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コロナ危機を契機に登場したポップアップ自転車専用レーン 〜自転車人気を追い風に「自転車都市」に転換なるか?

2020-06-12 [EntryURL]

今回と次回では、都心部の移動のあり方の大きな変化として、コロナ危機以降、注目されている自転車とその周辺事情について扱ってみたいと思います。具体的には、ヨーロッパ各地の自転車ブームやその背景、また購買とは違う自転車利用手段として人気が高まっている定額制(サブスクリプション)の長期レンタルサービスなどに注目していきます。

これまでのヨーロッパでの自転車走行をめぐる状況

すでに半世紀前から、人にもコミュニティにも環境にもやさしい交通手段として自転車を有望視する考え方がありましたが、実際にヨーロッパ全体をみると、車や公共交通に比べ、自転車交通がさかんな地域はむしろ少数派でした(自転車交通を促進するために長年投資を続け、その結果、住民の自転車利用率が急激に上昇した好例であるアムステルダムとコペンハーゲンについては「カーゴバイクが行き交う日常風景 〜ヨーロッパの「自転車都市」を支えるインフラとイノベーション」)。

ロンドン、パリ、ローマ、ベルリンなど、大きな都市になればなるほど、車や歩行者道、路面電車などがごった返しており、自転車専用レーンはほとんどなく、自転車利用人口が少ないでという傾向が、少なくとも最近までみられました。

また近年は、若者の自転車利用の仕方にも、変化がでているようです。スイスの若者の間では、20年前に比べ、主要な移動手段として自転車を利用する若年層の割合が、半分近くに減っています。この理由は複合的なもので、個人差や地域差も非常に大きいでしょうが、スマートフォンを利用したいため、自転車に乗る代わりに公共交通機関を利用したい人や、自転車の運転技術が未熟な若者が増えていることなどが、その主要因と推測されています(「自転車離れするスイスの子どもたち 〜自転車をとりまく現状とこれから」)。

総じて、自転車利用を促進しようとするかけ声は常に聞こえるわりに、必ずしも、直線的に自転車利用者数が増えてこなかったというのが、ヨーロッパの最近までの実情です。

コロナ危機による自転車専用レーンの躍進

しかしコロナ危機が到来したことで、自転車をめぐるこのような足踏み・停滞状況は、がらりと変化しました。

目をみはる変化は、とりわけ、これまで自転車走行におよび腰だった大きな都市で顕著にみられます。コロナ危機からまもなくして、公共交通の理由を減らし自転車走行を奨励する目的で、自転車専用レーンをつくる措置が各地で打ち出されました。ベルリンでは、3月25日から暫時的に自転車専用レーンがもうけられ、現在、15.16kmあり、さらに7.2km延長する予定です。パリでも、50キロを暫定的な自転車専用がつくられ、感染の被害がひどかったイタリアのミラノでは、9月までに25km、ローマでは、今後150kmの自転車専用のレーンを設置する予定です。ベルリンやミラノの暫時的な自転車専用レーンは、当初数ヶ月の予定でしたが大幅に変更し、今年末まで延長されることも決まりました。

こちらをクリックするとダウンロードできます。ウィキペディアコモンズなので、自由な利用が認められている画像です)

ベルリンで最初にできたポップアップ自転車専用レーン (Provisorischer Radweg am Halleschen Ufer als Maßnahme gegen die Corona-Pandemie 2020)
出典: Nicor / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0) Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Radweg_Hallesches_Ufer_2020-03-26.jpg

実際、ベルリンでは、車を所有していない世帯が、全体の43%と半数を占め、公共交通をなるべく使わないで大きな都市で移動するため、多くの人にとって、現状では、自転車が現実的で有望な手段になったと思われます。

自転車の用途 通勤とレジャーの両方で重宝

自転車は、現在、通勤とレジャーという、異なる用途どちらにおいても、重宝されているようです。

スイスのコロナ危機下の(1200人の18歳から65歳のスイス人を対象にしたGPSデータの調査をもとにした)自転車走行距離の分析によると、ロックダウン時期のスイスでは、2019 年秋に比べ平均、1日の走行距離が、ほぼ3倍(680メートルが約2キロ)に増えていました。外出の自粛が要請されていたロックダウン下では、歩行を含め、ほかの移動手段での移動距離が減りましたが、自転車の走行距離だけが急伸長していたことになります(Balmer, 2020)。

ロックダウンの時期は、職場に通う人が通常よりずっと減ったはずなので、それでも、これほどまで自転車走行距離が伸びているという事実は、なにを意味するでしょう。

まず、外出の自粛が要請されていても、どうしても通勤しなくてはいけなかった人たちがおり、その一部が、自転車に乗ったと考えられます(学校はすべて閉鎖だったので通学目的の走行はありません)。その中には、通常も自転車通勤していた人もいたでしょうが、これまでは公共交通を使っていたけれど、コロナ危機下、ソーシャルディスタンスをとって通勤するために、自転車に乗り換えた人たちが一定人数いたと考えられます。もちろん公共交通を避けるという同様の理由で、自家用車を利用した人も多くいたでしょうが、通勤距離が短ければ、気候もちょうどよい時節柄だったので、自転車が、好まれたのかもしれません。

それと同時に、レジャー目的でも、自転車が頻繁に利用されたと推測されます。スイスの場合、非常事態期間も自体が禁止されていたわけではなく、スポーツや気晴らしのために外出することが認められていました。この期間、自転車は、公共交通や自家用車での移動に比べ、小回りがきくので、ルートも目的地選びにも融通がききやすく、混み合った道路や場所を避けやすいというメリットがありましたし、走行自体が、この時期にも可能だった貴重な屋外での運動の機会となりました。自転車専用レーンなどが未発達の市街地域なども、ロックダウン期間は人や車の交通絶対量が、数割減っていたため、従来より走行も格段しやすく、広い範囲で、サイクリングを楽しむ人が増えたのだとしても不思議はありません。

現在ヨーロッパは外出規制がなくなり、また夏季で日も長く、自転車走行に最適の時期がしばらく続きます。このため、これから数ヶ月は少なくとも、通勤目的でも、レジャー目的でも自転車に乗る人が、かなり多くなると予想されます。

自転車専用レーンは「やりすぎ」か、「妥当」か?

ただし、このような自転車ブームの背景や今後の見通しを考える上では、コロナ危機による生活や社会の需要の変化だけでなく、政治的な動きや、対立を生むポテンシャルについても留意する必要があるでしょう。

暫時的な自転車専用レーンを推進している都市の政情をみると、どこも緑の党が強い都市です。緑の党は、コロナ危機以前から、自転車交通を推進しようとしていましたが、あまり進展がなかったところに、コロナ危機がおとずれ、これを契機に(悪い言い方をすれば、どさくさにまみれて)、暫時的な自転車専用レーンを迅速に設置していきました。つまり、現在は、一応「暫時的(ポップアップ)」とうたわれている自転車専用レーンも、いずれは恒常的なものとして定着させたい、という強い思いが、設置した緑の党の側にはあるといえるでしょう。

実際、アムステルダムやコペンハーゲンの事例をみると、自転車走行のための環境がある程度整えば、自動的に自転車利用者が増え、あとは自然な相乗効果として(利用者が増えるからさらに自転車交通が交通政策で重点課題となるということを繰り返し)、自転車都市の姿ができあがった、という展開であるため、需要を掘り起こすような環境をどんどん整えていくことは、「自転車都市」になっていくためのひとつの確実で効果的なやり方であるといえるかもしれません。

ただし、強引に片方がすすめようとすれば、違う片方で、強行に反対・抵抗する別の動きも引き起こします。例えば、車両交通関係者は、暫時的な自転車専用レーンは、渋滞や駐車スペース減少を引き起こるのではと懸念しますし、自転車ではなく、むしろ歩行者の移動の安全を優先すべきだという人々の間でも、自転車レーン優先の考え方は不人気です。実際、ドイツの公共交通機関の利用は現在も、コロナ危機以前の半分以下にとどまっていますが、車の交通量は8割程度まで回復しており(コロナ危機下は通常の1割まで減りました)、自転車専用レーンが、社会の対立問題として先鋭化するのも、時間の問題とかもしれません。

長期的に自転車都市を目指すのなら、増えていく自転車利用者のために、自転車専用レーンの延長・拡張や、市内の駐輪スペースの大幅な拡大を継続して行うことが不可欠です。政情がコロコロ変わり一貫性がない交通政策がとられるようでは、自転車交通推進のための初期投資(道路、専用の橋、駐車スペースなど)も無駄になりかねません。そのためには、都市改造への覚悟や一貫した方針が、ある程度、社会で合意されていることが理想であり、重要でしょう。

そのような交通優先と共存をめぐる本格的な議論や合意形成はひとまず脇において、コロナ危機の迅速なひとつの折衷案・妥協案として、すべての交通を遮断せずに許容するマルチ道路に暫定的に変更する都市もでてきました(ウィーンとブリュッセル)ドイツ語圏で「出会いゾーン」、世界的には「シェアードストリート」や「シェアードスペース」)と称されているものです。道路全域を歩行者、自転車、車両などすべてが互いに十分に、十分距離をとりつつ、スローな速度(最高時速20km)で移動することでそれぞれの需要を満たす試みです(「新たな「日常」を模索するヨーロッパのコロナ対策(1) 〜各地で評判の手法の紹介」)。

次回(「ヨーロッパの自転車最前線 〜進む自転車のサブスクリプション化」)は、自転車の新しい利用の仕方として、サブスクリプション制の自転車をとりあげます。

※参考文献は、次回の本文の下に一括して提示します。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


「女性は、職業選択についていまだ十分真剣に認識していない」? 〜職業選択と学問専攻の過去・現在・未来

2020-05-20 [EntryURL]

教育上のジェンダー平等パラドクスに対する新たな視点

今日のヨーロッパでは、就労が、性別により進む専門領域や職業選択が制限されるべきでないということが前提として受け入れられているだけでなく、それを制限する構造的な問題や意識上の障害があるのであれば、それをできるだけ取り除くべきという考え方も定着してきています。

このため、例えば、単なる企業の商品やイメージの宣伝だけでなく社会で一定の影響力をもつと考えられる各種の広告においても、このような社会的目標を反映し、女性や家事、男性は仕事といったステレオタイプ的な性別の役割分担を強調・助長するものや、特定の性別イメージを植え付けると思われる表象がないかが慎重に配慮されるようになっています(「ヨーロッパの広告にみえる社会の関心と無関心 〜スイス公正委員会による広告自主規制を例に」)。

一方、男女同権が進んでいるとされる国では、近年、新たな現象が観察されています(「謎多き「男女平等パラドクス」 〜女性の理工学分野進出と男女同権の複雑な関係」)。男女同権が進んでいるとされる国の方が、そうでないとされる国よりも、STEM分野へ進む女性の数がむしろ少なるという傾向です(英語圏では、理工系分野全般について、科学・技術・工学・数学の頭文字をとった「STEM」という表記がよく用いられます。この記事でも、理工系分野の総称として、STEMという表記を使っていきます)。Gijsbert StoetとDavid C. Gearyは、共著論文で、このことを初めて指摘し、「教育上のジェンダー平等パラドクス」と名付けました(Stoet and Geary, 2018)。

例えば、フィンランドやノルウェー、スウェーデンは、グローバル・ジェンダー・ギャップ・インデックスで上位に位置し、通常男女同権が社会で最も進んでいるとされる国々ですが、それらの国では、大学などの高等教育課程でSTEM分野を専攻する全学生のなかの女性の占める割合は25%以下にとどまっています。他方、同じインデックスで性差による差別が大きいとされる国々では、理工系科目を専攻する女性が多い傾向がみられます。最たる例は、アルジェリア、チュニジア、アラブ首長国連邦で、理工系科目の卒業者の40%が女性です。

つまり、男女同権が社会で進むほど、専門(専攻)や職業選択における性別の差異はなくなるだろうというこれまで一般的だった楽観的な予想は、根拠に乏しく、現状はそれとは、かなりかけ離れていたことになりますが、その原因はなんなのでしょう。女性のSTEM分野への進出を促進するにはなにが必要なのでしょう。それらのことが、改めて疑問として浮かびます。

このことに関して、先日、チューリヒ工科大学教授で行動科学や学習研究の専門家のシュテルン Elsbeth Sternが、インタビュー記事のなかで触れているのを最近、目にしました。そのなかで、シュテルンは、そもそも、女性の職業やそのための大学専攻について十分真剣に考えておらず、そのことが問題だ、と(たとえそう思っている人がいたとしてもなかなか臆していえそうにないような)厳しい指摘をしています。先述の共著論文でも、ユニークな分析がされていて注目に値しますが、それともまた一味違う、独自の視点です。

一方、シュテルンの意見は、斬新で刺激的ですが、この意見を尺度に世の中を見渡すと、たちどころに次なる疑問にもつきあたり、問題の解決に見通しがつくというよりは、むしろ逆で、問題領域がいかに壮大で、複雑にさまざまな社会の要因とからみあっているものかを改めて認識する最初の段階に引き戻されていくようにも感じます。

今回は、このような、様々な議論の呼び水になりそうなシュテルンの発言をご紹介し、わたし自身の考えについても、後半、若干言及してみたいと思います。みなさんも、シュテルンが開いた新しい扉からいっしょにのぞきこみながら、なにが今のような状況をつくっており、将来はどんなモチーフで、大学の専攻や仕事選びをする時代になっていくのかなどを、ごいっしょに考えていただければと思います。

シュテルンのジェンダー平等パラドクスの背景分析

まず、シュテルンの発言をそのまま引用し主要な主張を、ご紹介してみます。

分野において起きているジェンダー平等パラドクスに関係した質問で、シュテルンは以下のような回答をしていました(以下、その抜粋。Minder, 2020)。

「わたしには、女性がいまも、職業選択についていまだ十分真剣に認識していない、つまり、いつか、自分が身につけた職業で、自分自身の生活の糧をかせがなくてはいけない、ということをはっきり意識していないように思われます。」

(しかしそれは女子学生だけの問題ではなく)「女子学生が、仕事があまりないような(人文科学系 筆者註)学科を勉強しようとする時、親も教師も、男子学生より女子学生にはそれをやることを容認する傾向があります。」

(周囲の)「反対が少なければ、女性はなんとなかなると思い、そのような学科を勉強するでしょう。しかし、人文社会系の学問は、ほんのひとにぎりの優秀な人しか、その学問をいかした仕事につくことはできません。」

「わたしの若いころは、女性は大学に行く必要はない。どうせ結婚するから、と言いました。今はそんなことは言われませんが、若い女性になんの反対もせずに、コミュニケーション学を大学で学ばせるのなら、(女性は大学に行かなくてもいいというのと 筆者註)同じ方向だといえます。」(コミュニケーション領域の学科や心理学や社会学などとならび女性に人気の高い学問領域であるので、ここで一例としてあげられているのでしょう。ちなみにシュテルンは、1957年生まれで62歳です)

(女性がSTEM分野に進まないのがなぜ問題なのか、という問いについては以下のように回答しています)「二つの問題があります。一つは、社会全体における問題です。社会で本当に必要な専門家が足りていません。才能のある人を活かせていないのです。二つ目は、女性自身にかかわる問題です。女性は、自分によい仕事上のよい選択肢がないことに気づくのが、おそすぎることが多いのです。女子は学校で成績がいいのにも関わらず、です。やっと、50歳くらいになって、離婚のあとなどに、ようやく、自分には安定した経済的な基盤がなく、年金も十分にもらえないということに気づく(のではおそすぎるのです)。」

シュテルンのこれまでの仕事と見解

これはあくまでシュテルンの個人的な意見ですが、これまで教育や能力向上に長く関わり、観察してきたシュテルンだからこそもちえた慧眼で、これまで常識的と思われたものが揺り動かされるきがします。

他方、シュテルンのロジック(説明)でつかみとれているようにみえず、つっこみをいれて踏み込んでみたくなる部分もあります。つっこみをいれる前に、ちなみにシュテルンが、どんな人物なのかについて、以前にも触れましたが、ここでも簡単にふれておきます。シュテルンは、スイスで名高いチューリヒ工科大学で長年教鞭をとってきた、数少ない女性研究者で、教育制度や学習の仕方などについての専門家です。

シュテルンは、この分野のテーマの単なる専門家であるだけでなく、こどもたちが、それぞれ自分が得意な分野で、能力を伸ばし、能力や技能を身につける、という適材適所の思想と、またそのための社会の公平なしくみづくりを、一貫して重視し、そのスタンスを、公的に自分の意見として、ドイツ語圏のメディアで伝えてきました。

彼女の意見のなかでもとりわけ有名なのは、数年前からは、ドイツ語圏のエリート学校(ギムナジウム)の入学試験に知能検査を導入すべき、というものです。ギムナジウムは、ドイツ語圏のエリート養成教育機関として伝統的に存続してきましたが、近年、彼女の調査結果、スイスのギムナジウム生徒の三人に一人は、ギムナジウムに必要な知能指数がないことが判明したため、能力がないのに無理やり自分のこどもたちをいれようとする親のエゴをしりぞけ、逆に、本当に能力があるのに社会的・経済的な背景が不利なことで入学が不利になっている有能な生徒の入学を奨励するため、知能検査の導入が正当だと主張します(「進学の機会の平等とは?〜スイスでの知能検査導入議論と経済格差緩和への取り組み」)。

女性は職業選択やそのための大学教育の場について十分真剣に考えていない?

公平な学習のチャンスをすべての人に与えることを重視するシュテルンにとって、女性の専攻や職業選びが、偏った分野にとどまっていることも、不自然で、なんらかの問題や力学が背景にあるのだと考えます。

そして一つの大きな問題として、女性は、周囲(親や教師)が、女子生徒が大学で専攻することをあまりうるさくいわないこともあって、あまりそれで一生食べていけるか、ということを考えずに、大学の専攻科目を選ぶ傾向がある、と考えているようです。たしかに、「女の子は結婚するからいい」そんな言い方は日本でもかつてよくきかれるものでしたし、そういう雰囲気(女性は生計をたてることを男性ほど真剣に考えなくてもいい、という雰囲気)が社会全体にあれば、女性は、長期的な将来設計のもと専攻を選ぶのでなく、今、興味あることや目先の希望を優先して、専攻科目を選ぶ傾向が強くなってもおかしくありません。

そして、逆に、そうならないようにするには、どうすればいいのか。これへのシュテルンの提案はいたってシンプルです。まず、女子生徒がその科目で将来安定した仕事につけるかをまじめに考えるということで、周囲(親や教師など)もそういうふうに勧めることです。つまり、真剣に考えて選んでいれば、経済的に困窮することが少なくなる、というのが最初の提案です。

同時に、教育現場に具体的な提案もしています。真剣に考えてSTEM科目に進みたい人が多くなるように、教育の早い段階から、STEM科目のおもしろさに目覚めさせるような授業やプロジェクトを積極的に行うこともまた、重要だとします。おもしろいと思う人が増えれば、将来、STEM分野にすすみたくなる人が増えるだろう、という因果関係を楽観的に期待します。

本当に「真剣に」考えていないのかという点については、定義の仕方によって異なり、議論の余地が残るところのようにも思いますが、ここではそこには深くは立ち入らず、さらに、議論を先にすすめてみます。

女性が「真剣に」考えていないとすれば、それは女子生徒特有の問題なのでしょうか。(ここでは直接言及されていませんが)文脈からよみとると、シュテルンの意見はイエスです。逆に、男子生徒の専攻選びのほうに、親や周囲は、より、生計の見通しがたつのかをよく考えるように言ったり、圧力をかける傾向があるとみます。

実際、STEM分野は圧倒的に男性に占められていることが、その論拠でしょう。たとえば情報関係の就労者20万人のうち女性が占める割合は15%にとどまっています(2017年、スイス統計局の調査Schweizerische Arbeitskräfteerhebung (SAKE)結果)。

ただし、STEM分野の専門家が全般に、現在深刻に不足しているというのも、事実なため、女性だけでなく、男性のなかでも、あえてSTEM分野の仕事には行かない、いわゆる「理系離れ」の傾向が、女性ほど高い割合でなくても、みられることも(シュテルンの女性に特化したここでの議論では触れられていませんが)留意すべきでしょう。

職種や学科で人気がないものは、魅力がないから?それとももっと違う理由?

女子や、あるいは若者が全般で、STEM分野についての関心が比較的低いのだとすれば、それはなぜでしょう。シュテルンの答えはここでもシンプルでした。生徒たちがおもしろい、魅力的と思わないからだといいます。一方で、学校の教育現場でのSTEM分野の授業がつまらず、興味がそそられず、他方で社会人文科学系の分野は、とてもおもしろそうにみえる(あるいは実際におもしろいと思える)。これでは、勝ち目がない、というわけです。

そのため、(重複になりますが)シュテルンは魅力的な授業をはやいうちから行う必要性を訴えるわけですが、わたしの考えでは、単なる授業の内容(学校や大学の授業がおもしろさ否かということ)だけでなく、若者を取りかこむ現代の社会環境全体も、間接的に、女性を中心に若者全般をSTEM分野から遠ざける一因になっているように思われます。

ここからはシュテルンの議論を離れ、わたしの推測から、議論を続けてみます。

まず、スイスの若者全体の最近の特徴を、これまでのリサーチをもとに、ざっくり概観してみます。若者たちには、社会全般に危機感や抑圧されているという感じは少なく、むしろ現状にかなり満足している人が多く(「若者たちの世界観、若者たちからみえてくる現代という時代 〜国際比較調査『若者バロメーター2018』を手がかりに」)、昇進・出世志向は弱く、むしろワーク・ライフ・バランスを追い風に、パートタイムができる業務の人気が高まっています(「スイス人の就労最前線 〜パートタイム勤務の人気と社会への影響」、「フランスのキャリアママとスイスのミスター大黒柱の共通点  〜ヨーロッパの男女の就労に関する期待と本音」)。

また、男女同権がすすんでいる国であればあるほど、異性間で求められるパートナーも自分にない部分、役割をおぎなってもらうパートナーではなく、同じような人(学歴や家庭環境、家事の役割分担への考えなど)を期待する傾向が、世界的に強まることがわかっており(「容姿、財産、若さそれとも知性? 〜パートナー選びは、社会の男女同権の程度を示すバロメーター」)、男性も女性も関係なく、同様の仕事や学問観をもつ傾向が、これからの時代、より濃厚な特徴となっていくようです。

さらに、もっと広い視野から、若者と仕事について考えてみますと、いまの若者は、温暖化が深刻化することに強い危機感をもち、昨年から環境デモを行ってきた世代です(「ドイツの若者は今世界をどのように見、どんな行動をしているのか 〜ユーチューブのビデオとその波紋から考える」)。大学の専攻や仕事選びにおいても、温暖化や環境問題への配慮にプライオリティがおかれ、その上で、自分に仕事の方向性をさがすのかもしれません。

また、今の若者は、半分以上が100歳まで生きると予想されている、長寿世代です。

これらの若者の新たな傾向や特徴(長寿世代で、生計にまつわること以外に配慮する要素がずいぶん多いなど)を踏まえると(もちろん今年おきたコロナ危機によってまた大きな変化が起こることも想定されますが、とりあえずここではコロナ 危機以前までの動向で想定できる範囲で論をすすめていきます)、若者世代にとっては、女性も男性も同様に、(堅実なキャリアコースを目指すような)これまでのライフステージの切り込み方とは、違った仕切り方やタイムスパンで、自分の進路を決めようとする人が増えるのではないか、そうなっても不思議はない、と思われます。

それは換言すると、仕事に直結する専攻分野を、大学で選ぶという堅実なコースや想定からは、むしろ乖離していくということになるように思われます。

ただし、それは、職業教育的な側面がごっそり抜け落ちてしまうということではないでしょう。「人生 100 年時代における働き方」(玄田、2019)と題する論文のなかで、玄田が提唱していることは、職業選択における相反する側面を、二項対立的にとらえるのでなく、柔軟に両方をつなげる視点として、参考になるように思われます。

玄田は、「人類学者レヴィ・ストロースがその著書『野生の思考』(1962)で指摘した」「エンジニアリング」とその対概念である「ブリコラージュ」という概念を援用し、「先の見えな い人生 100 年時代を生き抜くには、良く計画されたエンジニアリング的働き方の整備と並び、あるものを適宜利用し柔軟にやりくりするブリコラージュ的働き方の充実がカギを握る」(12頁)としています。

エンジニアリングとは、「新たな情報を集めながら設計・計画を慎重に行い、科学的認識によって構造を適切に把握した上で事象を区別し、対応しようとする」ことであり、「長い人生をよりよく生きる方策として、自然科学の知見に基づき蓄積されてきたエンジニアリングが求められることは多い」とします。

「それに対してブリコラージュは、情報の収集が十分でなく構造の把握が困難な状況や、科学的認識が未だ及んでいない事態でこそ、意味を成す。ブリコラージュは、定まった概念よりは集められた何らかの記号や断片を手掛かりに、目の前にある道具や材料を並べ替えたり、再構成しながら、不確かな状況に対応しようとする。特に既存の科学的知見だけでは制御が不可能な事例では、エンジニアリング的対応は至難の業であり、ブリコラージュによる対応が否応なく 求められる」とします。

そして、「これまで重視されてきたエンジニアリング的 な働き方の整備に加え、ブリコラージュ的な働 き方の充実を誰もが出来るようになることが、人生100年時代を真に豊かなものにするのだろう」と考えています(21頁)。

「自由な」選択と「真剣な」選択

そもそも、そんな若者世代が生きるこれからの時代において、仕事について十分真剣に考えるという姿勢は、これから目指される社会の在り方と、ある種のパラドクスにあるのかもしれません。

Gijsbert StoetとDavid C. Gearyの上述の論文では、男女同権が進む国は、同時に社会保障がしっかりしており経済的にも恵まれている国であり、逆に、STEM分野の就労が比較的高収入であるという事実も職業選択に与えるインパクトが少ないのではと指摘していました。つまり、人々は、専攻や職業を選ぶ際に、(「手に職をつける」なければ将来が心配になるといった)、経済や社会的な要素から拘束をうけにくく、自分の好きなものや興味を優先し、比較的自由に専攻や将来の職業を選びとっているということになると考えます。

この説の延長線上で、この先について考えるとどうでしょう。経済的・社会的に恵まれて男女同権が進んだ社会で育ったこどもたちは、将来の生計を考え(堅実に)「真剣に」専攻を考え選択することと、「自由に」考え選択すること、どちらを優先・重視するのでしょうか。環境が恵まれていればいるほど、(将来の生計をたてることを切実に)「真剣に」考えるよりも、「自由に」選択したいと思う気持ちが、前面にでて、選択や決定においてこれを優先する人が多くなることは十分あるでしょう。ただし、国の経済状況は数年で変化する可能性はあり、そうなれば、また切実に「真剣に」手に職をつけることが重視される傾向が急に強まるかもしれません。

「真剣に」という言葉のニュアンス自体、これからの時代に、変わっていくかもしれません。シュテルンの言い方だと、「真剣に」とは、将来生計が十分たてられるかをしっかり考慮することをおおむね意味していると思われますが、将来、「真剣に」職業を考えるということは、自分の希望に正直に、あるいは、家庭とのバランスを十分考慮した上で、というニュアンスが強くなるのかもしれません。あるいは、長寿世代らしく、長いライフスパンでものごとを考え、数年先の就職の心配よりもずっと先に長くつながる自分の人生プランをみすえた上で、なにを学ぶか、を多面的に考える、という意味になるのかもしれません。

だんだん、議論の対象範囲が拡大してきて、収拾がつかなくなる恐れがでてきましたので、今回の議論はこの辺で、切り上げることにします。

みなさんは、シュテルンの指摘からどんなメッセージや新たな刺激を受けとられたでしょうか。

参考文献

Minder, Andreas. Frauen nehmen die Berufswahl immer noch nicht ernst genug. Alpha. Der Kadermarkt der Schweiz In: Sonntagszeitung.ch, 2.2.2020, S.41.

Stoet, Gijsbert/ Geary, David C., The Gender-Equality Paradox in Science, Technology, Engineering, and Mathematics Education. In: Psychological Science, February 14, 2018, pp.581-593.

玄 田 有 史 「人生100年時代における働き方」『季刊 個人金融 』2019 秋、12―21頁。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


新たな「日常」を模索するヨーロッパのコロナ対策(2) 〜追跡アプリ、医療情報のデジタル化、地方行政の采配、緩和政策の争点

2020-05-15 [EntryURL]

コロナ対策としてユニークで有力な手法(前回の続き)

前回(「新たな「日常」を模索するヨーロッパのコロナ対策(1) 〜各地で評判の手法の紹介」)に引き続き、ヨーロッパでみられるコロナ対策の手法で注目に値すると思われるものを、さらに三つご紹介します。

●接触者追跡アプリの導入
韓国や台湾は、コロナウィルスの拡大感染をおさえている模範的な事例として、ヨーロッパで取り上げられることが多いですが、この二国が行ってきたような、感染拡大を抑え込むための膨大な個人のデジタルデータの徹底的な利用は、ヨーロッパでまだ考えられません。

もともと、社会のデジタル化が全般に、韓国や台湾に比べてかなり遅れていることもありますが、とりわけ大きいのは、プライバシーの侵害を強く危惧し、データの収集・処理に強い抵抗感があるからでしょう。

とはいえ、台湾や韓国の例をみて、データが感染拡大を防ぐのに有効だということも、おおむねの人は認めています。このため、いかにデータを、プライバシーの侵害にあたらないように利用するか。またそれをいかに、実際に保証できるか、という二つの点をクリアできれば、今後ヨーロッパでも、データを利用した感染拡大予防システムが全面的に導入される可能性があります。

このような状況下、スイスでは現在、ひとつの接触者追跡アプリのシステムが話題になっています。ローザンヌ工科大学が中心となって六週間という短期間で開発され、すでに任意の人を使ったテストがはじまっているこのシステムは、以下のようなものです(Tracing-App, 2020, Luchetta, 2020)。

まず、任意で、スマホのアプリで登録してもらいます。登録した人たちのスマホは、どこでだれと濃厚接触したかという情報をたがいに(それぞれのスマホ内に)14日間保存します(それ以後は自動的に情報が消去されます)。

登録者の誰かがコロナウィルスに感染した場合、任意で自分が感染したことをアプリに通達します。その通達をもとに、その人と過去にさかのぼって濃厚接触があった人は、感染した可能性があることが通知され、担当役人に連絡するようすすめられます(ただし、感染者情報は匿名で特定されないような形でなされます)。

このシステムの大きな特徴は、まず、情報を集めるセンターがあるのでなく、それぞれのローカルなスマホに情報を集積することです。これによって、この業務を管轄する特定の機関(国や民間の特定の会社など)などがなく、その機関が情報を乱用したり、あるいはそこの情報が外部からハッキングされて流されるといった問題がおきません。

また、いたずらで、自分が病気になったというような人がでてくるのを防ぐため、感染した人は、自分の感染認証番号をうちこまなくてはいけないしくみになっています(感染が確認された人はすべて、認証番号が与えられているため、それに照合することで、偽情報にシステムが翻弄されることを防ぎます)。

また、このアプロのアーキテクチャーは一般公開され、システムが不正のない透明性の高いものであることを誰でも検証できるようになっています。現在、このようなシステムを使うことに関する法整備が必要なため、(テスト期間でなく)実際に利用されるのは、6月上旬になると見込まれています。

ただし、オーストリアでは、すでに同様のシステムがすでに赤十字によって導入されていますが、人々の不信感が強く、また登録しているのは、全体の1割以下で、感染予防システムとして全く機能していません。

開発にたずさわったローザンヌ大学関係者は、これがうまく機能することに楽観的ですが、住民の三分の2にあたる人が登録しないと、このシステムの有効性がないということなので、自主的にこのアプリを利用してもらうよう働きかけることが不可欠です。オーストリアの二の舞とならず、スイス(やほかのヨーロッパの国々)で同様のシステムが機能するようになるには、このようなシステムのしくみや導入の安全性について、丁寧に繰り返し国民に説明することや、国民からの信頼性が高い機関がイニシアティブをとることなど、相当な工夫が必要と思われます。

●医療情報のデジタル・オンライン化
非常事態下のヨーロッパでは、緊急なもの以外は、治療や手術をできるだけ延期することが医療界に要請されており、病院やクリニックの多くは診療時間も短縮していました。それでも、筆者はロックダウン下、医療機関を訪れることがあったのですが、その時、恩恵を実感したのが、デジタル・オンライン化されたスイスの医療情報事情です。

特にコロナ危機に合わせたものでなく、すでにできあがっていたデジタル・オンライン化の技術が、医療機関での感染拡大を最小限に止めるために、非常に役立っていると感じました。これについては、記事「個人医療情報のデジタル改革 〜スイスではじまる「電子患者書類」システム」、「電話とメールで診断し処方箋は直接薬局へ 〜スイスの遠隔医療の最新事情」)に詳細を説明してありますが、コロナ対策としてすぐれた点をまとめると以下のようなことになります。

―スイス在住者がすべてもっている保険証(ICチップのなかに診療に必要な情報がすでに入っている)を、受付に提示することで、必要な受付や診療費の処理が終わるため、病院にいっても、待合室などで、ほかの患者と接触する機会や時間がきわめて少なくてすむ。

―遠隔医療では、必要な処方箋が患者の指定する薬局にとどけられるため、医療機関にいかないですむだけでなく、処方箋を取りにいった先の薬局で待たされる時間も少ない。

●地方に委ねられたこれからのコロナ対策
ドイツでは、5月6日にロックダウンの一斉解除の政策と同じタイミングで、今後の具体的なコロナ対策が、これまでの国ではなく、それぞれの州に委ねられることが決められました。これを認めるにあたって国は、州に条件をひとつだしました。人口10万人あたりの感染者数が7日間の累積で50人を超えた地域では、地域の当局が、即座に厳しい制限を導入するというものです。逆にいえば、このたった一つの条件さえみたせば、あとのことはすべて州が独自に決めていいことになりました。

規制を緩和するのに合わせて、コロナに関わる問題を、地方に全面ゆだねたのは、とてもタイムリーで、賢明であるように思われます。

もともと、ドイツは(スイスと同様に)中央集権的な国ではなく、それぞれの州(全部で16州)の権限が強い国です。またドイツは、ヨーロッパでも人口が多く(8300万人)、州によって抱える状況も大きく異なるドイツという風土にあるため、非常事態には、足並みをあわせていても、今後は、それぞれの州でやっていくというのが、ドイツの政治的伝統や国の規模を考えると妥当に思われます。

また、この権限委譲によって、今後は、地方政治のレベルで長く関わっていかなければならない問題と改めて位置付けたことも、適切に思われます。コロナ問題は、治療薬や予防接種など医学的な決定的な進展がみられない限り、残念ながら収束が難しく、数週間、数ヶ月の短期戦で解決・対処できる問題ではありません。このため、地域の生活・就労・就学などのレベルで拡大を防ぐ地道な実践とその積み重ねが、主要な対策であり、そのような人々の生活に密着する分野の政策・政治に関わるのが、まさに地方行政です。そのような地方行政の責任や自覚を明確にし、非常事態の対策でなく、中期的・長期的な地域政策の一部としてコロナ対策をとらえなおし、地方が主体的に取り組む体制に切り替えたことは、時宜にかなっているように思われます。

一連の議論で浮かんできた争点

さて、これまでヨーロッパの非常事態から緩和政策までを自ら体験しながら観察してきましたが、どの国においても共通するいくつかの議論上の対立項がいくつかできているようにみえます。それは以下のようなものです。

1)医療破綻を防ぐことと経済活動の再開
急速な緩和を求める人とそれに慎重な人の間の対立をみると、医療と経済は、本来対立するものではないし、すべきでもないことは、前提として百も承知されているにしても、医療と経済、どちらを優先させるべきか、という問いのスタンスが違う意見があるといえます。

スウェーデンは、人々の生活が大きく変わることがないことを一貫してぶれずに最優先してきましたが、これは解釈によっては、ある程度の医療機関の逼迫や犠牲を強いることもある程度やむなし、と想定しているといえるかもしれません。

2)学校(教育)と経済活動
教育と経済、この二つも、本来、対立するものでないはずですが、非常事態を解除する際、学校と店舗のどちらを先に再開させるかが、ひとつの焦点となりました。実際、国によって、決定内容も異なります。オーストリアがまず店舗の営業を認めたのに対し、デンマークが同じ4月中旬から認めたものは、小学校5年生以下の教育機関(小学校、幼稚園、保育園)でした。つづいて緩和策を打ち出したほかのドイツ語圏(ドイツとスイス)も、学校よりもまず店舗の営業再開を優先しました。

ただし、ドイツ語圏でも、学校といってもまずどの学校の再開を優先すべきかという点では、異なっています。ドイツでは、卒業試験を受けられるようにするため、高校や職業訓練学校の最終学年が再開されますが、スイスやオーストリアでは、義務教育課程の低学年から再開しました。

3)高齢者の安全と若い世代の経済活動
高齢者などの感染の危険の大きい人を守ることと、若い人の行動や経済活動を奨励することが、全面的ではないにせよ一部対立するとし、そうであるなら、どちらが優先するべきなのか、という議論があります。高齢者の健康(安全)と若者の経済活動は、質の全く違うものを対抗軸にすえているため、上のふたつの議論のような、明確な二項対立の構図にはなりえませんし、無理やり二項対立の構図にすると、すでに事情がかなりゆがめられた対立項となるため、それ自体に問題があるように思いますが、たびたび言及されます。

このような対立構図がでてくるのは、コロナ危機以前からの、世代間対立とよばれる問題意識があったからでしょう。年金問題や、環境問題(今の若者たちは、現在の高齢者たちが享受している、あるいはしてきたような年金や環境の恩恵を受けられないとし)といった形で、世代間対立がたびたび、社会で意識化されてきたため、コロナ危機がさらに、この世代間対立の構図を刺激し、先鋭化させているのかもしれません。

危機的状況が長期化していくと、これら上のテーマや対立項が、社会で、むしろ、より鮮明となり、問題領域として意識されていくのかもしれません。もしもそうであるのなら、せめて、単なる対立の構図を深める議論におわらせず、むしろ、倫理や世界観・哲学にまで議論の奥行きを広げて、人生や人の生き方を問う問いを思索し、議論を深めることになれば、コロナ危機の「怪我の功名」となるのかもしれません。

「確信」することで、主体的につくられていく未来

最後に、今後の展望について参考になるものをさがしているなかでみつけた、ドイツ語圏で未来研究者として広く知られるホルクスMatthias Horxの意見を紹介します。これまでも、たびたび危機的な状況について、ホルクスは慧眼を示してきましたが、コロナ危機解決の手がかりとして、これから議論していくべきことはなにか、というインタビューの問いに対し、今回も示唆に富む指摘をしているように感じたためです。

ホルクスがこれからの時代で重視するのは、「確信(確実な期待)Zuversicht」です。「確信は、我々を行動や変化に近づけるひとつの姿勢(態度)であ」り、「確信のある人は、自分でなにかを起こすことできることを可能と考え、それを自覚する」。確信をもつことで、人は、「未来はどうなるのか」と(受け身的に 筆者註)問うのではなく、むしろ、わたしに何ができるか、どう作用できるか、なにが変わり、わたしはそこでなにができるか、と主体的に考え、「未来のためにわたしはなにができるのか」と自問するようになる。つまり「自分たちのうちにある未来への責任を担う」ようになり、そうすることが結局、「自分たちが」(自分たちの手で 筆者註)「未来をつくっていくことになる」(Interview, 2020)。

みなさんは、コロナ危機の最中にあって、どんな思いを抱かれているでしょうか。非常事態が徐々に解除されていくなかで、今後、自分はどう動く、どうありたい、と思索をめぐらされているでしょうか。

※ホルクスのこれまでの、現状や未来を指し示すような示唆に富む発言については、以下の拙稿でも触れています。

ヨーロッパの大都市のリアル 〜テロへの不安と未来への信頼

「リアル=デジタル」な未来 〜ドイツの先鋭未来研究者が語るデジタル化の限界と可能性

ジャーナリズムの未来 〜センセーショナリズムと建設的なジャーナリズムの狭間で

共感にゆれる社会 〜感情に訴える宣伝とその功罪

参考文献

Burkhardt, Philipp, Die Corona-App kommt erst im Sommer, SRF, News, Mittwoch, 06.05.2020, 06:23 UhrAktualisiert um 11:48 Uhr

«Die Idee»: Die Stadt wird zu einem einzigen Open-Air-Café, 10 vor 10, 1.5.2020.

Geht Schweden immer noch den richtigen Weg, Christian Stichler?, Die Presse, Corona Diaries #24, 5.5.2020.

Hermann, Rudolf, Schwedens Corona-Todesfälle schaffen politische Unruhe. In: NZZ, 6.5.2020.

Kada, Kevin, Neue Begegnungszonen ab Donnerstag in Wien, Kurier, 22.04.2020

Hargittai, Eszter / Thouvenin, Florent, Weite Teile der Bevölkerung sind bereit, eine Tracking-App zu nutzen – wenn diese von Bund und Kantonen herausgegeben wird, NZZ, 02.05.2020, 05.30 Uhr

Interview mit Zukunftsforscher Matthias Horx, BMBF (Bundesministerium für Bildung und Forschung), Rahmenprogramm. Geistes- und Sozialwissenschaften, 20.04.2020.

Löhndorf, Marion, Spucken oder schlucken? Der britische Buchhandel tut sich schwer mit einer grossen Spende. In: NZZ, 05.05.2020, 05.30 Uhr

Luchetta, Simone, «Die Nutzung einer Tracing-App muss freiwillig sein» Kontakt mit Infizierten. Judith Bellaiche, Geschäftsführerin des IT-Verbandes Swico und GLP-Nationalrätin, befürwortet Contact Tracing. In: Tages-Anzeiger, 5.5.2020, S.11.

Teils lange Schlangen, aber kein Ansturm. Geschäftsöffnung, ORF, 2. Mai 2020, 16.20 Uhr

Tracing-App im Test, 10 vor 10, FOKUS: SRF, 24.04.2020, 21:50 Uhr

Mehr Rum zum Rausgehen, Infos zum Coronavirus, Ein Service der Stadt Wien, 9.4.2020.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


新たな「日常」を模索するヨーロッパのコロナ対策(1) 〜各地で評判の手法の紹介

2020-05-10 [EntryURL]

3月中旬から非常事態下にあったヨーロッパでは、数週間前から、緩和策が徐々に打ち出されるようになりました。今回と次回の記事では、これまでコロナ危機の対策として定評があった手法や、今後の対策として有望と思われるもの、またヨーロッパの非常事態緩和についてのこれまでの議論の論点をまとめながら、再スタートにのぞむ現在のヨーロッパの状況を概観してみたいと思います。

国家的な戦略が注目・評価されている国

まず、(特にドイツ語圏でのコロナ危機関連の報道をふりかえり)これまでの非常事態下の経過において、国としてうまく対処したとたたえられ、現在も、再開・緩和がほかの国に比べ順調に軌道にのっていると思われる主要な国をあげてみます。

オーストリア
オーストリアは、イタリアの状況を鑑みながら、自国のロックダウンをいち早く決断し(3月16日)、4週間後には、ヨーロッパで最も早くロックダウン解除に踏み切りました。すでにそれから4週間以上たちますが、現在も有効再生産率(一人の感染者から何人に感染が広がったかと記す数値。ヨーロッパでは、この感染率が、ロックダウンをすすめる指針として、よく使われます)が、1.0をはるかに下回る率で推移しており、国民が、自主的に模範的に行動をおおむねとっているものと判断されています。

ロックダウン解除の第二段階として5月はじめからは、外出制限が一切なくなり、10人まで人が集まる催しも認められました。5月半ばまでに普通の店舗やレストランの営業も再開し、(ただし室内に緊密な距離で人が集うライブハウスや映画館などは除外)。5月末からはホテルなども営業も認められ、本格的な夏季休暇シーズンに向けて着々と、観光地では地域全体の準備が整えられていく段取りです。

オーストリアのこのような「成功物語」を特徴づけるのは、政府の判断のタイミングとすぐれたコミュニケーション能力です。政府は、ほかのヨーロッパの国に先駆けて、ロックダウン導入の判断も解除の判断も迅速に行いました。それは、ある意味で、政府にとっては、国民の不満や不安を爆発させ、方針に同調しない人を増やす危険がある、一種の賭けでしたが、最終的に、緊急に全面協力する必要があることを国民に理解してもらい、政府の決断にうまく追随してくれるよう、うまくもっていったように思われます。(詳細は「ヨーロッパで最初にロックダウン解除にいどむオーストリア」)。

ドイツ
ドイツではもともと、ほかのヨーロッパ諸国に比べ、呼吸器などを備えた医療設備が充実していましたが、医療破綻に備え、さらに大規模なコロナ感染症患者の受け入れを迅速に強化したことで、世界的にも、コロナ危機に最強の医療施設をもつ国として注目されました。

このような最強の医療機関の受け入れ体制をバックに、ドイツも、オーストリアに続き、急ピッチで緩和政策をすすめています。5月上旬現在、ほとんどの店舗や博物館、学校の一部が、5月上旬から一切に再開を認められました。

スウェーデン
スウェーデンは、ヨーロッパ主要国で唯一ロックダウンをしない独自の路線を、コロナ危機当初からとってきました。大勢集まる集会の制限などは若干あるものの、店舗もフィットネスクラブも営業を継続しています。義務教育課程までの学校や保育園なども閉鎖されず、しかも、手洗いを徹底するなどの多少の変化はあったものの、基本的に学校の授業は、これまでと同様のやり方でされているようです。

スウェーデンも、ほかの先進国同様、グローバルなサプライ・チェーンが切れて生産業が停滞しており、観光やサービス分野では(人々の自粛ムードのあおりを受けて)大幅に売り上げが減少するなど、マクロ経済としては、ほかの国に劣らず大きな打撃を受けていることは確かです。しかし、それでも、営業を続けながらロックダウンをしているほかのヨーロッパの国々と同様に実効再生産率を低いままおさえこんでいるため、多くの国の羨望の的となり、ほかの国の経済界が緩和を要求する際の、よりどころとされてきました。

国民の間で、抗体をもっている人の潜在的な割合が(移動の自由がほかの国より大幅に認められているおかげでほかの国より)かなり高くなっていると考えられ、第二、第三の感染拡大の波がおとずれる危険が、ほかの国よりも少ないのではという予測・期待もされています。

コロナ対策としてユニークで有力な手法

次に、これまでのロックダウン下、あるいは今後のロックダウン緩和以降の生活・就業において高く評価されたものや、今後も「常態的な」コロナ対策として継続されていくと思われるものについて、具体的に紹介していきます。

●公共交通空間の「出会いゾーン」
ロックダウン下のオーストリアの首都ウィーンでは、4月9日から大都会の限られた公共空間を最大限、住民の福祉向上に活かそうと、都市の通りの各地を「出会いゾーン」に指定しました。

「出会いゾーン Begenungszone」とは、1996年以降、スイスではじめて導入され、その後ヨーロッパのほかの国でも採用されてきた、特別な機能をもつ公共交通空間です。

通常の公共交通空間は、車道や歩行者道など、機能で空間が分けられていたり、信号や横断歩道などで、交通が整理されています。これに対し、出会いゾーンには、横断歩道も信号も歩道と車道の区別は一切なく、すべての横断・交通が同時並行してできる地帯です。

すべてが進入を許され、信号や横断歩道がないかわりに、出会いゾーンでは安全性を担保するため二つのルールが徹底されます。一つは、歩行者の優先(車両は一時停止して歩行者が行き交うのを待ちます)、もう一つは車両の時速20キロ制限です。これにより、車両と歩行者が共同で道路を利用しますが、交通は混乱せず、むしろ渋滞がなくスムーズに流れるようになるとされ、駅前や市の中心部、学校付近、居住あるいは商工業地帯など、様々な車両同様多くの歩行者が利用する交通地帯において、各地で、出会いゾーンがこれまでつくられてきました(「ヨーロッパの信号と未来の交差点 〜ご当地信号から信号いらずの「出会いゾーン」まで」)。

オーストリアでもこのような出会いゾーンにはやくから注目し、これまでもいくつかの地域で採用されてきましたが、ウィーン市はコロナ危機の最中、市内の多くの道路を暫時的に、出会いゾーンに指定しました。

指定された道路には、早速、出会いゾーンであることを示す写真のようなプラカードが、とりつけられました。

出会いゾーンは、すぐれてコロナ危機対策に適しています。歩行者は歩道だけでなく、道路全体を歩けるため人が密集するのを避けやすくなります。感染の危険の高い人たちも含め、散歩や運動目的で、外にも安心してでかけられやすくなります。

一方、ロックダウン下では車の交通量が全般に減ったため、渋滞も問題になりません。車両通行止めと違い、走行スピードを落とせば車も走行できることで、車がないと不便な輸送の問題もありません。

この出会いゾーンの措置は好評だったようで、4月22日、市はさらに広域を出会いゾーンに指定し、ロックダウンが緩和されてきた5月中旬においても、依然として撤回されていません。

●デジタル図書館
ロックダウン下では、通常の(紙媒体の本を扱う)公立図書館業務は停止されました。しかし、家で所在なくまとまった時間ができる人が急増したという意味では、通常より、本への需要が増えたともいえます。実際、このような需要をくんで、デジタル図書館の設備のあるところは、大盛況となりました。

例えば、イギリスでは、3月、電子書籍やメディア(本、雑誌、オーディオブック)が全国で昨年の3月に比べ63%多く借りられました。今年ロックダウンが始まって最初の三週間で、図書館は12万人の人が新しく会員登録しました。このなかにはこれまで一度も図書館を利用したことがない人も多く含まれているとのことです。少し前まで、図書館は利用者が減り存続の危機にあったのとは対照的で、閉鎖が決まっていた10箇所の図書館の閉鎖計画も現在ストップしているといいます(Löhndorf, 2020)。

スイスでも、同様に、ロックダウン下、電子書籍関係の貸し出しが積極的に行われていましたが、それと並行して、一般図書の賃出も、オンラインで注文されたたものを自宅に配送する、デリバリー・サービス(一部有料)の形で行うところがかなりありました。

ちなみに、図書館を利用するために必要な会員になるには、地域住民であることを証明するなんらかの証明書が必要であったり、(スイスの公立図書館のようにもともと図書館が)有料サービスの場合は振込が必要で、地域外からの人が利用することを制限するしくみになっているようです。

●屋内スペースの屋外化
ロックダウン以後の屋内の活動の仕方として、人が近距離に近づくのを避けるために、入場の人数を制限したり、テーブルや椅子など人が利用するもの間隔を大幅にとる、といった対処法が一般的ですが、いっそ屋内であることにこだわらず、できるだけ屋外にだしてしまったらどうか、という大胆な発想もでてきました。

例えば、リトアニアでは、飲食店が、屋外にも机や椅子をおいて商売できる特別の許可をだし、実際に、100件以上の飲食店が、許可の申請をだしました。これにより、しばらくの間、ほかの机や歩行者から2メートルはなしてセッティングするという条件を満たせば、歩道にも、街の広場も記念碑の前にも、椅子や机を置くことができるようになりました。デンマークでは小学校の再開当初、教室のかわりに、(現在使われていない)サッカースタジアムで授業を行うという案もありました(実現されたかは不明)。

先述の出会いゾーンとおなじで、発想を柔軟にして屋外空間を、公共資源として積極的に有効利用する案がどんどんでてきて実施されれば、(距離を気にしたり人数制限が多く慎重にスタートせざるをえない)街の空間に、少し活気がでてくるかもしれません。

次回につづきます

次回(「新たな「日常」を模索するヨーロッパのコロナ対策(2) 〜追跡アプリ、医療情報のデジタル化、地方行政の采配、緩和政策の争点」)では引き続き、コロナ対策として注目される手法について引き続き紹介し、非常事態緩和の議論でてきた問題や、これからの方向性についてもさぐってみたいと思います。
※ 参考文献は次回の記事のおわりに一括して提示します。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


買い物難民を救え! 〜コロナ危機で返り咲いた「ソーシャル・ショッピング」プロジェクト

2020-05-05 [EntryURL]

危機的な状況下つづくと、これまで想定しなかったような様々なものが不足や不備となる問題がおきてきますが、そのなかには、コロナ危機でのマスクのように、需要に対し、絶対的な供給が少ないことでおこる問題だけでなく、供給があってもうまく橋渡しするパイプがないことで生じる不足や問題もあります。

今回は、コロナ危機下で、困っている人(買い物難民)と助ける人を橋渡ししつつ、同時に、自己の売り上げ増加にも結びつけることに成功した、スイスの新しい小売業界のビジネスモデルについて紹介します。危機下においても、あるいは危機下であるからこそ、(危機下で変動する)需要をつかみ、それを吸い上げることで(従来は成立しなかった)ビジネスモデルを定着させた事例をみながら、新たな時代のビジネスの可能性について、考えてみたいと思います。

ビジネスモデルの背景 買い物難民の急増

非常事態下のヨーロッパでは、多くの店舗の営業が禁止されたり、外出が制限されるだけでなく、65歳以上の人や、基礎疾患などがある人を、コロナ感染症に感染すると重篤化しやすい人たちを、「リスク(の多い社会のなかの)グループ」に属するとみなし(以下、これらの人たちを「感染リスクの高い人たち」と表記します)、ほかの世代に比べても、とりわけ、外出をさけ、人との接触を減らすよう、強く推奨されていました。

さて、そこでこまるのが、感染リスクの高い人たちの買い物です。買い物を自粛しようにも、これらの人々は、単身世代や同じようなリスクの高い人と住んでいる場合も多いため(「縮小する住宅 〜スイスの最新住宅事情とその背景」)、簡単に、買い物を誰かに代行してもらえません。

国や地域によっては、感染リスクの高い人たちに配慮し、そのグループだけに時間を配分して販売するようルールがつくられたケースもありましたが、スイスではそのような対処は特にされておらず、かといって、日常食品を扱う大手スーパーのオンラインショップは、一般人でやはり感染をおそれる人と、これらの人の申し込みの殺到し、数週間、実質上、注文ができない状態でした。

オンラインで注文ができても、安心できませんでした。大手生協ミグロのオンラインショップでは、注文を受けていたにも関わらず、配達当日にミグロ側が一方的に注文を破棄するという、通常考えられないようなトラブルが、ロックダウンから3週間たった4月はじめでも、注文件数の2%におきていました(Zehnder, 2020)。

一方、このような買い物難民の急増にともない、そのような人々を支援しようとするボランティアの動きも、ロックダウン直後から雨後の筍のようにできていきました。すでにあったボランティア組織やネットワークに新規登録という形や、新しく即席のソーシャルメディアをベースにしたネットワーク、また特定の医療機関などが急遽募ったボランティアへの登録など、ボランティアの登録や参加の仕方はさまざまですが、わずか1、2週間で、助け合いネットワークが全国を網羅するようになりました。

助け合いのネットワークがあることと、困っている人たちが実際に利用する・できるかは別問題

ただし、どんなにネット上に全国を網羅する助け合いネットワークができていても、それが困っている人に本当にアクセスできているかは別問題です。感染リスクの高い人たちの多くは高齢で、(オンラインショップに注文しようとしてできなかったような人ももちろんいますがそれだけでなく)ソーシャルメディアを使わない人が多く、インターネットにもつながっていない人もかなりいます。

このため、このような全国的なネット上に存在する様々な組織が全国展開していても、これらのネットワークでは、圧倒的に助けを提供する側の登録が圧倒的多数を占め、助けてほしいとする人の登録はほとんどないという問題が、よくみられました。助けたい人たちのネットワークとしは成立していても、実際に助けてほしい人がどこにいるのかを把握するネットワークとしては機能していなかったといえます。

このため、近所に助けが必要な人がいたら電話ください、と記したチラシを近所の郵便箱に配ったり、自分の郵便受けにはるといった、昔ながらの方法による草の根的な働きかけも、これらのオンラインのネットワークに並行して、展開していました。

また、このように即時できた助け合いネットワークは、賞賛すべきものであるとはいえ、知らない人にお金をわたして(あるいは後払いで)買い物を頼むことになるため、当然お金のやりとりがあり、それゆえ、トラブルになりやすいこともあるように思われます。注文は事前にメモに明記する、お金は前金でなくボランティアが先に払い、あとで代金を請求する形にするなどを徹底することが、トラブル予防のアドバイスとして、ボランティアネットワークで、ロックダウンからしばらくしたあとに通知されていたのですが、それは逆に、そのようなトラブルや注文者の不安がかなりあったからかもしれません。

例えば、ボランティアを名乗る人を全面信頼したくても、もしも詐欺で前金だけ前金としてもっていかれてしまったら。注文したものを違うものをまちがって買われてしまったら。あるいは買い物代金より高額を請求されてしまったら。そんなことを気にしはじめると、ボランティアにたのむのに及び腰になる人もいるでしょう。

人を助けたいと思っているボランティア側にとっても、たのまれた商品と同じような商品が複数あり、どれにすればいいか店頭で迷ったり、正しく注文通り買い物したつもりでも、注文と違うと言われてしまう、などの問題やわずらわしさが生じるかもしれません。

大手生協の買い物サポートシステム「アミーゴスAmigos」

一方、このような(助けたいと思う人が多いわりに、買い物難民の問題が依然減らなかった)状況下に登場したのが、おそくなりましたが、今回の本題である、新たに登場した、買い物難民支援プログラムです。

これは、スイスの最大大手小売業者で生協のミグロが開発した、「アミーゴスAmigos」というものです(スイスの小売市場の6割を占める二大生協のコープとミグロについては「スイスとグローバリゼーション 〜生協週刊誌という生活密着型メディアの役割」、「バナナでつながっている世界 〜フェアートレードとバナナ危機」。ちなみに、アミーゴスはスペイン語で複数の友達をさします)。

これは、感染リスクの高い人が欲しいミグロで扱う商品を、ボランティアが代わりに買い物して(注文者の希望の日時と時間の間に)、直接届けるというもので、ロックダウンになってからわずか1週間後の3月24日にドイツ語圏の一部の地域からスタートし、その後わずか一週間後には、全国で利用できるようになりました。

さらに、この仕組みは、ユーザーにとても使いやすいすぐれものです。買い物の流れを、以下ご紹介します。

このサービスが対象とする、感染の危険の高い人(それ以外の人は利用できません)は、普通のオンラインショッピングの要領で、ウェッブ上の「アミーゴス」のサイトにある6000以上のミグロの食品類から欲しい商品を選び、希望の配達日時、クレジートカード番号(現在決済はクレジットカードでのみ可能)を登録します。オンライン操作ができないあるいはしたくない人は、電話で品物を注文することも可能です。注文者には、通常のオンラインショップと異なり、送料や手数料は一切かからず、注文の最低商品総計価格などもありません。

一方、近所の感染リスクの高い人を買い物で支援をしたい人は、事前に、アプリの「アミーゴス」に登録します。その際、配達希望距離(自宅からどのくらい距離がある人のところまで配達の手伝いをしたいか)を選択しておきます。

注文者がオンライン注文をすませると、すぐに(その周辺に居住する)登録者のスマートフォンに、その内容が連絡されます(連絡をいちいち受けるのがいやな人は、同じ配達希望者の情報を、アプリで確認できます)。注文者が何点注文し、いつ、どこに配達を希望してているのかをチェックし、買い物注文の依頼を受けられる人は(先着)、「依頼を受ける」をクリックします。

買い物ボランティアがミグロの店舗についたら、注文者のデジタル注文リストにのっている商品を(すべてが「購入済み」になるよう)チェックしながら、自分の買い物カートに(自分の買い物をするように)いれていきます。最後に、アミーゴスのシステムが、レジで実際に注文リストと、購入しているものが一致しているかを確認して、正しければ買い物は終了です。

買い物終了後は、その店舗から、注文者の家(配達先)までの道が示され、ボランティアは早速配達に向かいます。到着したボランティアは、直接近距離でコンタクトしないですむように、ドアの前に置いてドアフォンを鳴らし、注文したものを届けた旨を伝えその場を立ち去り、注文者がそのあとドアまで来るということが多いようです。配達終了が無事に済んだら、注文者と買い物ボランティアのお互いがそれぞれを5段階で評価します。

買い物に伴う決済はすべてキャッシュレスです。配達が無事におわると、ボランティア(購入者)の銀行口座から差し引かれた購入代金分(と注文者が希望すれば、ボランティアの人に謝礼金として5スイスフラン分を上乗せした金額)が、注文者の口座からボランティアの口座に支払われます。

このようにこのサービスは、互いに知らない人どうしであっても、まちがいや、誤解、不正がしにくいように工夫がゆきとどいており、注文する側、ボランティア側ともに、安心して使いやすいシステムだといえます。


画像出典: https://www.dreipol.ch/work/migros-amigos-die-social-shopping-plattform
(アミーゴスの開発にたずさわったdreipol のサイト上にある、
アミーゴスの使い方を示す短いビデオの画像の一部)

人々の反応・使われ方

さて、このようなアミーゴスのサービスは、実際に、人々にどのように受け止められているのでしょうか。

4月16日現在、買い物のボランティア登録者人は21850人で、20843件の注文・購入が成立しています。ボランティアとの連携も非常にスムーズにいってるようで、これまでの注文は、注文が完了後平均して、たった6秒で、買い物ボランティアがみつかっています(Jede Hilfe, 2020)。

注文者は、このサービスに非常に満足しているようです。注文した人のつけた評価点の平均は4.97(5.0が最高)とほとんど最高に近い評価がされています。また、買い物の助っ人に対し、注文者は、注文の際に、チップ(小さな謝礼の気持ちとして)任意で5スイスフラン支払うことができる(払わなくてもいい)のですが、注文者の98.7%は、この小さな謝礼金を払っていることも、このシステムへの満足度と感謝を示しているように思われます。

ところで、この買い物難民救援サービスは、ミグロが開発したものですが、プロ・ゼネクトゥーテPro Senectuteという、スイス最大の高齢者関連全国組織(財団)も、共同推進者となっています。感染リスクの高い人たちの買い物問題の解決策をもとめていたプロ・ゼネクトゥーテのベルン支局が、アミーゴスがその目的にぴったり合う内容であると確信したためです。そのプロ・ゼネクトゥーテには、高齢者からすでにこのサービスについて、多くの肯定的なフィードバックが直接とどいているといいます(Migros, Nachbarschaftshilfe, 2020) 。

アミーゴスを使って注文した人の81%は、66歳以上であり、これまでのどんなオンラインショップよりも、「ヨーロッパで最も高齢な人を対象にするオンラインショッップと推測される」(アミーゴスを発案したミグロのペトリックAmadeus Petrigの言。Jede Hilfe, 2020)サービスが、突如、誕生したといえます。

注文からたった平均6秒で買い物ボランティアがみつかるという事情は、逆からみると、現在、ボランティアをしよう、してもいいという気持ちでいる人が現在、スイスに大勢いる、ということを端的に示しているともいえそうです。

これまでも様々な分野や形で行われてきたボランティア活動が、コロナ危機によって現在、大部分停止しています。安全な距離が保てないものや、高齢者のように感染の危険の高い人たちを対象にしたボランティアは、基本的に自粛や禁止の対象となったためです。このため、これまでほかのボランティアに従事してきた人で現在、時間がある人や、自分の仕事ができず地域でボランティア活動をしようと考える人がかなりいると思われ、その一部が、アミーゴスの買い物ボランティアに流れてきたと考えられます。

アミーゴスやほかのさまざまなボランティアの働きによって、スイスの買い物難民問題解決が大幅に減ったのであれば、とにかく素晴らしい話です。

社会批判を受け昨年末に一度、お蔵入りとなっていたアミーゴス

と、ここまで書くと、ミグロが社会企業として非常に模範的な例であり、アミーゴスは、絵にかいたような優秀なソーシャルプロジェクトにきこえると思いますが、実は背後には非常に注目される「大逆転のドラマ」ともいえるような経過がありました。

アミーゴスが、ロックダウンから10日もたたずにスタートし、さらにその後約、1週間かけて全国で利用可能になりました。買い物難民救済プロジェクトの構想が立ち上がってから、すべてホームオフィスで、たった1週間で始動したといいます(dreipol.ch)。どうしてそれほど、迅速にスタートできたかというと、実は、昨年、ミグロで同じ名前のサービスが試験的に一部の都市ですでに実施されたものであったためです。

ただし昨年は、利用の仕方が若干異なりました。(対象を限定せず)第三者が誰かのためにオンラインで注文し、それを配達する先の近所にいる人で、配達を請け負いたい人が請け負い、届けるというコンセプトのサービスであり、ミグロはこれを人と人が交流する体験、「ソーシャル・ショッピング」と呼んで、新しいビジネスモデルにしようと構想していました。

スタートすると早速、数千人の人が配達人として登録し、よいスタートを切ったかのようにも思われましたが、まもなく、労働組合関係者から強い批判をあびるようになります。批判点は大きく二つありました。まず、配達料が安すぎるということ。(現在のアミーゴスは配送料はなく、任意で謝礼として5スイスフランを注文者がボランティアに任意で払うことができるだけですが)昨年は、届ける代金として、1件(ひとつの袋に入る程度のボリューム)につき8スイスフランを、配達してくれた人が受け取ることになっていました。これは、すでにあったミグロのオンラインショッピングの配送料金よりずっと安価であり、これが安すぎて、配送料のダンピングにつながり、配送業者が生計をたてるだての賃金を得られにくくなるという批判です。このような形で配達サービスに正規の人員を雇うのを免れてようとしているとも批判されました(Häusermann, Das Social-Shopping, 2019)。

もう一つは、ミグロと配達者の関係性についてです。ヨーロッパや世界全体で、昨年から、ライドシェア仲介業者のウーバーへの風当たりが非常に強くなり、それまでのようなビジネスのあり方を認めない傾向が強まっています。つまり、ウーバーの運転手は、(ウーバーが主張するような)自営業者ではなく、料金やサービスを自分でかえることができないため、自営業の自由はなく、むしろ被雇用者とみる考え方が主流となってきたのですが(「ウーバーの運転手は業務委託された自営業者か、被雇用者か 〜スイスで「長く待たれた」判決とその後」)、同じような見方で、アミーゴスの配送サービスも、スイスの社会保険の専門家の意見では、自営業ではないという意見が、昨年より自治体や労働法専門家の間で強く主張されるようになりました。この解釈にそうと、ミグロは、配達する人の老齢・遺族年金を支払う必要がでてきます。

これに対し、ミグロは当初、アミーゴスは、近所の需要と供給をつなぐプロジェクトで、プロセッショナルな配送サービスではない。配達の報酬は、「お隣どうしの助け合いサービスの代償Entgelt」(Urech, 2019)、「賃金ではなく、おこずかい」 (Häusermann, Das Social-Shopping, 2019) に近いとし、ミグロと配達人の関係も就労関係ではないと主張していました。実際、アミーゴスは、ウーバーのように仲介手数料をとっておらず、配達料はすべて配達した人のみにいくようになっていました。

しかし、「小売業のウーバー」(Häusermann, Die Kritik, 2019, Das Social-Shopping, 2019)と揶揄する社会の批判をかわることは難しいと最終的に判断したようで、ミグロは12月はじめのベルンとチューリヒでのテスト期間後、一切打ち切る決断にいたりました。これについてミグロは公式見解として、「新しい近所の助け合い」という想定だったが、時間がたつにつれ、単なる商業的なショッピングプラットフォームにすぎなくなった。近所の助け合いというもともとの理念が失われていると考え、サービスを断念した(Jaun, 2019)としています。

ちなみに、このサービスはスタート当初、スイスのウェッブおよびアプリの名高い賞(Der Master of Swiss Apps 2018、Master of Swiss Web 2019)を相次いで受賞しました。つまり、画期的なプロダクトだと(一部で)期待が高かったわけですが、それが実際に社会にでると、予想通りにいかず、難しい局面にたたされたといえます。

汚名が返上され成功物語となったアミーゴス

しかしコロナ危機がおとずれ、感染の危険の高い人たちが買い物難民となると、「アミーゴス」にとっては、全く思いも掛けなかった復活のチャンスが訪れることになりました。

そのチャンスは、アミーゴスの開発者ペトリック自身によって、もたらされました。自身がコロナに感染ししかも足を骨折した際に、アミーゴスを復活させ利用するアイデアが思いうかんだのだそうです。そして早速、それをミグロのスタッフに伝えたところ、すぐに反響があり、ホームオフィスのスタッフたちによって、早速再始動の準備がスタートし、一週間後には、ドイツ語圏の一部でのサービスが開始されたといいます(Jede Hilfe, 2020)。

ただし、今回のアミーゴスは、以下のような点で、昨年とは異なるものになりました。

・注文ができるのは、感染のリスクが高い人のみ(昨年のアミーゴスは誰でも注文が可能でした)
・買い物代行はボランティア行為で原則として代価を伴わない(注文者は謝礼として5スイスフラン払うことはできるが、あくまで任意)(昨年のアミーゴスは、配達する人に一定の額が支払われる仕組みでした)
・期間限定(コロナ危機という非常時のみに利用可能なサービスであるという前提)(前回は、期限のない恒常的なサービスとなることを期待しつつ試験的に実施されていました)

興味深いことに、このように設定を若干かえ新たに導入されたアミーゴスは、今度は、社会からの批判を受けるどころか、ソーシャルプロジェクトとして、スイスで最も影響力の大きい高齢者団体も協賛するところとなり、スタートと同時に、宣伝もほとんどしないのに、口コミで(注文する人やボランティアとして)多くの人が利用・登録しました。

おわりに

現在世界が直面しているコロナウィルスをめぐる状況は、早期解決が不可能で、長期化すると見込まれています。このため、いつかこれまでのようにもどることを想定するより、長期化する危機状況から社会や経済構造が変容し、将来これまで降り立ったことのない新しい地点に到着するだろうという見方が現在、主流となっています。

一方、これは、企業にとって具体的になにを意味するのでしょう。新しい状況・条件にあうように、顧客との関わり方や従業員の働き方、決済のあり方など、様々な次元で、ビジネスモデルや、企業存続のあり方そのものを、再考、再検討しなくてはならないことを意味するのでしょう。実際、ヨーロッパのドイツ語圏では、4月下旬からロックダウン緩和の第一段階として、多くの店舗の営業が認められるようになりましたが、そこでは、コロナの影響がないビジネスはほとんど皆無のようにみえます。

そんななか、今回とりあげたアミーゴスは、ユニークな事例です。昨年は昨年の社会でつまはじきされ凍結せざるをえなかったビジネスモデルやシステムであったにもかかわらず、その基本形を採用したまま、社会で高く評価される需要の高いサービスとして復活、フル活用させることに成功しました。全くなにもないことを新しくつくりだしていくのは難しいだけでなく、膨大な時間やコストがかかりますが、このように、社会にうもれている「古いモデル」、あるいは少しまでは「不適切」にみえたもので、微調整することで再利用、再活用、できるものが、ほかにもよくみわたすと、けっこうあるのかもしれません。

参考文献

Benevol, Coronavirus Informationenfür Freiwillige angesichts der «ausserordentlichen Lage», Stand 19. März 2020.

dreipol.ch, AMIGOS Einkaufen für Risikogruppen,(2020年4月28日閲覧)

Häusermann, Thomas, Das Social-Shopping-Programm Amigos ist ein Erfolg – stösst aber auf Kritik. In: Werbewoche, ch, 17.3.2019.

Häusermann, Thomas, Die Kritik am Social-Shopping-Angebot Amigos hält an. Migros in der Zwickmühle. In: Werbewoche, Mo 15.04.2019 - 09:48 Uhr

Hüerlimann, Beat, Migros und Pro Senectute lassen Amigos aufleben und starten schweizweite Nachbarschaftshilfe. Corona-Krise. In: Horizont.net, Dienstag, 24. März 2020

Jaun, René, Migros zieht “Amigos” den Stecker, Netzwoche, Do 28.11.2019 - 11:57 Uhr

Jede Hilfe zählt. «Die Idee kam mir, weil ich selbst an Corona erkrank war» Die «Nachbarschaftshilfe» von Migros und Pro Senectute ist ein Grosserfolg. Das freut auch Amadeus Petrig, Miterfinder der Amigos-App und -Webseite. Interview: Andreas Dürrenberger. In: Migros Magazin, 20.4.2020, S.21, S.23.

Liip, Amigos: shopping platform (2020年4月28日閲覧)

Migros, Nachbarschaftshilfe von Migros und Pro Senectute: Bereits 14’000 registrierte Helferinnen und Helfer, Medienmitteilungen, 02.04.2020.

Pro Senectute, Kanton Zürich, Auf zur Nachbarschaftshilfe: Bringer ermöglichen Lebensmittel-Heimservice für alle Risikogruppen-Besteller

Schreier, Silvana/ Simonsen, Leif, Das Helfer-Fieber und seine Schattenseiten: In Basel explodieren die Angebote. In: Basler Zeitung, 3.4.2020.

Urech, Marcel, Amadeus Petrig: “Ich habe meine Nachbarschaft erst dank Testlieferungen kennengelernt” In: Netzwoche.ch, Do 06.06.2019 - 11:02 Uhr

Zehnder, Adrian/ Mennig, Daniel, Lebensmittel-Onlinehandel- Der grosse Lieferfrust, SRF, News, Dienstag, 07.04.2020, 20:28 Uhr

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


非常事態下の自宅での過ごし方とそこにあらわれた人々の行動や価値観の変化 〜ヨーロッパのコロナ危機と社会の変化(5)

2020-04-18 [EntryURL]

非常事態下をどのように過ごし、何が変わったのか

ヨーロッパ諸国がロックダウンをはじめてから、5週間あるいはそれ以上がたちました。4月下旬の現在、ドイツ語圏では、営業を禁止されていた店舗の営業を認める、ロックダウン解除の措置が相次いで発表されましたが、基本的に用事がない限り、家からでないようにするという原則は変わっていません。人々は、そんななか日々をどんな風にすごしていた、あるいは、まだいるのでしょう。

医療や食品や生活必需品に関わる小売や物流関係者、警察など、いわゆる「社会システムの維持に直結する」職種の人たちは、通常以外に多忙な業務に追われています。その一方、現在、仕事ができない人や、ホームオフィスを強いられている人が大勢います。その人たちは、1ヶ月以上家にとじこもって、なにをしているのでしょう。

みんな家にとじこもっている状況なので、実際のところは、よくわかりません。一方で、消費動向やインターネットのアクセス状況などから、人々がどのようにすごしているのか(あるいはこれまで、すごしてきたのか)が、若干、推測できます。今回は、関連するニュースをいくつかとりあげ、人々は、急な変化に戸惑い、また大きな制約を受けながら、どんな風にすごしてきたのかを考え、ヨーロッパ人の住居内の日常をラフスケッチしてみたいと思います。

ここであげられる側面は、非常事態下にある日本やほかの国や地域と共通するところもあるでしょうし、あるいは、とてもヨーロッパ(ここではドイツ語圏だけを対象としています)的で、独特な部分もあるのかもしれません。直接参考になることではないかもしれませんが、レポートによって、ロックダウン下のヨーロッパ人の日常が少し身近に感じられ、ヨーロッパ人や、世界中のあちこちの同じように不便を強いられている人たちとの連帯的な気持ちが強まり、自分の今置かれている状況の閉塞感や疎外感が少しでも緩和されればと願います。


時間ができた

コロナ危機にあって、上述のように多忙な業務に追われている人がいる一方、多くの人たちは、家のなかですごす時間が突然膨大に増えました。正確に言えば、必要な買い物や健康のための散歩やスポーツ以外家のなかにいなくてはいけなくなったわけですから、1日のほとんどすべての時間が、家ですごす時間になったといえます。

一方ではホームオフィスで働いたり、学校に行けなくなったこどもの世話や遠隔授業のサポートをするなど、家での新たな仕事や課題が増えましたが、他方、時間的に余裕ができた人も多いようです。

仕事が現在できずに自宅待機を強いられている人はもちろん、ホームオフィスの人たちも、通勤時間が消え、移動で渋滞にまきこまれている時間もいっさいなくなりました。ホームオフィスの業務においても、(取引の減少や入荷の停滞などビジネスの様々な局面で)業務量が減ったり、業務スピードが遅くなったことで、結果として仕事以外のことに費やす時間が増えた人も多いようです。子供の面倒を自宅でみている人たちは、学校にいけない子供の気分転換を図るため、家のなかでいっしょになにか活動をすることも必要となり、(半ば強制的ともいえますが)こどもたちと余暇活動的にあてる時間が、日常で増えたことになります。

このように、(なかば強制的なものも含め)余暇(正規の仕事時間以外の時間)時間が多くなった人たちは、一体、家のなかでどうすごしているのでしょう。仕事・家庭構成、個性などによってもちろん事情は大きく異なるでしょうが、これまでの1ヶ月あまりのヨーロッパの状況を、いくつかのニュースソースを材料とし、推測てみます。

ニュース1)ロックダウン開始の直前・直後に、ゴミ搬入施設の一部が臨時閉鎖に追い込まれた(スイス)

通常、寒い冬が終わり、ちょうどあたたかくなるこの季節(3月中旬以降)、ヨーロッパでは、典型的な大掃除のシーズンです。この季節にちょうどロックダウンが重なって、ぽっかりできた自由時間をまずは、家の掃除や整理整頓に費やした人たちが、かなりいたようです。

家の納戸や地下倉庫などを、集中的に掃除、整理する人が増え、その結果、各家庭から、一挙に粗大ゴミやほかの大きなゴミがでたのでしょう。普段であれば、不用品の一部は、リサイクルショップで受け入れてもらえますが(「「ゴミを減らす」をビジネスにするヨーロッパの最新事情(2) 〜ゴミをださないしくみに誘導されて人々が動き出す」)、リサイクルショップが営業停止になってしまっていることから、すべてが一気に、ごみとなって、ゴミ搬入施設に向かうこととなり、施設が一時的に、パンク寸前になってしまった、ということのようです。

ニュース2)空前の手作りマスクのブーム(ドイツ)

ヨーロッパでも、マスク不足が深刻で、医療関係者にも行き渡っていないことが、今も、報道されます。当然、一般市民の間ではさらに入手が難しいため、ドイツでは、政治家も感染症の専門家なども、マスクを自分で縫ってつくることを積極的に奨励しています。

実際、ネット上では、様々な手作りマスクの作り方や、その作品があふれており、まさに、マスクは、現在の、手作りアイテム部門、ダントツ一位になっているようです。

マスクだけでなく、空いた時間を利用して、裁縫や編み物などの手芸全般や、大工仕事など、いわゆる「おばあちゃん(おじいちゃん)の仕事」と言われるような昔ながらの手仕事への関心も、再び、ぐっと高まったようです。

すでに2010年代半ばからから、DIY(英語Do it yourself の略で、既成の商品ではなく自分で日常必要な物品や家具、家電を作る行為)がひとつのブームとなっていました(「古くて新しいDIYブーム」が、今回、まとまった時間ができたことで、これまで関心のなかった人も、挑戦する意欲が湧いた人が多かったのかもしれません。

編み物や手芸に興じる人が増えたことで、それらハンドメイドのものを、ソーシャルメディアや手作りのものの交換・販売サイトを通じて、販売したり、物々交換する人が増え、そのアイテムも多様化しているようです。

4月中旬から、オーストリアでは400㎡以下の店舗は営業再開することが認められるようになりましたが、400㎡以上の店舗の広さでも、例外的に営業再開が認められた、業種のひとつが、ホームセンターであったことも、そのことをうかがわせます。家での手作業や大工仕事の需要が高まっていることをうけ、例外的にオープンに踏み切ったのでしょう。実際、営業再開当日のオーストリアのホームセンターでは、どこも、入場をもつ人の長蛇の列ができていました。

ちなみに、ホームセンターと並び、400㎡以上でも例外的に営業再開が認められたもう一つの店舗は園芸センターでした。これもうなずける話です。春先は、庭仕事再スタートの季節で、植物購入がもっとも多い時期であり、家の庭いじりの需要も非常に高まっていることを受けての、営業再開だったのでしょう。

ちなみに、ドイツの応用科学研究所Fraunhofer-Institut für Mikrostruktur von Werkstoffen und Systemen (IMWS)では、手作りマスクづくりを、さらに一歩極めて、3Dプリンターで、一人一人にぴったり合うサイズのマスクを作る研究を現在すすめています。

これは、これまでのマスクのイメージ・発想とは全く異なり、斬新であるのと同時に、マスクにとどまらない、生産・ものづくりという観点での大きな可能性を感じます。

3Dプリンターは、その登場以降、多様な利用の仕方が可能で、生産や創作のプロセスを革新するものとしてこれまでも注目されてきましたし、DIYブームに火付け役として象徴的な存在でもありました。他方、そのように騒がれるわりには、その利用可能性がまだ生産拠点でも十分検証されてはおらず、飛躍的な実用化にはいたっていませんでした。

しかし、現在、マスクや医療器具に象徴されるように、必要なものが迅速に十分手に入らない深刻な状況が、世界中で同時に起こっています。発注しても届くのが数ヶ月先、あるいは交通事情が悪化したり、政治的な事情がからんで、ほかの国や地域には届いても、自分のところにはとどかないこともあります。

このため、これを機に今後、ないもの、必要なものを、よその国や地域にたのみ、それが届くまで待つという発想から、3Dプリンターを駆使して、自分で積極的につくっていく、という流れに、大きく進展していくかもしれません。

ニュース3)消費者が好む食品の変化(スイス)

ロックダウンがはじまったころ、世界各地と同様に、ドイツ語圏でも買い占め行動が目立ちました。しかし1、2週間して買い占め行動が落ち着いてくると、購入される食品に、変化があらわれはじめました。

ロックダウン直後は、パスタ類や缶詰、冷凍食品などすぐに食べられる食品が、値段に関係なく、とにかく大量に購入されました。しかし、その後は、一方で、節約を重視し、安価なものを買うよう人が増え、他方で、新鮮で健康的な食品を意識して、購入する人が増えています。今回は、後者について注目してみます。

例えば、コロナ危機以降、従来に比べ、野菜と果物の消費が、30%増え、(スーパーより新鮮な食材のイメージが強い)地域の有機農業や酪農商品の需要が大きく伸張しました。

オンラインで地元の有機農家から購入しようとする人が、数倍に増え、そのなかには、若い人だけではなく、これまでオンラインショッピングに縁のなかった高齢者もかなりいるといいます。直接、農家に隣接してよく設置されている無人販売店舗に赴き、卵や義牛乳といった酪農食品や生鮮食品を買いもとめる人も急増しているとたびたび報道されました。実際、わたしも散歩の途中でたびたび立ち寄りましたが、いつも、(店舗が小さいため適切な距離を確保するため人数が非常に制限されているのですが)店の前に、人が並んでおり、ロックダウン以降は高い需要に合わせ、開店時間も長くしていました。


農家の一画にある無人販売店舗

ニュース4)大手料理レシピ・サイトへのアクセスが増える(スイス)

好んで購入される食品だけでなく、調理に費やす時間も全般的に増えているようです。

レシピを公開している主要サイトのアクセス数がどこも、コロナ危機以降、急増し、なかでも、スイスの伝統的な料理や手がこんでいて普段は敬遠されるような料理のレシピをみる人が増えたといいます。

パンづくりも、最近、人気の家庭でつくる一品となっているようです。レシピへのアクセスも増えていますし、小売での小麦粉などの粉類の購入が増えています(ちなみにヨーロッパでは、伝統的な料理でオーブンを使うものは多く、どんなに小さな台所でもオーブンがあるが一般的です)。

パンづくりは、生地がふくらむまでじっとまち、ふくらんだあとは、生地を繰り返し、たたいたりこねたりするという時間や手間がかかる作業ですが、逆に、生地をこねたり、できたてのパンをあたたかいままほおばる全プロセスは、こどもはもちろん、大人にとっても、五感で堪能できるプロセスであり、自宅軟禁のような生活に彩り(といい香り)をもたらすのでしょう。特に、小さいこどもが家にいる家では、何度も繰り返し堪能できる貴重なプロジェクトとして、重宝されていると考えられます。

このような、ロックダウン以降の人々の食をめぐる新たな行動には、これまでの健康的な食文化観や、優先順位からの変化が読み取れるように思われ、その点でも興味深く思われます。

これまで、乳製品の消費が減る傾向が長期的に続いていました。今日の酪農の在り方に疑問をもち、肉だけでなく乳製品も忌避しヴィーガンになる人も増えていますし、ヴィーガンにならなくても、乳製品にアレルギーがあったり、健康に考慮し、乳製品を摂らない人も増えています(「スイスの酪農業界のホープ 〜年中放牧モデルと「干し草牛乳」」「食事は名前をよばれてから 〜家畜の能力や意欲を考慮する動物福祉」)。

このため、スイス酪農業協会は、なんとか、乳製品の需要を増やそうと、学校に牛乳を無料で提供したり、スポーツや子供のイベントのスポンサーとなってキャンペーンをするなど、あの手この手で乳製品の消費を刺激しようとしてきましたが、乳製品の消費減少に歯止めがかからない状態が続いていたました。

しかし今回のコロナ危機で、スイス人の健康や環境志向に、微妙な変化が生じたようにみえます。肉や乳製品を避けて、(アメリカ産の植物性の肉代替食品などの)新しいオータナティブ食品に手を伸ばすのではなく(「数年後の食卓を制するのは、有機畜産肉、植物由来肉、それとも培養肉? 〜新商品がめじろおしの肉関連食品業界」)、むしろ、健康でエコな食を求める動きとしては同じでも、新鮮な食材や伝統的な手作り料理、地産地消といったことに、より高い関心や優先順位がおかれるようになったようにみえます。
ロックダウン以後、料理レシピの閲覧数が最も増えたのは、スイス酪農業協会が主催するレイピサイトでした。そこで、再発見、再評価されるようになったのが、卵や牛乳などのスイス中で農家が生産する食品であり、それらをふんだんに使ったスイスの伝統的料理ということなのでしょう。

おわりに

総合してみると、家にいなくてはならない新しい日常を、できるだけ有意義に過ごそうと、ロックダウン下のヨーロッパで、試行錯誤がすすんだことがうかがわれます。

もちろん、新しくできた時間を、オンラインのデジタルコンテンツをつかって、家族や知人との交流に費やしたり、映画やゲームなどのエンターテイメントに費やす時間も、通常よりずっと増えたのは確かでしょう。しかし、それと同時に、そのようなデジタル画面に向かってできることだけでは物足りず、もっとほかのことでも家の時間を充実させることができないか。家の時間に、もっとメリハリがつけられないか。健康的に生活するにはなにが大切か。同居する家族ともっと、いっしょにできることはないか。そんなことを思案し、画策した結果、今回注目したような、ロックダウン・トレンドともいえるような、新しい消費行動や行動様式がうまれてきたように思います。

このような新しいロックダウン・トレンドには、いくつかの共通項があると考えられます。それは、忍耐(スローであることを受け入れること)と状況に即した柔軟で応用的な行動、そして、さらにそれをむしろ肯定的にとらえようとする姿勢です。

ほんの1ヶ月あまり前までは、コンビニエンス・フードとよく呼ばれるすぐに食べられるものがもてはやされ、実際、テイクアウェイ食などの需要が年々大きくなっていました。実際、人々は忙しく、食べ物にあまり時間を費やせなかったのでしょう(「ドイツの外食産業に吹く新しい風 〜理想の食生活をもとめて」)。

しかし、急に事情が変わり、家での時間がもてあますほど増えた人たちにとって、コンビニエンス、即席は、生活の重要事項ではなくなりました。逆に、全く逆に、急がないこと、スローでもがまんすること、つまり忍耐が重要になってきました。

例えば、無人野菜販売所も一般のスーパーも、店内に入ることができる人数が制限されており、店内が混んでいれば、店の外に並んで待たなくてはなりません。オンラインで食品を注文しても(注文が現在殺到しているため)数週間先まで配送がされないケースも多々でてきています。また、ロックダウン下では日常必需品以外を扱う店以外はすべてオンラインでしか営業が認められていないため、買いたいものしたいことで、すぐにできないものや買えないものも多くあります。電球が切れてもすぐには買えませんし、メガネがこわれてもすぐには修理してもらえません。

そのような制約の多い、スローな生活を日常として向かい入れなければいけない事態では、迅速さや効率性よりもとりわけ、忍耐が必要です。

また、あるものを使って、うまく用途を足す、できる限りきりぬける。そんなこれまであまり必要とされなかったあるいはそれほど重視されていなかった能力や行動力も不可欠となります。マスクを自分で縫ってつくったり、壊れたものを代用品で補ったり、修復して使い続けたり。あるいは、周辺の人に助けが必要かをよびかけ、助け合いネットワークをつくったり、逆に自分の代わりに近所の人の家に買い物に行ってもらう人をさがしたり。ここでは触れられませんでしたが、このような助け合いネットワークは、ロックダウン直後から、どこでも非常に活発に組織されました。そしてそのような、自宅や周辺地域の人たちの不足や余剰を、補いあい、やりくりをする工夫や、柔軟性や社交性もふまえた行動力が、ロックダウンの日常生活をマネージするためのトッププライオリティとなりました。

そして最後に、それらを単に辛抱し、やりくりするのでなく、それをやりとげることに格別の価値を見出し、積極的に享受する価値観もまた、ロックダウン・トレンドの特徴なのではないかと思います。

例えば、なんとか工夫して、目的をなしとげた時、簡単に購入してすませる時よりも、大きな達成感を感じるようなことです。パンづくりはその典型でしょう。手にいれたければ、簡単にロックダウン下でもスーパーで買うことはできます。しかしわざわざ自家製のものにこだわり、それへの達成感と愛着をおぼえる。これまでのコンビニエンスな生活には味わえなかったような、自己満足感や肯定感が、ロックダウン・トレンドにおいて、共通して、大きな価値がおかれているようにみえます。

ドイツ語圏では、ほかの多くのヨーロッパ諸国に先んじてロックダウンの解除が発表され、オーストリアではすでにスタートしていますが、このような新しい過程にいたったことで、これまでにわかに発生したロックダウン・トレンドは、再び、衰退の一途をたどるのでしょうか。それとも、一部が行動様式やトレンドとして、しばらく日常生活にとどまるのでしょうか。

このような今後のヨーロッパの展開も気になりますが、ほかの国々や地域とは、どのような相違があるのかも気になります。ほかの地域では、どのようなロックダウン下の日常生活が展開しているのでしょう。これを読んでくださったみなさんからの声もおよせいただけたらさいわいです。

主要参考文献

Baumann, Jan, Heile Welt in der Corona-Krise - «Sie kommen zu uns, weil sich hier nichts geändert hat», SRF, News, 3.4.2020.

Corona: Die Krise als Chance für die Wirtschaft, Das Erste, 15.04.20

Der Podcast für Freunde der ZEIT. Feuilleton-Spezial (Folge 2): Wir gucken endlich alle Marvel-Filme, 10.4.2020.

Flury, Reto/ Hudec, Jan, Wie Zürcher Bauern mit der Krise ringen. In: NZZ, 4.4.2020, S.14-15.

Kaufmann, Moritz, Zurück an den Herd. In: NZZ am Sonntag, Wirtschaft, S.19.

Schweizer kaufen bis zu 30 Prozent mehr Gemüse. In: NZZ am Sonntag, 5.4.2020, S.1.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


ヨーロッパで最初にロックダウン解除にいどむオーストリア 〜ヨーロッパのコロナ危機と社会の変化(4)

2020-04-10 [EntryURL]

ロックダウンのあと

現在、世界中の先進国の多くが、おおむねロックダウンかそれに近い拘束の多い状態になっていますが、3月中旬からロックダウンを実施中のヨーロッパでは、ようやく4月はじめから感染者数の増加率がフラットになりつつあり、まだ感染拡大のピークはまだ過ぎていないと警戒されつつも、ロックダウン解除のタイミングとそのやり方についての議論が、次第に、本格的・あるいは少なくとも活気を帯びてきました。

新型コロナウィルス感染拡大はもちろんいまだ大きな懸案事項ですが、仕事が禁止あるいはいちじるしく制限されている多くの人にとって、仕事をいつから再開できるかは、同様に切実で深刻な問題です。今回は、ロックダウン解除の最初の段取りを、ヨーロッパの諸国のなかで、先駆けて公表したオーストリアの最新事情についてお伝えします。そこでは、具体的にどのような形で、通常の就労や生活にもどろうとしているのか。また、オーストリアが、ほかの国に先駆けて緩和政策をすすめる背景として、なにがそれを後押ししているのか、といった点は、ロックダウン解除を模索するほかの国でも参考にできる点があるのではないかと思います。

オーストリアのロックダウン緩和プラン

オーストリアでは、フランスやスペインと同様に、イタリアからは1週遅れの3月16日から移動や就労の厳しい制限措置を導入していましたが、4月6日現在、新規感染者数は1日当たり(以前の)1千人超から200人台にまで減少し、感染者の増加ペースは1日当たり1.6%に鈍化しました。入院患者数も横ばいとなっています(累計の感染者は1万2206人、死者は220人)。

これをうけて、オーストリア政府は4月6日、今後も医療崩壊も起こさずに入院数を一定以下に抑えられると判断し、14日から規制を段階的に緩和していく方針を発表しました。この方針の概要は以下のようなものです。

●営業について
4月14日から、店舗面積400平方メートル以下の小規模店舗の(これまで「社会システム維持に必要不可欠」と認識されていない店舗は影響を認められていなかった)すべての店舗や、ホームセンター、園芸店の営業再開を認める。5月1日からは、さらにこれ以外のすべての店舗、ショッピングセンター、理髪店の営業再開も認める。

ホテルやレストラン等のその他の業種については5月中旬から再開を許可する見込み。

催しはすべて6月末まで禁止。映画館、劇場、公共プール施設、スポーツ施設、フィットネスクラブなども当面禁止。

夏の間の規制措置については4月末の段階で決定する予定。

営業が許可された場合も、以下の条件を満たさなくてはいけない。
―20平方メートルにつき1人の入店しか認めず、店内の顧客数を制限する。
―店内ではマスクを着用し、マスクがない場合は、タオルやスカーフなどで鼻と口を覆う(政府は今月6日以降、店舗面積が400平方メートルを超えるスーパーや薬局で買い物する客にマスクの着用を義務付けています)
―職場においてのマスクの着用を義務づけるかは雇用者が決定する。

●学校
高等教育以外の学校は5月中旬まで閉校。大学は今学期中は閉鎖。大学入学資格取得試験及び職業訓練修了試験は感染予防措置を講じた上で実施。

●外出について
現在の不要不急の外出をさける規制は、4月末まで維持される(非常時や買い物、仕事にいく時は、一人あるいは、同居している人とでかけることができる。その際、ほかの人からは少なくとも1メートル距離をとる)。

ただし、(これまでの六人以上の集会の禁止はなくなり)、屋外での活動において、間隔を1メートルあけるというルールさえ守れば、制限されない。4月14日以降、国の管理下にある公共緑地「連邦庭園」も入場可能とする。

自分の別荘にいくことも認められる(これまで遠方への移動は難しかったが)。ただし公共交通機関では、店舗同様に、マスクの着用を新たに義務付ける。

●イースター休暇
(この発表があった時点で)間近に迫っている13日までのイースター休暇の過ごし方は、今後の状況を左右する可能性があり、決定的に重要である。今年は伝統的なイースターの過ごし方をあきらめ、同居人以外と集まることを、国民に強く求める。

国民との信頼のパイプ

このようなオーストリアの動向に、ドイツやスイスなどヨーロッパ各国は大きく注目していますが、まだ同じような具体的な方針を国民に提示するにはいたっていません。経済界やそれを重視する立場の人たちは、オーストリアの新たな政策を勇気ある決断、模範的とたたえ、自国にも同じような動きに映るようそれなりのプレッシャーをかけたり、自分たちの国でそのような議論が盛り上がらないことに苛立っているようですが、政治家たちは、国民の健康を最優先にする立場から、そのような思い切った策にはいたっていません。

政府にとって、コロナ危機下の健康問題を、ほかの経済問題や学校問題と合わせて考え、それぞれへのさじ加減を大胆にきめて、見切り発車で進めていくというのは、それ自体非常に難しいことですし、まして、具体的な日程まで提示した、プランを国民に提示するのは、さらに、政治上のリスクを抱えることになるでしょう。短期的な日程プランを明示することは、一方で、国民に希望を抱かせ、なんとかがんばろうという機運がもりあげ、それに基づきプランを成功に導く可能性があります。他方、日程どおり規制緩和が実現できなくなり、プランが不安定に二転三転することになれば、国民を失望させたりいらだたせ、政府への不満や不信を逆にためることになりかねません。政権にとって、諸刃のつるぎであり、後者の危険が気になれば気になる程、大胆な施策を思い切ってとりにくくなるのでしょう。

にもかかわらず、オーストリアで、このような大胆な新たな一歩に、ほかのヨーロッパの国に先んじて、踏み出すことができたのはなぜでしょう。オーストリアでは最近、感染拡大がある程度抑えられてきたという実感があり、それに乗じた経済界や国民からの圧力もちろん決定的に大きな要因であるといえますが、同様なことは、ほかの厳しい対策をしているヨーロッパの国々でも起こっており、オーストリアだけで起きたことを説明するのに十分な根拠とはいえません。

この点について説得的な解釈はいまのところありませんが、わたしの推察では、オーストリアの国民と政府の現在の関係が、とりわけ重要な鍵を握り、政策決定の背中を押していると思われます。以下、推論の域をでませんが、説明してみます。

オーストリアは、今年はじめから右と左がタックルしたヨーロッパのニューモデルと期待される連立政権が発足しました(「保守政党と環境政党がさぐる新たなヨーロッパ・モデル 〜オーストリアの新政権に注目するヨーロッパの現状と心理」)。つまり現政権の発足からまもなく、戦後最大とよばれる、危機管理能力が問われる事態に突入したことになります。

しかし、新しい与党の危機管理能力は、これまで、かなり国民に評価されているようです。今年3月中旬に行われた28カ国を対象にした調査によると、「政府がコロナウィルス対策をよくやっている」と回答した人が、オーストリアでは88%と、調査をした国のなかで最も多くなっていました(Gallup, 2020, p.2)。

危機があると現政権が野党に比して支持率が高くなるというのは一般的に認められる傾向ですが、ほかのヨーロッパ諸国(フランス52、ドイツ48、オランダ79、スイス62%)に比べ、政権を評価した人の割合がオーストリアではかなり多く、国民が、現政権の危機管理能力に非常に満足し、信頼していることがうかがわれます(ちなみに日本は23%で、28カ国中の下から2番目)。クルツ首相の現政権支持率も、昨年までの自由党との連立政権期の支持率よりも高くなっています。

(ここでは、なぜ信頼が高まっているのかを細かく検証することはせず、)この調査結果に表れている政府への高い評価という部分に注目します。そして、このような高い評価・信頼こそが、政権にとって、政策の推進力、屋台骨になっているのではないかと思います。

つまり、政権は、その国民からの信頼をいかし、国民にさらなる期待とアピールをし、国民に目指す方向に向かわせ、国民を全面的に動員させることで、次の段階に進めていく、という野心的なプランです。逆に言えば、これは、国民からの信頼と切り離せない政策で、国民がついてきてくれるという自信がなければ、とても踏み切れない政策ともいえます。政府にとっては、国運をかけた相当大きな賭けともいえるかもしれません。国民からの信頼を担保に、一歩踏み込んだ大きな賭けです。

失敗しても政権のせいではない?

ところで、政権の今回のプランをよくみると、国民総勢の協力を期待するだけでなく、国民に言い訳を許さない、厳しいものであるようにもみえます。

政府のプランを、簡単にまとめると、こうなります。国民がちゃんと、これまでのように政府が推奨する行動規範を、今後も遵守すれば、規制緩和が順調に進み、営業の自由や行動の自由はますますひろがっていく。一方、国民が行動規範を十分に守らず、(その結果)再び感染拡大の危険が大きくなれば、「非常ブレーキをひいて」(クルツ首相の言)ただちに、プランを修正しなくてはならない。つまり、政府のこのようなプランが本当に実現できるか、できないかは、あなたたち国民次第だ。

これは、少しいじわるな見方をすれば、政府が、国民とのプレーをフェアーにしておらず、ずるをしているようにもみえます。このプランが予定どおりにならなかったら、それは政府の推奨するようにしなかった国民の問題であって、政府の落度ではない、といっているわけですから。プランが失敗しても、政府は失敗しない、あとだしじゃんけんのような感じもします。

政策的にみれば、(営業規制をゆるめるといった魅力的な提案を提示することで)国民の気をひきつけ、しかし、やわらかい言い方とは裏腹に、しっかり条件をつけて締め付ける、というやり方は、たくみな政治的常套手段として有名な「アメとムチ」といえるかもしれません。

しかし、オーストリア国民の反応は、少なくとも主要メディアを通してみる限り、このよう政府の条件つきの提案に不条理だと逆上したり、強く批判しているようにはみえません。ヨーロッパでまだ前例がないことで一抹の不安はのこるものの、国内の足並みをみだすよりは、緩和が実現できるよう全面協力するほうが得策なのでは。そんな風に思っている人が多いのかもしれません。もしも、国民の大半が、このように政府のプランに乗る気になってくれたら、あとはしめたもの。政府のプランどおり、順調に、ロックダウン解除がすすむ可能性が高まっていくのかもしれません。

信頼を勝ち取った政治家たち

アメとムチなどというと、悪徳政治家であるかのような誤解を招きかねないので、汚名返上のため、少し補足しておきます。結論から先に述べると、(第三国スイスからこれまで観察してきた筆者の理解の限りにおいて)オーストリア現政権は、コロナ危機以降、国民に寄り添った政治をこれまで行ってきて、それが高い政権支持という果実になったのだと思います。国民に寄り添う、という表現を使ったのは、政府が、前例のない柔軟なやりかたで、国民に繰り返しなにかを要請したり理解を求めるだけでなく、不満や不安な国民の声に配慮したり、はげまし、それを解消しようという努力する姿勢が、政治家たちの日々の政治やメッセージで全面的に感じられたためです。

端的にそれを象徴しているのは、保健相のアンショーバーRudolf Anschoberです。アンショーバーは、日々変わるコロナ危機に関わる状況や政策をわかりやすく説明する「連帯(のための)省。面会時間」という番組を毎日、ユーチューブ、インスタグラム、フェイスブックなどでライブ配信(約半時間)するようになりました。大臣の番組といっても堅苦しさはなく、もともと教師であったためか説明も簡易でわかりやすく、常に受け付けている人々からの質問にも、質問した人には、苗字でなくファーストネームのほうで紹介するような、ざっくばらんとしたスタイルです。突如コロナ危機以降、政府で存在感を増すようになった、アンショーバーの存在のおかげで、国民たちと政府との心理的な距離が一気に縮んだように感じます。

クルツSebastian Kurz首相も、(以前から、とりみださない語り口で有名でしたが)、コロナ危機にあってもおだやかな表情で国民に対し丁寧に説明するのにたけており、またオーストリア大統領のファン・デア・ベレンAlexander Van der Bellenも、その求心力で、政治への信頼を国民から勝ち取るのに、大きく貢献しているようにみえます。

ロックダウン直後、国民にむけた6分足らずの大統領の演説もそれを強く感じさせる内容でした(Van der Bellen, 2020)。演説の半分ものの時間をさいて大統領が行なったのは、国民、それぞれのセクターで働く、あるいは働かないことで感染を拡大する役割を担ってもらわなくてはいけない人々に対する、感謝の言葉をささげることでした。この演説を聞いた頃、誰もが、なんでこんな目にあうのかと誰にも向けられない腹立たしさや不安を強いられていたと思います。そんな時、団結せよ、自粛せよ、と命令調に言葉をあびせるのでなく、ユーモアで人々の気持ちをやわらげ、激務で働く人たちに感謝の言葉をかけ、はげますことに徹したスピーチは、行き場のない人々の不安や怒りを緩和し、協調する気持ちをもたせるのに、かなり役だったのではないかと思います。

ちなみに、政治家と国民の間をつなぐ重要なパイプであるオーストリア公共放送も、前代未聞の非常体制でのぞみました。外出禁止になっているオーストリア人たちに、良質な情報を十分届けることを最優先するため、ニュース作成に関わるスタッフ30人が3月下旬から4月はじめまでの2週間、(スタッフに新型コロナウィルス感染者がでないようにするため)自宅に一切もどらず、放送局に住み込んで仕事をしていました。

おわりに

まもなく、オーストリアでは最初の緩和政策として小規模経営の店舗の営業がスタートします。先行きどうなるかはまだわかりません。まだ時期尚早なのでは危惧する声は、いまだ国内外に少なからずあり、その危惧する声をきいていれば、このような大胆な一歩をだす勇気は、うちから萎えてしまいそうです。しかし、このような時だからこそ、オーストリアでもしも、この緩和策が順調にすすみ最初の希望の光がともれば、その光は、とりわけまぶしくヨーロッパ全体を照らすことになるのではないかと思います。少なくとも、ロックダウン下のスイスにいる、今のわたしにはそう思えます。

参考文献

Armin Wolf (Blog), 25.3.2020.

Der Stufenplan der Regierung. Türen öffnen sich, ORF, Online seit 6.4.2020, 14.48 Uhr (Update: 7.4.2020, 9.32 Uhr)

Die Rede des Bundespräsidenten Van der Bellen im Wortlaut. In: Wiener Zeitung, 14.03.2020, 07:33 Uhr | Update: 14.03.2020, 08:04 Uhr

Gallup International Association, THE CORONAVIRUS: A VAST SCARED MAJORITY AROUND THE WORLD. Snap poll on Cov19 in 28 Countries, March 2020

Mijnssen, Ivo, «Hammer und Tanz»: Österreichs Corona-Krisenmanager ist ein Mann des Dialogs mit fast diktatorischen Vollmachten – das schafft Vertrauen. In: NZZ, 30.03.2020, 13.36 Uhr

Rudi Anschober のFacebookのサイト

Van der Bellen, Alexander, Bundespräsident Alexander Van der Bellen mit einem Statement zur Corona-Krise, Twitter, 13.3.2020.

在オーストリア(ウィーン)日本国大使館「新型コロナウイルス関連情報(4月6日現在)」、2020年4月6日

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


患者の事前指示書は、医療崩壊回避の強力な切り札となるか? 〜ヨーロッパのコロナ危機と社会の変化(3)

2020-04-07 [EntryURL]

トリアージを回避する可能性をもとめて

前回、迫りくるコロナ危機で医療機関が逼迫する事態になった場合にそなえ、スイスでは、トリアージ(患者の容態で、治療の優先度を決定して患者を選別すること)に焦点をあてた新たな医療倫理ガイドラインが定められたとお伝えしました(「スイスで制定されたトリアージ(診療する患者の優先順位の決定)に関する医療倫理ガイドライン」)。

今回は、それに並行し、あるいは、そのトリアージ自体を回避するための重要な切り札として、現在スイスで期待されている、患者の「医療上の事前指示(書)」について、人々の反応や、倫理的にひっかかる点などもふまえながら、みていきたいと思います(以下、みていくのは主に文書として作成されたものであるため、「患者事前指示書」と表記していきます)

ミッション、トリアージを回避せよ

新たに設定された医療倫理ガイドラインは、医療現場に重症患者があふれる最悪の事態が発生した場合に、効力を発揮することはまちがいないでしょうが、依然、トリアージは、医療関係者にとって、最後まで回避したいものであることに変わりありません。

そして、トリアージを避ける有効な方法はまだあり、それをぜひとも推進すべきだという発言が、トリアージを定めたガイドラインの公表に並行して、医療関係者や医療倫理専門家の間で現在、活発にされており、これらについて、メディアでもさかんに報道されています。

それを一言で言うと、ガイドラインの最初にも記されていましたが、集中治療を望まない患者が集中治療室にこないことを徹底することです。

これを徹底すれば、集中治療のキャパシティがかなり広がると、救急治療や終末期医療に関わり医療スタッフたちは、確信しています。というのも、新型コロナウィルスに感染し重症化し、集中治療室に運ばれる確率が高い患者たちである、高齢者や重篤な病気の患者たちのなかで、集中治療をのぞんでいる人たちは、かなり少ないというのを、日頃、職場で実感しているためです。

例えば、医師で医療倫理専門家クローネス Tajna Kronesは、自身の経験では、高齢か若いかに関係なく重篤の患者たちで、集中治療室で最後の治療を受けたいと希望している人はこれまでほとんど会ったことがなく(Kinzelmann, 2020)、自分の病院(チューリヒ)で実際に調べた際も、集中治療を希望する患者がたった一人もいなかったと言います(Corona, 2020.)。今回のガイドラインをまとめたシャイデッガーも、高齢者や重い病気の人に終末期医療について尋ねること自体がためらわれているケースが多い一方、患者に質問をすると、「数ヶ月か数年、非常に制限された生活の質で、介護施設ですごすだけのために、すばらしく手間のかかる処置をしてもらうというのを、まったくのぞんでいないことが非常に多い」と言います(Schöpfer, Scheidegger, 2020)。

一方、病院や集中治療室にいきたくない患者が潜在的に多いとしても、それを医療関係者が把握できなければ、やはり集中治療室に運ばれ、医療機関の逼迫を避けることはできません。

このため、スイス集中治療医学会は、前回紹介した医療倫理ガイドラインの公表と相次いで、以下のような見解を発表しました。

「COVID-19(新型コロナウィルス 筆者註)流行期間中の集中治療施設の負担を減らすため、危険にさらされているすべての人々が、重篤な症状となった場合、人工呼吸などで延命措置を望むかいなか、考えてもらうことが重要」である。このため、健康医療に関連する専門学会、連盟、組織に対し、(感染後重篤化しやすい)「危険グループに属する人々に、患者事前指示書の重要性について示し、患者事前指示書が容易に作成できるようにするため、情報を用意するよう協力を要望する。」 (SGI, Stellungnahme, 2020)

患者に質問するのは不可能か

ところで、ここまで読んで、なにかすっきりしない気持ちを抱かれた方も少なくないのではないでしょうか。そのような質問をしたり、患者事前指示書の作成をすすめることは、現在、それでなくても新型コロナウィルスへの感染を恐れているはずの高齢者や慢性的な基礎疾患を抱える人々にとって、酷なのではないか。訊く側に、悪気が全くなくても、ある種のプレッシャーを患者に自動的に与えてしまうのではないか。医療行為をあきらめよ、と言っているようにきこえないだろうか。そこまで思わなくても、患者にとって、触れてほしくないタブーの質問ではないだろうか。

このような疑問を抱くのはとても自然なことで、このような気持ちを常にもつこと自体、患者事前指示書の乱用を防ぐのに大切なことであるかもしれません。少しずれますが、スイスでは自殺ほう助が合法となっており、ひとつの選択肢として受容されていますが、それでも同じようなことが、たびたびきかれます。合法であるがゆえに(自殺ほう助を希望しない人にもそれを希望しているかのように言わしめるような)、ある種の社会的なプレッシャーを、人々に与えてしまうのではないかという疑念が、社会で繰り返され、いまだに明確な答えがでているわけではありません(「自由な生き方、自由な死に方 〜スイスの「終活」としての自由死」「求めることと望まないこと 〜自由死の議論のジレンマ」)。

患者事前指示書を積極的に支持・推進してきた医師で医療倫理専門家クローネスも、多分、このような質問を何百回、何千回も受けてきたと思われますが、そのような一般的な疑問に、明快に反論します。正しく患者に接し、質問をすれば、そのようなことにはならない。重要なのは、患者の人としての尊厳を認め、質問すること。どう生きたいですか。今日の夜おだやかに亡くなることについてどう思いますか。それはどんなことをあなたに意味しますか。このように一人一人に主治医など信頼する医師や関係者が丁寧に質問すれば、本人たちから、本心からでた確かな答えを得ることができる、と言い切ります。そして「あなた(自分自身)にとってなにが重要か、なにがあなたに起きては欲しくないことかと患者に訊くことは、うさぎが蛇のことを気にするように、過酷なトリアージに目をむけるより、もっとずっと重要なメッセージだ」と言います(Kinzelmann, 2020)。

生命倫理専門家のバウマン=ヘルツレも、「もちろんこのような決断はいつも難しい」と認め率直に認めつつも、「わたしは、集中治療室での治療を受けたいか。呼吸器を使いたいか。これらの、考えたくないような問いに、自分自身で真剣に考えなくてはいけない」「なぜなら、わたしたちは、決定できないわけではないからだ」(Was tun, 2020)、と人々を鼓舞します。

このように医師や倫理専門家たちは口を揃えて、主治医など信頼できる人と話し合い、自分の気持ちに正直に向かい合い、できるだけ自分に向かう時間をしっかりとって、「患者事前指示書」を作成することをすすめます。

公共放送では、作成に対する具体的なアドバイスも、医師たちから提供されていました。例えば、ちょうど現在、主治医となっている内科医たちは、緊急患者以外は診察していないので、作成に協力してくれる時間もとれやすいはずだ、という意見。家族と話し合う場合に、本人の希望が、子供やパートナーの希望と異なり、対立することを恐れる人もいるかもしれないが、ほんとうに互いの言い分に耳をかたむけ理解しようと対話することをこころがければ、多くの場合、そのような対立はさけられる、といったアドバイスもありました (Corona: Behandlung, 2020)。また、もちろんゆっくり時間をかけて作成できればそれにこしたことないが、もし危機的な状況が迫った場合は、作っていないよりは、あったほうがいいとも言われていました(Coronavirus: Kontroverse, 2020)。

自分が受けたい医療を実現するための患者事前指示書

ところで、患者事前指示書自体は、すでに2010年前後からドイツ語圏でも、一般的に知られるようになり、スイスでは2013年から、医療機関が診療の際にこれを配慮することを義務付けています。国としても、国民に患者事前指示書は、患者が終末期の在り方を自分で決める権利を強化するものとして評価し、作成する人の数を増やすことを様々な形で奨励・推進してきました(Die Bundesversammlung, 2018)。

ただし、これまでの患者事前指示書の奨励の動きが、患者自身の終末期の希望を叶えることというその一点だけを目指した動きであったのに対し、今回は、もちろんそのことも、これまで通り重要なテーマですが、それと同時に、違う目的、逼迫する医療施設の負担を最小限におさえる、という目的にも叶っているということが強調されていることが、これまでとは異なっています。そして、スイスのロックダウンの決定以降、患者事前指示書を作成することの重要性が、改めて医療機関やメディアを通じて国民に広く、繰り返し訴えられ、オンラインでも、資料や情報が多数、公開されています。

患者事前指示書に特定の形はありませんが、スイス医学アカデミーが想定するもの、推奨するのは、以下のようなものです (SAMW, 2018)。

・判断能力があるすべての人が作成できる。未成年の若者も含まれる。本人の自由意志で作成されたものでなくてはいけない。圧力や強制でしたものであってはならない。治療を受けるための前提ではない(あれば治療の際に配慮されるが、なくても治療は受けられる)。

・文書には、日付と自筆のサインが入ったものがのぞましい。2年に一回更新することも推奨される。

・患者は、いつでも文書あるいは口頭で取り消しができる。ただし、口頭の場合で、それを証明するのが難しいような時は、不明瞭になることを回避するため、有効な患者事前指示を、破棄すべきではない。もしも事前指示の内容が患者の意志を異なると思われる場合、患者の関係者(主治医や家族など)と、これについて検討すべき。検討の結果、意志と異なると思われた場合、担当医師はこれを配慮にいれない。

・医療機関は、患者事前指示の存在を医療機関が把握しておく必要があるため、判断能力がある患者が医療機関に入る際、事前指示があるかを訊き、ある場合はそれを記録しておく。事前指示の内容がいまも有効であるかを確認できれば理想的。

ちなみに、ロックダウンの直後に、チューリヒ近郊の小都市ウスターの老人用住宅および介護施設の住人50人に、担当医師が、新型コロナウィルスに感染した場合についての希望を調査した結果は以下です(Corona, 2020.)。

・病院に行くことを希望した人 26人、
(このうち、6人は、そこでの集中治療も希望)

・病院には行かず施設に留まりたいとした人 24人。
(このうち19人は、緩和ケアを希望)

終末期緩和ケア

繰り返しになりますが、慢性的な基礎疾患をもつ人や高齢者は、新型コロナウィルスで重篤な症状がでることが多く、集中治療の専門家のこれまでの経験によると、このようなグループの人の多くが、人工呼吸器を使う集中治療が行われても、致死率は非常に高くなっています(Roland et al., 2020)。これらのグループは、実際に、集中治療を望まない判断をした場合、どうなるのでしょう。

クローネスは、自分が医学生の時大学教授が「肺炎は、高齢者の友」と言っていたことをためらいながらも引用し、新型コロナウィルスの重症化によって引き起こされ死に至る肺炎も、専門的な緩和ケアをすれば、おだやかな死を迎えられるし、スイスにはそれを可能にするプロフェッショナルな緩和ケアのスタッフと技術があるといいます(Corona, 2020)。

トリアージの医療ガイドラインでも、「集中治療が行われない場合、総合的な緩和ケアがなされなければならない」(SAMW, Covid-19-Pandemie, 2020, 3)とされています。実際、ガイドラインがだされたあと緩和ケア関連団体が、これに呼応する形で具体的に動きだしました。

まず、緩和ケア専門協会(FGPG)は、「新型コロナウィルス・パンデミー 高齢者および病弱な人々の家庭および介護施設での緩和ケアの観点」(SAMW, Coronavirus, 2020)を発表しました。これは、「高齢で多併存疾患のある患者は、看護や集中治療をしても、致死率が高い。人工呼吸器をつけるなど集中治療をしても高齢者が生き延びる確率は、これまでの経験上、かなり低」いが、これらの患者の「多くの人は、集中治療室に行かずに、自分たちがよく知っている環境でなくなりたいと望む」という(ほかの医療関係者と同じ)理解のもと、実践的な緩和ケアとして推奨されるものを、予想される個別の症状に合わせてまとめたものです。

また、緩和ケア関連者に呼びかけ、緩和ケアの体制の一層の強化をはかるため、”フォーカス・コロナ”というプロジェクトチームが新たに設立されました(SGI, Stellungnahme, 2020)。

現在、新型コロナウィルス感染者で終末期の緩和ケアを望む人たちのため、介護施設や、(一部の地域では)自宅での受け入れ体制が急ピッチで整えられている模様です。

このような危機こそ、社会が避けずに直面するチャンス?

スイスは4月1日現在、新型コロナウィルス感染者数は17316人で、465人の方が亡くなりました。まだ集中治療室や病室には余裕があるとされますが、チューリヒ工科大学のレポートでは、4月中に感染者や重症者がさらに「津波のように」増え、1000病床が不足すると予想されています。

こう聞くと、「トリアージ」という恐ろしい言葉が、また脳裏をよぎりますが、今回、ガイドラインの作成の中心人物であるシャイデッガーは、トリアージのような厳しい決断は、今回のコロナ危機に限った話ではなく、「それは、平常時でもやはりまぬがれないものだ」と強調します。もちろん現在は、平常時以上に難しい状況だが、平常時でも「すべての人を助けたり、すべての人にいつも診療の可能なものをすべて提供できるという」認識は正しくなく、「そのような決断を社会が避けてとおろうとしてきた」だけなのだ、といいます。そして、「このとても扱いにくい(微妙でむずかしい)テーマについて、やっと、オープンに正直に議論できることができるようになったのだとすれば、コロナ危機の副次的な効果といえるかもしれない」と言います。

医療関係者から今回、投げかけられた、この重たいボールを、スイスの国民たちは、危機の最中にあって、ついにしっかり受け止めるのでしょうか。本音は、どんなものなのでしょう。

3月中旬以降これまでの2週間あまりの間で、様々なメディアが、トリアージのガイドラインと患者事前指示書について、とりあげてきました。これだけの事実からも、メディアや一般の人々にとって、このことが、ショッキングであったが容易に想像されます。一方、これらの報道をみると、公共放送でもタブロイド誌でも、概して中立的で、反論や批判的な論調は、ほとんどみあたりませんでした。

筆者の調べたなかで、批判的なニュアンスが感じられたものは、ふたつだけでした。一つは、公共放送のニュース番組のインタビューに介護・青少年および障害者施設のスイス全国連盟の会長が出演した時のコメントで、患者事前指示書を患者に「無理やり作成させるべきではない」(Bei schweren, 2020)と言った際の、少い強い語調です。

もう一つは、スイスの名高い高級紙『ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥンク』(「意見と討論」欄)で、医療倫理ガイドラインについて、「適者生存Survival oft he fittest」のロジックだ、という表現です(Stadtler, 2020)。

しかし、前者は、施設に重傷者がでた場合、まず、患者事前指示書があるかを確認するとし、それを重んじることは自明としていますし、後者も、同じ記事のなかで「予想される医療機関の負担の過剰は、社会を深い倫理的なジレンマにもたらす」(Stadtler, 2020)といった書き方も同時にされていることからわかるように、尋常ならざる現状を、全体として皮肉に表現する一端として、過激な表現を用いているにすぎず、全面的にガイドラインを批判しているというわけではありません。

胸のうちでは、強い衝撃や抵抗があっても、現在の状況で、医療倫理ガイドラインや事前の指示以上の、良案があるわけでもないと認め、これらの提案や働きかけをなんとか理解し、容認しようとする傾向が、社会に静かに広がっている、という風にみえます。

患者事前指示書が、患者自身の生活の質を下げないためのツールとして、これまでに、かなり認知され、作成することが一般化してきていることも、今回の話を冷静に受け入れるための、助けになっていると思われます。2017年の調査では、スイスではすでに65歳以上の住民の47%と半数近くが、患者事前指示書を作成しています(18歳以上の成人すべてでは、全体の22%、Pro Senectute, 2017)。換言すれば、この割合はまだまだ低く、さらに割合をあげること、とりわけ、慢性的な疾患のある高齢者の作成の割合を高めることが、現在、大きな課題となっているといえます。

おわりにかえて 〜医療機関に丸投げするのでも、あるいは住民に「手をよく洗う」ことをアピールするだけでもない、第三の道

少し話は変わりますが、ヨーロッパでは、コロナ危機以来、民主主義的な社会と、管理国家的な社会のどちらが、コロナ危機のマネジメントとしてすぐれているか、という議論がたびたびきかれます。

そこでは、前者が、基本的に、住民に分別ある行動を訴え、住民自らの自主的な行動で、感染拡大を抑制しようとするのに対し、後者は、人の行動をデータでできるかぎり監視したり、禁止などの厳しいルールで統制することで、感染拡大を防ぐというアプローチになります。

スイスは、この2種類のおおざっぱな分け方で言えば、前者に属するでしょう(少なくとも今のところ)。スマートフォンの個人情報は移動の頻度や範囲を把握するのに利用する以外は、使われておらず、デジタル機器を駆使して監視や細かいルールで外出を規制するよりも、人々がみずから責任をもって行動するよう働きかけることに、強い関心や期待が置かれているようです。それは、ロックダウンについての記者会見での、以下のようなベルセ保健相の言葉にもよくあらわれています(以下、ベルセ保健相の3月20日の記者会見の発言の一部の要約)。

「ヨーロッパのほかの諸国に比べると、スイスの規制は厳しくはない。外出を画一的に禁止するわけではない。なぜか。それは、どんな厳しい規制をつくっても、最終的に国民が同意し、いっしょにやらなければなんの意味もないからである。肝心なのは、国民が状況を理解し、自分たちが自主的に行動することなのだ。このようなやり方は、文化が違うため違う方法をとる隣国と同じである必要はなく、これこそ「スイス流」だ。」

今回、医療倫理ガイドラインと患者事前指示についてみてきて、これもまた、この「スイス流」として期待されている分別ある主体的な行動規範の一環であるように思われました。一方で、トリアージがおこるかもしれない、おこった時は具体的にどのようにその優先順位を決めるか、という厳しい現実と、そこでの公明正大なルールについて、国民にその理解や同意を求めます。他方、自分自身が希望する終末期治療を受けるため、また医療機関やそのスタッフたちの負担を少しでも減らすため、自分たちでどんな治療をのぞみ、生きていることでなにを大事にするかを自問することも、訴えます。

現在抱えている問題はあまりに深刻です。しかし問題がいかに深刻で困難であっても、社会のそれぞれのアクターたちへの対処が誠実で、説明が公明正大であれば、互いの誤解や非難は生じにくく、逆に、それを社会全体で協力的に解決する確固な土台ができるかもしれません。その結果、少し強い言葉で言えば、危機にあってスイスの人々に求められている「連帯」、(手を洗う、人とは距離を置くなどの日常的な行動規範にとどまらない)連帯を体現する行動につながっていくのかもしれません。

スイスから目をはなし、ほかの地域をみれば、もちろん社会や人々によっては、医療関係者にすべて丸投げにし、医療機関に重い負担を負わせるという選択肢をのぞむところもあるでしょう。

どんな対策をとるにせよ、コロナ危機によって医療機関が逼迫する危険は、すでに世界各地で起こっており、また今そうでない地域もこれから十分起こりうることであることだけは確かです。

それぞれの国で、実際に人々が、どんな行動を、どれくらい実践していくべきなのかが、今、問われています。

参考文献

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Kinzelmann, Fabienne, Medizinethikerin Tanja Krones über Spitäler-Kollaps und das ethische Dilemma. In: Blick.ch, Publiziert: 19.03.2020, 22:26 Uhr, Zuletzt aktualisiert: 20.03.2020, 14:27 Uhr

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Wer wird behandelt, wenn es auf der Intensivstation eng wird?, Echo der Zeit, SRF, 21.3.2020.

Zielcke, Andreas, Moralisches Elend. In: Süddeutsche Zeitung, 23.3.2020.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


スイスで制定されたトリアージに関する医療倫理ガイドライン 〜ヨーロッパのコロナ危機と社会の変化(2)

2020-04-02 [EntryURL]

あえてこのような扱いにくい話題を扱う理由

前回(「突如はじまった、学校の遠隔授業 〜ヨーロッパのコロナ危機と社会の変化(1)」)に引き続きコロナ危機に関するテーマを、ヨーロッパからお伝えします。

ヨーロッパ各国は、ここ数週間、新型コロナウィルスの感染が拡大しているだけでなく死亡者が多いイタリアの状況を、自分たちに重ねて、固唾をのんで観察する緊張した日々を過ごしています。もちろん、ただ傍観しているのではなく、イタリアと同じような状況になってもおかしくないと想定し、それまでにまだ残されている時間で、少しでも対策を強化しようと必死になっています。

イタリアでは、重篤な患者が医療機関に殺到し、(通常の医療機関であれば助かったかもしれない方も多く命を失うような)医療破綻にいたったことが、死亡者を増やした主要な原因とされていますが、ほかの国がイタリアを反面教師にして、同じ道を歩まないためには、なにができるでしょう。

真っ先に思いつくのは、重症患者の受け入れ体制を強化することでしょう。ドイツでは、早々にベルリンのメッセ会場を1000人収容できる新型コロナ感染者専用の病院に改造しました。人工呼吸器などの医療器具や、マスクや防護服などのスタッフを感染から守る医療品も増産も急ピッチですすめられています。感染症患者を扱う医療スタッフの増員も大きな課題です。もともと医療分野全般に人材が不足しているヨーロッパ各国では(「ドイツの介護現場のホープ 〜ベトナム人を対象としたドイツの介護人材採用モデル」「帰らないで、外国人スタッフたち 〜医療人材不足というグローバルでローカルな問題」)、医療人材確保こそが一番の難題になるともいわれます。スイスでは、医療関係の専門家はもちろん、ほかにも軍隊の衛生部門の人材や、(まだ医師国家試験を合格していない)医学部の学生にも協力を求め、医療スタッフの強化をはかっています。

ところでスイスでは、このほかにも、医療破綻を防ぐ対策の一環として、二つのことが注目されています。一つは、集中治療が必要な患者が増大した際のトリアージ(診療する患者の優先順位の決定)に関する医療倫理ガイドライン。そしてもう一つは、患者自身が重篤な症状になった時にどんな治療を望むか望まないかを示す「医療上の事前指示(書)Patientverfügung」です(これらが医療破綻とどのくらい深く関わっているのかは、本文で詳しく説明していきます)。

3月中旬スイスでロックダウンが始まって早々、医療関連団体からこれらについての発表がなされ、主要なメディアで連日のように、報道されるようになったのですが、最初にこれらを聞いた時は、正直びっくりしました。危機的な状況であることは抽象的に頭で理解していたつもりでも、具体的にそれがどういうことなのかピンときていなかったため、これらをきいて、いきなり「安全」で「きれいな」スイスから、突如として、負傷者があふれるどこかの戦場の野戦病院につれていかれたかのような、緊張感を覚えました。

今回と次回の二回の記事では、この二つの、現在、スイス人に身近となっているテーマについて、紹介していきます。人の生死に関わるとてもセンシティブなテーマ、多くの人にとっては、タブーのストライクゾーンに入りそうなこれらのテーマを、あえてこのコラムで、扱いたいと思ったのには、二つの理由があります。

まず、これらの動きの本質的なテーマが、スイス特有の問題ではなく、コロナ危機という、前例のないリスクをかかえる、すべての国でも、遅かれ早かれ、浮上してくる問題・テーマであると考えるためです。もちろん、誰にとっても避けたくなるテーマですが、近い将来、現実的な問題となるなら、スイスの事例から情報を得ながら、あえて、覚悟を決めて真っ向からとらえ考える機会があるほうがいいと思いました。

二つ目として、このように社会に忌避されがちなテーマを、早々にオープンに国民に提示し、理解をもとめようとする、スイス社会での医師や倫理専門家たちの行動・発言力と、それを淡々と受け止め、処理・消化しようとしている(ようにとらえられる)メディアの報道やスイスの人々の姿自体も、参考になり、一見の価値があるとも思われたためです。

各国が、様々なほかの国での試みや手法に参考にしながら、自分たちのある医療資源を用いて最大限効果的に、被害の最小化や短期化につなげられることを願ってやみません。今回のスイスの事例が、その一環として、貢献できるところがあればさいわいです。

医師たちの迅速な動き

スイス全土のロックダウンを政府が決定した3月16日からわずか四日後の3月20日、スイス医学アカデミーとスイス集中治療医学会は共同で、医療ガイドラインを、発表しました(SAMW, Covid-19-Pandemie, 2020)。

これは、医療資源が窮乏し、医師たち医療スタッフが、患者の生死にまつわる、医療行為の優先順位を決めなくてはならなくなった場合に、迅速かつ公平に決定できるようにするためのガイドラインです。

ちなみに、スイス医学アカデミーが定めた医療倫理ガイドラインは、(スイスで就業するすべての医師が入会いている)スイス医師会FMHの職業規定として取り入れられ、スイスの医療関係者すべてに遵守されます。

医療ガイドラインの概要

ガイドラインの主要な点をまとめると以下のようになります。(ここでは、最初のガイドラインではなく、四日後に出された改訂版を参考にしました。なお、以下の要旨は、ガイドラインの内容をわかりやすく紹介するため、今回のガイドライン制定の中心的人物シャイデッガーDaniel Scheidegger(集中治療の専門医として長年働いてきた医学部教授で倫理専門家)と、公法専門の法学者リュッツエBernhard Rütscheの解説や補足もふまえながら、まとめているため、項目の順序も、原文に従ったものではありませんSchöpfer et al., 18.3.2020. Gerny, 19.3.2020)

●まず、患者の緊急時および集中治療についての意志を早くに明確にすることが重要である。とりわけ、危険グループ(慢性的な疾患をもつ患者や高齢者 筆者註)に属する人たちにおいてそれが重要となる。限られた医療資源を、患者が要求しない治療に使うことは決してないようにしなくてはいけない(SAMW, Covid-19-Pandemie, 2020 , S.2)。

(筆者の補足説明 スイスでは4月はじめ現在、集中治療ができる施設は82箇所で1200人病床あり、そのうち約285病床が、利用されています。新型コロナウィルスにはまだ治療法がないため、自分での呼吸が困難となった際、気管内挿管し人工呼吸器で管理するなどによる集中治療が、最後の症状回復手段と期待されますが、人工呼吸器がついている病床数は800から850、ECMOと呼ばれる重症呼吸不全の際に用いられる体外式膜型人工肺の装置があるのは45病床です。SGI, Stellungnahme, 2020)

●医療資源が限られた緊急状況では、基本理念として、以下の三つのことが重視される。

1)公平であること
判断過程は、事実にもとづき、公平で明瞭でなくてはならない。年齢や性別、住んでいるところ、国籍、宗教、社会的地位、加入している保険の種類、あるいは恒常的な障害などで差別されない。コロナウィルス感染者だけでなくほかの集中治療が必要な患者も、同様にこの基準にしたがって判断される。

これは、スイス全国共通で、すべての病院(公立私立関係なく)に有効である。私立病院も公共の医療供給の一部であり、おなじサービスを提供することが義務付けられているため、これに従う。

2)できるだけ多くの人命を助けること
目標は、それぞれの患者と患者全体の利便を最大化することであり、それは、最も多くの人命を助ける決断をすることである。換言すると、すべての措置は、重篤な病気になる人や亡くなる人を最小限化する目的にそって行われなくてはならない。

3)関連する専門家の保護
患者に接する医療スタッフは、感染の危険にさらされている。医療スタッフが感染し医療に従事できなくなれば、さらに亡くなる人が増える。このため、とりわけ感染から守る必要がある。単に感染を防ぐたけでなく、物理的・心理的な過剰な負担からも医療スタッフを守らなくてはならない。

医療資源が不足した場合(ガイドラインの続き)

全国の医療施設は、ほかの医療施設と協力しあい、限られた医療資源を最大限活用する。このような理由で、医療インフラのための報告義務を、政府は義務付けている。このため例えば、ほかの病院の別の集中治療室に空きがある場合、症状が比較的よいと診断された若い人は、外部の集中治療室に運ぶ。

国は、私立病院に新型コロナ感染症の人の受け入れを増やすよう要請できる(筆者註: 現在、すべての病院は、緊急でない診療や手術を延期する要請が出されていますGerny, 2020)。

このような、できるすべての可能性を尽くしても、医療資源が不足し、すべての生死にかかわる人を診療できない場合、患者のなかで集中治療の優先順位を決めることになる。そこで決定的に重要なのは、短期的な病気の診断である。集中治療で短期的に生き延びられる見込みの高さであり、中期、長期的な余命の見込みではない。

つまり、集中治療をおえて病院をでた際、もっとも生き延びるチャンスが高い患者が、その際、優先的に扱われる。医療行為は、できるかぎり、まだ助けられる人をたすけるのに利用されるべきであり、年齢が高い人が、若い人に比べ価値が低く測られるということはない。そのようなことは、憲法で保障されている差別の禁止に反する。

例えば、高齢のコロナウィルス感染者で比較的いい状態にあり今後もよくなると診断されれば、交通事故で非常に重度な怪我をしている若い患者よりも、集中治療を優先的にうける。

とはいえ、年齢は、間接的に中心的な基準の枠「短期的な診断」において考慮される。なぜなら、年齢が高い人のほうが、合併症が引き起こされることが頻繁なためである。新型コロナウィルスとの関係でいうと、年齢は、死にいたる危険要素のひとつであり、このためこれを配慮しなくてはならない。

世話をしなくてはいけないこどもの有無などの家族関係、社会の利便性、これまでの態度などの社会的なファクターは、判断に配慮すると差別となるため、配慮しない。「最初に来た人が優先的に治療を受ける」だとか、社会的な高い地位などが優先で治療をうけるといったことも、基準にはならない。

●(終末期)緩和ケアの充実
医療資源が不足する非常時に、「不利な(厳しい、その人にとって不利益となるような)診断」(生き延びるチャンスが少ないという診断)を受けた患者は、(通常なら、集中治療で治療をうけるような場合でも)、集中治療室以外のところで診療をうける。早期に、不利な診断の患者をほかの課に移動させることで、集中治療のキャパシティを広げる。なお、集中治療が行われない場合、総合的な緩和ケアがなされなければならない(SAMW, Covid-19-Pandemie, 2020, 3)。

緊急事態の医療関係者をバックアップするものとしてのガイドライン

以上が、ガイドラインの概要です。ところで、スイスの医療倫理ガイドラインで、トリアージについて定めたのは、これが最初ではありません。2013年に、一度定められました。しかし、そこでは、医療資源が不足する時のはっきりした基準が示されていなかったため、今回、2013年のガイドラインの補記という位置付けで、より具体的、明確に定義されました。

より明確になった新しいガイドラインは、医療関係者に高く評価されています。例えば、生命倫理専門家のバウマン=ヘルツレRuth Baumann-Hölzleは、このようなガイドラインが性急に必要だったとし (Was tun, 2020.)、スイス連邦保健局のコッホDaniel Koch感染症対策課長も、歓迎の意を示しています。

厳しい決断をせまられる医療スタッフの精神的な負担が減っただけでなく、ガイドラインがより明確になったことで医療関係者が法的に訴えられる危険も減りました。公法専門家のリュッシェBernhard Rütscheによると、医療関係者が、このガイドラインにそって患者や関係者に、決定を説明し、理由も明らかにすることで、判断の透明性が高くなり、たとえほかの患者を助けるためにその患者を助けることができず、その結果死亡することになったとしても、医療関係者が処罰の対象になることはないといいます。それを、不服として裁判にもちこんでも、訴えがききいれられることはまずないとも言っています (Vorrangig, 2020)。

次回につづく

トリアージについて新しいガイドラインができたことは歓迎されますが、それでもトリアージは、それを回避することのほうがより重要な課題であると、医療関係者たちは強調します。次回(「患者の医療上の事前指示(書)は、医療崩壊回避の強力な切り札?」)は、そのトリアージ自体を回避するための、有力な手段と期待され、現在積極的に推奨されている患者自身の医療上の事前指示(書)についてみていきます。またこれらの動きをスイスの人たちはどのように受け止めているのか、また、そこには、どのような疑問や問題がありうるのか、などについてもみていきたいと思います。

※参考文献は、次回の記事の下部に一括して掲載します。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
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突如はじまった、学校の遠隔授業 〜ヨーロッパのコロナ危機と社会の変化(1)

2020-03-22 [EntryURL]

コロナ危機に関するニュースで伝わりにくい部分

新型コロナウィルスはまだ世界中でいまだに衰える気配がなく、どこの国でも、生活や仕事に厳しい制約を強いられていますが、そのような困難な状況下にあって、ほかの国では、どんな風に人々は過ごしているのでしょう。

世界中、同じような状況下にあり、ほかの国の話で参考になったり、はげまさるようなことが多いかもしれませんが、通常のニュースは、ほかのもっと深刻なテーマ(感染や医療機関の状況、経済的な打撃や補償問題など)を扱うのに忙しく、そのようなことはあまり報道されません。現在、移動や外出が大きく制限されている国や地域では、取材自体が難しくなっているため、たとえ取材したくても、できなくなっている、ということもあります。

公共メディア以外のメディア・チャンネルでは、逆に、人々の生活に関わる情報が多く扱われていますが、ここから情報を入手するのも簡単ではありません。断片的な情報であったり、ファクトチェックで情報の公平性が担保されたものでないものも多く、それだけにたよって理解すると、偏った理解や誤認になる危険がありますし、ほかの国の人にも有用な、示唆に富む情報であっても、言葉の壁が障害となって、ほかの国(ほかの言語の国)の人に知られるのが事実上難しい場合も多くあります。

そういう事情で、ヨーロッパも、現在、(ほかの地域の多くの人たちにとって)よくわらかない、生活者がみえてこない見知らぬ地域になっているのではないかと推測します。わたしも、安否をたずねるご連絡を、最近、何人かからいただきました。

確かに、ヨーロッパは、WHOに、新型コロナウィルスの新たな中心地となっていると名指しされたほど、3月半ばから、感染者数が急増し、(各国の対応は若干異なりますが)移動や外出、就労・就業が、またたくまに厳しく規制されるようになり現在にいたっています。特にこの1週間のめまぐるしい変化は、在住者でも、理解するのが大変でした。

特に様々な規制がはじまった週は、ヨーロッパ全体に、いっきに暖かくなり、通常なら、どっと外に人があふれでる陽気だったので、それとはうらはらに、どこもかしこも突然の眠りについたかのような街角の光景が、とても印象的でした。

今回とあわせて数回、このコラムを利用し、そんな(急に、ベールに包まれてみえなくなったかのような)ヨーロッパの様子について、お伝えしていければと思います。といっても、大変な状況ではなく(それについてはニュースでも若干ほかの国に伝えられる機会があるでしょうし、類似するニュースは自国で聞くことも多いでしょうから)、むしろ、冒頭でも述べましたが、世界共通のコロナ危機にあって、ほかの国においても、役にたったり、あるいは、インスピレーションが湧くようなトピックに焦点をあてて、お伝えしたいと思います。

今回は、通常の授業ができなくなったスイスの学校で突如としてはじまった遠隔授業について紹介しながら、その現在の意義やこれからの可能性について考えてみたいと思います。コロナ危機で、日本でもヨーロッパでも、テレワークの普及が加速されるのではないかと現在、よく言われ、期待も高まっていますが、教育の現場での遠隔授業もまた、これをきっかけに導入に拍車がかかるのでしょうか。

ちなみに、ヨーロッパにおいて(この記事では主にドイツ語圏を対象にしています)遠隔授業は、リカレント教育のような成人教育の一部では導入例がありますが、一般の学校教育では一切行われておらず、それを導入するかという議論も、これまできいたことがありません。にもかかわらず、(学校の授業の)代替手段として突然、白羽の矢が立ち、まさに、ぶっつけ本番ではじまりました。

13日金曜日の突然の決定

13日金曜日という、キリスト教徒にいわくのある日の夕方近く、スイスの教育関係者は、政府からの重大な発表を受けました。週明け月曜から、幼稚園から大学までのすべての教育機関を閉鎖とするという決定です。日本はすでに学校が多くの地域で閉鎖されすでに3週間がすぎ、あまり驚かれないかもしれませんが、当時の困惑を思い出していただければ、今回のスイスでの驚きと混乱も想像していただけるかと思います。

発表後、スイスのそれぞれの学校は、具体的な対応策に着手しましたが、準備期間が短かったため、週明けの段階では、まだ方針がはっきりしていない学校や、方針はあっても準備が間に合っていない学校も多くありました。

他方、月曜早朝から通常の時間割通りに、遠隔授業をスタートさせたところもありました。月曜からオンラインで遠隔授業をはじめたある学校のクラスの一つを、3月17日(オンライン授業をスタートさせて二日目)に見学しましたので、その様子を、まず、ご紹介します(見学したのは、チューリヒ州の職業訓練学校のクラス(生徒数約20人)のフランス語、経済・法律の授業です。職業訓練学校は、スイスで中学を卒業したあとに、職業訓練課程にすすむ人が通う学校の総称です。詳しくは「スイスの職業教育(1) 〜中卒ではじまり大学に続く一貫した職業教育体系」)。

バーチャルな教室の授業風景

遠隔授業は、マイクロソフトのTeam というソフトを使い、あらかじめ設けられていた、遠隔授業用のクラスのサイトに、科目担当の教師が、学校の時間割通りの時間に、生徒のアイコンで、全員がいるかを一望できるバーチャル教室にオンラインで入って、早速開始となりました。

教師は、自らの顔をビデオで写しながら授業をすることもできますし、音声と視覚的教材だけでの授業も可能ですが、画面は主に、教材をうつしていました。フランス語の授業では、教師が教材をもとに文法の説明し、その後、ドリル問題用紙を生徒が各自ダウンロードし、書きこんだ回答を教師にわたすという形でした。経済・法律の授業では、教師が、デジタルペンで教材に手書きで内容を加えながら説明するのを、生徒が聴き、同時に自分の手元の紙のノートに書き写していました。授業中は終始、学校での授業と同じように、生徒と先生は質問などを通し、対話していました(互いのやりとりの仕方については後で詳述します)。

このクラスでは、1日平均7コマの授業がありますが(1コマ45分)、順次、時間割に従って、教師が入れ替わり立ち代り、このバーチャルな教室に入ってきて、授業を行っています。

どの科目も、具体的にどうやって成績をつけるか、テストはどうやって行うか、などは、まだ決まっておらず、当然、オンラインだけでできないこともあるでしょうが、とりあえず、授業風景をみたかぎり、大きな混乱もなく、カリキュラム通り授業がすすんでいるようでした。教師の立場からみれば、全く新しく授業の進行の仕方を考えるなど、準備に大幅な修正の必要がなかったからこそ、週明けからすぐに、遠隔授業に移行させて、授業を続行することができたともいえるかもしれません。

学校や生徒たちのこれまでの評価

この学校は遠隔授業を三日目試した結果、生徒の圧倒的多数が、新しい授業体制に柔軟に対応し、学ぶ姿勢や意欲も好ましいものだったと、親たちにメールで報告しており、おおむね学校側としては、現状に満足していることがうかがえます。

生徒たちの目には、突然変わった、このような学び方は、どううつっているのでしょう。はじまったばかりで、どのくらい授業を満足して、しっかり理解できているのかを図ることも難しく、試験や成績によっては、生徒たちの満足度や評価も変わるかもしれませんが、いまのところ、当惑というより、新しい授業の仕方が新鮮で、たのしんでいるようです。そのような印象は、以下のような授業中の光景から得ました。

・授業でたびたび、生徒たちが、先生とのやりとりで冗談が交わしたり、もりあがっていることがあった。
もりあがったり、笑えるということは、授業が、楽しく、スムーズに進行している証拠でしょう。

・チャットが、生徒と教師の間をとりもつツールとしてだけでなく、授業中、生徒どうしのスモールトークのためにも、絵文字なども駆使して利用されていた。
授業中の生徒どうしのチャットは、一般論からいえば「のぞましくないもの」にあたるのかもしれませんが、そういった一見、無駄に思えることを通じて、生徒たちに、授業を同時に受けていることを実感し、授業が味気ないものでなく、活気を帯びる気がしました。

・授業の休憩時間、先生がいなくなると、授業中はオフにしていたウェッブカメラをオンにして、生徒が互いの姿をみあったり、マイクで雑談するなど、生徒たちが自発的に遠隔授業のツールを通じて交流していた。

みえてきた課題

このように、今回の見学内容を見る限り、遠隔授業は、緊急の措置としてとられたにしては、順調にスタートをきり、教師たちも一定の安堵をしていましたが、同時に、いくつかの限界や問題もめにつきました。ここでは二つあげてみます。

物理的な条件
このような遠隔授業を導入するには、生徒一人につき一台の1日中使用できるパソコンがあることや、静かで集中できる環境、そして一定の速さで安定したインターネットといった物理的な条件をみたすことが必須です。今回のクラスでは生徒がすべてそのような条件を満たすことができたため、授業が成立していました。

しかし、このような条件を満たすことは、学年が若い生徒の場合、かなり難しいでしょう。また物理的に条件を満たせても、低学年の生徒たちは、自分で操作するのが困難であったり、授業中、ゲームなどほかのことに気がむかないようにするため、サポートする大人が近くにいる必要であるように思われます。それらを考えると、このような遠隔授業は、現状では、低学年の生徒たちには、今の技術的なレベルでは、不向きであるように思われます。

事実、スイスでは、小学校や中学校では、遠隔授業ではない形で代替授業がすすめられています。メールで具体的に課題が通知される場合もありますが、なかには、通常の授業内容にこだわらず、まったく違う特別授業の週という風に位置付けて、(日本の夏休みの自由研究のように)なにか自分たちで独自に勉強し、それについてレポートや作品として提出するよう促しているところもあるようです。家から出られないことや、こどもたちの関心のあるテーマであることなどを考慮し、中学生など上の学年には、ビデオやポッドキャストを作成するといった、デジタル媒体を積極的に利用する課題もだされているようです。

インターネットの送信量やソフトウェアのキャパシティの問題
今回の遠隔授業では、ほとんどの生徒は問題なく授業を受けていましたが、だけたびたびインターネットがつながらなくなって授業が中断していた生徒もいました。

これからの数週間の間で、ホームオフィスの数がさらに増えたり、また遠隔授業を行う準備が整って開始する教育機関がいっきに増えると、インターネット上の問題が増えてくるのではと危惧されています。

遠隔授業を提供している主要な提供企業のキャパシティも心配です。遠隔授業サービスは、スイスだけでなく、ヨーロッパ全土で利用が急増しているため、それに十分対応できるのか不明です。

これら、遠隔授業のインフラ問題が、遠隔授業の続行に、致命的な問題となるかもしれません。

コロナ危機に直面する若者をつなぎとめる遠隔授業

ところで、遠隔授業という存在は、現在の自宅にとじこもっている若者にとって、単に勉強する機会ということ以上の、重要な意義もあると思われますので、これについても触れておきます。

コロナウィルス危機によって、切実な経済面や健康面での不安に陥っている人のことを思うと、目下、学校の生徒たちがこうむっていることは、学校に行けなくなっただけであり、大きな被害とはいえません。

とはいえ、スイスをはじめヨーロッパでは、最低でも5週間、ほとんどどこにも行けず、誰にも会えない状態が続きます。(スイスではまだ可能ですが、)スペインやフランスでは、ジョギングや散歩なども禁止されており、今後、状況次第では、ヨーロッパ各地の規制はさらに厳しくなったり、長期化するでしょう。このような事実上の自宅軟禁状態は、エネルギーあふれる若者たちにとって、(状況をひととおり頭でわかっても)大きな試練であるには違いありません。

そんな境遇にいる若者たちが受ける、遠隔授業の風景を今回見学して、安堵しました。チャットで会話をはずませながらすすむ授業や、休み時間に次々にでてきた、こどもたちのおどけた様子やリラックスした表情をみると、しばし、孤立した物理的な環境を忘れ、バーチャルなクラスの学習時間を楽しんでいるように感じられたためです。

これからしばらく、遠隔授業が、若者たちにとって、学ぶためのツールであるだけでなく、クラスメートたちとゆるやかに集い、交流する、重要な気分転換の場にもなってくれればと切に願います。

授業がよりインターアクティブになる可能性

最後に、長期的な視点から遠隔授業について考えてみます。遠隔授業は、コロナ危機が収束したあとの教育現場で、どのような可能性を秘めているのでしょう(グループワークや、あるテーマについに集中・総合的に扱う特別授業などではなく、ここではとりあげず、いわゆるスイスの「通常の授業」だけを対象に、考察していきます)。

授業風景をふりかえりながら、具体的に考えてみます。今回の授業をみる限り、(もちろん授業の進行の仕方などで、学校での授業のやり方と変えたところや工夫しているところがあったにせよ)、教材をもとに、先生が説明したり、それをふまえた上で問題を解くという大筋の流れは、通常の学校の授業の場合と、大きく違っていませんでした。

一方それとは対照的に、生徒側の参加の仕方には、通常と大きく違い、印象的でした。

スイスでは、それぞれの科目の成績に、試験の結果だけでなく(発言をどのくらいしたかで測る)授業の積極性が、かなり配慮されることになっていることもあり(科目によって異なりますが、おもに2割から3割)、授業中は、挙手して発言しようとする生徒が比較的多いのですが、発言は、挙手するだけではだめで、教師に指されてでないとできません。つまり、通常の教室では、時間的な制約もあるため、教師たちは、一部の生徒の発言しかきけません。

しかし、(少なくとも今回の学校の使用していた)オンライン授業では、「挙手」にあたる機能がなく、かわりに、二つの発言ツールが生徒の手中にありました。ひとつはマイク。インターネットに常時つながっていても、マイクを生徒たちは普通オフにしていますが、マイクをオンにすればすぐに発話できます。もう一つは、チャット。授業画面の横に、チャットスペースがあり、いつでも、文字媒体だけでなく絵文字も用いて発話や対話ができます。

つまり、生徒にとって発言するチャンネルが、端的に増えたことになります。そして実際に、生徒たちは、マイクとチャットの間を自在にいききし(特に違いに留意せず、自分の気分で使い分けながら)、発言をしていました。

生徒によっては、チャットやマイクで発言するのが、目の前の先生に話すよりも、最初はしにくい、と抵抗を感じる人もいるかもしれません。全員が同時に発話するような事態になれば、音量が大きくなりすぎ、なにを言っているかもわからないので、発言には、一定のルールが必要にはなってくるかもしれません。また、マルチタスキングについての最近の調査結果をふまえると、色々なツールや情報が、同じ画面にのっていることで、授業への集中が阻害されるといった、弊害についても徐々に明らかになるのかもしれません(人間の脳は同時に二つのことをこなすことはできず、いわゆるマルチタスキングは、細切れに作業をしているにすぎず、集中力低下や、効率的に作業する能力を阻むという研究結果がでています。「小学生に適切な情報授業の内容とは? 〜20年以上続いてきた情報授業の失敗を繰り返さないために」)。

しかし少なくとも、今回見学したハイ・ティーン(16歳以上)のクラスをみると、発言に二つのツールがありそれを駆使して授業を受けることが、著しく授業の進行や集中力の妨げになっているようには、みえませんでした。思えば、今のハイ・ティーンといえば、小学校のころからおもちゃとしてデジタル機器が身近にあり、中学では、ほぼ全員がスマホを所持していた世代であり、ビデオチャットやチャットを使いこなすことが(こどもの生活環境によって一定の違いはありますが平均すると)日常的、「普通」な世代です。それを思うと、このようなツールは、難しいものでも、集中力がそがれることでもなく、普通に発話するように自然に近く、できることなのかもしれません。逆に、自分がよく知っているツールであるため、それを使って発言するほうが、生徒にとって、挙手して発言するよりも、敷居が低くなり、授業参加がしやすくなるかもしれません。

もしもそうであるとすれば、教師は、このようなツールのおかげで、生徒たちの率直な反応を素早く吸い上げ、通常の授業よりも、さらにインターアクティブで活気のある授業にすることもできるかもしれません。

将来の教育に今の経験が活かす

もし本当に、生徒たちがより参加し、授業があらたなダイナミズムで活性化されるようになったらどうでしょう。それを、コロナの危機がすぎて、すべて破棄してしまうのは、もったいない気もします。そうなると、今後、学校の授業に完全に代替されることはないでしょう(しそれが遠隔授業の最終目標でもないでしょう)が、遠隔授業を部分的、一時的にとりいれるなど、従来の授業を補強する部分にするのが、賢明かもしれません。

それは逆に言うと、遠隔授業だと最終的に、普通の授業よりも、生徒が受動的になるとわかったら、学校という学習の場がより望ましいということがはっきり証明されることになります。

最終的にどちらに転ぶか(どっちの授業のほうがより優れていると判断されるか)、まだわかりませんが、いずれにせよ、マクロな視点に立ってみると、今行われている、遠隔授業は、今後の教育を考える上で、貴重な実験であり、以後参考になる重要な経験となることは確かでしょう。

ただし、少し矛盾しているようにも聞こえますが、遠隔授業の利用価値、利用のしやすくなるかは、もともとリアルな学級があるか否かが、肝心なのかもしれません。生徒と教師が互いによく知った関係であり、ある程度の信頼関係がすでに築かれているほうが、バーチャルな教室でのやりとりをスムーズにいくと考えられるためです。逆に言えば、おたがいによく知らない人どうしが、バーチャルな教室でお互いと勉強をはじめる場合は、今回見学した授業風景ほど、すんなりと遠隔授業がスタートしないということかもしれません。

おわりにかえて

遠隔授業は、コロナ危機でやむをえずはじまったものであり、大きな期待をうけてスタートしたものではありませんが、そこで得た新たな経験や知見は、これからの教育業界に、きっと、役にたっていくことでしょう。

コロナ危機によって、ほかにもどんな変容がスイスやヨーロッパの人々の生活や心理で、どんなことが起き、また変化していくのかを、それを内部から、しばらく観察し、ほかの地域でも参考になりそうなこと、あるいは将来の役にたちそうなことに注目し、またお伝えしたいと思います。共通の危機を前に、住んでいる国は違っても、はげみになったり、希望を感じる情報の共有につながればと願います。

もしも逆になにかヨーロッパの状況で、なにか知りたいことがありましたら、ぜひそれもご遠慮なく、ご一報ください。

参考文献

Gaul, Simone/ Luig Judith, Haben alle Ferien? In: Zeit Online, 13.3.2020.

Vorlesen, Youtube und Experimente. In: Der Tagesspiegel, 17.3.2020.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
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