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マルチカルチュラルな社会 〜薄氷の上のおもしろさと危うさ

2020-01-02 [EntryURL]

大変でややこしいけどおもしろく豊かにするもの

新しい年がはじまり、どんな年になるか想像をふくらませたくなる時節ですが、近い未来に起こるのが必至とされていることは、すでにいくつもあります。例えば、世界各地でおこってきている労働人材不足のため、人々が好むか好まざるに関係なく、世界規模で移住が増加することです。そして、その結果、全く異なる文化圏の人たちが地球のあちこちで共存する頻度が増え、その濃度も高まっていくことでしょう(「出生率からみる世界(1) 〜PISA調査や難民危機と表裏一体の出生率」「出生率からみる世界(2) 〜白人マイノリティ擁護論と出生率を抑制する最強の手段」)。

つまりマルチカルチュラルな社会がこれから、世界で大きく広がっていくということになりますが、マルチカルチュラルな社会とは、具体的にどのような社会なのでしょう。

多文化が共存することは大変だし難しい。しかし、社会をおもしろくより豊かにする。そんなことを、異文化を渡り歩く人たちは、よく言います。それが具体的にどんなことで、どんな難しさや醍醐味があるのか。今回と次回、日本出身の異文化を渡り歩くエキスパート2人の話を手がかりにしながら、すこし考えてみたいと思います。

今回は、イギリス生活が長い保育士のブレイディみかこさんの昨年出版された『ほくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年)のなかで紹介されているエピソードを起点にして、考えてみたいと思います。

この本は、イギリス、ブライトンでの中学生の息子とその学校をめぐるノンフィクションで、現在、スイスの学校に通う自分のこどもとわたしも再読させてもらっています。いっしょに読んでいると、本の内容に対するこどもの反応から、同じ欧州とはいえ、イギリスとスイスの子供をとりまく環境に相違があることがよくわかり、一粒で2度おいしいことになっているのですが、今回は、そこで取り上げられているマルチカルチュラルな社会での「失礼な行為」、人種差別的な行為とはなにかという問いに、わたし自身の経験や、それについてのこどもの反応もまじえながら、少し考えてみたいと思います。

※ここではほんの一部しか触れませんが、著作は現在のイギリス、ブライトンの現在の子供の周りの社会環境や状況がよく描写されており、またそこで息子さんの考え方や、やりとりもとても感動的で、素晴らしい本です。

「ずいぶん失礼な態度」とは

ブレイディさん(以下、敬称省略)と13歳の息子さんが街中に買い物にいった際、にやにや笑いかけながら、ニーハオ、ニーハオとしつこく話しかけるホームレスの人のエピソードがあります。詳細はここでは割愛しますが、ブレイディは「ずいぶん失礼な態度」で、「いくらホームレスであろうとも失礼なものは失礼」と思い、「完全無視をきめて前を通り過ぎた」(121頁)あと、息子とこのことについて話し合うというものです。

この箇所を読んだ時、ブレイディの言動に、いささか驚きました。不愉快な気持ちを抱くのはわかるにせよ、ずいぶん失礼だ、と決めつけるのは早急すぎるように思われたためです。著作全体をとおして一貫してイギリスの現在を思慮深く洞察するブレイディらしくないようにも思えました。

著作で、ブレイディがホームレスの態度が親しみのもてない失礼な感じだと断言すると、「でも、決めつけないでいろんな考え方をしてみることが大事なんだって。シティズンシップ・エデュケーションの先生が言ってた。それがエンパシーへの第一歩なんだって」(124頁)と息子さんも言っていますので、わたしも、なにが失礼かを決めつけないで、失礼とはなにか、改めていくつかアングルを変えながら、少し考えてみます。

まず、なにを、ずいぶん失礼だと感じたのでしょうか。著作ではたびたび、中国人とまちがえられたことを気にする場面があり、やはりニーハオと声をかけられた時に腰に手をあてて、「私は日本人です」と言って、日本語でまくしたてたこともあったことを、息子さんの回想というかたちで明らかにしています(124頁)。

しかし、ここではとりあえずここでは、(中国人とよばれたという)「そこは重要なポイントではない」(122頁)と言っていますし、ほかの東洋人に対し、同じ「界隈で暮らしている東洋人」としての「帰属意識」があるともいいます(220ページ)。つまり、国籍を間違えられたことでなく、アジア人とわかってにやにやしつこく話しかけるという行動が問題となっているようです。

マルチカルチュラルな社会で失礼か否かを判断する土台

しかし、「にやにや」と「しつこく」話しかけることを、失礼と考えはじめると、にこにことにやにやの境も難しいですし、人によって何回までがしつこくないかも議論の割れそうなところなため、どこら辺からが失礼で、どこからが失礼でないのが、という線引きの位置が、たちまちよくわからなくなります。

もともと、コミュニケーションのはじには、2人の異なる価値判断をもった人がいますが、どちらに価値判断にあわせて、失礼かそうでないかが決まるのでしょう。通常は、先方が失礼と感じる価値判断を尊重し、失礼のリミットをこさないように、発話側が、対処するという、理解だと思います。

しかし、コミュニケーションの受け入れ相手側の価値判断とはどれほど確かなものなのでしょうか。価値判断がそれほどぶれなくても、失礼さの許容範囲は、状況によって、かなり上下しないでしょうか。

例えば、にやにやしてしつこく話しかける人が、人気のない暗がりにいたらどうでしょう。身を守るため穏便にすませることが最大優先事項となり、失礼かどうかははあまり重視されず、結果として失礼に対する許容範囲は大きくなるでしょう。

招かれたパーティー会場で、ニーハオや、コンニチハとしつこくにやにや挨拶する人がいたらどうでしょう。招かれた客としては、通常、パーティーのマナーコードを最大限に尊重し、通常よりも許容範囲を大きくするでしょう。

自分自身のその時の気分も、許容キャパシティの大小大きな影響を与えるでしょう。気分に余裕がある場合、不快な顔をつくらず対応できます。非常に余裕があれば、少し長めに丁寧に対応することもできるかもしれません。一方、時間も余裕も特にない時は、無反応でそのままスルーことが多いかもしれません。気分が落ち込んでいる時やいらいらしている時は、ささいなことでも衝撃を受けたり、不愉快なきもちになりやすいかもしれません。

つまり、「ニーハオ、ニーハオ」を繰り返すホームーレス(コミュニケーションの発信者)を、コミュニケーションの受け側がどう判断するかは、決して自明ではないと思われます。そうだとすると、相手を大変失礼だと、判断するというのは、いかなることでしょう。一方的に、失礼だぞ、と片付けてしまうのは、一段上から自分の主観的な感情で一刀両断しているようで、それもまた、相手の意向を一切無視した、リスペクトがない失礼な態度ではないでしょうか。

もちろん、実際のコミュニケーションは理屈ではなく、ものごとには程度と限度があり、著者の言わんとする常識的な礼儀と失礼な範囲もばくぜんとわかっているつもりですが、それでもなお、「ずいぶん失礼な態度」という判断は、マルチカルチュラルな社会では、かなりあやしい土台にのっており、そこでの判断もゆらゆら不安定でぶれるような気がします。

また、失礼な人には、目には目を、のロジックで失礼な態度をとることは、それほど当然なのでしょうか。そうやって非難したり弾劾することが、かえって、お互いに抑制のない「失礼な」態度をエスカレートさせることになるのではないでしょうか。そうであるとすれば、「失礼な」人に、自分もまた「失礼な」態度をとらないことこそ、負の連鎖を止める肝心な要所であり、「良識ある」(あるいは自分がそうでありたいと望む)人が、もっとも重視すべき点ではないのでしょうか。

「善意」もまた悪意となる危険

そんな疑問がわいてきたので、このエピソードを読み終えたところで、自分のこどもに訊いてみました。このお母さんの態度をどう思う?ニーハオって言われただけで、失礼だと怒る必要があると思う?

すると、こどもは、「にやにやしながら話しかけたって書いてあったじゃない。これは絶対、善意からじゃなかったってことだから、腹たつのも仕方ないよ。」

そこでわたしも食い下がって、続けます。でも、話しかけた人も、そういうことをする理由があったのかもしれないよ。例えば、これまでに東洋人からすごくいやな思いをさせられたことがあったのかもしれないし、その日とっても落ち込むようなことがあったかもしれないし。

すると、こどもは、わたしに強烈な拒絶反応を示しました。「やめてよ。その、自分はこういうことを言えるほど、いい人なんですよーって、いう態度。鳥肌がたちそう。」

その反応をみて、そういう解釈もありか、と意表を突かれました。確かに、いい方に解釈しようのも、ひとつの解釈にすぎず、しかも一方的で盲目的で、時には威圧的ですらあります。あったことをなかったように無視したり、本来の主旨をまげて解釈したり。あたかも、汚れた狭い道を、自分の肩をよごさないようにそつなくすりぬけようとするような、わたしの口先の説明に、こどもはティーンエイジャーらしい直感で、偽善や欺瞞に近い感覚を抱いたのでしょう。

少年Aは、人種主義者か

ところで、マルチカルチュラル社会(とそこでの人々の接し方)について考える時、わたしには、たびたび思い出されることがあります。

冷戦終結し東西ドイツが統一してまもない旧東ドイツに留学した時のことです。都市中心部から少し離れた古文書館からの帰り道、歩道で小学校1年生くらいの男の子がやはり小さな犬を連れて反対側から歩いてきました。距離が接近してくると、その子はじっとわたしの顔をみつめたまま、急に、(奇妙な発音を強調した)自分で作ったでたらめに言葉をならべたて、数秒間、わたしに向かってしゃべりました。

その子は真剣に(怒っているかのようにすらみえる面持ちで)それを発話したのですが、普通に通りすぎようと思っていた直前の予期せぬ出来事であったため、どう対応すべきかという冷静な思考が一切停止してしまい、全くなんの反応もせぬまま、その場を立ち去りました。

このことを思い出し、今回のことに重ねあわせて考えてみました。なぜその子がそうしたのか、いろんな解釈が可能でしょうが、ここでわたしが絶対に避けたい解釈があります。人種差別だ、という陥りがちな解釈です。

薄氷の上を歩むワクワク感とリスク

それは、その子のいた当時の環境やその子の年齢を考えると明らかに間違っていると思うからです。当時の旧東ドイツには外国人が非常に少なく、ベトナムからの移民は若干いましたが、アジア系の人に会う機会が、すこし都心から離れた場所では決して多くありませんでした。まして、犬と散歩する小さなこどもの行動範囲は非常にまだ小さかったでしょうから、アジア人の顔の人と面と向かって、一対一で対面する(通りすがりですが)ということ自体、少年にとって初めてだったかもしれません。

ある日、いつもの散歩道にふとアジア人がおり、自分のほうに歩いてきます。こんなことめったにありません。さて、どうしましょう。あ、と思い出します。アジア(あるいは勝手に中国と思い込んでいたかもしれませんが)では、自分の言葉とずいぶん違う言葉をしゃべっている。なんか、こんな感じの音のするやつ(男の子には「こんな感じ」がどんな発音なのか、その言語がわからないなりに、しっかり頭に想定されています)。もしかしたら似たような音を発したら、あっちには、通じちゃうのかもしれない。ゆっくり考える時間はない。もうすぐ、すれ違ってしまう。よし、勇気をだして通じるかやってみよう。

そんなノリで、とっさにその子は、ひらめきを実行にうつしたのかもしれません。もちろん、そうじゃないかもしれません。今となっては検証しようがありません。しかし、もしそんなノリで、そんな気持ちでわたしに試していた可能性は、当時の東ドイツの状況やこどもの年齢を考えると、かなり高いのではないかと思います。

少なくとそう思えるわたしには、とてもじゃないですが、それを人種差別的だと弾劾する気にはなれませんし、よって、自分も人種差別的な扱いを受けたと不愉快な気持ちにもなれません。

同時に、こどもでなくても、めちゃくちゃな言葉を発するのでなくても、これに類似するようなことは、ままあるのではないかと思います。とっさにひらめいた言動が、一般にいわれる人種差別的発言のグレーゾーンや危険ゾーンに入ってしまうような事態です。

そもそも、マルチカルチュラルな社会というもの自体が、安心して歩ける陸というより、人々の価値観や互いへの期待感が多様で一致していないため、薄く氷のはった湖上のようなものだと思ったようがいいかもしれません。(ドイツ語には危険なことをためすことを、「薄い氷の上を動く(歩きまわる)」と表現することがあります。)そこを歩きまわると、硬く丈夫な地面を歩くのとは違う、スリリングな醍醐味があったり、そこから陸とは全く違う景色が堪能できますが、予期せず、時に足もとの氷が割れて、冷たい水中に足が入ってしまうような危険もまた高くなるという感じです。

長年イギリスに住むブレイディも、別の箇所で、人を傷つけるつもりがなかったのにふっと出た言葉で、マルチカルチュラルな社会にたくさん転がっている地雷を「久しぶりに思い切り」「踏んでしま」い、(144頁)「この国には様々な人々が住み、様々な文化や考え方を持ち、様々な怒りの表出法をすると長年学んできたはずでも、やっぱり踏んでしまう」(144−5頁)と、それを避けることの難しさを認めています。

人種差別的な発言やその背後にある人への人種差別的な先入観を擁護するわけでは全くありませんが、危険ゾーンに足を思わず踏み入れた人がいたら、それを「人種主義者」のレッテルを貼って非難するだけでは、互いになんの益も生み出さないでしょう。以後立ち入りにくくなるようにどうすればいいかを考え、やりとりを重ねていくことが、唯一、有効で建設的な方向性につながるのではないかと思います。

忘れられない二つの理由

ところで、わたしが、東ドイツの数秒間の経験の一コマを、20年以上たった今も、記憶しているのは、多分二つの理由があるのだと思います。

ひとつは、その時、もしかしたらすごく勇気をだしてわたしに話かけたつもりだったのかもしれないのに、わたしは、なんとも不自然に、完全無視してしまったこと。こどもに対する態度として大人げなかったと、子をもつ親になった今の心境としては、とても情けない気持ちになります(もしこれを万が一彼が今日本語で読んでいるのなら(まずありえませんが)、あの時は無視してごめん!とお伝えしたいところです)。以後、アジア的な挨拶やなにかを試みてくる人がいると、とりあえずその(その人にとってはめずらしい機会である可能性がるので、そのことに重きをおき)なるべく、いい一期一会になるよう、自分なりに考えます。

もう一つは、自分自身の小さいころにまさに同じような経験があったためです。日本で育ったわたしは、外国人とのつきあいは皆無でしたが、小学校低学年の時に、デシリットルとリットルという体積の単位を習った時に、筆記体のdl とl という文字を目にしました。それが、アルプス少女にでてくるハイジにあてたフランクフルトのクララの手紙の文体のようであり魅了されました。家に返って早速、dl とlばかり、ノート数ページにさらさら書いてみました(ほかに知っているアルファベットはなかったので)。そしてこれが、わたしにはなにが書いてあるのかわからないけど、欧米の人がみたら、意味のある内容を示しているのでは、と1人わくわくしました。

あの時のわたしの思い込みとわくわく感は、犬を散歩させていた少年の気持ちにものに相通ずる感じがします。違う文化や言葉へのむきだしの興味や好奇心、知らない言葉が通じることへのあこがれや勝手な思い込み。

そう思うと、少年とのことを思い出すたびに、なにも反応しなかった自分に歯がゆさが残りますが、それでも、少しほっとする感じもします。わたしが、少し失望させたとしても特に悪いイメージを少年に与えることもなかったと思うからです。

もしあの時、自分が気分を害したという理由で、失礼だと、こどもを一方的にいさめるような言動をしていたらどうなっていたでしょう。恣意的に人を不愉快にさせるつもりなどみじんもなかったとしたら、子供にとっては、そのように怒鳴るわたしの姿が、理不尽で悲しくいやな思い出として、心に蓄積されたかもしれません。もしかしたら初めて直接対面したアジア人との最悪の思い出として。いずれにせよ、お互いよく知らないのに、試してみたことを、見ず知らずの他人の大人が、真っ向から否定し、あたかも悪事のように烙印を押す権利はないでしょう。

造花のバラ事件(!)

また、私自身が、自分の解釈が、(決定的な根拠もないのに)ずいぶん、ぶれることも身をもって実感した経験があって、他人の態度が人種差別的態度かを判断することに、結構躊躇が強いのかもしれません。

それは、旧東ドイツの留学を終えて東京で暮らしていた時のことです。暗くなっても駅前の自転車置き場で自分の自転車をすぐにみつけられるようにするため、大きな原色のバラ(みるからに造花とわかるもの)を一輪、自転車のハンドルの上につけてつけてみたのですが、数日後、自宅前に駐輪させておいた間に、茎の部分を残して花だけがきれいに切られ、なくなっていました。

たしかに造花は異常に目立っていましたので、いたずら心をくすぐられる人がいても無理がないように思われました。そして、誰かが人目をしのんで大きなバラをこっそり切っている光景を浮かべると、腹が立つとか残念とかいう感情より、むしろ滑稽で、笑えてすらきました(安物の造花一輪の経済的被害も微々たるものでした)。

同時に、その時はっと思いました。もし、これが、少し前までいた旧東ドイツで起きていたら、自分がどう反応したかと。留学当時の旧東ドイツでは、ネオナチの活発な活動がメディアでよく報道されており街中でみかけることもあったので、常に、自分が一外国人としてどこかでネオナチや極右の被害にあうかもしれない、という恐怖感や危険への意識を、心のすみに(忘れたいと思っても忘れられず)常にもって過ごしていました。あの当時のわたしが、もし自転車にバラの花を一輪つけていて、それがある朝、同じように自宅前で切られているのがみつかったらどう思ったでしょう。わたしへの人種差別的ないやがらせだろうと、とっさに思い込んだだろうと思いました。

事件ではっきりしている事実関係は、唯一、ばらが切られ盗まれたということであり、犯行の動機や犯人を知る手がかりはほかになにもないのに、片方では、他愛ないいたずらとしか思えず、片方では、たぶん人種差別的な行動だろう、と自分の判断が非常にぶれていたであろうことに自分自身で、愕然としました。自分の判断は、決定的な事実関係ではなく、まわりの状況や自分の心理状態に、大きく影響されていたことになります。

人が、まわりの環境(入手する情報を含めて)から影響をうけて自分の心理状態を形成するのはまったく自然なことで、悪いとかいいとか言う話ではありませんが、気づかないうちに、自分の思い込みが際限なく広がり、客観的に考えて「常軌を逸する」ような判断にならないようには、気をつけなくてはならないと思います。

。。。!

と、ここまで書いて、こどもからの辛辣で鋭い意見が、ふとまた頭をよぎります。「とか言って、自分はいい人なんですよー、ってみんなに思ってもらいたいだけなんじゃないの?」もしかしたら、こんな風につらつらと書いてきたのも、善人ぶりたい気持ちにとりつかれているからなのでしょうか。

なにかボロがでてこないうちに、今回は、これで終えることにします。

次回は、無印良品のアートディレクターの原研哉さんの講演会と著作から、日本の文化のマルチカルチュラルな社会での意味について考えてみたいと思います。

参考文献 ※異文化間コミュニケーションに関するこれまでの主要な記事

コメディは社会のセラピー 〜ドイツの人気コメディアンと「#MeTwo」ムーブメント

ドイツ発対話プロジェクト 〜フィルターバブルを脱ぎ捨てた先にみえるもの

「どこから来ましたか」という質問はだめ? 〜ヨーロッパから学ぶ異文化間コミュニケーション

「悩める人たちのためのホットライン」が映し出すドイツの現状 〜お互いを尊重する対話というアプローチ

難民と高齢者の需要と供給が結びついて生まれた「IT ガイド」、〜スウェーデンで評判のインテグレーション・プロジェクト

人は誰とでも対話できるのか 〜プロジェクト「ドイツは話す」からみえてくる希望と課題

ヨーロッパにおける難民のインテグレーション 〜ドイツ語圏を例に

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


出生率からみる世界(2) 〜白人マイノリティ擁護論と出生率を抑制する最強の手段

2019-12-27 [EntryURL]

前回(「出生率からみる世界(1) 〜ピサ・テストや難民危機と表裏一体の出生率」)に引き続き、出生率を切り口に2010年代の世界の旅を続けていきます。今回は、移民的背景をもつ人たち(本人あるいはその親がほかの国の出身である人をさします)の人口増加に対する近年の欧米での反応や、これまでの統計調査から明らかになった教育と出生率の関係という、出生率をめぐる最近の世界的な潮流について扱ってみたいと思います。最後に日本にもどり、出生率と社会の関係についてのドイツ人哲学者のコメントも紹介してみます。

移民と出生率の「不都合な」関係? 出生率に刺激されて世界各地で噴出してきた危惧

前回、ドイツで現在出生率が上昇していること、そして、その一つの理由として難民の人たちの子供達が多く生まれていることがあげられているのを紹介しました。これは、半世紀少子化に悩んできたドイツの将来にとって朗報であるといえますが、人は、長期的な見通しだけで行動、判断するとは限りません。移民的背景をもつ人たちの出生率が高くなり人口が増えることが、現地の人を刺激し、ネガティブな感情を誘因することがあります。

もちろん、それはドイツに限ったことではありません。まず、現在の西欧諸国の現状を概観してみましょう。ヨーロッパでは、移民の占める割合がすでにかなり高くなっていますが、今後の人口動態の予測をみると、21世紀の終わりまでに、ヨーロッパ系の住民の占める割合は半分以下になるとされます。アメリカでは、すでに今日ヨーロッパ系住民の割合が60%にまで減っており(1950年ごろにはヨーロッパ系の住民が90%をしめていたのに対し)、すでに現在、ヒスパニック系の住民が、ヨーロッパ系の住人よりも多くなっているカリフォルニアのようなところもあります。

このような状況下で、現在、国内の移民的背景をもつ人たちが増えていくことで自分たちが脅威にさられるのではという危惧が強まり、そのような考えに基づいて過激化する国内の移民たちへの排斥的な態度や暴力が、ヨーロッパで増えています(「悩める人たちのためのホットライン」が映し出すドイツの現状 〜お互いを尊重する対話というアプローチ」)。実際には移民的背景をもつ人が、西ヨーロッパに比べそれほど多くない東ヨーロッパでも、すでに移民たちへの脅威感やそれに伴う排斥感情が、強まっています(「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(1) 〜 「普通」を目指した国ぐにの理想と直面している現実」「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(2) 〜移民の受け入れ問題と鍵を握る「どこか」派」)。

これに対し、『ホワイトシフトWhiteshift』という著書を今年出版したイギリスの政治学者カウフマンEric Kaufmannは、不安をもつ西側の人々をただ非難するのでなく、正当に評価をし、適切に扱うことが重要だと訴えます。ただし評価するといっても、それを讃えるということではありません。それへの理解を示し、適切に処遇するという意味です。そして、それこそ、ポピュリズムの台頭を防ぐのに有効な手段なのだと指摘します(Müller, 2019)。

「白人」というメジャー・マイノリティのアイデンティティを擁護する

どういうことなのでしょうか。インタビューの記事からその主旨をまとめてみます(Müller, 2019)。

まず、これまで社会の多数派の地位にあったヨーロッパ系住民が、移民が自国に増えてきて、自分たちが追いやられてしまうように恐怖を感じているということを事実として認めます。そして、そのような不安は、単なる経済的な要因(自分の仕事がうばわれるというような 筆者註)によるのでなく、もっと心理的なものであるとします。そして、人口動態が急変することに不安や恐怖感を覚えることだけで、ただちに人種差別的と烙印するのはおかしいとします。カウフマンは、むしろ、これからは、ひとつの人種的なグループとして白人の住人の権利を擁護し、その上で多様性を保つのが賢明だとし、一方で、白人に「メジャーな少数民族のひとつ」としてほかの少数グループに認められているようなアイデンティティ政策をとることを認め、他方、既存の宗教や政党支持のように、社会に適応する穏健な形に定着するようにすることを具体的に提案します。そして、そのように環境を整備し、仕向けていくことが、これからの国家の重要な任務と考えます。

カウフマンは急激な移民の流入にも反対します。移民の流入による人口動態の変化の速度を少し遅くさせ、白人たちが新しい住民たちに適応するのにもっと時間をかけられるようにすべきだという考えです。ただし移民を入れないというのではありません。先進国は全般に人口が減少するから、社会が今後も今と同じように機能していくためには移民をいれていかなくてはいけないのは明らかだというスタンスで、移民全般に懐疑的な見解とは、はっきり一線を画します。

左翼はこれまで、誇りにもつべきは憲法や人権だと、知的・抽象的にうたいあげ、不安から発して外国人や難民にネガティブな発言をすることを抑圧しようとしてきましたが、そのような姿勢が、逆に、(左翼的な)政治エリートへの反感や不信感を大衆につのらせることになったし、これからもポピュリズムの温床となる可能性があるとします。むしろ、民族的なアイデンティティは、原則としてすでに有害であるという見方を捨て、安心して文化的民族的なアイデンティティを誰でもたもてるよう移民に適切な権利を保証することが、ポピュリズムを抑制すると考えます。

ところで(カウフマンの主張と直接関係ありませんが)ここでひとつ補足しておきたいことがあります。カウフマンは「白人」と一貫して表記しますが、大陸ヨーロッパのヨーロッパ人について語る場合、個人的には、不適切のように思います。地続きでいろいろな文化圏につながっている大陸ヨーロッパにあっては、白人とされる人の定義が、イギリスやアメリカ以上に定義しずらいこともありますが、そもそも大陸ヨーロッパでは、「白人」という言葉自体を、アメリカやイギリスに比べると、ずっと使うことが少ないためです。これは大陸ヨーロッパと、アメリカやイギリスの地理的環境、辿ってきた歴史、また現在の事情が異なることに依拠しているのだと思われますが、少なくとも大陸ヨーロッパにおいて「白人」を語る時は、より一般的に使われる「ヨーロッパ(系の)住人」という表記のほうが、適切なように思われました。カウフマンの主張について語る際には、オリジナルの表記を重視し、「白人」という表記を用いましたが、このような理由で、「白人」と表記していても、わたしのなかでは「ヨーロッパ系住人」というくくりかたを想定しています。

カウフマンの提案は実現可能か

確かに、難民危機のころからのヨーロッパの歩みをふりかえってみると、ヨーロッパ系住民が、難民・移民が増えることに不安をもつことを、事実として中立に認めること自体が、簡単ではない状況にありました。右翼側は、不安を自分たちの排斥や暴力行為にあおるための道具ともっぱら利用し、左翼は、それを事実として受け止めること自体がタブー視されていたためです。ただし、ここ数年で、このような態度がいきすぎていたのでは、という反省の声や揺り戻しの解釈、客観的に検証する研究がだんだんでてくるようになり(例えばStrenger, 2019とDebattencheck)、少なくともドイツ語圏では、少しずつ偏りのない状況に修正されてきているように思います。

カウフマンは、そのようなヨーロッパの状況を単に批判・検証するだけでなく、状況を脱するための建設的な提案もしたことで、そのような潮流において、さらに一歩先ゆく存在であるといえるでしょう。「地雷がうまった場所に足を踏み込んだ最初の研究者の1人」(Müller, 2019)と評されるゆえんです。

このようなカウフマンの主張は、著作の出版からもまなく、西欧諸国では、斬新なものと受け取られ、ドイツ語圏でも一時期、話題となりました。しかし、実際に、このような主張がどれだけ、社会に受け入れられ、実践されるかは、全く未知数です。主張自体は理にかなったようにみえても、実践するのは、かなり微妙で難しいことも予想されます。

まず、このような主張が、極右の思想に結局からめとられて、その主張を擁護・助長・正当化する道具になりさがっては本末転倒ですが、そのような危険もうちにはらんでいます。

また、ヨーロッパ系の住民たち(カウフマンのいう「白人」)の「文化」と、どの文化圏出身者であるかに関係なく共通する基本的な思想とされる部分の、線引きは、言うほど簡単なことではありません。たとえば、クリスマスの歌を歌うことを、ヨーロッパ系の人たちの文化の一部ととらえるならば、今日のように公立学校でみんなで歌う正当な理由はなくなり、全員が歌わなくてもいい、という解釈が成り立つかもしれません(現在スイスの公立小学校では、クリスマスソングが全員で歌唱されています「クリスマスソングとモミの木のないクリスマス? 〜クリスマスをめぐるヨーロッパ人の最近の複雑な心理」)。

ヨーロッパ文化や慣習の特異性を保護する、という態度が鮮明にされることで、ほかにも別の力学も加わるかもしれません。例えば、ヨーロッパのこれこれの慣習を保護しているのだから、わたしたちのそれこれの慣習を実践することも認められるべきだ、という主張が、今以上に強まることもあるかもしれません(例えば、公立プールで女性イスラム教徒のどのような水着の形態を認めるかが、しばしばヨーロッパでは議論となりますが、新しくヨーロッパ系住民のマイノリティ文化を認めることになれば、議論に新しい力学が働くかもしれません。「ヨーロッパの水着最新事情とそれをめぐる議論」)

このように、カウフマンの提案をいざ実践しようとすれば、バランスのよい舵取りが不可欠ですが、なにが適当かについては常に意見が割れて、かなり難しくなることが予想されます。ただし、硬直した状態が続いている現状(移民に対し危惧し、移民を拒絶・排斥する勢力が強まって、社会に対立的な緊張関係が生まれている状況)が、社会全体にのぞましくないことも確かです。ヨーロッパのタブーにあえて踏み込んで論じた『ホワイトシフト』の挑発的な提言を皮切りに、まずは活発にこれらのことについて議論し、膠着状態を脱するべく建設的な努力をはじめていくことが期待されます。

教育と出生率

最後に、豊かな西側諸国だけでなく、世界全体に目を向けてみましょう。国連の今年のレポートによると、2019年世界の人口は77億人で、2030年には85億、2050年には97億になると予想されています。東ヨーロッパのように今後数十年で人口が急減すると予想されている地域もある一方、急増すると予測されている地域もあるためです(人口が急減する東ヨーロッパについては「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(1) 〜 「普通」を目指した国ぐにの理想と直面している現実」「「移動の自由」のジレンマ 〜EUで波紋を広げる新たな移民問題」)。

2019年から2050年の間に人口が倍増すると予想されている国は47カ国あり、とりわけ人口急増の代表格となっているのはサブサハラアフリカとよばれるサハラ砂漠より南のアフリカの地域です。そこでの現在の平均出生率は、4.6です。

これらの地域では、人口の急増が、その地域の持続的な発展や社会的な安定の大きな支障となっています(United Nations, p.1-2)。望まない出産やそれに伴い母子の健康の危険が大きくなることは、それ自体大きな問題ですが、無事に育っていっても子供が多過ぎれば十分な教育を受けることができず、将来の就労の見通しはよくありません。すでにアフリカでは、現在、数百万人の教師が不足しているといわれ、出産が今後も増えることで悪循環のスパイラルに陥ると危惧されます。

ところで興味深いデータがあります。統計調査の結果、学校教育を受けないと出生率が高くなるという相関関係があり、特に女子が数年間長く教育受けることで、出生率が明白に下がることがわかっています。つまり、「教育は、最強の避妊装置の役割を果たす」ということになります(Preuss, 2019)。

しかし、教師が不足していると、就学年数を増やすことは不可能です。一方、教師を増やすには、将来教師となるようなこどもの教育機会を増やさなくてはいけません。つまり、出生率を下げるために強力な手段とわかっているにもかかわらず、就学状況の改善という具体的な出口につながっていない状態です。

おわりに

出生率を切り口に世界を周ってきましたが、最後に日本に立ち寄りましょう。日本もほかの東アジアの国々の例外でなく、出生率が長らく低迷しており、高齢化が世界でももっとも急速に進行している地域です。国内で不足する労働力を海外から獲得することを期待し、今年の4月からは、移民の受け入れへと政策も大きく転換させました。

今後、日本では低い出生率とどのように向きあっていくべきなのでしょうか。ドイツの新鋭の哲学者ガブリエルMarkus Gabrielは、讀賣新聞のインタビューで、日本のこのような状況について以下のように述べています。

「人口減少はゆゆしい問題ですが、日本は移民受け入れに及び腰です。言葉や美意識、社会制度など、つまり文化が分厚い壁になっている。20年後を見据えて、日本語に習熟できるような若い外国人を100万人単位で受け入れて、訓練することを想像してみてはどうでしょうか。文化的DNAを継承するために、生物的 DNAの継承にはこだわらないという発想です。」(鶴原、2019年)

現在、いくつかの国では低すぎ、移民への依存を高めながら、高齢化が進行しています。ほかのいくつかの国では出生率が高すぎ、十分な教育環境をこどもに用意できず、持続可能な社会実現への道筋もみいだせていません。つまり、国によって中身こそ異なりますが、なんらかの出生率に関する問題を抱えているということは、多くの国に共通しています。また、自国のなかだけで、出生率をコントロールするのが難しい、ということも、世界的に共通します。このため、国連の報告書では、それら「すべての国は、すべての人にとって利益となるように、安全で秩序のある系統だった移住・移民の対策を講じるべきだ」(United Nations, p.2)と提言しています。

自分たちの国だけで出生率の制御が不可能ならば、発想をかえ、ほかの国との関連、つまり移住・移民との関係のなかで、自国の人口動態やその政策を本格的に語る時期にきているということなのかもしれません。

参考文献

«Die afrikanische Migration nach Europa wird nicht aufhören», Tagegespräch, SRF, Donnerstag, 24. Oktober 2019, 13:00 Uhr

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穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


出生率からみる世界(1) 〜PISA調査や難民危機と表裏一体の出生率

2019-12-17 [EntryURL]

2010年代も終わりに近づいてきました。2010年代最後をかざる今回と次回の記事では、ひとつの切り口から、世界の各地をめぐり、現在の世界の状況について俯瞰してみたいと思います。切り口にするのは、出生率です(ここでは、生涯に一人の女性が生む子どもの数を指す合計特殊出生率を指します)。出生率を単なる人口の増減と因果関係にある数値としてとらえるのでなく、そこに現在の世界のどんな動向や問題が共通して反映されていのかを、アジアやヨーロッパ、アフリカを横断しながらみていきたいと思います。出生率をとおしてみる2010年代最後の世界旅行、よかったらお付き合いください。

※参考および引用文献については、次回の記事の最後に一括して掲載します。

東アジアで出生率に直結するもの

今年はじめ、韓国の出生率が1970年以来初めて1.0を割り込み、0.98になったというニュースが世界に流れました。韓国の出生率は2017年の時点ですでに1.05で、OECD加盟国の中で最低でしたが、さらにそれを下回った結果でした。

今年11月末に発表された統計では、7月から9月の3ヶ月の出生率はさらに低い0.88で、首都ソウルに限れば、出生率は0.69でした(Kim, 2019)。年間を通した出生率がどうなるかはまだわかりませんが、この様子だと、今年の出生率は、昨年の数値をさらに下回るかもしれません。

この非常に低い出生率は、冷戦直後の数年間の旧東ドイツの記録的な低い出生率0.8を彷彿とさせます。0.8という数字は、当時の東ドイツが深刻な危機的状態にあったことをつぶさに反映していたとされ、韓国の今の状況も、場所と時代は異なりますが、(少なくともこれまでの常識的な理解に照らし合わせて)「尋常ならざる」事態が起きているのか、と危惧されます(東ドイツの社会が当時どのような危機に見舞われていかについては「出生率0.8 〜東西統一後の四半世紀の間に東ドイツが体験してきたこと、そしてそれが示唆するもの」)。

しかしここではその原因がなんなのか、と韓国の事情に、探く立ち入るのではなく、視線を東アジア全体に移し、韓国の近隣の国の出生率とさらに比べてみます。2016年の出生率は(主なデータは世界銀行)、シンガポールが1.20、中国1.62(マカオは1.31、香港1.20)、台湾1.17と、どこの国も、韓国ほどではありませんが、世界的にも非常に低い数値となっています。

この数値と、最新のPISA調査(OECD加盟国の15歳児を対象にした学習到達度調査)の結果を合わせてみましょう。数学的リテラシーの調査結果は、1位が中国(北京・上海・江蘇・浙江)、2位がシンガポール、3位マカオ、4位香港、5位台湾、6位日本、7位韓国で、上記の出生率が低い東アジアの国々が、きれいにテスト上位国に並んでいます。

これはなにを意味しているのでしょう。単なる偶然でしょうか。因果関係がどのくらいあるかは、多様な角度からさらに検証が必要ですが、ここでは、素人のできる簡単な相関関係を想定してみます。東アジアのこれらの国々では、世界のほかの地域に比べ、子供の学力競争が熾烈であり、それがために子供の教育には(OECD加盟国の間でも)親の経済的な負担も大きい、ということが世界的にもよく知られています。もしもそのような学力競争と教育費の高額化の傾向が、少子化つまり出生率の低下に直結している(あるいは決定的に重要な要素となっている)としていたらどうでしょう。出生率の低下は、親の負担を減らすこと(例えば授業料の無償化)と子供の学習環境が変わること、両方がそろわないと、防ぎようがない、ということなのかもしれません。

東アジアと世界に共通する労働力問題

いずれにせよ、このように出生率が非常に低い東アジアの国ぐにでは、いくつかの(近い将来、あるいはすでに現在でてきている)不可避の共通の問題があります。それは、高齢化が急速に進行し、社会全体に広範に影響を与えることです。そうなると、国外からの労働人材にそれまで以上に頼らざるを得ない状況が想定されますが、その時には、ほかの近隣諸国も同様の状態にあります。さらに世界に視野を広げると、近隣諸国だけでなく、欧米諸国でも(ベビーブーマー世代が一斉に労働市場から引退していくため)すでに、労働人口が不足してきています。つまり、労働人材が不足する世界各国の国々が、労働人材をめぐり国際的に獲得合戦を繰り広げることが必至となりそうです。

もちろん、産業分野によっては、よくいわれるように、人工知能の導入や、完全オートメーション化する形で、かなり人の労働量は削減されていくでしょうが、ケアや教育など、対人が重視される職業や多岐にわたる作業が個人に集約されている職業分野では、人の労働を代行できるサービスや技術が市場を大幅に占める気配は、現在のところ、ほとんどありません。人工知能が労働を完全に代行する時代がくることがあっても、それまでの移行期は、むしろ、リモート・インテリジェンス(RI)Remote Intelligenceを駆使したバーチャル移民(実際にそこにはおらず、必要な仕事を、第三国で処理する人たち。デジタルノマド)がむしろ、労働市場を大きく占めるのではないかという見方もあります(「途上国からの「バーチャル移民」と「サービス」を輸出する先進国 〜リモート・インテリジェンスがもたらす新たな地平」)。

いずれにせよ、すでにケア業界では、労働人材の大きな国際市場ができており、争奪戦がはじまっています(「ドイツの介護現場のホープ 〜ベトナム人を対象としたドイツの介護人材採用モデル」「帰らないで、外国人スタッフたち 〜医療人材不足というグローバルでローカルな問題」)。低い出生率と労働市場の密接なつながりは、今後も、しばらくつづく見通しです。

先進国の状況

次に、先進国全体に視野を広げてみます。データサイエンティストの松本が(松本、2019年)、OECD24カ国の出生率と女性の労働力率(15歳~64歳)の平均を求め、その推移をみていくと、1985年以降、「女性の労働力率は一貫して上がり続ける一方で、1990年~98年は合計特殊出生率の平均値は下がり続け」ていました。そして「2000年を超えた02年~08年は」一度上昇しますが、また2010年以降、17年までは下がり続け」るという結果になりました。松本は、2010年代から出生率が下がった背景には、なにかこれまで知られていない新たな「変数」が作用しているからではないかと憶測しますが、それをうまく説明できる論文はまだどこにもみあたらず、説明ができないといいます。

一方、2010年~17年の間大半の国(18カ国)が、出生率が下がり続けているのに対し、出生率があがった国もわずかですがありました。オーストリアとドイツです。(ちなみに、ギリシャ、スイス、スペイン、デンマークが、なんとか横ばいの出生率を維持しています)。

半世紀ぶりに出生率が上昇するドイツ

ほかの国を横目に、最近出生率を上昇させているというドイツ。そこでは一体、なにがあったのでしょう。

ドイツでは、1970年を境に出生率が2.0を割り込み、1980年代以降はずっと、1.2から1.4の間を低迷していました。1995年には1.2と、OECD諸国での最低値を記録しています。それが、2015年に1.50に上昇し、2016年には1.59になりました。1970年代前半とおなじ程度の出生率になったといえます。

ドイツの主要な新聞『ディ・ツァイト』によると(Erdmann, 2018)、出生率があがっている理由は主に三つあるとします。

まず、最初の理由は、単にちょうど、母親となる適齢期の女性が多いことです。戦後のベビーブーマー世代のこどもたちがちょうど出産する時期にあるためです。

二つ目の理由は、移民が子供を多く産んだことです。2015年から16年の間のいわゆる難民危機と言われる時期に、シリア、アフガニスタン、イラクから大勢の人が難民としドイツにわたってきましたが(「ドイツとスイスの難民 〜支援ではなく労働対策の対象として」)、その人たちが、多くの子供を産みました。ドイツで2015、16年の2年間に生まれた79万2000人の子供の約4分の1にあたる18万4700人が、ドイツ出身でない母親たちから生まれ、その内の18500人がシリア出身の母親からでした。

これは、そのころ難民として来た人の多くが、ドイツの平均年齢に比べ若い人たちちょうど子供を産む適齢期にドイツにきたということでもあります。それらの人たち国では、こどもを多く産むことが一般的とみなされる社会であったことも、子供が多く生まれた間接的な理由と考えられます。ちなみに、トルコや旧ユーゴスラビアからの移民的背景をもつ人たちも、子沢山の傾向が最初みられましたが、二世代目以降になるとドイツの平均的な出生率と同程度になっています。

三つ目の理由として、環境や社会が子供を産みやすくしていることをあげています。ここ数十年で、男女同権が進み、こどもの保育施設や学校の制度など、出産や子育てをとりまく環境がドイツではかなり改善されてきました。

ほかにも直接出生率をあげている理由ではありませんが、出産にまつわるドイツの最近の特徴がふたつあげられています。ひとつは、女性の出産年齢の高齢化です。2010年の初産の平均は28.9歳でしたが、2016年は29.1歳になりました。特に40歳以上の人の出産が現在顕著に増えています。今後も、出産の高齢化の傾向は続くと見込まれています。

また、出産する人が産む人数を増やす傾向も新たな特徴です。ドイツでこどもを生まない女性の割合は、今でもかなり高い割合で、特に減っていません。一方、出産する女性は多産化しているようで、3人、4人目を生む人が2015年にくらべ、2016年は1%増えています。

総じて、国の人口減少を食い止めるのに必要とされる2.1にはほど遠い数ですし、今後もしばらく続くベビーブームが到来したと言えるかは、今後数十年の動向をみないと判断できないにせよ、1970年代に匹敵する最近のドイツの出生率は、とりあえずドイツの将来にとって明るいニュースといえます。

次回は世界を一巡し、日本へ

次回は、移民的背景をもつ人たちの人口についての捉えられ方や、これまでの統計調査から明らかになった女子教育と出生率の関係という、最新のテーマから、世界に共通する出生率と社会の関係について考えみたいと思います。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
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クリスマスソングとモミの木のないクリスマス? 〜クリスマスをめぐるヨーロッパ人の最近の複雑な心理

2019-12-12 [EntryURL]

お祝い気分にひたりきれない最近の事情

ヨーロッパの年間行事で最も大切なものは何か、とヨーロッパ人に尋ねれば、誰もがクリスマス、と答えるでしょう。今年も今の季節は、華やかな飾りやイルミネーションが街に輝き、一見、例年となにも変わりません。しかし、そのような華やかさとはうらはらに、水面下では、これまでの恒例行事が色々な角度から再考を迫られ、クリスマスに対する見方が、少しずつ変わってきているように思われます。このまま少しずつ見方や姿勢がずれてゆき、数十年後にふりかえると、2010年代のクリスマスの祝い方・過ごし方とはかなり変わったなあ、ということになっているかもしれません。

今回は、このような、表層的なヨーロッパのクリスマスの光景をみているだけではなかなかみえてこない部分、ヨーロッパ人の心理面で近年起きてきていると思われる地殻変動について、ドイツ語圏を例に、(客観的というより、個人的な印象に依拠しながら)素描してみたいと思います。

クリスマスソングが歌えない

11月末、スイスのある小学校で、恒例のクリスマスの歌唱曲のリストから3曲を削除した、というニュースが、スイスの国中に流れました。

スイスや多くのヨーロッパの国では、クリスマス前の四週間、アドベント(待降節)と呼ばれる時期からクリスマスにかけて、様々なキリスト教にまつわる催しや飾りつけが行われますが、その一環として、公立小学校ではたいていどこでも、クリスマスソングの歌唱をします。と、ここまでは、よくある普通の話で、国のニュースになりようがないのですが、これまで歌われていたクリスマスソングの一部を、スイスの一つの小学校で歌わないことを決めた、というニュースが先日、メジャーなメディアや全国の公共放送で一斉に報道されました。

ある学校の歌う曲の選曲という一見ささいにみえる話が、なぜ国のニュースとして報道されたのか。この(小学校の歌の選曲と国のニュースという)アンバランスにみえる組み合わせ自体が、この話の、一筋縄ではいかない複雑な問題性を物語っているといえるかもしれません。

なにが問題なのでしょう。まず最初の問題として、曲を削除せざるをえない事態になったことです。削除の対象となったのは、いずれもイエスの誕生について歌った曲(«Go tell it on the mountain», «Fröhliche Weihnacht überall» «S’gröschte Gschänk»)で、昨年この歌を生徒たちが歌ったことに、催しの間とその後、学校側に、(口頭やメール、電話で)多くの苦情が出され、一部の内容は非常に侮辱的なものもあったといいます。このため、今年は、新しく赴任した校長の判断で、トラブルを未然に防ぐ目的で、前回物議を醸した曲が歌のリストから外されました。

苦情を述べた人たちが主にどんな人であったのかについては報道では明確にされていませんが、一部のイスラム教徒や無神論者の親であったという理解が一般的です。イスラム教と無神論者のなかには、子どもが通う学校がキリスト教色を帯びるのを強く忌避する人たちがいるとされます。

一方、削除したことで、新たな問題が発生します。削除するという行為を非常に不快に思う人たちがでてきて、それを公にしたのです。キリスト教の伝統を重んじる主要な二つの政党も、ただちにこのような学校の反応に疑問を示し、ある政党(CVP)は学校でのクリスマス行事の扱いについて明確な方針を示すよう、政府に公開質問状を出しました。もう一つの政党(SVP) は、学校がキリスト教文化の遺産を大事にし、クリスマスを祝うことを法律に明記すべきだと主張しました。ひとつの小学校の選曲リストが、(スイスの伝統を全般に重んじる)保守勢力によって、国家レベルの問題にまで格上げされたことになります。

ほかにも、報道されたオンラインの記事につけられたコメントの多さから、様々な立場の人がこのことに関心をもち、国のなかでかなり意見が異なっていることがうかがいしれます。

ちなみに、公立学校で、スイスの慣習をどう遂行すべきかというテーマが、国家レベルの問題として政治家にも問われたのは、今回がはじめてではありません。最近の例でいうと2016年、公立中学で生徒が、先生と握手をしなかったことがあり、このことが国内で大きく報道されました。握手をしなかった理由が宗教的(イスラム教)なものであったため、宗教の自由とスイス社会の義務の問題と位置付けられて注目されたためでした。結局、法務大臣自ら「握手の拒絶は受け入れられない」と明確な非難のコメントを出し、学校のある州も、授業終了後の教師との握手によるあいさつは就学生徒の義務とし、それを拒絶すれば最高5000スイスフランの罰金を科すとしました(「たかがあいさつ、されどあいさつ 〜スイスのあいさつ習慣からみえる社会、人間関係、そして時代」)。この件は、このような明確な態度が政治家や州によって示されたことで、議論が収拾されていきました。

政治学者Laura Lotsは、クリスマスの選曲の一件について、驚くには全く当たらない。スイスだけでなくドイツやほかのヨーロッパ諸国でも同様な問題が、クリスマスが近づくこのころはいつもでてくる、と言います(Die Empörung, 2019)。

今後も、クリスマスというヨーロッパのキリスト教色が濃厚になる時節には、なにかと議論の火種が多いということであり、類似する騒動や国中を巻き込む議論がたびたび起こることがまぬがれないということのようです。そして、そのような対立を避けようとする人たちは、今回の選曲のように、予防措置的なふるまいをとる傾向が強まるということなのでしょう(同時にそのような動きに反発する動きもまた、今回のように活発になるのかもしれませんが)。

環境からみたクリスマス行事の再点検

また、近年、環境の観点からも、クリスマスという伝統的な行事について、冷めた見方や、一部厳しい批判的な姿勢が広がっています。特に今年は、具体的な環境改善をもとめる活発な動きが、若者を中心に、これまでにないほど社会で広範にみられました(「ドイツの若者は今世界をどのように見、どんな行動をしているのか 〜ユーチューブのビデオとその波紋から考える」「食事を持ち帰りにしてもゴミはゼロ 〜スイス全国で始まったテイクアウェイ容器の返却・再利用システム」)。この影響で、環境アクティビストだけでなく、一般の人にとっても、クリスマスという行事への困惑や憂いが強くなっているようにみえます。

いくつか具体的な例からみてみます。

プレゼントと称して大量に購入・消費する習慣への疑問

クリスマスはプレゼントがつきものであり、年間の商品購入はクリスマス前の時期に集中します。例えばドイツでは、年間の小売業の年間売り上げの15%が、11月と12月の2ヶ月に集中し、玩具と本にいたっては年間売り上げの4分の1(EHI)、ボードゲームに限れば、3分の1がこの時期に購入されます。「デジタルゲームの背後で起こっているテーブルゲーム・ルネサンス」)

その一方で、クリスマスがものを消費したり購入するだけの商業主義的な習慣になっており、本来のクリスマスを祝う姿とかけはなれている、という批判的な見方は、エリート層に限らず、社会に広くみられます。そうとはいえ、それでも多くの人は、クリスマスを恒例どおりにプレゼントを家族や友人、同僚の間で渡し合っています。家族や周りと連動している伝統行事であるがゆえ、勝手に自分だけでやめるのも難しいためでしょう。内心はしかし、不本意であったりして、複雑なのではないかと察します。

包装

プレゼントの中身だけでなく、きれいな包装も問題の範疇に入ってきました。通常ヨーロッパでは日本に比べ包装は全般に少ないのですが、クリスマスのプレゼントは、クリスマスのムードを演出する一部であり、金銀にきらめく通常より高級な包装紙で包むのが好まれます。しかし、それを破り捨てて、ゴミ箱に直行させるというのが、これまでの一般的な包装の消費の仕方であり、この時期、包装紙のゴミはほかの時期に比べ1割増えると言われます(Jeitziner, S.56.)。一方、ヨーロッパは、日常的には買い物でエコバックをもって一枚でもプラスチックの袋やごみを減らそうとする生活習慣がかなり根付いたお国柄です。開けた途端に、古紙となって廃棄することを一定の時期だけ是認することは、自分の普段の信条に矛盾しているようにみえます。とはいえ、プレゼントは人にあげるものなのであるので、自分の意向だけではなく相手の気持ちに沿って包装を配慮する必要があるため、簡単に自分の意志で習慣を断ち切ることは難しいのが現実です。

クリスマスツリー

クリスマスツリーとなるモミの木も、クリスマスを環境的に「罪深い」行事として映し出す、象徴的な存在です。というのも、ヨーロッパでは、1.5から2メートルほどもある堂々としたモミの木をリビングルーム中央部に飾るのが、伝統的な「古きよき」クリスマス風景となっているためです。

モミの木をプラスチックにすれば毎年使えて環境にいい、という意見は毎年のようにメディアで聞かれるものの、やはり1年最大の伝統行事でのヨーロッパ人の本物へのこだわりは強く、プラスチック製はあまり普及していません。とはいえ、(竹などとは大きく異なり)寒い地方でゆっくり成長するモミの木を、数週間のために購入して破棄することに、罪悪感は強まる一方のようで、有機栽培で育てたものを購入するとか、使用後リサイクルできないか、などのテーマもまた毎年のようにメディアで議論されています。しかし、今のところ画期的な解決方法もみあたっておらず、数週間のクリスマスシーズンが終わったあと、ゴミとして廃棄されるのが一般的です。今年も自ら美しくかざったクリスマスツリーを自宅で眺めながら、クリスマスらしい、と素直に喜ぶだけではおさまらない複雑な気持ちを抱く人は多いことでしょう。

イルミネーションライト

今年ドイツで2000人以上を対象にしたアンケート調査の結果、ドイツの家庭では、今年のクリスマスシーズン、全部で170億個のランプがクリスマスのイルミネーションとして点灯されると概算されました。この数は、前年より5億個も多い数です。ただし、今年は、昨年より多くの人(72%)が、LEDランプを使用するため、前年よりも電力も費用も少なくなるといいます。

ちなみに、今年の家庭のイルミネーションは、利用時間をトータルで180時間と計算すると、5億1000万キロワットの電力を消費することとなり(昨年は6億キロワット)、この電力は、17万世帯が1年間で消費する電力に相当します。電力コストは1億5300万ユーロです(ED-Technik, 2019)。

きれいな照明と省エネ志向。クリスマスが終わるまで、どちらを優先するか、今夜も悩む人たちが少なからずいるのではないかと想像されます。

特別なことを追求するクリスマスの在り方の限界

ほかにもヨーロッパのクリスマスといえば、豪華な肉料理や、冬のヨーロッパでは通常手に入らない南方からのエキゾチックなフルーツを食べるといった習慣があります。

これらのクリスマスにまつわる習慣をみると、なにか特別のことをすることが、クリスマスらしい、という考えであることがわかります(一年で最大のお祭りなのですから、当たり前といえば当たり前のことかもしれませんが)。

特別なこととは、ひとつには、貧しい人・困っている人への寄付や奉仕活動のようなキリスト教的隣人愛のコンセプトに沿ったものもあります(例えば、年間の寄付の3分の1は、年末の2ヶ月に集中しています。「共感にゆれる社会 〜感情に訴える宣伝とその功罪」)。そしてもうひとつの特別なことが、前述のような、きらびやかに室内をかざったり、高価な食べ物やプレゼントを購入・消費するというものです(ちなみに、プレゼントの習慣は、今となっては想像しにくいですが、もともとは感謝や隣人愛といったキリスト教の理念からきています)。

これらの習慣は、長い時間をかけて、ヨーロッパに根付いたものです。ヨーロッパが貧しい時代には、特別のことをする意味がお祝いのムードと直結し感慨深く、祝い気分をもりあげる重要な項目であっても、なんの問題もありませんでした。しかし、毎日が昔のお祝いに匹敵するほど、ものにあふれるようになった今日の西側ヨーロッパでは、もはや、そのような「豪華な」特別なものを揃える祝いの仕方は、高揚感が至福感をもたらすものではなくなってしまいました。

豊かになったが故、祝いの高揚感に欠けてしまうという、自分のなかのジレンマ自体、解決し難い問題ですが、そこに環境という違う側面からの力学(肉や遠くから運んできたエキゾチックな果物を食するのは環境破壊に加担しているという、罪意識に働く力学)や、多文化共生社会というヨーロッパの(リベラル・左翼が中心になって)掲げる理想像がプレッシャーとしてかかり、自分たちがこれまでこの上なく愛おしんでいたはずのクリスマスという伝統の在り方を前に、戸惑や失望感や喪失感が強くなってしまっているようにみえます。

商業的なクリスマスは最高潮

とはいえ、商業・観光側面からみると、ヨーロッパの「クリスマス」は絶好調で、年々そのブランド力を発揮し、市場を拡大させています。

それを象徴する存在に、クリスマス市(クリスマスマーケット)があります。かつて、クリスマス市は、いくつかの伝統のある都市や大都市でしか開催されていませんでしたが、近年は、小さな都市や村でも、クリスマス市やそれに似た風貌の露店が立ち並び、クリスマス前の1ヶ月間、通常のお店と並行して、日夜開業しています。

それに負けるなといわんばかりに、通常の店やスーパーでも大々的なクリスマスの飾りが、年々早くからとりつけるようになっており、今年は、ハロウィンが終わるか終わらないかのうちにクリスマスの装飾をはじめる店が多く目につきました。

クリスマス市の伝統がとりわけ強いドイツではクリスマス市を10月中旬から、開催する都市もでてきましたし(バイロイトでは、10月17日、ドイツで今年最初のクリスマス市がはじまりました)、長い伝統をもつ格別の演出効果を武器に、クリスマスという商法が、空間的にも期間的にも際限なく膨張している感じです。

クリスマス市は、もはや、この時期のヨーロッパの観光業界にとって、なくてはならない観光アトラクションです。暗くて寒い夜気、古い街並み、そこにきらめくクリスマス市(クリスマス・マーケット)という三位一体で体現されるヨーロッパの「クリスマス」は、南半球やアジアでは踏襲しえない現地だけにある特別のオーラや価値をもっているだけに、世界からクリスマス市観光のために大勢の人が訪れます。

おわりに

このようなわけで、観光客が大勢訪れ、表面的にはクリスマスのお祭り気分が最高潮に達しつつあるようにみえますが、ヨーロッパ人の内面をのぞくと、そのお祝い気分にすんなりひたれるほど単純ではもはやなく、むしろ、憂いをつのらせながら、クリスマスに今年も近づいているようにみえます。

これからも、それでもヨーロッパの人たちが、クリスマスを祝いたいと思うならどのような道があるのでしょう。少なくとも、頭に描く夢のようなクリスマスの像と、現実の間がすでに、乖離しているのは確かなので、頭のほうが現実のほうか、あるいは両方を修正・更新する時期が近づいているということなのでしょうか。

参考文献

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Schule verbannt drei Lieder von Adventsfeier. «Rücksicht gegenüber anderen Kulturen», 20min.ch, 26. November 2019 04:44; Akt: 28.11.2019 09:55 Print

Schule in Wil will keinen Ärger wegen Weihnachtsliedern, Wil: Kritik an Schule wegen verbotener Weihnachtslieder,SRF,News, Aus Schweiz aktuell vom 26.11.2019.

Weihnachtslieder-Zensur: CVP stellt Fragen zum Vorgehen der Schule Will, Wil24, 27.11.2019.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
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会話が生まれる魔法のベンチ 〜イギリスの刑事が考案した「おしゃべりベンチ」

2019-12-01 [EntryURL]

「誰かが立ち止まって、こんにちは、と声をかけてもよければ、ここに座ってください。」

この写真は、イギリスの公園のベンチの背もたれにとりつけられているプラカードです。今回は、このプラカードがもたらしてくれた(わたしが勝手に選んだ今年一番の)明るいニュースを紹介し、ここに映し出されていると思われる三つのテーマについても少し掘り下げてみてみたいと思います。

「おしゃべりベンチ」のはじまり

上のようなプラカードをつけたベンチがお目見えしたのは、今年6月、イングランド南西部の公園でした。それを発案したのは、20年以上エイボン・サマーセット警察に刑事として務めるジョーンズさんAschley Jonesです(以下敬称省略)。

刑事であるジョーンズが、こんなベンチを考案したのは、詐欺師に25000ポンドを振込した未亡人にあったのがきっかけでした。その女性は、詐欺師ではないかと疑ってはいたものの、それでも振り込みを続けていたといいます。というのも、その詐欺師が毎日のように電話をくれたことが嬉しかったからだ、とジョーンズに説明しました。

孤独だったこの女性にとって、詐欺師との会話は、彼女が求めていた人との唯一の交流の機会をつくっていたという事実をジョーンズは重く受け止め、人同士が交流することをなんとか促進しなくてはいけないと思ったと言います。そして、彼が考案したのが、このような小さなプラカードをとり付けたベンチでした。

早速、6月はじめ、いくつかの公園のベンチに、小さなプラカードをとりつけてみました。その結果はどうだったでしょう。ベンチに座る人とそこを通りすがる人たちの間で、それまで声をかけあうことがなかった他人同士が、会話を交わすようになりました。なんの変哲もない公園のベンチが、知らぬ人どうしが話すきっかけをもたらすという、まさに「魔法のベンチ」になったのです。

この通常「おしゃべりベンチ Chat Bench」と呼ばれるプラカードをつけたベンチに、まもなく国内外のメディアの取材陣もおとずれるようになり、いつのまにか、ジョーンズ自身が驚くほど、短期間で反響が広がっていきました。現在、イギリス全土だけでなく、イギリス、オーストラリア、カナダ、ドイツなど世界中に同様のベンチが設置されているといいます。

「おしゃべりベンチ」が示唆する三つの重要なこと

みなさんは、観光地かどこかで自分の写真をとってもらうのに、通りがかりの見ず知らずの人に声をかけようとしたものの、ひるんでしまった、という経験はないでしょうか。わたしはたびたびあります。見しらぬ人に話しかけるのは、用事があるこのような場合でも(少なくともわたしにとっては)、らくなことではありません。ましてや、用事も特にないのに人に話しかけるのは、通常、大変な勇気やエネルギーを要するはずです。時間がないから、危ない人物かもしれないから、など、自分で話しかけるのを断念するための理由をみつけるのに一生懸命になることは簡単にできても、話しかける勇気やタイミングをつかむのは容易ではないでしょう。

それを考えると、このベンチの小さな仕掛けが、世界的にすんなり広がっているという事実に、とても感心します。その感心の中身を少し細かく整理しみると、以下、三つの特記すべき事項が含まれていると思います。

・簡単なしかけやきっかけが、時として、人が人に話しかけやすくする効用をもつ
・見知らぬ人どうしの関係性が、各地で類似している可能性
・世界的に現在、孤独に苦しんでいる人が多いという現実

以下、この三点について、それぞれもう少し踏み込んで考えてみます。

小さなしかけやきっかけがもつポテンシャルな効果

おしゃべりベンチの事例は、ささいなモノが、人々に常識のバリアを破る小さな勇気を与え、その人自身だけにでなく、まわりの人やそれをとりまく社会全体によい効果をもたらすことがある。それを立証する好例といえるでしょう。

このように、小さなしかけや、きっかけが、人を躊躇させたり、あるいは逆に行動に踏み切る背中を押すような、キーとなる働きをし、人を慣習的な判断や行動と違う方向に導くことがあります。

これを行動経済学ではナッジ(Nudge)と言います。「ナッジ」は、英語で「ヒジで軽く突っつく」ことを意味する言葉で、行動経済学では、人々を、(社会で好ましいとされる)ある方向や行動に誘導・向かわせることができるものやことを、このように命名しました。これは、ルールや、強制的な措置のような、人々の意識を喚起したり、拘束力をともなうものとは、全く対照的な目標を達成するためのアプローチです。最終的には人々の自発的な判断や行動にゆだねますが、その前に、望ましい結果に結びつきやすくなるようなナッジを、周到に吟味し、最適の場所やタイミングにそれを設定します。

このような考え方に沿って考えていくと、人々の行動規範でなにかを変えたい時、そこでナッジとなるもものはなにか、どこにあるか、それを見極め、さぐりあてることが肝心、ということになるでしょう。端的なイメージとしては、社会に埋没しているスイッチさがしのようなものかもしれません。うまく社会でなにかが機能していない時、なにかが悪いためとは必ずしもとらえず、社会にすでにあるいい機能が、十分に作動していないのかもしれない。そう考えて、まずは、その機能を作動させるスイッチをみつけて、スイッチをいれてみる。このアクションに関心や希望を集中させます。

もちろんナッジがすべての社会の問題に万能の解決策になる、というほど世の中単純なわけではないにせよ、ある困った現象に対して、悪いものはどこだ、それを削除しよう、改変しよう、というところを出発点にしたり、それに終始するのでなく、困った現象が生じにくくしたり、あるいは、好ましい現象が、困る現象よりも起きやすくする。そのように誘導することはできまいか、という発想は、息詰まりそうな思索に風穴をあけるものでしょう。それが、ささやかな労力で実行にふみきれることもおおきな魅力です。


路上のタバコのポイ捨てを減らすための工夫
(的をつくって、そこに捨ててもらいやすくしようという意図がうかがわれる。オランダ)

背後にある共通する人間関係のあり方

このような小さなしかけをもつベンチが、短期間で世界のメディアでも注目されるようになり、実際にいくつもの国で導入されるようになった。このことは、なにを意味するのでしょう。

まず、実際におしゃべりベンチを導入した国は、イギリス同様に、見知らぬ人にすぐに声をかけるような習慣がなかったと推測されます。

と同時に、このような小さなトリックが、実際に、それぞれの土地でも、うまく機能するのだとすれば(今回は、イギリス以外の国で、設置されたベンチが実際にどのように使われているのか調べていませんが)、見知らぬ人どうしの関係性が、イギリスと類似しているということの証左であるともいえます。

多様な国や文化を背景にもつ人の割合が高い都市であればあるほど、そこでの人々の行動規範が均質化され、かなり似通ってきて、その空間での他人との一般的な関係性もまた、共通する部分が多くなってきているのかもしれません。

世界に共通する社会現象としての「孤独」

今回のニュース自体は明るい希望がもてるものですが、その背景にある暗い部分を逆に照らし出したともいえます。それは、多くの人がかかえている孤独(感)の問題です。

先進国では近年、孤独を感じる人の数が増えており、それを個人の意向やライフスタイルを放置するのではなく、社会にとって好ましくない現象として問題視されることが多くなってきています。

イギリスでは、一週間の5〜6日は、誰とも会話をしないという人が500万人いるとされ、2018年1月からは社会的孤独者問題に対処するため、孤独問題担当国務大臣(通称Minister for Loneliness )というポストまで設置されました。

(都心部は例外ですが)基本的に、通りすがりの人にはあいさつをする習慣がいまだ残っているスイスでも(「たかがあいさつ、されどあいさつ 〜スイスのあいさつ習慣からみえる社会、人間関係、そして時代」)、今年発表された『健康報告書 バーゼル=ラント準州』によると、スイスでは「時々」、「かなり」、あるいは「とても」孤独に感じる人が三人に一人います。2002年には29.8%であったのが、2017年の最新の調査では、38.6%とほぼ1割増加しています(Obsan, 2019, S.43-44.)。

「孤独」はそれ自体でも辛いものですが、それが様々な問題に関連し、個人だけでなく社会全体においても悪循環をまねきかねないことも、最近指摘されています。例えば、医学界では、孤独な感情を恒常的に抱いていると、一方で、うつ病などの精神疾患だけでなく、ストレスがたまることで免疫機能が弱まり心筋梗塞や卒中発作など様々な病気の要因になっているという認識が広がりつつあります。

おわりに

孤独を感じる人が増えているのは深刻な問題ですが、その孤独を緩和するこのような簡単な方法が生まれてきたことは、まだまだいろいろできることはあるようだ、という希望を、孤独という社会問題を抱える国々に与えてくれます。

例えば、この記事をまとめている間に、また新たなニュースがとびこんできました。オランダでは今年スーパーマーメット・チェーンJumboでは、財団Alles Voor Mekaar(「すべて互いのため」の意)と協働し、「おしゃべりレジ」という話しをしながら買い物の清算をしたい人のための、レジを設置したところ好評となり、このようなレジを40支店に設置する予定だそうです(Supermarkt, 2019)。

人が人に話しかたり、交流するきっかけとなるスイッチは、まだまだほかにも、人々の生活のまわりのそこここに、埋まっていて、それが次々と、世界のいろいろなところで、これからみつけられるのかもしれません。そして今後、孤独が、世界の多くの地域で共通する問題であるとひとたび認識されれば、対策の速度や措置の種類は急速に改善されていくかもしれません。


オーストリアでみかけた小さな本箱つきのベンチ(本箱ができたことで、そこで休息する以外の目的でもベンチに人がたたずむと、新たな交流も生まれる?)


参考文献

Burnham-On-Sea ‘chat bench’ initiative attracts global attention. In: Burnham-On-Sea.com, August 29, 2019

Caderas, Ursin, Parkbänke gegen Einsamkeit - Wie ein einfaches Schild ein Gespräch auslösen kann, SRF, News (2019年11月5日閲覧)

Mit Parkbänken gegen die Einsamkeit: In Grossbritannien funktioniert ein solches Projekt, Kultur Kompakt, Donnerstag, 26. September 2019, 11:29 Uhr

Supermarktkette führt «Plauderkasse» gegen Einsamkeit ein. In: Berliner Morgenpost, 21.11.2019, 15:54

Schweizerisches Gesundheitsobservatorium (Obsan) (hg.), Gesundheitsreport Kanton Basel-Landschaft.Standardisierte Auswertungen der Schweizerischen Gesundheitsbefragung 2017 und weiterer Datenbanken (Obsan Bericht 03/2019). Neuchâtel 2019, S.43-44.

Police unveil ‘chat bench’ on Burnham seafront to tackle isolation. In: Burnham-On-Sea.com, June 15, 2019

The chat bench initiative, SENIOR CITIZEN LIAISON TEAM (SCLT)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


工場地帯が活気ある街区へ 〜歴史建造物という都市資源を活用した再開発

2019-11-30 [EntryURL]

再開発に新しい道を示したとして都市計画界で評価を受けているヴィンタートゥーアのラーガープラッツの概要について、前回ご紹介しました(「「開発」しない再開発 〜都市デザインに新風を吹き込んだテンポラリーユースと年金基金」)。今回の記事では、まず、なぜ新しい再開発の在り方が、ここで可能となったのかを、鍵となる人たちにスポットをあてながら考えていきます。後半は、この事例に対する社会的な評価をみていきながら、これからの再開発におけるラーガープラッツの意義や展望について、考えてみます。


工場建屋をそのまま利用したリサイクルショップ店内

再開発の協働的パートナーとしてのアレアルの役割

この再開発の立役者の一人ブーザーは、アレアルとアーベントロートの「両方からの働きかけがうまくいったのであろう。アレアルからのアーベントロートの購入へのイニシアティブはとても重要だった。もし賃借人たちが、ただなにかが起こるのを待っていただけだったら、わたしたちも働きかけなかったし、アーベントロートも購入に向かわなかっただろう」(Stiftung 2015, S.46)とのちに回想しています。つまり、ブーザーは、このプロジェクトの成功には、購入を決断したアーベントロートだけでなく、賃借人協会アレアルの行動が非常に大きかったといっています。

都市計画賞「都市の眺め」の受賞理由では、「協働が賃借人と地主の間でプロフェッショナルに組織され、参画という「技法Kunst」に基づいて、うまく始動した」と評価されていました(Neuhaus, 2012, S.21)。

つまり、結論から先に言うと、実現が難しいと思える再開発がヴィンタートゥーアで実現できたのは、賃借人の協会アレアルとアーベントロートの協働がうまくいっていたからであり、賃借人自らの貢献もかなり大きかったということのようです。

地域協会アレアルの今日までのあゆみを改めてふりかえってみます。賃借人たちの再開発の希望構想を実現するために結成されたアレアルは、まず、自分たちの要求をのんでくれる最適の購入者をみつけるため、ヴィンタートゥーアに類似する再開発計画を手がけた実績をもつブーザーらに適切な購入者さがしを依頼します。

これに並行して、購買に関心をもつ投資家に自分たちの要望を伝え、ラーガープラッツを適切に評価してもらうための資料文書を、建造物の測定や、賃借料から土地の価値を概算するなど多くの労力を費やし、作成します。資料冒頭にはヴィンタートゥーア市長に前書きを寄せてもらうことにも成功し、資料としての一般的な信ぴょう性も高めることができました。

購買が成立すると、アーベントロートとアレアルの協働が本格的に始動します。未来会議や促進チームの話し合いに積極的に参加し、そこでの利用構想を下敷きに再開発事業が行われている間は、常に促進チームの協働パートナーとして、一貫して関わってきました(Stiftung 2015, S.46, 47, Neuhaus, S.17)。

現在もアレアルは、アーベントロートと賃借人の間、または賃借人どうしの間のコミュニケーションの仲介やコーディネイトの役割を担い、フリマのような共同のオープンスペースを使った文化活動や訪問希望者のガイドツアーを定期的に行っています。

ただし、地主アーベントロートと賃借人アレアルの関係は、常に良好であったわけでなく、一度、ひびが入りかけたこともありました。新しく地主となったアーベントロートと新たに賃借契約を結ぶことになった際、契約内容について双方の意向が異なったためです。アレアル側は、建築権つきの賃借契約を希望していました。建築権を伴う賃借契約では、賃借者は、借りている土地に自分で建造物を建てたり改装することが可能あるいは容易となり、事業運営の上で裁量がより自由になります。バーゼルの場合もそうであっため、アレアル側は、自分たちにもそれが妥当だと考えていました。しかし、アーベントロートはそれを拒否し、建築権なしの賃借契約が結ばれることになります。

これについて、当初自身も建設権を伴う賃貸を推奨していたブーザーは、あとでこうコメントをしています。「年金基金からみると、アレアルフェアインは、このような大規模のプロジェクトのパートナーとしては、信頼にいささか欠けていた。それに、環境汚染の危険のある廃棄物の問題があることがわかって、土地の建設権をわたさないというのは、むしろ(責任を丸投げにしない 筆者補足)立派な尊敬に値すべきことだと思う」(Neuhaut, S.17)。

アーベントロート側の担当者クロイスラーも、産業の公害物などを正しく扱うことが、自分たち、持続可能な社会をうたう基金としては重要であったこと、またアーベントロートにとっても、バーゼルの再開発の4倍という最大のプロジェクトであったため慎重にならざるをえなかったと、後で説明しています(Stiftung 2015, S.46)。

結局、この賃借契約を不服とするアレアル中心人物数人はラーガープラッツを去ることになりますが、大方の賃借人たちは、新しい地主がみつかり、無期限の賃借契約をようやく結ぶことができたことでおおむね満足しているといいます (Stiftung 2015, S.46)。

市長と市の動き

この再開発プロジェクトには、もう一人言及すべき、重要なプレイヤーがいました。

それは、当時の市長のヴォールヴェントErnst Wohlwendです。市長はもともとこの地域の歴史として工場建造物の保存に強い関心をもっており、いかにしてそれを実現できるかを、工場が閉鎖以降、模索していました。そのような市長のところに、ブーザーの元同僚でヴィンタートゥーアに拠点を移したシュミットLorenz Schmidから連絡があり、バーゼルのプロジェクトが紹介されます (Stiftung 2015, S.44)。これは、アレアルが土地購入者探しをはじめたころとほぼ平行する時期でした。

バーゼルの事例に強い興味をもった市長は、早速、ブーザーをヴィンタートゥーアに招き、暫定的な賃借が続いているヴィンタートゥーアでも、バーゼルに類似するプロジェクトが可能か、地域一帯の建造物を保存するのに市長としてなにをすべきか、など具体的に相談します。ブーザーは、大型開発をしないでも経済的に可能であること、またなるべく手をくわえない状態で残すことの重要性を力説し、そのために、できるだけ全体の延べ床面積を増やすような追加建設を認可しないことも、強く市長にすすめました(Stiftung 2015, S.44, 104)。

当時ズルツアーは、できるだけ高い地価で売却するため、工場建屋などの保存は最低限にし、土地に新築や増設する新たな形態計画(造形計画)Gestaltungsplan(この地域に新築するに義務付けられている地区計画)を作成しようとしていました(Stiftung 2015, S.44)。

スイスの形態計画(造形計画)とは、「個別の計画地に対して計画段階で土地利用、建築の規模、具体的な形態、配置等について、総合的な観点から計画内容を決定している」という特徴をもつ都市空間デザインの手法です(會澤、2018、359頁)。「行政が公共の利益に資するような都市空間デザインを行うことは容易なことではない」「個人の土地所有に対する意識が強いスイスにおいて」、「施主、行政、設計者が三位一体となって取り組」み、「施主を巻き込み、行政部局の横断的な連携を可能にするシステム」(同上373頁)として構築されたもので、「質の高い都市デザインを実践」(同上373頁)と評価されるものです。ちなみにこれはドイツでの地区計画に相当します(千葉大学、2008、7頁)。

市長は、ブーザーと話し合い、アーベントロートが一帯を一括購入することが理想と確信します。そして、市参事会(市の行政機関で、市長を含む7人で構成され、それぞれ専門の担当業務分野をもっている。市評議会とも訳される。)全員を連れてバーゼルを視察し、アーベントロートが地主となることが最良の策である全会一致で決定します。この決定に基づき土地購入希望者の購買希望価格が同じなら、アーベントロートを優先してほしいという、都市としての希望を(市からの一度だけの土地購入に関する介入措置として)ズルツアーとスイスポストに伝えます(Stiftung 2015, S.104-5.)。

また、さまざまな立場の代表者との妥協を図りつつ、ズルツアーが計画していた形態計画(造形計画)で地価が上がらないようできるだけ配慮しました。すでに生産部門がなくなってこの時点で20年がたっており、このような市の意向に強く反対する勢力もなくなっていたため、大きな摩擦もなく、無事にアーベントロートの購入が決まります(ebd., S.44, 104, 105).

再開発が決まったあとのインタビューによると、市長は、都市の今後の発展に市長として重い責任を感じ、そこに高層ビルが立ち並ぶ光景はいくらでも想像することはできたが(そうなることは容易に予想できたが)、それではこの地域が個性も活気もない場所になることが避けられないため、ラーガープラッツを街にとって歴史を知る場所として残すことが必要だ、と確信していたといいます (Stiftung 2015, S.103)。このような市長の信念は、「わたしたちは、歴史的に発展してきた「足跡」を保存することに重きを置く」(Stiftung 2015, S.44)というブーザーの意向や、アレアルの希望と、ぴったり一致するものでした。

まとめると、テンポラリーユースで地域が活性化したのち、よいタイミングで、アレアル、ブーザーら、アーベントロート、市長が同じ目標のもとに結束し、それぞれが自分の持ち場で的確に動いたことが、開発なき再開発という実を結んだということになったと言えそうです。

受賞と反響

ラーガープラッツの再開発は、その後、各方面から評価や注目を受けるようになります。

まず、前回冒頭で述べたとおり、2012年「都市の眺めStadtlandschau」賞(2位)を受賞しましたが、2014年には、誉れ高いスイスの建築部門の金賞「ハーゼ・イン・ゴールト」が、工場建屋Halle 181 の改築および増築プロジェクト(事務所などの複合施設として)に贈られました。更地にして新築するのでなく過去のものをうまく利用し、修復したことが高く評価されたためでした。

賞ではありませんが、アーベントロートは、2013年のスイスの主要な新聞『ゾンターグスツァイトゥング』による年金基金の評価では、最も高いサービスの質を提供しているという評価を受けました。バーゼルとヴィンタートゥーアで産業地帯の持続可能な再開発を擁護・促進し、環境や社会に貢献した実績が高く評価されたためと考えられます。

今日、ラーガープラッツはとりわけ、(工場操業時一般人が立ち入りできなかった)「閉ざされた市域」から逆に人々が各地からわざわざ訪れるような魅力的な新しい街区として生まれ変わった成功例として、産業地帯の再開発専門家の間で広く知られています。同じように、工場として長らくほかの街区から切り離されてきた工場地帯(スイス内に現在4、5箇所あり、ヨーロッパ全体では、相当数あるとされます)にとって、「模範的な事例」(Stiftung 2015, S.50.)とされます。

実際に、ラーガープラッツについて研究や調査をしたいという建築関連分野の国内外の研究者や学生の数も後を絶たず、要望が多いことから、アレアルと都市観光局はそれぞれ、ラーガープラッツのガイドツアーを定期的に開催しています(Stiftung 2015, S.48)。

経緯が異なるのに類似してくる、という意外な結末

ところで、アレアル会員とアーベントロートの担当者、そしてブーザーとホーネッガーの五人が、ラーガープラッツ再開発の経緯について回想する会談で、バーゼルのグンデエルディンガーフェルトの事例と比較し、彼らにとっても意外であったという点について言及しています(Stiftung 2015, S.43)。

ラーガープラッツとバーゼルの事例は、ほぼ同時期に、工場が閉鎖し賃借利用がはじまりましたが(ヴィンタートゥーアのほうが5年ほどはやい)、いくつかその後の再開発の手法で決定的に異なる点がありました。まず、バーゼルの場合は、ブーザーらが当初から再開発構想に大きく関わり、持続可能なまちづくりが掲げられて、変容をとげていきました。一方、ラーガープラッツでは、ズルツアー不動産には全体の構想など一切なく、賃借が場当たり的にテンポラリーユースという形でスタートしました。またバーゼルでは当初から、建築権を伴う特に期限のない賃借契約でしたが、ラーガープラッツでは建築権がつかないどころか、暫定的な賃借契約のみで、テンポラリーユースという形が20年続きました。

このような非常に異なる条件で、二つの事例は展開したわけですが、2010年ごろには、どちらも同じように活気を帯び、ほかの市街区からも大勢の人がレジャーなどにおとずれる重要な新しい街区となっていました。つまり、全く違う条件でスタートしたものが、最終的に、類似する発展につながったということになります。このような事態は、ブーザーらも想像しておらず、感慨深かったようです。

これについてホーネッガーは、「時代の精神があったということかもしれない。そしてそれが、我々が計画したことには実はそれほど強い関係なかったということなのかもしれない。このような大きい場所が自由に利用できるようになると、おのずと人は魅了され、そこになにかを求めた。そして、その人々には似たようなタイプの人たちがわりと多かった」ということなのでは、と推測しています(Stiftung 2015, S.43)。

産業建造物への愛着

ホーネッガーは「時代の精神」という表現で、可視化されにくい同時代に共通するなにかを捉えようとしましたが、1980年代まで現役だった戦後の経済発展を象徴する重工業や機械工業の産業建造物に対し高まってきた愛着や評価もまた、時代的な精神の賜物といえるでしょう。

一般に、時代がすすみ、工場が栄えた時代から離れていくほど、かつて当たり前のようにあったものも貴重なもの、珍しいものとなり、一部には「古色蒼然」の価値が高まります。つまり、歳月がすぎる間に、建造物自体は変わらないのに、評価する側の人々の状況や立ち位置が変わり、評価も変わっていきます。とりわけ、ラーガープラッツに隣接するズルツアー工業地帯の大きな一角では、現在、ほかの地主によりスクラップアンドビルドの再開発の最中であり、高密度の建築群が近年建ちならぶ予定です。このような(当たり前なほど長く存在していた工場一帯を占めていた建造物が失われていく)状況では、現存する旧態然のモノの価値は、高まりやすくなると考えられます。

その結果、ドイツ語の言い習わしで、「貧しさこそが、記念物の保存の最良の策」というものがありますが、この言葉がぴったりあてはまるような現象が、ラーガープラッツをめぐっても生じたのだと思われます。つまり、ヴィンタートゥーアは大規模な工場閉鎖で一気に活力を失いしばらく、大規模再開発にあえて挑もうとする投資家もあらわれず、一方で建造物はとり壊されずにすみました。他方で投資家不在の20年の歳月の間に「ラーガープラッツはたったひとつの、当時のおもかげを感じることができる魅力的な場所」(Stiftung 2015, S.48)という感覚が強まり、歴史建造物の保存が、大きな社会の対立や葛藤もないまま、成し遂げられるという結果に至ったといえます。

歴史的な建造物と住民の生活

最近ではさらに、建造物への評価が高じて、ヴィンタートゥーアを世界遺産に、と訴える政治家もでてきました。ただし、世界遺産登録されているスイスのレーティッシュ鉄道の審査にも関わり、世界遺産に詳しい産業史専門家のベルチHans-Peter Bärtschiは、世界遺産への登録には今は「おそすぎる」(Gurtner, 2015)といいます。ベルチは、ヴィンタートゥーアの一連の工場建造物は、質としては世界遺産に匹敵する内容をそなえているものの、すでにスイスは多くの世界遺産登録があるため、ユネスコのスイスの新たな登録についての関心は低く、ヴィンタートゥーアが登録されるチャンスは少ないとします。

しかし、たとえ世界遺産になる可能性が高かったとしても、世界遺産になることが、果たして、本当にヴィンタートゥーアの住民にとって最良の策であるかは別問題かもしれません。もちろん、自分の街に世界遺産があれば、人々のほこりになるでしょうし、今より観光業が盛んになり、うるおう産業分野が増えることも確かでしょう。他方、一旦「オーバーツーリズム」化すると、一自治体ではもはやコントロールできず、住民の地域生活に深刻な負のインパクトが生じている状況が、最近ヨーロッパのあちこちでみられます(「観光ビジネスと住民の生活 〜アムステルダムではじまった「バランスのとれた都市」」への挑戦)。

歴史建造物に即して具体的にみると、例えば、都市の歴史遺産が集まる名所が常に渋滞や人の混雑し、同時に、店舗は観光客向けのものが増え、住民の生活必要品や需要が高いサービスを提供する店や飲食店が減り、教会のような静粛さがのぞまれる場所でもそれが不可能となります。つまり、実質上、歴史遺産が集中する都市の名所を、住民たちは、観光客に明け渡すことになります。

それを考えると、世界遺産級の歴史的な建物に、レジャーや文化・商業の複合的な機能が吹き込まれ、住民の憩いや活動の拠点として利用されている、オーバーツーリズムとは無縁な、ラーガープラッツの今の状況は、住民にとって、なににも代えがたい高い生活の質を提供しているようにも思えます。


工場が操業していた頃の守衛室で、現在はカフェ。
工場の様々な部品を再利用した店内は独特の趣を放っている

おわりに

ラーガープラッツをめぐる経緯に含まれていた、多くの都市と共通するテーマや具体的なヒントと思われるものを、ざっとまとめてみます。

・複数ある再開発のアプローチ。膨大な初期投資をかける更地・刷新型再開発と、事業や活動の存続・支援する形の再開発
・地域開発をすすめ、またそれを維持・推進するのは誰か。立場の違う人たちが都市開発の目的で協働する時の役割分担
・再開発に関わる投資家としての姿勢
・地域開発で持続可能性をどう実現・追求するか。経済効果と文化・社会・環境面への配慮のバランス
・古い建造物をどう活かして、街の活性化につなげるか
・旧産業地帯を、魅力ある街区としての、市域への統合

しかし、ラーガープラッツのようなことは実際にはなかなか難しいよ、思われた方もおられるかもしれません。でも考え方を変えれば、これから開発なき再開発をゴールにしようとする地域は、その際ラーガープラッツの事例が参考にできるという意味で、当時のラーガープラッツの関係者たちよりも、ゴールにより近い地点からスタートできる、ということかもしれません。これから、各地でどれだけ、どのような開発なき再開発が新たに展開していくのか、期待を胸に、観察を続けていきたいと思います。

参考文献

Abendrot schätzt Industriebrachen (2019年11月25日閲覧)

Anlagebeispiel: Gundeldinger Feld, BaselEhemalige Maschinenfabrik Sulzer Burckhardt AG(2019年11月25日閲覧)

Gundeldinger Feld (バーゼルのグンデルディンガー・フェルトのホームページ)(2019年11月25日閲覧)

Gurtner, Christian /Graf, Michael, Politiker will Winterthur ins Weltkulturerbe aufnehmen lassen. In: Landbote, 25.09.2015

Honegger, Urs, Das sind ‹Die Besten 2014›. In: Hochparterre, 02.12.2014

Lagerplatz (ラーガープラッツのホームページ) (2019年11月25日閲覧)

Lagerplatz – vom Industriearealzum lebendigen Quartier (Kaufdokumentation) (購入関係書類)(2019年11月25日閲覧)

Neuhaus, Gabriela, Win-Win in Winterthur. Als der Lagerplatz auf dem Sulzerareal zum Verkauf stand, brachten die Zwischennutzer selbst eine Investorin ins Spiel. Ein Glücksfall. In: Hochparterre : Zeitschrift für Architektur und Design, Band (Jahr): 25 (2012), S.16-21.

Schmid, Michael D., Die glorreichen sieben noch-nicht-UNESCO-Stätten in der Schweiz, etü, Juli 10, 2018.

Stadtlandschau entschieden, Immoinfo24.ch: Das Immobilien-Informations-Portal der Schweiz(2019年11月25日閲覧)

Stiftung Abendrot, Nutzungskonzept Lagerplatz Winterthur, Winterthur 2010.(ラーガープラッツ利用構想)

Stiftung Abendrot / Projektsteuerung Lagerplatz (hg.), Lagerplatz Winterthur. Ein Industriequartier im Wandel, Basel 2015.

會澤拓磨他「スイス・チューリッヒ市における Gestaltungsplan を用いた都市空間デザイン手法の特徴」『日本建築学会計画系論文集』第83巻 第744号,365-374, 2018年2月

千葉大学大学院園芸学研究科、環境モデル都市の構築を目指して。スイスの事例から(シンポジウム資料)2008年8月20日

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


「開発」しない再開発 〜都市デザインに新風を吹き込んだテンポラリーユースと年金基金

2019-11-25 [EntryURL]

再開発の手法を問い直す新しいアプローチ

スイスのある旧工場地帯で展開した一風変わった再開発プロジェクトが、2012年に、「都市の眺めStadtlandschau」という都市計画賞を受賞しました(2位)。

「産業(工場)地帯は、いつもこんな風に終わらなくてはならないのか?」という文章からはじまる審査員のコメントでは、このプロジェクトの受賞の意義を、以下のように説明しています。

工場地帯から「産業が撤退すると、クリエイティブな人々が入居してくる。そしてテンポラリーユース(暫時的な利用)で、栄えていく。すると投資家がそこを買収し、投資対象とし、クリエイティブな人たちは出て行く。そのあとは、ありきたりの利用の仕方として巨大サイズの新しいショッピングモールができるだけ。ほかにしようはないのか?ヴィンタートゥーアの古いズルツアー工業地帯の一部であるラーガープラッツLagerplatzでは、テンポラリーユーザーと投資家が、これとは違う道をさぐった。そしてテンポラリーなものから恒常的なものを生み出すという(別の道に 筆者註)到達した。」

そして、「テンポラリーユーザーたちが、賢く専門的な措置を用いる発案者や事業者による一般的な運命をまぬがれるのに成功し」、「活気のある賃借可能な都市域の誕生という、ヴィンタートゥーアに栄誉をもたらした」このような経緯は、「模倣の価値のある実験」だと評しています(Neuhaus, 2012, S.21)。

「都市の眺めStadtlandschau」という賞は、従来の手法によらない優れた都市開発のプロセスを評価する賞で、自治体の総合的な作用(効果)を評価するスイスの由緒ある都市計画賞ヴァッカー賞を補完する賞として、スイスで最も権威ある空間計画及び建築雑誌『ホッホパーテレ』が2012年から毎年授与しているものです(つまりヴィンタートゥーアのプロジェクトは初回の賞を受賞したことになります)。

この賞を受賞したことからもわかるとおり、受賞したヴィンタートゥーア市のラーガープラッツと呼ばれる地域の再開発は、優れた都市計画の構想に導かれて進行してきたものではありません。むしろその逆で、総合的な再開発計画を全く欠いた状態で、旧工場建造物がテンポラリーに賃借されていくうちに、地域が活性化されていき、新しい地主が建造物やそのテンポラリーユースを継承するという形を容認したことで、開発しない再開発が保証される、という経緯をたどりました。

今回と次回を使って、このような、従来の再開発路線と一線を画すヴィンタートゥーアの再開発経緯を、紹介してみます。これが遠い国のある地方の、特殊で、偶然的な環境に起きた事例であるのなら、ここで紹介する意味はあまりないでしょう。しかし、そこで起きたこと、実践されてきたこと、そこから生じてきて、現在にまでいたっていることなどをみると、ほかの世界中の都市にも共通するものを多く含んでおり、参考になる点が多いと考えます。読み進めていただくなかで、ほかの地域においても有用なヒントや手がかりを、ひとつでも多くみつけていただければさいわいです。

※参考文献は次回の記事「工場地帯が活気ある街区へ 〜歴史建造物という都市資源を活用した再開発」の最後に、一括して掲載します。

ラーガープラッツ

ヴィンタートゥーアのラーガープラッツと呼ばれる旧工業地帯は、本駅に隣接する形で広がった約46400 m2の地域で、都市の真ん中に位置しています。20世紀末までこの地域一帯を占めていた造船・機械工業の世界的企業ズルツアーSulzerの生産拠点の約4分の1に当たる部分であり、1895年から1950年にかけて建造・設置された巨大な工場建屋やクレーンなど歴史的産業建造物が立ち並んでいます。

ズルツアーは最盛期の1960年代には、ヴィンタートゥーアだけで13700人、世界中では34000人の従業員を抱えるほど生産が拡大しましたが、その後主力産業の衰退に伴い経営が悪化し、1988年には、この地域に座したすべての工場が閉鎖となりました。その後、ラーガープラッツの一部は、配送センターを計画するスイスポスト(スイスの国定郵便事業会社)に売却されましたが、スイスポストは結局違う都市に配送センター設置を決め、ズルツアーの残りの土地と同様にそのまままた放置されました。このため、この一帯は、街の中心部にありながら、当時、巨大なゴーストタウンのような様相を呈していました。

1990年代半ば、工場一帯の再開発計画「ヴィンティ・ノヴァ(「新しいヴィンタートゥーア」の意味)」が浮上しましたが、それもすぐに暗礁にのりあげ、その後しばらく再開発のめどもたたなかったため、ズルツアー不動産(ズルツアーの工場地域一帯を管理するために新たに設立されたズルツアーの不動産会社)とスイスポストは、ラーガープラッツの建造物の賃貸を、はじめることにしました。ただし、土地をいずれ売却する意向だった両社は、賃貸契約を(短い場合は半年間など)短期に設定し、そのかわりに相対的に安価な賃借料で賃貸しました。この結果、中小の多様多様な事業者が、入居するようになります。

結局その後20年間、当初のズルツアーらの目論見に反して、その後も土地売却が進まなかったため、このような安価の短期契約での賃貸が続きます。その結果、約100社の多様な事業者の様々な事業(飲食店、ライブハウス、簡易ホテル、クリエイティブな仕事やサービスなど)が展開されるようになり、地域一帯が活気づいていきました。

2006年アレアルフェアアイン設立

そんななか、2006年、ラーガープラッツに隣接するズルツアー地域の新たな建設計画が発表され、ラーガープラッツも購入者を探していることも明らかになりました。これを聞いた賃借人の間では、ラーガープラッツの建造物も壊され、自分たちも立ち退きを命ぜられるのではという懸念が強まり、約100の事業体や個人の賃借人からなる協会(団体)「アレアルフェアアインArealVerein」を結成します(ドイツ語で直訳すると「地域協会」を意味します。以下、この協会については略称し「アレアル」と表記します)。

アレアルは、明確な目標をもって組織された協会でした。その目標とは、この地域全体を一括して購入してくれる投資家をみつけること。しかも単に一括購入するだけでなく、現存する建物をできるだけ壊さずに、自分たちが入居しつづけることも認め、また自分たちと協働してこの地域の将来を形作る用意がある投資家を探そう、という野心的なものでした。

そして協会会員から集めた資金で、当時、バーゼルの再開発計画で成功をおさめていた(これについては後述します)建築事務所in situの建築家ブーザーBarbara BuserとホーネッガーEric Honeggerに、購入者を探すことを依頼します(Stiftung 2015, S.42.)。ちなみに、建築家ブーザーのこれまでの業績と持続可能性を追求する哲学については別の記事で詳しく扱っています(「中古の建設材料でつくる新築物件 〜ブリコラージュとしての建築」)。

土地一括購入候補者を探すのに並行して、アレアルは、ブーザーらの助言を受けながら、購入希望者のために自分たちの希望や関連データを盛り込んだ資料文書の作成にもとりかかりました。ズルツアー不動産からは関係書類を一切提供してもらえなかったため、地域一帯の測定や、賃借料から土地の価値を概算するなど(Stiftung 2015, S.42)自らデータを集め、文書を作成していきます(これらの作業は、協会の会員であった数人の建築家が中心になって行われましたNeuhaus, S.16)。

2009年正式購入

ブーザーが、ラーガープラッツの相談を受けて、当初から最も有力な投資家の候補と考えていたのは、「アーベントロートAbendrot(ドイツ語で「夕焼け」の意)」という持続可能性をうたう民間の年金基金でした(Stiftung 2015, S.42)。

アレアルや市長を中心とする市政側も、ブーザー同様に、アーベントロートが一括購入することが最良の策であるという意見に一致し、その実現に3者それぞれの立場から、実現に向けて働きかけました(このことについては次回の記事で詳述します)。

2008年に購入交渉がはじまり、2009年1月からは、アーベントロットが晴れてラーガープラッツの新たな地主になりました。購入価格は公表されていませんが、4000万から5000万スイスフランと推定されています(Neuhaus, S.16)。それまで入居していた賃借人はすべて、アーベントロートと、期限なしの新たな賃借契約を結ぶことができました。

未来会議と利用構想で、一帯の未来像が共有される

アーベントロートがラーガープラッツの新地主となった同年の9月初旬、二日間にわたり「未来会議」という会合がヴィンタートゥーアで開催されました。そこでは、この地域の将来の開発や使い方について、賃借団体や居住者、近隣の住人、市の役人、市の政治家、アーベントロートからのスタッフなど関連する120の事業者や代表が一同に介し、7つのグループ(テーマ)で話し合われました。ここでの内容は、11月、一般住民にも公表されます。

ここでの話し合われた内容に基づいて、「利用構想 ラーガープラッツ」がつくられます(Stiftung Abendrot 2010)。ここのなかでは、2020年に地域がどうあるべきかが具体的に提案されています。主要な内容は以下のようなものです。

・商業的な成功だけでなく、社会的、環境的にも均整のとれた開発(解体や新設するかわりに、ある建造物を利用し、ソフトで持続可能な開発)
・多様な利用の仕方をし、人々がまざりあい、街の新しい魅力や価値をつくりだす
・パブリックスペースを活用し、人々に開かれた活気ある場所にする
・現在、倉庫として貸し出されている部分は、中期的には住居、オフィス、アトリエに改装する
・古い建物をできるだけ保存するが、エネルギー効率は早急に改善する
・徒歩と自転車の道を整備し、車の立ち入りは大幅に減らす(中心に地下駐車場を設置する)

以後今日まで、この利用構想を土台として(一部は諸事情で変更)、再開発系計画が進められてきました。アーベントロートは2015年までに、8000万から9000万スイスフランを投資し、最終的に10年以上かけて、1億4000万スイスフランを投資する予定です (Stiftung 2015, S.50.)。

なぜこのような再開発が可能となったのか

ここまで、かけあしでラーガープラッツの再開発のあゆみをみてきましたが、これまでの再開発例に照らしあわせてみると、まだ腑に落ちない、あるいはよくわからないと思うことがあるのではないかと思います。少なくとも、わたしにとっては、二つのことが疑問でした。

ひとつは、アーベントロートはなぜラーガープラッツを購入するにいたったのか。年金基金として採算は十分あったのか。もう一つは、このような再開発は、賃借人や都市住民にとって「理想的」であっても、実現は難しかったであろうと想像に易いが、ここでは、どうやってそれが可能となったのか、です。

ふたつ目の疑問については、次回でくわしく触れていくことにし、ここから先は、ひとつ目の疑問について、解明していきたいと思います。

年金基金という都市デザインのプレイヤー

すでにあるものの存続・保持を尊重する地域再生プロジェクトがなしとげられたラーガープラッツの経緯を振り返り、立役者の一人ブーザーは「まさにウィンウィンの状況だった」(Neuhaus, S.16)と回想しています。ここでいうウィンウィンとは、アレアル(賃借者)と年金基金アーベントロット両者にとって理にかなう、メリットのあるものだったという意味です。

希望通りの地主を獲得できたことが、賃借人にとってウィンであることはわかりますが、アーベントロートにとってなぜ、スクラップアンドビルトで延べ床面積を広げ、地代を最大限に吸い上げる開発ではなく、それまでに入居していた賃借者に賃借しつづけるのが、「ウィン」なのでしょう。

年金基金アーベントロートは、1984年に設立された、企業年金Pensionskasse(一定額を超える年収がある被雇用者に対して加入が義務づけられている年金)を扱う民間の年金基金です。2015年現在、年金資金Alterskapitalは140億スイスフランで、1250企業の11000人の被保険者を対象としています。

アーベントロートは、設立当時から、持続可能な社会に貢献することを重視し、投資対象を、倫理的、環境への貢献、社会的な基準に基づき選んできました。また、不安定な株市場への投機よりも、不動産投資を優先するポリシーで、投資の大きな部分(目標は3分の1)を、スイスの住宅や商業建造物にあててきました。

このようなポリシーのアーベントロートにとって、単なる経済性でなく、資源を無駄にせず、さらに地域や地域住民が大きな恩恵を受けられる不動産プロジェクトと位置付けられるラーガープラッツは、「理想的な物件であり、幸運なケースだった」とアーベントロートのラーガープラッツ担当者クロイスラーKläuslerは回想しています (Stiftung 2015, S.51)。

ただし、アーベントロートは、被保険者の資金をあずかる年金基金であるため、投資先は必要な利回りが見込まれるものに限り、単にプロジェクトを助成するというようなことはしないという態度も明確にもっています(Abendrot schätzt)。

アーベントロートの考える、利回りの見込みとは次のようなものです。更地にして大型開発する場合、初期投資が大きく、それを回収するのに時間がかかるだけでなく、一定のリスクも生じます。一方、ラーガープラッツの場合は、すでに入居者がいて地域も活性化していたため、最初から入居者からの賃貸料を手にすることができます。もちろんソフト開発に一定の投資が必要になりますが、更地にしてからはじめる大型開発に比べれば、ずっと低額ですみリスクは低くおさえられます。つまり総合的に考えると、それまでのテンポラリーユースを恒常的な賃貸契約に変換し、維持・保存する形にしたほうが、利回りがよい、と判断しました(Neuhaut, S.16)。

チューリヒ応用科学大学の建築学部や図書館など、大規模で長期間の賃貸契約が見込まれる賃借人が、ラーガープラッツに入居したことも、大きなメリットでした。そこから安定的に賃借料が得られることで、収入が安定し、ほかの小規模の賃借人にも、高い家賃を要求せずにすみました(Stiftung 2015, S.47)。


工場建屋をリノベーションして設置されたチューリヒ応用科学大学の図書館


ちなみに、購入時点で、賃貸物件の約90%が、90以上の中小の事業者にすでに賃貸されていました。事業者の内訳は、企業(50%)、飲食・文化分野(20%)、生産部門(17%)、販売(11%)です。ラーガープラッツのホームページをみると、賃借人の90%以上が、今後もラーガープラッツに残り、今あるいは同じような形でのこりたいと考えているとのことです。

購入の鍵となったバーゼルの前例とその立役者

アーベントロートが、持続可能性をうたう年金基金で、ラーガープラッツが当初から採算の見合う投資だと計算されたのだとしても、ラーガープラッツは、これまでアーベントロートが購入した不動産でも最大規模です。しかも開発しない再開発という異例のプロジェクトであり、購入に躊躇は本当になかったのでしょうか。

アーベントロートもその点を考慮していないわけではもちろんありませんでした。それでも購入に背中を押したのは、二人の人物のおかげでした。建築家で購買の仲介役も務めたブーザーとホーネッガーです。

ブーザーらは、ラーガープラッツの購買数年前から、スイスの他の都市バーゼルBaselで、元工場地域一帯を、古い建築群をのこす手法で再開発するというプロジェクトをてがけていました。このプロジェクトが功を奏し、新たな都市の魅力的な地区となっていく経緯を、共同地主としてアーベントロートは自分の目で見届け、この手法と二人の手腕に強い信頼を置くようになりました。クロイスラーは、バーゼルの「経験のおかげで、わたしたちは、ラーガープラッツを買う勇気をもらった」(Stiftung 2015, S.44)としています。このため、ラーガープラッツの再開発にもこの二人が関与することが、再開発を成功させるための重要なファクターととらえていました。実際に、土地の買収直後から、クロイスラーは、ブーザー、ホーネッガーをいれた「促進(舵取り)チーム Steuerungsteam」を結成し、毎週バーゼルからヴィンタートゥーアに通いながら具体的な再開発事業をすすめていくことになります(Neuhaut, S.17)。

つまり、ブーザーが関わったというバーゼルの前例が、間接的にヴィンタートゥーアの再開発の鍵を握っていたということですので、そのバーゼルのグルンデルディンガーフェルトGundeldingerfeldという地域の再開発プロジェクトについても、若干、触れておきます。

バーゼルにも、ヴィンタートゥーア同様、ズルツアーの機械工場拠点(12000㎡)がありましたが、1999年にいよいよズルツアー・ブルクハルト(コンツェルンのズルツアーを解体してできた会社の一つ)が撤退することとなり、工場一帯の土地は、アーベントロートをはじめとするいくつかの年金基金と個人の投資家グループによって買い上げられました。

この工場地帯全体を対象に、ブーザーをふくむ五人の建築家らによって、新しい市の中心地に変容させるプロジェクトがすすめられました。12年間にわたる再開発プロジェクトの結果、現在は、7つの大型の建屋(ホール)と8建造物に70以上の賃借者が入居しており、200人以上が就業するだけでなく、レジャーや飲食、文化活動を目的に地区や都市全体から、多くの人がおとずれる地域の中心部のひとつに変容しました。

ちなみに、このプロジェクトでは、当初から、環境面での配慮も重視し、毎年屋上のソーラーパネルの設置など、20万スイスフラン以上を省エネ対策に当てられ、賃借人にもエネルギー消費をおさえることを義務付けていました。

次回のテーマ

次回は、このような開発なき再開発がどうして可能になったのかを、キーとなる人に焦点をあてながら考え、また、ラーガープラッツについてその評価や意義についてまとめてみたいと思います。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


越境BtoBビジネスで活用 ペイオニアのサービスのまとめ

2019-11-14 [EntryURL]

越境ECにおいて、決済サービスである、Payoneer (ペイオニア)は、WorldFirst (ワールドファースト)と並んで必須のサービスです。

先日、イスラエルのPayoneer担当者の方と打ち合わせさせていただき、新しいサービスを含め、既存のサービスの活用方法など詳しく説明していただきました。

わたしはやはり、PayoneerはBtoBのビジネスに大きく寄与するサービスだと思いました。
どんどんサービスが拡充されていますので、現時点(2019年11月)でのサービスをまとめました。

以下よりPayoneerに新規登録されますと、Payoneer外貨残高を日本の銀行口座へ引き出す際に0.8%の為替手数料のみで送金可能です(通常新規では2%)。Payoneerからの引出しは、国内振込でされますので、銀行が課す被仕向送金手数料も一切発生いたしません。
また、累計$1,000の代金受け取りをした場合には、Payoneerから$100が支払われます。

Payoneer (ペイオニア)について

• 2005年にイスラエル発のスタートアップとしてサービス提供開始。
• HQはニューヨーク(米国)、R&Dをイスラエルに置く。
• 現在のグローバルオフィス所在地:東京(2015年設立、中国(上海、広州、深セン)、香港、韓国、インド、フィリピン、オーストラリア、英国、スペイン、ジブラルタル、ロシア
• Alexaで上位2,000にランクイン、全世界で400万人のユーザー
• 国際商取引に特化したフィンテック企業
• 世界200ヵ国、150通貨に対応
• 資金移動業サービス(関東財務局長第 00045号)

国際金融インフラを網羅し、高水準のサービスを提供

• アカウントサービスにおける海外銀行発行の受取り専用口座は順次拡大。
USD、EUR、GBP、AUD、CAD、HKD、SGD、CNH、MXN、JPY (2019年11月現在)
• Payoneer アカウントから 日本国内銀行口座への引き出しは国内振込で対応。

ライセンス取得状況など

米国 マネーサービスビジネス(として登録済。金融犯罪防止強化ネットワーク FinCEN)におけるプリペイドアクセスプロバイダーでもあり、米国各州においてマネー送金業者としてライセンス取得済。
カナダ FINTRACカナダにおいてマネーサービスビジネス(MSB)として登録済。
欧州 e-money発行者としてライセンス取得済。欧州経済圏全体で、ジブラルタルのファイナンシャルサービス・コミッション登録の決済機関として認証済み。
インド インド中央銀行のオンライン決済ゲートウェイ業者として登録済み。
香港 香港税関局のマネーサービスプロバイダーとしてライセンス取得済み。
日本 ペイオニアジャパンは、関東財務局の資金移動業者として登録済み。

Payoneer (ペイオニア)が採用する為替レート

ロイター社の公式仲値をPayoneerは基準レートとして採用しています。

引き出し額の計算方法参考

例:2%の為替手数料で、10,000ドルをUSD残高から日本国内の指定先銀行口座へ日本円で引き出す場合。
1USD=108.661 JPYがロイターの仲値であると仮定。
10,000ドル×0.2=200ドルが為替手数料
9,800ドル×108.661=1,064,877.8円が国内振込されます。

事前の為替レート確約

Payoneer (ペイオニア)のマイアカウントから引き出しを指示する際、適用される為替レートが表示され、レートを事前に確約することができます。

• 資金移動業者として登録済み関東財務局長第 00045号。
   規制を遵守した健全なサービスの提供。
• 日本の資金移動業法に則り、日本ではお客様保護のための制度として、
   三井住友銀行と履行保証金信託契約を締結済み。
• 資金移動業者のライセンスがあるからこそ提供できるサービスが充実。
• 外貨で受け取った代金をPayoneerアカウントから国内銀行口座への引き出し時、
   国内振込な為、迅速で、且つ銀行が課す被仕向送金手数料なし。
• 日本語対応の電話によるカスタマーサポート対応時間が長い事に加え、
   オンラインのQ&Aも充実し、24時間週7日で問題解決が可能。
   日本語による電話カスタマーサポート 03 4578 1755
   月曜~木曜 午前10時から午後9時、金曜 午前10時から午後6時
• VIPアカウントには専属マネージャーが様々な要望に対応し、
   ビジネスの拡大を個別サポート。

Payoneer (ペイオニア)の特徴・機能

海外銀行発行の受け取り専用口座

【対応通貨】2019年11月現在
米国ドル:USD、欧州ユーロ:EUR、イギリスポンド:GBP、カナダドル:CAD、豪ドル:AUD、香港ドル:HKD、シンガポールドル:SGD、メキシコペソ:MXN、中国元:CNH、日本円:JPY(日本居住者には提供不可)

自動引出機能

自動引出し機能利用の利点
Payoneerアカウント開設時に登録した取引先銀行口座へ一度引き出しが正常にできた後、マイアカウントから自動引出し機能が設定できます。これにより、都度マイアカウントにログインし、引き出しを指示することなく、設定内容に従い、自動でシームレスな引き出しが実現されます。
残高ができ次第、毎回全額引き出しや任意の残高を常に保つなどの設定。

引出し先として指定できる国内銀行口座の数
国内の引き出し先銀行口座はデフォルトで3つまで登録可能です。弊社担当者までご連絡いただくことで9 つまで登録可能になります。また引き出し先銀行口座は、国内外に関わらず、御社が保持している銀行口座であることを証明いただければ海外銀行口座へも引き出し可能です。

Amazonストアマネージャー

Amazonストアマネージャーの特徴
各Amazonストアからの入金を個別に表示、管理できる機能です。
例えば、Amazon AE (UAEアラブ首長国連邦からの受け取りにPayoneerのUSD受取口座がご利用いただけます 実績 あり)。Amazon USからの受け取りもUSDですが、PayoneerのAmazonストアマネージャーを利用すれば、各Amazonストア別に入金を簡単に管理できます。一覧で入金記録もクリックひとつで出せるので、経理作業の 大きなサポートとなります。

複数の受け取り口座を用意可能
上記のように複数国のAmazonでUSD受取口座が必要となった際に、Amazonストアマネージャー内では常に「次」にご利用いただけるUSD受取口座が準備されています。
Payoneerなら、ひとつのアカウント内で無限に受取口座を発行できるので、御社のビジネスの拡大を常にサポートできます。USDの他 、EURとGBPも同様に対応。

リスクマネージメント
万が一、Amazonでストアがサスペンドになったような緊急時であっても、常に「次」の受取口座がアカウント内に用意されているので、タイムラグなしに新ストア開設の準備が可能です。

Wire USD イメントサービス

Wire USD ペイメントサービスの特徴
米国企業以外(米国内の国内銀行ネットワークであるACHにアクセスのない企業)であってもWire電子送金を可能とし、Payoneerアカウントに代金回収を一括にまとめることが可能です。

Amazon in (India:インド)について
Amazon in (India:インド)からの代金回収にはPayoneerが提供するWire USDペイメントサービスをご利用いただくことが可能です。インドにはPayoneerの法人があり、ローカルチームが現地で活動しています。Payoneerフォーラムの開催など、活発なコミュニティの形成、Amazonインドとの直接のやり取りなど、ビジネスを円滑に成功へ導く為にサポートしています。

国内銀行口座へ引き出し時
Wire USDペイメントサービスの利用で、Payoneerアカウント内の残高から国内銀行口座への引き出しは国内振込でされるので、銀行が課す被仕向送金手数料は発生しません。

メイク・ア・ペイメント

メイク・ア・ペイメントの特徴
メイク・ア・ペイメントは、Payoneerアカウント間の無料送金機能です。
御社が海外企業から代金の回収だけでなく、送金決済の必要がある場合、為替を介さずに外貨送金ができるので、外貨の最も効率的な利用方法になります。

残高以外の通貨で先方への送金をしたい場合(例:自社のアカウント残高はUSD、取引先はEUR決済)は、通貨管理機能でアカウント内で為替が可能です。為替手数料 0.5。

USDでメイク・ア・ペイメントをして、米国企業が米国内の国内銀行口座へUSDで引き出す際には送金手数料 として数ドルの手数料が発生するのみで、為替手数料は発生しません。

利用時の留意点
メイク・ア・ペイメント利用時は、先方にもPayoneerアカウントをお持ちいただく必要があります。
日本の資金移動業規制に則り、メイク・ア・ペイメントでの送金可能額は、一日当たり・各アカウント毎に100万円以内です。

代金の請求サービス機能

請求サービスは、インボイスの添付が可能。
決済のトラッキングや未払時のリマインダーが自動設定できます。

今後、日本市場で展開予定の機能

Payoneerの研究・開発は、世界のリーディング企業も軒をそろえるイスラエルにあります。
最先端技術で常に一歩先を見据えた、様々な機能の開発に尽力しています。Payoneerは、お客様の利便性向上、経費削減、手数料軽減など、お客様のためのサービスを充実して参ります。

メイク・ア・ペイメント機能拡大
• Payoneerアカウントから取引先の銀行口座へ直接送金ができるようになります。例えばVATの支払いなど、GBPやEURの外貨をそのまま納税に充てることが出来るため、為替を介さず、もっとも外貨の有効な利用方法が実現されます。

• Pay with Payoneer:物流会社や国内マーケットプレイスの決済がPayoneerアカウント残高でできるようになります。日本国内企業が円で請求し、Payoneerアカウント残高で相当する外貨が引き落としされます。

以下よりPayoneerに新規登録されますと、Payoneer外貨残高を日本の銀行口座へ引き出す際に0.8%の為替手数料のみで送金可能です(通常新規では2%)。Payoneerからの引出しは、国内振込でされますので、銀行が課す被仕向送金手数料も一切発生いたしません。
また、累計$1,000の代金受け取りをした場合には、Payoneerから$100が支払われます。


クラウドファンディングが切り開く未来 〜世界最高の成功率をほこるプラットフォームが示唆するもの

2019-11-11 [EntryURL]

先月、クラウドファンディングのヨーロッパ最大手のプラットフォームのひとつwemakeitのワークショップに参加しました。ワークショップでは、スイスのクラウドファンディングの最新事情から成功の秘訣まで、あれこれ興味深い話を聞くことができたので、今回は、この時の話を中心に、ヨーロッパのクラウドファンディング最新事情をお伝えします。

※ワークショップは今年10月24日ヴィンタートゥアWinterthur市がボランティア団体を対象に開催しました。この記事は、その時に得た情報やホームページ上の情報、またwemakeitから記事制作の目的で入手した会社概要資料をもとに作成しました。

クラウドファンディングとは

クラウドファンディングとは、インターネットのプラットフォームなどを通して資金を調達することで、寄付型、金融型や報酬型の3種類があります。寄付型は、文字通り団体や個人にお金を寄付するもので、街頭やダイレクトメールなどを通した従来型の寄付のデジタル版です(従来型の寄付による資金集めの近年の傾向や問題については「共感にゆれる社会 〜感情に訴える宣伝とその功罪」)。金融型は、投機や貸し出しなどに利用されるもので、不動産関係などに主に使われます。報酬型は、支援者から経済的な支援を受ける代わりに、なんらかの報酬(見返り)をわたす形で資金を募ります。

今回、話を聞いたプラットフォームは、この報酬(見返り)型であり、以下の話も、この形のクラウドファンディングについてです。

クラウドファンディングプラットフォームwemakeitの概要

クラウドファンディングのプラットフォームwemakeitは、2012年にスイスで立ち上げられ、現在、ヨーロッパでもっとも大きな規模のクラウドファンディングのひとつです。毎月約40万人がサイトを訪れ、これまでの利用者数は27万6000人、4098のプロジェクトが実施され、プロジェクトの総額は4940万スイスフラン以上です。プロジェクトの平均成功率(達成率)は65%で、世界最高峰の水準をほこっています。

会社のオフィスは、スイスのドイツ語圏(チューリヒ)、フランス語圏(ローザンヌ)、イタリア語圏(ベリンゾーナ)にそれぞれ1箇所と、オーストリアのウィーンにあり、クラウドファンディングでは、ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語のうち1〜4言語の使用が可能です。

クラウドファンディングの流れ

なにかしたいこと(以下、「プロジェクト」と表記)のために必要な資金をこのプラットフォームで集めたい場合、具体的になにをどのようにすればいいのかについて、流れにそって説明してみます。

1。プロジェクトの詳細(集めたい金額、そのために必要なもの、工程表など)が決まったら、プラットフォームのサイトにアクセスし、申し込みをする
申し込みには、プロジェクトのタイトル、短い説明文章、ビデオ、プロジェクトの詳細の説明や、報酬の種類など具体的な内容を記入していきます。ちなみに、このプラットフォームでは、プロジェクトは1000スイスフラン以上でなくてはなりません。

2。(申し込みを受け)プラットフォーム側で、不正や詐欺などの疑いがないかを検証する
検証の結果、問題ないとされたものだけがプロジェクトとして掲載されます。

3。(プロジェクトが掲載されることが決定したら)キャンペーンの進め方の具体的な詳細(どのようにプロジェクトを進めていくか)を考え、準備する
例えば、プロジェクトのスタート前から、いろいろなチャンネル(デジタルなものや、地域の情報ツールなど)を用い、知り合いを中心に多くの人にプロジェクトをアピールし、潜在的な支持者にアクセスをしておくことが、重要とされます。

4。(プラットフォームに掲載され)プロジェクトがスタートする
プラットフォームのニュースレターで、登録している15万人に、プロジェクトのことが通知されます。

5。プロジェクトの期間が終了する
このプラットフォームでは、募集期間内に、事前に設定しておいた目標額に達成した場合、プロジェクトが成功した、ということになります。

成功した場合、プロジェクト企画者は、支援者からプラットフォームが受け付けた金額の9割を受け取ります。全金額の4%分は支払い手数料、6%分はサービス料としてプラットフォームにいきます。サービス料6%は、ほかのプラットフォームと比較すると若干高いとされますが、その分サポートも多いのをこの会社ではウリにしています。

集まった資金が目標額に達しなかった場合は、プロジェクト不成立ということになり、その時点までにプロジェクトに資金を提供してくれた支持者たちに、送金額はすべて返却されます。この場合、プロジェクト企画者にも一銭もわたりませんが、逆に、手数料も一切発生しません。

成功の秘訣1。誰にアクセスするか、できるか

成功率が世界でもっとも高いプラットフォームのひとつであるというのが自慢のこの会社では、プロジェクトを成功させるには、いくつかの重要なポイントがあると考えています。ワークショップで示されたそれらのポイントを以下、紹介します。

まず、もっとも肝心なのは、共感したり、興味を持ってくれる人にできるだけ多くアクセスすることです。その意味で、まず大事なのは、自分の身近なところにいる人たちにしっかりアピールすることになります。家族、友人、近所づきあいのある人など、とにかく知り合いネットワークをフル活用します。実際、成功するプロジェクトの達成金額の30―50%は自分たちがもともともっていた知り合いネットワークでまかなっている、というのが一般的なケースなのだそうです。

次の段階として、それ以外の人たちで、そのテーマに興味をもってくれる人にどれくらいアクセスできるかが重要になります。その際アクセスすることが望ましい人々は、テーマとして興味をもってくれそうな人、地理的な関係(近いなど)で興味をもってくれそうな人、もともと支援をしたいと考えており適切なプロジェクトをさがしている人などです。

以前、馬に関するプロジェクトで、馬の愛好会のネットワークにプロジェクトのことが知られるようになった途端に、支持者が急増するということがありました。これは、テーマに興味をもつ人に的確にアクセスできた例といえます。

適切なプロジェクトを探している人というのは、定期的にいいプロジェクトがないかをチェックするSerial Backersと呼ばれる人たちや、文化や社会的な活動のスポンサーとしての活動をしている財団などの団体などを指します。

一般的に、直接の知り合いでない人たちにアクセスする時は、あからさまで単純な宣伝意図(例えば、「このプロジェクトに寄付してください」などといってリンクを送るといったもの)だけでは、あまり好感や関心をもってもらえません。このため、間接的に宣伝するにしても、まず関心をもってもらえるようどんな情報をどんな形で提供するか工夫をすることが大切になります。

これら直接の知り合いでない人たちの間の知名度が高まってくると、雪だるま式に知名度が高まっていく好循環に入る可能性があります。ちなみに、人にアクセスする時は、一般的にはEメール、少し親密な関係ととらえる場合、フェイスブックやWhats up(ヨーロッパで主流となっているソーシャルメディア)などのソーシャルメディアが一般的だそうです。

成功の秘訣2。スタートと期間、日時の最適化

プロジェクト期間は、募集期間は30日から45日が一般的ですが、統計的には30日の期間が一番成功率が高く、このプラットフォームでもこれを推奨しています。

プロジェクトは、スタートから数日が決定的に重要です。これまでの前例を分析すると、最初の数日間で、入金が多ければ多いほど、成功する確率が高くなっていました。しかし成功するケースでも、スタートからしばらくすると、「谷」(訪問数も入金数も減る)の時期が到来するのが一般的です。それでも終盤に再びもりあがることがで、成功にいたるというのが典型的なのだそうです。

成功しやすい時期というのは特にありませんが、逆にプロジェクトが成立しにくい時期はあり、それは夏と12月です。夏は夏季休暇にでている人が多いからで、12月は年末で忙しかったり、伝統的な形の寄付の機会などが多いからと想像されます。

成功の秘訣3。報酬に一工夫

報酬は、具体的に潜在的な支援者を支援へと誘導するきっかけとなることも多く、工夫のしがいがあるところだといいます。

報酬は、ほかとは一味違う趣向をこらしたり、潜在的な支援者が求めているもの、魅了されやすいものを考え、それらを十分配慮することが大切です。事前に、支援額に合わせて異なる報酬を提示すると、支援者にとって(好みの報酬に合わせて)支援額を設定しやすくなり、プロジェクトが選ばれやすくなるという誘引効果もあります。

報酬はモノである必要はなく、コトでもかまいません。時には突飛でインパクトのある報酬が、支援を獲得しやすくなることにもなります。あるプロジェクトでは、ある額を支援すると、そのプロジェクト主催者の母親から個人的に電話をもらう、という一風変わった報酬を提示しました。すると実際に、その額で支援したいという人が数人現れ、母親と電話で対話するようになり、結局プロジェクト期間が終わったあとも、母親と電話の交流をするようになったそうです。

働きたい母親がこどもを連れていける、託児所つきのコワーキングスペースのプロジェクトでは、潜在的な支援者が、幼少の子どもをもつ若い母親たちであると想定し、そのような人たちをとらえる報酬になるよう工夫したといいます。(コワーキングの)子どもの数時間の託児無料券や、菜食レストランのクーポンなど、働きたいと考える母親の心理やライフスタイルを考え、そこで需要のあるものを報酬として提示にしました。

成功の秘訣4。紹介ビデオの活用

プラットフォームのプロジェクト紹介サイトでは、ビデオを載せることができますが、これは、直接プロジェクト企画者の表情やプロジェクトをみせることができるため、潜在的な支持者との間に確かな信用を築くための、最重要なツールと位置付けられます。

このため、どうしてもなくてはならない、というわけではありませんが、ある方が好ましいですが、プロが作るようなビデオである必要はなく、コンパクトにメッセージが伝わるものがよいとされます。結局、重要なのは、プロジェクトの内容なのであり、それがしっかり伝わる内容であることが肝心です。

成功の秘訣5。こまめに近況をアップデート

スタートしたら、最低でも1日15分は自分たちのプロジェクトサイトのチェックすることをプラットフォームとしては、すすめます。質問があったらそれに迅速に答えるのはもちろんですが、ほかにも、なんらかの新しい情報をインプットすることが、人々から関心をもちつづけてもらうのに重要なためです。

新しい情報として、例えば、そのプロジェクトにゆかりの深い場所やものなどの発祥や由来などが、これまで好評だったといいます。

ほかの特徴

そのほかの参考になりそうなクラウドファンディングにまつわる一般的な情報も、以下ご紹介してみます。

・このクラウドファンディングの支援額は、一件あたり平均140スイスフラン

・プロジェクトは、何回も行う人もいるが、1回限りの用途で利用する人のほうが多い

・プロジェクト企画者、支持者たちは共に、ソーシャルメディアを使っている人で若い人が多いが、それだけでもない。今日、デジタル世界とアナログ世界は乖離しているというより、両方を使い分けている人が多く、クラウドファンディングを利用する人たちも、両方の世界を行き来している人たちが多い。このため、換言すれば、クラウドファンディングという形は、少なくとも現状においては、伝統的な(ダイレクトメールなどの)寄付という形と、住み分けて、共存しているものと考えられる。

おわりに クラウドファンディングの可能性

今回ワークショップに参加して、クラウドファンディングという新しいツールが、単なる資金集めのツールとしてだけでなく、社会にほかにどんな作用・影響をもたらす可能性があることがわかりました。

とりわけ印象的だったのは、プロジェクトの立ち上げから終わったあとまで、様々な人たちと交流する機会が多くあることです。

プロジェクトの前や期間中は、多くの人に自分たちのことや目指すことを積極的に訴える(宣伝する)過程で、様々な人々との交流が生まれます。これまでプロジェクトやその主催者と全く縁のなかった人たちが、プロジェクトを通じて知り合いになっていったり、あるいはすでに知ってはいてもしばらく縁が遠くなっていた人たちが、プロジェクトを機に、再び近い距離(関係)にもどってくる機会ともなります。

さらに、プロジェクトの目標額を達成したら、それでおしまいではなく、祝いのイベントを設定するなどして、新しくつながった支持者と交流し、関係を保ったり、深めたりします。

つまり、クラウドファンディングは、プロジェクト企画者にとって必要な資金調達を可能にする貴重なツールであることも確かですが(特に画期的なモノへの挑戦や開発には今日代替不可能な優秀なツールとなっています「生活の質を高めるヒアラブル機器 〜日常、スポーツ、健康分野での新たな可能性」)、それだけでなく、たとえ、目標額に到達せずプロジェクトができなかったとしても、企画者・支援者双方が、いろいろな人と知り合い、互いの思いを交換しながら、新しいネットワークを広げていくという意味で、意義のある行動であり、貴重な機会であるといえそうです。

支援者側からみても、プロジェクトが成立する前から関わり主体的にプロジェクトに関与し、その経過をとおして共感するプロジェクトや共感しあう仲間たちとの間で交流することができるこのような協働的なプロセスは、大きな魅力なのでしょう。クラウドファンディングの投資額が年々増加しているという事実が、それをなにより物語っているといえます。

見方をかえれば、クラウドファンディングは、もちろん成功すればそれに越したことはないですが、たとえ成功しなくても、その過程ですでに(同じ志をもつ社会のほかの人との新たな交流の機会をつくるという)目標を部分的に達成できるということであり、そのような副産物が、クラウドファンディングで得られるとりわけ大きな「報酬」といえるかもしれません。

参考文献

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穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


都市と地方の間で広がるモビリティ格差 〜ヨーロッパのモビリティ理念と現実

2019-11-06 [EntryURL]

前回、共通運賃制度や統一した運行計画(ダイヤの策定)などをもつことで利用者に使い勝手がよく、利用者が恒常的に増え続けているドイツ語圏の公共交通について、ウィーンを例にみてみました(「公共交通の共通運賃・運行システム 〜市民の二人に一人が市内公共交通の年間定期券をもつウィーンの交通事情」)。

今回は、ヨーロッパ全体の潮流や、都市と地方の地域的な差異を視座にいれながら、人々にとってモビリティとはなにか、またなにがそこで重要になってくるか、といったモビリティの本質的な問題について、今日的な文脈に沿って考えてみたいと思います。

モビリティがないと世界はどんなふうに映るか

ところで、人がモビリティを日々確保できること(いつでも自由に移動できること)は、決して当たり前のことではありません。卑近な例ですが、数年前、キューバ郊外を車で走行した時、そのことを強く感じました(キューバの今 〜型破りなこれまでの歩みとはじまったデジタル時代)。

当時、ガソリンがキューバで全般に不足していたこともあり、一旦都市部を離れると、車やバイクの交通量はぐっと減り、バスなどの公共交通機関の運行も限られていました。かわりに馬車など旧来の輸送手段も若干使われていましたが、最もよくみかけたのは、自転車や自転車タクシー、リヤカーなどの人力に頼るモビリティです。しかし人力に頼る移動手段で、太陽光を遮ってくれる木陰などない、砂糖プランテーションや熱帯風景の間を延々と伸びる道を炎天下走行するのは、どう考えても体力的に厳しく、現地の人が日々直面しているであろうモビリティの問題(物理的な不足や気候的な問題からモビリティがいちじるしく制限されていること)を目の当たりにしたように感じました。

移動は、一見すると、生きていく上で、食べ物、住む場所、医療、情報、仕事などに比べると、それほど深刻で重要なことのようには思えません。しかし、実際の生活では、モビリティがなければ、仕事や学校にはいけませんし、生活必需品の購入や、時には命に関わる(医療などの)公的なサービスを受けることもままなりません。

ヨーロッパでのモビリティの捉え方

ヨーロッパでは基本的に、このようなモビリティを、人々の生活の質の重要な一部とし、「公共交通を国や自治体が供給責任を負う公共サービスとして位置づける」(国土交通省、2014年、22頁)傾向が、日本よりも強くみられます。

例えば、ドイツでは、1930年代終わりから「水道・ガス・電気のほか、郵便・電信・電話・保健衛生上の保護の供給、老齢・廃疾・疾病・失業への備え等に並び、あらゆる種類の交通機関の供給」など生活に不可欠なサービスの給付を「生存配慮」の任務と捉え、「広義の国家(Staat)」の責任と課」す考え方が生まれ(土方、2018、38頁)、「その度合いや方法に関する解釈は」(43頁)、「時代ごとの変化を免れていないものの、概念の創成当時から今日に至るまで」、「「生存配慮」は地域鉄道への行政による関与の根拠としては概ね機能してき」(43−44頁)ました。

スイスでは、鉄道を人々の輸送を目的とする公共交通と観光や貨物など営利目的の交通に分けて考え、前者の維持・運行で不足する費用は公的な補助金で補うことが法律で決められています(後者は、独立採算生を基本理念にしており、補助金がでないのに対し)。公共交通として認められている路線は、補助金を得ることができるかわりに、十分に公共交通として機能すべく毎日十分な頻度をもって運行ダイヤを維持させることが、国や州に求められます(ちなみに後者は、1日の本数だけでなく、冬季の走行を停止するなど、運行を不定期に行っても問題とされません)。

そして、ヨーロッパの少なくともドイツ語圏では、全般に人々のモビリティの基本として高水準の公共交通を確保するために、州や市が補助や投資をすることに、すでに社会的な合意ができているようで、それを改めて疑問視したり、反対をするという声を聞くことはほとんど聞かれません。

このことについては、しかし、意識的に住民が補助金政策を支持しているというより、一住民にすると、いくら公共交通に投資されおり、自分が直接どのくらいこれに対して税金から支払っているのか、というのはみえにくく、それよりむしろ自分の財布から払う公共交通がいくらで、どのくらい便利か、ということのほうに関心が高くなるためだからではないか、という指摘もたびたびみられます(例えば、渡邊、2018)。いずれにせよ結果として、間接的に公共交通政策を支持する結果となり、モビリティの確保を重視する政策が、ドイツ語圏では、ぶれずに長期にわたって今日まで存続してきたことは確かです。

ただし、モビリティはどこにおいても同じである必要はありません。地域や人、そこでの生活に不可欠な移動規模の大きさによって、最適のモビリティの手段は異なり、いちがいにどれがすぐれているということもいえないでしょう。ヨーロッパにおいても自転車交通網を相対的に重視する地域もあれば(「カーゴバイクが行き交う日常風景 〜ヨーロッパの「自転車都市」を支えるインフラとイノベーション」)、むしろ圧倒的に公共交通網に力をいれるところある、といった具合で、決して画一的なものではありません。近年は各地で、シェアリングという新しい可能性が従来の交通網の不足を補うものとして注目されたり、導入される例もでてきました(「ウーバーの運転手は業務委託された自営業者か、被雇用者か 〜スイスで「長く待たれた」判決とその後」)。

ともあれ共通するのは、それぞれの地域に人々に適切なモビリティがあるかないか、あるいは、あるにはあっても、使いがってがいいか悪いかが、生活に決定的な影響を与えるということです。

モビリティとは、単に道路をつくる、電車を通すというようなハードな話ではありません。道路や鉄道路線を実際に走行し人を輸送するモビリティが、便利な程度で存在するか、という実利の話となります。便利な程度、とは、例えば電車が1時間に最低1本は運行しているとか、深刻な交通渋滞など移動自体が妨害されていないことを意味します。もともとは便利な交通手段であったものでも、多くの人がそれを追求するために、かえって渋滞が悪化し、適切なモビリティを維持できなくなることもあります(「交通の未来は自動走行のライドシェアそれとも公共交通? 〜これまでの研究結果をくつがえす新たな未来予想図」)。

地域全体への恩恵

モビリティが確保されることは、それだけで、個人レベルの生活の質をあげますが、地域の発展のチャンスや経済の競争力も増やすことになり、ローカルな地域の魅力も高める効果にもなります。つまり地域全体の文化や経済発展の土台であるといえます。

例えば、前回とりあげたウィーンは、公共交通の利用率が非常に高い都市ですが、それでも運賃収入だけでウィーン公共交通の総支出額を回収できているわけではありません。一方、公共交通が充実することで、人のモビリティが確保され、経済活動や文化と複雑にからみあいながら、経済的に好転する作用を生み出していることも確かです。そうなると当然、観光客もひきつけます。経済や観光がさらに文化的な豊かさや生活の多様性をつくり、それがまた高い価値を生み出します。

このため、公共交通の直接的な採算性だけでとらえ、でてくる数値は、地域の利益を捉える数値としては、かなり限定的なものであるといえます。

環境を考えたうえでの「採算性」

他方、今日的な文脈にそってみると、環境という(現在の経済に十分に反映・評価されているとはいえない)分野での「採算性」は、むしろ今後、一層、注目されるものとなるといえるかもしれません。

前回、ウィーンでは、車の利用を減らし公共交通へと人々をうながすインセンティブがとられ、それが功を奏して、公共交通利用者の増加がつづいている状況をみました。大方の住人はこのようなウィーンの交通政策を支持していますが、市内の駐車料金が倍額になったことは、車を運転したい人にとっては当然、不評です。

しかし、ウィーン市議会ではこのような車利用者の不満を大きな問題とはしません。さらに今後さらに車の通行を抑制するための案として、通行料金を別途請求するという案も、都市の交通分野担当の市議会議員で緑の党の政治家ヘバイン Brigit Hebeinが中心となって、検討されています。

一貫してウィーン市がこのような市内の自動車交通を抑制する公共交通政策を推し進めているのは、一方で、住民の多数派にこのような方針が受け入れられているからだともいえますが、その根拠となっているのは、環境のいわば「採算性」です。環境負荷を都市全体として減らすという大目標を前に、なにがより効率的か、また中期・長期的な観点からみて、なにが採算性が高いかということを基軸にして、交通政策が進められています。

フランスの黄色いヴェスト運動の背景にあるモビリティ問題

一方、基本理念としてモビリティを重視するといわれるヨーロッパにおいても、一様にウィーンと同じような交通政策が支持されているとは限りません。

昨年、フランスではじまった黄色いベスト運動がさかんな地域は、その反対の立場を示している顕著な地域といえるでしょう。黄色いベスト運動は、政府が、ディーゼル車の燃料である軽油に対して、ガソリン車に比べ2倍近く上げるという燃料税の案を発表したことがきっかけではじまった、各地でのデモや暴動などの動きです(ただし、発端は燃料税でしたが、その後の黄色いベスト運動の展開には、フランス社会の様々な問題がからみ、反映されていると言われます。これについての国際経済と労働市場の専門家の見解は「向かっている方向は? 〜グローバル経済と国内政治が織りなすスパイラル」)。

ヨーロッパでは、1990年代以降、環境政策を推進するための重要なインセンティブとして、積極的に環境税制改革がすすめられてきました。ドイツでも1998年に緑の党と社会民主党の連立政権が誕生した後、エネルギー税や炭素税などが次々と導入されてきました。

こうした課徴金制度に対しては、環境を考慮した課徴金の大部分は、徴収した分を国民に直接還元する形がとられることが多く、このような制度の推進派は、課徴金の対象となるものを回避し、公共交通を利用するようにすることによって、家計の負担が減り、環境にもよいことになる。このため、特定の住民に集中して打撃を与えるものではない、と主張(説)します。

しかし今回のフランスの件をみると、この主張が妥当と言えるのは、公共交通などのモビリティが十分確保されている時であるといえるでしょう。フランスはドイツに比べ人口密度が低く、都市部を除くと鉄道網などの公共交通網が発達しておらず、その分、地方在住の人は、マイカーで移動することが多い国であり、この燃料税は、国全体の痛み分けというより、都市在住者よりも地方在住者により大きな犠牲を払わせるものと理解され、今回、地方で抗議運動が広がりました。

恩恵をより一層受ける人(公共交通がそのまま使えるだけでなく、環境税の還流も受けられるため)と、(長期的には異なる可能性があるにせよ)少なくとも短期的には課徴金が大きな負担を強いられる人という風に、社会が二つの方に両極化してくことだけでもすでに問題です。しかし、その分断が、一度社会のみなの目の前で鮮明に可視化されてしまうと、さらにやっかいです。国のなかが二手に分かれて感情的に対立し、議論が合理的な合意をめざす理性的な展開にすすみにくくなるためです(テーマは全く違いますが、ブレグジットの件で国の世論が大きく二分されてしまったイギリスの融和の道は非常に険しくみえるのと若干似ています)。

ただし、だからといって、ディーゼル燃料など人々の生活に直結する環境税は、たびたび、弱者いじめ、不公平だ、などと一面的に批判することも、少し違うように思います。さらに社会を広範囲からとらえてみると、ディーゼル車も保持できないような貧困層にとっては逆に燃料税が国民全体に還流されることで、恩恵を受けられるとう解釈もできるためです。

つまり、環境のための課徴金制度に「不公平」のレッテルをはり、インセンティブとして問題だ、と糾弾するのは簡単ですが、それほど単純なことでもなく、より重要なことは、それを導入するにあたって、都市部だけでなく、それぞれの地方においても、適切なモビリティ構想を合わせもっているのか、という点なのではないかと思います。

都市と地方の間で広がるモビリティ格差

前回、ドイツ語圏の都市部など公共交通がこれまで定着・成功した例をみましたが、視座を地方を含むヨーロッパ全体にひろげてみると、フランスでみえたような都市部と地方の間のギャップや政策の矛盾、不公平さは、むしろヨーロッパ全体を覆う問題として各地に存在しており、今後も状況によっては、その問題がより鮮明に、深刻になってくるのかもしれないという気がします。

ドイツ語圏の都市部ではどこも、公共交通や環境負荷の少ない交通政策に熱心な緑の党や左寄りの政党を選び、これらの政党が中心となり交通政策をさらに推進する傾向が強くなっています。この結果、ますます公共交通が便利となり、自転車道の拡充なども推進され、多くの住民たちはその恩恵を受ける、という好循環のスパイラルができつつあります。

一方、地方では、同じ時代の同じ国のなかであっても、都市の交通の発達とは異なる道を歩んできましたし、今も歩んでいます。もともと地方では、都市部よりもマイカーの利用が多く、公共交通の恩恵にあずかることがずっと少なく、それを促進することへの関心も必要性、都市部より低いままでした。

そのような状況下では、マイカーを抑制しようとする政策はもちろん支持されず、基本的に阻止、あるいは先延ばしにされ、マイカー利用が公共交通にシフトする機会を再び逃す、という工程が続いており、転機がおとずれる兆しはありません。

都市で公共交通が推進される一方、地方では推進されない。このように交通政策が乖離して進んでいった結果、受けられる公共交通の恩恵の大きさの差も都心と地方で大きく開いてきています。そして、受けられる恩恵の大きさが異なれば、住民たちの交通政策における公共交通への期待や理解、認識も異なっていきます。期待や認識が異なれば、当然、その地方の政府や議会が、次の時代の交通政策をどう舵取りするかも違ってきます。

このような状況が10年、20年と続いていったあかつきには、どうなるでしょう。都市部と地方において、今よりもさらに決定的な交通事情の差がでてくるのかもしれません。

おわりにかえて

前回と今回で、いろいろな立場や角度からモビリティについて考えてきましたが、最後に、ヨーロッパから目を離し、日本に目をむけてみましょう。

前回と今回の記事作成のために参考にした交通政策の調査報告や論文をみると専門家の間では、最終的に、ヨーロッパを参考にしながら、日本が目指すべき方向というものを共通して見出しているようにみえます。それがどのような見解なのか。宇都宮浄人関西大学教授の言葉をそのまま引用して、ご紹介してみます。

「今、求められるべきは、まちづくりと一体となった「統合的交通政策」である。そして、そのためには、ストラテジー(戦略)、タクティクス(戦術)、オペレーション(運行)の明確化が必要である。日本の場合は、鉄道会社がまちづくりまで全部担ってきたという歴史的な経緯がある。しかし、縮小、縮退の時代においては、民間ですべてができるわけではない。まずは大きな戦略として、どのような交通とまちにするのかを定めることが重要である。収益性ではない」(オーストリア、2018、3−4頁)。

「いかにして住み続けたくなる、訪れたくなる、Quality of Living の高いまちをつくりあげていくのかが重要。全体最適に向けて、もっと長い目で政策の優先順位を明確化していく必要がある」(同上、4頁)

現在、すでに日本が目指すゴールが、専門家の間で一致してみえているのであるなら、国や県、自治体、また地域の複数の交通事業体が連携しながら、早速、それの実現に向けて現実に取り組み始める段階にあるといえるでしょうか。1965年ハンブルクで、背水の陣で、自治体や交通事業者が一体になってのぞみ、実現した公共交通改革のように。

参考文献

Strom – eine Schlüsselenergie auf dem Prüfstand, Kontext, SRF, 23. Oktober 2019, 9:02 Uhr

Wiener Linien, 2018. Facta and Figures (リーフレット)

Wiener Linien (ウィーン市交通局のホームページ)

遠藤俊太郎「使命を終える鉄道―ドイツにおける鉄道旅客輸送廃止の動き―」『運輸と経済』第78巻第8号’18.8、104―107頁

「オーストリアの交通まちづくりから、地域再生の本質と方法論を学ぶ」、ルネッセ・セミナー第三回概要、エネルギー・文化研究所、1−4頁、3、4頁、2018年8月29日

加藤浩徳、Andrew Nash「スイス・チューリッヒにおける公共交通優先型都市交通政策」『運輸政策研究』Vol.9 No.1 2006、22−34頁。

国土交通省国土交通政策研究所「地方都市における地域公共交通の維持・活性化に関する調査研究」『国土交通政策研究』第120号、2014年11月

後藤孝夫「ドイツ・オーストリアにおける統合交通政策の現状」『運輸政策研究』海外通信004早期公開版 Vol.21 2、1−5頁

土方まりこ「ドイツの地域鉄道政策における「生存配慮」概念の意義『交通学研究』第61号(研究論文)2018年37−44頁

土方まりこ「ドイツの地域交通 運輸連合 役割の変換 研究員の視点」2016年(『交通新聞』からの転載)2019年10月22日閲覧

土方まりこ「ドイツの地域交通における運輸連合の展開とその意義」『運輸と経済』 第70巻 第8号2010.8、85―95頁

渡邉亮「運輸連合の概要と日本への示唆─ドイツ・ベルリンを例に─」『運輸と経済』第72巻 第9号 ’12 .9、72−81頁

渡邊徹「なぜ公共交通の確保維持に多額の補助金を支出することが社会に受け入れられているのか ―ドイツ語圏主要3カ国の主要都市を事例としてー」『運輸と経済』第78巻第2018.8、97−103頁。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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