の費用(承認証は有効期限が5年のため、5年おきに費用が発生)や、ほかにも継続検査への労力が大きな負担になるため、これらの認定を受けていない場合も多く、認定を受けていない団体の活動の評価が低いというわけでは必ずしもありません。

おわりに

感情に強く依拠することで危うさを伴う共感と、冷静な分析や判断に導く思いやりを、時と場合によって使い分けるというブルーム氏の具体的な社会への提案が、常識的に思われれば思えれるほど、それと対照をなしているように映るのが、今の世界的な情勢です。
世界のいくつかの要所で、冷静な理解や分析をおそろかにして、感情にまかせて発言する人々が、その人たちに共感する人々を巻き込んで勢力を保っているようにみえ、これらの人々の発言や判断が、長期的、あるいは世界的にどれほど影響を及ぼすのかは計り知れません。
現実を照らし出すコントラストの強さが秀逸であったことが、ヤコブス財団がブルーム氏の研究を選んだ最大の理由だったといえるかもしれません。

参考文献及びサイト

Drees, Jan, Gespräch mit Empathie-Forscher Fritz Breithaupt „Mitleid kann manipulativ sein”. Gespräch mit Empathie-Forscher Fritz Breithaupt. In: Tagesspielgel, 23.02.2017 09:51 Uhr

Feldges, Dominik, Schweizer Hilfswerke hängen am Bettelbrief. In: NZZ, 11.1.2018, 07:00 Uhr

Feldges, Dominik, Schweizer Hilfswerke hängen am Bettelbrief. In: NZZ, 11.1.2018, 07:00 Uhr

Freuler, Regula, Ihr Kinderlein, spendet. In: NZZ am Sonntag, 19.12.2016.

Freuler, Regula,Mitgefühl macht die Welt nicht besser - im Gegenteil. In: NZZ am Sonntag, 16.12.2017.

Gielas, Anna, Psychologie: “Empathie blendet uns”. In: Zeit Online, 17. Dezember 2015, 3:19 Uhr Editiert am 19. Dezember 2015, 8:47 Uhr

Grundlehner, Werner, So macht Spenden alle froh. In: NZZ, 6.12.2017, 07:43 Uhr

ヤコブス財団のホームページ

Machac,Lucie, Happy End.(Interview mit Matthias Horx). In: #12 Selection 2017. Was zählt. Digitalisierung, Populismus, Umwelt und Liebe: Zwölf der besten Storys aus den Tmedia-Redationen zu den grossen Themen 2017, 2017, S.23.

Ratzesberger, Pia, Altruismus oder Egoismus? Spende für mich. In: Süddeutsche Zeitung, 18. 12.2015, 18. Dezember 2015, 18:49 Uhr

Schoop, Florian, Das Geschäft der Hilfswerke mit dem schlechten Gewissen. In: NZZ, Kommentar, 19.12.2017, 05:30 Uhr.

Wilhelm, Hannnah und Willmroth, Jan, Psychologie des Spendens. Mit Herz - aber ohne Verstand. In: Süddeutsche Zeitung, 23. November 2014, 14:04 Uhr
「書評『Against Empathy』2017年1月3日、shorebird 進化心理学中心の書評など(2018年1月3日閲覧)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


たかがあいさつ、されどあいさつ 〜スイスのあいさつ習慣からみえる社会、人間関係、そして時代

2018-02-01 [EntryURL]

今回は、スイスのあいさつの仕方について注目します。たかがあいさつ、と思われるかもしれませんが、スイスはほかのヨーロッパの国々と比べてもあいさつに手間や時間をかけて丁寧にする習慣があり、後述するように数年前には、 中学での生徒のあいさつ問題が、国の法務大臣が批判するほどの「事件」に発展したこともあるほど、社会のなかでいまも大切な役割を担っていると思われるためです。
最初にスイスのあいさつの仕方や種類について、私自身の失敗談も含めて一通りご紹介してみます。次に、そのようなあいさつが社会や人間にどのような影響を与え、時代の潮流とどう関わっているのかについて考えてみたいと思います(今回の記事は、わたしの住むドイツ語圏での経験を中心にまとめたため、スイスでもフランス語圏やイタリア語圏では習慣が若干異なっているかもしれません。あらかじめご了承ください)。
「参考文献・リンク」に、ウィンブルドン優勝直後にスイス人のフェデラー選手が様々な間柄の人とあいさつをしてる短いビデオのリンク先を載せました。文章と合わせてご参照していただくと、一目瞭然でわかりやすいかと思います。
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あいさつの種類と仕方

・知人、友人に会ったとき

あまり親しくない「知り合い」程度の間柄の人に会った場合は、あいさつの言葉をかけたり、握手するだけですが、親しい人であれば、左右の頰をお互い寄せる動作を2回か3回繰り返す「頰キス」と呼ばれるあいさつをよくします。女性どうし、あるいは男女の親しい間柄で、だいたい15歳くらいからこのようなあいさつを交わすようになります。

スイスでは中学卒業と同時に社会に出て職業訓練をはじめる人が多く(スイスの職業訓練制度 〜職業教育への世界的な関心と期待)、この年齢頃から伝統的に大人のように扱われることが多くなるため、頬キスは、大人どうしのあいさつとみなしてもいいかもしれません。ただし大人の男どうしは例外で、ほとんど頬キスはしません。あいさつ相手がこどもの場合も、この「大人のあいさつ」は採用されず、握手だけになります。

・他人にもあいさつ

見知らぬ人に道ですれ違う時にも、人通りが多い都会の街角や混み合った店内など匿名性が高いところ以外では、基本的にあいさつを交わします。「こんにちはGrüzi」が最も一般的ですが、時間帯によっては、「おはよう」、「こんばんは」などにもなります。相手の目を見ながらするのが礼儀で、自分があいさつをされたら、相手にも応答するのが大切なマナーです。

・別れる時

道ですれ違うだけでの場合はあいさつだけですが、スーパーのレジで物を購入する時などなんらかのやりとりのあったあとは、別れ際に「さようなら」や「ありがとう」だけでなく、「よい一日を」と相手を思いやる(大げさに言えば祝福する)一言をつけ加えることも好まれます。(時間帯や日によっては、「よい夕べを」「よい週末を」「よいクリスマス休暇を」などの表現も使われます)。言われたほうは、ほかのあいさつの時と同じで、必ずそれにお礼や返事を返しますので、混み合うレジに勤めている人は、毎日、相当の数の買物客たと、「よい一日を」と言い合っている構図になります。

日本でも小売業界でも、顧客に丁寧なあいさつをするのが一般的ですが、従業員がするのはサービスとして当たり前でも、された顧客が返事をするかは自由という感が強いように思います。一方、スイスではサービス部門の仕事かどうかなに関係なく、あいさつは基本的に対等にするものであり、従業員だけでなく、声をかけられたら顧客も積極的にあいさつを交わすのが一般的です。

ちなみに出会った時に頰を寄せ合ってあいさつをした場合、別れる時も同じあいさつを繰り返します。

・大勢の人が集う場合

知り合いの多いパーティーや会議などで、数十人の人が会する際も、一括して会衆にあいさつするのではなく、できる限り一人ずつに丁寧にあいさつをしていきます。その場合、上記のように、相手との親しさの度合いによって、異なるあいさつの仕方をしていきます。

このため、例えば会議に来場した人が、すぐに空いた席に着席せずに、すでに着席している人たちのところを一巡してあいさつを交わしてから着席する姿や、会議終了後に出席者が一斉に、それぞれ別れのあいさつをしようと動きまわって、会場のあちこちで「あいさつ」渋滞が起こる光景もよくみられます。(ちなみに、スイス人は非常に時間に正確ですので、原則として会議に遅刻することは、あいさつ以前の深刻なマナー違反になります「スイス人と鉄道 〜国際競争力としての時間に正確な習慣」)

・乾杯の時

乾杯の時もスイスでは丁寧なあいさつの習慣があります。ドイツやオーストリアでは、グラスを手にして「乾杯!」の一言を言ってグラスをそれぞれのグラスにあてていくだけですが、スイスではグラスをあてるだけでなく、相手の目をみて「乾杯、クラウス」、「乾杯、アネッテ」といった風に、グラスを傾けている相手の名前も呼びかけます。

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あいさつの難易度と効用
さて、このように、スイスでは一歩家の外へ出ると、人里離れた辺境ででもない限り、あいさつする機会が結構多いのですが、「おじぎ」という動作だけで体に触れるような行為はおろか、相手の目を見ることもなくあいさつをすることが礼法になっている日本で、しかも知らない人に道であってもあいさつなど全くしない東京育ちの、さらに天性で不器用な人間であるわたしにとっては、スイスのあいさつは当初、かなり難易度が高いものでした。
恥をしのんで失敗をいくつかご紹介しますと、親しくなってきて頰を寄せるあいさつをする仲に発展したはずだったのに、頬の代わりに握手するための手を出してしまったり、逆に、あまりよく知らない人なのに、よく考えないでいきなり頰をだして先方がひるんでいたり。また、頰の寄せ方が下手なのか、あいさつ中、かけているメガネがはずれそうになることもたびたびです。そうかと思うと、あいさつすること自体をすっかり忘れてしまうこともあります。特に日本にしらばく滞在したあとにスイスにもどるとしばらく日本での習慣が抜けておらず、通りすがりの人を無視して通過してしまい、相手にあいさつされて、あわてて思い出して返答するといったことがありました。
乾杯のあいさつとなると、これはもう、あいさつの仕方がどうというレベルの話ではなく、初見の人の名前をきちんと覚えられるかという記憶力の試練であり、今でもきまって窮地に陥ります。
このように、スイスでそつなく日々あいさつすることは、かなり難易度が高いように(少なくともわたしには)思えるのですが、しかし逆に言うと、日本人が自宅に招いた客が玄関で脱いだ靴をきちんと揃えて家にあがるのを見た時に抱く気持ちと同じように、スイス人も、出会った人が、スイス風のあいさつをきちんとすると、安堵感や爽快感を抱くのではないかと思います。
信頼関係の礎となるあいさつ
失敗は多いものの、スイスであいさつを繰り返すうちに、あいさつがもつ優れたいくつかの効果も実感するようになりました。
まず、信頼や安心感の強化です。あいさつする時、スイスでは必ず相手の目を見つめますが、目をみてあいさつし、それであいさつを返してもらうというとささやかな交流だけで、お互いに対して最低限の敬意を示しあい、尊重しあう心理的な基盤ができるように感じます。
このため、例えば、面識がない強面の人やティーンエイジャーの若者など、どういう興味がある、どんな人なのか、お互いに全くわからない関係である場合も、一見とっつきにくそうに感じられたとしても、たった一言でも、あいさつを交わすことができると、自然にその人たちへの信頼感や親近感が強まります。
とくに、スイスはとくに世界中から移住した人が集まっており、街行く人がどこから来たどんな人たちなのかほとんどわからない多国籍が常態化した社会ですが、そんな中、 スイス風のあいさつをお互いに交わすことは、顔や服装に関係なく、スイスに住みつき、スイスの習慣を尊重する住人どうしという、唯一の絆を、お互いに確認できるような気がします。言って見れば、お互いを認め合うための、大切な合言葉のようなものといった感じです。
また、目をみてあいさつした相手は、記憶しようと努力しなくても、ただ通りすがる人よりも自然と記憶に残りやすくなるので、地域社会において、ゆるい形で地域住民のつながりも作りだしているように思います。また、あいさつを通して行き交う人々に最低の関心をもつことによって、外部から不審な侵入者が入ってきた時に目立ちやすくなるという防犯抑制効果や、徘徊老人や迷子などを街中で発見しやすくなる効果もありそうです。
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コミュニケーションの円滑油
また、あいさつ行為によって最低限の信頼関係を確保したあとは、その先につづくコミュニケーションも格段しやすくなるという効果もあります。
ある空間に二人の人がいて、お互いに相手の存在を意識して目をみてお互いにあいさつを交わした後と、お互いに相手の存在に気づいていてもあいさつを交わしていない場合を仮定してみてください。その後、その二人の間に、コミュニケーションが必要となった場合、どちらのほうが、対話がしやすいでしょうか。前者であるのは一目瞭然かと思います。もちろん、出会う人と片っ端から発展的なコミュニケーションをする理由も必要性もありませんが、なにが理由ができて、その後コミュニケーションが必要になることがあります。
スイスの老人ホームを訪れる際、その効果が顕著にわかります。ホームのあちこちに座っていたり、散歩をしている高齢の居住者にあいさつをして、あいさつが返ってくると、そのあと会話が断然しやすくなります。つまり、あいさつは、必要な時に話しをするきっかけや、話しやすい雰囲気を整えてくれる、コミュニケーションの円滑油といえるかもしれません。
視線をスイスから世界に広げてみると、もっとわかりやすくみえてくる気がします。世界中どんな社会において、ほとんど例外なくあいさつという習慣があるのは、あいさつが、人々の間の良好な関係を維持するのに、役にたってきたからではないかと思われます。
あいさつを欠くことは国家の問題にもなりうる
このような信頼や親しみを表現してスイス人の重要な習慣の一部として機能している毎日のあいさつですが、最近(2016年)メディアで大きく話題になったことがありました。
スイスのある公立中学で14 歳と15歳の二人の男子生徒(兄弟)が、宗教(イスラム教)を理由に、先生と握手をしなかった時です。スイスの学校では、幼稚園から中学までの義務教育期間一貫して、別れる際、教師が生徒一人一人と握手をします。これは、厳格で一貫したルールがほとんどないスイスの学校で、広く普及している数少ない礼法だといえます。この中学の出来事は、法務大臣シモネッタ・ソマルガ氏が「握手の拒絶は受け入れられない」と非難のコメントを出すほど国全体に注目され、大きく報道されました。
最終的に、州は、授業終了後の教師との握手によるあいさつは就学生徒の義務であり、それを拒絶すれば最高5000スイスフランの罰金を科すという判断を下し、一応決着しましたが、手が触れ合うかいなかという教室の片隅で起きた出来事が、主要なニュース番組で報道され、国民を巻き込んで議論されたことは、なにを物語っているといえるでしょうか。あいさつがスイスにおいて大事な礼法であり、逆に、あいさつを拒むことは、法務大臣が出てくるほどスイス人の顔をつぶすことになりかねないということなのだと思います。
「Me too 」ムーブメントとあいさつ
昨年からはアメリカから起こった「Me too 」ムーブメントの影響で、どのような体の接触の度合いがあいさつのあり方として妥当なのか、という素朴な疑問も、スイスの人々の間で浮上してきています(Helg, 2017)。
具体的に深刻な問題になっているわけではなく、従来のあいさつの在り方を短絡的に批判するという風潮もありませんが、「Me too 」ムーブメントの立場を考慮すると、これまであまりに当然で誰も疑わなかった不文律のスイスのあいさつの仕方について、それのなにがどこまで当然で正しいといえるのか、誰も明確に断言できなくなった(少なくとも現時点では)という状況にあるようです。文化や社会背景、また世代によって、体が接触するあいさをについて意見もかなり異なると予想されますが、実際に意見が違う場合、誰の意見が優先されるべきなのかもはっきりしません。
どのようなあいさつが妥当かはっきりしない結果、生じうる問題を未然に避けて、無難に接触が少ないあいさつの仕方ですませようという傾向が今後強まるのかもしれません。今年最初のチューリヒ州議会についての新聞記事で、議員たちが握手をする人が大半で、男女の議員の間で頰を寄せるあいさつを交わす人はわずかだったと報道されています(Baumann, 2018)。こんなことがいちいち新聞に報告されるということ自体が、あいさつの仕方について、政治家自身や、また政治家をみる公の目が神経質になっている時代であることを物語っているといえます。
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あいさつが内包するパラドックス
一方、この「me too」からはじまった議論をあいさつの仕方で掘り下げようとすると(つまり、女性の意思を尊重するあいさつとはなんぞやとつきつめて考えていこうとすると)、内包するパラドックスに陥ることにもなります。もともとあいさつ全般において、これまでは、年齢の高い人や女性が優先的に、 あいさつの仕方を決め、親密さをどこまで許容するかを定めるというのが恒例でした(Stokar, S34)。このため、もともとのあいさつは、基本的に「me too」のモーブメントで問題視されているような女性の意思が無視された行為ではなく、むしろ女性を尊重したものであったといえます。
しかし、逆に、あいさつの仕方を女性が決めるべしという前提自体が、女性は弱くて優先されるべきものという理解に基づいて成立したものだと解釈すれば、公平さを求めるフェミニズムの見地からみれば、むしろ不当で打破すべきだと考えることもできます。
実際、これまでヨーロッパで長く存続していた、男性が、保護・優先すべき対象として女性を扱うという理解からできた別のマナーは試練の時を迎えています。例えば、女性のコートを着るのを手伝ったり、道やドアのところで先にゆずったりというようなものは、すでに当然視されなくなっており、それを喜ぶ女性もいれば喜ばない女性もいるため、どうしたらいいかわからない場合は率直に女性に聞くのがいい、という丸投げのアドバイスが、と近年ベストセラーになっているスイスのマナーについての本にも書かれています(Stokar, S.49)。北欧では、マナー全般における男女同権が、スイスよりさらに浸透しているようで、それらのレディーファースト的な優待行為を男性がすると、一般的にバツが悪く、女性に嫌がられるようになって久しいようです(ブース、474−479頁)。
おわりに
スイスの現在あるデラックスで丁寧なあいさつは今後どうなるのでしょう。文化を尊重するというスタンスで、今後も断固維持されいくのでしょうか。それとも、文化的あるいは男女間の摩擦やトラブルを未然に避けるため、接触を減らしたり簡略化するという方向に拍車がかけられていくのでしょうか。
もしも接触を避ける方向が今後進むとすれば、行き着く先はどこでしょう。もしも体の接触だけでなく、視線の向けられ方にもいろいろ苦情がでるようになると、体の部分だけでなくアイコンタクトも含めいっさいの不快感を生じさせる可能性のあるコンタクトを断ち、礼儀と敬意だけを相手に伝える、日本のおじぎのようなあいさつが、世界の普遍的な究極のあいさつ法になる時代が、もしかしてくるのでしょうか。
日本的なあいさつが世界標準になるなんて、現時点では冗談としか思えませんが、あいさつの仕方は、これからも時代の人々の意図や希望を汲みとり、変化していくのでしょうから、将来、思いもかけない展開がもしかしたらあるのかもしれません。
/////
<参考文献・リンク>
ウィンブルドンテニスのビデオ(約6分のビデオの前半部分で、色々なあいさつの仕方が観察できます)
: スイスのフェデラー選手が昨年ウィンブルドンテニスで優勝した直後に家族やイギリス皇太子夫婦、知り合いなどに対してあいさつをする様子がみられます。親密度や文化の違いで(イギリスは頰をつけるのが2回が一般的らしい)あいさつの仕方が違っています。
Baumann, Ruedi, 17’955 Umarmungen und weniger Küsse. Im Kantonsrat ging man auf Tuchfühlung. In: Tagesanzeiger, 9.1.2018.
Gerny, Daniel, Muslime werden zum Handschlag gezwungen. In: NZZ, 25.5.2016.
マイケル・ブース『限りなく完璧に近い人々』角川書店、2016年。
Helg, Martin, Der letzte Kuss. In: NZZ am Sonntag, Gesellschaft, 31.12.2017, S.12-13.
Stokar, Christoph, Der Schweizer Knige. Was gilt heute?, 4. Erweitere Auflage, Zürich 2013.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


ドイツの外食産業に吹く新しい風 〜理想の食生活をもとめて

2018-01-25 [EntryURL]

時間をかけずにおいしくしかも健康的で、環境や社会面でも問題がないものを食べたい、しかもできるだけ安価で。前々回(「世界中で消費される元祖インスタント食品 〜19世紀の労働者の食生活を改善するためのマギー(魔法?!)のスープ」)と前回(「便利な化学調味料から料理ブームへ 〜スイスの食に対する要望の歴史的変化」)で扱ってきた、現代ヨーロッパにおける食に対する要望を、端的に表現すれば、このようになるでしょう。
しかしこれらの要望を全部クリアするのはかなりの難問です。おいしいものが食べたくても料理や買い物をする時間がなければ、「不健康」なできあいの食品に依存したり、外食やケータリングなどの高価な手段にたよりがちになりますし、食事を安くすませようとすると、環境や生産者の社会環境という観点で望ましくない食品も多いためです。
とはいえ、1日3回お腹はすくので、なにかを選び食べなくてはいけない、そんな理想と現実の間で、ドイツ語圏で現在活気を帯びて発展中のようにみえるものが外食産業にあります。今回は、主にドイツの外食産業の最近の動向に注目しながら、そこで実現されているものや、これからの食文化の可能性について考えてみたいと思います 。
ちなみに、ここでいう外食産業とはドイツ語のGastronomie に該当するもので、世界的な統計資料分析サイトのStatisikaの定義にならい、レストランやカフェはもちろん、バー、ディスコ、軽食の立食スペース、ケータリングまで、その場あるいはすぐに飲食できるものを提供する飲食サービスや産業全般をさすこととします。
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外食産業界に吹く新しい風
ドイツの外食産業の市場規模は、過去10年間堅調に拡大してきました。2016年のドイツの外食産業の総売上げは521億ユーロで、ドイツの接客産業界(ホテルやほかのサービス業などを含む)全体の売り上げの半分以上を占めています。Statistaは、この先も市場は拡大傾向が続き、2021年には615億ユーロにまで達すると予測しています(Statista, 2017)。
ここで、いくつか注目されることがあります。一つ目は、外食産業と聞いて思い浮かぶ定番である、レストランやカフェといった飲食店以外での飲食物の販売・消費が、とりわけ増えていることです。商業分野の学術研究機関EHI Retail Institute(ケルン)の昨年12月の報告によると、 2017年の一年間にドイツ全国で2万5千ヶ所ある食料品を販売する店舗で、52億ユーロの飲食関連の売り上げがあったとされます。さらに全国480ヶ所あるショッピングセンターでの飲食関係の売り上げは20億ユーロ、5000ヶ所あるガソリンスタンドでは10億ユーロ、洋服店など繊維関連の量販店10店舗では5000万ユーロ、飲食コーナーをもつ全国100ヶ所の本屋での売り上げは500万ユーロあり、総計すると、これら小売業界全体の飲食関連の売り上げは、90億ユーロに達しています。
EHIの研究員ホーマンOlaf Hohmannは、小売業界で飲食サービスを提供することが増えていることについて、「立ち寄る回数を増やし、店内の滞在時間を長引かせ、またできるだけ快適な環境を作り出すため」と分析しています。これに加え、オンラインショップの攻勢で全般に売り上げが伸び悩んでいる小売業が、新たな活路としてオンラインショップの影響が最も少ないと思われる外食産業に目をつけた、ということもあるのではないかと思います。いずれにせよ、今後も小売業界が今後外食産業に参入していく流れは、変わらないように思われます。
「テイクアウェイ」という飲食物の消費形態
次に注目されるのは、それら小売業者で販売される飲食物の消費形態です。従来の飲食店のようにゆったりしたスペースが設けられそこで座って消費されるのではなく、簡易立食スペースでの消費や持ち出される形が圧倒的に多いことです。ドイツ全体で33000ヶ所あるスーパー、工具店、洋服や家具、本屋などのすぐに食べられる飲食物を販売する小売業者の総売り上げは上記のようにトータルで52億ユーロでしたが、そのうちの50億ユーロが店内の簡易飲食スペース(パン屋やコンビニストアで購買したものをただちに飲食できる店頭スペース)での飲食や、店外へ持ち出しての飲食です。
これら、その場で購入してすぐに消費される形の飲食物の購買・消費を、レストランなどでじっくり座して食べるものやケータリングと区別して、「テイクアウェイ」とひとくくりで呼ぶことにします。
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テイクアウェイの増加傾向は、ドイツだけでなく、スイスの都心でも同様にみられます。テイクアウェイの食品を扱う店や、そのスペースが年々増えており、種類も多様になってきています。
昨年スイスのひとつの高校(ギムナジウム)で行われた昼ごはんについてのアンケートでは、一週間のうち一回も学食を利用しないというのが9割にのぼり、その代わりに圧倒的に多いのがテイクアウェイという結果でした。この高校が街中にある学校で、昼休みにキャンパスをでてほかの商店から持ち帰ることが容易であるということもありますが、普通のレストランよりも安く時間もかからず気楽で、しかもバラエティが豊富なテイクアウェイが、とくに若者にとって大きな魅力になっているのかもしれません。近年、参入する企業が増え、食品の種類も値段も選択肢が増えてくることで、テイクアウェイのメリットも相乗的に増えてきていると考えられます。
テイクアウェイ文化を牽引する寿司文化
ところで、テイクアウェイと聞くとみなさんはどんな食品を思うかべるでしょうか。ドイツ語圏のテイクアウェイのクラシック食品といえば、ハンバーガー類のメニュー(ポテトやジュース付きのセット)、ケバブ(トルコ風サンドイッチ)、ピザ、ウィンナーパンなどがあげられますが、これらの食品には共通点があります。高カロリー、塩分過多、化学調味料を使ったソース、野菜や果物が乏しくビタミン不足、赤肉多用など、今日の健康的な食品観に照らし合わせると、どう贔屓目にみても「健康的」とは言い難いものが多いことです。このため簡単にすぐ食べられ、比較的安価であっても、連日テイクアウェイの食品で済ませることには、抵抗感が強い人が多いと思われます。
一方、このような「不健康」の食品の問題点とイメージを払拭する、新しいテイクアウェイ食品がここ10年ほどの間に広くでまわるようになってきました。それは、寿司です。寿司といっても、ヨーロッパででまわっているのは、巻き寿司とせいぜい数種類の握り寿司(寿司ほどメジャーではないですがおにぎり類も最近たびたびみかけます)のたぐいで、種類はまだ少なく、質も店舗によって異なりますが、これらの寿司関連食品は、これまでのテクアウェイ食品とは決定的に異なる点がいくつかあります。
基本的にオイルフリーか控えめで、塩分も自分で醤油の使用量として調整できるため全体に控えめにすることができ、砂糖は入っていても微量で、うまみ強化剤もほとんど添加されていないことです。近年は、枝豆が添えられたり、菜食主義者やヴィーガンの人にも食べられる野菜の寿司も発達してきており、野菜感覚に近いビタミン豊富なものもあります。これぞまさに、今のヨーロッパで非常にハードルが高い「健康的な」食品のお墨付きがもらえる希少なテイクアウェイ食品(もちろん品質が本当にいいものかは個々の検証が必要でしょうが、全般的な見方として)といえるでしょう 。
数年前にベルリンを訪れた時、ある目抜き通りでは、一件置きに店頭で寿司を扱っているのではと思えるほど、寿司を扱う店が立ち並び、ほかのファストフードに比べて、寿司の存在感が非常に大きかったのに驚いたことがありました。その時は、こんなに寿司ばっかりだったらいくらなんでも飽きられるのも早いのではないのではないか、と勝手に憶測しましたが、いまのところそのような兆候はみられず、寿司は、後ろめたさの残らずに購入できる「健康的」なテイクアウェイ食品の代表格として、特にドイツ語圏の都会ではどこでも、テイクアウェイ業界を牽引しているようにみえます。
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外食産業が集客のコアとなった大手家具店

昨年、大手家具店舗IKEAが、外食産業界への本格的な進出を検討しているというニュースが流れましたが、ここにも、現在の食生活のトレンドとリンクした外食産業の新たな可能性があるように思います。
IKEAがドイツで調査したところ、年間1億人にのぼるという国内家具店訪問者の5人に二人が、店内で食事をしていたり、スウェーデンショップと呼ばれる食品販売コーナーで食品を購買しており、また、IKEAの来訪者の3割は、家具をみるためでなく食事をとる目的でIKEAに来訪しているということが明らかになり、この意外な事実が本格的な参入を検討する直接的なきっかけになったようです。
実際の飲食関連の売り上げ状況も、このアンケート内容をを裏付ける結果になっています。IKEAの食品関連部門(レストランとショップ)の総売上は、依然会社全体の売り上げの5%に過ぎませんが、家具分野の販売が不振であるのに対し、食品関連部門は、2016年は、前年比で8%売り上げが増えており、2億2100万ユーロにのぼりました。IKEAレストランでは年間、メインディッシュが、1500万皿販売されており、つまり、どんな家具売り場の家具や雑貨よりも、ミートボースののった皿の販売件数が多いということになります。
ドイツの外食産業全体のなかでも、IKEAの売り上げ規模はすでに、大きな存在感を示しています。ドイツのシステム外食産業(全国あるいは世界中で規格化された同一の食事を提供する外食産業のこと)の上位ランクで、すでにIKEAの(家具店に付随した)レストランは8位にランクしており、ドイツ国内の商業施設内の外食産業 Handelsgastronomie( デパートのレストランやショッピングセンターのような多目的商業施設のフードコートなど)だけに限定すれば、すでに押しも押されぬ一番の売り上げ規模となっています。
外食産業として期待されるコンセプト
ところでIKEAが外食産業に本格的に参入することになれば、これらの既存の大手外食チェーンと競合することになりますが、新規戦略として、既存の外食産業との間で差異化し、付加価値を上乗せするにはどんな方向性が考えられるでしょうか。
先ほど言及した、システム外食産業のトップを占める10社の名前を具体的にみてみると、バーガーキング、マクドナルド、ヤム(ピッザハットと KFC)、サブウェイ、ノードゼー(北ドイツを拠点とする魚のフライなど魚をメインにしたサンドイッチのファストフード店)、ルフトハンザや高速サービスエリアの飲食店などが入っています。
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最後の2社のメニューは具体的にイメージしにくいのですが、それ以外の大手外食産業の会社名から想像されるメニューを、現代人が食に求めている要素(おいしさ、安さ、すぐに食べられるか、健康的か、社会や環境への配慮など)から評価してみるとどうでしょう。おいしさ、安さ、すぐに食べられる、という3要素に重心が置かれていて、後ろの2要素はまだ十分とは言えない気がします。少なくともこの2要素について、そのように一般の人が実感できるような、大々的にアピールを行っている会社は見当たりません。
そうだとすると、逆にこれらの要素を重視した飲食サービスにすれば、IKEAにとっては、他社との違いをわかりやすくアピールできる強力なポイントになるかもしれません。同時に、そのような方向性は、これまでのIKEAの歩みをふまえると、合対立するというより、むしろ親和性が強い方向性のようにみえます。IKEAは、数十年来、世界中に販売網を広げるなか、安価なだけでなくスタイリッシュな家具や生活スタイルを人々に提供することで、カルト的な支持を特に若い世代から受けてきただけでなく、最近は環境問題や難民支援など、社会的な貢献にも積極的に関わるようになりました。
これまで培ってきた強いポジティブなブランド力に加え、外食産業としても環境や社会面で安心できる食材を使い、家族連れでも立ち寄りやすい レストランをもしも展開できるとすれば、既存の外食産業に勝るとも劣らない魅力を発揮できるかもしれません。逆に、そこがあいまいなままであれば、ほかのシステム外食業との差異化は難しく、外食産業界での大きな進展は期待できないのではないかと思います。
おわりに
3回の記事を通して、簡単で、おいしく、安く、健康的で環境や社会への責任もとっている、ということが今日人々の食文化においての強い関心ごととなっており、これらの項目を制覇することができることが、目下、熾烈な競争を重ねている食産業で勝ち残るための王道、という一応の道筋はみえてきたように思います。
ただし、ここでさらに二つの素朴な疑問が浮かびます。
まず、19世紀から人々が求めてきた食品への夢、簡単に食べられて(調理も一切しないでよいことも含まれます)、おいしく、安く、健康的で環境負荷も少ない、という夢は、果たして本当に実現可能なのでしょうか。
また、もしもそれがかなったとして、それで、人は果たして満足するのでしょうか。それとも、それらの願いが叶うころには、さらなる食への新たな夢や理想が生まれており、それを求める飽くなき食品の工夫や開発がさらに続いていくのでしょうか。
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<参考リンク>
Der Handel bittet zu Tisch. EHI-Whitepaper: Handelsgastronomie in Deutschland
Einzelhandel bedrängt die Gastronomie. In: Allgemeine Hotel- und Gastronomie Zeitung, 15.12.2017.
Gnirke, Kristina, Ikeas Geschäft mit dem Essen. Wenn Köttbullar selbst Billy übertrumpft. In: Spiegel Online,Samstag, 19.08.2017 21:07 Uhr
Kommt Ikea bald mit Restaurants in die Städte? In: Basler Zeitung, 25.10.2017.
Köttbullar für Möbel-Muffel. In: Süddeutschland, Gastronomie, 27. November 2017, 10:22 Uhr
Peggy Fuhrmann, Haltbare Lebensmittel Schonende Wege der Konservierung. In: SWR2, Wissen, Stand: 8.12.2017, 10.28 Uhr.
Prognostizierte Umsatzentwicklung in der Gastronomie in Deutschland in den Jahren von 2007 bis 2021 (in Milliarden Euro), Statista, 2017.
Statistiken zur Gastronomie in Deutschland(2017年12月28日閲覧)
Studie: Einzelhandel setzt immer stärker auf Gastronomie. In: Welt.de, Veröffentlicht am 11.12.2017

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


便利な化学調味料から料理ブームへ 〜スイスの食に対する要望の歴史的変化

2018-01-17 [EntryURL]

前回、早く簡単にできて安価なスープの素や液体調味料が、労働者の栄養状態を改善するために19世紀末以降スイスで開発されたという話をご紹介しましたが(「世界中で消費される元祖インスタント食品 〜19世紀の労働者の食生活を改善するためのマギー(魔法?!)のスープ」)、今回は、20世紀後半のヨーロッパの戦後社会で、さらにインスタント食品が豊かになっていく一方、それらを忌避する傾向も広がっていき、食文化が新たな展開を迎える様子を、スイスを例にみていきたいと思います。
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化学調味料が愛された時代
第二次世界大戦が終結して復興とともに好景気がやってくると、ヨーロッパの食卓も明るく、豊かになっていきます。そんななか、スイスでは、19世紀以降の一連の画期的な商品開発で1950年代初頭においても調味料業界の市場の9割を占めていたマギー社の地位に迫る、新しい万能調味料が発明されます。
それは、アロマット Aromat とよばれる、ふりかけるタイプの顆粒や粉末(販売国の好みによって形状が異なっています)の化学調味料で、クノール社のスイス支社に勤めていたコックのオブリスト氏Walter Obristによって1952年に開発されました。クノール社は、ドイツでマギー社同様に、19世紀に設立された老舗の食品メーカーです(現在はイギリスとオランダの合弁大手食品メーカーの傘下に入っています)。
アロマットでとりわけ特徴なのは、従来の固形ブイヨンや液体調味料とは違う調理法を提示したことです。固形ブイヨンは調理時に加えてさらに煮込む必要がありますが、アロマットはすぐに食材に溶けるため煮込む必要がありません。また、ふりかけタイプとしては液体調味料と使い方が同じですが、液体調味料は食材に茶色の色が残るという制約があるのに対し、アロマットは溶けると食品に色がつかないため、広い用途で利用が可能になりました。
早速どんな料理でも最後の一振りで味を格段よくすることをウリにして販売したものの当初は、すでに固形ブイヨンや液体調味料が生活に定着・普及していたため、苦戦します。しかしアロマットの3万缶をスイスのレストランに無料で配布するという奇策を試みると状況は一転し、配布がはじまりわずか9ヶ月後にはすでにスイスの人々の8割が知る存在となります。
その後現在まで、スイスの台所に広く普及し、現在も消費者調査機関によると、スイスの住民の96%がアロマットについて知っており、90g入りの700万缶以上が販売されるほどの人気定番食品となっています。スイスの人口は約840万人ですから、数だけでみると乳幼児をのぞき、ほぼ一人で一缶年間に消費している計算になります。
蛇足ですが、日本では湿気で顆粒や粉末の調味料の出が悪くなりやすいですが、比較的乾燥しているヨーロッパでは年間を通じて問題なく顆粒や粉末を振りかけることができます。鮮やかな黄色は、塩や砂糖と間違えにくするための開発者の工夫だそうでで、 サフランによるものです。
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「中華料理店症候群」をきっかけにした1970年代からの反動
アロマットの普及は、なにより、その時代の家庭の要望を物語っているようにみえます。換言すれば、スイスで固形ブイヨンや液体調味料にあきたらず、さらに料理をおいしく、しかも便利で調理が少なくてすむようにしたいという単純明快で強い要望が、食品の選択や人気に決定的な影響を与えていた時期といえるでしょう。
しかし、そのような、食卓でのインスタント食品への手放しの歓迎ムードは、1970年ごろから少しずつ変化していきます。環境破壊や環境汚染が問題になるのと同時に、食品や食文化においても「自然」が重視される風潮が強まり、インスタント食品や化学調味料が「人工的」な食品として批判の矢面に立つようになっていったためです。
そのような時代の批判的な風潮を象徴するのが、「中華料理店症候群Chinese restaurant syndrome」とよばれるものです。1968年に中華料理を食べたアメリカ人数人が頭痛や動悸などの症状を訴えたものが、「中華料理店症候群」として権威ある医学雑誌に掲載されました。それがヨーロッパでも知られるようになり、それ以降、中華料理店のできあいのソースに多用されていたうまみ成分であるグルタミン酸ナトリウム(化学調味料)の摂取過多が体に悪いという理解が定着していきます。
新たに定義される「健康的な」食品の指標
中華料理だけでなく、うまみを強化するいわゆる「うまみ調味料」である一連のスープの素や液体調味料、またそれらが投入されたインスタント食品への風当たりも強くなっていきます。現在では、学術的にグルタミン酸ナトリウム自体の健康被害は否定されていますが(中尾、2016年)、人々に一旦根付いた「不健康的」な食品イメージは払拭されるのが難しく、他方、冷凍食品など新しい食品が続々とでてくる状況にあって、インスタント食品や化学調味料の食文化における立ち位置は、以前とは異ってきます。
依然として固形ブイヨンやアロマットなどへの高い需要はある一方、これらを手放しで歓迎する風潮はそれ以後なくなり、すこし平たく言うと、インスタント食品群を批判することは、社会が「良識ある人」に期待する態度の一部となり、消費する時には、どうしても後ろめたさを感じる、という状況が一般的になったように思われます。
違う角度からみると、「人工的(化学的)なうまみ成分」がどれだけ含まれないかが、人工着色料や人工甘味料同様に、食品の「健康」を測る新な指標として、評価されるようになったともいえるでしょう。この点で、とりわけ興味深いのは、19世紀に健康という食品の新な指標に合わせて開発されたはずのスープの素が、20世紀後半のこの新たな健康の指標では、むしろ健康を害する方に分類されるようになったことでしょう。
自ら料理をするという食文化の展開
スイスにおいて簡単即席でおいしいものを手にいれようとする流れに批判的な時代の潮流は、一方でインスタント食品や化学調味料の批判、そして他方では(怪しいできあいのものを口にする代わりに)自分みずから料理を作ろうという動き、そして空前の料理ブームへとつながっていきます。
スイスで料理への関心が広がるこの時期に、重要や役割を果たした一人の女性がいました。1956年から、某食品会社が小売店舗の配布用の無料チラシに自社商品の商品紹介と合わせて料理レシピを掲載した「ベティ・ボシィ」という人物です。実は架空の人物なのですが、彼女の名を名乗るレシピが簡明でわかりやすく、身近な食材だけで調理できたため、料理の素人にも好評を博し、次第に料理の本が出版されたり、レシピが様々な雑誌に掲載されるようになります。
そしてこの女性名で量産された料理レシピが国民的な人気となり、戦後のスイスにおいてスタンダードな料理文化を形成していきます。その人気ぶりは、1977年にパーティ用の豚肉の料理方法が掲載された時に、スイスのどこの肉屋でもその料理に必要なヒレ肉が品薄になったという逸話からもうかがわれます。2000年代に入っても毎年料理本は100万部売れており、年間3〜5冊の新しい本が出され、2013年現在販売された100種類以上の本を総計冊すると、3200万部になります。ちなみに、過去一番売れた本は、ケーキに関する本で、17刷りで140万部売れています。近年は料理本に代わって、ホームページに掲載されたレシピに人気が集まっており、毎月50万人がベティ・ボシィ料理方法のウェッブサイトをみています。
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料理本や料理レシピの掲載に平行して、テレビでの料理番組の放映や料理教室が開講し、15年前からは大手スーパー「コープ」によって、調理済みあるいは半調理済みの高品質を売りにした幅広い食品が「ベティ・ボシィ」という名前で売り出されるようにもなりました。このようにスイスの様々な食文化の文脈に出没してきた「ベティ・ボシィ」のブランド力は今も健在のようで、今でもスイスの住民の9割以上がなんらかの形で「ベティ・ボシィ」の名前を知っていると回答しています。
「ベティ・ボシィ」の料理レシピは、半世紀以上にわたってスイス人の料理技術やレパートリーを大幅に押し上げ、同時に、自ら料理をつくる楽しみや健康的で多様な食生活をスイスに定着させるのに重要な役割を担ってきたといえます。
ますます増える食への要望はどこまで満たせる?
今日の食品類をみわたすと、便利なもの、安価なもの、健康的なものだけではなく、さらに、地産地消を謳った食品や有機農業食品(「デラックスなキッチンにエコな食べ物 〜ドイツの最新の食文化事情と社会の深層心理」)、菜食主義者やヴィーガン向け食品(「肉なしソーセージ 〜ヴィーガン向け食品とヨーロッパの菜食ブーム」)、あるいは生産者の就労状況を配慮したフェアートレード(バナナでつながっている世界 〜フェアートレードとバナナ危機)など、環境負荷や動物保護、また生産者の生活環境に配慮した食品も多くなってきています。
「健康的」な食品に関しては、一定の規格があるわけではなく、上述のような、化学的添加物の含有量を単に少なくするあるいはなくするという観点だけでなく、ビタミンが豊富、塩分や砂糖控えめ、脂肪分の少ないもの、アレルギーを引き起こしにくいなど、健康を計る細かな指標が増えており、それに平行して新たな「健康」さをアピールする食品の種類も増えてきました。19世紀において栄養価の高い健康的な食べ物といえば豆類を材料とするスープの素ですみましたが、現代社会で「健康的な食品」だとみなされるためのハードルはぐっと高くなったといえるかもしれません。
一方、自分で料理することへの情熱はいまだ根強くみられますが、現実に実際の料理時間をみると、女性の社会進出が顕著に進んだここ数十年で、短くなってきています。このため、買い物や準備する時間がはないけれど料理をしたい人のための新しいアウトソーシングのサービスもでてきましたが、人々がこれらのサービスを利用する頻度が多くなれば、社会や環境に新たな問題が引き起こすという新たなジレンマにもつきあたります(「人出が不足するアウトソーシング産業とグローバル・ケア・チェーン」)。
料理を作る時間が実際にはあまりない、しかしおいしいもので、しかも現代的な意味での「健康的なもの」で、環境や生産者にも良心が咎めることがないものを食べたい。しかも日々の食費として支出できる範囲のもの。そんな多くの理想を食品に求めるようになった現代において、どんな食事がメジャーになっていくのでしょうか。
現代的な食をめぐるこのような基本的な問いの答えを探して、次回はドイツの外食産業の最新事情をさらにみていきたいと思います。
<参考文献とリンク>
Betty Bossi. In: NZZ, 20.6.20016.
Betty Bossi-Erfinderin gestorben. In: Swissinfo, 3. Oktober 2006 11:54
Brunner, Christoph, Damit würzt die Schweiz. In: SRF, News, 11.7.2014, , 16:18 Uhr
マイケル・モス『フードトラップ 食品に仕掛けられた至福の罠』日経BP社、2014年。
中尾篤典「第26回 中華料理店症候群」(『レジデントノート』羊土社2016年11月号からの転載)
Von der Erfindung der helvetischen Landeswürze. In: NZZ, 26.1.2003
Wirthlin, Annette, Gelb würzt die ganze Nation. In: Berner Zeitung, 12.04.2013.
Zech, Monika, Das typisch schweizerische Erfolgsrezept.In: Tageswoche, 8.8.2013.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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世界中で消費される元祖インスタント食品 〜19世紀の労働者の食生活を改善するためのマギー(魔法?!)のスープ

2018-01-11 [EntryURL]

今回から3回の記事で、19世紀から現代にいたるまでの食品や理想の食生活の変遷について、転機をもたらした具体的な食品をとりあげながらみていきたいと思います。初回の今回は、19世紀の産業化時代にスイスで開発された元祖インスタント食品ともいえるスープの素(液体や固形ブイヨン)について注目し、それがどのような経緯で生まれ、グローバル化する食文化の潮流で、現在どのような役割を果たしているのかを概観してみます。次回は、20世紀の戦後の高度経済成長期のヨーロッパ(ドイツ語圏)の食生活の変化について、 調味料や料理自体の意味の変化から探ってみたいと思います。そして3回目の最終回では、ドイツ語圏の食文化の現在の様子とこれからの展望について、外食産業の最近の新たな動向に目を向けながら、考えてみたいと思います。
3回の記事を通じて注目したいのは、食材や調理法などの表層的な食文化の変化だけではなく、食事において重視されることが、時代とともにどう変化していったかという点です。
今日、わたしたちが購入できる食品の種類や形態は、ローファットのマヨネーズ、ファアトレードのインスタント食品、 調理済みの冷凍有機野菜、輸入食材、栄養機能食品・・・ と、非常に豊富ですが、みなさんが食品を選ぶとき、どんなことが決め手になるでしょうか。
多くの人たちにとって重視されるのは、以下のような点であると考えられます。
・入手しやすい価格であること
・簡単に食べられること
・おいしいこと
・健康的(栄養学的に優れていたり、健康を促進するもので)であること
・環境負荷や社会的配慮(エコロジカル・フットプリントやフェアートレードなどの)
これらの点は、現代の個々人によって優先順位が異なるだけでなく、時代によっても、重視するものや全く考慮されないものが大きく違っていました。このため、これらの要素を、食文化のそれぞれの時代の求めらてきた価値や要望を知る手がかりとしながら、 以下3回にわたって、具体的な事例をとりあげていきたいと思います。
19世紀労働者の食生活の改善策として開発されて元祖インスタント食品
みなさんが実際の調理で使ったことがあったり、使ったことがなくてもランチセットのコンソメスープの味として馴染みがあると思われる固形ブイヨン(スープの素)は、19世紀のスイスで生まれました。その時期のスイスで誕生した理由は、その時代の社会状況と深く結びついていますので、歴史をさがのぼってすこしご紹介します。
当時、スイスでも繊維産業などを中心に産業化がすすみ、工場で働く人が急激に増加していきますが、低賃金で長時間労働の労働者家庭では、女性も男性と共に工場で働くことが多く、家庭で料理をつくる時間も人も不足するようになります。
この結果、多くの労働者家庭が栄養不良に陥っていることが、当時のリベラルな市民たちの間で問題視されるようになります。「スイス公益協会Schweizerische Gemeinnützige Gesellschaft (SGG)」でも、医師で工場検査官も兼ねていたシュプラーFridolin Spulerを招いて「工場従業員の食生活とそこでの欠乏」という題名の講演会が1882年にひらかれます。
講演では、良好な食生活をするためのお金だけでなく時間も不足している労働者は、コールドディッシュ(調理をしないで済ますパンにチーズやサラミのような簡単な食事)やアルコール類で済ましていること。工場に食堂がある場合も、食事が安いのはいいが栄養的には好ましいものではないこと。それらの結果、栄養不良、胃腸の病気が労働者の間で頻繁にみられ、また子供の死亡率の高さにもつながっていることなどが説明され、スイス全体の工場労働者とその家族の栄養不足に警鐘が鳴らされました。
またシュプラーは、状況を改善するための手立てとして、労働者のために早くで安くできる食事の必要性を訴えました。特に、肉類同様にタンパク質が豊富であるのにはるかに安価で手に入り、消化もいい豆類の食品が、有望な食品として推奨されました。
この講演を聞いていた一人に ユリアン・マギー Julian Maggiがいました(マギー は、親がイタリアからの移民であり、 イタリア語読みして「マジ」と呼ばれることも多かったようですが、製粉所をもとに彼がスイスに1872年に設立した食品加工会社はドイツ語圏でも日本でも 「マギー」として知られているため、ここでも彼の姓を社名と同じく「マギー」と表記することにします)。たんぱく質が豊富な豆類を製粉した材料を食品化することにすでに高い関心をもち開発をしており、講演の前年の1885年には、9種類の豆類の商品を発表し、チューリッヒで開催された「料理展示会」で、「第1級証書」を授与されていた人物です。
講演後、スイス公益協会は、早速、シュプラーの推奨する新しい豆類の食品の開発をマギーに依頼し、そのための支援を申し出ます。
待望の食品開発へ
マギーはその後多くの試作を重ね、2年後の1886年に最初の食品が開発されます。それは、グリーンピースやほかの豆類の豆粉からつくられた調理済み即席スープの素で、それから数年の間にさらに22種類の粉末スープも開発されました。
しかし、商業的に大きな意味をもったのは、同年1886年に続いて開発された、液状の万能調味料の方です。「マギー・ビュルツェ(ビュルツェはドイツ語で調味料のこと)」と名付けられたこの液体調味料は、その後ドイツ語圏でその存在を知らない人はいないと言われるほど、ロングヒットとなっていきます。現在でも、ほとんど当時と変わらないシンプルな瓶に入れられ販売され、ドイツだけでも年間1900万点売れており(2012年現在)、世界有数の食品加工企業に現在発展したマギーの食品のなかで、今でも人気定番商品のひとつです。
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固形ブイヨンの発明
さらに、1909年、マギーは、肉のエッセンスではなく、植物性のタンパク質だけで、肉を想起させる味の、固形ブイヨンを世界で初めて開発しました。ブイヨンとは、日本ではコンソメと混合されて理解されていますが、もともと煮込んで作った汁の部分、だし汁部分のことで、コンソメはされにそれを使ってつくるスープそのもののことを指し、固形ブイヨンとは、それを投じれば長く煮込んだ時の煮出し汁のような味のスープになるエッセンスを凝縮させたものです。
肉のエキスを抽出したスープの素はそれ以前からありましたが、低賃金層にはとうてい入手不可能な高嶺の花でした 。しかし、工場で量産される植物を主原料とする固形ブイヨンのおかげで、貧しい家庭でも、安価でしかも簡単においしいスープを初めて食することができるようになりました。例えば1910年当時、1kgのスープをつくるのに、固形ブイヨンを使うと、肉を利用して作るときの値段の30分の1以下で済んだと言われます。
もともと貧しい労働者層の食文化の改善のために開発されたこれら植物原料のスープの素や調味料ですが、すぐに市民層の間でも人気をもち、広がっていきます。固形ブイヨンは、洗練された食文化の伝統があるフランスでも成功し、1912年の時点で、フランスでは600万箱の固形ブイヨンが販売されました。
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固形ブイヨンの世界的な普及
そして開発から100年余りを経た現在、固形ブイヨンは 、世界的にシェアを広げる世界共通の食品へと成長しました。
西アフリカで固形ブイヨン現象についてのフィールドリサーチを行い、2011年にこれをテーマに本を刊行したライプツィヒ大学の民俗学者シュトポックManfred Stoppok によると、アフリカで、水道水や電気がないところでも、村の店にいけば、マギーの固形ブイヨンがあるといいます。それほどマギー社やクノール社の製造する固形ブイヨンは、アフリカの一般的な家庭で、調味料として圧倒的な地位を占めるようになっており、それがないと調理は不可能と思われているほどだといいます。実際に、西と中央アフリカだけで、毎日360億個の固形ブイヨンが消費されています(Grossrieder, 2017)。
これだけアフリカで消費量が増えたのは、大手固形ブイヨンメーカーが現地で繰り広げた広告キャンペーンによるところが大きいとされますが、アフリカでは固形ブイヨンが独特の意味も表象していることも、大量の消費につながっているとシュトポックはいいます。植民地時代ヨーロッパからアフリカにもたらされた固形ブイヨンは、今も、固形ブイヨンは、コカ・コーラやビックマックのように、都会や近代化、西欧のライススタイルを象徴するものとしてとらえられ、それゆえ人気が高いとシュトポックは解釈します。
グローカリゼーションの成功例
アフリカだけでなく、アジアや中南米でも今日大量に消費されている固形ブイヨンですが、味には、少しずつ地域による差異がみられます。大方の人がおいしいと感じるベースの味を基調にしながらも、それぞれの地域により微妙に異なる味の好みを尊重することで、様々な地域特有の味に仕上げられており、例えばアフリカの固形ブイヨンはヨーロッパのものより辛めの味になっています。
このようなグローバルとローカルが合わさったグローカリゼーションの形が、グローバルに成功をおさめる秘訣であり、固形ブイヨンの人気と定着に大きな貢献をしてきたとされます(Grossrieder, 2017)。
以前、やはり世界的に定着したカップヌードルが世界中で少しずつ好みの味にかえており、世界中でトータルで数百種類以上の味があるという話を聞いたことがありますが、固形ブイヨンもまったく同様の手法により、成功した好例といえるでしょう。
とはいえ、社会や生活スタイルが大きく変わった100年の間に、いまも基本的にほとんど変わらない味と形で、5大陸のほとんどの地域で日々の日常に不可欠な食品として市民権を得たという事実自体も、興味深く感じられます。
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会社と従業員をウィンウィンな状況にもたらした商品開発
最後に、少し脱線しますが、 労働者用の新しい食品に取り組んで成功したマギー社の、商品開発だけでなく、従業員の就業環境への配慮についても触れておきます。
マギー社は産業化時代の企業としては先駆的な従業員への福利厚生政策をとっていたことでも有名です。社内食堂の設置のほか、労働者住宅、従業員の保養施設なども建設し、事業者健康保険や有給休暇制度を導入し、社内旅行や行事なども開催していました。消費者協会(従業員が安く購入できるために設立された団体で、生協の前身)も設立され、1907年のドイツのジンゲンSingenにある主要な生産工場のストライキの後は、従業員代表を組織する労働者委員会も設置しています。
これらの当時としては珍しい福利厚生制度は、クノールなどのライバル食品メーカーなどに、従業員を通じてレシピなどの企業秘密が漏れないようにするための対策でもあったといわれますが (Rechtsteiner, 2017)、結果として従業員の福利厚生の重視という当時としては先駆的な方針をとることになり、従業員にも会社にとってもウィンウィンの状況を生み出すことになりました。
おわりに
19世紀の産業化時代のはじまりとともに、大量生産や遠方からの大規模な輸送が可能になり、食文化においても様々な新たな可能性が生まれていきます。そこで、富裕層だけではなく一般の大衆にとっても、おなかがいっぱいにすること以外の価値として「健康的」であることが、食事に次第に求められるようになったわけですが、植物原料ベースのスープの素を、「健康的」な食材と考えた当時の理解は、現代のそれとはかなりずれているのが印象的です。
インスタントスープで食生活を改善しようという19世紀の社会的な使命感や発想のどこがいつどのように変化して、現在のような、インスタント食品=悪い、できれば避けたいもの、という感覚(少なくとも先進国では)になっていったのでしょう。
次回は、そのインスタント食品への社会的スタンスが大きく変化し、新たな食生活嗜好が形成される過渡期にスポットをあてて、引き続き、食文化やそれに対する期待や価値観の変化を探っていきたいと思います。
<参考サイトと文献>
Brühwürfel, wikipedia (2017年12月27日閲覧)
Burmeister, Thomas, Würzsauce Der Maggi-Schöpfer und sein geheimes Würzrezept. In: welt.de, 19.10.2012.
Der Mann, der uns die Suppe brachte. Zum 100. Todestag von Julius Maggie. In: Heimatspiegel, Nov. 2012, S.81-88.
Dohna, Jesko zu, Maggi in Afrika Zusammengewürfelt. In: Der Tagesspiegel, 20.04.2015 16:04 Uhr
Grossrieder, Beat, Ein Würfel geht um die Welt. In: NZZ, 10.6.2017.
Julius Maggi. In: Wikipedia, Deutsch
Maggi. In: academic.com (2017年12月27日閲覧)
Rechsteiner, Alexander, Blog, Nationalmuseum, 06.2017. (2017年12月27日閲覧)
Unsere Geschichte Von 1846-Heute, maggi.de(2017年12月27日閲覧)
Weite Welt, kulinarischer Alltag, kulinarische Erinnerung, Welt der Würfel(2017年12月27日閲覧)
Winkenbach, Julia, Maggi Würze. In: Welt am Sonntag, 16.1.2005.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


海外向けポータルサイトの稼ぎ方

2018-01-06 [EntryURL]

サイト制作マスターで、インバウンド向け・海外向けのポータルサイトを作っています。

弊社は、IT導入支援事業者なのですが、昨年のIT導入補助金のときは、制作費120万円で提供していたサービスです。

東京オリンピックが決まってから、2020年に向けてコンサルティング会員のみなさまには、「サイトを量産してください」とお願いしています。

これは「tokyo」「japan」が各国メディアに紹介されるからです。

それに伴い、日本への関係キーワードでの検索も増えますし、日本に来る観光客もドンドン増えます。

それらを勘案して昨年からポータルサイトを制作しているのですが、ではポータルサイトを作って、収益はどのように取っていくかについてご説明させていただきます。

たとえば「日本の温泉のポータルサイト」を作るとします。
温泉のデータべースみたいなものです。

温泉の豆知識であったり、マナーみたいなページを作ると同時に、英語のコラム的な記事を作ります。
アクセスの集め方は最重要ですが、本日は収益の取り方について書かせていただきます。

アクセスがあるサイトに育てば、まず「広告収入」が思いつきます。

アドセンスが手っ取り早いですね。Googleが自動的に広告を表示してくれます。
アドワーズの反対みたいなものです。ポータルサイトに表示された広告をクリックされればチャリーンと広告料が発生します。
アクセスがあれば不労所得的な感じの収益になります。

クリックで発生するものには、アマゾンや楽天のアフィリエイトもあります。
英語版のポータルサイトなので、アメリカアマゾンのアフィリエイトになるでしょうか。
弊社はやっていませんが、サイト制作マスターでアマゾンのアフィリエイトは簡単に設定できます。

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スイスで考えるペットと共存する社会のしくみ 〜飼い主、ペット、近隣の住民それぞれに課せられる義務と役割

2018-01-02 [EntryURL]

「体内にマイクロチップを埋め込む」と聞くと、少なくとも2018年を迎えたばかりの現時点では、得も言われぬ恐怖感を覚える人が多いのではないかと思います。しかしスイスでは、すでに10年前から、マイクロチップの体内埋め込みがすでに一部で義務化されています。ただし、人間が対象ではなく、飼い犬を対象としたものです。
スイスでは、マイクロチップの埋め込みだけでなく、ほかにも日本にはないペットをめぐる法律や制度があります。これらの法や制度をよくみると、単に動物の愛護や保護の観点で進められたのでなく、もっと広く社会全体を視野にいれて、飼い主とペット、近所のほかの住人が、できるだけお互い摩擦や問題がなく共存するためのしくみであることがわかります。戌年最初の記事となる今回は、具体的に犬や猫などのペットについてどのような法律や制度があり、実際にどのようにそれらがどう機能しているのかについて、自身の実体験もふまえて、レポートしてみたいと思います。
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スイスの人気のペット・ランキング
スイスでは3世帯に1世帯がなんらかの動物を飼育しています。最も多いのは魚で、水槽で飼育する魚が230万匹、それに続いて、池で飼育される魚が210万匹います。次に多いのは猫で160万匹でさらに犬52万1000匹と続きます。猫の数は、日本では昨年2017年に調査依頼はじめて犬の数を上まりましたが、スイスではすでに現在犬の3倍近い数になっており、近年の犬の飼育が減少や猫が増加傾向を鑑みると、猫と犬のペット数の差は今後さらに大きくなると考えられています。
このようにスイスでペットとして魚に続いて、高い人気を博している猫ですが、一方で消息不明になる猫も少なくありません。スイスでは1年で平均、1万5千匹の猫が消息不明になっていると言われ、これは35分に一匹の割合です。
飼い猫がいなくなったら、どうしたらいいでしょう。張り紙をしたり、近所に訊いてまわるというのが、どこでもみられる常套手段でしょう。しかし、それは、この方法が効率的に捜索できるからではなく、ほかにとくに手立てがないから、というのが実情ではないかと思います。第一、いざ探すと言っても、そもそも飼い猫がどんなところを通常の行動範囲にしているのか知らず、どこを探せばいいのか見当がつかないという飼い主も多いのではないかと思います。
そこで、もっと効率的に探すことはできないか、そんな期待をこめてはじまったのが、マイクロチップの体内への埋め込みです。
マイクロチップ埋め込みをめぐる近年の動き
現在、猫や犬などの小動物に埋め込まれるマイクロチップは、長さ11〜14mm、直径約2mmで、細長い米粒ひとつほどの大きさです。注射器に似た機械で、瞬時に、喉の左横あたりの皮膚下に簡単に埋め込むことができます。すぐに終わるだけでなく、痛みもほとんどないため、とくに麻酔などは必要ありません。埋め込みは獣医が行い、約90スイスフラン(日本円で約1万円弱)の費用は、飼い主が負担します。一度埋め込めば、一生使うことができます。
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マイクロチップには、すべてのペットが個別に確認できる国際基準に沿った15桁の数字からなる情報が入れられます。例えば、出生国が3桁の数字で表記されることになっており、ペットの出生国がスイスである場合は756となります。内容を読みこむための機械は、医者、動物保護センター、警察などに常備されています。マイクロチップにGDP機能などほかの機能は搭載されていません。
スイスでは2007年1月1日から、すべての飼い犬を対象に生後遅くても3ヶ月以内に、マイクロチップの埋め込みが義務化され、同時に、そのデータを全国の統括的データバンクへ登録することが義務化されました。
一方、猫のほうは、マイクロチップが義務化されていないため、それほど普及していません。2011年に新たにマイクロチップをいれたのは4万5千匹で、この年までに、マイクロチップが入っている猫の総数は、24万匹にとどまっています。これは飼い猫全体の2割以下の割合に当たります。
ちなみに、スイスの犬への義務化に先んじて、2004年7月から、EU圏外から圏内に入る犬や猫などのペットは、マイクロチップを体内に埋め込むことが義務化されています。
マイクロチップの効用
体内のマイクロチップが義務化され、実際にどのような変化があったでしょうか。まず、迷い犬の個体確認が非常に容易になりました。2011年では、3000匹の犬、がマイクロチップのおかげでみつかり飼い主に返されています。
また、そのような物理的な効用だけでなく、飼い主の精神面においても、大きな効用が指摘されるようになりました。それは、一言で言えば、飼い主の飼い主としての自覚を高めるという効用です。
例えば、マイクロチップの埋め込みが義務化されることで、犬を捨てる人が大幅に減りました。捨てたいと考える潜在的な人数は、これまでと同じようにいたとしても、捨てられた犬から捨てた持ち主を探索することが簡単になったため、捨てることを思いとどまる、あるいは捨てずにすむ手段(動物保護センターに預けるなど)をとる人が増えたためだと考えられます。
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ほかにも、飼い主が犬をいじめたり、世話を怠ったり、あるいは犬が噛みついた場合も、飼い主を見つけ出すのがずっと容易になったため、これらの問題やトラブルを抑制する効果があると言われます。
犬のマイクロチップが義務化されて10年の間に起きたこのようなポジティブな効果に注目し、猫にもマイクロチップの埋め込みを義務化させるべきと考える人も、徐々に増えてきているようです。飼い猫にも義務化の枠を広げるべきかという議論もたびたびメディアに登場します。
猫の生態研究者ターナーDennis C. Tunner も、避妊同様マイクロチップの埋め込みに賛成する一人であり、避妊手術とマイクロチップは、持ち主にとって、「責任をもって猫を飼う」ことの一環と位置づけています(Roshard, 2014)。
全国ペット捜索ネットワーク
消息不明のペット探しにおいて、マイクロチップの埋め込みとセットになって、有力な手段となっているものがもう一つあります。それは、全国的なペット捜索ネットワークの存在です。
スイスでは2004年4月から施行された法律 (Art. 720a, Abs. 2 ZGB) によって、すべての州で、飼い主からはぐれたと思われる動物を住民がみつけた場合、届け出をすることが義務とされ、同時に、それぞれの州で、それを統括する部署をそれぞれ設置することも義務付けられました。
これを受けて、2001年からNPO団体が運営している全国的な捜索届けと発見届けのポータルサイト 「スイス動物届けでセンター」が、正式な全国的な情報統括センターとして、 利用されるようになりました。
具体的な捜索の流れをみてみましょう。まず、ペットが見当たらなくなったら、飼い主が届け出をします。写真ととともにペットの性別や種類などの情報と飼い主の連絡先(電話とメール)を入力します。
一方、スイスのどこかで迷子のペットと疑われる動物を誰かが発見した場合は、発見届けを出します。発見届けにはできるだけ詳しい動物の情報、例えば、発見の場所や日時や動物の特徴、動物の写真を、発見者の電話や連絡先とともに入力します。住民が、迷子と思われるペットを見つけても届けず放置していると、罰則や罰金を受けることもあります。
入力された情報はすぐにポータルサイトで公開され、飼い主は、気になる届け出を出した人に、直接連絡することができます。この全国的な捜索ポータルサイトに出される届け出件数は、年間でトータルで2万件で、訪れる人数は120万人にのぼるといいます。ちなみに、2011年、猫発見の届け出は、700件でした。
体験レポート
先日わたしも自身も、自宅に猫が迷い込んできたため、このサイトを利用することになりました。発見届けを出した当日から、猫を探す人から直接電話での問い合わせを受けたり、マッチング・レポート(発見届けの情報と捜索届けを付き合わせて、合致すると思われる場合に、送られてくる報告メール)が届いたりして、ポータルサイトが使い勝手がよく、実際に市民たちに利用されている様子を、かいまみた気がしました。
ちなみに、うちの迷い猫は数日後に姿を消したので、その時点で入力情報もすべて消去しましたが、念のため、動物保護センターと獣医に問い合わせたところ、猫が引き続き居着くような場合は、ネットでの捜索活動に平行して、マイクロチップが体内に入っているかを調べるため、獣医に連れていくことを勧められました。マイクロチップ内容を調べるだけなら、予約も費用も不要で、飛び込みでやってもらえるとのことでした。
迷いこんだ猫や犬を自分自身が飼いたいと希望する時も、マイクロチップが入ってるかを、獣医のところで必ず確認しなくてはいけません。もしもマイクロチップの情報で持ち主がいることがわかれば持ち主に返還しなければいけませんが、謝礼として、ペットの値段の約1割の謝礼を飼い主に要求することができます。発見届を出して2ヶ月たっても持ち主が見つからない場合も、正式に自分のペットとして飼うことができます。
マイクロチップは、迷いペットの持ち主を探すのに便利なだけでなく、本当の持ち主を見極めるのにも、非常に便利だと、スイス国営ラジオのインタビューで動物に関する法律専門家フライStefanie Freiは話してます(Schnyder u. Kressbach, Interview, 2017)。
どういうことかというと、猫などの小動物は、場合によっては柄や大きさだけでは、見分けがつきにくいため、複数の人が、自分が飼猫い主だと主張する場面がたびたびあります。そのような場合、感情的に議論をしていても埒があきませんが、マイクロチップをみればだれが飼い主かが一目瞭然なので、すぐに問題が解決します。言って見れば、マイクロチップスは、現代のペットにとっての、(二人の母親と名乗る女性のどちらが本物の母親かを、子ども引っ張らせて見極めたという逸話のある)大岡越前の役割も果たすということのようです。
おわりに
スイスの事例をみると、ペットをめぐる体内マイクロチップと全国的な捜索ネットワークの整備というインフラが、補完・補強しあい、スイスのペットの生活環境をより安全で確かなものにしていることは、疑いなさそうです。
一方、飼い主にとってはどうでしょうか。これまで以上に飼育者に自覚と責任意識を要求されることになるという意味では、厳しいともいえますが、飼い主としての責任を一方的に要求するだけでなく、ペットが消息不明になるという多くの飼い主にとって自分だけでは解決し難しい難しい状況において、有力な助けを提供しているともいえます。つまり、飼い主の希望や権利を、最小限のトラブルで最大限守ろうという、システムだとも解釈できるでしょう。
社会全体に視野を広げると、飼い主だけでなく周辺の住人も巻き込んで、一般の住民にも発見届けを義務化させるなど、住民と飼い主のそれぞれの役割や立場を明確にさせることで、社会で人とペットが共存しやすくなるようにした制度ではないかと思います。特に最近、動物に対する苦情(例えば大型犬が小型犬や人を噛んだというような苦情)が増えているように、スイスでは動物やその飼い主に対する目も厳しくなってきているため(Häuptli, 2017)、全般に飼い主や住民の責任と役割を明確化する制度は、争いや問題を未然に防いだり最小限にするための不可欠なしくみといえるのではないかと思います。
飼うことが任意のペットのことで、どこまで法的な枠組みをつくるのか、また公的にお金と手間をかけるのか、という想定や理解は、国や地域によりかなり異なるでしょうが、ペット対策を統合した生活環境整備は、ペットを飼うことがめずらしくない社会全般において、今後、一層重要になってくるのではないかと思われます。
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<参考文献とリンク>
Häuptli, Lukas, Hunderte Verurteilungen wegen Hunden. In: NZZ aom Sonntag, 25.11.2017.
スイス動物届け出センター(Schweizerische Tiermeldezentrale  略してSTMZ)
Stäubli, Chantal, Fremde Katze gefunden - wie geh ich vor? In: Watson, 18.4.2017.
Roshard, Carmen, Dieser Chip ist nicht für die Katz. In: Tagesanzeiger, 5.11.2014.
Schnyder, Martina und Kressbach, Maria, Chippen für die Katz Trotz Mikrochip: Vermisst gemeldetes Büsi stirbt im Heim. In: Kassensurz, Aktualisiert am Dienstag, 17. Oktober 2017, 22:45 Uhr.
Schnyder, Martina und Kressbach, Maria, Interview: Macht ein Chip-Obligatorium für Katzen Sinn? In: Kassensturz, SRF, 18.10.2017.
Würden Sie als Juristin der Stiftung «Tier im Recht» ein Chip-Obligatorium für Katzen begrüssen?
Verwöhnte Hunde. In: NZZ am Sonntag, Gesellschaft, 9.11.2017.
STS-MERKBLATT. Mikrochip, Kennzeichung und Resistrierung, Findetiere. (2017年11月27日閲覧)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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